GET LIMIT  3.合流


 ラクスがある企業の名前で部屋を取ったホテルがある。上層階に設置されたスイートと呼ばれるワンフロア分に近い大きな広い部屋へ続く廊下を、このたび帰還を命じられたイザークとキラが歩いている。

 アスランやラクス、そしてイザークにとっては普通の部屋と称しても過言ではないのだろうが、庶民暮らしの長かったキラからすれば完全な別世界のようで、気持ちが緊張さえしていなければ、ここという空間はあまり落ち着かないものだった。

 長い廊下には、高級感を出すためなのか落ち着いた雰囲気を持たせるためなのか、装飾品やオブジェの類いは一切置かれていない。ただモカクリーム色の壁に一定間隔でつけられたライトが天井へ向けて光を放っているのと、グリーンの縁取りが施されたダークレッドのじゅうたんが部屋までの道を作っているだけだ。

 進んでいくと、大きな木製の扉が目に入ってくる。二つの扉を組み合わせて両開きの大扉となっているそれを見るたび、こんなものを両方とも使って部屋に入る人間が居るとすれば、一体どんな大男なのかと想像を巡らせてしまうキラの思考は少しズレているようだった。

 先を歩いていたイザークが扉の前で足を止めて軽いノックをすると、はぁい、と明るい女の声が応えて間を置かずそこが開かれる。

「おかえりなさい」

 二人を笑顔で出迎えたのはラクスだった。この日の夕刻、少し早い就寝の挨拶をして別れた時と彼女の服装は変わっていた。ホテルに戻って着替えたのだろう、紺色のイブニングドレスの上から、それとは対照的な白いガウンを羽織っている。長く伸ばした桃色の髪はきれいに編んで前に垂らし、先に銀の装飾を光らせていた。

 客人を出迎えると言うよりは友人とのホームパーティー、といった彼女の雰囲気に、キラは少し緊張が緩んだ気がする。

「深夜にお呼び立てして申し訳ありませんわね。さぁ入って下さいな、アスランも待っていますよ」

 彼女は二つの扉を大きく開くと二人を中へと招き入れた。先ほどまでこの二つの扉の使い道について考えていたキラは、こんな使い方もするんだなと場違いなことを考えて納得した。

 いくら高級ホテルのスイートルームなどという場所には慣れないといっても、すでにこの手の部屋で寝泊りするようになってずいぶん長いキラである。中の光景はある程度のパターンを掴んでいい加減に見慣れてしまっていた。

 初めてこんな部屋へ通されて、初めて大きなベッドで夜を過ごした日にはひどく戸惑ってしまって、とても眠るどころではなかった。やっと寝付けたのは通勤ラッシュが終わるくらいの時間で、しかも一度眠りにつけば意外にも非常に寝心地が好く、キラはその日の夕方まで眠りこけてイザークに大目玉を喰らったのだ。

 怒るくらいならもう少し僕の意識に合った部屋を用意してほしいと反論はしてみたが、メンバーを割ってしまう訳にはいかないと一蹴されて今に至っている。

 ストートルームは廊下から一転して白いカーペットが一面に敷かれ、大きなテーブルセットやリビングソファなどが置かれている。液晶の大画面テレビの上からは銀幕を引き下ろすことができ、多機能なDVDプレイヤーや壁に埋め込まれたスピーカーとともに、ホームシアターならぬホテルシアターを可能としていた。

 室内にある数個の扉の向こうにはベッドルームやバスルームがあり、この広さと整った設備、そして手を伸ばせば届くホテルフロントの存在により、彼らの生活は快適極まりないものとなっている。

 ラクスではない目的の人物を探して室内へ視線を巡らせたキラの目に、中央のテーブルセットの上に置かれた数台のノートパソコンが映った。本来あるはずのない場所に開かれた挿入口で機能するカードの数やコードの種類は、これら全てがホテルの備品ではないことを如実に物語っている。

「アスラン。キラとイザークが戻りましたよ」

 そのテーブルで忙しくパソコンのキーボードを叩いている彼に、ラクスがそっと近付いて声をかける。今の今まで何の音もどんな動きも視界に入っていないかのようだったアスランは、思い出したようにハッと顔を上げた。

「人を呼びつけておいて作業に熱中とは、お忙しいことだな」

 とっととソファに腰など下ろし、ラクスによって用意されていた適温の紅茶を口に運びながらイザークが言う。嫌味たっぷりな口調ではあるが、彼がそれを本心から言った訳ではない、むしろ対面の挨拶に近い感覚で口にしたことは、割に冷めているその表情からうかがい知ることができた。

