FATAL ASK  8.強奪

 民間用に偽装した小さなシャトルが宇宙空間を飛んでいく。プラントのひとつから飛び出したそれは、建造物群に背を向けて、まっすぐ進んでいった。

 行き先には何もない──のかと思ったら、お芝居の演出か何かのように突然、シャトルの進路で黒い幕がユラリと揺らめき、たちまち青く巨大な艦体が姿を見せた。ゴン、と小さなハッチが開き、シャトルはそこへ吸い込まれていく。

「お疲れさまです、大佐」

 地球連合の白い制服を着た中年の男、イアン・リーが、シャトルから降りてきた相手に声をかけた。

「お疲れって言っても、本番はこれからなんだけどな」

 ネオ・ロアノークは軽く肩を竦めて、部下に苦笑じみた言葉を返した。長い金の髪の上に武骨な仮面をかぶっている彼は、外見から年齢を判別するのが難しい。しかし声を聞けばとても若く、まだまだ二十代といった感を受けるだろう。着ている服も連合のそれに程なく近いが、リーのそれが白なのに対し、彼のそれは黒い。

 大佐、という呼ばれかたこそしているが、正規軍の所属ではないようだ。

「マイウスでの戦闘はどうだ?」 トンと床を蹴り、ブリッジへの通路を進むロアノークは言った。

「は。『操作』を受けたザフト部隊は、現在は修復ガラスを突破しプラント外にて戦闘中。しかし相手は同胞、さすがにコーディネイターにも動揺が見られるようで、順調に進行中……といったところですな」

「そりゃそうだ。いきなり敵になったからって仲間の部隊に銃を向けられるんなら、コーディネイターも、もはや人間じゃないだろう」

「よくおっしゃいますな。では『操作』を受けた部隊の者たちはすでに人間ではないと?」

「ま、そういうことになるかな」

 円柱状になったエレベーターに二人で乗り込む。そこは男二人に対しては少し狭い。ヴーン、という低い作動音が終わってドアが開くと、ロアノークの視界が大きく広がって壮大な宇宙空間が見えた。メインブリッジだ。

「だが本当に『人間じゃない』のは、そういうことを考えちゃう奴、だよ」

 また上司の軽口が出た。恐らく何を答えても、自分の上層である軍に文句を言う結果になってしまうだろうから、リーは黙って床を蹴って艦長席へ着く。

 ロアノークは言った。

「まもなくアーモリーからミネルバが出てくるが、奴の目的はマイウスだ、相手にするな。ガーティ・ルーはこれよりアプリリウス・ワンへ向かう。ドンパチに巻き込まれて正体見破られたり、ってのはカンベンしてくれよ?」

 はっ。ブリッジのあちこちから応える声が返ってきた。

「ところで」 リーは言った。「いかがでしたか、『あれ』の偵察は?」

「…うん」

 急にロアノークの声が低く沈んだ。顔つきまでは仮面のおかげでわからないが、おそらくは相当しぶい顔をしているに違いない。

「今回の作戦は失敗かな」

 リーはぎょっとした。いきなりこの上司は何を言い出すのか、と言わんばかりだ。

 だがロアノークは、そんな部下の非難めいた視線など気にもせずに肩を竦める。

「ちょっとツツいて、実力ってか、現在の標準値、ってのを、確かめてみようとしたんだが、邪魔が入ってな」

「邪魔、ですか」 リーは眉を寄せた。

「ターゲットの能力値が、いきなり何十倍にも跳ね上がった。数値の変化とか、そういう科学的なモンじゃなくて、『ヤバイ』のが感覚で判るっていうのかな。あそこにいたのがステラだったらって思うと、ちょっと恐ろしいね、あれは」

 能力者の感覚というのだろうか──リーはなにげなくそう思ったが、とても理解できるものではなかった。ロアノークがいう『ヤバイ感覚』とは、おそらく銃口や鋭い刃を向けられた瞬間に感じる、直感的な生命の危機に関するそれとは違ったものだろう。得体の知れない恐怖や危機を感じたとき、背筋が逆立ったり、熟練者なら反射的に身体が動いたりするというが、そういったものとも違うように思える。

