GET LIMIT  42.衝動


「どいつも、こいつも」

 一同の耳に、低く引きつったシンの声が聞こえてきた。アスランが、ディアッカが振り向き、顔を上げるイザークの腕の中でキラが視線だけを動かす。

 あちこちボロボロになった歩道橋の上に彼は立っていた。さっきまであれほど美しく輝いていた光の翼がない。エネルギーの消耗が激しすぎて、一旦はしまわないと保たなくなったのか。

「なんでおれの邪魔ばっかりするんだ」

 シンはまた言った。言いながら手を伸ばす。新たな攻撃でも仕掛けるつもりか──キラを、彼を抱くイザークをかばうように二人の男が立ちはだかるが、シンの手は皆の想像に反して、設置された街灯のポールを掴んだだけだった。

 いや、違う。それに真っ先に気付いたのはやはりアスランだった。

 シンの手は握り締めた鉄製のポールを掴む力を増して、少しずつ少しずつ、直立のそれを歪めていく。

「おれはキラとひとつになりたいだけなのに…っ」

 メキメキッ。見る間にポールがくの字に折れ曲がっていった。群衆が、アスランたちが固唾を呑んで見守る中、ついにシンの手はそれをボキンとへし折った。

 恐らくはその部分だけでも数十キロ以上はあるだろうに、シンは片手でそれを握り締めている。ゴミでも払うようにブンと振りかざすと、まるで大振りの剣でも持つように身構えた。

「邪魔をするなら全員殺してやるっ!」 シンは叫んだ。「あんたたちも、死んでキラに還ればいい! そしたらおれが、全部もらってやるからさぁ!」

「やはり、説得なんてものが通じる相手じゃないな」

 ディアッカの横からアスランが一歩、前に出る。誰一人としてそんな彼を止める者はいない。

 そして、アスランは走った。視界を遮るサングラスを放り捨て、靴をスケートに変貌させて。

「うわああぁぁっ!」

 シンが吼えて、手にした武骨な武器を振りかざす。それはピタリと足を止めて身を低くしたアスランの髪の一筋を引きちぎっただけだった。

 アスランは脅威の通過を待って、膝のバネとブレードのサスペンションでシンの頭上へとジャンプする。

 まるで棒キレを振り回すように、シンの武器が素早く方向を変え、恐ろしいほどの正確さで落下してくるアスランの頭を狙ってくる。彼は今まさに自分の頭を吹っ飛ばそうとするものにピタリと掌をあて、そこを支えにして前方宙返りを披露した。

 映像加工一切ナシの、文句なしのド迫力映像にワッと眼下から歓声があがるが、戦っている当の本人たちはそれどころではない。

 シンの背後に着地したアスランは即座に銃を抜いたが、武器を捨てて走り、一気に距離を詰めてきたシンが繰り出した予想外の蹴りによってそれを弾き飛ばされた。正面からの蹴りや突きを正確に見極めて左右にかわしながら、彼は時折くる側面からの回し蹴りを腕で止めて受け流す。

「シン、今からでも考え直せっ」

 バシッ。シンの拳を顔の前で受け止めて、アスランは険しい顔をしながら叫んだ。

「大人しくその力をキラに返すんだっ。そうでないと君は死ぬことになるんだぞっ!」

「知るか、そんなことっ!」 シンは苛立って叫び返した。「力をなくすくらいなら、また無力なあの頃に逆戻りするくらいなら、いっそ死んだほうがずっとマシだっ」

 今にも口から火を吐きそうな勢いのシンの言葉に、アスランは奥歯を噛み締める。

 シンの気持ちが痛いくらいに判る。無力な自分、何もできない自分、そして何もできない無力な自分から奪い去られた、美しい思い出と大切な人々──無性に何かをしなくてはならない気がして、けれど何をすればいいのか判らなくて、与えられた力を命じられるままに振るって、アスランもまた大勢の人間を殺してきたのだ。

 昔の自分たちがそうだったのだ、このシンに何を言ってもきっと通じない──アスランはやるせない気持ちに胸が張り裂けそうだった。

 この経験の足りない子供に、力を持つことのむなしさを、力を持つ者にしか判らない憂鬱を教えるためには、じかに戦ってその苦痛を思い知らせてやることしか、もう方法は残されていないのだ。

 脳裏にキラの言葉が蘇る。

 人間ってさ、痛い目に遭わないと何も判らないよなーって、思わない──?

