GET LIMIT 30.再来
カガリの肩身は狭い。
「──以上で本日の閣議を終了する。諸君、長時間お疲れ様だったな」
一同の顔を見回してカガリが言うと、首長たちがガタガタと席を立って思いの行動を始める。書類を丁寧にまとめるもの、首や肩や腰の関節を開放するもの、立ち上がって大きな伸びをするもの、いろいろだ。
カガリは急いで政治関連の堅苦しい書類をまとめてバッグに突っ込んでしまうと、その場から踵を返して一直線にドアへと向かう。もちろん彼女の目的地は決まっている。デュランダルの待つ研究所だ。連日カガリは寝る間も惜しんで、彼が行なう研究の助手作業にいそしんでいた。それこそ閣議に費やす時間も惜しいほどに熱中して。
長年の夢であった能力の抹消が叶うかもしれないのだから、これはカガリ個人の問題だけでなく、彼女らが住まう世界そのものの存続問題でもある。キラの力が消えれば、世界中のあらゆるマイノリティの力も消える。カガリも、アスランも、そしてどこにいるとも知れない大多数の同胞たちや、異形の化物たちでさえもだ。
人類的な戦争という問題にピリオドを打つのは、それからでも遅くはない。まずは確実にできることから片付けていきたい──。
「カガリ」
ある意味では浮き足立って部屋を出ようとした彼女を、誰かの声が呼び止めた。
いやな予感がして振り向いてみると、幼馴染の若い首長、ユウナ・ロマ・セイランの姿がそこにあった。
「なんだ」 カガリはつっけんどんに言った。「私は忙しいんだ、急がないならあとにしてくれ」
「そんなつれないこと言うなよ、急がないなら声なんてかけないんだから」 ユウナは困ったように笑う。まるで幼い少女を扱うような態度だ。「カガリ、最近忙しそうだからさ。ちょっと休憩ってかんじで食事でもどうかなって思って」
カガリは思わず口元が引きつるのを感じた。これが急ぎの用であるはずがない。
「今度にしてくれ」
彼女は更に突き放すように言った。やっぱりコイツは何も判ってない。そもそも私に超能力があることに、これだけ長く付き合ってて気付いたこともないんだから当然といえば当然か──。
「それで今日も、あの研究所に行くのかい?」
ユウナはさりげなく言った。さりげないが、かなりの核心だ。聞こえよがしに言った彼の言葉に首長たちの視線が二人に集中する。ざわついた会議場が、わずかだけ雑音のトーンを落とす。
一目瞭然だった。ここにいるすべての者が、カガリがこれから向かう「研究所」のことを気にしている。
「だ、だったらなんだっ?」 カカリは焦った。「もう閣議は終わったし、必要な仕事もきちんとしてる。あとは私のプライベートだ、私が好きにやってもいいじゃないかっ?」
「そんなこと言ってもねカガリ。わかるだろ、君は首長ではなくて代表なんだ。仕事だけやっていれば他は何をしてもいいってわけじゃない」
「な…」 彼女は絶句した。
当然だ。デュランダルがこのオーブへ秘密裏に迎えられてから、この世界ではすでに数週間以上の時が経過している。そして、こんなことを言われたのも、こんなふうにいやな視線を一身に受けたのも初めてなのだ。
「なんで今頃になってそんなことを言う! もっと早くに言ってくれれば私だって少しは──」
研究はいよいよ大詰めなのだ、とにかく一刻も早くデュランダルのもとへ向かい、彼の傍でその最後を見届けたい。カガリはその一心で言った。今頃そんなことを言われても困る、まさか今になって、議長への援助の手を切れとか言うんじゃないだろうな──。
「プラントから迎えたコーディネイターの客人とうちの代表が研究施設にこもりっきり、だなんて、諸外国からの目は冷たいんだからさ」
ユウナは言う。周囲の視線というバックアップを受けて、少し口が軽くなったようだ。
「何を言ってるんだ、私はあのひとと、大切な研究をっ」
「何の研究をしてるんだい? カガリはそんなこと、一度も話してくれなかったろ?」
今度こそカガリは返す言葉がなくなった。
キラやラクスのように、涼しい顔で即興の嘘が言えるほど彼女は頭の回転がいいわけではない。だからと言ってすこし考えた上で言う嘘には穴があり過ぎてすぐに崩れる。まさか本当に超能力研究のためだ、といってしまったら、彼女はデュランダルもろとも頭のおかしい奴の仲間入りだ。
ああもう──。カガリは頭を抱えて泣きたくなった。なんでこんなときに限って、こんなことが起こるんだ。なんでこんな大事なときに、こんな余計なやつが出てくるんだ──。
容量も少なくて要領もそれほどよくないカガリが、自棄になってしまいそうになったとき、そこで変化が起こった。
