GET LIMIT  7.運命


 誰かに背中を突き飛ばされた、そんな気がしたんだ──。

 落下の衝撃と共にシン・アスカの全身に鈍い痛みが走り、頭がくらりとした。呻きながら上半身を起こして頭をさすり、つい先ほどまで自分がどこで何をしていたか、そして今、自分がどこで何をしているのかを思い出そうとする。それはほんの刹那に襲いきたショックによる意識の混濁に過ぎなかったが、周囲から男女を問わず上がる悲鳴が、彼のそれに更なる拍車をかけた。

 パァァァン。耳をつんざくような警笛が響き渡る。シンの視界に眩い光が飛び込んできて、尚更そこら中の悲鳴が強まっていく。そこは大きな駅の大きなプラットホームだ。

「な…っ!」

 ハッとして逃げ道を探す一瞬にも、シンと、入ってきた電車との距離が急速に縮まる。

 だめだ、撥ねられる──。シンが覚悟した直後、彼の身を包んだのは死の衝撃ではなかった。

 ふわりと身が浮く。それはシンが電車に撥ねられたことによるものではない。軽やかとさえ言える、しかし的確にして確実な動きをした人物の腕によって、シンの身体は向かい側のホームの上へと運ばれた。

 着地のとき、ジャカッ、と靴のそれではない音が聞こえる。

「…大丈夫?」

 身を硬くしていたシンは、不意にかけられた声と、いつまで経ってもやってこない死の瞬間を不審に思ってそっと目を開いた。

 大きな紫の瞳と目が合う。優しげな微笑みを浮かべた少年がシンの顔を覗き込んでいた。

「おーい、大丈夫かーっ!」

 サラリーマンやOLたちがホームの向こうや電車の窓から声を飛ばしてくる。

 対して少年が大丈夫ですと大きな声を返すと、先ほどまでの驚愕と畏怖の悲鳴は大きな歓声に塗り替えられた。若者の中には、シンが助かったことよりも、シンを助ける為に線路へ飛び込んだ少年が繰り広げた、インラインスケートを活用したアクロバットに賞賛を送る者もいたようだが。

 そんな大歓声も、やがて到着する電車によって新たな人の波が発生すると小さく消えていって、駅は通常通りの活動を取り戻していった。

「あの、さ」 少年はシンに、言い難そうに声をかける。「良かったら…その。放してもらえないかな」

 様々なショックから一斉攻撃を受けて呆然とするあまり、シンは相手の首にしっかり腕を回してしがみついてしまっていた。少年は、そんなシンを下ろそうにも下ろすことができず、何故か照れくさそうに今の言葉を放ったのである。

「あ、っ…すみま、せん」

 半ば焦り混じりのシンがパッと腕を離すと、彼はそんなシンの様子を微笑ましそうに見てから、抱いていた一回りほど小さな身体をホームの上へと下ろした。

 他と違って古びて誰の姿もないそのホームは、どうやら封鎖されて長い場所のようだった。

「怪我はないみたいでよかった。気をつけるんだよ」

 シンの身体を一通り見回して傷の有無を確認してしまうと、彼はそれだけ言ってあっさりシンに背を向ける。これから事態を聞きつけてやってくるであろう駅員を嫌うように。せめて礼くらいはと、シンは慌てて呼び止めようとしたがすでに遅く、彼は地を蹴って向かいホームの屋根の上へと跳躍しており、追うこともできないままシンは唖然とその姿を見送るしかなかった。

 改めて周囲を見回すと、奥のホームから電車が出て行くところだ。特有とさえ言える澄んだ冷たい空気から、朝なのだということだけがはっきり判る。中には、無人のホームに一人で立っているシンを不審そうに見ながら向かいのそこを通過していく男や女の姿もあった。

 ここはどこだ──? 急にシンは我に返った。

 目に入ってくる全ては、言ってしまえば目新しいものばかりで見覚えなんてあるはずがない。行き交う人の波も、それらがまとう服の質も、そして何より場の雰囲気でさえも。何か判りそうなものは、と思い視線を巡らせても、新しい疑問や謎が増えるばかりに終わってしまった。

