GET LIMIT  8.表明


 おぞましく、そして恐ろしい記憶ほど、脳から消えるのはとても早い。目が覚めたときイザークは何も覚えていなかった。今、彼は白いシーツの上で上半身を起こし、ぼんやりと、窓の外の高い場所から降り注ぐ陽の光の眩しさを、ボケた老人のように眺めている。

 意識を失う前の自分が何をしていたか、イザークの聡明な脳がそれを思い出すのは容易なことだった。高速道路管制塔に殴り込みをかけて、無数の『奴ら』と戦った。そして今回の目標である『敵』と相見えた。ろくな会話もしないまま幻術にハマッて、そしてそのまま倒れたのだ。

 我ながら何と情けない。イザークは片手で頭を抱えた。銀の糸束のような髪を無造作に掻きむしって項垂れる。じっと脳を静めてみると、心の底からふつふつと、あの制御の利かない感情がわいてくるのが判る。苛立ちと怒り、有り得ないほど絶大な負の感情。

「……」 イザークは大きく息を吐く。

 だいじょうぶ。抑えられる。この感情だけでは解決できないこともあると俺は知ったのだから。それよりもこの感情をぶつけるべき相手のことを、もっと知らねば。情報が必要だ。こんなところで、姫からもらった大切なエネルギーを発散している場合じゃないんだ──。

 二日と八時間半、という長い眠りから目覚めたばかりのイザークがこの結論に辿り着くまでは三十分もかかっていない。彼が心を決めて、さて腹が減ったなと思ったそのとき、ちょうど寝室のドアが開かれた。

「姫」 思わず、そのドアを開けた人物の愛称を口にする。

 物音を立てないようにしたのか、そっとドアを閉めたところで、イザークの独り言が耳に届いたキラが振り向く。

「ああ、イザーク」 キラはベッドに駆け寄ってきた。「目が覚めたんだね? 良かった」

 きっと何時間かおきにそうしていたに違いない、今も数時間ぶりでイザークの様子を見に来たのだろう。ベッドの上で身を起こしている彼をまじまじと見つめて、キラはほっとしたようにほころんだ微笑みを浮かべる。

「気分はどう? …皆は今、外に出てるけど」 キラは言った。

 気分は、と聞かれると、イザークは反射的に己の額に掌をあてる。一気に寝不足を解消したように頭はすっきりしているし、特に熱があったりする訳でもない。肌触りのいい白いシャツを着ただけのラフ過ぎる着衣もまた、いやに落ち着いた室内の光景に相まって、ある種のリラックス効果をもたらしていた。

「……いや、特に」 イザークは額から手を離すと、ベッドの傍らへ歩いてくるキラではなく、己の真正面を睨んで言う。

「聞かないの? 現状」 キラは不思議そうに首を傾げる。

「姫一人をここに残して、のんきに全員が外出できるような現状を聞く必要はない」

「そうだね」 思わずキラは苦笑を浮かべる。「君たちが管制塔から戻って二日になるけど、特に大きな事件は起こってないよ。『影』の襲撃は…また復活したけど」

 そうなのだ。管制塔でイザークとディアッカが何体も倒しまくったせいなのかどうかはさておいて、彼らがホテルに戻ったその日の昼を過ぎた頃から、三週間に渡って沈黙を守り続けてきた『影』どもが、再びキラを狙って襲撃してくるようになったのだ。

 まるで先日出現した『あれ』が号令でも出したみたいだ、とディアッカが言った。

 まるで『あれ』が活動を開始するのを待っていたようだ、とラクスが言った。

 言われてみればそうなのかもしれない。皆の意見は確かにそれらしいし、むしろそれ以外に何かの理由があったとも思えない。しかしアスランは、前二人の意見を踏まえた上で言った。

「……どうやら準備は整ったようだな」 イザークの呟きと、まったく同じことを。

「準備…」 その言葉を噛み締めるようにキラが独り言を放つ。

「そうだ、準備だ」 イザークは改めてはっきりと口にする。「俺たちが管制塔でヤツに会ったあの日の朝までに、ヤツにとって必要なものがすべて揃ったのだと見ていいだろう。そしてヤツはここに至るまでで、最低限の活動で俺たちの力量をはかり、行動・思考パターンを読み、ショック事態への耐性を調べていたんだ。そうでなければ、一体どこのアホがあんな脈絡もない破壊活動をするものか」

