GET LIMIT  33.発覚


 アスランはもっと凄惨なシロモノを想像していた。壁に飛び散った血のり、床にぶちまけられた臓物、未だ無残に転がっている遺体──そのどれもが、ここにはなかった。

 首長たちがことごとく皆殺しにされた上、代表が誘拐されたなんて話が国外に飛び出せばそれこそ大西洋連邦が意気揚々とやってくるのは間違いない。しかしオーブ連合首長国はひたすらに落ち着いた、平凡な日常が続いていた。ショッピングを楽しむ少年少女、コンビニエンスストアでその日の食事を買っていくサラリーマン。街頭テレビはいつも通りのバラエティやニュースを報道し、そのどこにも凄惨にしてショッキングな先日の事件は存在しない。

 ひとえにこの平穏は、すべてデュランダルの手によるものだった。彼は中央指令者を一挙に失って大混乱を起こしたオーブの指揮系統に飛び入り参加し、その日のうちにあらゆる指示を出したのだ。マスコミの牽制は当然、軍部統制の確立、当日および翌日以降に渡る国内行政の安定化──特に国家に忠誠を誓うものである軍部の統率には時間と面倒がかかるものと思われたのが、そこはトダカという優れた理解力を持つ男によって助力を得られたと聞く。

 そして、そんな彼らによって事件現場の清掃は迅速に行なわれたらしく、会議室には血のシミひとつさえ残されてはいなかった。

「……さすがっていうか」 ディアッカが呟いた。「サスガ通り越して、こりゃコワイくらいだね。本気になったインテリってこんなもん?」

「現役のザフト軍人がそんなこと言っていいの?」 キラが真面目な顔をして言った。

「本人がいなきゃいいのいいの」

「ディアッカ、ここ監視カメラついてるぞ」 アスランが言った。

「えっ! マジでっ?」

「今はもうないみたいだが」

「いじめてんの?」 ディアッカの目が据わる。

「別に」 アスランはふいと視線をはずした。「イザーク、さっそくだが頼めるか?」

「言われなくてもそのつもりだ」

 アスランに促されてイザークが室内へ踏み出した。続いてキラ、そしてアスランとディアッカが踏み込む。血を吸ったのであろうフロアのカーペット、カーテン、壁紙の類いはすべて剥がされ、さながらさびれたスタジオのような感がある。乾いた床のタイルが皆の靴を受けてコツンと高い音を立てた。

 入り口の真正面、部屋の奥の壁に取り付けられた大きな窓がある。ミリアリアはここから出て行った、カガリを片腕に抱いて。

 ゾンビ化した首長たちにさえ襲われなければイザークたちは彼女を取り押さえることができていた。しかし彼女はここから逃げた。重要な鍵を握っているかもしれない人物を取り逃し、下手をすれば今頃は二人の女が取り殺されているかもしれない…そう思うとのしかかってくる責任という重みが、イザークの、そしてディアッカの首を重くする。

 イザークはその重みを振り切るように軽く首を振ると、閉じられた窓へ手を伸ばした。さすがにガラスまでは抜かれていないようで、ぺたりと掌が見えにくい壁にぶつかる。ひんやりとした感触があるが、西向きのその窓からは強い西日が差し込んできていて、すぐにじんわりとぬくもりを持ち始める。

