GET LIMIT 27.抱擁
「…どうして、また」
驚きの間なのだろうか、短い沈黙を置いてデュランダルはたずねた。
「彼と君は、幼い頃からの親友だと、代表からうかがっているが。…ケンカでもしているのかね?」
「いえ…違います」 キラはうつむいたまま言った。「でも…ちょっと、嫌なことを…聞いてしまって」
「いやなこと? なんだね、それは」
「…彼は、僕を見下してる」
一瞬、わけが判らなかった。キラが苦しそうにその言葉を放つのを、デュランダルは、小さな子供が突然英語を聞かされたような顔つきで聞く。
「今思い出してみたら、そうなんだ」 キラが言った。「小さい頃からずっとそうだった。いつもアスランは僕の兄さんみたいな顔をして、母さんとも仲が良くて……いつも僕が一番下で」
「…キラ君?」 デュランダルが声をかける。「すこし落ち着きなさい。私には、いったい何のことなのか…」
「彼は僕を支配した気になって、そんな僕を見て満足してたんだっ!」
キラは大きな声をあげた。話す相手に内容が通じなくても、口に出してしまわないと心が保たないのだと言わんばかりに。同時に、ここまで緊張させて留めていたのだろう感情が一気に噴出している。
息を吐いてデュランダルは立ち上がると、先ほどまでアスランが座っていたキラの隣に腰を下ろし、幼子を慰めるように頭を撫でた。超能力者としてもそうだが、コーディネイターの中でも特別種である彼の髪は、まさに天使の手触りと呼べるものを持っている。
「今の君の言葉でわかったよ。キラ君、これから私の言うことをよく聞きなさい」 デュランダルは言った。「君はアスラン君をひどく誤解しているし、自分の能力の特性さえも、よく理解していない」
「どういう…ことですか」
キラが顔を上げて相手を見る。袖で擦って涙をぬぐってしまったせいで、目元の皮膚がわずかに赤く腫れている。
「その様子ではまだ聞いていないようだね。『マイノリティ』のことは」
「…マイ、ノリティ?」
どう見ても初耳だという顔だった。話をする機会もないほど戦闘が激化していたのか、うっかりタイミングを外したのか、それともただ言わなかっただけか──。
何にしても、必要な人間に必要な知識がないというのは困りものだ、とデュランダルは溜息を吐く。
「君から出て行った『闇』が動植物に憑依することで『影』になるのは、先ほど話した通りだ。だが、もし人間に憑依した場合…その際に誕生する超能力者のことを、私たちは『マイノリティ』と呼ぶことにしている。……もう、君以外の関係者はみんな知っている言葉だよ」
「知りませんでした…」 キラは素直に言った。
「休憩のつもりだったが、君はきちんと知っておかねばならない」 デュランダルは遠慮がちな苦笑いを見せた。「現在そのマイノリティとして認知されているのは数名いるが、アスラン君もそのひとりだ」
「…は、はい…そう、でしょうね…。僕から力が『感染』した人間は、原理が同じなんだからみんなそうなるはずです」
キラは考え考えゆっくりと言う。アスランがそうならみんなそうだ。イザークも、ラクスも、ディアッカもだ──。
「だが例え理性豊かな人間であったとしても、やはり『闇』に同調した存在であることに違いはない。『影』のような原始的なものではないにしろ、『闇』が再結成する理屈からマイノリティたちもまた、君に特別な感情を抱いてしまうんだ」
キラは答えなかった。
「だが…同じマイノリティでも、アスラン君はさらに変種だ。──いや、この場合は特種というべきか…」
「どんなふうに特種なんですか?」 キラがおずおずと問う。
「フレイ・アルスターと同じ種なのだ」
はっきりと。
その名前を聞いたキラの表情が、はっきりとした驚愕に貫かれた。
「フレ、イ…と…?」 キラの声が震える。
