FATAL ASK  46.奪胎

 アスランの追撃は凄絶を極めた。

 能力者との『連結』による『デスティニー』の再生を予見した彼は、ただ機体を真っ二つにするだけに留まらず、ハルバードや脚のビームエッジを駆使して四肢を、そして首をも叩き斬り、爆発四散させてしまう。

 何もそこまでと言うほど完膚なきまでの攻撃に誰もが息を震わせる中、巻き起こる爆炎の中からシンが飛び出した。

「シンッ、大丈夫っ?」 ハイパーフォルティスで彼を牽制したルナマリアが叫ぶ。

「ああ、怪我はしてないっ」

 危なかったと言うほどのものでもない。シンには、カーペンタリアを襲撃した際に自身に適用していた、接触した対象の原子分解を可能とする振動フィールドがある。来たる攻撃を弾くためのものではなく、無効化した挙句に相手までも破壊することを狙ったソレの存在をいち早く察知したアスランは、ビームエッジがシンに触れて自分の足が消失してしまう間一髪のところで狙いを変え、機体を破壊する方向へ切り替えたのだ。

 不要になったシンのパイロットスーツが着慣れた赤へと変異し、襟には『デスティニー』起動時の象徴である銀のエンブレムが形成される。そして、仕上げとばかりに展開した光の翼。それを見た連合艦隊や一部のザフト隊の中で、驚嘆の声が上がった。

「キラ・ヤマトに酷似したあの光──彼はいったい何者なのですか、デュランダル議長」

 傍に居た議員までもが恐々としている様子を少しばかり切なく見やり、彼ははっきりと口にする。

「至極、普通の人間ですよ。──ほんの少し、我々とは違った運命を歩んできただけの、ね」

 自らが出せる最強の能力者であるシンをして、守護者や味方などといった言葉を一切使わなかった彼に、周囲が押し黙る。そんなわけがないだろう、と誰かが言い出すより早く、彼は別の者に言った。

「それよりキラ君の様子はどうだ? 不可解な変化は見られないか」

「目視不可の高密度エネルギーが、常時どこからとなく供給されています」 ジュール隊を介して能力者たちの視界をセンサー化したモニターを凝視しながら、目の前の現実を信じられないようにオペレーターが言った。「こんなの、まるっきりブラックホールですよ…! これより更に強烈な収束が発生するなんて、本当に起こり得るんですか?」

 今この時がすでに不可解だ、と言わんばかりの相手に、さすがのデュランダルも苦笑いしてしまった。

 彼らが、自分たちが、キラに対して『恐ろしい』とわずかでも感じていることこそが、彼に更なるチカラが供給される第一原因だ。しかしどんなに頭で理解していても、心の底が言い知れぬ感情に震えることだけはどうしても抑えられない。この宙域において、キラへの恐怖も畏怖もなく戦っている者が居るとしたらカナードくらいだろう。

 それに──。デュランダルは、モニターの向こうで繰り広げられる戦闘を見た。

 キラは、『発狂』に至ったあの時のような猛烈な攻撃をしていない。それは何も、『最期』の衝撃波がすべてを飲み込むから、それまでの間は愉しんでいたいと言うのではない。自分のチカラを多くの人間に見せつけ、知らしめて、より多くの『意識』を集めんとする意思の表れだ。

 星がそうであるように、『命』はその最期の瞬間にこそ大きな輝きを放つと古来より云われている。だからこそ滅亡という最期を目前に突きつけられた全ての人類が、躍起になって戦わんとする意思のチカラを、どこまでも自分に集束させたいのだろう。

 重力崩壊を引き起こすに相応しいだけのチカラが集まるまで、ひたすらに。

「わかっているさ」

 誰にとなく、デュランダルは呟いた。

 だが、そうすることで『彼』に考える余地を残してしまった。それが『君』の敗因となるのだよ、キラ・ヤマト──。



 アスランと撃ち合うルナマリアの加勢に向かおうとしたシンの上空がチカリと光ったかと思えば、カナードを振り切ったキラがまっすぐ急降下してくるのが見えた。

「やっと出てきた! さあ、もっと僕と遊んでよ!」

 機体を破壊されるのが致命的なダメージではなく、むしろ能力者にとってはリミッターの解除と変わらない事実だと知っているキラの翅が瞬いて、新たなドラグーンがそこから飛び出してくる。さっきまでの間にやっとのことで数個を破壊したばかりだというのに、どうやら創造は無限にできるらしい。

 シンも、それは同じだが。

「望むところだっ! ──来い、フラッシュエッジ!」

 八方からのビーム攻撃を『アルミューレ』に防いでもらった一瞬、シンは両手に短剣のようなそれを召喚してバリアを飛び出し、斬りかかった。

「汝は我が意志、折れる事を許されぬ絶対の剣!」 キラが叫び、シンを真っ向から受け止めるべく両手を振るう。「出でよ、シュペールラケルタ!」

 双方ともに両手に輝く刃を携えた激突は近接戦となった。チカラによる実体化で物理存在を獲得したビームの刃は、ぶつかり合った瞬間激しい閃光を発し、弾き、再び振るわれてはプラズマを撒き散らす。

