GET LIMIT 36.逃走
一体誰があの一部始終を見ていたというのだろうか。オーブに戻ったアスランを待っていたのは、アスハ代表誘拐共謀者の友人というとんでもない立場と、政府関係者の白い目だった。
ただでさえ最大の信頼を寄せていたはずのキラから意識も飛びそうになるくらいの一撃を食らわされ、シンと手に手を取って仲良くトンズラされたというのに、オーブの者たちはそんなかわいそうなアスランの立場や心中を知る由もない。官邸の廊下を歩くだけでガードマンたちが蔑んだ目で彼を見、ひそひそと聞こえよがしの音量で会話をした。
この冷たくさめきった空気の官邸内での唯一の救いといえば、仲間が客間に全員集まっていることくらいだ。しかしイザークとディアッカはベッドに腰かけてあらぬ方向を見つめ、ラクスはチェアに座ってじっと床をにらんでいるのだが。
このままいくらでも時間なんて流れていきそうだ。アスランはといえば、床にぺたんと座り込み、壁を背にして項垂れているだけだ。一言も発しないその様子は、死んでいるようにさえ見えてしまう。
デュランダルへの報告を考えるとさすがにキラがシンに攫われた、などと保守的な嘘は言えるはずもなく、だからあるがままの出来事を報告したのだが、その途端、その場にいたオーブ政府の人間によってキラはシンの共犯者というレッテルを貼り付けられてしまった。キラがシンのカガリ誘拐に一体何の手助けをしたのか、誰でもいいから呼び出して問い質してみたいところだったのだが、アスランたちの反論は完全に黙殺されることになり彼らにはただ謹慎令だけが下った。
ミリアリア・ハウの処置については彼女の回復を待つということで保留状態になっているようだが、今の状況下ではそれがどう変わることになるか想像もつかない。下手をすれば、知らないうちに彼女が政治犯として逮捕されている可能性もあるのだ。
窓の外からチュンチュンと小鳥の声が聞こえてくる。この世で一番平和な音声。何度目かの朝が訪れた。
室内にさわやかな光が差し込んできても一同はぴくりとも動かなかった。戻ってからの数日間、ずっとこの部屋でこんな状態でいるわけだが、誰一人として一睡もしていない。意地ではなく、ただ本当に眠れる状態ではないせいで。
「…キラは」 ラクスが言った。「きちんと寝ているでしょうか…」
誰も何も言わなかった。みんなそれぞれ思うことはあるだろう、しかしそれを言葉にするだけの技量がなかった。数日間の思考を重ねてやっといま、ラクスがその気持ちを言葉にすることに成功したのだった。
そしてラクスの言葉が手本になったのか、それぞれが動きを見せた。うつむいていたイザークが顔を上げ、ディアッカはアスランを見た。アスランは気だるそうに頭をもたげて、すこし乱れた前髪に力なく指を通す。
「ちゃんと飯食ってんのかな、姫さん」 ディアッカが言った。
「あのドジ、怪我とかしてないだろうな…」 イザークが言った。
誰もが疲れきった雰囲気の中、それぞれがそれぞれの気持ちを口にする。そして彼らはアスランを見た。今にもその身体から魂が出て行ってしまいそうなくらい消沈した男を。
アスランはそんな一同の視線から逃げるようにすっと首を横へ向けた。心なしか、その表情はムスッとして不機嫌なように見えなくもない。
そんなアスランの顔つきを見て、彼以外の者たちは顔を見合わせて肩を竦めたり、笑ったりした。キラに裏切られて失意のドン底かと思いきや、きちんと感情が生きている。彼が何も言葉を放たないのは、何か一言でも口に出せば、ここまで練り溜めた『何か』が一気に消えてしまうかもしれないという危惧が働いているせいなのだ。
「カガリさんも、そろそろ政府に戻られる頃ですわね」 ラクスが言った。
「アスハと議長が揃えばこの状況も少しは変わるだろう」 イザークが溜息と共に言った。「せっかくここまで何の力も使わずに大人しくしててやったんだ、自由にしてもらわないと困るがな」
困るというより暴れ出しそうだ──。ディアッカはそう思いながら口に出さなかった。
コンコンッ。小さく迅速なノックの音がした。
室内の、アスランを覗くメンバーが視線を交わらせる。ようやくカガリかデュランダルの指示を受けた使者が皆を呼びに来たか、それともあの若い首長が今度こそイザークから拳の一撃を貰いに来たのか。あらゆる事態を想定しながら誰も動かない中、間を置いて立ち上がったのはディアッカだった。
そっとドアに近付いて、開く前に声をかけてみる。
