GET LIMIT  44.愛想


 ここにいるの。ねぇ、気付いて。ここにいるんだよ──。

「我が手に、我が望む破壊の力を! 現れよインパルス、『エクスカリバー』!」

 叫んだシンが何かを握る仕草をしたら、少し前に振り回していた街灯のポールほどもある、大きな赤い光の剣がその手に出現した。

「うぁぁぁぁぁぁ──ッ!」

 気合とともにそれを振りかざし、彼はまっすぐに敵二人へ向かって飛翔する。目にも留まらない、留まったとしても残像にしか過ぎない程度のすさまじいスピードで。

「キラ、おまえは準備を開始しろっ。シンは俺が食い止める」

 キラが頷くのを確かめて、赤をまとったアスランは突っ込んでくるシンの前に立ち塞がった。ガーン、と強烈な衝突音をまき散らして、巨大なビームソードと防護結界とがぶつかりあう。

 赤や青、白、さまざまな色のプラズマが激突面から飛び散り、そのたびにバチバチと大きな音がする。アスランはもう何の言葉もシンにかけようとはしなかった。最後の力が発動しようとする今の状況で説得など試みようとも、無駄であることを察知して。

 きっと目を覚ましてくれる、きっと、自我を取り戻してきっとやめてくれる──そう祈るだけではもう、届かないのだ。

「なんで、あんたがっ」

 もう一度、大きな剣を振るいながらシンが叫んだ。受け止めるために両手を前に突き出したアスランの結界に、エネルギーの塊が容赦ない力で打ち付けられる。ビリビリと空気が振動するが、アスランの腕が軋むほどではない。通常の彼であったなら、最初の一撃で結界ごと両腕を失っていたかもしれない力だったのに。

「なんで、あんたがキラの傍にいるんだっ」 シンは言った。「マイノリティとしての権利を捨てたあんたが、なんでっ」

「キラが俺を選んだからだっ」 アスランは言った。「俺はもう先天とか後天とか、そういうことはどうだっていいっ。そんな型式に捕らわれているから、闇の力に取り込まれてしまうんだっ!」

「なんだとっ」

「シン、よく聞け」 アスランはぐっと腕に力を込めた。「おまえは確かに強くなった。キラの傍にいて、『あれ』の力と知識を取り込んで…そうすることでおまえは確かに、能力の使い方や闇の成り立ちに関してはキラを超えたのかもしれない」

「うるさいっ! あんたの声なんか聞きたくないっ!」

 シンが叫んで、剣でアスランの身体を結界ごと弾き飛ばした。ドン、と強い衝撃がアスランを襲い、大きく後退させられる。

 よろめいて空中でバランスを崩すアスランに、シンはすさかず剣を構えて突っ込んでいく。

「聞けと言ってるだろ!」 アスランは右手を前方の標的に向けて突き出す。「放て、『フォルティス』!」

 急速に熱くなるアスランの掌から高熱のビーム砲が撃ち放たれる。シンの反射能力では、避けきることはできない距離とタイミングのはずだ。だがシンは突っ込んでくるスピードを緩めることなく飛翔し、くるりと身を翻してビーム砲を背中にやりすごしてしまう。

 まさか──。アスランの背がスウッと冷える。このまま懐に飛び込まれれば、窮地に陥るのは自分自身だ。

「くっ!」 アスランは突き出したままの腕の先で、素早く複数の印を連続して組み立てた。「払え、『ルプス』!」

 先ほど放ったビーム砲とは威力も色も違う銃撃が幾度かアスランから放たれる。相手が近ければ、先のような遠距離用の一撃必殺攻撃よりも近距離用の手段に切り替えねばならない。このアスランの判断と行動は確かに素早かったはずなのだが、シンのスピードという点を考えれば、どうしても少し遅かったことになってしまうようだ。

 連射される攻撃をすいすいと難なくかわしたシンが、まっすぐ剣を突き出してくる。

「オオオォォォォォ──ッ!」 シンが吠える。

 最後の瞬間を期しているとしても、彼はこの一撃を決して大振りなものにはしなかった。間違いなく、確実に相手の身を貫くことができるようにするには、左右のどちらへ逃げられても即座に斬り飛ばせるようにするにはこのフォームが一番的確であることを、シンはよく知っているのだ。

