GET LIMIT 11.発芽
悪夢の夜が明けた。だからテレビ中継がパッタリ大人しくなるかといえばそうでもないが、それでも暗い闇が明るい朝日の光に取って代わればそれなりに人々の心も安堵するものだ。
未だに火災の収まらない燃料島の爆発現場付近で、レポーターは風と炎の音に負けないように喋りまくっており、その中継の最中に、運のいい局は小爆発に出くわすことができた。何せ都内で使用される燃料数年分を貯蔵していた地の火の手だ。そう簡単に収まるはずはない。
この事故がの発生現場が街外れの工業地帯ではなく、臨海の島だったことが唯一の救いといえばそうだった。
朝日の差し込む明るいリビングで熱いコーヒーのマグカップに口をつけながら、シンはどこのチャンネルに合わせても同じことしか喋らないテレビを半ば諦めて、朝のBGMとするには暗過ぎる内容を意識せず聞いていた。入ってきた朝刊も一面トップに巨大な炎の柱と立ち上る黒煙がプリントされていて、これほどマイナスの気を振りまく記事を見てから職場へ向けて出勤せねばならない全国の会社員たちがいっそ哀れにさえ思える。
あるいはその日の、上司との話題に困らなくていいのかもしれないが。
シンは続き部屋になっているダイニングに踏み込むと、テーブルの上に新聞を投げ捨てるように置いた。
死傷者300人以上──。開いたままの一面に描かれた文字が嫌でも目に入る。彼は自然とその方向へ首を巡らせていた。
実はシンは寝ていなかった。一日や二日の貫徹くらいどうということでもないのだが、さすがに慣れない土地で丸一晩も神経を研ぎ澄ませた状態にしていると疲れてしまう。それでもちっとも眠気といえるものが襲って来ないのは、未だに彼の神経が張り詰めたままになっているせいだった。
トリィッ。不意にシンの耳に機械音声が入ってくる。テレビから発せられたものではないその声に、彼は立ち上がってリビングを出ると、短い廊下の先にあるガラス張りの引き戸を開いた。
そこも、リビングや廊下と同じくフローリングの洋室だ。機械音声は、その部屋に置かれたシングルベッドの上に乗っている物体が発していた。
「どうしたんだよ。もしかしておまえ、エサとか要るのか?」 シンはそれに向かって声をかける。
トリィ、トリィッ。声の発生源は緑色のロボット鳥だった。白いシーツの上で、甘えるように硬質の羽根をぱたつかせて、首を傾げながらシンの方を見てしきりに鳴いて、おまけにちょんちょんとベッドの枕元を行ったり来たりしている。
何だか落ち着かないようだった。
まさかロボットのくせに、ベッドの寝心地がよくないとか言いたい訳じゃないだろうな──。シンがあらぬ想像に表情を引きつらせたとき、そのロボット鳥は枕のほうへと跳ねていき、白いカバーのそれにうつ伏せて埋まっている頭をツンとつついた。
「あ、こらっ…!」 シンが慌てて鳥を引き離そうとしたとき。
もぞ、とその頭が動いた。低い呻き声が同時に漏れる。シンの心臓がひとつ大きく跳ねた。トリィッ。目覚めを促すようにロボット鳥がひときわ大きな声で鳴くと、壁の方を向いていた頭が呼ばれるままにシンたちの方へと巡った。
シンの目に、すべてがスローモーションで映し出される。そして、思わずどこかへ身を隠したい衝動にも駆られた。だが本当にバタバタと逃げてはバカのようだし、そんなことをする意味もない。シンはさながらそこに置かれた置物のように硬直したまま、ベッドの上の少年が目を開く瞬間を見つめていた。
開かれた瞳は、真っ先に目の前でぱたぱたと甘えているロボット鳥に焦点を合わせた。それから見慣れぬ背景を疑問に思ったのか、それとも鳥の背後に立つ知らぬ人影に興味を引かれたか、ゆっくりと視線を持ち上げる。
「…だ、れ?」 か細い声で少年が呟く。
「…すごいですね」 思わずシンは感嘆の声を漏らす。「医者もビックリしてましたよ。普通は絶対死んでるって」
「どう…して…?」