 イザークからの鋭い視線を受けて、まるで自分が叱られているような気になったキラが身を縮める。

「渋谷で生まれたあの悪意は、群馬で同じ事故を起こして己が敵の性質と人数を把握し、同時に姫という目標を認識したんだ。それからの三週間を無音で過ごして俺たちの出方を見ていたに違いない…」

 言葉を放ちながらイザークは苛々と息を吐く。まんまと踊らさせた、と言うのは極めておざなりなセリフだが、まったくその通りなのが一番痛い。三週間の沈黙は我慢比べだったのだ。イザークとディアッカでなくとも、誰が動き出したとしても、『あれ』は姿を現しただろう。

 無論その動き出す人物がキラであったなら、『あれ』からすれば願ったり叶ったりだったのだろうが。

「きっとヤツは近日中に、向こうから攻撃を仕掛けてくるぞ」

 イザークの声色が、より凛とした色を強める。それは、ラクスのそれとは違った強さを秘めたものだ。

「だが、アスランの心中はどうであれ、俺は姫の参加を望まない」

「…え…」 意外な言葉を言われたキラが目を丸くする。

「どれほど『あれ』によって強化されたとしても、『影』ごときが姫に傷を入れることはまず有り得ない。それは判っている。だが『あれ』本体となると話は別だ。ラクス・クラインはヤツの力をはかりかねると言っていた。あのラクスがだぞ? そんなヤツと正面対決しようというところへ、いかに当事者であっても姫を同行させることはできない」

「そんな、ここまで来て!」 当然のようにキラが抗議する。「そんなこと勝手に決めないで。皆が戦うって言うのに、僕一人だけこんな所で待ってるなんてできないよ」

「急くなバカ! まだダメだと言い切ったわけじゃないだろ!」 イザークは困ったように怒り出す。

「え…だって、参加してほしくない、って…」

「……あくまでも俺の希望だ」 非常に言い難そうにイザークは言った。「姫に危険を冒してもらいたくはない。可能であるなら、この部屋に張った結界の中で大人しく、俺たちの帰りを待っていてもらいたい」

 言葉の続きを待つのか、それとも初めて聞くイザークの意見に驚いているのか、キラは彼の顔をじっと見つめたまま言葉を放つ様子はない。

「だが…いくら隠しても、ヤツはきっと姫の前にも現れる」

 シーツの上で組まれたイザークの手が、ぎゅっと力を強める。

 『あれ』は管制塔でイザークたちの前に現れたとき、はっきりと言った。『ここであなたたちと戦っても意味はない』と。イザークやディアッカと交戦することは、『あれ』にとっては何の意味もないのだ。それは相手に意味がないということに他ならない。

 キラでなければ意味がないのだ。『あれ』の前に立つのは、キラでなければならないのだ。そうである以上、『あれ』はどんなに皆がキラを隠したところで、結界を破ってでもキラの前に姿を見せる。

「そうかもしれないね…」 キラは静かに言う。

「危ないことだけはするなよ」 きっ、とキラを睨みつけてイザークは言った。「アスランから話を聞いた時はそんなバカが居るかと笑い飛ばしたものだったが、だいたい貴様はボーッとし過ぎなんだ!」

「は?」 キラの目が点になる。

「大阪の時にもそうだったぞ、目の前に敵が居るというのに小鳥なんぞに気を取られやがって! 自分には防護結界があるから、何をやっても怪我なんてしないとでも思ってるのかっ、もっと自分の危険に対して敏感になれ! 一体どこまでお人好しなんだ貴様は!」

「ご…ごめんなさい」 イザークの剣幕に対して反射的にキラが放ったのは、やっとその一言だけだ。

 あのとき。小鳥を助けたあとに襲ってきた『影』を倒したあと。イザークがキラに何を言いたかったかが今になって判ってしまった。本人の口から聞く形となって。

「貴様は真後ろに敵が居ても気付かなげで、それだけが心配でたまらん…! いいか、ヤツを影どもと一緒に考えるなよ。下手をすれば冗談でなく、姫の防護結界をいとも簡単に砕くかもしれないんだからな!」

「うん、ありがとう…イザーク」

「…は?」 今度はイザークの目が点になった。

「僕は大丈夫。だからそんなに心配しないで?」 キラは軽く首を傾げるような仕草で言う。「ラクスが危ないって言うのなら、確かに危ない敵なんだろうね。でも、危ないからって逃げ回っても隠れても、それって…僕たちの本当の目的から、外れているような気がするから」

