GET LIMIT 34.辛苦
カタカタカタ、とパソコンのキーボードを叩く音だけが部屋に響いている。イザークはじっとソファに座ったまま虚空を睨みつけ、アスランはひたすらパソコンを使って何かの文書を作成している。
「姫は何をしてる」 イザークは言った。
「一人にしてほしいそうだ。イザークも、今は部屋に入るなよ」
「そんなこと言って、おまえ、たったいま姫の部屋から追い出されてきたんだろう」
「………。」
「あの携帯電話、本当にシン・アスカの持ち物だったのか?」
「…ああ。ザフトではシンと同期のレイが証言したんだから間違いないだろ。何なら通信回線使って、他のザフトの知り合いにも聞いて回るか?」
「時間の無駄だ」
「じゃあ俺に確認なんてするな」 アスランはブスッとした。
「その携帯はどうした」 イザークは話を切り替えた。
「キラが持ってるよ。何かの証拠になったりする訳じゃないし、中身も調べてある。キラが持っていても問題ない」
「やれやれ。とんだところでとんだやつの名前が出たもんだな」 イザークは肩を竦めた。「シン・アスカは『あれ』の浸食を受けて正気を失った、ってことなのか?」
「キラは前に、とことんドン底の感情を抱いた人間ならば『あれ』と同化作用を起こせるかもしれない、と言っていた。静岡でキラは、シンの妹の姿になった『あれ』にシンの前でとどめを撃ったと言っていたよな?」
「それはシン・アスカがバカだったせいだろう」 イザークが身を起こす。「死者は決して蘇らん、それが目の前に現れたとき、それは何かの悪い異変でしかない。瞬時とはいえ、それを理解できなかったヤツの──」
「ふつうに考えて」 アスランはイザークを見ずに言った。「俺がシンの立場だったら、きっとキラを激しく憎悪したと思う」
「………。」
「よく考えてやれ。シンは『あれ』のことなんて何も知らなかったんだぞ。もちろん、『あれ』が死者の姿で人をおちょくって楽しむようなやつだなんてこともだ。だったら目の前にいきなり現れた死んだ妹のことを、敵だとか、何かの間違いだとか思えるはずがない。俺だって何も知らないときに『あれ』が母の姿で現れたら、ユニウスの悲劇なんて嘘だったんだ、って思うさ」
「だからシン・アスカは、姫がまた妹を殺したと勘違いしたって言うのか」
「キラがバカだったんだよ」 アスランはさらりと言った。「シンはキラと同じ力を持っていた。だったら何かの拍子でシン自身が『こちら側』の人間になってしまうことくらい容易に想定できたはずだ。『あれ』のことは話しておくべきだったろうに、あいつはシンの機嫌を取ることしか考えていなかった」
「そういう言い方はやめろ」 イザークは眉を寄せた。「姫がみじめになる」
「現実にそうなんだから仕方ないだろ」 アスランは息を吐きながら言った。「だがこうなってしまった以上、またシンと戦闘が起こるのは避けられないな」
「それはいつ起こるんだ? シン・アスカがミリアリア・ハウを魅了したことしか判っていないのが現状だろう。ヤツの所在も、ヤツが今どういう状態なのかも俺たちは知らない。ヤツから身代金要求の連絡が入るのを待てとでも?」
「こっちはもう待つしかないだろう」 アスランはイスを回してイザークを振り向いた。「こちらからシンに連絡をとる方法なんてないんだぞ。頼みの携帯電話はこっちに来てしまったんだから」
「くそ。ますますおちょくられてる気がするぞ」 イザークはがぶつぶつと文句を言う。「で、おまえは何をやってるんだ、さっきから」
「報告書だ。ユウナ・ロマが何でもいいから状況を報告しろってうるさいんでな」
「…議長に代表代行をやらせて、自分は何もしないでダメ出しか?」
「俺に言うな」
アスランは立ち上がった。ハードディスクを操作して一枚のディスクを取り出す。これが報告書だ。紙にして持っていくと、愛しのカガリと親しいアレックス君へのイヤガラセの意味を込めて目の前で破り捨てられる可能性があるので、とりあえずは自室に戻らないと閲覧できない状態で持っていくことにしたのである。
イザークもそれは察したようだ。いくらコーディネイターを認めている国だといっても、官僚の中心にもなればナチュラル至上の主義者が多くなってしまうものなのだ。過去に産出されたコーディネイターたちが絶大な才能をふるうこの時代でも、新しいものはなかなかなじむことができない。
変えようとする力よりも、変わらないでおこうとする力の方が圧倒的に強いのだ。
「おまえ」 イザークは部屋を出ようとするアスランに言った。「いい加減に偽名生活はやめたらどうだ」
「言われなくても、この件が終わったらやめるよ。カガリのSPも…いや、これはもう長期休暇の延長で辞めてるようなものだが」
「…え?」
「これからはキラと生きていく」
あまりの返答に言葉も出ないイザークの前で、バタン、と扉が閉まった。
キラにはひとつの確証があった。だが、それを信じる勇気だけがどこにもなかった。今の彼にできることは、シンが残していった携帯電話をただ握り締め、ベッドに座って俯いていることくらいだった。
ほらみろ、ほらみろ、ほらみろ──。何度も頭の中で自分を責める。何でもっと早くに行動できなかったんだ、予測が確信に変わる前に、何か行動を起こしていればこんな事態にはならずにすんだのに──。