「…姫」 イザークが背後を見ずに手を伸ばす。「意識を増幅しろ。より鮮明に、より詳細に映せるようにだ」

 頷いたキラが、イザークの伸ばされた手に自分のそれを重ねた。ぎゅ、と強く握る。イザークはその状態で目を閉じ、ガラスに触れた掌に意識を集めた。

 ここにいるんだろう? 俺たちがおまえを助けてやる、だから出て来い──。

 照明弾をこの場に撃ったような眩しい光が一瞬はなたれる。あまりの光に目を伏せた皆が再び顔を上げると、窓の前にぽつんと女が立っていた。

 生気のない瞳、ぼんやりとした表情、そしてその服装はすべて、この場にいる者たちに見覚えのある姿だった。

「…ミリアリア・ハウだな」 アスランが言った。

『そうよ…』 女は言った。

 ゆらゆらと女の姿が揺らめく。足元が特に希薄になっているあたりはまるで幽霊のようである。

「ミリアリア」 キラが一歩、前に出た。「僕がわかる?」

『キラ? ああ、キラなの?』

 女はすぐに嬉しそうな顔をして、声の主を探し求めて首を巡らせる。だが彼女の目とキラの目が合うことは決してない。

 彼女はここにいるわけではなく、ここに残された彼女の過去の意識がここに像を結び、キラの力によって精神構造をコピーされているに過ぎない。言うなければここにいるミリアリアは意識のあるビデオテープのようなものだ。

『キラ、どこにいるの…? あなたに会いたい…』 ミリアリアは切ない声で呟くと、ほろほろと泣き出した。

 呼びかけられたキラの表情が痛ましそうに歪む。と、そんな彼の肩にアスランが手を置いた。

「キラ、気に留めるな。『あれ』に侵食されれば『あれ』の影響を受ける。『あれ』はおまえにひどく執着していた、ミリアリアもそうなっているかもしれない」

「…うん…」 キラは頷いた。「ミリアリア、教えて。君に何があったのか。君は『今日』、何をしてどうしたの? 覚えているところまででいいよ、話してみて」

『わ、わたし…』 ミリアリアは俯き、自分の両手をじっと見つめた。『わたし…今日はいつものお店に行くつもりでオーブに来たの。でも…わからないの…。私、どうしちゃったの…? 私、今は何をしてるの…? なにも見えない、何も…なにもわからないのよ…』

 皆が眉を寄せる。言動が不可解だ。『あれ』が芝居を打つにしても、もっと上手くてもっとヘドが出そうな芝居をするはずだ。

「ミリアリア?」 キラはもう一度呼びかけた。

『キラ、どこにいるの…』 女はついにしくしくと泣き崩れた。『ああ、オーブになんか来るんじゃなかった…』

 彼女がとうとう後悔の言葉など呟き始めたところで、その姿はすうっと溶けるように消えていった。彼女の涙と切ない声だけがしばらくその場に残り続けたが、やがてそれもゆっくりと消えた。

「…すまん」 大きく肩で深呼吸をしながらイザークが言った。「さすがに増幅術は消耗が激しい…。すこし休ませてくれ…」

「いや、もういいだろう」 アスランが言った。「何度やっても、多分まともな返答は得られない。ミリアリアの意識自体、かなり混濁しているようだった…」

「自分で何やってるかも理解してない、って、どういうことなんだよ?」 ディアッカが困った顔をした。

 ミリアリアの涙が一番心に堪えたのは、彼女の一番つらい涙を知っている彼だったのかもしれない。

「……魅了…」 キラが言った。

 皆が一斉にキラを見る。

「前にやった僕の能力データを採取する実験で、オーブ軍の人を魅了したときと同じ感想…だったような気がする」

「ミリアリアと症状が一致するのか?」 イザークが尋ねた。

「僕も、そう何回も使う力じゃないからはっきりとは…。あの実験でやったのが最後だったから。でも確か、今のミリアリアと同じようなことを言っていたと思う。自分が何をしてるのか判らなかった、夢の中で自分が勝手に動くのを見てるみたいだったって言う人もいたし、他にはただひたすら暗いところに閉じ込められたような感じがしたって」

「魅了を受けると脳組織そのものがキラの支配下に入ってしまうからな」 アスランが言った。「言ってしまえば、『キラに服従しようとするもうひとつの人格』が一時的に脳に宿ることになるわけだ。その間、その身体の本来の持ち主の脳機能は完全に停止する」

「じゃあアレは、ミリアリアが自分の意思でやったわけじゃないってことだなっ?」 ディアッカが身を乗り出した。

「そうかもしれない」 キラが頷いた。「『あれ』はミリアリアを侵食したんじゃなくて、魅了したんだ。そして彼女を操ってカガリを攫わせたんだ。自分は少し離れたところで、彼女が指示を遂行するのを手助けして」

