FATAL ASK  7.再臨

 低いエレベーターの作動音と上昇感が止んだと思ったら、目の前のドアがあっけなく開いた。そこは地上、緑が植えられた大きな庭だ。暗い木々をほのかな白いライトが照らす静かな光景に見合わず、物騒な機関銃を片手にうろついていたザフト軍の男たちが、そこに乗っていた者たちを見てザワリと騒ぎ、一斉に銃を構える。

「いくぜぇっ!」

 掛け声を放って真っ先に飛び出したのはアウル・ニーダだった。敵が、まだ少年に過ぎない自らの姿を見て驚くほんの一瞬を利用して、躊躇なく引き金をひく。それだけでエレベーター付近にいた数人がバタバタと倒れた。

「スティングッ」 アウルが呼んだ。「ホラ、武器出てきたぜっ」

 声をかけられてやっと、まだ箱の内側で待機していたもうひとり、スティング・オークレーが駆け出す。彼は倒れ伏したザフト兵たちが取り落とした銃を素早く拾い上げて、騒ぎを聞きつけてやってくる後続の兵たちに発砲した。アウルがそうしたときと同じように、防具の位置を的確に読まれた兵たちは次々と、身体のあちこちに弾痕を刻まれ倒されていく。

「アハハハッ、こりゃ気持ちイイかもっ!」

 リアルにサバイバルゲームをプレイする感覚のアウルが笑いながら駆け抜けていく。スティングはそんな彼の背後について、後ろから追ってくる兵を確実に仕留めていった。いったい何人いるのかは判らないが、敵が続々と現れるさまは確かにそういう趣向のゲームに似ている。スティングには、幼かったころ、訓練でそんなものをプレイした記憶がボンヤリとあった。

 だがこれはゲームではない。アウルこそゲーム感覚だが、彼らが相手にしているのはリアルな人間だ。撃たれて転がった者たちの中にはまだ息のある者もいて、うめき声をあげている。ザフト兵たちは、敵に追いすがろうとしては撃たれ、あるいは奇襲を仕掛けようとしても無駄に終わってしまった。

 何故なら。

 ぴくん。アウルの表情が動いた。ニヤリと笑う。それはまるで、ゲームにおいて、すでにガイドブックでこれから先の展開を知っている者が見せる期待のそれだった。

 そっから出てくることは、もう判ってんだよ──。

 アウルが前方へ向けてマシンガンを構える。と、ガサリと茂みが揺れて緑色の軍服が飛び出してきた。その男は隠密行動が得意で、完全に気配を消すことに成功していた。だから奇襲は完璧に成功したはずだった。だが。

 タタタタタッ! アウルが撃った弾は、男の顔面を正確に捉えた。悲鳴を上げる間もなく、いや、上げたとしてもほんの一瞬にすぎない断末魔で男は倒れ、その身体の上を少年たちにポーンと飛び越えられていく。踏まれなかったことだけでも救いはあったように見えるが、当人としては、せめてつまづかせて足止めをするくらいの役には立ちたかったかもしれない。

 その男を最後に、正面からの襲撃はなくなった。兵たちがどれだけの数でガードしようとしても、彼らはまったくスピードを落とさなかったのだから引き離すのは簡単なことだ。

「さすがだなアウル」 横に並んだスティングが銃を捨てて言った。

「まーね」 アウルは得意げに笑った。「ステラは?」

「間もなく合流だ」

 死体と怪我人の山で兵たちを見事まいてみせた二人は、ラボの敷地を守る高い塀を軽々と飛び越えた。スティングは塀の頂上にトンと片手をついたが、アウルに至ってはヒラリ、クルリだ。

 と、着地した二人の視界にふっと白い影が映る。

「どうわっ!」 大げさに驚いたのはアウルだった。「──なんだステラか、おどかすなよなっ」

 白いお出かけ用ドレスを見て、どこを見ているともしれずポーッとした顔つきをしていきなり二人の横に現れた、どう見てもこの敷地に取り憑いた地縛霊にしか見えない少女は、彼らの待ち人、ステラ・ルーシェだった。アウルにナンダと言われても、別段気にしたふうもなく二人の連れに視線を投げる。