 結局、ただの人間にすぎないリーに、そしてブリッジのあちこちで、聞くともなく会話を聞いているクルーたちに理解できるものではないのだ。

「あれは俺たちじゃ、到底捕獲なんてできるモンじゃない。まあもっとも、殺す気でかかっても無駄だろうけどさ。ヘンな興味なんて持たないで、とっととブン殴って連れてくればよかったよ」

「できない、とおっしゃいますが」 リーは焦った。「あれの捕獲こそが、今回最大の目的ではありませんか」

「まあー、そうなんだけどねえー」

 気の抜けた調子でいいながらロアノークはウーンと大きな伸びをする。この男には緊張感というものがないのか──誰もが一度は疑問に感じたことのある問題だ。トコロ構わず出てくる軽口はもちろん、軍の威信に関わる重大な任務の最中でもこの通り、よくもこの男が大佐などという地位でノンビリしているものである。

 しかしそんな疑問のことごとくは、彼と共に戦場に出たパイロットから順番に、きれいに消えていってしまうのだが。

 と、ブリッジの中にピーッと発信音が小さく響いた。

「アーモリー・ワンより熱源の出現を確認」 クルーのひとりが言った。「出てきました、ミネルバです」

「オーケー」 ロアノークは言った。「スティングたちに通達しろ、ミネルバから貰うモン貰ったら至急合流せよってな」

「あれの捕獲はどうされるのですか」 リーが言った。

「無理なもんは無理。ありゃきっとローエングリンだって片手で止めちゃうぜ? そんなバケモノと戦って全滅するほうがよっぽど問題アリだろ、今回は『できる』任務にカタがつけば運がいいほうだ。──っていっても、すでにマイウスでデータの入手に失敗してるんだけどな」

 ローエングリンを片手で──。

 あまりといえばあまりの言葉にクルーたちがどよめいた。かつて無謀にも、その砲撃をシールドひとつで受け止めたMSがエネルギーに耐え切れず融解し爆散した話は有名なものなのに、MSどころか生身の少年にそんなことができるとは、笑い話を通り越してもはや誰も聞く耳を貸さないレベルである。

 超能力って、いったい何なんだ──。

「ミラージュ・コロイド展開」 ロアノークが言った。「あいつらが戻るまで、アプリリウス宙域で待機する」



 いなくなったキラのことはデュランダルとカガリに任せて出てきてしまったが、シンは居ても立っても居られなかった。ミネルバのブリッジはすでに遮蔽されており、艦内も、マイウスへの到達と同時に開始されるであろう戦闘を予期して緊張しきっている。MSの操縦が可能なパイロットたちもまたそれぞれの機体で待機状態で、誰ひとりとして私語を放つ者はいない。

 ──MSデッキに群れている、若い者を除いては。

「ラクス様襲撃のデマといい、マイウスの事件といい、なんかこの何日か、とても平和記念って雰囲気じゃないよなぁ」

 ハーッと溜息など吐いて項垂れたのは、シンの横に立っているヴィーノ・デュプレだ。

 彼はアカデミーにいた頃からのシンの友人で、ルナマリアと同等程度の認識ではあるが超能力のことも知っている。多少なり気の知れた相手だったが、シンはそんな相手のデマという言葉には同意を返すことができなかった。

「式典と祭典が無事に終わっただけでも、ヨカッタって言うべきかもな」

 やはりどことなく納得いかなさそうな顔をしてヴィーノに同意したのは、同じくシンの友人であるヨウラン・ケントだ。ふたりともミネルバの整備士として配置されているが、ルナマリアやレイをはじめ、シンの知り合いがこうも多く一箇所に集められたのは、デュランダルの配慮以外の何者でもない。

