GET LIMIT 38.糸口
「このまま西の郊外へ向かってくれ」 カガリは言った。
軍事用のバスというものは非常に目立つ。今頃アスランたちばかりか、カガリやデュランダルにまで逃亡されたオーブ政府は、オーブ軍人に変装した彼らが乗るオーブ軍用バスを手配している頃だろう。だがカガリは基地を出た裏通りにもう一台の車をとっくに用意していて、皆に乗り換えさせていた。
黒い小型のワゴンの中で、なんともちぐはぐな脱走メンバーが肩を並べている。
「いやはや」 デュランダルが嬉しそうに言った。「オーブ代表とプラント代表の逃避行とは、絵になるものですなぁ」
「本気でおっしゃっているのか、議長」 カガリは溜息半分に言った。「まったく、芯のお強い方と思いきや、妙なところで子供っぽいのだな」
「私はただ、この暗い雰囲気を少しでも変えようと思っているだけですよ。いかがです、このあたりでジャンクでも」
「議長」 運転席のレイがぴしゃりと言った。
呼びかけから先の言葉はなかったが、デュランダルが一瞬で黙ったところを見ると、ダメ、という意味だったらしい。
そんなやりとりに、男の隣に座ったラクスがクスクスと笑う。確かにこの雰囲気は、たったいま政府から逃亡してきた政治犯容疑者集団が持つものではない。どちらかというと観光旅行中の家族だ。それに、用意周到にもこの車の窓にはきちんと後部座席部分に黒のフィルムを貼ってあったので、道行く人々に指をさされる心配はなかった。
あっさり話を中断されたデュランダルは窓の外を見る。なんだかイジケた様子の彼を、横からラクスが覗き込む。もしかしたら彼は、一度くらいナチュラルの庶民らしい食べ物を口にしてみたかったのかもしれない。
「カガリさん。どこへ向かっているのです?」 ラクスは尋ねた。
「私の秘密基地だよ」 カガリは言った。「政府の連中も誰も知らない。…もともとは、アスランと二人で休暇を過ごすための場所だったんだが…」
言いながら彼女は、すこし恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。そんなカガリの様子を見てラクスは安心した。どうやら彼女も、きちんとアスランのことに整理をつけられたらしい。
「今は、まぁこんな状況だからな。逃げ込むんならそこがいいと思ったんだ」
「そこに研究施設はありますか?」 デュランダルが尋ねた。
「アスランがペットロボットとか何とか作ったりする、作業場みたいなものはあったが…」 カガリはウーンと唸った。「あと、あるとすればアイツが使ってたパソコンくらい、だな」
彼女の返答を聞いたデュランダルもまた、ウーンと唸りながら座席の裏側からバッグを持ち出し、そこからノートパソコンを取り出した。おもむろに開いて起動する。
「…まぁ」 それを覗き込んだラクスが声をあげた。「これ、キラのパソコンではありませんか?」
「ええ」 デュランダルは事も無げに言った。「彼の血液同様、あそこに置き去りにしてはいけないと思って持ってきたのです」
「そういえば」 レイは正面を見たままで言った。「キラ・ヤマトはそのパソコンに日記を保存していました。今回のことについて、何か記されているかもしれません」
「そう、それだ。キラ君には悪いが、ここに何か、解決の糸口はないものかと思ってね」
思い出したようにデュランダルは頷いた。運転席の後ろに張り付いていたカガリまでが、彼の膝の上にあるパソコンを覗き込むのだが、その液晶に映っているのはログイン画面だった。
「ユーザー名とパスワード…が、必要なようですわね」 ラクスが言った。
「まさかキラのやつ、間違ったら全データが消えるように、とかセキュリティかけたりしてるのかっ」 カガリが怒った。
「キラ君が、自分のパソコンにそんな仕掛けを施す理由はありませんよ、アスハ代表」
苦笑いしながら、しかしデュランダルはタンタンとキーボードの一部を指で叩いている。この様子から察せられることはただひとつ。ユーザー名とパスワードがわからないのだ。デュランダルのことだからここに至るまでに何度か起動しているのは間違いない。そのたびにこの画面と格闘していたに違いない。
考えうるすべてのパターンは尽くしたはずだ。その上でまだ判っていないというのだから、これはかなりの難問のように見えた。
「貸してくださいな」
