GET LIMIT  43.終路


 誰かが手を触れた肩が、ズキンと激しい痛みを発した。

「うっ…!」

 アスランは小さくもれた自分の悲鳴で意識を取り戻した。身体中がギシギシと音を立てるような痛みと疼きを持っていて、思うように動かない。開いた目に入ってきたのは、ピンク色のきれいな長い髪だった。

「アスラン、アスランッ。ああよかった、意識が戻りましたのね」

 ラクスが自分を覗き込んで涙を浮かべている。彼女の名前を呼ぼうとしたが、喉が潰れて発声すらできなかった。わずかな間を置いて、アスランは自分の身体を整えるための集中を行なう。

「ラクス…」 改めて呼びかける。

 腕を動かしてみると、どうやら痛みほどひどい怪我をしているわけではなさそうだ。関節という関節に心臓ができてしまったような脈打つ疼きを我慢しながら身を起こすと、眼前の壁にはぽっかりと大きな穴が開いている。それが、自分が突っ込んできてできたものだと思い出すまで一瞬かかった。

 そうだ、俺はシンから命令文の一撃をくらって、それで──。

「ラクスッ」 アスランは焦った。「シンはどうした、キラはっ…!」

「キラは」 ラクスは背後の大穴から空を見た。「あそこですわ」

 アスランは言うことを聞かない身体に無理をさせて立ち上がると、壁に手をつきながら穴から上空を見た。

 そこに彼らがいた。ここへきて最初に見たときとは翼の形態が大きく変わってしまったキラと、光の翼を広げたシンとが闇の空を飛び交っている。二人はMSでの戦闘さながらに空中でエネルギーの帯を撃ち放ち、それをかわし、あるいは受け止め、そして空中で幾度となく交錯する。そのたびに、まるで新しい星が現れたようにパッパッと白い光がまたたいた。

 そんな──。アスランは愕然とした。もうあの二人を止めることはできないのか、ここまで来てまたキラは、双方どちらかの『死』というカタチでなければ、何も解決できない痛みを背負うというのか──。

「アスラン」 ラクスは言った。「まだ、すべての道が潰えたわけではありません」

「え?」

 アスランは驚いて振り向いた。まさに自分の心中の言葉に応えた女の声に。

「キラに伝えることはできませんでしたが、あなたに伝えても同じことです。聞いてくださいませ、これが最後の希望ですわ」

「最後の…?」 アスランは困惑した。「いったい何のことだ。あの二人を止められるのか?」

「…あのお二人を、止める…」

 ラクスはアスランの言葉を復唱しながら空を見た。そこにまた、パッと白い光が散る。

「『これ』がその手段となるか、あるいはすべての解決の糸口となるかは、わたくしにも判断しかねます。ですが、すでに最終形態に進化したキラとシン・アスカの能力値はほぼ互角…そうなればもう、どちらかが死ぬまでこの戦いは終わらないでしょう」

 自分で考えていた悪い可能性は、人から『意見』として聞かされることでより真実味を増していく。アスランはジリジリして空を見た。今すぐにでも飛び出していって割って入って止めてやりたい。けれどこの身体では、足手まといどころか、キラが撃ち出したエネルギー波に巻き込まれて死にかねない。

 かといってキラが今以上の進化を行なおうとすれば、死ぬのは間違いなくキラ自身だ。下手をしなくても『あれ』のようになってしまうことは言うまでもない。

「戦いの実力が均衡を続けるのは、決して望ましい状況ではないのです。わたくしたちは何としても、彼らの戦いが最悪の形で終結するのを止めねばなりません」

「そんなこと」 アスランは目を伏せた。「できるわけがない。下手をしたら俺たちがキラに誤爆されて死ぬのがオチだ」

「均衡を破る方法はただひとつ」 ラクスは淡々と言った。「片方に、より強い力を与えることです」

 沈黙がある。アスランは驚いた顔で、ラクスはひたすらに落ち着いた顔で相手を見ている。

 彼女はその間に一呼吸をおいて、また言った。

「『フリーダム』が発動したキラと、『ジャスティス』が発動したアスラン、そのお二人で詠唱することにこそ意味がある、たったひとつの命令文があるのです。それさえ起動させることができれば、この戦局は均衡を破られ、行くべき方向へと流れ出すでしょう。『ジャスティス』状態のあなたなら、あのお二人の間に割って入ることも可能なはず──」