キラは自分の言動に後悔しっぱなしだった。誰よりも臆病で誰よりも利己的な自分がとことん許せなくなるが、それでも彼は自分がかわいい。自分の立場を悪くするくらいなら、状況が悪くなるほうがましだと思っている自分が心のどこかにいる。
こうして後悔に染まって誰も寄せ付けないことで、他人からこの件について責められるのを避けることに成功していることも、また。
「キラ、入りますよ」 ドアの外でラクスの声がした。
キラが何か言うまでもなくドアは開き、そこからひょっこりとラクスが顔を出す。表情はあくまでも優しく、穏やかだ。
「すこし、落ち着いているようですわね」 ラクスは言った。
「…ごめん」
「謝る必要はありませんわ。皆さんも行動を起こせなくて、それぞれ待機中なのですから。何もしていないのは、キラだけではありませんよ」
「そう…」 キラは携帯電話を握る手にぎゅっと力を込めた。「シンから、何か連絡は…?」
「いいえ、何も」
キラは何も続けなかった。ウンともスンとも言わなかった。他人目にはどうみても落ち込んでいるようにしか見えない。が。
「キラ、話してくださいな」 ラクスは言った。「あなたが知っていることを」
「えっ…」
キラはハッと顔を上げた。ぽすん、とキラの隣にラクスが腰を下ろす。彼女は微笑んでいた。
ラクスとカガリの話は、その夜のうちにアスランから聞いた。彼女たちは十分に後悔している、十分に苦しんだから、何もなかったことにしよう──二人はそう決めた。だが今のラクスを見ていると、ほんとうに何もなかったような気さえしてくる。懺悔の夜も、悲しい告白も、虚しい事実も、今までの関係でさえ、なにもかもだ。
彼女は本当の意味でキラのことを振り切ったのだ。ならばキラが取るべき行動は、そんな彼女に恥をかかせないことだけだ。
「…なんか」 キラは言った。「君には何でもバレちゃうね」
「キラのことですから、きっとおひとりで、何か考えているのではないかと思っていましたわ」
「僕は…シンの居場所を知ってる」
「まあ」 ラクスは目を丸くした。
「静岡で事件が起こる直前まで、僕らが住んでた家があるんだ。シンに身を隠す場所があるとしたらそこしかない。…僕の携帯電話…そこのベッドルームに置いたまま忘れてきたんだ。もしシンがあの家にいて、まだあの電話を捨ててなかったら…すぐにでも連絡はとれると思う…。電話をかけても出ないかもしれないけど、メールとか、何かで…」
「そうですか…」
「でも怖くて、できないんだ」 キラは言った。「本当にシンが電話に出たらどうしようって、何か言われたらどうしようって……また、また死ねって言われたらどうしよう、って…」
見る間にキラの目に涙が浮かぶ。言い訳でもなんでもない、本当に怖いのだ。知っている人間から悪意をぶつけられることが、顔も声もよく知っている人間から死ねと言われることが。
何でもないように誰もが使う言葉だが、それは他人に命を絶つことを強要する恐怖の命令だ。多くの命の最期を見てきたキラにとって、そしてここにいるラクスにとっても、この言葉が持つ本当の恐ろしさは痛いほどわかる。
「もう、あんなの、いやだ…」
「キラ…」
ラクスはそっとキラの頭を撫でた。いたわりと優しさのこもった、あたたかな手がゆっくりと髪を撫でていく。キラは母親の手以外に、こんなにも落ち着く手を他に知らない。
「それで」 ラクスは言った。「キラは、どうしたいのですか?」
「えっ…。僕、は…」
「彼と話をしたいのでしょう? キラ、忘れてはなりませんよ。あなたは本当に彼のご家族を殺してしまった訳ではありません。あなたはその姿を模して、彼を苦しめようとした悪魔を退治したのです。そのことをきちんと彼に伝えて、誤解を解かねばならないのではありませんか?」
キラは、遠い場所に忘れてきた財布の存在に今気付いたような顔をした。最悪の言葉によって刻みつけられた恐怖の方が強くて、今の今まで本当のことを忘れていたのだ。
そうだ、僕があのとき倒したのはシンの妹じゃない。『あれ』だ。シンはそれを見て、間違ってしまっただけじゃないか──。
嘘のように恐怖心が消えていく。何かの間違いのように身体が、心が軽くなる。ああ、ラクスがいてくれて本当によかった──。
ピロリロピロリーン。ピロリロピロリーン。場違いな機械音が聞こえた。ラクスがハッとしてキラの手元を見る。キラは自分の手元に軽い振動を感じた。音の正体はシンの携帯電話だった。待ち受けだったはずの液晶が、メールの着信を示す画面になっている。
キラが震える指でファンクションボタンを押すと、ピ、と音がしてメールボックスが現れた。差出人は登録名ではない。ZGMF.X-10A、そのメールアドレスにはこれでもかというほど覚えがあった。キラたちはそれぞれ自分のメールアドレスに、愛機のコードナンバーを入れていたのだから。
僕の携帯からだ──。差出人が誰なのかはもう考えるまでもないそのメールには、添付ファイルがひとつ、ついている。
「…キラ」
促すようにラクスが言う。
ドクン、ドクンと心臓がうるさい。いっそ握り締めて止めてやりたいくらいに鼓動が跳ね回っている。キラはその音を運命のドラムのように聞きながらメールを開いた。
『たすけて』 キラの目に飛び込んできた文字は、彼が想像していたどんな言葉とも違っていた。
『キラたすけて
たすけて
たすけて』──。
キラはもう、居ても立ってもいられなかった。
NEXT..... (2005/06/04)