 己の服装を確認すると、胸元まで伸びた大きな襟の裾が解けてぶら下がっている。今日は、気に入っているこの服を着て街へ出かけた。特に何かの目的があった訳ではない。ちょっとした休日に、見慣れた街をぶらぶらしていた。今の事故は、そんな中の出来事だったのだと思い出した。

 しかし自分は駅になんかいなかった。時間だってもう夕方のはずで、しかも、シンがいた街には無人モノレールなんてものこそ走っていたが、今この場所に、やかましく騒音をまき散らしながら出入りしているような、あんな旧式の乗り物なんて見たこともない。

 ポケットを探って、指に触れたものを引っ張り出す。男であるシンにはあまり似合わないピンク色の携帯電話。開いて見ると電源は完全にとんでいた。オンにするもオフにするも、どれだけボタンを押しても反応ひとつありはしない。

「あ、あれ? おかしいな…」 シンは焦った。

「おい、君!」

 電話と格闘しているシンの背後から、数人の駅員が駆け寄ってくる。シンはその声も聞こえない様子で、先ほどの少年が跳んで行ってしまった空を見上げた。都会特有の排ガス臭がどこにでも満ち、べったりと塗り潰したような青さが、ある種の毒々しささえも感じさせる空。

「プラントじゃ、ないんだ…」 シンは呆然と呟いた。

「君…、大丈夫かい?」

 再び駅員が声をかけ、シンの肩に手を置く。しかし彼はその手を振り切ってあらぬ方向へと踵を返した。

 自分を死地から救ってくれたあの少年の姿──。シンは未だ強く腕に残るその感触の主を追って、人間たちの制止も聞かず走り出した。

 何故かは判らない。判らないが、彼に会えさえすれば何とでもなる。そんな気がしてならなかった。



「遅くなってごめんっ!」

 キラがドアを大きく開くと、数人の目が彼の姿を捉えた。

 神妙な面持ちをしたアスラン、ラクス、ディアッカ、そして──。

「イザークの様子は?」 引き続きキラが問う。

「意識はまだ戻らない」 アスランが答えた。「キラが戻るのを待って、ディアッカから報告を聞こうとしていたところだ。おまえも座れ」

 促されたキラはソファではなく、手近なとろこにあったチェアに腰を下ろした。それを見届けたアスランがディアッカに頷いて見せると、彼もひとつ頷き返す。

「俺たちは数時間前、群馬の高速道路管制塔にて、今回の目標と思しき敵と交戦した」

 どうしてこう『報告』という状況には緊張感が付きまとうのだろう。おまけにイザークの精神の負傷についての報告である。嫌でも場の空気は重い方向へ流れてしまう。さすがのラクスも今回ばかりは顔つきが真剣そのものだ。

「敵はどうやら『精神』の方面に秀でた能力を持っているみたいだ。少なくとも、俺が見せられた幻術にはすげぇリアリティあったよ。かなり悪趣味なモノだったけどね。イザークが何を見せられたかは確認してないけど…あれだけ寝込んでるって事は相当だな」

 ディアッカは言葉を放つ一方で、イザークが運び込まれた寝室のドアを見やった。

「イザークは、わたくしが見たところ、かなり精神を損傷しているようですわ」 ラクスが言った。

「だが修復不可能というレベルではないから、安静にしていれば数日で回復するだろう」 アスランが言った。

 それでも傷は残る、というのは誰が言わなくても皆が判っていた。身体の傷とは違って、心の傷というものは完治したりしない。人によっては延々と生乾きのままだったり、いつまでもだらだらと血を流し続けたりする、とても厄介なシロモノなのである。

「それで…」 キラが言う。

 と、皆が一斉に彼を見た。

 やりにくい。率直にキラはそう感じる。先日、例の『あれ』と自分が接触らしきものを持っていると告白して以来、何かにつけてキラの発言は注目を浴びるようになってしまった。今のように質問をするにも、人の話の先を促すにも、言葉を放つとすぐこれだ。

 キラは視線を避けるように小さくなりながら続けた。

「…見たの?…そいつの、姿」

「ああ…」 ディアッカは目を伏せる。

 たちまち表情が暗く沈み、膝の上で組んでいた両手がきゅっと指の力を強めた。明らかに発言を戸惑っている様子だったが、言わないわけにもいかない。しかし認められない──。