「……なんで自分で来なかったんだ?」 イザークが言った。

「それは…やっぱり、静岡のダメージ?」 キラがアスランを見た。

「ダメージが残っているなら、あんな、何人も人間を『影』化するマネはできないだろう? 自分でこの計画を実行するだけの体力も回復していないのに、あれだけの人間を変化させるために力を使うのは自殺行為だ」

 アスランが何か言う前にイザークは続けて言った。

「自分は出てこられない理由があったのかな…?」 キラは言った。

 意見だけはいろいろと出てくるが、それらはどれも決め手に欠けている。ただひとつわかったのはミリアリアが魅了を受けていたことだけだ。

 もうすこしで何かがつかめそうなのに、今一歩のところで決定的なことがはっきりとわからない。巧みに覆い隠されたように、故意に切り取られてしまったメモのように、断片的なものばかりが次々に出てくる。皆の頭は混乱していた。

 キラは窓を見た。ミリアリアがカガリを連れて出て行った窓。彼女はここから飛び降り、どこへ消えたのか──。

「ミリアリアは事件の当日、オーブにきていたんだな…」 アスランが口元に手を当てながら言った。「仕方ない、みんなで街へ出て彼女の目撃情報を探してみよう。ステーション以外でこの国に入る道はないんだ、その近辺から当たれば何かわかるかもしれない」

 ステーション近辺の人間が彼女を目撃しているかもしれない──。それは明らかに可能性の少ない話だった。しかしもう何の情報も残っていない。頼みの綱にしていた彼女自身の証言からもこれ以上の収穫はないのだから、こうなったら持久戦に入る他なかった。

 この話をユウナが聞いたら、その間にカガリが殺されるぞと大激怒されるところだ。

 無論、カガリの命に対する危惧はある。急がねばならないこともわかっている。だがこういう事態に焦れば焦るほど、真実や答に手が届かなくなるものだと、アスランはよく理解していた。

「キラ」 指示を出そうとしたアスランが呼びかける。

 が、返事がない。

「姫」 今度はイザークが呼びかけた。

 窓の外を見たままだったキラがエッと振り向く。虚をつかれたように驚いたその表情を見ると、なんだか彼がひどく疲れているように見えた。

「大丈夫か、キラ?」 アスランは尋ねた。

「ああ、うん…気にしないで。大丈夫だから。なに?」

「おまえには官邸に残って、やってもらいたいことがあるんだが…できるか?」

「内容を言ってから聞いてよ」

 キラが口を尖らせる。

 いつものキラの挙動だ。アスランはすこしほっとして肩で息を吐いた。

「おまえにはオーブステーション周辺の監視カメラの管制システムを調査してほしい」

「…ハックしろってこと?」

「ずばりと言うな、聞こえが悪い」 アスランはほとんど開き直った態度で言った。「あのユウナ・ロマのことだ、俺たちが見せてくれと言ってもハイドウゾとはいかないだろう。議長にこれ以上頼り続けるのも気が引けるんだ、すまないが映像を調べてミリアリアの痕跡を探してくれ」

「うん。わかった」

「よし。じゃあ行動開始だ。何かあればそれぞれ連絡してくれ」

「あ、ちょっと待って」

 キラがふと言うと、それぞれ目的の場所へ散ろうとしていた仲間たちが振り返る。キラは申し訳なさそうに顔を俯かせ、みんなの顔を見回しながら続けた。

「ゴメン。僕…携帯電話、なくしちゃったんだ。みんな、テレパシーの受信準備だけしておいてくれない?」



「おつかれさまです」

 仲間たちを見送ってから軽い『朝食』を終え、ノートパソコンを持って官邸の客間に入ったキラを出迎えたのはザフトレッドだった。衛星のようにいつもデュランダルの傍にいて、確か名前は……そうだ、レイという少年だ。

「やぁ」 キラはまず挨拶を返した。「僕に何か用かな」

「はい」 レイは頷いた。「あなたのお手伝いをするようにと、デュランダル議長より指示を受けましたので」

 キラは思わず浮かべた愛想笑いと一緒に身体までガタガタッと崩れそうになった。手伝いをしろと言われてきたということは、デュランダルはこの客間で、これからキラが何をしようとしていたかを知っていたということだ。