グヒッ。カエルが生きたままつぶれたような、おかしな声が室内で上がった。皆が皆、カガリの返答を待っている沈黙の中だったのだから非常にそれはよく響いた。
なんだ、と思ってカガリとユウナが、そして首長たちが周囲を見回す。やがて一同の視線は、ひとりの首長へと向けられた。
その首長は中年のしぶい男だ。しかし今はカッと目を見開いて表情を引きつらせ、全身を小刻みに震わせている。閣議のときに見せていた、引き締まった格好のいい顔つきは見る影もない。
「ア…ア…」
男は、こんな声が本当に人間の喉から出るのかと疑えるほどしゃがれた声で喘ぎながら、自分の喉に両手をあてた。喉に何かを詰まらせて、苦しくてたまらないというように。状況を理解できない一同が沈黙と硬直で見守る中、彼は無造作に喉を掻き毟る。その皮膚が破れ、血がにじんだ。
あぎいいいいぃぃぃぃっ。全員の石化を解除したのは、断末魔の絶叫だった。喉のわずかな皮膚の破れが一気に広がって、男は表皮を縦一直線に足元まで引き裂かれて血しぶきをまき散らしながら倒れる。
より状況が掴めなくなった室内で、似たような悲鳴が次々に発生した。
全身が固まり、喉や胴体、頭を真っ二つにされた人間がゴミのように床に転がっていく。まるで見えない誰かが見えない刀でも振り回しているような光景だった。
「こ、これはいったい…っ」
ついに室内に残るのはユウナとカガリだけになる。カガリももちろんそうだが、あまりこういった事態に耐性のないユウナは失神寸前だ。さっきまでの威勢のよさはどこへやら、今は声も出せないらしい。
「ユウナッ」 カガリは彼に、気付けの意味も含めて声を飛ばした。「別室にイザークとディアッカが待機してる、呼んで来いっ」
「ひいいっ!」
カガリに背を突き飛ばされるようして、ユウナは扉の外へと転げ出て行った。バタバタと廊下を走っていく足音が遠ざかる。ひょっとしたら戻ってこないかしれないし、最悪の場合はイザークたちに事態の報告さえしに行かないかもしれない。しかしこれ以上の死者が出ないに越したことはない。
たったひとりしか助けられなかったが、これはカガリにしては反応が早かった方だ。
「だれかいるのかっ」 カガリは大きな声をあげた。
どこからも返答はない。しかし誰かがもしいたとしても、こんな真似ができるとなると超能力者くらいしか例がない。そしてこれだけの殺傷能力を自在に使いこなす例は、キラを除けば今までにない。
ここで黙って様子を見ていたら、それこそカガリ自身も殺されかねない。
いっそ私も窓からでも飛び降りるか──。そんなことを考えて窓の方をうかがったとき、ドアの方でコツリと靴の音がした。
イザークたちが来たのか、と思って振り向いてみると、そこにいたのは意外な人物だ。
「──カ、ガリ、さん」
来訪者は言った。たどたどしくて、今にも崩れそうな震える声で。
「ミリアリ、ア…?」
カガリは我が目を疑って、確かめるようにその名を呟いた。ミリアリア。ミリアリア・ハウ。その名前はよく知っているし、相手もカガリのことをよく知っている。何せ一年前には同じ旗の下にいたのだから。
「ミリアリア、おまえ、どうして…」
「キラ…」 ミリアリアは言った。目だけがきょろきょろと室内を見回している。「キラはどこ…」
「え?」
「キラ、たすけて…」 ミリアリアは喘いだ。同時に足が一歩、室内へと踏み込んでくる。「くるしい、の。いたい、の。たすけて、キラ…」
ともすればすぐにバランスを崩して転倒してしまいそうなくらい、彼女の足元はふらついている。こんな調子でこの建物の廊下を歩けば、すぐにでも警備兵にとっ捕まるだろう。
しかし彼女はここにいる。どうしてか──。
カガリは背筋がぞっとするほどの身の危険を察知した。それは動物的というよりも、遥かに昆虫類が持つそれに近い超感覚だ。指先ががくがくと震え出し、喉がふさがって声が出なくなった。
殺される、という危機感はまったくない。しかしそれ以上のいやなものが彼女の脳を恐れさせた。
「キラ…キラ、どこなの」
ミリアリアは尚も呟きながら近づいてくる。明らかに様子がおかしいのはとっくにわかっているが、もうカガリは一歩たりともそこから動けそうになかった。
相手の両手が伸びてくる。目の鼻の先ほどにミリアリアの顔が近づく。その瞳とカガリの目の間で視線がぶつかった。その瞬間、ワッと全身を突き抜ける感覚がカガリにあった。何百、何千という針に全身を突き刺されたような衝撃。こんな感覚を彼女は今まで知らなかった。
知らなくて当然だった。知るべきではなかった。そして、知りたくもなかった──。
「キャアアァァァァァァッ!」 カガリはついに悲鳴を上げた。