無理もない。一瞬の報告の中には、彼女の姿をした『あれ』との戦闘記録もあった。早く哀れなアスラン君の誤解をといてやりたいあまり、キラに戦ったばかりの女のことを思い出させるのは酷なことだったか、とデュランダルは自分が早まったかもしれないと危惧する。
「──そうだ」 デュランダルはできるだけキラを刺激しないように、短く一言で肯定した。「フレイ・アルスターもマイノリティだった」
キラの目がうろうろと宙を泳いだ。いきなり知らされた新しい事実と、今まで知らなかった古い真実とがごちゃまぜになって混乱しているのがよくわかる。
「彼女は、先の大戦で亡くなったらしいが」 デュランダルは静かに切り出した。「君は代表に話したね? 彼女が、どうなったのか」
「か、彼女は…」 キラはあえいだ。「僕の、前に…僕に、泣かないでって」
「そして?」
「僕を、守る、って…それで、僕の……中に…」
そこまで言ってキラはハッとした。苦しそうに呼吸をし、助けを求めるようにデュランダルを見る。
「そうだよ」 デュランダルは頷いた。「彼女は、君の中に『帰ってきた』んだ。肉体という容器から開放されて、本来の居場所である君の中に」
キラは自分の両手を見つめた。膝の上に持ち上げた自分の両手の、掌を。
デュランダルが横から優しく言った。
「この種のマイノリティは、君とより深く、強く結びつくことを潜在的に望む特別種だ。アスラン君は君を見下してなどいない、むしろ君を想い、愛し、そしていかなる時にも君の傍にあって君を守ることができる、大切にすべき人なのだ」
女の意識が放った最後の言葉が、キラの頭の中をぐるぐると巡る。切なく、美しく、そして哀れだった、彼女の最後の優しい言葉が。
あなたを守るから──。
彼女は確かにキラを守っていた。今もなお、彼が振るう力の一部として。
「ああっ…!」
キラは自分の身を抱き、身体を折り曲げて泣き崩れた。
「わかったろう」 デュランダルは言った。「アスラン君が君を想う気持ちは、きっと、彼女のものと変わりなくきれいなものだ。ただ、すこし不器用なだけでね。わかってやってくれ」
デュランダルはそっと、その背にポンと手を置く。そして、震える背中をゆっくりと撫でてやった。泣き止ませるためでも、落ち着けるためでもなく。
この世で一番優しい男が、かつて愛した女を想って泣く。これを止める権利は、誰にもない。
何度もしゃくりあげる彼を撫でながら、デュランダルは考えた。
この少年は、強すぎる自分の力と精神のバランスがとれていないのだ。誰かが支えてやらねば、すぐにでも壊れてしまうに違いない──。
夕方から急に雲行きが悪くなったと思ったら、夜になって激しい雷雨が襲ってきた。
アスランはひとりで廊下を歩いていた。彼の足が向かっているのは、今夜くらいは官邸に泊まっていけと言ったカガリが用意した、宿泊用の客間だ。
行く先々で、アスランの顔をよく知っている使用人たちが「どうも」と頭を下げたり、軽く声をかけてきたりする。久しく自分の家に戻ってきたような感覚で、彼はあちこちのいろんな使用人に挨拶して回っていた。同伴者がイザークなら、一刻も早く戻りたいからと拒否されているところなのだが、どうやらデュランダル越しにキラもそれを了承したという話を聞き、それならばと滞在をOKしたのだ。
キラはどうか知らないが、アスランはあまり、シンのことを大問題として捉えることができずにいた。
『あれ』という最大の敵は倒されたのだから、あとのことはザフトとオーブの軍に任せればいいと考えているくらいだ。確かにキラに大怪我を負わせたり、『イージス』でも支えきれないくらいの攻撃を仕掛けてきたことに疑問が残らないことはないのだが、そういうことの解析は、いっそデュランダルに任せればよいのではないか?──とさえ思っていた。
だがそれは、彼が薄情だからだとか、シンに大した思い入れもないから、というのではない。