ラクスが言って、すっと手を出してきた。デュランダルの膝の上に乗ったままのそれのキーボードを片手で器用に叩く。ユーザー名の項目には『Kira』と、そしてパスワードの欄にはいくつかの米印がスラスラと並んだ。
そして──。
「あっ」 カガリが嬉しそうな声をあげた。「起動したぞっ。すごいな、ラクス」
レイを除いた二人からの興味の視線を受けて、ラクスは得意げに微笑んだ。
「パスワードは何だったんだ?」 カガリが続けた。
と、すこしだけうつむいたラクスは、その笑みを寂しげなものへと変えた。
「『Hibiki』…です」
「…ヒビキ」 確かめるようにデュランダルが言った。「ヒビキ博士のことかね」
「──はい」 ラクスは頷いた。
知らない名前ではなかったから、カガリはそれ以上のことは何も言えなかった。ヒビキという、この世でもっとも忌まわしいはずの名前は、カガリにも深いゆかりがあったのだから。
「キラは」 ラクスは言った。「今の自分、キラ・ヤマトという名前を大切にしています。けれど、自分が生まれたときの…自分が生まれながらに授かった本当の名前も、大切なものだからと…言っていましたわ」
車内が沈黙した。タン、タン、とデュランダルの指がマウスボードを叩く音が定期的に響くだけだ。
「なんで」 カガリが言った。「なんで、そうやって今の自分を大事にしてるやつが、今の自分が一番大事にしてる『今』を裏切って逃げたんだ」
「アスハ代表」 デュンダルが言った。「どうやら彼は、あなたがたを裏切って逃亡した、というわけではないようです」
「えっ?」 カガリが顔を上げる。
デュランタルはそんな彼女に、自分が見ている画面を見るように合図した。ラクスとカガリが、左右から一緒になって液晶を覗く。そこに表示されていたのはつらつらと並ぶ文字だらけの日記ではなく、一枚のデジタル写真のファイルだった。
「これ──」 カガリはその先の言葉もなく呟いた。
写真に映っているのはキラとカガリ、ラクスとアスラン、そしてイザークとディアッカだった。みんなそれぞれで笑みを浮かべて、思い思いのポーズで並んで立っている。背景にM-1アストレイの足が映り込んでいるあたり、軍用の格納庫で撮られたものだというのは誰でも察しがつくだろう。
それは、キラたちが別世界に旅立つ一週間ほど前に、みんなで撮った写真だった。
この日はアスランの要請でプラントからイザークとディアッカが呼び出された。本当は、別世界へと旅立つのはキラとアスラン、そしてラクスの三人だけのはずだった。カガリはオーブで彼らのサポートを行なうことがすでに決まっていたのだが、同じようにプラントにも話の通じる人間がいた方がいいということで、彼ら二人が呼ばれたのだ。
しかし彼ら二人はキラたちと行動を共にしている。キラの超能力を目の当たりにしたイザークが、どうしても一緒にいくと駄々をこねたのだ。超能力者ではない者が次元を超えることはできない、とアスランが説明すると、彼は不機嫌極まりない顔をして即座にこう言った。
『じゃあ俺を超能力者にしろ。今すぐにだ!』
ある意味では熱意と言えた彼の意思に、キラたちが折れるまで時間はかからなかった。そうして急遽迎えた二人の飛び込み参加者を含む五人が次元を超えることになり、そのメンバーが集った記念にとラクスが提案して、この写真が撮られたのだった。
「最新の日付けの日記はこれです」
デュランダルは言いながら、ぞろぞろ並んだファイルの群れからそれを選んでクリックした。読み込みにすこしだけ時間がかかって、すぐに白いウインドウが現れる。
「『シンからメールがあった』」
ぽつり、とその文を声に出したのはラクスだ。運転中でそれを見ることができないレイに、きちんと聞こえるように。
「『あの子の進化はすでに始まっていると見ていいだろう。そうなれば、多分アイツはすでにシンに取り込まれてしまっているかもしれない』…アイツ、というのは『あれ』のことのようですわね」
「進化って何のことだ?」 カガリが言った。
「闇は、自分より強い闇の傍にいることで爆発的に成長する性質があります」 デュランダルが言った。「要するに同じ性質の闇が一度でも寄り添い合えば、あとはネズミ算式に互いの力を高め合ってしまうのです。恐らくキラ君はその『爆発的な成長』を指して、『進化』と呼んでいるのでしょう」