 そして彼女は、やはりポーッとした──地縛霊どころか異国の魔物のようにたどたどしく言葉を口にした。

「準備…できた」

「オーケー」 スティングが答えた。「ラボじゃおかしな邪魔が入ったが、今度はぶちかましてやる。アウル、おまえも準備はいいか」

「ああ、いつでもオッケー」 アウルがそわそわした様子で頷く。

「──いいよ」 ステラはすっと目を閉じて言った。

「よし。──マルフタマルマル、作戦開始」

 スティングからの合図を受けて、アウルとステラが向かい合って手を繋ぎ合った。目を閉ざし、首が自然と空をあおぐ。何を受け容れようとするように、あるいは何者かを待つように。

 三人の心の内で、何かの増幅と共に期待がふくらむ。何が起こるかを知らないのではなく、知りすぎるために。わくわくして、どきどきした。まるで子供が抱く、運動会前日の高鳴りだ。今から自分たちが始めようとすることがどれほどの大きな意味を持つことか、計りきれずとも知っていたから。

 俺たちの力、無能のおまえらに見せてやるぜ──。

「王子様」 ステラは言った。「お願い、──ステラを守って」

 耳が痛くなるようなキーンとした上昇感のあと、三人の背後、ラボの敷地のあちこちで盛大な爆音が響き渡った。



 マイウスにおいて、ザフト所属のMSが突然の暴走を始めたという報告が入ったのは、アスランがマイウスに向かってから一時間半ほども過ぎたあとのことだった。

 国防委員である議会議員が最新の映像だと言ってデュランダルに届けたのは、マイウス・スリーの近辺で展開されているヴェステンフルス隊による戦闘の映像だ。こともあろうに、アスランの助けになればと思って派遣した隊のMSが暴走を起こし、マイウス近辺の駐在部隊と戦闘を繰り広げている。

 音声までは入っていないが、さすがフェイスの部隊だけのことはある。駐在程度の部隊ではまったく歯が立っていない。

「議長…」

 沈痛な面持ちでどうしたものかと思案しているデュランダルの前に立っているのはシンと、そしてカガリだ。

 祭典も無事に──表向きには無事に終了し、明日の昼の便でオーブに帰る予定になっているのだから、本当ならカガリは滞在のホテルで帰り支度をしていなければならないはずだ。しかし宇宙がこんな状態で、しかもその原因が不明となるとそうもいかない。反対する護衛の者を押し切って、彼女はここへ駆けつけた。

 室内のスクリーンには、常時監視衛星からの最新の情報が届けられている。ヴェステンフルス隊のMSはひときわ目立つ色のショルダーアーマーを着けているので形勢が判りやすい。

 ──また新着したはずの部隊が何体も爆散した。

 今夜のうちにこの事件にケリをつけられたとしても、よほどの護衛でもつけないとその翌日にホイホイとアスハの艦を出せるはずはない。ソワソワしながら代表を早く返してほしいというオーブ政府の要望に応えてやるつもりが、何をそんな危険なことを、と逆に文句を言われるに決まっている。

「アスハ代表」 デュランダルは言った。「まだしばらく、あなたにはご滞在願うことになりそうです」

「なに、かまわんさ」 カガリは肩を竦めた。「オーブは国政に大きな問題はないんだ。わたしがいなくたって…っていうのもおかしいが、……大丈夫だ」

「でも議長」 シンは言った。「原因不明の暴走っていいますけど、アレ、中身はいってるんですか? …まさか無人なのに、ヘンな暴走であんなに操縦系統をコントロールされることって、ありえないでしょう」

 カガリとの間で和みかけていたデュランダルの表情が再びくもる。彼もまたシンと同じ疑問を持っていたのだ。ただの暴走ごときで、有人用MSがあんなにもてきぱきと動けるはずはない。少なくとも中には人間が乗っていて、その意思によって操縦されているようにしか思えない。

 暴走などと、ていのいい言葉を取ってつけて。

「私もそれは考えている。あれはどう見ても有人の動きだ…」 デュランダルは苦く言った。

「ブルーコスモスのテロでしょうか」

 あまりにもさらりと言ってしまったシンの言葉にカガリがぎょっとする。だがこれを聞いて、シンがナチュラル嫌いだと断定してしまうのは間違いだ。彼はただ単に、考え得る原因の中でもっとも可能性が高いものを例として口に出したにすぎない。すこしばかり、空気を読めない性格のせいもあるのだが。