 速い──。アスランは次の瞬間、ごっそりと失われる自分の半身を想像した。

「アスランッ!」 キラの声がした。「薙ぎ払え、『バラエーナ』!」

 アスランの視界いっぱいに迫っていたシンの光の翼が大きく羽ばたいて離れていく。それは彼の身を滅ぼすはずであった死の一撃がうち払われた瞬間だ。シンが慌てて身を引いたそこを、赤いプラズマをまとった白い大砲撃が駆け抜けていった。

 はっと上空を見上げてみると、そこからキラがアスランの前へ降りてくる。

「ひとりであのシンを抑えるなんて無理だよっ」 キラは言った。

「集中に専念しろって言ったろっ」 助けてもらったくせに、身勝手にもアスランは怒った。「どうだ、まだあれは使えないのか」

「それは今やってる……けど、あのままじゃ君が──」

 ──!

 脳幹を衝撃に等しく打った強い刺激に、二人は、自分たちに会話などという悠長なことをしている余裕がないことを思い出した。

 キラの一撃をぎりぎりのところでかわしたシンが、いつの間にか遠い正面に滞空している。目を合わせた相手の心を貫いて余りある、鋭く荒々しい視線をもって。

「汝『ブラスト』、我が命に応じ、その光、撃ち放て」 シンは低く呟く。「其は果てなく闇を貫く炎、『ケルベロス』!」

 彼の叫びに応えて、夜空に眩しい白い炎の球体が二つ出現した。間髪置かず、それはさながら二門の砲台のように、その白い火を前方の目標に向けて撃ち出す。

 あんなものが直撃したら、まずどんなものも跡形なく消し飛ぶに決まっている。そして背後のビル群のどれに命中しても大惨事は逃れられない。街のことを任せたイザークたちが結界を張ってくれているだろうが、このレベルの攻撃を前にして、果たしてそれに意味があるのかどうかはさらさら疑問だ。

 そうなればもう、やることはひとつしかない。キラとアスランは言葉をかわすことなく確かな視線を交えて頷き合い、正面から襲いくる光の脅威に向かって両手を差し出して身構えた。

「我が渾身の力、この一撃に懸ける。ならば汝は我が意思に応えん。我が名は『ジャスティス』、我に従え、『フォルティス』!」

「攻めに優れし我が力、極致越え足れば一体と化すは護りの其と信ず。我が名は『フリーダム』、汝らはすべて我とともにあれ、『フルバースト』!」

 色とりどりのビーム砲撃が、二人から一斉に前方へ向けて照射された。ラクスの『エターナル』をもってしか身を守る術のなかった光の波とそれらが真正面からぶつかり合った。

 直後、落雷の激しさに等しい轟音が一帯の大気を揺るがし、都会の上空で白い大爆発が巻き起こる。人間たちはあまりの光に目を灼かれて悲鳴をあげ、あるいは爆風から逃れるために身を隠そうとした。

 と、キラは、自分の中で増幅を繰り返していた力が一定のラインを超えたことを察知する。アスランに教えてもらったばかりの、あの命令文を使えるだけの力がようやくチャージできたのだ。そして彼は同じく知る。激しい爆発で周囲が混乱している今が、その発動の絶好の機会であることを。

「アスランッ」 キラは叫んだ。「いけるっ──やろう!」

 その声を受けて、全開砲撃のせいで息を乱していたアスランが視線を動かし、頷いて応える。二人はどちらからともなく手を伸ばし、指を絡めて繋がり合う。

 あたたかい肌の温もり。ともすれば今が戦闘中だということさえ忘れそうになる安らぎが、この互いの掌には秘められていた。

 アスランが息を整えるためのわずかな間をおいて、キラは謳った。

「我が胸に抱かれることを許された、すべての幸福な者たちよ、聞け。このよに果てが訪れしとき、おののき震える汝らは、我が腕にて永劫の安らぎを得ん。我は、静寂なる、深淵たる眠りのとき──闇を従える者…」

 アスランもまた、謳った。

「王を求め止まず、討たれてもなおその手を伸ばす愚か者どもよ、聞け。このよの果ては汝らの果てに同等である。それは我が汝らの天を舞い、汝らに慟哭の死を振りまくがゆえに。我は、王よりもなお慈悲深き──果てぬものに果てをもたらす者」