 速い──! ごく一歩ほどの距離に居るキラを追えない。シンは奥歯を噛んだ。

 キラが踊るように身を翻したかと思えば、上から下から横から、予期せぬ刃が襲い来る。両手を完全に使いこなせているのはシンだって同じだったが、次の行動に移るまでの速度が尋常ではないのだ。だがここで危機感を覚えて距離を取ったところで、今度はドラグーンに包囲されることに変わりない。

 ならば、こいつには二度と同じ戦術が通じないことを承知の上で、やるしかない。

「このっ!」

 キラの頭を横に両断できるコースでシンが振るった刃を、キラはごく軽く首を傾げ、そしてシンの腕に片手を添えることで受け止め、難なくかわしてしまう。まるで弟と戯れるように笑っていたその目が、相手の次の挙動を捉えて不意に緊張を帯びた。

 此処に隠し在りたる我が尖兵を知らぬは、身の破滅と知れ──! シンはキラに聞こえぬように、唇の内側でその命令文を組み上げる。

 フラッシュエッジはすでにシンの手を離れ、キラの遥か後方へと舞っていた。そして何も握っていない手が、キラの頭の方を向いて開く。

「穿て、パルマフィオキーナ!」

 キラという人間の頭をエネルギー波でぶん殴った割には、壁を殴るような硬い感触。それもそのはず、キラの頭とシンの手のひらの間には、一ミリもない薄さの赤い結界が絶対的な隔たりを作っているではないか。

「何だよ、くっそぉ!」

 自分はさっきカナードに助けてもらっておいて、キラにはアスランがついていることを完全に失念していた。必殺だったはずの攻撃をあっけなく見切られて、シンは悔しまぎれにキラの胴へ蹴りを繰り出す。反射では誰にも劣らぬキラにそんなものが当たるはずもなく空振りした一瞬、好機とばかりにその背後に回り込む影があった。

 カナードだ。

「我と汝が共に在りし刹那の果て、此の身に纏うは、生まれ来るとも死に滅ぶとも無き悠久の揺らぎ──」 横薙ぎに振りかぶる彼の右手に、命令文の詠唱に合わせて鋭い光が集中する。「いま甦れ! ドレッドノートイータ!」

 腕そのものが巨大な剣になったかのようなビームの刃が一閃し、予期せぬ者らの連携にドラグーンを寄せ集める暇もなかったキラは、咄嗟に腕で防御シールドを展開して攻撃を受け止める。と、カナードはそこで競り合いには持ち込まず、防がれた瞬間の反発を利用して飛び退き距離を置くと、改めてもう一度、確実にキラの胴を狙える間合いから腕の剣を振りかざした。

「くっ…!」 チッ、と身を掠めた熱に目付きを鋭く変えたキラが、辛うじて飛び退いた勢いのままシンからもカナードからも大きく距離を取り、ドラグーンを呼び集める。その小さな砲門が一斉に外側を向いた。

「させるかよっ!」

 その構えからフルバーストが来ることだけは嫌というほど知っていたシンが、空いていた手を掲げて叫んだ。主からの呼びかけを受け、キラを挟んだやや上空からその手に舞い戻ろうとするのは、さっき撃ち放たれていったフラッシュエッジの片割れだ。

 キラがそちらへ注意を向けた一瞬、シンは特大のエネルギー抱を、そしてカナードも両手を掲げた姿勢からのビーム砲撃を、彼に向かって撃ち出している。

 だがこのとき、『世界』は絶対にしてはいけないことに知らずとしてしまった。

 いける──! ある者はそう思って拳を握った。

 やれるぞ──。またある者は、これでキラが討たれて世界が救われるのだという期待に染まった。


『落ちろ、化物!』


 今まさにキラを狙い撃たんとしたシンの脳幹に、その『叫び』はかつてない危機感となって飛来した。

「…っふ、あはははははは!」

 嬉々として哄笑したキラが両手を掲げ『結印』すると、シンの砲撃もカナードのそれも吹き散らして余りある衝撃波が宙域を駆け抜けていった。いともあっさり砕かれたフラッシュエッジが散る様は、デジタルの花びらのようにあっけない。

 カナードは『アルミューレ』を展開し、そしてシンは前方へ舞い上がってきたルナマリアの盾に庇われて事無きを得た。しかし正面から衝撃波を受け止めたインフィニットジャスティスの機体は、巨大なハンマーに殴打されたが如く表面の立体部を失い、爆散する。