「無理だ」

 アスランはスッパリと言った。言葉を途中で遮られたラクスがきょとんとする。何故そうもいきなり無理だなどと言い切るのか、その真意を知らない女の視線を受けながら、彼は非常に言いにくそうに口を開いた。

「『ジャスティス』は、起動が『フリーダム』と連動しているんだ。『フリーダム』が発動しないと、『ジャスティス』を起動することはできない……つまり…」

 『フリーダム』が発動していない今、アスランには何の力もない。少なくとも、あの二人を一瞬でも止めるだけの力など、どこにもありはしないのだ。

「すまない、俺には…」

「わたくしが、あなたをお守りいたします」

 今度はアスランが言葉を遮られた。エッ、と表情が崩れる彼を、ラクスは覗き込んで微笑みかける。

「わたくしが『エターナル』であなたを包みます。あなたはその間にキラに接触して、『フリーダム』と『ジャスティス』を起動して下さい」

「ちょ、待ってくれ」 アスランは慌てた。「俺に、君の『闇』の残量が見えないわけがないっ。今の君に『エターナル』を発動するだけの力はない、そんな状態で命令文なんて使ったら、君はっ」

 本来ならいの一番に行なわれるはずの、傷の治療がひとつも成されていないのが何よりの証拠だ。今のラクスにはもう、このアスランが負った怪我を治癒する力さえ残っていないのだ。宙に浮く、テレパシーを使うなどの最低限の能力は使えても、命令文というマイノリティらしいことは絶対にできはしない。

 やろうとすれば、最初の一節を詠唱する間に彼女の命は燃え尽きるだろう。そんなことは絶対にさせられない。

「…だいじょうぶ、ですわ」

 ラクスは微笑みを崩さずに言った。そしてふと、陣羽織の下にまとう黒い装束の胸元から、小さなビンを取り出して見せる。チャプン、と中で赤い液体が波打つ。

 アスランはそれが何であるのか、一瞬で理解した。

「わたくしの手には、わたくしに無限の力をお与えくださる賢者の石があります。本当ならこれも、キラに返すつもりで持ってきたものですが…もはや、手段を選んでいる余地はありませんものね」

「…判っているよな、ラクス」 アスランは震える声で言った。「その血は採取されてすでに数年が経過している。いくら密閉した容器に収められていても、自然界からの影響を受けて、それはもう『誰か専用』になってしまっている可能性があるんだぞ」

「それでも、やらねばならないときが、あるのです」

 アスランの時が止まった。

「それが今であり、このときは、この先にはもう二度とないのです。たとえ叶わなかったとしても、わたくしは、ただ何もせず、尊いものが失われていくのを見ていることはできません」

「結果、自分が死ぬことになってもいいのか」 アスランは問うた。

「…アスラン」 ラクスは言った。「死を恐れない人間が、いったいどこにいるでしょう。肉体の破滅を、精神の消滅を、己の死を恐れぬ人間が、果たしてこの世に存在するでしょうか。もしもこの血がわたくしの身体に合わなければ、わたくしはこの世に存在するあらゆる苦痛をも凌駕する闇の抱擁によって、この命を絶たれるでしょう」