「けど、あの記者会見以降ラクス様のオスガタなんて見てないし、もしかしたら彼女の襲撃っての、ホントだったりして」

 ヨウランが冗談のつもりか笑って言ったが、シンは思わず自分の表情が引きつるのを感じた。彼はあまり嘘や隠し事が得意ではなく、大抵の感情がすぐに顔に出てしまう。ずらりと並べられたMSの中では同僚たちだって聞いているというのに、このままここでこの会話に混じっていたら、間をおかずプラントの重大機密が艦内に知れ渡ってしまうかもしれない。

 ああ、キラ──。シンの頭はすぐに別のことを考えた。結局キラはアプリリウス・タワーの中にはいなかった。ゲートの警備員にも、彼が出て行くのを見た者はひとりもいない。ということは、テレポートを使ってどこかへ行ってしまったとしか考えられなかった。

 デュランダルはすぐに戻ってくるだろうと言ったが、もしかしたら彼はアスランを追ってマイウスへ行ってしまったのではないか──シンの胸にその不安がぐるぐると渦を巻いていた。

 なに考えてんだあのひとは、この非常事態に──。シンは、そんな可能性のひとつにイライラした。もしもテロか何かが起こってたとして、巻き込まれてナニカが発動でもしてみろ、大変なことになるんだぞ──。

 短気な彼の頭を満たして止まなかったのはその可能性ただひとつだった。バリアでも、強制テレポートでも、あるいはとっさの反撃にしろサイコキネシスひとつが発動するのもまずい。キラほどの能力者がその程度の発動さえコントロールできないはずはないのだが、彼が自分の能力に完璧な制御を持っていたのは一年も前の話なのだ。

 やっぱりミネルバのことはジュール隊に任せて、キラを捜しに行けばよかった──。ついに彼が、自分が受けた命令に対する不満まで抱きかけたとき、艦内に警報音が響き渡った。

『目的地マイウス近辺での戦闘を確認、現在宙域では目標・ヴェステンフルス隊とジュール隊が交戦中です。ホーク隊MSはただちに出撃、以後はジュール隊の指揮下に入ります』

 メイリンではない女の声で、放送はてきぱきと状況を伝える。シンの傍にいた友人たちがササッと走り出して、間近に迫った出撃のときへ向けた準備を始めた。

 ミネルバ艦長タリア・グラディスの命令によって、シンをはじめとする数名のパイロットは艦内で待機することが決まっている。よって彼はパイロットスーツも着ていない。シンは暇を持て余すように展望デッキの上へと移動していき、そこから忙しく稼動を始めた格納庫内部の様子に視線を落とした。

 この戦艦最大の戦力であるMSインパルスの射出施設がライトアップされた。いくつもの階層に分かれたそこは巨大なエレベーターのようにも見え、その最上部に置かれているコアスプレンダーの中には、インパルスの正規パイロットに任命されたルナマリアがいる。本当ならあれにはシンが搭乗するはずだったのだが、当時は彼が異世界にいたせいで急遽変更されたのだ。

 時期を同じくして開発された新規モデルである三機のMSもまたここに収められているが、彼らはまだ、搭載された兵器を使いこなせるパイロットに出会えていなかった。

 インパルスを形成する各部パーツを乗せたフロアが上昇していく。まもなく射出されるのだ。シンは見るともなく飛行形態のコアスプレンダーが見えなくなっていくのを見送り、苛立ちともざわめきとも違う、妙な危機感に眉を寄せた。

 マイウスの異変にはきっと能力者が絡んでるに違いない。それなのにこのままアイツらを出撃させたりして、本当に大丈夫なんだろうか──。

 ドクン。

 不意にシンの脳幹に、得体の知れないショックが飛来した。何かがいる気がする。何がどうして何なのかよく判らないが、確かにシンの感覚は『これ』を『居る』ものだと認識した。目の前に人がいるのを見て『居る』と思うように。

 何かがここに来た──。生来鋭い直感能力を持っているシンがソウと思うのだから確実なのだが、だからといって眼下の出撃準備をやめさせるには相当な無理がある。シンは無重力を言い訳にして展望デッキから飛び降りると、再びMSたちと同じ床に足をつけた。

 どこだ、どこに現れた──?