「そうだ」

 唐突にシンが言った。まだお互いの手はキリキリと押し合いを続けている、そんな中で、嬉しそうに。

「あんたたちにならって、おれもちょっと考えてみたんだ。あんた、実験台になってくれよ」

 え──? 何のことを言われたのか判らずに一瞬キョトンとするアスランの脳に飛び込んできたのは驚くべき言葉だった。

「この身に溢れ流るる力の奔流どもは、我が命のもと、いま解き放たれる」

「なっ…」

「時よ、我が闇に喜びを喚起せよ。怒れる我が想いは敵の殲滅をもってこそ果たされん──」

 アスランは耳を疑った。ずいぶんと形式は違っているが、これは紛れもない『命令文』だ。

 シンが光の翼をしまったのは、エネルギーの消耗を危惧してのことではなかったのだ。この命令文を詠唱するためには、その力を発現させるためには、いま起動している別な能力はダウンさせねばならない。だから。

 どんな攻撃が来るにせよ、今から『イージス』を起動したのでは遅すぎる。シンの内部で大きな力が瞬く間に膨れ上がるのを感じる。この力に吹き飛ばされて殺される──アスランにそんな危機感を覚えさせるには十分以上の大きな何かが、解き放たれる瞬間を待ち望んでいた。

「この身に発現せよ、汝の名は、インパルス!」



 眩しい光がきらめいたと思ったら、アスランが流星のように夜空を横切り、デパートビルの壁に激突した。頭上で今まさに起こった出来事だったのに、イザークとディアッカは、そこで何か起こったのかが判らなかった。

 上空から爆発に近い轟音が響き渡ると、群衆からワーッと悲鳴が上がる。砕けたガラスやコンクリートの破片が、バラバラと星のように散らばった。

「な…」 イザークは絶句した。

 なんてことだ、そう言おうとしたのかどうかは自分でも判らない。おまけに、いくら待てどもビルの上層階に突っ込んだアスランが出てくる様子はなかった。

 気を失ったか、あるいは──。

 慌てて視線を前方に戻すと、そこにはシンがいた。大きく足を前に踏み出したそのかっこうは、アスランをぶん殴った姿勢そのものだ。彼はイザークを……いや、イザークの腕の中にいるキラを見て笑っていた。

 やばい。直感的にイザークはそう感じた。次の標的が自分たちなのは言うまでもない。むしろ言われてからでは遅い。だが、キラに大きなダメージを与えたばかりか、あのアスランを易々と殴り飛ばしたこのシンに自分の力が通じるのか、答えはノー以外に存在しない。

「殺してやるよ──」 シンが引きつった声で言った。「殺してやるよキラ! いっしょに行こう、進化の境地へ!」

 シンが大きな身振りで両腕を広げる。狂気の赤い瞳が目標の姿を捉え、彼の胸の前に青白い光が見る間に収束していく。

 イザークは不意に、炎の色は白ければ白いほど高温であるという、どうでもいい知識を思い出した。そして、死の間際に頭をかすめるのは、本当にごくつまらない、どうでもいいようなばかばかしいことなのだ──という言葉を、更に。

 ディアッカとイザークが、二人でどんなに力を合わせても、あの炎は回避できない。防御もできない。結界ごと粉みじんに吹き飛ばされて、次の瞬間には死んでいるのがオチだ。

「我が名は『ブラスト』、汝、我が意思に従いし眩い炎! 放て、『ケルベロス』!」 シンがその炎の『名』を叫んだ。

 胸の前で開放のときを待ち侘びていた白い輝きが弾け、ディアッカの『ガナー』などとても及ばない白い帯となって飛来した。キラの身を力の限り抱きしめることも、イザークの前に立ちはだかることも、一体何の意味があってのことなのかまったく判らない瞬間が、その光の刹那に訪れる。