「だが変だ」 カガリは尚も言った。「『すでに始まっている』って、どういうことだ。今までシンは、結構長いあいだキラと過ごしてきたらしいじゃないか? それなら今更こんな書き方をしなくても──」
「『僕の力がどこまで太刀打ちできるかはわからない』」 ラクスは続けた。「『ひょっとしたらシンはもう、僕よりも強い力を身に付けてしまったかもしれない。シンはまだ気付いていない、『あれ』の力がどれだけ恐ろしい性質のものか。『あれ』の力は僕の中に帰らなければならない。もしもシンの中にあり続ければ』……」
「シンは」 デュランダルが言った。「──死ぬ」
ドクン。レイの心臓がひとつ大きく跳ねた。誤って急ブレーキを踏んでしまいそうになる。そしてハンドル操作を誤りそうになる。何とか平静を装う根性だけは残っていたので、車は何事もなく道路を走り続けたのだが。
道の脇に植わった緑の量が増えてきた。彼らが進む道の先は、小さな山の中へウネウネと伸びている。
息も詰まりそうな沈黙の中、日記を読むラクスの声だけが車内に響いた。
「『そもそも『あれ』の力は、生ある者と共存できるようにはできていない。あの力は『あれ』が肉体を持っていないからこその力だ。動物や人間、命を持つ何者かの身体に宿ったとき、あの力は必ずその誰かの命を食い潰すだろう』」
デュランダルは黙ってその言葉を聞きながら、さまざまなことを思い返し、そして思考を連ねていた。キラから受けた『報告』、自らで行なった『あれ』に関する講義、その中のあらゆる一言一言を鮮明に思い出す。
シンはザフトにいた頃から、無力だった頃の自分に憎悪し、今なお無力な自分に激しい憤りを抱いていた。そんな彼を一目見てすぐにマイノリティであると見抜いたデュランダルは、彼が感情任せに暴走するのを防ぐため、軍の中でもエリートに分類される『赤』に彼を在籍させた。その一方で彼を研究所にも所属させ、自分にも宿っている超能力の研究を行ないながら。
責任は自分にもある、デュランダルはそう思った。何故あのとき自分は、シンと自分の超能力を発展の方向に研究してしまったのか。もしもその力が増幅し、そして自身で制御できるまでになってしまえば、力に固執するシンはやがてその虜になるだろうことくらい、容易に想定できたはずなのに。
何故この力を忌まわしいものと考えなかったのか。何故、消失の方向へ研究することができなかったのか。
闇の根源は確かにキラだ。しかしこの力を宿した者にも、力の行方を左右する権限が与えられる。選択の方向を間違えたのは、私もまた同じなのだ──。
「『放っておけばシンは死に魅入られ、やがて破壊の虜になる。『あれ』がそうだったように』」 ラクスの声が緊張を帯びた。「『シンを止めなければいけない。そしてそれは僕にしかできない。元はといえば僕のエゴが招いたこと、僕が決着をつけたい。たとえ刺し違えることになったとしても』」
車内は再び静まり返った。日記はそこで終わっている。しばらく一同の間には、車のタイヤが整備されていないアスファルトを踏む音だけが響く。
「…キラは」 カガリが言った。心なしか声が震えている。「──死ぬつもりだ」
誰も、何も言わなかった。
「こんなバカなこと、あるか!」 カガリは叫んでいた。「ラクス、アスランたちを急がせろっ。シンと心中なんて絶対ダメだ、こんなの何の解決にもなってないじゃないか!」
「わかっていますわ、カガリさん」 ラクスは相手をなだめながら頷いた。「わたくしたちも急ぎましょう。まずは落ち着かなければ、次元を超越するテレパシーはとても不安定ですからね」
そんな女たちの真剣なやりとりを他所に、デュランダルの思考は自分の奥深いところへとすでに潜り込んでしまっていた。キラとシンを止めるためのさまざまな可能性、手段、方法のかけらが頭の中をよぎっていく。
そして疑問も、また。
その疑問はとても原始的で、しかし誰もが確実に見落とすものだった。
世界中に散らばる多くの同胞、マイノリティたちはその意識のあるなしに関わらずキラから力を授かる。だがその根源であるキラは、一体なにからあの強大な『闇』を授かったのか。そして同じ種類…確実に『同一』といえる闇が他に存在しない間を、どうやって進化し続けてきたというのか。