「いざ」 キラは言った。

「目覚めよ」 アスランは言った。

 一瞬の間に気圧が変わるような、キーンとした上昇感が周囲の者たちの身に降りかかる。

 二人は繋いだ手を放して向かい合い、願うように、祈るように両手を天にかかげ、夜空を仰いだ。まるで鏡のようにすべてが同じ動作で、表情で。

 二人の声が寸分の狂いもなく重なる。

『我ら、命あるすべての者に福音をもたらす者。世界よ、我らをこの名に称せよ。──ミーティア!』



 最後の力が発動した瞬間は、地上で防衛に徹していた仲間たちにも察知できた。ディアッカとラクスを伴って、ビル群の中でも特に高いそれを選んで屋上を目指していたイザークの奥深いところで、何かがしきりに強い歓喜を訴える。

 エレベーターが非常事態で止まっているせいで彼らは階段を駆けているのだが、疲労はまるで感じなかった。

「なんだ、今の…」 ディアッカが息苦しそうに言った。

「キラたちが、『ミーティア』を発動させたのでしょう」 ラクスが応えた。

「それが、議長が示した『最後の希望』だというのですか」 イザークはラクスを見た。

「ええ」 彼女は強く頷いた。「最高の力をキラにもたらす最後の命令文です。さすがにわたくしたちも…キラ自身も、まさか他人と詠唱を分割する命令文が存在するなんて考えもしなかったぶん、お聞きしたときは信じられませんでしたけれど」

「現に発動してんだから、これでコッチの勝ちは決まりだな」 ディアッカは嬉々として言った。

 ラスト一本の階段を駆け抜け、鍵のかかった屋上フロアへのドアを蹴破って飛び出したイザークの視界が大きくひらける。

 そして彼は息をのんだ。

 天空が、夜空が、無数の星々がこの瞬間に歓喜していた。キラリと星がまたたき、そして流れていく。はるか眼下の人間たちが、ワァッと声をあげておのおの天を指している。

 流星だ。数えることもできないくらいの壮大な流星群がそこにあった。

「…きれい…」 ラクスが呟いた。

 イザークも、ディアッカもその刹那だけは何もかも忘れて、この闇の子守唄を見上げていた。

 不意に彼らの身体が白い光に包まれる。最初から戦闘装束だったラクスの姿こそそのままだったが、イザークの服装が見る間に本来の白に転換され、ディアッカもまた緑の軍制服をまとわされる。専用の命令文を使わなければ、そして確かな意思を示さなければさらされることもなかったはずの自分たちの『原型』に、三人はそれぞれで顔を見合わせる。

 そうだ、姫は──。我に返ったイザークが慌てて視線をさまよわせた近い夜空に、美しい光の蝶が滞空しているのが見えた。

 言うまでもなくそれはシンだ。そしてその視線のはるか正面に、いま生まれたばかりの新しい白い星が二つ、並んで輝いていた。新星の正体はキラとアスランだ。白い光に守られるようにして立っている彼らを包む軍用制服には覚えがあった。

 長く、長く尾を引く流星群の祝福を受けながら、上空の彼らは長いこと黙りこくっていた。

「あ…」 シンが呻いた。何かを否定するように首を振りながら、フラリとそこから後退する。

 キラはそこから動かない。ただじっとシンを見ている。

 シンは頭を抱えた。恐らくは本能的な恐怖だ。自分と敵対する者が得た強大な力が、到底、己の叶うシロモノではないことを、シンの理性ではない本能が察知しておののいている。

 これでシンが敵意を失わなければ、今度こそシンの死でしか──。イザークがそんなことを考えて眉を寄せたとき。

「うわあああぁぁぁぁぁ───っ!」 シンが絶叫した。

 彼の身体のまわりにポッポッと白い光の弾が出現して周囲に飛散する。上下左右、あらゆる方向からそれらはキラの身体を爆散することを狙って飛びかかっていった。

 スウ、とキラが両手を上げる。大きく息を吸いながら伸びをするように。そして突然、彼はその両手を左右に展開した。

 キラの身体を包む白いベールが、一斉に全方位に向かってレーザーのような細いエネルギービームを照射する。それは寸分の狂いもなく自分に襲いきていた全ての攻撃の弾に命中し、あらゆる空中に真っ白い爆発の華を散らす。

 攻撃というものが、ただの抵抗に成り下がる瞬間だった。

 何をしても、どんなことをしてもキラに届くものはない。それを恐ろしいと感じるその反面、うずうずと身体の底から何かが這い上がってくる感覚にイザークは気付いた。息が苦しくなる。それは歓喜であり、畏怖であった。相反するように見えて、この二つはとても強いつながりを持つ感情だ。