「──どちらさん?」
『レイ・ザ・バレルです。皆さんにお伝えしたいことがあります』
妙な緊迫感を持つ声だった。ディアッカは自然と、自分の上官であると共に良きアドバイザーでもあるイザークに視線を投げる。イザークも視線だけで友人を見ていた。息が詰まりそうな間があって、イザークはコクンとひとつ頷いた。
刑事ドラマでも今時それほど使われないレトロなやりとりのあと、ディアッカの手で開かれたドアの向こうには、確かにレイが立っていた。同じ軍部の同志を見て、二人はピッと敬礼を交わした。
「失礼します」
レイは言うと同時に一歩を踏み込み、急いで後ろ手でドアを閉めた。壁際でアスランが、窓際でラクスが顔を上げて不審そうな表情を浮かべている。
「間もなくオーブ政府より、あなたがたに拘束令が出ます」 レイはさらりと言った。
「はっ?」 イザークの目が点になった。
「あなたがたはアスハ代表誘拐事件の犯人に加担したとして処理されます。のちに、キラ・ヤマトならびにシン・アスカも国際指名手配がかかるでしょう。……あなたがたは政治犯として、世界に知れ渡ることなる」
「な、んだそれはっ!」 イザークが叫んで立ち上がった。心外もいいところだ、何の事情も知らないくせに──。「議長はそれに対して何とおっしゃった! アスハはどうしたっ! 俺たちは、……俺たちはっ」
言葉が詰まる。その先がどうしても出てこなかった。奥歯を噛み締めて口を閉ざしたイザークの、握り締めた拳がぶるぶると震えている。
「オーブ政府の皆さんがとった行動は、正しいのかもしれませんわね」 ラクスが言った。
信じられないものを見るようにイザークが彼女を見る。この状況でこの事実を聞かされ、一体何が正しいものか──イザークの表情は如実にそう語っている。
だが、確かに正しいのだ。『超能力』というものに一片の理解も知識もない政府連中は、オーブ国内全域にミリアリア・ハウの捜索網を広げていたはずだ。しかしミリアリアはもちろん、カガリも、そしてアスランたちもキラもシンもオーブはいなかった。超能力行使でしか到達できない、前人未到の別世界に存在していたのだから。
そしてそこで、彼らはカガリとミリアリアを救出した。そして首長たちを皆殺しにした上、彼女たちを恐怖に叩き込んだ張本人、シン・アスカと共にキラ・ヤマトは逃亡した──。
国中に広げていた包囲網のどこにも引っかかることなく全てを成し終えてきた者たちの報告など、一体誰が理解するものか。むしろ国家転覆を企んだテロリスト、とまで言われても文句は言えない。
それは、彼らは代表までは殺せなかったにしろ首長連中を全員殺せたことでそれなりに満足してカガリを開放し、そして主犯のシンとキラを遠くへ逃がして、自分たちはさも無関係なように見せかけて帰国し、代表救出者として英雄になる──そういう計画だと疑われることになったとしてもだ。
元プラントのヒーローであるアスラン、現役のザフト軍人であるイザークとディアッカ、そしてプラントの重要人物たるラクス、彼らには唯一にして絶対の共通点がある。それはコーディネイターであることだ。ナチュラル至上の政府中心者たちからすれば、この事件はむしろこう考える方が自然すぎたのである。
全員がグルだったんだ──。
レイは皆の表情に突き抜ける、今だかつてない緊張を見渡して言った。
「あなたがたが拘束されたあとは、現在は代表代行の立場にある議長までもが、テロリストのブレインとして摘発されることになるでしょう。こうなればアスハ代表の発言には誰も聞く耳を貸しません」
「──だろうね」 ディアッカが震える声で言った。「言っちゃナンだけど、アスハ代表は名ばかりってトコも多々あったわけだし? 下手すりゃ俺たちの古い友達ってことで、代表まで仲間だとか疑われることにも…。今まで散々、議長と研究所ごもりなんて真似してたんだしな」
「その、デュランダル議長はなんと?」 ラクスが尋ねた。
「議長は最後までオーブ政府の説得にあたりたい、と」
「無駄だ」 イザークが一蹴した。「アスハの言葉が通じない連中に、コーディネイターの親玉の言葉が通じるか」
「逃げる? みんなで一緒に?」
ディアッカが一同を見渡した。しかし誰もがそれしか頭にないだろうに、同意する者は一人とていなかった。
無理に決まっているのだ。超能力でも使えば確かに一瞬だ。短距離テレポートさえ行なえば、皆はすぐにでも街中に飛んでいける。逃げ出すこと自体は驚くほど簡単だが、問題はそのあとなのだ。
