GET LIMIT 5.告白
「論点をまとめよう」
イザークがカップを置くと、中の琥珀色の液体に小さな波紋が生まれた。
高速道路での事件は、イザークやラクスが事後処理に手を回すにしては大勢の人間が死に、そして同じくして大勢の人間に見られ過ぎてしまった。あれから二週間の時を経るが、新聞や報道はその高架で起こった事件を『謎の事件』として興味深々に取り立てて止まない。
事もあろうに人間が化け物へと変貌する様がテレビ中継されたのである。高速道路を両断した隆起物を撮影に来ていた生放送用のテレビカメラがそのままその現実を映してしまったのだから、仕方がないといえばそうなのだが、狙ったように全国各地で同時に起こったその事件は、今や国土全体の話題を独り占めして止まない。
『奇病』とも『変異』とも、ワイドショーや朝の報道番組に呼ばれた生物学者や専門家がそれらしい事を口にしているが、どれも真実に迫ることはなく憶測として受け流された。真実を知っているのは、ひょっとしたら恐山のイタコさんや、高名な霊媒師さまくらいかもしれない。無論ここに集まっているキラやアスランを始めとする五人もまた然りだが。
「姫、落ち着いたか?」
ひとつのテーブルを囲むように座す皆の顔を見回すついでのようにイザークは、ダブルソファでアスランの隣に座って視線を伏せていたキラに声をかけた。
「…うん、大丈夫…。ありがとう」
さすがに二週間もの療養期間と称せる静寂を過ごせば、キラの精神状態はそれなりに安定的だと言えた。
闇の火口の映像写真を見た時に刹那崩れたその安定は、直後に襲ってきた、人間が化け物へ変貌する衝撃映像実写版の到来によって一時は完全に壊れてしまっていた。いかに戦う事への決意を固めていたといえど、相手は超常的な存在だ。人間を相手にする時にした決意とは違った種のそれが必要になる。判っていた『つもり』だった。
高速道路での事件以来、皆はさらなる『影』の強化や、来襲の頻度上昇を危惧して神経を張り詰めていたのだが、面白いことに何も起こらなかった。これまでに数日の間くらいなら空いたこともあるが、丸二週間も襲撃がないというのは初めての経験であり、奇妙な不気味ささえ感じてしまう。
時は夕刻。例の事件を取り扱ったワイドショーを見ていたせいで話が長引き、とうにティータイムという時間は過ぎ去っている。
頭を使い過ぎたせいで空腹感を覚えている、そんな仲間たちの為に軽食をフロントへ依頼し、空になったティーポットを持ってキッチンルームへ入っていったラクスの間を埋めるように、イザークは、落ち着き払った様子でクッキーをかじっていたディアッカへと視線を投げかける。
「ディアッカ。貴様が調べてきたことを報告してもらおう」
「──はいはい」
応えながらディアッカはポケットから携帯電話を取り出して操作し始めた。
しかしそれは彼に全くやる気がないせいではない。やがて携帯の液晶には、彼にしか判らない暗号で記された文字列がずらりと並んだ。アルファベットに始まり、ひらがなやカタカナ、漢字、数字記号……あらゆる文字が使用されている。もちろん使える文字は限定されているが、それは日本製がゆえに仕方がないのだろう。
「渋谷の交差点、群馬の高速道路に現れたのは、二つとも同一犯によるものだったよ」
最初に結論を述べてしまうのは、長くイザークと連れ添っているせいなのだろうか。そんなディアッカの言葉を、キラはいつも以上に真剣な顔つきで聞いている。
「ソイツがまだ『原型』のままなのか、それともすでに肉体を得ているのかは判らないけど。でもソイツが渋谷交差点でのアレから出て行った、っていうアスランの推測は合ってる。生まれたての赤ん坊みたいなソイツは、かなり面白半分ふざけ半分で、自分の力を試すみたいに群馬の高速道路を真っ二つにしたってワケだ」
ディアッカが一体どこからこれだけの情報を持ってくるのかはあえて追求しないにしろ、心の中だけで考えていた推測がこうもズバズバ当たってしまうとかえって気味が悪い。アスランたちは思わず眉をひそめた。
「ソイツ、渋谷にアスランとラクス嬢が偵察に来ていた事を知ってたらしくてね」 やれやれと肩を竦めてディアッカは続けた。「群馬にあれを出現させたのは、何も自分の力の誇示の為だけじゃない。渋谷のと同じモノを出現させれば、どこであろうとその当人あるいは仲間が駆けつけてくるだろう、って事まで踏んでいたと思われる」
「俺たちはソイツに誘き出されたという訳か」 アスランの目が鋭く細められる。「えらく感情的で賢い性質を持っているようだな。人間を相手にするみたいだ」