「すまない」 アスランは視線を画面に戻して言った。「数字くらいはあげておいた方がいいと思ったんだ」

 最後の仕上げとばかりにタイプスピードをあげるアスランの様子を見ながら、キラもラクスに勧められてソファに座る。目の前のテーブルでは、もう一台のノートパソコンが自分たちのほうを向いていて、精一杯のもてなしのようにスクリーンセーバーを上映していた。

「それで、アスラン。話って?」 キラが問う。

 ──しばらく沈黙がある。

「…ああ」

 ようやくアスランは手を止めて顔を上げた。作業は完了したらしい。

「二人とも、その手前の画面を見てくれ。今からそちらにデータを送る」 彼は言った。

 イザークとキラが興味ありげに目の前の画面を覗き込むと、アスランが行なった最後の操作によってデータ送信の案内が入り、スクリーンセーバーが終了してそれらが表示された。

「──なんだこれは」

 キラと顔を寄せ合っているイザークが、なんとも不服そうにアスランを目だけで見遣る。

 表示されたのはデジタル写真と思しきものだった。巨大交差点のど真ん中に堂々と出現した小山を四方から写したものがあり、そのそれぞれに何かの数値を表すのだろう数字が書き込まれていた。やけに小さな数もあれば、莫大としか言いようのない羅列もあり、ぱっと見ただけではさすがのイザークでも何のことなのか判別しかねる。

「イザーク。おまえはさっきまでどこに居た?」 アスランが問う。

「あ? 大阪に居たが…これはどこの写真だ?」

「それは渋谷の大交差点だ。大阪に居たんなら、気付かなくても当然か…」

 アスランは軽く己の顎に手をかけ、続きを促す視線を向けてくる相手二人から目を外した。しばらく画面を見つめるその姿は、何から説明したものかを考えあぐねているようにも見える。

「…ラクスがこれを発見したのは一時間半前のことだ」 アスランは言った。「報告を受けて俺も様子を見には行ったが、どうやらそこで『何か』が目覚めた…と、思われる。それも、すこぶる強力なヤツが」

「強力な?」 おうむ返しに問うキラの表情が曇る。

「はっきりとしたことは判らない」 アスランは首を振った。「俺が現場に到着したとき、それはもういなかったんだ。だがその場に当人がいないにも関わらず、張り詰めるような冷たい思念が残留し、周囲に充満していた。……あれは…邪気と呼んでもいいものだろう」

 アスランからの返答は予想に反せぬものだったに違いない。キラは小さく息を吐くと肩を落とした。

「邪気はラクスが祓ったが、その持ち主自身を祓った訳でもなければ見つけた訳でもない。放っておくと、いつどこで二の舞が発生するかも判らない。そこで──」

「要するにソイツを始末しようって話なんだな?」 イザークの短気が出た。

「…捜索だ」 アスランが訂正する。「ただし何の手がかりもない。気配の波長データを取る為に現場を放置するにも危険な状態だったんだ。とりあえずは情報より頭数…と思って、おまえ達を呼び戻した」

 キラはアスランの話を聞く一方で、画面の中の写真を凝視した。そこには闇の火口を上から写している映像がある。これを発見した時、早急に閉じてしまうべきだという危機感を覚えました、とラクスが言うのが聞こえた。

 ──黒い口。それがキラの感想だった。

 今にも闇が這い出して来るような切迫感が、映像を通してなお感じられてならなかった。人間が呼吸をするように、さも当然のようにこの闇の口は闇色の吐息をもたらし続ける──。そう感じると、キラは急に動悸が早まり、酸欠に近く呼吸が浅く早くなる己が変調を察する。

 嫌なものがある。嫌なものがいる。決して自分達とは相容れない、世界観や感性を壮絶なまでに違えた何かが。


 すぐそこで、僕を見ている──。


 今まさに肉体が覚醒状態へと変化してしまいそうになり、キラはぐっと目を閉じて堪えた。刹那に全身に悪寒が駆け抜けて鳥肌が立つ。

「キラ? 大丈夫ですか?」

 大きく息を吐いたキラに気付いたラクスが彼の前に屈んで顔を覗き込む。浮かべられた優しい表情は場違いなほど心を和ませる空気を自然に生み出すようで、母の胸に抱かれるように、キラの急激に高ぶった精神がゆっくり正常へと戻っていった。