 デュランダルは返答に困ったように黙り込んでしまった。そもそもコーディネイター用のOSをナチュラルが操作できるわけもないのだが、カガリの目の前で、実は私も…などと言うわけにはいかないと思っているのかもしれない。

 だが、だからこそ余計に判らない。あの中にはいったい誰が乗っているというのだ。

 わずかな時間でめいっぱい悩んで、デュランダルは大きく溜息を吐きながら顔を上げた。

「シン。君にはこれからすぐに、アーモリーのミネルバに入ってもらおう」

「え」 言われたシンがきょとんとする。

「マイウス近辺での戦闘の鎮静化と、その原因究明にあたってほしい。こちらは全ナチュラルの代表といってもいいアスハ代表をお預かりしている身だ、ラクスの件もある、これ以上の騒ぎの拡大は何ともしても止めねばならん」

「──了解しました」 シンは慣れない敬礼で応えた。「只今よりアーモリーへ向かいます」

「気をつけてなっ」

 背を向けようとしたところにカガリの声がかけられる。笑んで応えることができるほどカガリとは親しいわけでもない彼は、ちょっと頭を下げてドーモとだけ残し、部屋を出た。即座にテレポートを使ってプラント間を渡っていかねばならないが、とりあえず廊下を走る。

 客室を与えられ、そこでアスランの帰りをただ待っているキラに、このことを伝えておこうと思ったからだ。もちろんキラを不安にさせるだけだから、まさか自分がこれから戦闘に出るなんてことは口にする気はない。ただ、アスランを迎えに行ってきます、と告げるつもりだった。

 目的のドアの前に立つと、センサー反応でドアはすぐに開く。

「キラ──」

 室内へ向かって呼びかけたシンはすぐに異変に気付いた。

 夜中だというのに照明はまったくついていない。ベッドもきれいなシーツが張られたまま使われた形跡はなく、しーんと静まり返っている。シャワーかと思ったが浴室の照明もついていないし、水の音もしない。

 つまりは、無人なのだ。

「キラ……キラッ?」

 廊下を振り向いて呼びかけてみるがどこからも返事がない。

 シンは慌てて室内に飛び込んで、ベッドサイドの内線電話を手に取った。

「議長ッ! たいへんです、キラが部屋に居ませんっ!」

 受話器の向こうでその叫びを聞いたデュランダルが、息をのんで緊迫する気配がした。



 キラはすでにアーモリー・ワンにいた。

 自己修復ガラスの向こう側、はるか彼方では激しい戦闘が行なわれているのだろうが、内部までは音も光も届いていない。まさに真夜中の闇だけが支配する軍用都市を、新型戦艦ミネルバが収容されている港へと歩を進めている。

 ひどく息が乱れている。キラの体調は最悪だった。

 以前アークエンジェルに搭乗した頃に一度だけ、精神的疲労からくるひどい病に苦しめられたことがあったが、あれの再来ではないかと思えるほど身体が重く、呼吸さえままならない。手足にナマリの枷をつけられたようだ。ずる、ずる、とそんな足を引きずって歩いていくその距離が、今は果てしなく遠かった。

 アスランが戻るまでの間は眠っていようと決めたはずだった。アスランが受けた電話の内容なんて、話されずともキラは知っていた。切花にされながらも、コスモスたちがキラの求める情報をくれたから。だが一緒に行きたいなんて言えば彼はひどく怒っただろうし、まさか自発的に来いと言われるはずもなくて、だが心配で──不安が闇の増長に繋がってしまう前に、余計なことを考えないように、眠るつもりだった。

 けれどそんな状態で寝付けるわけがなくて、何度も何度もいやな夢を見ながら何度目かの覚醒に至ったとき、自分はここに立っていた。

 闇の中にチカチカと光る軍事港が見えた。太陽光が届かないせいで真っ黒な色をしている海に設置された、専用のドックの中に横たわっているミネルバの輪郭が、ほのかな光の中にボンヤリと浮き立っている。出港の準備をしているのだろう、近辺の工場や基地は明るくライトアップされて稼動しているようだった。