 恐怖を喜ぶ、というと訳が判らなくなるが、恐ろしく強大なものを見て庇護感を覚えるのと同じことだ。

 だが果たして、シンにそれを感じる余地はあったのだろうか。自分の力がもはやキラにはひとつとて届かないことを見せ付けられた今の彼の内にある感情とは、焦燥と恐怖、それ以外にはなかったのかもしれない。

 進化は形状の変化だけではない。キラは確かに、進化の境地にいた。

 シンが到達することを求めて止まなかった、最高の場所に。

「いっしょに行きたかった」 シンは言った。「あんたと一緒に、そこに行きたかったのに」

 キラは何も答えない。言葉を放つこと自体が、もはや彼にとっては何の意味もないかのように。黙ってただシンを見ているその姿は、まるで亡霊か何かのようにさえ見える。

 シンの大きな赤い瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。それは悲しみとか苦しみという、感情による涙ではなかった。

「なんでおれだけが、いつも…みんな、おれだけをおいて遠いところへ行ってしまう。父さんも、母さんも、マユも…キラも」

 伸ばした手は決して届かない──それをシンは、自分に力がないせいだと考えてしまった。守れなかった自分のせい、守る力がなかった自分のせい、力のない自分が許せなくて悔しくて、だから。

 誰かを、何かを力で屈服させることが彼の全てになってしまった。暴力と殺戮に頼ることは、それと同じ意識を持つ誰かの心を育むことしかしないというのに。

「おれはこんなに強くなったのに!」 シンは叫んだ。「この力があれば、もう何も怖いものはないんだ! 誰かが文句を言ったって、誰かが攻めてきたって戦えるっ! おれは強いのにっ、おれの力は誰にも負けないっ、なのになんで、なんでみんないなくなるんだよ!」

 哀れなやつだ──。イザークは率直にそう思った。切なそうに目を伏せるラクスも、痛々しげに空を見ているディアッカも、恐らくは似たような感情を抱いているのは間違いない。

 だがキラは、そうは思っていないようだった。

『君のせいじゃない』 キラの声がした。

 皆がキラを見る。だがキラは口を開いていなかった。

『何も、君のせいじゃないよ』 キラの声はまた言った。『ただほんのすこし、ヒトの心が弱かっただけ』

 シンの表情が崩れた。

『悲しんでも、苦しんでも誰も帰ってこないことを、誰かのせいにしないで。時間と運命が戻らないことを、戻せないことを自分のせいにしないで。こんなの誰のせいでもない。君の選択も、君が進んできた道も、君の考え方も、何も間違ってないから』

「そうやって…」 シンの声が引きつる。「そうやって、自分の罪もなかったことにしようって魂胆かよっ! どんなキレイゴト言ったって、おまえがマユを吹き飛ばしたことに何の変わりもないんだ!」

 痛ましい叫び声が夜空に溶けて消えていく。流星群は静かに天を飾っている。先ほどまではキレイだスゴイだと大騒ぎしていた人間たちが、シーンと静まり返ってしまっていた。

「誰のせいでもないって?」 シンは表情を引きつらせて笑った。「そんなわけないだろっ、根源は全部おまえじゃないか! 世界中に闇を振りまいたのも、その力をふるってるのも、それで誰かを殺すのも、全部おまえじゃないか!」

『……そうだね』 声とともに、キラは目を伏せてうつむいた。

「ほらみろっ、判ってるんじゃないか」 シンは吐き捨てた。「あんたが持ってるより、その力はおれが持ってたほうが有効に使えるんだ。おれはその力で、守らなきゃいけないものを守りたいだけ……それなら、その力はおれが持つべきだっ」

『君は…』 キラの声から抑揚が消える。『その力で守るべき者を守る。そのために、たくさんの敵を殺すんだ。──僕のように』

 真の無音とは、こういう状態を指すのかもしれない。はっきりと雰囲気が凍りつく。シンの表情と同じように。

『どんなに強い意志で力を管理しても、力を持つものは繰り返していく。こんな力は誰が持っていたって同じだ。無力だっていいじゃない、誰かを殺してまで守らなきゃいけないものがあるなら、自分を呈して守っていこうよ。誰かを殺して、誰かに憎しみを向けられて、またその誰かを殺してしまうくらいなら、そのほうがずっといいと思わない?』

