GET LIMIT 35.思惑
遠くで暴走族まがいの少年たちが走らせるバイク音がこだまする。週末ともなると近隣の迷惑もお構いなしで走り回っては警察車両に追いかけ回され、一部にはそれが楽しみになってしまうタチの悪い者もいるくらいだ。
今日もパトカーのサイレンがバイクの走行音に続いて通り過ぎていく。近所のマンションや住宅街の住民たちは真剣に引越しを考え、マンションの家主たちは明日の朝イチで警察に並べ立てる文句を考えているかもしれない。
騒音はそれだけで人間の頭を狂気や混乱に陥れる効果がある恐ろしいシロモノだった。
「…冷えるな」 アスランは言って、いつものジャケットではないコートの前をきゅっと合わせる。
場所は東京多摩市、都立桜ヶ丘公園。大きな道路に左右を囲まれた広い公園だ。コースを外れれば深い茂みがあちこちにあり、そういう場所に死体が捨てられていても、まず誰も気付かないかもしれなかった。
シンから送られてきたメールの添付ファイルに、この公園を遠くから捉えた映像が入っていた。
ご丁寧にも街の名前までもがはっきりと判るように車道側から信号機がフレームインするように撮られている。明らかにメールの受取人に『ここへ来い』と言っているようなものであり、文面を見ればキラの名前が入っているのだからキラが読むに決まっていた。
そして今どきの携帯電話は、写真を撮るとそのファイル名として日時が入るようになっている。添付ファイルの撮影時間は深夜の二時だった。誰が好きこのんでわざわざ見えにくい映像を送るものか。要するにキラとここでこの時間に会いたい、というメッセージなのだ。
「アスラン、やっぱり君は隠れてた方が…」
キラは言った。真冬の東京だと言うのに、その服装はまったく普段と変わりがない。来るべき瞬間に向けて心身ともに高揚して、コート要らずな体温になっているせいなのだろうか。
「万一、おまえがいきなり襲われたらどうするんだ」 アスランは言った。「あいつの攻撃力は知ってるだろ。一瞬が命取りになるんだぞ」
「そうだけど…君が一緒にいたら、シン、来ないかもしれな──」
ふ、と。キラが言葉を切ってどこかを見た。見えない何かが見えたように、聞こえない何かが聞こえたように。森の木々がたわむれにキラに声をかけたのかもしれなかったが、キラはどこでもない、ただ虚空しかない場所をじっと見つめていた。
「ミリアリアとカガリが来る」 キラは言った。
アスランがその真偽を確かめようとして首をめぐらせると、ガサッと木々が揺れた。冷たい空気を揺らして、空から降ってきた二人の女が二人の男の前に着地した。
ガムテープでぐるぐる巻きにされた両手と布きれで無造作に覆われた目元が痛々しかったが、カガリは生きていた。ミリアリアの片腕にしっかりと捕まっているはいるが、カガリは生きてそこに立っていた。
「ミリアリアッ」 キラが呼んだ。
「カガリッ」 アスランが呼んだ。
「キラ? ア、アスランッ?」 カガリが唯一自由な口で男の名を呼んだ。「すまない、わ、わたし──」
「いい、カガリ。何も言うな」 アスランは優しく言った。「今、助けてやるから待ってろ」
カガリが震える唇をぐっと引き結ぶ。泣き出しそうになるのを必死で堪えているようだった。
情けない、情けないわたし。こんなときまでアスランに迷惑ばかりかけて──。
「ミリアリア、僕がわかる?」 キラは言った。「僕に会いたかったんだろ。僕はここにいるよ」
「…キラ」 ミリアリアが呟いた。相変わらずその目はどこを見ているともしれない。「どこなの、キラ…近くに来て、わたしの傍に来て」
言われるままに一歩を踏み出そうとするキラの肩に、アスランがぐっと待ったをかけた。
「説得した方がいい。もしこれでおまえまで捕まれば、こっちは完全に打つ手ナシだぞ」
「わかってる。でも、危険な力を持っているのはミリアリアじゃない。それにシンは近くにいない…それだけはわかるから、大丈夫だよ」
アスランの手をほどいたキラが一歩ミリアリアに近づく。ざり、ざり、と砂粒が彼の重みを受け止めて緊張感のある音を作り出している。
「来たよ、ミリアリア」
キラは言った。あと一歩で届く、その距離で足を止めて。カガリもそんなキラの声が聞こえているに決まっているが、必要以外のことはもう何も言わないようにしたようだった。
「カガリを離して。僕はここにいるよ」
「キラ…ああキラ、うれしい…」
す、とカガリの肩を捕まえていたミリアリアの手が離れた。そしてカガリ自身からも離れて、ゆっくりとふらついた一歩を踏み出してくる。
キラはこの瞬間を見逃してはいなかった。
「──みんなッ!」 キラが叫ぶ。