 キラは、己に宿った呪われた力を捨てたいと願っている。その方法を模索する為に、彼らはこちら側の世界へと渡ってきた。皆、重々に承知していることだ。

 そこで初めて出会った、人間にほど近い、あるいは人間を越えるかもしれない知能を持った敵。ひょっとしたら、キラを除いたメンバーの中でも最強を誇る──キラの防護結界を砕くだけの技術を持つラクスを超えるかもしれない力を持った敵だ。

 そんなやつを探し出して話をすることができれば、もしかすればその悲願を達成する方法が判るかもしれない。たとえ判らなかったにしても、『あれ』と対峙することはキラにとって特別な意味を成すに違いない。

「『影』たちとはイタチごっこに過ぎなくても、『あいつ』とは、僕が戦うことにこそ意味があるんだ。君が言うように、『あいつ』がいつか…近く、僕の前に現れるって言うなら、僕はそれを待つよ」

 キラの言葉を聞きながら、イザークは目を細める。鋭いはずの光がその奥で揺らいでいた。

「ずっと不安定で…取り乱したりして、ごめん」 キラは真摯に言った。「もう、大丈夫だから。悪ふざけ半分に君たちの心を傷付けた『あいつ』のことは、僕も許せないんだ。戦えるよ。僕も」

「──わかった」 イザークは息を吐くように言う。「姫の決意が固まっているならいいんだ」

 『あれ』に対して恐怖心があったり、存在を疑うような気持ちがあるようでは、到底『あれ』を相手にすることはできない。イザークはそう踏んだ。ニコルの姿をしていたにしろ、これからあらゆる姿をとるにしろ、見た目に踊らされて戦意が揺らぐようではいけないのだ。

 だから、まだキラが『あれ』に対して畏怖を抱いているのであれば、イザークは断固として出撃を反対し、抵抗されればこの場ででも、キラを結界に封印しまうつもりだった。

「イザークも、それだけ話ができるなら大丈夫そうだね」

 そんなイザークの心中を察することもなく、キラは改めてほっとしたように笑みを浮かべる。

「俺のことは問題ない。今からでも外に出られる」

「その前に、お昼ご飯じゃない?」 キラはくすくす笑った。

「判ってるならさっさと手配しろ」 イザークはむっとして言った。

「うん。それじゃあフロントに電話するよ。着替えたら出てきてね」

 アスランなら思わず苦笑などしてしまうだろうイザークの言葉だったが、ちっとも気を悪くしたふうもなくキラは笑って立ち上がると、部屋を出て行った。

 イザークは大きな枕に勢いよく背を預けると、長めに息を吐いた。

 キラが戦う意思をあらわした以上、これからさまざまなことが動き出すことになる。しかし『あれ』がどんな相手なのか、どんな能力を持っているのか、彼らが把握している情報はとても情報は少ない。

 正体不明の敵──言うなればそんなところなのだ。

 するりとシーツの中からイザークの身体がすべり出る。白い布の下から現れた足は素肌ではない。彼が床に足をつけて立ち上がると、カッ、と硬い靴の音が響く。黒を基調にした、シャープなデザインをもって身を包んだ着衣とともに歩を進めた、イザークは扉を開く。

 キラが待つ、その部屋へ通ずる扉を。



 青い空に浮かぶ白い雲が、ふよふよとあらぬ方向へ流れていく。オーブ連合首長国の空は晴れ渡って、そこに生きる人々の心を示すかのようだ。

 代表首長官邸の屋上に立つのも随分久しい。そんなアスランの濃い青の髪が、吹いてくる風に撫でられてふわりと舞った。

 平和そのものの光景に、思わずアスランはボーッとしてしまう。先ほどからひたすら視覚から入ってくるのは真っ青な空を流れ行く雲の映像ばかりで、聴覚に入るのも車の交通音や屋外テレビの音声で、そして触覚に触れてくるのは柔らかな風と、暖かな日差しだけだ。

 キラの居ない、完全な平穏を手にした世界。しかしキラの、自分たちの帰るべき、そして在るべき世界。キラが力を消し去ったその暁には、ここで真なる安寧の時を過ごしてほしい──そう願って止まない。

「おいっ」 呼びかける声と共に、アスランの足首がぐっと何かに掴まれる。

 ボケた脳に与えられた突然の強烈過ぎる刺激に、小さく声を上げたアスランが足元を見てみると、コンクリートで作られた屋上の床から、女が半分ほど顔を覗かせていた。

 ものの例えだとか何だではない。本当に水面から顔を出すように、コンクリートの床から人が顔を出しているのだ。同じように伸びたその人物の手が、アスランの足を掴んでいた。