『あれ』に出会い、話をし、そして戦ったことによって、ひどく心が疲労していたのだ。まして彼は眠らない。普通の人間なら睡眠によってある程度までリセットすることができる脳の情報量が、そろそろ限界に達しようとしている。この不眠の原因が明確なら、彼ももっと安定していたかもしれないが、それは未だにはっきりとしない。
彼は疲れ切っていた。
いくら客間を用意されたって、そこに立派なベッドを置かれたって、彼はそれを使わない。いや、使えないのだ。横になっても退屈なだけで、そして彼の細かな性格が手伝って様々な不安要素が浮き上がってくる。オーブにひとり残してしまったカガリのこと、マイノリティの謎、『あれ』に残った疑問、そしてキラのこと。
以前は何か作業でもこなして暇を潰そう、と思い、しばらくやっていなかったハロの製作に手をつけたりもした。
しかし何度か完成品を送ってみたところ、『もう部屋に入らない』とカガリから受け取り拒否された。入らないはずはないだろうとオーブへ様子を見に行ったら、執務室をボールプールと化されて不機嫌いっぱいのカガリから激しく叱られ、止めざるを得なかった。
いっそ、ハロよりも難易度の高いトリィにしようかとも考えてみた。だが幾晩にひとつ作ったとしても、いつかは執務室が野鳥の園と化して似たようなことを言われるに違いないし、そもそもあれはキラ専用にしか作ったことがない──と考えているうちに、あっさりと夜が明けたりもした。
気は進まないが、部屋に戻らなければ巡回の警備兵に文句を言われてしまう。アスランはひとつの大扉の前に足を止めた。
そういえば、キラはどこに部屋をもらったんだろう?──廊下に並んだたくさんのドアを見渡しながら、目の前のそれを開いて足を進める。室内は真っ暗だった。ライトのスイッチはと壁を探っていると、窓から稲光が飛び込んでくる。
凄い雨だな、と思って窓の方を見て、アスランはギクリとした。
ベッドの上に誰かいる。雷光はほんの一瞬だけ、そこに膝を抱いて座っている誰かの姿を映し出し、そして轟音を空にまき散らした。その激しさは、部屋の壁がビリビリと共鳴するほどだ。
ライトをつけるかどうかを迷う前に、部屋を間違えたのかと戸惑うアスランの耳に、ふと聞き慣れた声が届いた。
「──アスラン…」
「…キラ? キラなのか」
ここ何日もまともに口を利かなかったキラが、数日ぶりに名前を呼んでくれた。アスランはついライトをつけることも忘れて、彼が座り込んでいるベッドの前へと歩み寄った。
なかなか目が慣れないが、キラの姿の輪郭だけは見える。彼は、傍まできたアスランをじっと見上げていた。
「どうしたんだ、キラ。…えっと、この部屋は…」
「僕の部屋だって」 キラは答えた。「君と、僕の」
まさか相部屋とは。カガリが最初からそのつもりで部屋を用意していたのだとすれば、昼間に話をしたとき、キラとの不仲らしき状態のことを言ってしまわなくてよかったと思った。
すでに態度でバレきって、それを心配したカガリが二人に相部屋を用意したのだとは、アスランは知る由もない。
キラは言った。
「デュランダルさんから聞いたよ。マイノリティのこと」
「…そうか」 アスランは無感情な声で答えた。
できることなら知らないでいてほしくて、何も言わなかったことだった。イザークさえも、マイノリティに関する話だけは姫にはするな、とアスランに念を押していた。
彼らはイヤだったのだ。自分たちがキラに向けた気持ちまで、『マイノリティの特性』として処理されてしまうのが。
この気持ちは本物だ、属性だとか超能力だとか、そういう、ワケの判らないものによって惹きつけられたものじゃない。俺たちは本当に、本当にキラのことを──。
「君が、イザークたちとはちょっと違うことも聞いたよ」
「…そうか」 まったく同じ返事をした。