「シンッ、何やってんだよッ」 遠くからヴィーノの声がした。「おまえは早くブリッジに戻──」

 友人の姿を視界に捉えたシンの目が、見る間に大きく見開かれた。大きな身振りでブンブンと手を振っているヴィーノの背後に、フッと霧がわくように見知らぬ少年が出現する。すべてをバカにする笑みを浮かべ、右手に握ったナイフをまさに振り下ろさんとする、青い髪の少年が。

 ──能力者! シンの脳にはその衝撃が何よりも強く刻まれた。

「ヴィーノッ!」

 シンは絶叫に近く声をあげると、ふところに入っている銃の存在すら忘れて右手を突き出した。彼にとって能力を使うことは軍人が銃を使うよりもはるかに当たり前の、そして自然なことだ。おまけに反射的な行動だったから迷いというものも存在せず、次の瞬間には掌に収束した熱い念波が撃ち出されていた。

 ドンッ! 鈍い衝撃音。ヴィーノは自らの耳元でその音を聞いた。出てきたばかりの少年は、その的確な一撃に全身を強打されて吹っ飛ばされるが、気を失ったり大きなダメージを受けたふうはなくスタンと壁に着地してみせる。高いところから落ちた猫のように。

 刹那こそ驚いた表情をしていたが、彼はすぐに、小生意気な笑みを取り戻した。

「ヴィーノッ、早くここから逃げろっ!」 シンは彼に向って滑空しながら叫んだ。「ブリッジへ行くんだ!」

「えっ、何、シン──」

 当たり前のことだがヴィーノの反応が遅すぎる。シンは状況を掴みきれていない友人の肩を引っ掴むと、すぐ間近で彼の大きな目を覗き込んだ。

「ブリッジへ行け、ヨウランを連れてっ!」

 ヴィーノの頭の中で、ぱきん、とスイッチが切り替わるような音がする。耳から入ったシンの声が脳へ届いた瞬間、彼の全身に広がったのは感じたこともない歓喜だった。

 何でも聞きたい、こいつの言うことなら、なんでも──。

 シンは目つきが虚ろになった友人からさっさと手を放すと、壁から立ち上がった少年へ向けてさらに走った。何者かは知らないが敵であることは間違いない。握り締めた右の拳にありったけのパワーを充填して床を蹴る。

「アァァァァァァアアァァァァァッ!」

 叫び声をあげたのはシンではなかった。彼は自分の背のほうから飛んでくる何かの存在をいち早く察知して、空中で右へ跳んだ。

 ヒュオン。空気を切り裂く音がした。シンの視界を縦一文字に駆け抜けていったのは大きなシミターの刃と、それを握り締めた少女の敵意の眼差しだった。

 な、仲間がいるのか──。動揺を浮かべた彼の視界で青い影が動く。少年が体勢を立て直してシンの横についたのだ。敵は常人では決して考えられない、獣のような素早い動きをする。だがシンとて負けてはいられない。

 もっとスゲェ動きをするひとを、おれは知ってるんだ──。

 首を狙って振り回された少年のナイフは髪数本を犠牲にしてかわし、その隙を狙う少女の一撃はジャンプして空中に逃れる。人前で滞空などという真似をするわけにはいかない以上、ここが無重力で本当に助かる。だがその恩恵を得ているのは敵もまた同じだ、二人は何事かを話し合い、そしてシンの目の前で二手に分かれた。

 先ほどの素早さをもって左右から同時に襲われてはたまらない。シンはさらに上へ逃れて天井に足をつけた。自らの攻撃を読まれた敵たちは舌打ちしながら突っ込んでくる。

 今度こそおれの全力をぶち込んでやる──シンがぐっと身構えたそのとき、想像だにしない音が聞こえてきた。

 ドドドドドドドドッ。少し重みがあるが、それは間違いなくマシンガンの音だった。シンの背筋がザワリと総毛立つ。なんでここでこんな音が、まさかまだ仲間がいたっていうのか──。

