FATAL ASK  6.仲間

 花火大会が終わったあと、元同僚たちの手であっちやこっちに連れ回されたアスランが家に帰ってこられたのは深夜だった。

 家、といっても、彼はラクスのように評議会入りを果たしたわけではなく、またザフトへの再入隊によってプラントへ復帰したわけではないので、祭りが終わるまでの滞在期間を過ごすために用意されたものだ。

 これまでかなり好き放題に生活してきた身体が、こんな時間までのある意味の重労働に耐えかねて疲れきっている。連れ込まれた飲食店では、オーブでのラクスとの生活はどうだったんだ、とか、何年も身を隠してて子供のひとりもいないのか、などと、思わず耳を塞いで逃げ出したくなるような質問も矢のように飛んできたのだが、どう答えたのかは覚えていない。気が付いたら別の話題に話が飛んでいた。

 子供かあ──。ボンヤリと、疲労でおかしくなりかけた頭がその単語を思い出す。ポケットからキーを取り出して鍵を開けようとしたら、いきなりバタンと扉が開いた。

「おかえり」

 顔を出したキラが言った。

 そう。今更隠す必要も何もあったものではない関係の彼ら二人は、デュランダルの好意によって同じ家をあてがわれている。

「…ただいま」

 ビックリしたままのかっこうで、アスランは気を取り直して応える。何だかすこし気恥ずかしい。オーブで生活していた頃にも、そして異世界で暮らしていた頃にも、こんなやりとりをした記憶はあまりない。

「よく判ったな、俺だって」

「まあね」 くす、と小さくキラは笑う。「それより遅かったね、楽しんできた?」

 相手の心境など知るよしもなくキラは先に中へ戻っていく。ああ、と答えながら、アスランは閉めたドアにきちんと鍵をかけて彼のあとを追っていった。

 ラクスの事件があったあとではろくに楽しめたものではなかったが、少なくともひとりにされるよりは、はるかにいい気分転換になった。今は何も考えずに寝てしまいたいが、そうも言ってはいられない。

「議長から、何か連絡はあったか?」

「──ううん、何も」 答えるキラの声がわずかに沈む。

 そうかと言う代わりに大きな溜息が出る。リビングに入ると、キラが見ていたらしいテレビが深夜のニュースを流していた。花火大会終了と同時に閉幕した祭典、そして復活したゴールデンカップルの話題でもちきりだ。国民ひとりひとりの単位ではないにしろ、プラントは全土をあげて今回のイベントを祝っている。

 アスランはオーブ、ラクスはプラント、将来は夫婦となる二人の絆で、国家間の友好関係も永遠に続けばいい──。キャスターやコメンテイターは口をそろえてそんなことを言っていた。

 祝福ムード一色だ。舞台裏がいま、どれほどの危機感でばたついているかも知らずに。

「みんな、喜んでるね」 テレビの前に置かれたソファセットに座ったキラが言った。

「…ああ」

 気の進まない返事をしながら上着を脱ぎ、ダイニングのチェアにポイと引っ掛ける。シャワーを浴びたいな、などと考えながらキラのいるリビングへ入っていくと、テレビではちょうどラクスとアスランのツーショットを放映していた。

 ──複雑な心境になってしまう。

 先の大戦が終結してすでに数年という月日が流れ、キラたちは、『ここ』ではすでに二十歳前後の歳を数えている。ずいぶんと時間軸がずれまくった世界に長期間存在していたせいで、肉体的にはまだ十七、八程度だというのに。

 『向こう』での生活を一段落させて『ここ』へ戻ってきたキラたちを待っていたのは、『向こう』には決してない分裂した世界──ナチュラルとコーディネイター間の確執問題だった。

 大戦の終結とともにこの問題にもピリオドが打たれたかといえばそうではなく、それどころか長い時の経過に従ってミゾは深くなる一方、プラントとオーブという二つの国家こそ友好関係を持って共存を謳っているが、国民単位になるとほとんど進展していないのが現状である。地球上では先を急ぐように兵器開発が進められ、たったひとりのコーディネイターを巡って内戦が起こることも稀ではなく、テロはもちろんデモなども、小さいものを含めれば数えるのも嫌になるほど発生しているのだ。