「そんな…そんなきれいごとっ…!」 シンの声が震える。

『確かにきれいごとだよ。きれいごとじゃ何も守れないし、何も変わらないだろうね。こんなきれいごとを考えている僕が、君に最低の思いをさせたんだから』

 すう、とキラがシンに近づいた。ゆっくりと両手をさし伸ばし、静かな表情を浮かべて。

『僕は君のためには死ねない。でも、君のために何かすることはできる。これからの時間をいっぱいに使って、僕は君のために、何かをしたいんだ』

「近付くなっ」 シンが首を振った。「おれはっ…」

 シンが続く言葉を口にする前に、彼の身体はキラの腕に包まれた。

『僕はね』 キラの声はとても優しく言った。『君のことが好きだよ』

 きゅ、と優しい力を込めて抱きしめられる。白い無機質な光をまとって、あれだけの攻防を行なったこの腕は、しかし確かな人間としてのぬくもりを持っていた。

 シンは大きく瞳を見開いた。ぴったりと身体が合わさって、相手の鼓動が伝わってくる。いつかの日にキラを抱きしめたあのときに感じたものとは違う、命の鼓動がここにある。血液の循環、呼吸、体温。服の下に感じる肌の感触は自分と同じものだった。

 父親に、母親に抱かれたときと同じもの、そして最愛の妹を抱きしめたときと同じ、まったく同じものがここにある。

 こいつは、人間なんだ──。今度こそシンの表情が崩れた。そうだ、こいつが人間なら、おれだって同じ──。

 腕の感触はどうしたってあたたかい。宿っているものは確かに人知を超えている。しかしその外見は、身体の中だって、自分たちは人間なのだ。


 一度でも確立した感情が崩れたとき、一度でも機会を失ったとき、人はもう人を殺せなくなっている──。


「…うっ」 シンの喉が嗚咽をもらす。

 殺せない。殺せるはずがない。かつての自分がもっとも大切にしていたものと同じ感触を、同じ安らぎを持っているのだと知った相手を。そしてそれを惜しみなく与えてくれた者を、今なおそれをもっとも大切にしているシンが殺せようはずもなかった。

 ひょっとしたら──。シンは涙で歪む視界に映る流星群を見て思う。ひょっとしたら、こいつを大切に思うことができるようになるかもしれない。おれみたいに強い力に流されたりしない、力の使い方を、その憂いを知っているこいつのことなら──。

 急速に気持ちが落ち着く。体内の闇が、あれだけ憎悪と怒りを掻き立てて止まなかった闇のざわめきが、波が引くように鎮まっていく。こんな気持ちになったのは何年ぶりか知れない。家族を失って、プラントに渡ってから一度もなかったに違いない、とても心地好い安らぎに近いものを感じた。

 自分が力を持っていたいと思う理由が潰えたわけではない。強い力を求めた元凶が昇華できたわけではない。

 だが、もうこの力にこだわる意思は、もうない。

「キラ、…さん」 シンは言った。「おれの力…あなたに──」

 待ってた──。

 そのとき、シンの頭の中で声がした。まったく知らない、どこの誰かも察しのつかない何者かの声が。それはシンの脳内に、体内に、余すところなく水の波紋のように素早く広がっていった。

 待ってた、このときを待ってた。おまえの力がわたしの力より弱まる瞬間を。このまま終わらせたりするものか──。

「あ……」

 シンの顔つきが強張る。身体が震える。バランスを失ってがくんと崩れそうになるのをキラの腕に支えられる。

「どう、したの」 キラが言葉を発した。「シン? シン、どうしたの?」

 シンの背の光の翼が明滅した。まばゆい虹色の輝きが、赤い機械翼の出力口の部分から墨を垂らしたように黒ずんでいく。

 ひとつになるんだ──。声はおそろしく深いところから、おぞましいほど恨みがましく訴えてくる。おまえも、彼も、わたしとひとつになるんだ──。

「キラッ!」 離れたところから、異変を感じたらしいアスランの緊張した声がする。

「うわあああっ」

 シンはまだ自由になる腕で力いっぱいキラの身体を突き飛ばした。こうでもしないと何が起こるか判らなかった。ひょっとしたら、ちょっとした拍子にこの手がキラの胸をブチ抜いてしまうかもしれない、そんな恐ろしい危惧を感じて。

 だが、時はもう遅かった。

 光の翼が完全にどす黒い色に染まる。そしてそれは暗幕のように広がってキラとシンの二人を飲み込んで閉じ、一個の黒い球体と化してしまった。






                                         NEXT..... (2005/09/11)