「それならっ…!」

「ならば、どうしようと言うのです」

 ぴしゃりと言い返される。アスランは何も答えられない。

「他にできることはないのです。わたくしにしかできないことを、他の誰ができるというのです。わたくしが今からお伝えしようとするこの命令文を、キラと共に詠唱できるのはあなたしかいません。キラひとりではいけないのです、アスラン以外の誰かとではいけないのです。キラの下へあなたをお届けすること、それが今のわたくしの使命…ならば、まっとうせねばならないでしょう」

 アスランは自分の胸に手を当てる。そこがいま、どこよりも一番痛い場所だ。

「アスラン」 ラクスは言った。「あなたに、ご自身の使命をまっとうする覚悟がおありですか? 誰よりも、ひょっとしたらキラ自身よりも、その力の抹消を強く望んだあなたに…」

「…ラクス」 アスランは言った。「俺は、使命とか役割とか、そういうことを考えて戦っているんじゃない」

 水道の蛇口を閉めたように、ラクスがぴたりと何も言わなくなる。

「これは俺たちが、自分たちの意思で赴いた戦いのはずだ。キラは一番最初に、俺たちには来なくていいと言った。自分の問題だから自分で解決しなきゃならないって、君たちには何の関係もないことだからって」

 アスランの脳裏に、キラの声が鮮明に再生された。一字一句間違えず、彼はキラの言葉を記憶している。

「でも」 彼は目を伏せた。「やっぱり俺たちは、ここにいるんだ」

 ラクスはふっと笑みを浮かべた。自分と同じ言葉を、知らず放った男を見つめて。

「やはり俺は君に、そんなことはさせられない」

 彼女はただ、アスランの決意の言葉を聞いている。

「それはもうしまってくれ。──俺は行くよ」



 限界のない力が身体中から溢れている。それはキラが、シンが腕を伸ばすだけで掌に収束し、なにものをも焼き尽くす高熱のビームとなって撃ち放たれていった。

 もはや幾度それを撃ったのか覚えていない。そしてそれが闇の空にいくつ吸い込まれ、いくつ散らされたのかも覚えていない。ただ当たらなかっただけだから、外れたそれはもう視界に入ることもない。引き換え、相手に攻撃が命中した瞬間だけは、忘れようとしても忘れられなかった。

 相手の肉を高熱が焼く、その感覚と臭いが脳の最奥に刻み込まれる。途方もない爽快感、高揚感と共に。そして自身が撃ち抜かれる感触もまた、同じだけの高揚をもたらしていた。熱い、痛い、それらを感じるたびに何かか背筋を這い上がってくる。

 ゾクゾクした。自分の肉体が破壊されるのが、相手の肉体を破壊できるのが、自分の手で、自分の力で──破壊であればもはや何でもよくなっていく。苦しいのも痛いのも二の次で、ほとんど夢中で相手に破壊をもたらすために二人は撃ち合う。

 死を、死を、死を、死を死を死を──。

 飲み込まれていく。意識が、深い闇の底に。

 僕は、何のために戦っているんだっけ──。

 必殺を期したビーム砲を撃ちながら、キラの頭に疑問がわいた。人間らしいといえば人間らしい、小さな頭の中のつぶやきが。ここを飛び立ったそのときには確かにあった戦い目的が、いまはかすんでしまっている。目の前を光の翼が通り過ぎる。高速で目まぐるしく動き回る自分の視界の中で、キラの目は、その美しい翼だけは絶対に見失うことはない。

 まっすぐ突っ込んでくるのを前方に張ったシールドで弾き飛ばし、背後に回られれば上昇あるいは下降して逃れ、ビームが飛んできたらその軌道を潰すつもりで自分もまたビームを撃つ。力は均衡している、それがいまはたまらなく心地よかった。

 封じ続けていた能力、使わずに放置し続けていた力、それがいまは思う存分使える。

 全力で殴っても、蹴っても、フルパワーを込めたビームが命中したって相手はピンピンしている。はじめて全力でぶつかり合える相手がここに現れた。今までの敵たちは、キラにちょっと力を注ぎ込まれただけで簡単に死んでいった。つまらなかった。

 誰か、だれかいないの──?