 様々な思いが、彼の心のうちで交錯しているようだった。

「…大丈夫か、ディアッカ?」

 身を乗り出したアスランが彼の顔を覗き込んで声をかける。恐らくは立ち上がって近づこうとしたその相手を、す、と出した右手で制して、ディアッカはひとつ息を吐く。

「だいじょぶ。話せるよ」

 まるで自分に言い聞かせるかのような口ぶりではあったが、そう言われてはアスランもそれ以上の声をかけることはできず、すとんとソファに戻ってしまう。

 いったいどんな化物が報告されるのか。皆が固唾をのんで待っている中で、ディアッカは重い口の向こうから記憶の姿を声に乗せた。

「──ニコルだったよ。『あれ』の姿は」

 水を打ったような沈黙、耳が痛くなるような沈黙が降りた。皆の息遣いまでが伝わってきそうな静寂が部屋を支配した。まるで、ディアッカが口にしたその名前こそが、そういう効果をもたらす呪文か何かであったように。

 ニコル、ニコル・アマルフィ──。

「そんなバカな話があるかっ!」 アスランが立ち上がって叫んだ。

 非常に珍しい光景だった。その名を聞くなり固まって、脳内でまず葛藤を始めてしまうキラとは違って、アスランは時に、イザークに負けないほど感情的になることがある。まさに今がそのときだ。

「俺たちだって有り得ねぇって思ったよ!」 負けじとディアッカが返す。「でも、あんなに見慣れたアイツのこと、そんな簡単に見間違えたりしないさ! そもそもこっちの世界に、俺たちみたいな外見したヤツなんて居ないんだぜ? ウチの世界から来たとした思えないだろっ! そのニコルがさぁ!」

「俺たちの世界でこの世を去ったものは、こちらの世界でも同等の扱いとされるんだっ。向こうで死んだアイツが、こちらで生きているなんてはずがない!」

「ちょっと、やめてよ二人とも!」 慌てて立ち上がったキラが二人の間に割って入る。

 しかし一度火がついたアスランを制するのはキラでも難しい。怒鳴り合いに等しい意見の交し合いは、今まさに、ディアッカとアスランが互いの襟でも掴み出しそうな、一種険悪な雰囲気を作り出していた。

「そんじゃおまえは、アレは一体何だったって言うんだよ! 俺たち二人して気がフレちまったとでも思ってるワケ? 俺もイザークも、ちゃんとニコルの姿を見てるんだぜ! あれも幻術だったって言うのかよっ!」

 ディアッカは、いっそ判るものならアスランが全部答えを出してくれと言わんばかりに混乱した様子で声を上げた。

 と、ここでアスランは言葉に詰まらざるを得なかった。

 ディアッカからの報告で、「あれ」は幻術を操るという内容のものがあったが、幻術と一言に記してもそれは非常に複雑な構成を持つ術法で、一度に二つ以上の効果を得ることはできないシロモノなのだ。

 要するに幻術で相手を攻撃しようとした場合、複数の敵に同じ幻覚を見せてダメージを与える事こそ可能だが、自分の姿などを有り得ぬ誰かの姿にすり変えて、その状態を維持して対象に別の幻術を発動するということはできないのである。

 『あれ』が形成していたニコルの姿が、『あれ』の本来の姿ではないと主張するなら、『あれ』は『自分の姿をニコルのものとして相手に見せる』という幻術を使用していたと仮定できるのに、それではディアッカとイザークが見せられた『悪趣味な幻術』の説明がつかない。

 耳よりも先に、まず胃が痛くなる沈黙だった。

「…今はイザークの回復を待ちましょう」

 驚くほどあっさりとラクスが言った。

 立ち上がってぎゃあぎゃあと喚いていたアスランとディアッカは、その一言を放った彼女に視線を投げる。ラクスはティーカップを片手に、彼らからの視線を一身に受けながら微笑みを浮かべた。

 一瞬のうちに棘を抜かれてしまった二人は、互いに顔を見合わせると、それぞれでひとつ息を吐いた。






                                         NEXT..... (2004/11/06)