 ──だいじょうぶ──


 え?──イザークは自分の耳元で、キラがそう呟いたのを聞いた。

 津波と称しても何ら差し支えのない光の波が真っ二つに割れた。イザークたちの前に立ったディアッカの、ほんの数歩手前のところで切り裂かれたように、本当に海が割れるように。

 炎の洗礼を受けるはずだった二人の表情に驚愕が駆け抜ける。炎は彼らの背後にあるビルを破壊することなく、上空へと巻き上げられて闇の向こうへと消えていった。

 何が起こったんだ──。誰もが呆然と空を見上げる中、シンがいち早くあらぬ方向を振り向いた。

 そこに足場はない。宙があるだけだ。しかし確かに、シンやイザークたちと同じ目線の場所にラクスが立っていた。赤いリボンで長い髪を結い上げ、黒い装束の上から白の陣羽織をまとって。

 あらゆる方向からの大勢の視線が自分に集中しているのを知ってか知らずか、ラクスは凛と響く声で言った。

「わたくしの『エターナル』は決して何者にも、たとえキラであろうとも、破ることはまかりなりません」

 顔を上げたイザークたちの視界いっぱいに広がっていたのは、淡く桃色に輝く光の壁だった。

 エターナル──。それはラクスが戦後になって組み上げた、彼女が操れる唯一の命令文だ。名前だけは聞いたことがあるその絶対防御結界の名前が、こんなところで出てきた。初めてそのエターナルの効果を聞いたとき、そんなものを使う機会は一生ないだろうよと、誰もが…ラクス本人でさえも笑っていたのに。

 なのにそれが、今こうして発動して彼らを守っている。もうひとつの、付属効果と共に──。

「イザーク…」 キラが言った。「もう、だいじょうぶ」

 何の前触れもなくキラはイザークの腕から身を起こした。シンの攻撃やさっきの電撃にやられてボロボロになった服こそはそのままだが、高温のビームに撃たれて焼けただれた皮膚も、傷口などチラリと見るにも一生分の度胸を要しそうな腹の大穴も、腕や膝にあった貫通痕も、なにもかも消えてなくなっていた。

 これが、ラクスが作り出した彼女に成せる力の限りだ。絶対の防御と一瞬の全快を即座に行なう、文字通りの最高位術。そしてラクスが持っている『闇』の内容量から想像するに、一度使えば先数年に二度目はないだろう術──。

 キラが立ち上がると、結界は弾けるように消え去った。ふいにイザークは自分のダメージさえも消え去っていることに気付く。戸惑う暇もなくキラは足を進めて、ディアッカよりもシンに近い場所へと歩み出て行った。

「キラ、その姿──」 ラクスが言った。「あなたはもう、戻れないのですね」

 ザリ、とシンが歩道橋の上で一歩を踏んだ。こんな場面でキラに語りかける女を、疎ましそうに視界に捉えながら。

「うん…」 キラは言った。背中から生えた、今はきちんとたたまれたバインダーに視線をやって。「君たちには、できれば見られたくなかった」

「だから、アスランから逃げたのですか?」 彼女は言った。

 ──キラは首を振った。

「君たちじゃ、シンには太刀打ちできないから」

 キラの放った言葉に、誰もが刹那の沈黙を置いた。シンでさえも、その続きを気にしているように何も仕掛けようとしない。もっとも彼の場合、いま放った『ブラスト』が必殺を期した大技だったために消耗が激しく、動きが取れないだけなのかもしれないが。