 反応が遅れた。一瞬だけ存在を忘れらながらも確かにそこにいた少年のナイフが、我にかえったシンの瞳の中でキラリと照明を反射する。

「終わりだぜッ!」 少年が叫んだ。

 バリアが間に合わない、ダメだ、やられる。こんなノーマルの状態じゃ──。

 一瞬の静寂。ナイフが空を斬る音さえも聞こえない、遠い沈黙が舞い降りる。死の瞬間ってこんなモンなのか、と、シンは的外れなことを考えた。

「………?」

 しかしそれにしても、ずいぶんと長いこと続く。ぐっと閉じていた目をおそるおそる開いて前を見たシンは、自分の目が正常に機能していることが信じられなくなった。

 どこの海よりもどこの空よりも濃く深い、蒼穹の色をした機械翼が視界に飛び込んできた。表面にミミズバレのように浮き出している赤や青の筋が決して模様ではないことを、それが生えている部分の皮膚にも同じものがはしっているのが決して特殊メイクなどではないことを、シンは痛いほどよく知っている。

 キラだった。神とも悪魔とも表しがたい一年前の姿で、彼はシンの前に、盾となるように滞空していた。

「キ、…キラッ…?」

 声が震えた。キラは振り向くと、今にも崩れてしまいそうなシンの顔を見て、ふっと、彼がよく知っている笑みを見せてくれた。

「『デスティニー』は、使わないで。──ここには、君のともだちがたくさんいるんだろ?」

 通常の発声だけでなく、心の中にわいてくる疑問さえもたどたどしくて言葉ならない。シンは今自分がどうしていいのか、さっきまで自分がなにをしていたのかを思い出せなくなってしまった。

 なんで。なんで、なんでまた、あんたはそんな姿に──。

「イヤアアァァァァァァ───ッ!」

 いきなりものすごい絶叫が静寂を破った。やっと現実に戻ることができたシンが気付いてみると、さっきまで自分を襲っていた少女が頭を抱えて叫び声を上げている。おそろしい夢を見た幼い子でも、恐い体験から明けたばかりでもきっとこうはならない、もっと深い部分、そう、まさに命や心そのものが崩壊しかかっている、そんな鋭い悲鳴だ。

 それを聞いたすべての者の間で、正常な時間の流れが戻ってきた。キラを見て硬直していた少年も我にかえったようだが、さすがに化物と戦う勇気まではないらしく、チッと舌打ちして身をひるがえし、未だに叫び続けている少女を抱いてフロアへと戻っていく。

「待てっ!」 シンは叫んだ。

 待てと言われて待つ敵はバカだ。少年が少女を連れてとっとと着地すると、並んだMSの足元からもうひとり、今度は緑色の髪をした少年が駆け出してきた。やはり手には大振りな機関銃を持っていて、格納庫のあちこちには赤い色をした水滴が漂っている。

 シンが二人と戦っているうちに、彼はこの内部にいる整備士や、侵入者を見てMSから出てきたパイロットたちを片付けてまわっていたのだ。あんな状況では気付けるはずもないが、すべての者が殺されていることを知ったシンの心に、怒りと憎しみの火が宿った。

「──シン、落ち着いて。まずはあの子たちを止めないと」 キラが、そんなシンの心の内を見透かして言った。

「わかってますよっ!」

 苛立ちの声をあげてシンは床へと降りた。今は下手に能力を発動させれば壁に風穴が開いてしまいそうで、彼は銃を抜く。

「このまま逃がすと思うなよっ!」 シンは叫んだ。

 振り向いて敵意をむき出しにするふたりの少年のかげで、少女はうずくまって震えている。先ほどまでの先陣を切る勇ましさはもはや微塵も感じられない。キラのあの姿を見て気がフレてしまったのだとしたら可哀想なことだが、キラにはカナリ失礼だ──などと思いながら、彼は正面に銃を構える。