 そこで皆は考え合った。そしてたった一ヶ月程度の短い思考で、プラント国民──いや、コーディネイター種そのものに甚大な影響力を持つラクス・クラインと、その婚約者にしてプラントいちの勇士であるアスラン・ザラという、二人の神が立ち上がることになった。

 皆が決定までにそれほどの時間をかけなかった理由は、進言者がキラだったせいだ。カガリもデュランダルもラクス本人も、キラとアスランがそれでいいのなら、と承諾した。先ほどもニュースキャスターが言ったとおり、ラクスはプラントに議会議員として、アスランはオーブに将校として在籍し、神々が引き合わせたとまで言われた二人の強い絆によって国家間の友好を──ナチュラルとコーディネイターの共存を永遠のものに、という思想を強めていこうと決まった。

 だがどんな思惑があれ、これは市民を『騙す』ことに他ならない。そんな意識に、一度はウンと言いながらも罪悪感的な気持ちを抱いていたアスランに、キラはこう言って聞かせてくれた。

『いつか、──ううん。ごく近い将来、必ず婚姻統制なんてものはなくなるよ。でもそれまでの間、人間の心には「支え」になるものが必要なんだ。プラントのひとたちにとっては、それが君とラクスなんだよ』

 そして今日、平和を記念する式典とともに、すべての者が安らかに暮らせる平和の日々が、ただの世迷言から現実性ある思想として受け容れられつつあったはずだ。あの拍手が、声援が、祭典の成功そのものが、それをありありと知らしめていたはすだ。

 だが。

 それなのに、ラクスは凶刃に倒れた──。

 何を考えるでもなく、アスランはソファの背もたれ越しにキラを抱きしめていた。

「──アスラン?」

 首だけまわしたキラが、黙りこくってしまったアスランを気遣うように腕に手を触れさせる。その感触と声は、いつでも心を落ち着かせてくれた。どんなときでも彼ひとりいればアスランは平静でいられた。しかしいまは、むごたらしい姿のままベッドに横たわっていた、あのラクスの無音の姿を思い出すとやるせない感情が胸に広がっていく。

 即座に拡散された情報、すぐに市民に知れ渡るようにと派手に行なわれた襲撃、それらは世界が混乱しはじめるさまを見て楽しもうとしたように見えなくもない。

 要するに犯人は、オーブとプラントの友好を、ナチュラルとコーディネイターの共存を快く思っていないのだ。先の大戦がそうであったように、その者はまたいたずらな戦火の拡大を望んでいるのか。それとも二種に分かれてしまった人類は、どちらかが頂点に立ちどちらかが滅ぶまで戦い合えとでも言いたいのか。

 だが何よりもアスランを傷つけたのは、犯人が能力者だということだった。誰にも理解されないばかりか、世界の誰も知らない能力でこんな行動に出るなど反則もいいところ、心境によっては卑怯とさえ言える。

 きっとキラだって同じ気持ちのはずだ──。

「アスラン…」

 肩口に顔を埋めたまま無言を保つ相手の様子に、キラの声が切なさを帯びた。

 ふと視線を上げたアスランの目に、キラという相手がとても愛しく見える。自分のそれとは違う色の肌も、さまざまな経験や思考を重ねた結果で身に付いた慈愛の視線も、朝の無音の底に湛えられた湖に似た静かな気配も、そして唯一、遺伝子の調整などではなく彼が親からもらい受けることを許された髪と瞳も、何もかも。

 無念の落胆に満たされた心が、その痛みから逃れようとして、自分を満たしてくれる別の何かを求めた。アスランはゆっくりと身を伸ばして、自らの本能が下した命令に忠実に従うことにした。

 顔を寄せてもキラは抵抗しなかった。遠慮がちに唇を重ねる。まるで中学生の交際だ。

「キラ…」

 うっすらと名を呼んで口付けを深くする。キラからも腕が伸びて、二人は互いを強く抱きしめ合った。

 暗く、痛ましかったここしばらくの記憶が徐々に熱い愛情に塗り替えられていく。閉じていた扉を一気に開放したように、アスランはぐっと強い力でキラの肩を抱いて、理性の壁も同然のソファを乗り越えた。

 バサッ。眼下にキラが転がる。

 アスランはすぐに彼を抱いて耳元に顔を埋めた。いい匂いがする。下手なアロマよりもよほど効果のあるそれは一種の興奮剤といえたかもしれない。刺激を受けた心臓が強い鼓動を刻み始める──。