 キラはキョトンとしている仲間たちの顔を見回して、言った。

「こうしてシンと戦うことになったとき、君たちはきっと、僕にひとりでは戦わせてくれなかったよね? 援護とか、回復とか、きっとしてくれたと思う…今みたいに」

 みんな黙っている。ざわいた群衆でさえも、キラの言葉を聞こうとしているのか、雑音のトーンを落としていた。

「僕のこの姿が、みんなが僕を思ってくれる気持ちを揺らすだろうなんて考えてなかったよ。みんながその程度の気持ちなんかじゃないって、僕はもう知っていたから。けど、そんな覚悟をしているみんなが、勝てない敵と無理に戦おうとするのは……それは、いやだった」

 シンの眉がピクリと跳ねる。キラはそんな相手の顔を見つめたまま、真面目な顔で更に続けた。

「だから僕は逃げた…。みんなの、覚悟から…」

「でも結局は」 ラクスが言った。「みんな、ここにいますわ」

 ラクスはあくまでも笑んでいた。厳しい表情で叱るのではない、とがめるのでもない。彼女はただ、笑って、そう言うだけだ。

 キラは自嘲気味な笑みを浮かべ、うつむいて、そしてうなずいた。

「みんな」 彼は言った。「僕は、シンと戦いたい」

 はっきりとした意思の言葉が放たれる。シンの表情が険しくなり、ラクスの表情がわずかに歪む。

「──わかった」 イザークが言った。

「…姫さんが『そう』言うんなら、ねぇ」 ディアッカが言った。

 戦うことはたしかによくない。傷付けあい、血を流しあい、そして心を抉りあい、心にも身体にも決して消えない傷が残るのだから。

 だが、戦わないだけが好しとされることはない。言葉だけですべてを理解できる人間など、ほんとうはひとりもいないのだ。言葉は単なる自分意思を発現するための道具に過ぎず、だがそうであるからこそ、いつしかそれを伝えることがすべての解決になると勘違いされるようになったのだ。

 言葉が伝わらなければどうすればいいか。それは誰もが身をもってよく知っている。

「キラ」 ラクスが言った。「あなたがそのおつもりなら、わたくしも止めません。ですがそれならば、わたくしには、あなたに伝えねばならないことが──」

「もういいだろ」

 高まる感動の気配を一声で破ったのはシンだった。親たちに無視されてふくれてしまった子供のようにムスッとしている。

「好きだとか愛してるとか言うつもりだったら、やめといたほうがいいよ」 シンはラクスに言った。「もうすぐ死ぬ人に、それは酷だろうからさ」

「シン…」 キラが痛ましげに眉を寄せる。

「あんた、仲間と話してちょっと余裕出たんじゃないの?」 シンは笑った。「おれと戦ってたときのあんたのほうが、よっぽどイイ顔してたと思うよ」

 それを聞いたイザークが何か言いたげに身構えようとするが、それはキラが差し伸ばした腕に制された。

「ラクス」 キラは彼女を見ずに言った。「街のことはお願い」

「ええ、判っていますわキラ」 ラクスが頷いた。「周りのことはわたくしたちに任せて、あなたは心置きなく、自分のやりたいことをなさってくださいませ」

「ありがとう。──これで、僕は僕のためだけに戦える…」

 ミシッ。どこからか耳障りな音がした。ミシミシ、ミシミシ、とそれは小刻みに続いている。

「シン、君に教えてあげるよ」 キラは言った。

 音の発生源は、誰かが頭に思い描いただろう、キラだった。色を失って全体がグレーかかった背中のバインダーに走る赤黒い筋が膨れ、脈打ち、それそのものを変質させていく、それは恐ろしく異常な光景だ。

 風を切り裂くナイフのようだったフォルムが、風を受け流せるように丸みを帯びたそれへ変わって、先端がすらりと長く伸びる。八枚の羽根は太く鋭い四本の針のように変化した。

「イザーク、ディアッカ、お退きなさい!」 ラクスが声を張り上げた。「巻き添えをくいたくなければ、早くキラから離れるのです!」

「進化ってのは、こうするんだ!」

 ジャキン!──キラが両腕を広げるのを合図に、新しい姿を得た翼がスライドして八枚になり、大きく展開した。






                                         NEXT..... (2005/08/06)