GET LIMIT 21.攻撃
事故現場の原子力発電所近くでは、未曾有の緊急事態が起こっていた。
爆発があっただけでも緊急事態だというのに、その現場周辺三キロ圏内に、誰一人として進入できなくなってしまっていたのだ。到着した緊急人員も車両も、特定の場所からそれ以上進むことができず、立ち往生に近い状態が延々と続いている。
最初にその事実に気付いたのは、近所の消防署から派遣されてきた消防車と救急車だった。気付いた、といってもすでに乗務員はこの世にいない。圏内に入り込んだ人間は、風船のように全身が膨れ上がって破裂してしまうのだ。車などの機械類は何ともないのに、人間だけがどうしても進入できない。
何故か、人間だけが。
しかしさすがに、肉体が破裂しますから近付かないで下さい、という警官や救急隊員の指示を誰が聞くだろうか。警告など聞く耳も持たずに興味本位で結界内に侵入するマスメディアの人間が多く現れ、だから地面にぶちまけられた肉片や血の跡は、無残にも増えるばかりであった。
事故を聞きつけて集まってきた反原子力派が大半を占める近隣住民たちが、高濃度の放射能がすでに充満しているせいではないのかとここぞとばかりに騒ぎ立て、そんな彼らが受けるインタビューが全国ネットの番組で放映されるのだから、今やさしたる知識を持たない国民すべてが、放射能というシロモノに誤った見解を抱いているだろう。
全国各地で発電所建設をすすめている開発責任者たちが聞いたら、それこそ頭痛に眩暈を起こしてしまうに違いない。彼らはこれから先、そんな現地住民たちの入れ知恵状態の誤解をとくために、どれほどの時間と堪忍袋を消費することになるか知れない。
そんなことになってたまるかとばかりに、特番に呼び立てられた専門家たちは、この現象が決して放射能漏れのせいではなく、そして事故現場からは放射能漏れなど確認されていないと何度も言っているのだが、それを信じる者などごくわずかに違いない。
半径千五百メートルのドーム状に『結界』のようなものが張り巡らされている、というのが暇を持て余した調査員たちによって判明したのだが、わかったのはそれだけだ。入る方法も何も判らなければ、肉体の破裂を防ぐ方法を見出すこともできない。集まった野次馬と共に結界の有効範囲ぎりぎりのところで、対応に訪れたはずの人間たちは指をくわえて事故現場を遠くに眺めていることしかできなかった。
仕方がないので警官たちは、その結界内に侵入しようとするバカが現れるのをせめて未然に防ごうと、特定のラインに車両を使ったバリケードを作って、訪れる取材者や野次馬の制御を始めた。
何せ誰もが、入ったら死ぬということを理解していない人間ばかりなのだ。
警官に制止を受けると、やれ知る権利だ言論の自由だともっともらしいことをわめき散らし、それでも止めようとすると彼らはあちこちの局から目的を同じくする仲間を呼んで、文句の二重奏や三重奏、豪華なときにはカメラを構えてフラッシュライトも織り交ぜたオーケストラを披露してくれる。
こうなったら警官たちとて、誰でもいいから一人くらい結界内へ放り込んで、腹が膨れ上がって、頭蓋骨が変形して髪も抜け落ち、目玉が真っ先に弾け散って舌を失った口から噴水のように血が噴き出し、本当に元は人間だったのかと疑いたくなるような肉塊へと変貌してから全身がパンッと破裂する、そんな光景を放映させてやりたい気分になってしまう。
だがそんなことを本当にやってしまったら全国民の食欲減退どころか、それを見ることになる今は幼い子供たちの健全な将来さえ危ぶまれてしまう。そんなものを見れば、たとえ成人でも性格が歪んでしまうことは間違いない。
「死にたくなかったら近付かないでください」
警官たちがバリケードの前でそう言うと、住民やマスコミの人間たちを取り巻く空気が変わった。
あまりといえばあまりの言葉だが、詳しいことを説明して皆さんに納得してもらおう、というには事態は緊急を極めている。しかしただ近付くなと言うだけでは誰も耳を貸さないのだから、警察も身を削る思いだ。
しかし野次馬たちは、そんな英断を下した警官たちへの口を閉ざし、今度はテレビカメラやインタビューのマイクに向かって騒ぎ始めた。
なんて無責任なことを言うのだろう、国民を守るべき警察官のセリフとは思えない──。
ここまでくると言論の自由もただの公開陰口だ。制止も聞かずに勝手に結界に入って勝手に死んだのは自分たちの仲間なのに、彼らはその死を盾にされると汚いことを言われたような気になるようだ。責任というものがいったい誰のどこにどう存在しているのか、それを知りもしないくせに知っているような顔をして、あるいはあからさまなくらいにその所在を勘違いして、イッチョマエの口を叩き始めてしまう。
己の力で対抗も解決もできない事態に直面したとき、人間はただ混乱し、何の関係もないはずの同類を傷付ける方面へと走り始めてしまうのだ。
彼らはただただ、愚かだった。
キラのローラーが、真っ白なコンクリートの上へと降り立った。敷地の中でも、もっとも背の高い建物の屋上だ。
そんな彼の眼下には、外見をまったく同じくする四つの建物が並んでいる。豆腐を並べたようなそれは、何の特徴もなければどれが何なのか判らないところだが、それにはひとつひとつ丁寧に数字が刻まれていた。
ただし数字は一から三までしかなく、『三』の隣に建てられた『四』に相当する建物が見る影もなく吹き飛んでいる。白い壁はすすけて黒くなり、屋根は周囲の壁ごとゴッソリなくなっていた。これで放射能漏れが起こっていないというのは、何かの間違いが重なった上での幸運な偶然としか言いようがない。
「…ひどい」 キラは眉を寄せた。
火災が起こっている、とニュースでは言っていたが、どうやらその火の手はとうに収まっているらしい。黒い煙が立ち昇ってこそいるが、どこかが燃えている気配はない。しかし思った以上に被害が小さかったとはいえ、二度目や三度目は起こさせてはならない、それだけが明確な目的だ。
──ガァァ!