 ピピピピピ…ピピピピピ…。

 どこからともなく、ごく小さな電子音が聞こえてきた。二人はしばらく顔も合わさずにただ沈黙した。

 それはダイニングに置き去りにされたアスランの上着から発せられている。正確には、その内ポケットに入っている携帯電話から。

 だが持ち主は、こともあろうにそれを無視しようとした。聞こえないことにして、テレビからの他愛もない音声に、そしてやがては自分たちの吐息に紛れさせてしまおうとした。

 ──いつまで経っても音は止まなかった。ただ、ただひたすら、早く出ろというように恨みがましく鳴り続ける。

「…アスラン」 とてもまずいことを口にするように、遠慮がちにキラが言った。「…電話…」

 ついに無視しきれなくなってアスランは起き上がった。一緒に身を起こしたキラが、ダイニングへ向かう彼の背に申し訳なさそうな視線を送っている。悪いことをしたように思っているらしいが、そう思われるくらいなら何も言わないでほしかった。

 手に取った携帯電話はまだ鳴り続けている。いっそ握りつぶしてやりたかったが、液晶に表示された相手の名前が、今一歩のところでアスランを踏み止まらせた。

 イザーク・ジュール。──いやな予感がした。

「俺だ」 アスランは短く言った。

『もうちょっとでそっちへ行くところだぞ』 イザークは不機嫌そのものの声で言った。『──姫はそこにいるのか?』

「ああ、いるよ」 アスランは背後のリビングを振り向いた。「どうかしたのか?」

『なら、俺が今から話すことは姫には話すな』

「は? …なんだ」

『マイウスに、軍事工場に偽装した超能力研究所があるのは知っているだろう?』

 それまでも感じていたいやな予感が、いきなり急速に成長した。アスランの電話を持つ手がじっとりと汗ばむ。ほんの数秒足らずで。

 マイウス市の超能力研究所は、かつてはデュランダルの指示のもとシンの能力解析を行なっていた施設だ。そこは現在においても稼動しているが、その存在意義は能力者──マイノリティの掌握と統括という方向に変わっている。キラの能力が規定値以下になるまでの間、世界中で次々に誕生する能力者を監視することを最大の目的とした機関となっているわけだ。

 そこが一体どうした──そう問おうとしたアスランの耳に、いち早く答えが届けられた。

『──そこが何者かの襲撃を受けた。どれほどの被害かは判らんが、侵入者の姿と同時に、化物を見たという報告も出ている。アスラン、今すぐ姫をたばかってマイウスに飛べ。現地の駐在軍と共に状況を確認してこい』

「わかった…すぐにいく」

 大きな溜息が出る前に、アスランは短い言葉で会話を終わらせて通話を切った。

 侵入者と、化物による能力研究所の襲撃だと──? 化物というのはひょっとして、ここしばらくの出現率がガタ落ちした『影』のことかもしれない。そこまではまだ理解できるが、そもそも研究所の存在は決してオフィシャルなものではない。勤めている従業員たちも口外の心配とは縁遠い上層部所属者ばかりだ。

 それなのに、侵入者は一体どこから情報を仕入れたというのだ。

 どう考えてもヤバイ系、そしてどう見ても、幸運にも能力者として生まれついた単なるテロリストの仕業とは思えなかった。

「アスラン…」

 呼びかけられて彼はハッと我に返った。振り向いてみるとすぐ背後にキラが立っていた。電話に出たアスランの緊迫した声を聞いて不安になったのだろう、表情にはありありとその感情が浮き出している。

 彼が事態を察している様子はなかった。能力者や『影』の存在を感知する能力は発動しなくなって久しい。

「キラ、すぐにシンを呼んでアプリリウスタワーに行け」 アスランは言った。「俺が戻るまで、そこで待機しているんだ」

 指示を受けたキラは視線を落とし、うん、と一言だけ返した。何かが起こったことは察したようだがその全容を聞こうとはしない。聞いてもアスランは答えてくれない──そういう考えなのかもしれない。

 ちらりと動いたキラの視線が、ダイニングテーブルに置かれた花瓶を捉えた。いくつかのコスモスが挿された小さなそれ。一瞬の間をおいてその表情がピクリと動いたように見えた。