「まーね」
ディアッカは皮肉的な笑みを浮かべて答える。頷いているのと同じことだ。
「やはり狙いは姫なのか?」
不機嫌という字をそのまま表情にすると、今のイザークのような顔つきになるのかもしれない。ディアッカはそう思いながら問いを放ってきた彼の方へ視線をやり──首を、振った。
「それが判らないんだよ」
………。
鈍重な沈黙が一瞬だけ落ちた。何も皆がディアッカに無能の一言を叩きつけたくなった訳では決してない。ディアッカの言葉の意味が理解できなかっただけだ。
アスランもイザークもラクスも、そしてその当人自身さえも、『影』と称される者の全てがキラを狙ってきていること、本能的にキラを狙うことを知っている。その目的以外の何かを持って生まれてきた個体を見たこともなければ、キラ以外の誰かに『その意思』を向けてきた個体なんて聞いたこともない。
キラを狙う以外にどんな目的があるというのか。ディアッカの言葉からは、今回出現した『ソイツ』の目的が、少なくともキラだけに限定されたものではないことが想定できる。
「…あの…」
悪いイタズラをしてしまった子供が、母親にそれを告白するように。キラはおずおずと言った。
「僕だけじゃないのは判るけど……ソイツの目的には、僕も含まれているのは確かだと思う」
「何か知っているのか、キラ?」
俯いたままのキラの顔を、横からアスランが覗き込む。
「あいつは異質だ」 キラは悪寒を堪えながら、声の震えを抑えて言った。「動物的な本能ってより、人間的な『業意』みたいな意識で動いてるように思えて仕方ないんだ。アスランに呼び出されたあの日、写真を見た時…アイツのものらしい、嫌な視線を感じた時から…」
イザークが何か言いたげに眉を寄せる。しかしこの時点では言葉に出すには至らなかったようだった。
「今までとは違う…ものすごい悪意と欲望を感じたんだ」 キラは知らずと己が身を抱いた。「何百もの嫌な目に囲まれたみたいで…あんなの初めてだった。全身鳥肌が立って、怖くて身体が竦んで」
「姫」 イザークからの制止が飛ぶ。「もういい」
「でもっ…!」 キラは食い下がるように身を乗り出した。「高速道路の時には声も聞いた! はっきりしたものじゃなかったけど、確かに僕の名前を呼んだんだ!」
「もういいと言ってるんだ!」 イザークは怒声を上げた。「貴様の精神のモロさはよく知っている、確かに情報は多く必要だが、それでは恐怖に囚われ錯乱するのがオチだ!」
キラは喉の奥に異物でも詰められたように、グッとたじろいだ。
イザークの傍らでディアッカが引き攣った笑みを浮かべる。その視線の先にはアスランが居た。珍しくも虫の居所が悪そうな表情を浮かべていたアスランは、ディアッカからの視線に気付いて、取り繕うように首を傾げる。
クイ、とディアッカが顎であらぬ方向を示した。
姫さん連れて隣の部屋にでも行け──。その目の合図を受けて、アスランは隣に座っているキラを一瞥した。イザークからの言葉は今の彼にはよほど響いたようで、キラはもう口を開く気配さえない。俯いているその横顔は、目元こそ長い前髪に隠れて見えないものの、泣き出したいのを必死に堪えているように取ることもできた。
「…キラ。少し休もう」
顔を上げる様子のないキラの腕を掴んで立ち上がらせながら、アスランはなるだけ平静に声をかけた。無理やり引きずっていく形にならぬよう力加減に気をつけながら、キラの足が歩き出すのを待って別部屋のドアへ導く。
開いたドアの先へキラを先に通しながらアスランがリビングルームを振り向くと、ちょうどラクスがキッチンから戻ってきたところだった。皆に新しい飲み物を持ってきてくれた彼女に少しすまない気持ちで、目が合った刹那に軽く頭を下げて見せたが、頷いて見せたのか会釈だったのか、自分でもよく判らない程度でしかなかった。
しかし彼女は頷いた。いってらっしゃい、そんな言葉が聞こえてきそうな暖かい微笑みと一緒に。イザークのこともディアッカの報告も、今は彼女に任せておけば問題ない──アスランは不安のひとつめが、彼女によってきれいに解消されるのを感じた。
次はもうひとつの不安。後ろ手にドアを閉める彼の目の前に立っている、キラの背中。
「キラ」
なるだけ刺激しないよう心掛けながらアスランは声をかける。
「…判ってる」
「え?」
「イザークがすごく不器用なのはよく知ってるから…。判ってるよ、ごめん」
キラはアスランを振り向いて、苦味の強い笑みを浮かべた。
泣かれてしまう訳ではなかった──。アスランはほっと胸を撫で下ろした。