思っていることのすべてを口に出すことはできないようで、彼の言葉はとてもたどたどしかった。しかしシンは何とかコミュニケーションをとることを考え、彼の言葉から思いつく限りの返答をしてみることにした。
「あなたは、昨日の夕方起こった工業島の爆発事故に巻き込まれたんです」
「事故…」 少年の目が宙を泳ぐ。
「背中、すごいことになってました。まだ動けませんから大人しくしてて下さいよ。動かせる状態じゃなかったから入院もできなかったし…」
さも残念そうに言いながらシンは、実は呼んだ医者にはしつこいほど入院を勧められていた。放っておいたら死んでしまうから、病院で適切な処置をさせてほしいと何度も言われ、おまけに頭まで下げられたのに突っぱねたのはシン当人なのだった。
兄だからと嘘をついて、うちで面倒を見ると断固聞かず、医者には薬だけを用意させて病院まで取りに行ったりもした。看護法はアカデミーで嫌というほど習ったし、何よりシンは軍人だ。こういう災害による怪我人への対処には下手な医者よりよほど腕に自信がある。
無論、そんなことを彼に喋ってしまうつもりはないのだが。
「出血も体液の流失もすっかり治まってますから、もう大丈夫だと思います。回復が一段落するまでは痛み止め、使いますから。身体の自由はほとんど利かないでしょうけど我慢して下さい」
「…ありがとう…」 彼はぽつりと言った。
「礼ならコイツに言って下さいよ」 シンは彼の枕元にいるロボット鳥を指した。「こいつが飛んできて、あなたのところまで案内してくれたんです」
トリィ。彼からの視線を受けたロボット鳥が誇らしげに鳴く。
「ありがとう」 そんな鳥に視線をやると、彼はそれに小さく微笑みかけた。「よく頑張ったね、トリィ…」
よく頑張ったのはあんたの方だろ──。そんなことを思いながら、鳴き声イコール名前とは、彼くらいの歳にしては随分と子供っぽくて短絡的だと感じたが、シンは特に口に出すことはなかった。
それよりもこんな鳥を機械で作ってしまうような技術が『ここ』にあるなんて、と驚愕する方が強い。『向こう』でなら当然のように──それでもそれなりの技術力は必要になるが──作ることができるだろうが、たとえこうして実物を見せられても、シンには『ここ』の人間にそれが可能だとは思えなかった。
まるで、もともとこういう生き物として生まれたような、不器用さの欠片もない極めて精巧な代物なのだから。
「それ」 シンは部屋の隅に置いてあった椅子を引っ張ってきてベッドの横に腰掛ける。「あなたが作ったんですか?」
「…友達に…もらった…」 彼は弱く言った。「…大切な、もの…」
彼は言葉の中途から、眠そうに目をうとうとさせている。回復の兆しこそ見え始めているものの、昨日の今日でこれ以上を喋らせるのは身体に良くないだろう。
「…まだ、しばらく眠った方がいいですね」
シンはそう言うと立ち上がって、壁に取り付けたフックに引っ掛けてある点滴のパックに手をかける。様々な栄養剤によって精製された血液の代用となるその液体は、まだ数時間は保ちそうな量が残っている。昼前にまた確認すればいいかと思いながら、枕元に置かれている彼の手の甲に埋まった針を確かめる。
「まだ…」 彼がまたぽつりと言った。「君の…名前…」
名前を教えて欲しかったのだろうか。しかし彼はシンが視線をやる前にまた意識を失ってしまった。すう、と、静かで規則正しい寝息が始まる。恐らくここから数十時間は、彼が目を覚ますことはあるまい。
しかし目が覚めた時には、ほぼ完全に体力を取り戻すに違いない。常人なら死んで当然の怪我をしながら、翌日にはこれだけの回復を見せているのだから。そう思うと、それが楽しみに思えてならなかった。
聞きたいこと、話したいことがたくさんあるのだ。果たして彼はシンのことを覚えているだろうか。ほんの数日前のことなのだから忘れているはずはないだろう。先ほどは薬のせいもあって意識が混濁していただけだ。痛みが消えて薬の必要がなくなれば、しっかりと意識を取り戻せば、きっと思い出してくれる。