彼は窓の外を見た。すでにそこは山道の中で、きらきらと木の葉が光を透過して美しい光景を作っている。デュランダルの意識は急速に、その幻想的ともいえる世界の中へと吸い込まれていった。
遮光フィルム越しに、きらめく光と木々の影が頬や瞳の中を通り過ぎていく。
「ラクス・クライン」 デュランダルはぽつりと言った。「キラ君の、『闇』を行使する際の命令文の一節を、何でもいいから教えていただけますか」
「え? ええ」
カガリとの話を中断されたラクスは、戸惑いながらも考え始める。あらゆる場合にさまざまな命令文を行使するのだろう、記憶が引き出されるのに時間がかかる。
「『我が身にたゆたう、栄光の輝きに裏打ちされし闇どもよ』…これは、キラの攻撃系能力『ストライク』を起動する命令文ですわ」
「攻撃系、って」 カガリが不思議そうな顔をした。「他にもなんかあるのか?」
「キラは『ストライク』の他に能力強化系の『フリーダム』、イザークには攻撃系と広範囲攻撃系の『デュエル』と『スラッシュ』、ディアッカには砲撃系と超長距離砲撃系の『バスター』と『ガナー』がありました」
「アスランは?」 カガリはきょとんとして尋ねた。
「彼はすこし特殊ですわ」 ラクスは困ったように笑った。「防御系の『イージス』を多用するようですが…それ以外になると…。使っているのを見たことがあるわけではありませんが、『ジャスティス』という能力強化系の命令文もあるようですわね」
「へぇー」 あまりよく判っていない顔つきでカガリは相槌を打った。「でも、何で命令文なんてものが必要なんだ? 魔法を使うときには呪文がいる、みたいなお決まりのパターンなのか?」
そんな彼女の様子を見てラクスは苦笑いした。
「キラから力が感染したマイノリティが自分に宿る力を行使するためには、母体であるキラの闇に呼びかける必要があるのです」
「呼びかける?」 カガリはまたきょとんとした。
「『力を貸してください』とお願いするのです」 ラクスは笑んだ。「ですから皆さんが詠唱する命令文は、すべてキラへの呼びかけから始まります。もちろん皆さんそれぞれキラへの印象は異なりますから、命令文もバリエーションが豊富なのですよ」
「キラも、自分のことを最初に口に出す必要があるのか?」
「ええ。キラの場合は自分の中に宿っている闇のことを、直接たとえて口にするようですが」
カガリはフーンと頷いて、何かを想像するように視線を上げた。脳内構造が割と単純な彼女は、何事もまずイメージから入る傾向がある。ラクスはそんな彼女の様子に微笑んだ。
そして、隣にいるこの男はどうなのか──。
「デュランダル議長」 ラクスは言った。「この命令文が、どうかされましたか?」
デュランダルは答えなかった。うつむいてあごに指をかけ、真剣に何かしら考えている。もはや今のラクスの言葉も耳に入ってはいないだろう。顔を見合わせて不思議そうな表情をする女たちに、レイが『気にしないで下さい』とフォローを入れている。
栄光の輝き──。デュランダルは何度もその命令文を頭の中で復唱した。
栄光の輝きに裏打ちされた、闇──。
「──そうか…」
デュランダルは不意に思い出した。キラが『何』であったかを。
キキィィィーッ。突然、何の前触れもなく急ブレーキが踏まれた。一瞬で我に返ったデュランダルは、慌ててバランスを崩した二人の女の肩を抱いて自分の方へ抱き寄せる。
「レイッ」 彼は言った。「どうしたのかね!」
運転席の少年を見るつもりで前方へ視線をやって、デュランダルは絶句した。
レイは申し訳なさそうに彼を振り向いて見ている。しかし問題はその向こう──フロントガラスのさらに先だった。割と立派な木製の、ペンションと呼ぶに相応しい小さな家が森の中にぽつんと立っていた。あれがカガリの言った休暇用の秘密基地というやつだろう。
その家を取り囲むように、武器や防具を身に付けた男たちが待機していた。手には拳銃やライフル、マシンガン。防弾ベストに保護色のヘルメット──まるで特殊部隊のような出で立ちだ。すでに彼らは、手にしたその武骨な武器を、皆が乗る車の方へと向けている。
イタタタ、と呻きながらカガリが、頭をかばいながらラクスが身を起こす。そして何事なのかと顔を上げて、二人の男が見ている光景に、同じように絶句した。
「…読まれていたようですね」 レイが言った。
それはオーブ軍の者たちだった。
NEXT..... (2005/07/13)