 キラはいつも、自分の中でそう問いかけてくる幼い頃の自分の声を、ずっと意識して無視してきた。

 ねぇ、誰か。誰かぼくを本気にさせてよ──。

 シンの肩口を爆破してやるつもりで手を伸ばしながら、キラは自分が笑っていることに気付いた。

 もうすこしで触れられる、そこでシンの手に手首を掴みとられて捕らわれる。だが即座にキラは掌に収束させた力を破裂させてシンを怯ませ、掴む力が弱まったところで彼を振りほどき、身体ごと回転させた蹴りで相手の頭を叩き飛ばす。ガッ、と足首に走る衝撃は一瞬の間も惜しんで脳に届けられる。

 今だかつて感じたこともない歓喜が、キラの身を震わせる。敵の身体に攻撃を繰り出すのは気持ちいい。これほどの快感は他にない。死んだっていい、もし相手が死んだら、そのときは相手の力が自分に及ばなかっただけだ。そしてキラはこの先また、新しい、強い何者かが現れて自分を夢中にさせてくれることを待つだけだ。

 キラと実力が均衡した敵なんて、今までひとりとていなかった。だからこんな戦いは初めて経験した。

 心地いい、気持ちいい、ああどうしよう、自分が止められない、どうしよう──。

 頭にものすごい蹴りが決まったおかげで、シンに隙が生まれた。蹴られたところを押さえ、しきりに頭を振っている。キラの目に、その姿はクモの巣にかかった蝶のように見えた。

 きれいな蝶々、でも、もうおしまい。どんなにきれいでも、食い散らかされてしまえば汚いだけの死体だよ──。

 嬉々とした表情を浮かべたキラが手を伸ばす。その手に捕らわれたものは、瞬く間に体内に莫大なエネルギーを送り込まれて内部から破裂する。勝敗を決するというよりは勝者を選出する瞬間がまさに訪れた。

 首を掴み、その肉が弾け散るその感触の想像が、一瞬先にキラの意識を恍惚とさせる。だが。

「キラァァァァァ──ッ!」

 与える死の喜びに埋め尽くされそうになっていたキラの意識に、その絶叫は届いた。ピタリと手が止まる。指先が震える。

 誰、今の声はだれ──。

 キラが周囲を見回すより早く、目の前に何者かの姿が立ちはだかった。着ている黒い服はあちこち破れてボロボロになり、乱れた髪も整えられないまま、埃やら何やらであちこち黒く汚れた肌さえ気にもかけない様子で、その者はシンとキラの前に、シンを守るかっこうで飛び込んできた。

「やめろキラッ」 彼は言った。「何をやってるんだ、このザマはなんだっ。ミイラ取りがミイラになってどうするっ」

 キラの表情が凍る。叱りつけられて我に返ったのではない。その声を聞いて、深い意識の底で何かがドクンと脈打った。

 この声──。キラの身が震えた。ああ、この声、この声。きれいな声、ぼくがずっとほしかった声だ──。

 今まで散々動き回っても息一つ乱さなかったキラが、口を開いて大きく息を吐いた。呼吸が乱れる。まるでショック状態にでもなったように。

「ア…アス、ラン」

「キラ、しっかりしろ。大丈夫か」

 やっと本来の色が戻ってきたキラの瞳を確かめながら、アスランはその肩を抱いた。アスランの手がキラの肩に触れたその途端、近寄ることにさえ、見つめることにさえ恐怖と畏怖と伴って止まなかった強大な闇が鎮まっていく。

 キラの力が自分の腕で弱まるこの瞬間、アスランはキラが自分に向けた想いの強さを知る。弱まる力の分だけ、キラはアスランを愛しているのだから。それが判ればもう、それ以上の言葉も、行為も、何もいらなかった。キラの背中の醜い翼も、おぞましい闇の力も、なにもかもどうでもよかった。