夢から覚めたように急激に状況が動いた。アスランが地を蹴って走り、ミリアリアの背後の茂みからイザークとディアッカが飛び出してくる。ミリアリアは抵抗の間もなく二人の男に取り押さえられ、カガリはすぐさまアスランの腕の中に救助された。
物々しい一瞬の爆発が永遠の時間に感じられる。しかし次の瞬間には、もうそれは終わっていた。妙な力を使うこともなければ、ひょっとしたらミリアリアが命じられていたかもしれない、万が一のときの自殺命令も実行されなかった。
静かな夜は静かなまま過ぎていった。
「アスハは落ち着いたか?」
イザークが紙カップに入った温かいコーヒーを持って、アスランとカガリが座っているベンチの前へやってきた。
カガリは顔色こそあまりよくないが、ショック状態も何も、悪い症状はひとつも起こしていなかった。唯一障害があるとすれば、数日分の絶食を強いられたせいですこし衰弱が目立ったくらいだ。
ほら、とイザークの手から差し出されたカップを、カガリは両手で受け取った。
「すまない…ありがとう」
「オーブの指揮系統は大混乱だ」 イザークは言った。「早いとこ戻って体勢を立て直した方がいい。休んでるうちに大西洋連邦に乗っ取られるぞ」
「イザークッ」 アスランが眉を寄せた。
「いや、いいんだ」 カガリは言った。「次にやることが控えてるくらいが、わたしにはちょうどいい。ゆっくり休むってのは苦手だ」
カガリは心配そうに自分を見る男に弱く微笑んだ。暗い場所のせいだろうか、そこには強さともろさが共存しているようにアスランには見える。
そんな彼女はふと、自分を囲んでいる男たちの顔を見回して言った。
「キラはどうしたんだ? ディアッカも…」
「ディアッカはミリアリアをオーブの病院に搬送した」 アスランが答えた。
「姫はまだ自販機のところにいたぞ。何を買うかやたら悩んでいたから、俺だけ先に戻ったんだ」 イザークが事も無げに言った。
「危ないな。こっちの都会は変質者が多いんだぞ」
「心配するな。姫が相手なら変質者の方が泣いて逃げ出すさ」
イザークは手をひらひらさせて他人事のように言った。
えらい言われようだがその通りだ。そうでなければ極めて夜型の体質であるキラが、この世界のこの都会の中で何年も生活できていたはずがない。人間が抱く悪意に耐性と理解があるからこそ、キラはその悪意の権化に当てはまる変質者にはさぞかし容赦がなかったことだろう。
想像してみると、キラよりもキラという少年に目をつけたオッチャンたちの方が可哀相に思えてくる。アスランは苦笑いを浮かべながら立ち上がった。
「様子を見てくるよ。イザークはカガリを頼む」
「おう」
同僚の受け答えを背に、アスランは小さな街灯の明かりの中へ出て行った。
遠くではまだ若者たちが単車を転がしているらしい。むき出しのエンジン音がやたらにうるさい。そんな冷え込む闇の中に、これまた冷たい白い光がぼんやりとわだかまっている。公園に設置された自販機だ。
ぽつんと黒い影が立っていた。キラだ。何を買うともなく、何を選ぶともなく、ただ陳列された商品のモデルをじーっと眺めている。
「キラッ」 アスランは声をかけながら彼に近づいた。「何やってるんだ。今更コーヒーの好みでも変わったのか?」
「…うん…」 キラは曖昧な返事をして笑った。
その表情になにか引っかかるものがある。アスランは歩くペースを変えないまま進んでキラの横に立った。
「…どうしたんだ。シンのこと…やっぱり気になるのか?」
核心の問いにキラは答えない。いつか一緒に星空を見上げた日と同じ顔をして、他に見るものがなくなったように自販機を見ている。
さすがなこんな寒い夜に飛んでいる虫はいなかった。
「もうすぐ二時だな」
アスランは時計を見た。本当にあのメールが約束のメッセージを告げるつもりのものなら、そのときにはシンがここに現れる。ミリアリアとカガリを先にここへ向かわせ、その混乱に乗じて現れるかもしれないと危惧はしてみたのだが何事もなかった。
ただのハッタリだったかのかもしれない。自分がそこに現れるようなふりを見せて、結局は最後まで一度も姿を見せない。どこの世界にもある犯人の行動だ。出てくることを予告して本当に出てきて捕まったバカな犯人なんて、そういるものではない。
犯罪事に走る限り、人間はどんなに愚かであっても、自分が捕まらないよう身を守る手筈だけはそれなり以上に整えるものなのだ。
「…アスラン…」
キラがアスランを見た。その切ない声に思わずドキリとする。
「何があっても、僕のこと、信じていてくれる?」 キラが続ける。
「信じる…って。どういう意味だよ」 アスランは言った。「どうしたんだキラ?」
言葉の趣旨がなかなか見えなくて首を傾げるアスランに、キラはすっと近づいた。正面から身を寄せてくる。アスランの鼻先に、なにものにも飾られないキラそのものの匂いがした。小さい頃からよく知っている甘い匂いに誘われて、アスランは自然と両腕をキラの背に回した。