「…気をつけてね」

 細めた目をアスランに戻してキラはそう言った。



 マイウス市のはずれに置かれた軍事工場──に偽装した超能力研究所は不自然な静けさに包まれていた。

 イザークの話では、先に駐在部隊が到着しているはずだ。それなのに門の前にも敷地の中にも、それらしい人影はひとつも見当たらない。『影』に喰われたか、あるいは侵入者を追っていっただけに過ぎないのか、どちらであったにしても、人間が存在した痕跡ひとつ残っていないのは妙な話だ。

 様子がおかしい──。不審に思うアスランの背にいやな汗がにじむ。こんな感覚に襲われたのは年単位で久しぶりだ。後続部隊の到着を待つにしてもここでひとりポツンと突っ立っているわけにはいかず、彼は意を決して建物の中へと踏み込んでいった。

 エントランスの中も、廊下も、どこにも人の姿はない。もともとこの施設が無人であったかのように。しかし天井に取り付けられたライトは白く辺り一帯を照らしている。平然と稼動しているエレベーターも、上へ下へ伸びている階段も完全な静寂を守っている。

 気味が悪かった。ぞっと身震いしそうになる。自分が立てる足音ひとつが、この中に眠っているすべてのナニカを目覚めさせてしまいそうで恐ろしい。人は完全な闇を恐れる傾向にあるが、完全な静寂もまた然りなのだった。

 ヴー……ン……。何かの低い音が、地下のメインラボを目指すアスランの耳に入ってきた。階下にも闇はなく、無機質な白い光に浮き立つグレーとシルバーの壁と床が続いているだけだ。

 しかし、確かに稼動音はその先から聞こえてきていた。

 じりじりとそこへ近づいていくアスランの心臓が大太鼓のように打ち鳴らされた。階段が終わり、伸びる廊下は、すでに開け放たれた大きなドアの向こうへと続いている。室内のライトは完全に落ちているようで、非常用に点灯したダークオレンジの仄暗い光が、純粋な闇よりもはるかに深く大きな何かの存在を報せている気がする。

 まるで暗室の中だ。踏み込んだアスランのすべてが色を失う。果たしてそこにも、研究員たちの姿はなかった。いよいよここという場所が、世界から切り離されて存在する異空間に思えてくる。

 ──と、アスランはドキリとした。いきなり精神が激しく高揚し、自らの変化についていけなかった肉体が過呼吸を起こしそうになって焦る。足が、指先がカタカタと震えだし、銃を持っていればとっくに取り落としていたに違いない。恐怖と焦燥を同時に感じたときもこんな状態に陥るものだが、当人にとってこの感覚は、恐怖とは違うものだった。

 ほんとうに高揚しているのだ。

 歓喜、期待、充足感、万能感、あらゆるプラスのエネルギーが心の底からわきあがってきて全身にくまなく届けられる。幼年学校の子供が体育祭で一等賞をとるような、あるいは自己愛の強い者がより高い地位を手に入れたときに感じるそれに程近い、しかし確実にコレといえる例となるものが存在しない、かつてない感覚。

 いや、アスランにだけは。

 彼にだけは、この感覚がいつのどんなそれと同じものなのかが理解できた。

 そうだ、この感じ。あの日と同じだ。俺がはじめてキラの能力を見た日の、あのときの──。

 我を忘れそうになったアスランの視界で黒いものが動く。ハッとして焦点を合わせてみると、そこにはひとりの人影が、アスランに背を向ける形で立っていた。

 その姿を『見た』瞬間、彼の脳は目の前の現実をことごとく無視して、視神経からの情報をある人物の記憶に接続した。ほんの刹那、人影は、よく見知った者の後ろ姿として認識される。

「キラ…?」

 つい、彼はその名を口にした。呼びかけてから違うと思う。背後からの声に反応してゆっくりと振り向いたその姿は、キラとは似ても似つかなかった。キラよりも鋭く攻撃的な気配、ゆうに成人を思わせる雰囲気、そして特徴的すぎる長い黒髪──この時点で唯一、共通点があるとすれば、流れるように動いてアスランの姿を捉えた、この闇の中でも決して衰えない鮮やかな瞳の色くらいだった。