「何度も館内放送かけたのに、こんなトコに居たんじゃ聞こえないのも当然だな」

 よっ、と景気のいい掛け声とともに、左右両方ともコンクリートから出した手を使って、引き抜くように全身を現したのはカガリ・ユラ・アスハだ。

「カガリ。まさかそれ、他の職員たちの前でやってないだろうな」 呆れ半分にアスランが言った。

「私はそんなことしない。そういうことはキラに言え」 カガリは口を尖らせた。

「それにしたって心臓に悪い。お化け屋敷でアルバイトでもしてみたらどうだ?」

「バカにされてるようにしか聞こえないぞ。そんなこと言うんだったら、せっかく持ってきたモノだが教えてやらんっ」

 カガリは腕を組んでそっぽを向いてしまった。

 意識すればあらゆる物質を通り抜けることができる、肉体の構造を分子レベルで自由自在にコントロールできる能力。それがカガリの力だった。

 この彼女に限ってはキラから力を譲り受けていない。要するに天然の能力者なのだ。この世界においてキラと『双子』という立場にあるせいなのか、彼女もまた『闇』ではないにしろ、高い殺傷性を誇る超常能力を持っている。どんな問題が起こるか判らないから、という理由で誰にもこの能力のことを知らせていないが、確かに何も知らない者の前に壁の中から突然現れれば心臓麻痺は間違いない。

「子供みたいなことを言うなよ」 アスランは苦笑いした。「…うぅん、そうだな。まぁ挨拶だと思って」

「ずいッぶん、無礼な挨拶だっ」

「調べはついたんだろ? こちらもあまり時間がないんだ」

 アスランが諭すように言うと、カガリはすこし真面目な顔をして彼を振り向いた。

「キラのこと、何とかなりそうなのか?」

 かすかではあるが、問う彼女の瞳に希望の光が浮かぶ。違った世界へ渡ってしまってから、一年に何度も帰らないアスラン。それでもこうして戻ってきたときには、そのたびキラの力のことを問いかけてみるが、いつも決まって答えはひとつ。彼は黙って首を振るだけ、だった。

 しかし今は違う。アスランは、自分からは滅多にしない連絡を緊急に入れてきて、カガリの返答を待たずにここへ戻ってきて、そして『時間がない』と言った。彼がこんなにも急ぐ理由はひとつしか浮かばない。むしろそれ以外の理由らしきものがひとつもなかった。

「…まだ、何とも言えない」 アスランは少し申し訳なさそうに言う。「しかし…希望は出てきた」

「そっか」

 うん、とひとつ頷いたカガリは、まとった紅い上着の内ポケットから一枚の書類を取り出して、アスランに差し出した。

「ニコル・アマルフィに関するデータだ。確かにそいつは死んでるよ。どこかで生きている、という設定はない」

 アスランが書類を手に取って開いてみる前に、カガリが結論を言ってしまった。それでも彼が目を通してみると、ニコルという少年の死が、『こちら』でも『あちら』でも共通した確実なものであることが明確に記されている。

「…やはり、そうか」 これではっきりと確証が得られた。アスランは黒の上着の中へその書類をしまい込む。「ありがとうカガリ。手間をかけさせて、すまなかった」

「なぁに。このくらいの情報、いくらでも手に入るさ」 カガリは肩を竦めて笑った。なんでもないよ、と言うように。「でも一体どうしたんだ? コイツ…確か、おまえの友達だったよな」

「ああ…」 アスランは少し目を伏せた。

 仕方が無い、という言葉では済ませられない。しかし彼の死がなければ今のアスランたちはない存在。とても大きな意味を持つ死。こんな言い方でもしないと救われないと思うからこそ、アスランはニコルという少年の死にひとつの答えを導き出そうとしている。

 それを。それを。

 そんなニコルの姿で現れて、好き勝手悪ふざけをしてイザークたちを傷つけた許しがたい敵。彼らの心を踏みにじって笑う敵。アスランの中でも怒りの火と共に、戦意という名の決意が築かれていく。

「それにしても、ここしばらく尋ね人が多いな。まったく」 大袈裟に疲れたふうな溜息を吐いてカガリが言う。「ついこないだも、プラントからある人物の捜索願いが出たばかりなんだ」

「捜索願い?」

 聞き慣れないという訳ではないが、ここしばらくは耳にしなかった言葉であることに違いはない。アスランは興味を引かれて首を傾げた。

「ああ、捜索願いだ」 カガリは頷いた。「プラントでザフト兵のひとりが行方不明になったらしい。…普通は気にもされないことだったりするんだが、どうもそいつ、超能力者みたいでな…。オフィシャルに公開はされてないが…私やキラと、同じ性質の」