「残念だったな」 鋭い目の少年が言った。「もう遅ェんだよッ!」

 並んだMSの中でも、セカンドステージの三機に電源が入った。無人のはずのMSがどうして、などと考える暇もないままズンと一歩を踏み出してくる。設置されたジョイントに阻まれていたものの、それらがへし折れたりねじ曲がったりして機能を果たさなくなったのは一瞬後のことだった。

「いくぞアウルッ!」 伸びてきたMSの手にさっさと飛び乗った少年が声を飛ばす。

 ──が、アウルという名であるはずの、青い髪の少年は刹那、動かなかった。何かを考えあぐねたように、ひどく迷ったように、シンのいるほうへ視線を投げている。

 シンは気付いた。彼の視線が自分を見ているわけではないことに。そして自分がいるこの方向には、あとはキラしかいないことに。

 アウルの唇が動いた。彼を注視していたシンは、いち早くその変化に気付いた。最初から最後まで、彼が口にした単語は四文字。読唇術の心得はあまりなかったが、ごく単純だったそれはシンにもすぐに理解できた。

 『か あ さ ん』。

 母さん? 母親を呼んだのか? 何言ってんだあいつ、マザコンかよ──? シンは眉をひそめた。

「アウルッ!」 仲間の少年が苛立った。「なにやってんだ、早くしろっ」

「シンッ」 キラが言った。「あの子たち、あの機体を持って行く気だ!」

「──やらせるかっ!」

 シンもまた床を蹴る。ターゲットになったのは、見捨てられるように床に残されていた金髪の少女だ。いきなり女に襲い掛かるのもどうかと思われそうだが、がくがくと全身を震わせて何かしらブツブツ呟いている彼女なら、MSに乗り込むような高等技術といえる行動を起こせないだろう、そう踏んでのことだった。

 すぐに取り押さえてやる──。シンの手がまさに届きそうになったとき、少女の目がきょろりと動いて、向かってくる相手の姿を捉えた。

「お」 彼女が言った。「王子、さ、ま…?」

 シンの時間が止まった。この時間こそが永遠に思えた。アウルといいこの少女といい、言うことがいちいち突飛しすぎていて訳がわからない。座り込んでいた彼女は顔をあげ、シンの顔をきちんと見る。愛らしいとさえ言える顔立ちをしているが、今はその大きな瞳も涙に濡れ、表情は恐怖に引きつっている。

「王子様、助けてっ」 彼女は尚も言った。「し、し、死にたくない、ステラ、ステラ死にたくないっ、死ぬの、こわいっ。あああああああ、こわいっ!」

 演技などではなく、本気で本当に言っているのだというのはすぐに判った。シンの手はすでに止まっていた。彼女へ対する敵意も、捕らえようとする気持ちも、ひょっとしたら彼女が敵であることさえも、この一瞬の彼の頭にはなかったのかもしれない。

 なんでだ。なんでこんな娘が、こんなところでこんなことをしてるんだ──。

「ステラッ!」 MSに乗った少年が叫んだ。「ネオが呼んでるぜっ、かえるぞ!」

 次の瞬間、何の前触れもなく娘の身体が白くフラッシュした。それは物理的に猛烈な衝撃波を伴ったもので、シンとキラの身体はガードの隙もなく吹っ飛ばされていた。壁に叩きつけられ、刹那、身体の自由が完全に奪われる。目の前がチカチカして目が上手く機能しない。薄暗い視界の中で何かが動いた。

「ネオ」 少女の声だ。「ネオが、呼んでる…」

 あとはMSの足音と、格納庫の壁を火気がブチ破る衝撃音、そして艦内に響き渡った警報音だけだ。

 今更警報なんか鳴らなくたって、インパルスのあとに何も出て行かない状態が長く続けば誰でも怪しむだろ──シンは頭痛の中でそんなことを考える。

 まんまと、というにはかなり不本意ではあるが逃げられてしまった。敵はもう、宇宙という手が届かない遠い場所へと出て行ったのだ。






                                         NEXT.....(2006/02/25)