 ちがう、キラじゃない。いや、だがこの感じはなんだ? この男は──。

 ピーッ。男の背後に置かれたコンピュータが作業完了の音を鳴らす。いったい何の作業をしていたのか──それを問うより早く、相手の男が口を開いた。

「キラ・ヤマトはおいてきたか? ──さすがだな」

 キラの声を幾分か低くした響きが妙に心地好い。アスランはこの闇の男に対して警戒心を抱けなかった。明らかに自分の精神が狂っているのがわかる。

 この男は決してキラではない。だがアスランの心はこの男に、キラに向けるのと同じ──いや、ひょっとしたらそれ以上の強い感情を発しているのだ。

 ともすれば、身体が先立って男に飛びついてしまいそうだ。

「なんだ、おまえは」 アスランはやっとそれだけを放った。男の姿を見て、ゆうに数分の時を経ての第一声だ。

「オレのことが判らんのか?」 男はふっとバカにするように笑った。「おまえは今、感じているはずだ。オレがどんな存在なのかを」

「ラボにいた人間はどうしたんだ」 アスランは相手を無視した。「ここへは、何の目的で来た」

「…ラボの人間はオレたちの傍にいて、オレたちも奴らのすぐ隣にいる」

「なに?」

「人間に認識されない次元があり、オレとおまえははそこに存在している。ここは確かにラボの中だが、オレたちに人間の姿は見えず、また人間にもオレたちの姿は見えていない。──ここはそういう場所だ」

 アスランは思わず眉を寄せる。彼の言っていることが、よく解らなかった。

「オレは最初から『ここ』にいた」 彼は続けた。「おまえが報告を受けた『侵入者』とは、オレのことではない」

 やはりキラを連れてくるべきだった──。今更ながらにそんな後悔をする。恥ずかしい話だが超能力というものに関しては、かつてよりもはるかに弱まっているとはいえ、現在もキラが最高の理解を持っているのだ。

 男は、自分の言葉をなかなか理解できないアスランを見て片眉を吊り上げて笑った。

「ここでのオレの目的はすでに果たされた。……悪いがおまえには用がない。行かせてもらうぞ」

「えっ」

 アスランが唖然とした次の瞬間には、男はさっさと背を向けてしまう。

 テレポートするつもりだ──。それを察したのは、もう彼がいなくなったあとだった。

 ──いや。正確には、彼が消えると同時に彼が立っていた場所にパッとあらわれた、二人の少年が振り向いたとき、だ。

『な』 三人が同時に絶句した。

 あたりまえだ。アスランにしても、二人の少年にしても、相手が現れたのはほんの一瞬前である。何が起こったのか、そこにいるのが誰なのかも判別できず、数秒ほどの沈黙が降りた。

 少年たちは、アスランには見覚えのない顔だった。ひとりは青い髪のいかにもな悪ガキ、もうひとりは鋭い目をしているが知性味のある顔立ちをしている。だが二人とも施設の従業員というのではなさそうだ。

 そして急速に視界が広がり見えたものに強い衝撃を受ける。あの男がいたときにはこの場にひとつもなかったもの、それはゴミのようにそこら中に放置された人間の死体だ。白衣やザフトの制服、警備員の制服などさまざまな服を着た人間が男も女もなく、首から上をなくして倒れている。

 頭はどこにも見当たらない。しかし、足元にできた、いやに生臭い水溜りの中に紙吹雪のようにたくさん落ちている、白っぽい肉片や金属片に似た何かが『何』であるかわかったとき、アスランはもうここから一歩も動きたくなくなった。

 『侵入者とは、オレのことではない』──。あの男の言葉が蘇る。

「──アスラン・ザラッ!」 青い髪の少年がハッと我に返って叫んだ。

 そうだ、この二人がイザークの言っていた侵入者なのだ。少年が右手にぶら下げた武骨なマシンガンを構えるのと同時に、アスランもまた我に返って動き出していた。

 タタタタタタタッ! 有無を言わさず銃の引き金がひかれ、発砲音が細かく響く。どうやら少年たちは人に銃を向けることに疑問はなく、おまけに人を殺すことに慣れているらしい。アスランはすんでのところでそこから飛び退いてドアの外へ身を隠した。もちろん何発かは避け切れなかったが、弱体化したとはいえ健在である彼の結界に、銃弾ごときは通用しない。

 あの男とこの少年たちはグルなのか──。アスランはふところから銃を抜きながら思った。自分の用件を済ませたあと、俺をこいつらに足留めさせようとして──。

 追撃を止めるため、アスランは壁際からわずかだけ顔を出して少年たちへ向けて発砲した。パン、パン、と盛大な音が辺り一帯にこだますると、彼らは素早く動いて機材の陰に飛び込んでいく。