きっと。きっと。ああ待ち遠しい。あのときのことで、確かめたいことだってあるんだ──。
シンは胸の高鳴りを抑え切れなかった。
『──以上のように事故から一週間以上を経た現在もなお、災害の原因は未だ不明のままです。しかし生存者からは「突然光って爆発した」という話もあり、警察、消防では従業員の作業ミスではないかと見て、原因の究明に全力をあげております』
大きな窓のカーテンを閉め切っている暗いリビングの光源は、そのテレビの深夜ニュースだけだ。午前二時を少し過ぎ、自室で椅子に腰かけたままうとうとしていたシンは、その音声でふと目が覚めた。
『では、次のニュースを──』
テレビの声は話題を一転して、最近の注目を集めている新人プロ野球選手が取った偉大な賞について語り出した。
「何やってんですか、あなた」 シンは呆れた声でリビングに居る人物に溜息を吐く。
普通なら半年近くは集中治療室送りのはずの彼が、ソファに腰かけてニュースを見ていた。シンが室内の電気をつけると、明るいオレンジ色に近い照明の下に彼の姿が現れる。顔色は随分といいように見え、特にどこかに痛みを抱えている様子も見受けられない。回復はほぼ完璧と言えた。
「…ごめん」 彼は視線を下げて申し訳なさそうに言った。「事故のことが気になって」
彼は、もう包帯の必要ない素肌の上に毛布を着ていた。ベッドを出るときに引きずってきたのだろう。
爆発にやられてずたずたになってしまった彼の服は捨ててしまったし、シンより一回りは体格のいい彼にシンの服が合うはずもなく、何より彼をここに独りおいて外へ買出しに出かける訳にもいなかった結果だが、下手をしなくても朝が来れば、シンは彼に合う服を探しに街へ出ることになるのではなかろうか。
人並み外れた、という言葉で終わらせることは到底できない回復力だ。薬の処方のために呼んだあのときの医者をもう一度呼べば、今度は彼をよく調べてみたいから、と入院をせがまれるかもしれない。
「原因なんて判りませんよ」 シンは当たり前のように言った。「あんな広範囲の爆発群、そう簡単に爆心地が判れば苦労しません」
「そうだね…」
彼はテレビを横目に見ているが、もうその番組が爆発事故の詳細について語り出すことはなかった。
事故そのもののことじゃない。この人はもっと別の何かを気にしている──シンは何となくそう感じた。シンの直感は非常によく当たる。自分でも子供の頃からよく判っているし、時にそれは『予知』に等しい正確さを見せることもあって、一度は妹の命を救ったこともあった。
そんな不思議な現象を、シンは、自分は人よりちょっとカンが鋭いだけだ、それで片付けていたのだが。
「何か食べます? 簡単なものだったら作りますよ」
ダイニングに入ると冷蔵庫を開き、シンは中身を確かめる。
朝方に意識を失ったその後、約三十時間という睡眠から目を覚ました彼の食欲は驚くべきものだった。特に好き嫌いもなく様々なものを口にし、四日目にはベッドから起き上がるようになっていたくらいだ。
「あれから…もう一週間になるんだね」 彼は言った。
「そうですよ」 冷蔵庫の中身はあらかた彼に食い尽くされたあとだった。シンはどうしたものかとリビングへ戻ってくる。「あなた、どうしてあんなところに居たんです?」
とりあえず、と言うように、彼の前のテーブルにコーヒーのカップが置かれる。体調と栄養摂取を考えられてか、その中身はカフェオレになっていた。
「僕は…」 彼はカップに視線を落とす。
先に続く言葉はなかなか出なかった。ただの野次馬で、火災見たさに出て行って巻き込まれたのでは笑うに笑えない──そういう感じには見えない。
「言えないことなら、聞きませんけど」 シンは肩を竦めて、彼の向かいのソファに腰かけた。