「ねぇアスラン。…君も死ぬの?」
「え?」 アスランは思わず呆気にとられた。
「君もいつか、死んで、僕の中に帰ってくるの…?」
「何を言ってるんだ、キラ──」
アスランはふと思い出した。
昼間、カガリと共に聞いたレイの報告を。『闇』の、そして『影』の再結成願望と能力の話を。
「おまえ」 アスランは慌てた。「いったい、どこまで知って──」
「みんな、本能の底で『帰りたい』って思ってるのかな」 キラの声が震えた。「じゃあいつかみんな、自分で身体を壊してでも、帰ってくるのかな」
「キラ…」
「…ごめん、ヘンなこと…言って」 キラは顔を伏せた。「もうすこし、ひとりにしておいて…」
アスランは何を言えばいいのか判らなくなった。
昼間の報告には驚かされた。『影』がキラを襲う本当の理由が、『帰りたいから』とか『帰ってきてほしいから』だなんて考えもしなかったのだから。
いや、本当はとても近いところまで推測できていたはずなのに、自分にもそれが該当してしまうのが怖くてそこまで思考を到達させなかっただけなのかもしれない。
想像だけならいくらでもした。そしてそれがいかにもリアルすぎて気分が悪くもなった。死の瞬間に感じるものは、死への恐れや肉体が崩壊する苦痛ではなく、あるべき場所へと帰っていける安らぎではないだろうか、なんて。
安らかな気持ちで至福に満たされ死んでいけるなら、それほど幸せなことはない。その先の不安も懸念も感じなくていい、ただ幸福感だけを刻まれる死──。
『イージス』の命令文の中で『甘き闇』とうたっているアスランには、これは決して判らない話ではないのだ。
「……キラ…」
呼びかけてみても、キラは顔を上げない。ここはひとりにした方がいいのだろうか。
「──わかったよ」 アスランはそう言って、踵を返した。
こつ、こつ、と一歩ずつ離れていく。
君も死ぬの──? キラの言葉が頭によみがえった。
誰かに、大切な誰かに死なれたことがある人間でなければ絶対に出ない言葉だ。
そんな言葉が口を突いたということは、その誰かのことを考えていたということだ。
大切な誰かが、自分のために死んでいく。不幸にもキラは何度もそんな光景を見せられてきた。乗り越えることもままならず、ずっと心に留めたまま、まるで生乾きの傷のように残っているに違いない。
君も死ぬの──?
アスランはもう一度、踵を返した。
一瞬前とは比較にならないくらい速い足取りで歩を進め、いっそ乱暴なくらいの力でキラの身体を抱きしめる。
「バカっ」 アスランは言った。「泣くくらいなら、出て行けなんて言うなっ」
耳元でキラが息を呑む音が聞こえた。ジャケットの肩口に滴が落ちて、染み込んでくるのがわかる。
本当に出て行くつもりだった。キラがひとりにしてくれと言っているのだから、ひとりにしてやるのが一番いいと思って。だが、何となく判ったのだ。顔を伏せたキラが泣いているのだと。アスランに余計な心配をかけまいとしてか、一生懸命に声を殺して、彼が出て行くまでの間を耐えようとしているのが。
いかないで、ここにいて、ねぇいかないで──悲痛なくらいに、そう言われているような気がしてしまったのだ。
「…うっ」 キラが呻いた。どうしようもなくなって、堪えることができなくなった彼の涙がどんどん肩に流れ落ちてくる。
泣き虫なキラ。小さい頃からちょっとしたことでよく泣いた。そのくせ、一番泣かなきゃいけないときには泣かない奴だった。泣いちゃだめだ、泣いちゃだめだって自分に言い聞かせようとする奴だった。
「アスラン…っ」
嗚咽の混じった声で名を呼んだキラの両腕が、アスランの背中を抱き返した。爪を立てるくらいに力を込めて、苦しいほど。
思えばこんなふうに抱きしめ合ったことなんて、あの春の日以来、一度もなかった。
NEXT..... (2005/04/02)