 アスランは思わず耳を疑った。カガリも、とても言い難そうに言った。きっとデュランダルも、今のカガリと同じような表情でその事実を語ったに違いない。

 超能力者。口で言うのは簡単なことだが、その事実はとんでもない衝撃だ。キラとカガリならまだ判るのに、いちザフト兵などがそんなものを所持していていいのか。もし神というものが居るのだとすれば、どこまでバカな悪戯が好きなのかと、アスランは本気でその人物の精神構造を疑ってしまう。

「どういう能力を持っているのかは未知数だそうだが、そいつはどうやら、自分でそれをコントロールすることができなかったみたいだな」

 固まっているアスランの前で、カガリは腕を組んで言った。

「力の暴発で、あるいは空間を越えてしまったかもしれない…か」 アスランは言った。

 それはいわゆるテレポート能力というものだが、そういうものが自動的に発動するケースには『能力者の危機の回避』が圧倒的に多い。たとえば頭上から何かが落ちてきた、前から何かが飛んできた、などの場合、本人が避けられない状態であれば勝手にそれが発動して、あらぬ場所に転移してしまう。

 キラから力を譲り受けたばかりの頃、アスランたちはそういった自動発動に頭を悩まされたものだった。使い慣れない大きな力というものは、扱いに困ることこの上ない。

「ああ……だからおまえにも話しておこうと思ってな。覚えておいてほしいんだ。…もちろん、おまえらがそういう場合じゃないのは…判ってるけど」

 カガリはアスランから視線を外して、また上着の中から、更にもう一枚の書類を取り出す。差し出されたそれを受け取ってみると、そこにプリントされていたのはガラの悪そうな男でも、物怖じしたような女でもなかった。

 すこし手入れが必要に思える黒い髪は美しい光沢を持っていて、肌の色はそこいらの女のそれよりも白い。黒と白、というコントラストの中に、一点だけ輝くように座する赤い瞳が鮮烈なインパクトを与える──そんな、少年だった。

「シン・アスカ。赤の所属で十六歳。そちらの時間で五十二時間前、あるプラントの繁華街で消息を絶った」 カガリすこし事務的に言った。

 アスランはその写真を見つめる。特に見覚えのない子供だ。同じ世界の者だからといって空間を渡った瞬間が察知できたり、一目見ただけで判るわけではない。キラであればひょっとすれば話は別かもしれないが、あの大ボケのこと、そういう方面にも能力の活用法があるなんて考えもしないに決まっている。このことは聞くだけ無駄かもしれない。

 誰もがどんな事態に対しても躍起になる『最初の数日間』で、プラントとオーブが揃って捜索しても見つかっていないのであれば、『こちら』ですでに死んでいるか、本当に空間を越えて別世界へ行ってしまったかのどちらかだ。

 否、死んでいれば死体が見つからないのもおかしな話だ。やはりどこかで生きているのか。

 いやいや。そうではない。それよりも。

「二日前?」 アスランはそれを尋ねた。

「ああ、二日前だぞ?」 カガリはきょとんとして答える。「こちらの時間では一週間以上になるが、そちらの時間計算では…えっと」

 考え始めるカガリを他所にアスランの目つきが険しくなる。

 二日前。ちょうどイザークとディアッカが群馬の管制塔で『あれ』と対峙した日だ。別世界の時刻に合わせてある腕時計に目をやると、それが示す時間はそろそろ昼になる。五十二時間、という数え方から逆算すれば、このシンという少年が行方不明になったのは、現在アスランたちが身を置く『あちらの世界』における二日前の朝、ということになる。

 意識のないイザークを抱いて戻ってきたディアッカから事情を聞いて、慌てて外に出ていたキラを呼び戻したのも朝だった。あの日のキラは珍しく早起きをして、朝の散歩がしたいから、と言って街へ出ていた。普段は夜遅くまで起きていて昼過ぎまで寝ているのに。

 あの日に限って早くに部屋から出てきた彼は、苦笑しながら頭を掻いて言った。

 なんか、目が覚めちゃってさ──。

 アスランは弾かれたようにカガリの前から踵を返すと、庁舎の屋上から空中へと身を躍らせた。

「おっ、おいアスランッ!」

「すまないカガリ! また連絡する!」

 おざなりな言葉だけを放ったアスランの姿は、次の瞬間にはカガリの視界から掻き消えてしまっていた。






                                         NEXT..... (2004/11/14)