いつのまにかニュースは終わり、他愛もないと言うには少し品位の低いバラエティ番組が始まっている。シンはつい前に座っている彼に視線をやってしまうが、彼は本当に爆発事故以外のことなど頭に無いらしく、ただカップを見つめたまま何事か考えているようだった。
「あの」 シンは改まって口を開いた。「聞いてもいいですか」
「…何?」 彼は首を傾げる。
「…あなた、コーディネイターですよね。それも、すこぶる優秀な」
彼がシンの姿をはっきりと視界に捉えた。見る間に瞳が大きく見開かれる。『ここ』でナチュラルだコーディネイターだと言っても、まるで異国の言葉のように全く通じないのはシンもすでに知っていたが、確かめるように放った言葉に、彼が見せた反応は明らか過ぎた。
やっぱりそうだ、この人はおれと同じ世界の人間なんだ──。
「どうして…君がそれを」
「おれもコーディネイターなんですよ」 シンは勿体つけずさらりと言った。「おれのこと、覚えてますよね? 前に、駅であなたに助けてもらいました」
「…うん。覚えてる」 彼はその時の事を回想しながら答えているようだった。「でも…偶然だと思ってた」
「偶然なんかじゃありませんよ」 シンは強く返した。「おれ…ずっとあなたのことを探してたんです。あなたに会いたくて、あの爆発があった日も」
「どうして…僕を?」
彼は目を眇めて低く問う。どうやら今の問答で、シンはかなり警戒されてしまったようだった。しかしそれを気にかけず、シンはすっと彼に向かって手を差し出す。
「百聞は一見にしかず、って言うんですよね。こういうときは」
彼は伸ばされたままの手に強張った視線を落とす。だがシンは特に何を言うでもなく、ただ応答が返るのを待った。
やがて彼は毛布の中から手を出すと腕を伸ばし、ゆっくりと感触を確かめるようにシンの手を握る。
──ピ、と、張り詰めていた糸が切れる、そんな錯覚が脳を掠める。彼の表情を再び驚愕が彩った。言葉よりも行動よりも、より確実でより鮮明で、そしてより多くの『何か』が交わされた瞬間だった。
爆発事故があった当日、それまでぱったりと隠れるように途切れていた彼の気配が大気に満ちた。はじめて彼の瞳を見たときの、深い闇の底に引き込まれそうな、そんな危機感と同等の高揚感が再びシンを満たしたのだ。
あの人が呼んでいる──シンは夢中でその気配を追って走った。疲れなんてちっとも感じなかった。身体が軽くて、いっそどこまでも行けそうな莫大なエネルギーが身体中に溢れていた。
その先で二度目の爆発が起こり、そして見つけたのだ。
上空をうるさく鳴きながら飛んでいるロボット鳥と、その下でコンクリートの瓦礫をおびただしい血に染めた彼を。
どうやって彼の身体の至るところを潰していた瓦礫を退かしたのかは覚えていない。しかし思い出せる限りで順を追ってみると、次の記憶では自分の身体が赤く汚れるのも構わず、シンは彼の身をかき抱いているのだった。
嬉しかった。嬉しくてたまらなかった。こいしい、いとおしい、せつない──生涯のうちでも滅多に味わうことのない、たくさんの感情の波がシンの脳を痺れさせた。
その時こそ、何故そんな感情がわいてくるのか判らなかったが、その理由は日を経てすぐに判った。誰しもが見捨てるであろう致命傷からあっさりと回復した彼を見て、彼がコーディネイターであると確証を得て、尚のことその意識はシンの中で強まっていった。
彼はシンと同じ世界の人間であると同時に、コーディネイター同士であると同時に、それらすべてを超越したもので繋がった『仲間』なのだと。
呆然と言葉もなくただシンを見ているだけだった彼の頬に、つぅ、と滴が流れ落ちた。表情と呼べるものは何も無い。しかしそれは、そんな表に出るものだけで語り尽くせるほど短絡ではない強い感情によって、とうに心が麻痺した結果だった。
「…キラ・ヤマト」 はじめてシンは微笑みを浮かべた。「初めて会えた。おれと同じ力を持った人──」
NEXT..... (2004/12/07)