人間が断末魔に悲鳴を上げる理由が、こんなところでわかってしまった。
イザークとディアッカは廊下を走っていた。手に持った銃はとっくに安全装置を解除して、指に力を込めるだけで発砲が可能な状態だ。
部屋に転がり込んできた血まみれの首長は、口の利けない子供のようにカガリが、カガリがと繰り返すばかりで話にもならなかった。しかしつい数分前に閣議が終わったばかりだという事実があったおかげで、彼らは会議室に直行することにしたのだ。
「アイツ、怪我してたら治療してやった方がよかったんじゃないの?」 ディアッカが言った。
「放っておけ、ちょっとくらい死にかけた方がいい薬だ」 イザークは言った。
「責任問題だぜ、それ」
「命の重さには優先順位があるんだ」
「姫さんが聞いたら泣いちゃうんじゃないのー?」
「姫に言ったら殺すぞ」
「………。」
二人は足を速める。目的の会議室はさまざまな事態を想定してのことか、建物の最奥にして判りにくい入り組んだ廊下の先にある。テログループの襲撃および占拠の危惧によるものだと聞かされたし、そういう建物は多くあるのだが、イザークはどうもそれに納得ができなかった。
重要人物がわんさか集まる会議室のような部屋を、どうして建物の一番奥の、誰にも知れないような場所に作るのかが理解できない。侵入したテログループにもし本当に占拠でもされてしまったら、あとから悪の巣窟と化したそこへ勇敢にも飛び込んでいく救出部隊は、とんでもなく長い道と厳しい戦いを強いられるハメになるというのに。
そもそも占拠予防のためとかいいながら、占拠されてしまったら何の意味もない。病気の発作予防薬が実際の発作には何の効果ももたらさないのと全く同じだ。占拠グループは長時間をかけて建物の中身を把握し、ある程度の部屋や通路は自分たちの勝手で封鎖してしまう。
占拠からものの数分で突撃部隊が入るのなら話は別だが、圧倒的に籠城戦のケースが多いこの問題に、予防一本の構造で本当にいいのだろうか。
だから会議は会議専用の建物を作って行なえばいいじゃないかと母親に言ったら、じゃあそこが吹っ飛ばされたら終わりねと笑われた。
まったく何があるかわからないのが人生というものだ。建物の構造に対して文句を抱えているイザークが、自らその長い道をひた走っているなどと、当時の自分は考えもしなかったろう。しかもこれから救出に向かおうとするのがプラントの役員などではなく、オーブの代表だというのだから尚更だ。
「あそこだなっ。いいかディアッカ、アスハに一発も当てるなよ」 イザークはピンと張り詰めた声で言った。
「わかってますって、たーいちょー」 ディアッカが茶化したように言う。とにかく大切な場面ほど彼は場の雰囲気を壊しかねない軽口や発言をする。ディアッカの、いいのか悪いのかもわからない癖だ。
二人は足首のひねりを使って一気にブレーキをかけると、開け放されたドアの前で室内へ向かって銃を構えた。視界に飛び込んでくるふたりの女。ひとりはアスハ、そしてもうひとりは──。
「なっ…」 ディアッカがその姿を見て絶句した。「ミリアリアッ、あんたナニやってんだよっ!」
まさに窓枠に足を引っ掛け、カガリの胴を抱えてそこから飛び降りようとしていた女が振り向いて、大声を上げた男の姿を視界に捉える。ミリアリアの腕に抱かれたカガリはぐったりしていて、もう意識はないように見える。ぴくりとも動かないから、生きているのか死んでいるのかもはっきりと判らない。
ここにアスランがいたら、半狂乱になってるかキレてるかのどっちかだな。……どっちもヤだけど──。
「動くなっ!」 ディアッカの動揺を横目に見て、通常の行動は期待できないと見たイザークが素早く立場を切り替える。「下手な動きをすれば撃つ、まずはそこから降りてこちらへ来いっ」
「ちょ、ちょっと待てってイザークッ」 撃つと言ったら本当に撃ってしまう同僚の前に腕を差し出し、ディアッカは制止をかけた。「こいつ、キラの友達なんだ。なんか事情があるんだって!」
「知るかっ」 イザークは冷たくも一蹴した。「姫の友人だろうがアスハの知り合いだろうが、こいつがこれだけの人間を殺したことに何の変わりもないだろうが!」
ディアッカははっとする。ミリアリアしか入ってこなかった視界が広がり、真っ赤なじゅうたんが見えてきた。何人もの男がそこで無残な状態で転がっている。どう見たってこの事態は、アスハを拉致あるいは殺害するためにこの女が起こしたものとしか見ようがない。
ミリアリアが? 彼女が本当にこれだけの人間を? いや、そもそも彼女はマイノリティだったのか──?