 ああ、どうして──。キラは不意に足を止め、目を細めてその光景を見つめた。

 どうして自分がここに立たされているのかが解らない、というのではない。

 また、なのだ。また、キラが持つ強い力を──かつてより遥かに弱りながらも、今尚すべてのマイノリティの頂点に立ち続けるキラの力を狙った何者かの意図によって、また戦いが始まろうとしている。しかも今度は、前回のように単純な敵との戦いだけですむ話ではない。ラクスの襲撃、国家の主要建造物の襲撃など、今度のケースではより大きな何かが背後にいるのは間違いない。

 どうしてみんな、力をほしがるの──。

 誰とは判らなくとも、ただ漠然とした、混乱と戦火の拡大を望む何者かの悪意が、このプラント群を取り巻いていることだけがひしひしと感じられるのだ。

 止めなくちゃ──。そうでなければ、ただでさえ能力者のいたずらで大勢の人間が死んだのに、また死体が積み重ねられることになる。何者かの意図も真意も、目的もどうでもよかった。キラはただ、これから大量の人が死ぬであろうと予測される出来事が勃発するのを、ただ見ているなんてできなかった。たとえそれが偽善と言われても、どんな言葉で罵られても。

 キラは自分の正面を見た。そこに、一瞬前まではなかったものがあった。

 無数の気配だ。ザワザワと木の葉が揺れるような空気のざわめきが肌に直接伝わってくる。明らかな、そして猛烈な敵意。それまでは正面からしか感じられなかったそれは、瞬く間にキラをぐるりと取り囲む形で展開した。

 鋭い矢のように飛んでくる殺気を感じる方向に視線を投げて数を確かめる。三、四、五……加えて真正面に、特別強い力を持つ何者かの気配がひとつ……まるで小さな部隊だ。人間ではない、キラはすぐにそれを察知した。ここしばらくは姿どころか気配さえ感じることのなかった『影』のそれに似ていたが、どこか、なにかが違っている。

「だれ…」

 キラは呟いた。あたりまえだが返答はない。

 そしてそんなキラの声を合図にして、黒い影たちは一斉に襲い掛かってきた。キラはすぐに地から足を浮かせて上空へと逃れた。ドドドッ、と眼下で獣と思しきものたちが目標を見失って激突しあう。だがすぐに体勢を立て直して浮き上がり、追ってくる。

 素早い動作の切り替えをする敵を見て、ただでさえ酸素不足で苦しげなキラの表情がなお歪む。

 空中で四方八方から繰り出される爪や牙の攻撃を、キラはことごとくかわしていった。まさか敵も、そんな動きに惑わされて互いにぶつかり合ってダメージを受けるほど単純ではない。キラが上へ避ければより上へ、下へ逃げればより下へ回り込んで、依然として自分たちに有利な『包囲』の体制を崩そうとはしなかった。

 と、キラの目に一瞬だけ、その獣の姿がはっきりと見えた。真っ黒いヒョウに似た、しかしどう見てもそれとは違う幽体のような身体を持つ異形。キラが『翼』を持っていたせいか圧倒的に鳥の形態が多かった『影』だが、これは獣のそれだ。そこらを漂う闇たちが、自分の趣向とは異なった肉体に憑依することは、特異な例を除けばあまりないことだ。

 やっぱりこれは『影』じゃない──。キラはようやくその確信に至った。じゃあ一体、何が? 誰が? どうやってこんなものが──。

 キラにはもはやかつてのような戦い方をすることはできない。これだけの数を同じ方法で倒そうとすれば、おそらく全部片付けた頃に体力の限界がくる。自殺行為だけはごめんだが、『影』ではない上に『何』が変化したのかもわからないこの獣たちを、無下に倒してしまうこともまた、できなかった。

 こうしているうちにもマイウスでの戦闘は続いているはずだ。

 止めなければ。何故、どうしてこんなことを──。キラの表情が歪む。やはり僕が居てはいけないの? やっと能力が消滅の兆しを見せているのに、それだけではいけないの──。

 自分がいる限り、この闇の螺旋はどこまでも続いていく。それならばもう、螺旋の源である自分自身が断ち切られるしかないのかもしれない──正面から襲い掛かってくる獣の白い牙に意識を吸い寄せられるように、キラは目を閉じようとした。