 アスランはキラの身を、一時の感情に任せて抱きしめた。キラも、怖い夢から覚めた子供のようにアスランの背に腕を回した。

 この世界へやってきて、この戦いが始まって、キラと確かに身を抱き合ったのはこれで三度目になる。

 最初はただ何も知らずに、二度目はキラがアスランを欺くために、そしてこの三度目は──。

「キラ」 アスランは言った。「どこまでも、いっしょにいこう。──おまえを愛してる」

「アスラン…」

 キラはもう、その腕を振り解くことはなかった。もうその腕から逃げていくことはなかった。感極まったように相手の名を呼び、目を閉じる。

「またあんたかよ」

 恨みがましい声が聞こえたと思ったら、前方のシンが体勢を整えて浮いていた。表情は引きつり、瞳は苛立ちに満ちている。それは当たり前だ、キラから強烈な蹴りをもらって意識がかすんだと思ったら、今度はそのキラがアスランと抱き合っているのだ。訳が判らない上に、先天マイノリティとしての独占欲がそれを許すはずがない。

「ぶん殴られたくらいじゃ、あんたもコリないみたいだな」 シンは言った。

「悪いけど、打たれ強さならキラより自信があるつもりだよ」 アスランは言った。「いろんな奴に、散々痛い目見せられてきたからな」

 そんなアスランの横で、彼が言った『いろんな奴』のひとりであるキラが申し訳なさそうな顔をしているが、そこにつっこむ者は誰もいなかった。

「まぁいいさ」 シンはペッと血の混じった唾を吐き捨てた。「どうせキラの次はあんたなんだ、それならまとめてケリをつけるほうがラクでいい」

「アスラン」 キラが不安そうに言った。「止めてくれたことは嬉しいけど、何をするつもりなの。僕たちは、もう…」

 もどれないんだよ──? キラの言葉の先はなかったけれど、想定することは容易かった。

「ケリをつけるんだ、キラ」 アスランは言った。「俺と、おまえで」

 アスランは隣に立つキラの肩をぐっと抱いた。確かな感触とぬくもりを持つその身体に触れると、闇が鎮まるのとは対照的に、心の底から何か違う力がわいてくるのを感じる。あたたかな、そして優しい力が。

 キラはすっと右手を高くかかげた。空を掴むように、先生に向かってハイと手をあげるように。

 彼は言った。

「我を求めるあらゆる者に告ぐ。次いでは、我に従うすべての者に命ずる。我が名の下、いま我に、我が自由を貫く剣を与えたまえ。──いざ目覚めよ、フリーダム!」

 キラの瞳の中に舞い降りた一粒の光が弾け、闇が覚醒する。その刹那、彼は能面でも被ったような表情のない顔をあげた。改めて展開される身の丈よりも大きな青い翼から、赤い光の粒子がこぼれてきらめいた。

 アスランが続く。

「数多の地に舞い降りて、那由他の敵に闇を振りまく青く尊き剣よ。我が名の下、いま我に、汝の正義を守る盾を与えたまえ。──いざ目覚めよ、ジャスティス!」

 叫んだアスランの服が赤へと変わった。バサリと伸びた長い裾が夜の闇の中でひるがえる。

「…奥の手ってわけかよ」 そんな二人を見ていたシンが目を据わらせた。「もう勝負決めようってこと? せっかくキラも楽しそうだったのに」

「──幸せな時間はいつか終わるって、そう言ったのは君だったよね」

 すう、とキラが前に出た。闇の珠が座した昏い瞳でシンを見つめて、抑揚のない声を放つ。

「それなら、いい加減終わらせてもいいじゃない。幸せな夢はもう、終わりだよ」

「よくもしゃあしゃあと言ってくれるよな」 シンは言った。「人を地獄の底に突き落としてくれた張本人が」

「…僕は」 キラは言った。「君のひとりのためには、死ねないよ」

 ぴくりとシンの表情が引きつる。

「最初は確かに死んでもいいと思ってた。君が望む限り傍にいて、もし君が真実を知ったとき、死ねと言われたら死んでもいいつもりでいた。けど、今はもう…君だけのためには死ねない」