女のそれのように柔らかな感触がするわけではない。しかし愛しい者を腕に抱くのに性別なんて関係ない。アスランはぐっと腕に力を入れてキラを抱いた。
「アスラン…」
キラが耳元で呟く声の、何と甘いことか。この場所が場所であったならもっと別の選択肢があったのは間違いない。
「──ごめん…」 キラは、そう呟いた。
アスランの息が止まった。身体から力が抜けて、ガクンと膝が折れる。
「キラッ…」 よくも、というように呼ぶがもう遅い。
アスランの腹に叩き込まれたキラの拳は、的確に急所位置を捉えていた。
「ごめん、アスラン」 キラは崩れるアスランから数歩後退しながら更に言った。「ごめんっ…やっぱり僕は、あの子を見捨てられない」
オォン、と近いところで響く重低音が聞こえた。今日、この時間になって嫌というほど聞いた音だ。まさか、と本能が訴える。アスランは渾身の力を振り絞って立ち上がると、もつれそうになる足を無理やり進ませてキラを追った。
この公園は西側と東側で大きな道路が通っている。キラはまっすぐに出口から道路の方へ向かって走った。大通りの真ん中へ飛び出した彼は素早く左右を見回す。何かを探すように。
オオォン。またあの音がした。キラとアスランは同時にその音がした方を見た。
一台のバイクが視界に入ってくる。それは真夜中なのをいいことに信号無視を前提にした猛スピードで、まっすぐ公園前を横切るこの大通りを走って──いや、問題はそこではない。
「キラーッ!」 アスランは叫び声を上げた。
バイクに乗っているのはシンだ。一方的な約束の時間の通りに、彼はここに現れたのだ。
点灯しているヘッドライトが路上へ飛び出したキラの姿を闇の中に浮かび上がらせ、バイクは更にスピードを上げて彼へ向かって突っ込んでいく。
このままはねられて終わりだ、そうに決まってる──。
と、シンが右腕をハンドルから離して中空に広げた。右折します、というサインのように。同時にキラが地を蹴った。ほんの軽いジャンプだった。一秒もないうちに地面にまた戻っているくらいの。
だからこれはコンマ数秒の出来事だ。
何十キロというスピードの中で伸びたシンの右腕が、一瞬だけ地から離れた相手の身体を攫う。衝撃に耐えるようにキラが両腕で相手の身を強く抱く。予期しない体重が一気にかかったときこそバランスを崩しそうにはなったが、しかし転倒することはなく、そのまま何事もなかったようにバイクは公園前の大通りを通過していった。
それも、アスランが見ている目の前の、だ。
彼は呆然とその場に立ち尽くした。バイクのエンジン音はすでに遠い。そして同じくらい遠いところから、仲間たちが自分を呼ぶ声が聞こえた。
アスラン、どうしたんだアスラン──。
「何を…」 アスランは気の抜けた声で呟いた。「何を信じろって言うんだ、キラ…」
ついさっきまで互いの存在を確かめ合っていたはずの腕の感触が、今はとてもむなしかった。
「なに考えてるんですか。おれがその気だったら、そのままはねられて死んでましたよ」 シンは言った。
公園前を通過したときよりはスピードが落ちているが、それは背後に大人しく座っているキラにきちんと声が届くようにと考えてのことのようだった。
バイクはまっすぐに、公園を北側に抜けたところにあるニュータウンへと向かっている。
「ごめん」 キラは言った。
「あなた、謝ってばっかりですね」
「…ごめん…」
「いいですよ、結果的にはねてませんし。けど、よくあれだけで、あの道のあの位置だって判りましたね」
「…公園を指定するなら、園内の有名なモニュメントとか建物とか、そういうものの映像でよかったんだ」 キラは言った。「けどあの映像は公園前の道路で…それをずっと向こうまで突き抜けるみたいに撮られてた」
「へぇ」
「何となく、君は『その方向』から『その方向』を向いてくるんじゃないかって思ったんだ」
ウァァァン。対向車とすれ違うと、強い風の音が耳を震わせる。風はどうしても冷たかったが、キラはその冷たさがちょうどいいような気がした。
「帰ったらゆっくり寝ましょうよ」 シンは嬉しそうに言った。「飯食って、シャワー浴びて。あ、朝まで待ってジャンクもいいですね」
とても先日キラを殺しかけた人間の言動とは思えなかった。その弾んだ声も、つい先日キラに死ねと言い放った人間と同じものだとは、とても思えない。
「うん…そうだね」
キラはシンの身体に回した腕にぎゅっと力を込めた。愛しむように、慈しむように。彼の背中に頬を寄せ、その生きたぬくもりを感じると涙が溢れた。
彼はもう覚悟を決めていた。
この先に待っている、最悪の結末というものへの。
NEXT..... (2005/06/05)