キラの耳に異形の叫び声が飛び込んでくる。同時に背後で風を薙ぐ音と、巨大な翼が空を打つ音、いくつもの音源が空気を震わせた。
「やめて…」 キラは沈痛な表情で目を閉じる。
キラの背後だけでなく、建物の影や上空の方でも、立て続けに破裂音があった。立ち尽くす彼を中心にした半径二十メートル程度の範囲内で、どこへともなく潜んで機会をうかがっていた『影』が一斉に爆発したのだ。
だが血の一滴、肉のひとかけらも彼の頭上に降り注ぐことはなかった。すべては中途で空気に溶けるようにして消滅し、細胞の一片さえ残されず抹消されてしまう。キラによって放たれた闇の気の前に、弱い者などその存在さえも認められることはない。
「キラッ」 女の声がした。
目を開けたキラが顔を上げると、ふわふわとスカートを揺らしながら、空から降りてくる一人の少女の姿がある。それはかつてフレイ・アルスターと呼ばれた者の姿だった。
彼女を視界に映したキラは、ぐっと何かを堪えるように口元を引き結ぶ。
「ああ、キラ。来てくれたのね」
ただの空しかないところから、落下とはまったく違って緩やかに舞い降りてくるという非常識なことをした彼女は、しかしそんなことを気にも留めず、嬉しそうに、動かないキラへと駆け寄ってくる。そして、もう数歩で手が届くというところで地を蹴り、両手を広げて彼の胸へと飛び込んだ。
「嬉しいわ。やっぱりあなたが一番最初に、わたしに会いにきてくれる。いつも、いつでも」
本当に嬉しいのか、それとも演技に過ぎないのか、顔を上げた彼女の瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。
「…やっと、判ったよ」 キラは言った。ゆっくりと両手を持ち上げて、自分の胸にすっぽりと収まっている女の背を抱きながら。「君は『死者』なんだね」
女は何も答えない。ただ、真面目な表情をしているキラの顔を、微笑んで見上げている。
「君の姿は、死者のものだったんだ」 キラはずばりと言った。「ニコル君、クルーゼさん、そして君…もっと早く気付けばよかったね。君は、君を見る人間の心に、もっとも強く刻まれている死者の姿で現れることができるんだ」
「どうして今、そんなことを言うの? ねぇキラ。そんなことはどうでもいいのよ。せっかくあなたが来てくれたんだもの」
女は甘えるようにキラの首にじゃれついた。キラの鼻先に、彼女が愛用していた香水の匂いがふわりと漂った。
これが幻影にすぎないなど、自分で口に出しておきながら信じられなくなってくる。女の背を抱く手には、柔らかな素材が使われた服の感触が伝わっているというのに。
「…もう、やめるんだ」 キラは言った。小さく頼りない声だったが、とてもはっきりと。「これ以上、死を重ねないで。君はたくさん殺しすぎた、もう誰からも君が許されることはない…」
「やだぁ」 女は不服げに目を細める。「これから楽しい時間を一緒にすごそうと思っているのに、そんなひどいこと、言わないでよ」
「楽しい時間?」 キラは表情を痛ましげに歪めた。「いったい何が楽しいの? 結界を作って入ってくる人間を殺して、何の罪もない動物たちに僕を襲わせて、そんな姿で現れて、これからどんなふうにすごせば君との時間を楽しめるのか、そんなのわからない。…君の言ってることはわからないよ」
キラは自分の身から女を引き離そうとした。
と、今度はキラが女に抱き寄せられた。しなやかな細い腕が腰にまとわりつき、ふたつの掌が背を包み込む。先ほどまでの立場が一気に逆転した。
「ねぇキラ。今までずっと心細かったでしょう?」 女は突然、哀れなものを慈しむように優しく言った。「友達から引き離されて、知らない子と一緒に暮らして」
「…何が言いたいの」
「自分だけが本当のことを知っている気分って、どんなの? 無意識の悪意ほど怖いものはないわよね」
キラは女の腕を振り解いてバッと背後を振り向いた。まさかとは思ったが、何故か自分の背後にシンが立っているような気がしたのだ。しかしそこには誰もおらず、何の気配もない。
彼は今頃キラの帰りを待ちながらベッドに戻り、不足した睡眠をとっているはずだ。ここにいるはずがない。