 キラがどこへ逃げても、どこへ消えても追ってくる仲間がいる。それはひょっとしたら脅迫的なくらいの固執にすぎないのかもしれないけれど、キラがいなくなったら消沈してしまう誰かがいる。そしてキラが死んだら、自身の死よりもそれを悼み、悲しみ、苦しむ誰かが確かにいる。

 シンへの罪悪感は確かにある。彼が経験した地獄は想像もつかない。彼の気が済むようにしてくれればいいと思うところはある。気が済むならどうにでもすればいいと思いはする。

 けれど仲間たちのことを思うと、キラはもう、シンのために自分を捧げることはできなくなった。

「──ごめんね」

 キラは言うと、隣に立つアスランに身を寄せた。アスランは切なそうに近寄ってきたキラを見つめていたが、すぐに何かを察したように肩を抱く。

「僕は、彼と生きる」 キラは言った。

 すうっ、と何の余韻もなく光の滴がシンの頬を伝った。ショックを受けているふうも、怒りに震える様子もない、ただ何を考えるともしれない顔つきで寄り添う二人を見て、ぽろぽろと涙をこぼす。

 親に突き放された子供のように。

「──この夜よ、あまねく世界を包め。この世よ、来るべき闇の刻に恐怖せよ──」

 シンが突然つぶやき始めた。命令文だ。刹那こそ安らいだ表情を浮かべていたキラとアスランは、すぐに互いの身を離して身構える。

 棒のように突っ立ったまま、うなだれながらシンは黙々とそれを詠唱した。

「果てなく世に満ちたらば、すべての命は我が味わいし地獄の火の前に朽ち果てん。我こそは世界のさだめをこの手に掌握する、新たなる王である」

「──アスラン」 キラが言った。

「ああ」 アスランが答えた。

「我が名を開放せよ!」 シンは空へ向かって叫んだ。「闇に代わるは我が光、目覚めよ、デスティニー!」

 虹色に輝く光の粒子がシンの身体を包み込み、見る間にその服装を変化させていく。彼が気に入っていた黒の上着の裾が伸びてアスランがまとうものと同じそれへと変わり、制服というよりは礼服に近い感を持ってあらわれた赤の襟元に、アクセントのようにキラリと輝く銀のエンブレムが出現する。

 そして更なる変化が起こる。シンの背中から赤い一対の機械翼がせり出してきた。ひときわ大きな主翼の下に、小さな羽根が連れ子のように並んでいる。キラの青とは対照的な、彼の感情を象徴するような不恰好な翼、それは展開すると同時にエネルギーを放出し、巨大にして壮麗な、虹色の光の翼を形成した。

 キラはその変化を、その姿をじっと凝視していた。決して忘れぬようにと、決して失うまいと脳の底に刻み込むように。

 顔を上げるシンと目が合う。

 二人は刹那、見つめ合った。

 いつかの日に、互いに互いの何も知らず手を取り合ったように。

「やるぞ、キラ」 アスランがキラの横に並ぶ。

 キラは何も答えなかった。ただ一言、ウンと言えばそれだけでよかったのに、それさえ口にはしなかった。ただシンを見つめていた目を伏せ、そして再び顔をあげただけだ。

 これから自分たちが放つ最後の命令文が、この戦いをどう導くかは判らない。これすらかなわず殺されて終わるのか、あるいは別な道が突然その姿をあらわすのか。想像もつかなかったからこそ、キラはこの最後の力に賭ける気になった。

 シンに『勝てる』と言い切れるわけでも、『負ける』かもしれないわけでもないから、だから。






                                         NEXT..... (2005/08/15)