 どこまでも行動が筒抜けになっている。デュランダルという男は、洞察力というか、むしろこの場合は直感力というべきものがとことん強いらしい。

「じゃあ」 キラは表情を引きつらせながらも何とか笑みを作る。「僕と一緒に見てもらいたいものがあるんだ。僕ひとりじゃ、いろいろと見逃しそうだから助かるよ」

 テーブルセットに腰かけてパソコンを開くキラの後ろから、立ったままのレイが液晶を覗き込む。パソコンはすぐに起動した。ずらりとデスクトップ画面に並んでいるアイコンがあるが、そのタイトルは、人によっては意外なものかもしれない。

「…なんですか、この日付は?」 レイが尋ねた。

「日記だよ」 キラはこともなげに答えた。「毎日の出来事を書き留めてるんだ」

 デスクトップの半分以上を占めているアイコンは、そのすべてに年代と日付が入っている。古いものはC.E.六十年の五月から、新しいものはつい昨日のものもある。特に閲覧の機会が多いものを中心に並べられているらしく、日付は何年も飛んでいたり、あるいは何日分かが揃って並んでいたりもした。

「几帳面な方ですね」 レイは言った。

「そうでもないよ」 キラは笑って言った。「面倒くさいことは嫌いだしね。でも、こういうのはいつか役に立つと思ってさ。自分でも忘れてることを、こういうものがよく覚えてるってすごいことじゃない?」

「自分はあまり、こういうことをすすんで行ないませんので」

「当番の日の日誌くらい? あはは、僕、小さい頃はそれが苦痛で仕方なかったよ」

「自分の隊にも、よくそういった文句をいう者はいます」

「誰でも似たようなもんだよね。コーディネイターでも面倒なことは面倒なんだもん」

 キラは言いながらも次々にフォルダを開いていく。やがてそのブラウザに何かの入力画面が現れた。キラは手早く数字や英文字を入力していくのだが、何度も何度も繰り返し現れては消えていく。ひとつフォームをクリアするたびに背景がいろいろと変わった。

「…慣れているようですね」 レイが釘を打つように言った。

「あ…うん、まぁ」 キラは苦笑いを浮かべた。指がキーボードを飛び回るスピードは全く変わらないまま。「趣味でやってることだから、誰にも迷惑はかけてないよ? 閲覧したシークレットも口外したりしないし…」

 まったくそういう問題ではない上に、キラの技術力が並大抵のものではないにしろ誰かに侵入されているという時点でそのシステムにとっては大問題なのだが、レイは何も言わなかった。

「…いちおう断っておくけど」 キラはちらりとレイを見た。「これから僕がやることは犯罪行為だと思う。軍人の君にとってはアレかもしれないけど…見なかったことにしてよ?」

「ご心配は無用です」 レイは言った。「自分はあなたの手伝いをするように命じられていますので、あなたに助力することが自分の仕事です」

「ありがとう」

 ポーン、と画面から音がした。キラがキーボードを操作するとオーブの街の光景が映し出される。

 公園で遊びまわる子供たち、その背後で談笑する主婦、メインストリートを往来する車の群れ、あるいはモノレールの車内映像、とにかくたくさんの映像が、小さな画面を分割して流れている。リアルタイムの映像のようだった。

「レイ、これから開く映像の中から」

 キラはまたちょっと操作した。画面の中にミリアリアの顔写真が現れる。

「この女の子がいるか、一緒に見てほしいんだ。とりあえずこの顔写真のデータと照合して、似た顔の子がいる映像をメインに出すから」

「了解しました」

 ぱっ、ぱっ、といくつものウィンドゥに分かれて映像が流れ出す。隅の方に記されている日時は、オーブの標準時間で事件当日のものだ。いくつかのうちのひとつでは、ステーション内部を高速モノレールが行き交い、乗り降りするサラリーマンや学生たちが朝のラッシュ風景を作っている。