「あ、んた」 女が呟いた。「ディ、アッカ」
「そ、そうだよっ」 ディアッカは答えた。そっと一歩を踏み出して、彼女に近づこうとする。「ミリアリア、どうしたんだよ。なんでこんなとこで、こんなこと…」
「…ダ…メ…」
女が無感情に言った。え?──ディアッカが、今の言葉を理解しようとして間を置く。しかし足は止まることなく、次の一歩を踏み出していた。
ヴ…ン。空気が震えた。重低音の何かが室内に響き渡る。
「ディアッカ、来るぞっ!」 イザークが叫んだ。
ぴくりと死体のひとつが動いた。
もぞりと死体のひとつが起き上がった。
筋肉の活動などとっくに停止しているせいで首があらぬ方向にがくんと曲がるが、そんなことも気にするふうはなく次々に男たちが立ち上がる。
「な…っ」
驚愕した二人が背中合わせになる。赤いスーツの男たちはぞろりとゾンビのように二人を囲んだ。焦るディアッカの視界の中で、ミリアリアがすっと手を上げて人差し指を伸ばし、室内で唯一生きている二人の男を指す。
それが合図だった。ウガァァァァッ。男たちは一斉に獣の叫びをあげ、二人へ向かって飛び掛かった。
パンッ。すらりと伸びたイザークの足が放つ強烈な蹴りが一人目の男の頬を見事に叩き飛ばす。肘と拳、そして身体のバネを使って二人は襲い掛かってくる人間だったものたちを次から次へと殴り払っていく。
「ミリアリアッ!」 ディアッカは声を上げた。
「…ディ、あ……ごめ、ね」
ミリアリアはやはり無感情にそんなことを言うと、カガリを連れたままひらりと窓から外へ身を躍らせた。呼び止める間はあるはずもない。ディアッカは手を伸ばしてくる中年男の顎を思いっきりぶん殴ると、窓へ向かって走った。
「ミリアリアッ!」
窓の外に、すでに女の姿はない。そんな。そんな、どうして──。
があああああっ。次の叫び声があがった。散々イザークに殴られ蹴られた男たちが、何度目かの復帰を果たして一斉に声をあげている。そして二人の前で、もはや起こるはずのない変化が起こった。
ボコボコと死体の肉が膨らんで盛り上がって、異形の化物へと変貌していく。たとえるなら肉の戦車といったところだ。化物たちは寄り集まってさらに大きな肉塊へと変わっていく。まるで合体モノの残酷映画のように。
「バ、カな…っ」 イザークの声が震えた。
肉の化物。人間への影の憑依だ。この芸当が行なえる唯一の存在はもうこの世にいないのに。どうしてこんなことが起こる、どうして、なんでだ──。
「我は今より汝の力、撃ち放つ」 不意に聞こえた命令文の詠唱に、ぎくりとしたのはイザークだ。「このときよ、汝のちから示す語りの刹那なれ」
窓辺に立ったままのディアッカが室内の方を向いて、今まさに生まれ変わらんとしている化物たちへ向かって銃を向けている。その銃口に淡い金色の光が収束していく。
ゆっくりと、しかし確実に。射程内にイザーク本人をも含んでいるというのに。
「放つ光の強さこそ、我が抱く汝への畏れであることを示さん! いざ──」
「ちょ、ちょっと待てディアッカ──」 更に慌てて制止をかけようとして、イザークはそれがもうできないことを知った。
ディアッカの目はマジだった。
こんな化物に通常の戦闘でカタをつけるには時間がかかるし、職員などに目撃されればあとが面倒だ。カガリが拉致されたという今の事態でもっとも優先すべきは、目の前の面倒を片付けることなのである。
もっとも今のディアッカは、そんな理屈っぽい考えで最高位術を行使しようとしているわけではなさそうだが。
「目覚めよ、ガナー!」
ディアッカの命令文が完成する。最後の『名』が呼ばれてしまえばあとはもう発動しかない。イザークは内心で奥歯を噛み締めながら、自分を囲む結界を増殖させて防御の絶対化をはかる。
バスターが太陽の輝きであると示すなら、それは新星の輝きをもって撃ち放たれて、化物を飲み込んだ。
NEXT..... (2005/05/15)