逃げて、そしてどうするのか。ひたすらに皆の口を重くしている要因はそれだった。無言の逃亡ほど都合の悪い行動はない。何せ残された者たちはその真意を好きなように想像し、または妄想して自分たちで組み上げることができるのだから。罪に問われる者の逃亡は、それだけで罪の肯定に繋がってしまう危ういものだ。やってもいない犯罪の濡れ衣を着せられた状態で逃亡することに何のメリットもない。
まさに八方塞だった。──だが。
「レイ。君と議長の脱出路は確保できているのか?」
全員がはじかれたように同じ場所に視線を集中させた。
いきなり何の期待も希望もない、逃亡という第一歩を踏み出す一言を放ったアスランという男に。
「…はい」 レイは言った。「どれほど重大な事件であれ、国民に気取られぬようにと政府は最小限の動きしかとれていません。逆に言えば今が一番警備の薄い時でもありますので」
「それならいい」
「おっ、おいっ、アスランッ」
立ち上がったアスランにディアッカが慌てて声をかける。これではみすみす政治犯の名を背負うようなものだ。きちんと考えればきっと何か活路はあるはず、今はむやみに動くべきではないはすだ、そう思って。
「俺は行く」 アスランはきっぱりと言った。「今更なくして怖い立場もモノもないんだ」
室内がシーンとした。アスランが何を言っているのか判らないのではなく、判りすぎるために。
「…言われてみればそうだな」
今度はイザークが妙なことを言い出した。残ったものたちは黙って、とうとう後戻りできなくなり始めた二人を見つめている。
「所詮、今の俺たちが何を言っても無駄、それなら何をしても同じことだ。それなら俺はただ黙ってナチュラルどもの自己満足のために政治犯にされるより、姫の捜索のためにここから逃げて罪を背負う方を選ぶ」
「まぁ、イザークは俺の上官だし?」 ディアッカがハーッと溜息を吐いた。「隊長がそうするってんなら、俺はその作戦行動に従うだけさ」
ぽつぽつと意見がまとまりつつある。そして同志となった三人とレイが、ラクスを見た。憂いを帯びる表情で、床に視線を落としている彼女を。
「ラクス・クライン。あなたはどうされるのです」 レイが言った。「こんなことを申し上げるのも何ですが、あなたがここにいれば、それこそあなたを支持する全プラント国民を失意に追い込むことに──」
「わかっています」
それ以上言うな、というようにラクスは言った。そして長い沈黙を置く。彼女が何を考えているのかは知れない。だがひとつだけはっきりしているのは、ここで長時間もたついているわけにはいかない、ということだ。
「わたくしは──」 ラクスは絞り出すように言った。
「わかっているよ」 誰が何を言うよりも早くアスランが言った。「カガリのことは、頼む」
「…はい」
憂いの中でも強い何かを宿した瞳で、ラクスはひとつ確実に頷いた。
カンカンカン、と金属製のタラップを黒の革靴が駆けていく。レイはラクスと共に、オーブ軍のモビルスーツ格納庫の展望ブリッジの上を迅速に、そして的確に目的地へ向かって走っていた。
時折ふり返っては、きちんとラクスがついてきていることを確かめる。戦闘訓練など受けたこともない彼女だが、今はレイの足手まといにならないように一生懸命なのか、引き離されそうになるとわずかだけ足を浮かせ、短距離の高速移動を行なっている。
「便利ですね」
壁際で通路の向こうの気配を探りながらレイは言った。
何度目かの高速移動から床に戻ったラクスは寂しそうな笑みを浮かべて応える。
「叶うのなら、わたくしたちはこんな能力で人間離れした行動を起こしたくないのですが、今はそうも言っていられませんわね」
「こちらです」
レイは細い通路を横切ると、鉄製の重いドアを押し開けた。ギィィ、と錆のこすれる音がしたその先は、二つの格納庫に挟まれた、もっと小さな裏路地だった。
扉の開く音を聞きつけたか、そこにいた二人の人物が振り向く。長い金髪をすっきりとひとつにまとめたオーブ軍の制服を着た少年が、レイとラクスの前へ歩いてくる。
「やぁレイ、ラクス。来たか」
声を聞いてラクスは驚いた。少年かと思いきや、その軍人はカガリだ。腰まである長い髪はどうやらカツラを使った変装らしい。
だがその向こうにいるデュランダルは違っていた。服装こそ私服と呼べるものを着ているが、誰が見てもプラントの議長様だと一目で判ってしまう。さすがに性別をごまかすことも、トレードマークともいえる長い髪を隠すこともできなかったようだ。とりあえずサングラスで目元だけは隠しているが、その姿はマフィアのボスと言われても何の文句も言えないものだった。