「事件があったのは午前の閣議が終わった直後です」 レイが言った。「ミリアリア・ハウがオーブに入ったのは、恐らくその数時間前…」

「ラッシュの時間、ステーションが混み合うことはわかってるはずだから彼女はきっと避ける」 キラはマウスボードの上に指を滑らせた。「ミリアリアがここに現れるとすれば…」

 キラの指がツイッと動くと、映像が早回しになった。人の波というよりも、そろそろ冷えかけた溶岩流のように人間たちが出たり入ったりする。モノレールが飽きもせず走り回り、そしてドアの開け閉めを行なっている。

 遠い過去は同乗する人間によって成されていた運行操作がいつしかコンピュータに任されるようになったのは、いい加減、人間たちもこういった同じ動作の繰り返しが面倒になったせいかもしれない。これに飽きない人間がいるとすれば、よほどこういったものが好きな者だけに違いなかった。

「止めてくださいっ」 レイが言った。「今、この部分にいました」

 彼の腕が伸びてきて画面の一部を指す。キラはほんの一瞬だけ巻き戻して再生した。そろそろ学生の姿もなくなって、遅刻寸前なのか慌ててモノレールから飛び降りた男が転んで鞄を引っくり返す。あたふたと散らばった中身を拾い集める男の横に、すっと降りてきた女の姿があった。

 ミリアリアだ。大きなキャリーバッグをホームにおいて、男の横に一緒にしゃがみ込んで小物を拾い集めている。全部集め終わると、男は何度もミリアリアに頭を下げながら改札を通って行った。

「まだ『まとも』なようですね」 レイが言う。

「…うん。今の人は違うみたいだ」

 ミリアリアは置いてあったバッグを担ぎ直すと、先を行った男と同じように改札を通る。キラは素早くカメラを切り替えた。ステーションから出てくる彼女が別のブラウザに映し出される。彼女がカメラの稼動域から出て行くとまた切り替え、それを繰り返して足取りを追っていく。

 通過していく女子学生の一団、少年、少女、主婦、営業のサラリーマン。

 どれも違う──。キラは眉を寄せて画面を見た。

「こんな時に何ですが」

「え?」 キラは操作を止めて、背後の少年を振り向いた。

「今でなければ、どうやらお話しする機会はなさそうですので。お尋ねしたいことがあります」

「う、うん? なに?」

「シンは生きているのでしょうか?」

 どくんっ。キラの中で大きく鼓動が跳ねた。一瞬、息が詰まる。目の前が急に暗くなって、レイの姿が遠ざかるような感じがした。

 フラッシュバック現象だ──。キラはすぐに自分に起こった異変を察知した。

 シン。その名前を聞くだけでさまざまなものが蘇る。脳の中で鮮明に呼び起これる情報のすべてが、キラの視覚を、聴覚を使って再生される。

「そ、それは」 キラはあえいだ。「まだ調査中で…」

「あなた方はシンと戦闘を行なったとお聞きしていますが、それはいったいどこなのです」 レイは続けて言った。「オーブ国内でそれほど大規模な戦闘が起こったという情報は、我々は掴んでいません。あなた方が『あれ』と称した敵のこともそうです。大人数の怪物化、公共施設の大規模な破壊、動植物の凶暴化──いったい、オーブのどこでそんな大惨事が発生しているというのです」

 ただでさえ精神の混乱した今のキラに、これだけのことを説明しきるだけの余裕があるはずはない。レイの狙いはそれだった。混乱した頭ではお得意の即席の嘘はまず言えない。逃れるためには本当のことを言うしかないのだ。レイはどんな嘘を並べられても突き崩す自信はあったが、この世界一の構造を持つこのキラという頭脳と頭脳戦を展開する浪費を考えると、こうするほうがよっぽどてっとり早い。

 自分が悪人になる覚悟さえあればいつでもできるのだから。

 オーブのアスハのことなど、本当はどうでもよかった。キラの手伝いを命じられたというのは本当だが、それはレイがデュランダルに申し出て、もらった命令だった。

「私はシンの安否を…生きているのなら、その行方を知りたいと望みます」 レイは言った。「あなたは何を知っているのです? 何を考えているのですか。アスラン・ザラたちのように、ただ『あれ』という最大の敵が再来したことしか頭にないわけではないでしょう」