イザークのきつい物言いはキラだけに限定されたものではなく、時にはラクスに対しても感情的な言葉をぶつける事が多々ある。要するに血の気が多い肉食獣みたいなものだ。彼は頭もよく冷静な対処だって得意な方面だが、どうしてもその感情的な部分だけは修正しようがないようで、イザーク本人もそれに関して多少なり思うところがあるというのは皆が知っていた。
彼は一度、キラの手で深い傷を負ったことがある。元から気性は荒い方だったが、突発的、感情的な部分が特に目立ち始めたのはそれからなのだとディアッカが言っていた。
怖い記憶をわざわざ思い出そうとする必要はない、ゆっくりでいいんだ──。彼の怒声が、そう言わんとした優しさからくる発言なのだと、キラもまたよく判っていたのだ。
仲間を気遣うにしても、もう少し言葉を選んだらどうなんだ──。あの時、この言葉を言わなくて良かったとアスランは思った。
彼が言うまでもなく、今頃はドアの向こうでディアッカが言っているかもしれないが。
「…キラ、怖い思いをさせてしまった矢先ですまない。例の『アイツ』の話だが……」
アスランは口を開いて、ふと自分の声の調子がいつもと違っていることに気付いた。
自分でもはっきりとは判らないが、何故かひどく焦っているようだった。一刻も早くこの話を聞きたいと思っているのだろうか、それとも別な──にしても判らなければ考えるだけ無駄なのだが──心理でも働いているのか。
自分の、変調と呼べる何かに、不意にアスランは不安になった。
俺は、何を考えている──?
「君は聞いてくるんだね」 反対にキラの表情に笑みが戻る。「でも僕も、君には今のうちにと思ってた」
二人はその客間の、丸いテーブルとセットで置かれた二つしかないイスに腰を下ろす。
客間といっても、その部屋はそこだけですでに数万クラスになろうかという立派なホテルルームだ。白を基調にした壁紙には淡い色の花模様が描かれていて、足元のカーペットも目に痛くないグレー、バルコニーに出られる大きな窓には、おとぎ話にでも出てきそうな美しい装飾のカーテンがかかっている。そんな窓の近くに置いてあるダブルベッドも白いシーツをピンと張ってあり、清潔感はもちろん抜群の寝心地を誇るものだ。
そういえばキラはこの部屋で寝ているんだったか──? ふとアスランは素朴な疑問を覚えた。眠らない彼は、夜はいつも外に出てしまうから。キラも、そんな彼を呼び止めるようなことはしないから。
幼少の頃には当たり前のように見ていた互いの寝顔を、今の二人は見なくなって久しい。幼い頃の顔を思い返しながらキラに視線を戻すと、テーブルの上に置かれた彼の手が僅かに震えているのが判った。
こわいのだ。気付かれないようにと、心配をかけないようにと隠されようとしている本当の感情が、アスランの前でわずかだけその気配を見せている。思い返すだけで恐ろしくてたまらない、そんな感覚がどういうものなのか、アスランには想像もつかなかった。
「…いいか、キラ」 催眠術士のようにアスランは言った。「これは重要な情報になるのかもしれないが、あまり深く入り込むんじゃない」
キラが頷く。アスランの言葉に応えるように大きく息を吸って、吐く。
窓の外には夕闇が迫っていた。これから夜半にかけてキラの力は最高値まで強まっていく。キラの力の高まりは、アスランも、ドアの外にいる皆も意識することができていた。夜が訪れると精神がひどく高揚してしまい、よほど疲れでもしていないと眠るどころの話ではない。真夜中と呼べる時刻をちょうど過ぎて、街角にある古い豆腐屋経営のお年寄りが目を覚ます頃になって、ようやく彼らは眠りにつける。
この、アスラン以外は。
アスランも力の高まりこそ意識はするが、それが収まっても眠ることはできない。催眠や薬なども効果なし、要約した話が『精神の安定』に勝る薬は存在しないということだった。
長期的な緊張による不眠で、それは彼の心が完全に休まらない限り、改善されることはないのかもしれない──。ラクスが、あくまでも憶測ですがと付け足しながら、そんなことを言っていた気がする。
「アスラン」 キラが呼ぶ。「回りくどいことは言いたくないから…これだけは聞いて」
視線を伏せ、アスランと目を合わせることを止めてしまったキラは、とても言いにくそうに、しかしはっきりとその事実を口にした。
「あいつの目的は僕の捕食じゃない。…『僕』、なんだ。力だけじゃない、心と、身体。僕の存在を求めている」
自分の娘にいきなり恋人を紹介される父親の気持ちというものが、アスランは今この時になって判った気がした。
NEXT..... (2004/10/09)