「ラクス・クライン」 デュランダルはサングラスをとりながら言った。「私の力が及ばなかったせいでこんなことに……申し訳ない」
「──今は誰の責任を問う場面でもありません」 ラクスは言った。「まいりましょう。わたくしたちには時間がないのですから」
「ありがたいお言葉として受け取っておきましょう」 デュランダルは笑んだ。「ミリアリア嬢のことはご心配なく。すでに私の部下が病院から連れ出している頃ですから」
「もうすぐこの先を、私が手配した軍用バスが通る」 カガリが路地の出口を指して言った。「まずはそれでここから出よう。行き先は私にアテがある」
と、ラクスの目に、カガリが持っているアタッシュケースが入ってきた。着の身着のままの他三人と違ったその手荷物からは、ごくごく微弱ではあるがキラの気配を感じた。
「カガリさん」 ラクスはアタッシュケースを凝視したまま言った。「それは、何ですか?」
「ああ、これか」 カガリはヨッとケースを持ち上げて両腕に抱いた。「──血だよ」
一瞬、時間が止まる。この刹那でカガリ言葉の真意を全員が察したのではない。
「キラの血だ」 カガリは噛み締めるように言った。「ウチの施設で、あいつの超能力データを採取する実験、やったことあっただろ。そのときにサンプルで採ったやつさ。厳重に封をしておかないと勝手に動き出すから、放ってくることもできなかったんだ」
ハ?…と表情を強張らせたのはレイだけだった。
それはそうだ。カガリがいま言ったことは完全に常識を逸脱していたのだから。
『勝手に動き出す』──。彼女は確かにいま、そう言った。
「レイ。キラ君の肉体に宿っている『闇』が、バラバラになってもまた再結合できることは知っているだろう」 デュランダルが言った。「それは彼の血液、肉片であっても同じなのだ」
「そうです」 ラクスが言った。「ビンに詰め、蓋を閉めて封をかけておかなければ、それは勝手にキラの身体へ帰るため、動き始めてしまうのです」
「驚いたもんだよ」 カガリが苦笑いした。「あの実験をやってからもう何年も経つのに、コイツはまだちゃーんと生きてるんだから」
レイもまた、ラクスと同じようにカガリが持つケースを凝視した。話を聞いたり報告を見るだけなら他人事だったのだが、こうして間近に現物を持ってこられてみるとゾッとする。
生きて、肉体へ帰る意思を持った血液がいまここにあるなんて。そしてそれはあのケースの中で、いまも──。
「帰せなかったのですか? それを、…彼に」
レイはつい、尋ねてしまってからハッとした。自分の業務から外れた興味本位な質問をしてしまっている。いまの自分の仕事は、デュランダルとカガリとラクスが、無事にここから出られるように援助をすることなのに──。
「…いえ、失礼しました。──お聞き流しください」 レイは慌てて付け足すように言った。
「いいさ、バスが来るまでにはすこし時間があるんだ。話でもしてないと気が保たないだろ?」
みんなの、というよりは自分の緊張をほぐしたいらしいカガリがパタパタと手を振った。
「今はこんな状況だから無理じゃないか? 前は前でデータをとらなきゃいけなかったから帰すこともできなかったし…それに封を解除した状態で勝手に帰らせるにしても問題が多すぎたんだ」
「何故?」
「…万が一、廊下でも徘徊されてみろ。誰かに目撃されるだけならまだしも、下手をすれば新しいマイノリティが誕生することになるんだ」
カガリの返答にレイの時間がまた止まる。
「えっとな」 カガリは首を傾げた。「キラの血や肉は、人間に取り込まれると耐性・適性のあるなしに関係なく、無条件に対象をマイノリティ化させてしまえるんだ。そうでなかったらこんなホイホイと、キラに超能力者の仲間ができるワケないだろ?」
言われてみればそうだ。そしてそもそも疑問に思っていたことだった。キラの知り合いが揃いも揃って『闇』に耐性や適性を持ち合わせている者ばかりだなんておかしい、と。
そういうことだったのか──。
「カガリさん」 ラクスが言った。「バスがまいりましたわ」
離れたところからエンジンの音が聞こえる。だんだんと近づいてくるその音を聞きながら、レイは目を閉じて思った。
やっぱりあれは化け物だったんだ──。
NEXT..... (2005/07/10)