「やめてっ」 キラは言った。「僕だって判らないんだっ」

「わからないはずがない」 レイは強く言った。「あなたは自分と同質の力を持つシンのことを、『あれ』のことよりも強く意識に刻んでいるはずだ。あなたは『あれ』のこと以上にシンのことを考えている。もしかしてあなたはもう、シンの所在を知っているのではありませんか?」

「──知らないっ」

 キラは首を振った。しかしレイはこれは嘘だと直感した。何故かは判らない。確たる証拠もないのに、何故かこの言葉だけは嘘だと思った。

 こいつは何かを知っている──。レイがその確信を持って更に口を開こうとしたとき、客間のドアがバタンと開いた。

「キラッ、何かわかった…か…?」

 アスランだ。館内を走ってきたらしく息が荒れている。だが彼は、部屋の中の様子を見るなり氷像のように凍りついた。キラが身を抱いて震えている。レイはそんな彼に向かって身を乗り出している。

 誰が見たってりっぱな言い争いの現場だ。

「…何をやってるんだ」 アスランがやっと口を開いた。

「失礼しました」 レイが敬礼を見せる。「私がシンのことをおたずねしましたら、急に。私の過失です、申し訳ありません」

 アスランはしまったと思った。キラにとってシンのことは、まだ癒えない生傷そのものだ。一人にさせたこともそうだが、こういう事態が想定できなかった自分が情けなくなる。

「キラ、大丈夫か?」

 未だに震えているキラの肩に手を置いて、なるだけ優しく声をかける。なにも見ないようにしていたキラの見開かれた瞳が遠慮がちにアスランの姿を捉えた。呼吸が徐々に落ち着いてきている。刺激を与えなければもう大丈夫だ、アスランはホッした。

「ところで、どうされたのです?」 口を開けないキラに代わってレイが言った。「本日は遅くまで戻られないとお聞きしましたが」

「あ、ああ、そうだった」 アスランはふと思い出したように言った。「俺はあまりミリアリアの私生活とかに詳しい訳じゃないから、キラに確認してもらおうと思ったんだ」

「…え…?」 落ち着きを取り戻してきたキラが顔を上げる。

「ステーション前の大通りで、歩道に放置されていたミリアリアのキャリーバッグを保管していてくれた人がいたんだ。あとから取りに来るかもしれないからって」

「じゃ、じゃあその人、ミリアリアを見たの?」

「ああ。街中で子供に絡まれて言い争いをしてたそうだ」 アスランは肩を竦めて言い、ポケット探った。「それで、そのときに『これ』と一緒にバッグを置いたままどこかへ行ってしまったらしい」

 これ、と言ってアスランがポケットから取り出したものを見たレイがアッと声をあげ、今度こそキラの呼吸が止まった。

 ピンク色の携帯電話が彼の掌に乗っていた。折りたたみ式で、アクセントのように付けられた小玉のストラップがチャランと涼しい音を立てている。

「ミリアリアのもので間違いないかどうか、キラに見てもらいたいんだが…」

 アスランは言いながらキラの顔を見て、隣にいる友人がいきなりゾンビ化するのを見たような顔をした。

「…こ…これ……」 キラはもういつ死んでもおかしくない末期患者のように息をした。

 見覚えがあった。シンとしばらく一緒に暮らしたマンションの部屋で、新しい家で。彼はいつも眠るときには枕元にこれを置いていた。かわいい電話だね、とちょっと言ってみたら、彼は頭をかいて恥ずかしそうに笑っていた。

 一度は崩れたはずだった思考が繋がっていく。そしてゆるぎない事実が構成されていく。ミリアリアに魅了をしかけたのは誰だったのか、ミリアリアにカガリを誘拐させたのは誰だったのか、そして事件の当日、真っ先にミリアリアと接触した魅了能力を持つ人物とは誰なのか。

 ここまできてまだ判らないならただのバカだ。

「それはシンの…シン・アスカの私物、です。間違い、ありません」

 レイがとうとう、その名前を口にしてしまった。






                                         NEXT..... (2005/06/04)