GET LIMIT  1.暗動


 一体誰が言い出したのか。

 それを考えると、アスラン・ザラは自分でも制御の利かない怒りが心の底からこみ上げてくるのを感じて止まない。直接、間接を問わず近付いてきた愚か者の数はゆうに百を超え、それらと戦い過ごす合間に訪れる安らぎはまた、それらの襲撃によって破られる。まるでイタチごっこのような日々が、いつ終わるとも知れず続いていた。

 もう放っておいてくれと願いを込めて最後の一撃を繰り出したのが幾度目であったか、そんなことはすでに忘れてしまった。むしろ数えるのを止めて久しかった。

 彼らが『奴ら』と称する者達からの攻撃の手は決して止むことはなく、アスランたちが疲れ果て眠る間にこそ嬉々として訪れた。そうなるともう眠るどころの話ではなくなり、夜になっても昼を過ごしていても神経が張り詰めて、疲れた身体が休息を求める声なき声も薄れて消え、いつしか眠らなくなっていった。

 今もこうして高いビル群の上に立ち、夜を渡ってくる風に吹かれるまま彼は虚空を睨みつけて時を過ごしている。目を閉じても眠りの気配が訪れることはない。睡魔というものたちは、眠ろうとしないアスランのことをとっくに諦めてしまったのだろうか。

 この間にもアスランの心は休まっていなかった。この日の昼間にも彼は数体の敵と相対している。すでに今の生活をするようになって数年以上の時を経て、とうに慣れたはずの戦いなのに、アスランは今日に限って妙に心が高揚するのを感じている。何故なのかはよく判らない。思い当たる節もない。しかし感覚だけが、心だけが何の理由も不明のまま高ぶっている。

 疲れているのだろうか。アスランは自分の掌を見つめていた視線を再び虚空に向けた。眠らなくなって、眠らないことに慣れてずいぶん長いが、今になってそのツケがまわってきたのか、という程度にしか彼は受け止めていなかった。

 ふと、空気が動くような感覚があった。

「今日はこちらにいらしたのですね、アスラン」

 鈴を鳴らすというよりは、ハープの弦を柔らかく撫でる──そんな女の声がアスランの耳に届いた。ひとつ息を吐いてから視線を巡らせて見れば、ラクス・クラインが優しげな微笑を湛えて立っている。白を基調とした、彼女の身体をすっぽりと包むドレスが夜の闇によく映えて美しかった。

「何かあったか?」

 事も無げにアスランが聞く。ラクスは小首を傾げるような会釈を見せると彼に向かって歩を進めた。先にわずかなくせを持つ薄桃色の長い髪がふわりと揺れる。

「御用がなければ、来てはいけませんか?」 彼女は言った。

 同じく事も無げに、しかし優しさと気遣いを秘めた柔らかな調子で言葉を返されてアスランは刹那、押し黙った。やや間を置いて、別に、とそれとは思えぬ返答をして、彼は彼女に向き直る。

 用がなければ、と聞きながらも『何かあった』からこそラクスはここを訪れている。そんなことはアスランだってよく判っているはずだ。

 彼女がそれを告げればアスランは再びここを出て走り出す。だからこそラクスは告げるまでに間を置いて、わずかでも、どんな内容でも会話を交わす事を心掛けている。

 それは連日の戦闘によって彼の心に鬱積されたものを和らげるためであるのだ。

「アスラン。あれから休めましたか?」 ラクスは静かに言った。「夕刻の者たちは、いつもに比べれば少し強い分類でしたね」

「…ああ」 アスランは遠い記憶を思い返すように目を細めた。「それは俺も感じていたよ。日に日にあいつらは、強さを増している気がする」

「はい。能力だけでなく、物理的な力さえも」

 闇の中を再び風が流れていく。そこには都会の排ガス臭に混じって『何か』の臭いが乗っている。アスランが目を閉じて意識を集中させると、それはより臭気を濃くして経過と共に周囲に満ちていくのを感じることができた。

 それを感じるだけの間をおいてから、ゆっくりと目を開いたアスランはラクスを見る。

「……また現れましたわ、アスラン。南の大交差点です」

 まるでいけない事を口にするように、ラクスは慎重にそれを告げた。



 大きな街の動脈と言える幹線道路の交差点は、大勢の警官と、彼らが乗ってきたパトカーによって封鎖されていた。

 やってくる車の数々が回り道を余儀なくされるわけだが、さらにその後ろから続々とやってくる車が後退路さえも塞いでしまい、さながら詰まった血管のように、行くも戻るもままならぬ状況を作り出してしまっていた。


 クラクションが鳴り響き、ドライバーや通行人が何だ何だと野次馬に群れるその現場へアスランとラクスが踏み込む。驚いたことに周囲の人々は、堂々と封鎖領域へ歩いて入っていく彼らを止めようとしない。警官たちも、むしろ彼らがそこにいることが見えていないかのように横を素通りし、視線さえも向けようとしない。