「──それは、今ではない」

 低い男の声がすぐ後ろから聞こえた。

 ドクンッ。心臓ではない何かがキラの中で激しく強い鼓動を打つ。心の傷を著しく抉られたような、ショック症状に近い肉体的な変化が起こる。

「アッ…!」

 肉体の急激な高揚に耐えられずにキラが身体を折り曲げて苦悶の声をもらす。と、何者かの腕が伸びて、落ちてしまいそうになったキラの身体を抱えた。

 呼吸困難を起こしそうになりながらも何とか顔を上げるキラの視界に、その男のものと思しき長い髪と、緑色に輝く光の幕が現れた。

 ジュワッ。まさにもう目前だった獣が、その光に触れるなり蒸発した。高出力の熱に触れたように、繰り出した爪の先から頭の半分をごっそりと失って、酸の風呂に放り込まれたってこうはならないくらいの勢いで全身を焼かれて消滅してしまう。『エターナル』のそれに似ていたが、効果はまったく違うようだ。

「おまえが死ぬべきは今ではない」 腕の主が言った。「そして、おまえを討つのは奴らではない」

「…は、なし、て…!」

 キラは小刻みに震えながら言った。自分に起こったこの変調の原因はこの男だとすぐに判った。考えられないことだがこの男は、かつてのキラに匹敵するくらいの強い闇を持っていた。シンの能力を感知したときのように、巨大な闇に寄り添われた身体の中で、キラの闇がまたおそろしい勢いで成長しようとしている。

 だれ──? 幼い自分の声が。一年近くも聞くことのなかった忌まわしい声が、心の中にふっとわいた。

 ぼくより強いきみはだれ? いやだ、ぼくより強い人なんて認めない、許さない。一番強いのはぼくなんだから。ぼくが一番だなんだから──。

「うわあああぁぁぁぁっ!」 キラはついに悲鳴を上げた。

 はなして。はなして、お願い。身体が熱い、気が狂う──! だがどんなに叫んで暴れても、男の腕は決してキラを開放しようとはしなかった。球状に展開されている光に守られているから敵の攻撃が救い手になることもなく、闇の増幅が身体中に広がっていく。

「これはおまえが自分の身を護るための力だ、恐れるな」 男は言った。「もし何もかも自分のせいだと思うなら、ここを生き延び、先を切り拓いて、何もかも自分の力でケリをつけてみせろ。それが、スーパーコーディネイターとして生み出されたおまえの宿命だ」

「あ…ああぁ…っ」

 キラは頭を抱えてのけぞり、呻いた。男の声が聞こえていないように見えるがそうではなく、むしろ聞こえすぎて仕方がないくらいだった。耳の中に、脳の中枢に、心の中にガンガンと反響する。もともと常人に理解されない頭を持っていたが、このままでは本当におかしくなってしまいそうだ。

 キラの大きく見開いた瞳の中で、濁った闇が黒真珠のように収束した。そして同じく身体の奥底で、この数分間で驚異的な成長を果たした大きな何かが殻を破る。

 それは自分以上の強い者を、そして自分に害なす者を決して許すことのない、壮絶なまでの自己愛に裏打ちされた闘争心だ。

 バチッ! 手元にすさまじい電気ショックを打ち込まれて、男はやっとキラを開放した。自らを封じていた光の檻がフッと消え去ると、キラはまさにハンターの手から逃れた野生動物さながらに飛び退る。と、今の今まで様子を見ていた残りの獣たちが一斉にキラへと跳びかかっていった。

 メキメキメキッ。胎児のように身を縮めたキラの背で異音がした。次の瞬間、赤い粒子を散らしながら闇の中に展開されたのは、青と黒のツートーンカラーのウイングバインダーだ。どこに光源を持つともなくキラリと輝いたそれから零れ落ちた赤い粒子に触れた途端、獣たちはキラの周辺あちこちで盛大に破裂して息絶え──いや、消滅した。