 そのとき、アスランの頭にビリリと鋭い痛みが走った。精度の悪いテレパシーを無理やり受信するときに発生する、『ひずみ』の症状だと思い出すまでにややかかる。

『もうここに長居しても意味はないっ』 声がした。いきなり発砲した少年の声ではない。もうひとりのほうだ。『アウル、撤退するぞっ』

『オッケー、了解』 アウルというらしい少年の声はすぐに答えた。『ステラはどーすんのォ?』

『アイツならもうすぐここへ来る。ここは落とせなかったが、俺たちの仕事はまだあるだろっ』

 やはり彼らは能力者か──。アスランは痛みを堪えながら思った。なら、彼らがラクスの襲撃を? そしてここを襲ったのも……いったい何のために──。

 声と一緒にさまざまな映像がパパパッと頭の中に展開された。これだけ距離があるというのに、頭の中で考えたことがほとんど筒抜けになっている。少年たちは、よほど能力を使い慣れていないのだろう。

 見えたのは写真のように静止した映像だった。宇宙、プラント群を背に戦い合うザフト軍所属のMSたち、ザフトの新型として大いに有名になった戦艦ミネルバまで見えた。と、それまで完全に静止映像だったものが動き出し、キラの姿がちらついた。ひどく輪郭のはっきりしない不鮮明なその映像は、遠い遠い過去の記憶を呼び起こそうとして上手くいかなかったときのそれに見える。

 アスランの視界の中で、その視界の主が手を伸ばした。幼い子供が保護者にすがるように、小さな両手をさし伸ばす。だが手は届かない。ひどい不安、孤独感で胸が詰まりそうになる。

 待って──。幼い子供の声がした。行かないで、やっとここまで来たんだから──。

 これがあの少年たちのうちの、どちらが発した言葉なのかは判らなかった。

 頭痛をそうするようにアスランは頭を振って、その感度最悪のテレパシーをうち払った。意味不明の感情や映像群はともかく、どうやら今のテレパシーによる指示は、アウルが受信するはずのものをアスランまでが受けてしまったせいで聞こえたらしい。

 しかしアウルにもきちんと届いていたようで、敵の動きが鈍っているのをチャンスと見たか、彼らは素早くラボのホールを駆け抜けて、奥の職員用エレベーターに乗り込んでしまう。

「待てっ!」

 アスランはドアの陰から飛び出してそこへ走る。しかしもう遅かった。

「ばいばーい」

 アウルが嫌味に言って手を振ると、さらに嫌味なことに即座にドアが閉まる。立ち止まって階表示を見上げてみると、ちょうど地上一階で停止して動かなくなった。

 すぐに追うべきだ。アスランの脳は確実な指令を肉体に下……そうとした。

 ギャオオォォォ! 背後から聞こえた猛烈な叫び声がその指令を中途で止めた。ハッとして跳び退る彼が今までいたその場所に、黒く鋭いカギ爪が荒々しくも虚しい一撃を繰り出す。着地したアスランの目に映ったのは、人間の男程度の身の丈を持つ黒ヒョウのような生き物だった。

 ような、というのも、その生き物には下半身がなかったせいだ。腰あたりから下が、吹き流しに似た無数のビラビラしたもので構成されている。それが風もないのにひたすらバタバタと動きまくっているところを見ると、あれはこの生き物の身体の一部らしい。ぜひ後ろから見てみたい気もするが、遊んでいる暇はなさそうだ。

 研究員たちはすべてこいつに殺されたのか。いや、もしそうだとすれば、あの二人の少年たちが無事でいるのはおかしい。『影』の発生で混乱した今を絶好の機会と見て乗り込んできたのか、それとも──。

 グルル、と低く喉を唸らせながらも黒ヒョウはまたアスラン目がけて跳びかかってきた。遊んでいる暇はないが、こいつと戦っている暇はもっとない。

 彼は銃を構えて、まっすぐ突っ込んでくる敵の頭を狙って幾度も発砲した。

 ビシッ、ビシッ。弾は確実に命中する。しかし威力が低いのか化物が走るスピードはまったく衰えなかった。大きな爪が床を蹴る、再び宙を跳躍するその大きな黒い身体が死の闇に見えた。