 アスランは『そこ』に目をやった。

 交差点のちょうど中央でアスファルトが砕けて盛り上がっている。それは、雑草が路上に顔を出している風景を彷彿とさせられるが、これはそんな小さな規模で済まされないほど大きかった。

 さながら都会のど真ん中に小山が生えてきたかとさえ見受けられる。

 一瞬で、そして異常なスピードによってこれは現れたようで、あるいは引っくり返され、あるいは地裂に挟まれて砕かれた車がいくつも見受けられる。小さな二階建ての家の屋根にでも登れば、この盛り上がりの頂を見ることができるだろう。

「いかがです、アスラン」

 ラクスがそっと問うが、アスランはそれの頂の方向を見上げたまま何も答えない。

 と、ふわ、と風が流れて彼の足が地を離れた。瞬く間にアスランの身体は上昇してそれを見下ろせる位置で停止する。まさにそれが当然のように、ほしいものを取る為に手を伸ばすがごとく、アスランはそのままでは見ることができるないものを見るために宙に浮いたのだ。

 ラクスはそんな彼の様子を地上から見ている。周囲の人間はそんな彼らをひとつも気にしていない。やはりアスランとラクスの姿は、周囲の者には見えていないようだった。

 自らの顎に手をかけながらアスランはそれの頂を凝視した。盛り上がったアスファルトや地面の先端には火口にも似た口が開いているが、例えに反して、それは地の底まで続いていそうな闇の口だ。今すぐここから大量に水でも噴き出せば、翌日の朝刊の一面トップに水道管破裂事故の記事が載ってそれで終わりなのに、とぼんやり思う。

 そうはいかないのだと頭のどこかが理解しているからこそ、小さな期待が現実化する想像をしてしまう。アスランは息を吐いた。

「ラクス」

「──はい」

 アスランの呼びかけに、彼のすぐ後ろでラクスは答えた。呼ばれることが判っていたように彼女もまた彼の背後に浮上してきていた。しかしそんな彼女に驚く様子もなくアスランは淡々と闇の火口を見つめている。

「…ここから何かが出て行ったようだ」 彼は言った。

「やはりそう思われますか」 自分の予測がアスランの言葉に代弁されて、ラクスは眉を寄せた。「では、いったい何が」

「それは判らないが、もう近くにはいないな」

 アスランは背後の女を振り向き、何者かの気配を追うように空を見た。

「残留した気は未だ消えないというのに、どこにも気配は感じられない…。隠れるのが上手いのか、それともすばしっこいのか。何にせよ早いうちに手を打たないと、第二波、三波が起こらないとも言い切れない」

「ええ…」 ラクスは大きく息を吐いた。

 ピリピリと張り詰めるような緊張感と、今なお現在進行形で高まっていく殺気がこの場に満ちている。息が詰まりそうな空気が立ち込めているのがわかる。今のままここを放っておけば、すぐ眼下で群れている人間たちがこの気にアテられて、間を置かず乱闘騒ぎを起こしかねない。

 この闇の口はこの場で『閉じる』べきであるとラクスは踏んだ。何がここから出て行ったにせよ、それがここへ戻ってくることはもう永遠に有り得ないのだ。戻らないものが戻る口を、そしてその戻らぬものが残していった異質な気を、このままにはしておけない。

「わたくしがやります。アスランは下がって…」

 すい、とラクスが前へ出る。アスランは彼女と入れ違うようにそこを離れた。ラクスは己の胸元で両手を組むと、先ほどのものとは違った、集中のための吐息をもらす。

 彼女は祭典や式典のときにさえ見せないであろう静寂の表情を湛え、胸元の手を己の前へと差し伸べた。

「この夜を支配するあなたに願いましては、この場の崩されし均衡に、汝が御力により、ありし姿を取り戻させんことなり」

 静かなラクスの言葉が流れていくと、じわじわと周囲に満ち溢れる気が薄れて消えていった。繰り返し繰り返し、同じ言葉を風の中に流せばそれほどに周囲は浄化されていく。徐々に空気が鎮まっていく、そんな例えが似合う精神的な静寂が取り戻されるうちで、アスランは思うともなく空を仰いだ。

 そういえば今日は星がよく見える──。そんな場合ではないのにそんなことを考えてしまう。本当ならこんな星々は、もっと空に近いところで、あいつと肩を寄せ合って眺めていたいものなのに──。

「この夜を支配するあなたに…」

 ラクスが最後の言葉で最後の気を浄化する。その頃には交差点周囲で車の群れが動き出す。ようやく詰まりが取れたその太い血管は、都市の大動脈としての機能を取り戻して本来のそれとは違った仮の循環を始めた。

 彼女は自らを整える吐息と共にアスランを振り向くと、ふっと微笑みを浮かべて見せる。これでよろしいですか、と問うように。

 彼は頷いて応える。もう、渡っていく夜風に先ほどまでのいやなものはなかった。

 二人は下降して地に戻ると、何事も無かったように歩いて人込みの中に消えていく。

 道行く誰一人として彼らを見ない、人の波の中へと。






                                         NEXT..... (2004/09/25)