 変化しそうだった──? キラは固唾を飲んだ。いや違う、変化させられそうになったんだ。僕自身じゃない、誰かの意思と気配で──。

「キラ。今日はもう休んでおいた方がいい」

 深呼吸しているキラの肩にふと手が置かれる。痛む訳でもなく自らの額に掌をあてていたキラは顔を上げて、その腕が伸びてくる先を見やった。傍らに立って自分を覗き込んでくるアスランと目が合う。

 しかし今の彼は普段と違って少し厳しい目つきをしていて、キラは思わず返す言葉を飲み込んで視線を外してしまった。

「明日の朝には行動を開始します」 ラクスが言った。「決まったことはその時にお知らせしますから、キラはどうぞお休みになって」

「…ありがとう…」

 ラクスに背を支えられるようにして立ち上がり、キラは自分の寝室へ向かった。

 言いそびれてしまった、今も彼の背筋を冷たくして止まない嫌悪感を心残りにして。

 しかし何者かの視線が。

 殺意、妬み、恨み、どのように表現すべきかの言葉も見つからぬ、漠然とした悪意の視線が、確かにキラの背を見ているのだった。



「…で?」

 むすっとしたイザークが、何とも声を発し難い雰囲気の中で意外にも最初に口を利いた。

 いったい何時間黙っていたのかと思われるほどの強張った空気が、事実的には三十分ほどの沈黙を破って動き出す。アスランは思わず喉に詰まっていた空気の塊を溜息として吐き出し、しかしラクスは空になった皿の上へ新しいクッキーをあけている。

「姫はどうなる?」 イザークは続けた。

 ちらりと寝室の方へと投げられた彼の視線は、その言葉の主語がキラであることを示している。つられるようにアスランとラクスもその扉の方を見やり、少し前にそこへ入っていった人物のことを思う。

 アスランは言った。

「今までに現れた敵の全ては、誰も例外なくキラを狙ってきた。──今回もそう見て間違いないだろう」

「それなら尚更だな」 いつもに増して強くイザークが言い返す。「ここに結界を張って、姫には大人しくしていてもらおう。この世界から完全に気配を遮断しておけば『奴ら』に見つかる事もない、問題の輩は、その間に俺達が倒してしまえばカタがつく」

「待ってくれ」 アスランが身を乗り出す。「これはキラの戦いだ、キラに決めさせてやるのが一番いい」

「はぁ?」 イザークは明らかに気分を害したようだった。「よくそんな悠長な事を言っていられたもんだな?」

「確かに危ない話だが、自分を狙う敵だから自分も戦いたい──そういうキラの意思だって…」

 カツーン。アスランの言葉を遮る形で、テーブルの上にイザークの手で何が放られた。

 白い小石のようなものが、ガラステーブルの上をくるくると回りながら転がる。ふと興味を取られたアスランとラクスが目をやると、それはどうやら動物の歯のようだった。ただし痛々しくも根元から折れた形跡があり、そしてその表面には鋭い棘が浮き出ている。

 『ここ』に存在する生き物のものではない。見た瞬間に二人はそう直感した。

「俺と姫が大阪で戦ったヤツの牙だ」

「……ずいぶん凶悪化しているようですわね」

 そっとそれに手をかざしたラクスが呟く。

 本体から切り離され、そして本体が消失してもなお、これは本体に匹敵する邪気をこれでもかと発散させていた。イザークが所持していたおかげで彼自身が簡易的な結界の役割を果たし、外部にこの邪気がもれてしまう事はなかったようだが、いざこうして何もない場所に放られたそれは、所構わず己の陰湿な気配をまき散らしている。

 己と同じ、そして己を高めてくれる大いなる闇を探して。その物体を見ているだけなのに、アスランにはその闇の声が聞こえてくるようだった。

「おいアスラン。単純な『影』でさえこれほど強化してしまう力の持ち主だぞ。そんな奴と戦うのに姫を参加させようというのか?」

 変わらずの意見を述べてくるイザークに、アスランは目の前の邪気から視線を外して押し黙った。

「私もイザークと同意見です」

 牙を凝視したまま独り言のように言葉を紡ぐラクスの頬に、一筋の汗が伝い落ちる。

「ここしばらくの『影』の強力化は、今回現れた『何か』の前触れであったことがこれで明白になりました。ですが、キラの力には遠く及ばないとはいえ、これほどの邪気をくまなく提供できる者…私では計りかねてしまいます…」

「アスラン、姫の参加如何については検討しておけ」 イザークが溜息と共に立ち上がって伸びをした。「俺は朝まで少し寝る」

 それ以上の会話を続ける気になれないらしい彼の表情には疲労が見える。

 アスランは今夜も眠れそうになかった。






                                         NEXT..... (2004/10/01)