「早くわたしのことを片付けて、彼のところへ戻りたい? お友達のところじゃなくて、ほとんど見も知らない、被害者の遺族のところへ」
キラの目元がぴくりと反応を示す。
それは疎ましいものを見る目つきだった。憎しみを表に出した目つき、怒りが表れた目つきだ。
女はそんな彼の感情を見て満足そうに笑った。
「でも、それでいいと思うわ」
「なんだって?」
「アスラン・ザラのところへなんて、帰らなくてもいいって言ってるの。彼のところに戻ったら、あなたは不幸になるだけなんだから」
「不、コウ…?」 キラは面食らった。予想もしないことを言われて返す言葉を失ってしまう。「どういうこと」
「彼はあなたを見下しているのよ」
「な、何を」
「小さい頃から、彼はあなたのことを『下側』の存在として見てきたの。自分より格下、自分の下僕、所持物みたいに思っていたのよ。…でもそれは過去形じゃない。今も、そうなんだもの」
「言いがかりを言うなっ」 キラは声を荒げた。
「何を根拠に、って思ってる?」 女は得意げに言った。「でもキラ、わたしの言ってることが本当だって、それはあなたが一番よく判ってるはずよ。だってあなたはいつも彼の欲望を間近に受けて、ずっと長い間、見てきたんだから」
キラの鼓動が刹那、止まった。呼吸も、ひょっとしたら時間さえも。
「ずうっと見てきた怖ぁい夢。追いかけられて、逃げて、でも捕まって。そのあとあなたは…」
キラの、その先の想像や記憶の回想を促すように女は笑った。
「あれは彼の…アスラン・ザラの欲望そのものよ。あなたのアンテナと、彼の意識が互いに強すぎてシンクロして夢に見ていたの。気がつかなかったの? せっかくわたしが手伝って、彼の顔を見せてあげたのに」
「そ、んな」 キラの唇がわなないた。
絶句という言葉の通り、先に続けるべき言葉が何も出てこない。むしろ、自分の声が喉で異物となってしまったかのような閉塞感を、キラははじめて味わった。
「ほら。そんなやつのところより、今、キラを大事にしてくれるあの子の方が、よっぽどいいでしょう?」 少女は嬉しそうに言った。「あんたはずっとアスラン・ザラに利用されてきたのよ。あんたをずっと傍に置いておきたい、ずっとあんたみたいに気の弱い子を見下して、その優越感を楽しんでいたい、そんなあいつの欲望のために」
フレイの声が低い色を帯びる。ショックからなかなか立ち直れずに宙を泳いでいるキラの視線を、彼の目を覗き込んで捕まえて顔を寄せる。
甘えてキスをねだった、あの頃いた少女のそれと同じ仕草で。
「一緒に夢を見ましょう、キラ。怖い夢じゃない、楽しい、終わらない幸せな夢よ」
「──やめろっ!」
苦痛の色を宿した叫びと共に、キラは女の眼前へ右手を突き出した。
少女の顔の手前数センチのところで広げられた彼の掌に、ぼうっと白い光が宿る。それはこのひとつだけで、いま彼らが立っている敷地にあるものすべてを、軽く、そして放射能が散らばる間も与えず吹き飛ばせてなお余るエネルギーを秘めたものだった。
「もうやめろ、黙る気がないのなら僕が黙らせてやる」
はっきりとした宣言が震える声に乗る。女の表情が見る間に愉悦を帯び、笑みを刻む。
それは眼前に立つ相手を遥かに低く見下そうとする、悪意に満ちた嫌な微笑みだった。
「わたしは、引かないわ」
空気が変わった。
吹いていた海風がぱったりと止み、上空を舞っていたカラスやトンビの姿がいつのまにか忽然と消え、木々の揺らぎがぴたりと止まる。偉大なる王が初めて見せた真なる戦意の前にあらゆる自然界がひれ伏す中、キラは目を閉じ、大気を抱くように両手を大きく広げた。
「──我が身にたゆたう、栄光の輝きに裏打ちされし闇どもよ」
完全な無音が支配する空間に、その声だけが淡々と発せられ、溶けていく。
「我が望み聞き届けよ。我が敵を討つ力をこの手にもたらせ」
何かがそこにいた。風や木々が騒いだり、獣たちが一斉にあらぬ場所を見るわけでもない。しかしただ、誰の身にも、腹の底からこみ上げてくるおののきを意識させる何かが、キラの言葉によって目覚めていく。
女は、大きく膨れ上がって近付いてくる大いなる気配に、うっとりと目を細めて溜息を吐いた。
「いざ目覚めよ──ストライク!」
NEXT..... (2005/02/18)