 気付いてみると、先ほどまでは確かに居たはずの、獣たちを先導していたと思しき者の気配がない。予期せぬ者の乱入のおかげで戦意を喪失したのかもしれない。

 戦ったところで、今のキラが相手では秒で殺されていただろうが。

 バシャン、とキラの背で展開されていたバインダーが閉じた。だがそれは、何かの特撮映画かホラー映画のように、スルスルと皮膚の中へ戻っていったりはしなかった。手や足や首が身体の中にしまわれたりしないのと同じように、この機械翼は体内に収納されるものではないのだ。

「キラ・ヤマト」 男は言った。「おまえは再び立ち上がるのだ」

 声をかけられてキラは男を見た。まだ戦意の治まらない視線で。ふとキラがその気になって気を放ったら、この男の頭は簡単に吹っ飛んだかもしれない。得体の知れないあの緑色の光で作られたバリアも、砕くのにはそう時間をかけないかもしれなかった。

 驚くほど身体が軽く、楽だった。先ほどまでこの肉体の奥底でナマリと化していた闇たちは、今やキラの背であるべき姿をとっている。

「何故」 キラは言った。「君はこんなことをしたんだ」

「……ラクスを襲い、マイウスを襲撃し、そして今おまえを襲った能力者たちは、おまえたちで言う『マイノリティ』とは少々違った存在だ」

 キラの眉がぴくりと動く。男の言葉を信じるべきか斬り捨てるべきかを思案しているように見えた。

「奴らは、おまえの弱化の影響を受けることがない方向へ『進化』している」 男は構わずに続けた。「先ほどまでの力程度では、簡単に討ち取られていただろう」

「だから僕を進化させたの?」

「余計な世話だとでも言いたいのか?」 ハ、と男は笑った。「もしおまえが死ねば、また新しい何者かが第二のおまえになる。おまえは、どこの誰とも知れない者がおまえと同じ苦しみを味わうことになってもいいのか?」

 キラはまずいことを思い出したようにハッとした。そのとき彼の瞳の中にもとの光が戻ってきた。戦意が完全に失われたことを示す変化だ。

「おまえは他の誰にも同じ力を持たせてはならないと解っているはずだ」 男は続けた。「その力を誰にも渡さぬために奴らと戦え、キラ・ヤマト」

 す、とキラは目を伏せた。悲しいものを見たくないように、痛ましい現実から目を逸らすように。

 男の表情は変わらない。キラをバカにするように笑っているままだ。

 ゴゴン。遠くで聞こえた音が二人の間の静寂を破る。それはミネルバが泊まっている港からだ。作業員への退避を促す警報音がビービーと鳴り響いている。

「ミネルバが出港するようだな」 男は遠くを見て言った。「行くがいい。それだけの力があれば、おまえならすぐにでもマイウスを鎮静化させることができるだろう」

 ただし、その醜い姿をクルーたちに晒すことになるがな──。

 言われるまでもなく続く言葉を察することができる。テレパシーの応用だったのか、それともただのリアルな想像に過ぎなかったのかは判らないが。

 キラは背中のバインダーに目をやった。一年前にも自分の背にあったそれと形状はほとんど変わっていない。もちろん普通の人間がこんなものを見ればひっくりかえるだろうが、今はもうそんな他人の目を気にしているうちに、その他人の命が秒単位で奪われかねない状況になっている。もたもたしてはいられない。

 だがキラは男を振り向いた。目が合うと、彼はフンと口元で笑う。それはキラを勇気付けるものではなく、せいぜい健闘しろと言わんばかりの嫌な笑みだ。アスランやシンであったならカチンときていたかもしれないが、キラは不思議とそんな嫌な感情を触発されなかった。

 それどころか、先ほど進化を促されたときには感じなかった、一種のぬくもりに似たものまで感じるのだ。アスランに向ける愛情とはまったく違うが、キラの心には彼へ向けた強い感情──共感のようなものがある。

「僕をここへ呼んだのは、君なの?」 キラは言った。「君はだれなの…?」

「オレに構っている暇があったら、さっさとミネルバへ入るんだな」

 男はそれだけを言い捨てるとさっさと背を向ける。待って、とキラが声をかける暇もなく、男の姿は夜の闇の中へと溶けるように消え去ってしまった。テレポートをしたというよりは、本当に空間の中に溶けてしまったようだった。

 空中に、ぽつんとキラが残された。──忌まわしい翼を目覚めさせられてしまった、再臨した神が。






                                         NEXT.....(2006/02/12)