 だがとっさに敵の動きの軌道を読み、攻撃から彼が確実に逃れたそのとき、予想だにしないことが起こった。

 銃声だ。アスランの銃のものとはまったく違う、しかもずいぶんと重く威力も申し分無さそうな銃声が何度も響いた。化物の前足が弾け、身体の一部が弾けて最後に頭の一部が砕け散る。慌てて身を伏せたアスランの頭上をそれは猛然と飛び越えていき、そして──壁に衝突して、動かなくなった。

 いま、なにが──。

 呆然とするアスランの前に、コツリと靴の音がして男が立った。見上げてみるとその男はザフトの赤い制服を着ていて、襟元にはフェイスのエンブレムを光らせている。夕焼けの色をした髪に白い肌、緊迫した面持ちをしていたが、アスランと目が合うと、ふっと笑って見せてくれた。

「立てるか?」

 男は言って手をさし伸べてくる。アスランは大人しくその手に立ち上がらせてもらった。

「ありがとうございます…」 精一杯の一言を放つ。

「いいよ、礼なんて」 男はさっぱりと言った。「やんなっちゃうね、能力者の侵入者が出たと思ったら次はバケモノなんてさ。でもおまえら、今まであんなのとメインで戦ってたんだろ? なんでパッパとやっつけないんだよ」

 アスランはしーんと黙りこくった。男に対して警戒心を抱いたせいではない。場違いに明るい声と、事情を知っていると思しき言動をいきなりかけられて、とっさに対応できなかったのだ。

「侵入者は逃げたみたいだな」 男はラボの中を見て言った。「議長に報告しよう、とりあえず出るぞ」

「い、いえっ」 息を吹き返したアスランは慌てた。「いま追わなければいけませんっ! 彼らには他に目的があるようでした、このまま放っておけば大変なことになる気がするんです!」

 男は一瞬キョトンとした。だがすぐに気を取り直して笑う。まるでサスガと言われているような気がした。

「オーケー。おまえがそう言うんなら、その話は確かみたいだな。──すぐに追おう」

「彼らはすでに地上に出ています、もしかしたらすでにコロニーの外に出ているかもしれません」

 二人は話をしながらも足早にエレベーターへ近づいた。ポーン、と音がしてドアが開く。中には誰も乗っていない。さすがに今の状況では、たとえ死体が乗っていたとしても、地上までご同行願わねばならないところだが。

 乗り込んでドアを閉めるとすぐに箱は動き出す。と、レッドの男が何かを思い出したようにアスランを見た。

「自己紹介が遅れたな。俺はヴェステンフルス隊のハイネ……ハイネ・ヴェステンフルスだ。後続部隊として派遣されてきた。──ま、気軽にハイネって呼んでくれ」

「アスラン・ザラです」 右手に銃をぶらさげたまま、アスランはぺこりと頭を下げた。「──改めて、先ほどは…」

「あ、そういうカタイのはいいからさ。どうせ同類なんだから仲良くいこうぜ?」

 ハイネは顔の前でパタパタと手を振って、雑誌に掲載されたアイドルでもこんな好い顔はしないと思うほど、なんとも気さくな笑みを見せてくれる。

 同類──。その言葉にアスランはふと引っかかりを覚えた。

 自分は確かにプラント市民の前に姿こそ見せたが、フェイスとして復帰したわけでも、はたまたザフトレッドとして復帰したわけでもない。コーディネイター同士、ということを言っているにしても、この場で使うような言い回しではない。ならば、いったい何を指して同類というのか──アスランの頭にいやな予感がよぎった。

 まさか。

「なんだ、判らないのか? 俺はおまえのこと、すぐ判ったのに」 ハイネはまたきょとんとした。「俺も能力者なんだよ、の、う、りょ、く、しゃ。おまえらの間じゃ『マイノリティ』ていうんだよな」

 いともアッサリと、しかも平然と、とんでもないことを当たり前のように言ってくれる。もういっそのこと、アスランはこの場で気絶してしまいたかった。ひどい眩暈こそ覚えながらも意識のある自分が妙に憎かった。

 ここでぶっ倒れられたらいい、そして目が覚めたら朝になっていて、隣に安らかな寝顔のキラがいるとなおいい。

 何もかも夢で終わればどんなにいいことか知れない、しかしこれは現実なのだった。






                                         NEXT.....(2006/02/11)