「ルナッ!」 シンは叫んだ。

「あたしなら大丈夫っ、心配いらないわ!」

 機体の残骸と爆煙が衝撃波の名残に散らされる中から、金色のドラグーンが発生させる防護フィールドに守られたルナマリアが姿を見せる。

「バカだよねえ、人間は! この期に及んで僕を化物だってさ!」 いよいよ愉しげに、手を叩いてキラは笑った。「どうして? ねえなんでそう思うの? 僕は君たちの思考が及ぶ、君たちの技術が及ぶところから生まれてきた、君たちの想像の産物なのに! 自分で求めて作り出したくせに、そんな僕が自分たちに都合の悪いことを始めたらすぐに邪魔者、化物呼ばわり。──ああ、なんて愛しい身勝手なんだろう!」

 ばぎんっ! 能力者だけが感じることのできる『空気』を震わせて、彼らのバックに悠然と漂っていたユニウスセブンが爆ぜ割れた。

 ……破砕作業が進んでいるのではない。亀裂部分で無数の小爆発が見えたところを見るに、今のはキラが放った念波による両断だ。そこにいた同盟部隊を巻き添えにした──。

「ねえ、シン」

 たった今、また何十人と殺したことなど何の意にも介さず、キラは微笑みと共に手を差し伸べてきた。これ以上キラが──『あの』キラが人を殺すところなんか見たくもないシンが、悲愴と怒りの入り交じる目をやると、彼は。

「どうして君はそっちにいるの?」

 笑みこそそのままなのに、キラは泣いていた。深く妖しい色をした瞳から零れた大粒の涙を、拭うでも堪えるでもなく辺りに浮遊させている。

「キラ──」

 一瞬、シンはその光景を、キラに残った『本当の心』がそうさせているのだと思った。だが絶対にそうではないことを、彼はすぐに思い知ることになる。

「もっと僕の傍に来て。今度こそひとつになろう?」

 ぎくりと身が竦む。一年前に見た闇の水底の静けさが、冷たさが肌によみがえった。

 キラは、シンに自分と同じ『深さ』まで来いと言っているのだ。ひとたび寄り添えば爆発的に互いを高め合える同胞であるシンが傍に居ないから、ひとりきりで、淋しくて。

 同質の闇というならどちらかといえばカナードのほうがキラに近い存在だったが、彼は確固たる自分の意志を持って己を制御している。今のキラのように成り果ててしまう要因、理性の破壊そのものと言い換えることもできる『進化』を、すすんでしてくれるはずもない。

 だから、シンなのだ。

「シン、耳を貸さないで」 ルナマリアが言った。「今のあの人は、正気じゃないんだから」

「失礼なこと言うなあ」

 ハッと我にかえったシンは咄嗟に、キラと、その視線が向いたルナマリアとの間に割って入った。側頭部にバシッと強烈な痛みが疾って視界が歪む。

「シンッ」 まさか、とルナマリアが悲鳴を上げた。

「ねえシン。何を壊せば、君は壊れてくれる?」 キラは言った。

 そのまさかだ。キラはこの一撃で、本当にルナマリアの頭を吹っ飛ばそうとした。シンが痛みに集中して再生を試みると、傷は出血しないまま速やかに塞がってくれたが、この程度の『軽傷』で済んだのは、受けたのが彼だったからに他ならない。

 どんな贈り物をすれば僕のことを好きになってくれるか──と聞かれたような気がしてしまうのはこの際無視だ。シンは自己再生の集中のために頭に当てていた手を下ろし、キラを睨むようにして言った。

「おれは、あんたとは違う…!」

 このチカラは、キラのそれとは違う。ここにきて彼はそれをはっきり認識するに至っている。

 理由はただひとつ、互いに想い合うルナマリアに触れてもまったく弱まらなかったことだ。

 思い返してみるまでもない。このチカラの源であった妹が何を望んだのか。そしてそんな彼女にチカラを託された自分が何を望んだのか。そんなもの、最初から何一つとして変わっていない。

 守りたい。その意志ひとつあれば、自分はいくらでも強くなれる。強く在れる。

 それに気付かせてくれたのは、誰あろうあんたじゃないか。なのに──。

「このチカラはあんたの餌なんかじゃない! 『おれ』が欲しいなら、世界をぶっ壊してから出直して来いっ!」

「──そうするよ」

 大人しくこの腕に飛び込むなら、せめて苦痛なく殺してやろうと思ったのに──そんな思惑がありありと透ける冷酷な笑みと共に、キラは涼やかに言った。

 そうだ──。シンはふと、肉声ではないキラの声を聴いた。君と僕は違う。こんなにも──。

『諸君、気を付けろ!』 通信の向こうからデュランダルの声がした。『キラ君の周囲で異様な重力波の発生を確認した、──来るぞ!』



 自分たちをキラのほうへ思いきり引っ張り寄せる、強力な内向きの衝撃波は、二度、三度と襲い来た。

「キャアッ!」

「ルナッ!」

 『スラスター』出力の調整を誤って奔流に飲み込まれそうになった彼女の手を捕まえ、シンは自分と彼女を、膨張させた振動フィールドで防護する。あちこちを漂っていたナニカの機械っぽい残骸らが重力波で一気に引き寄せられたが、それに接触して砂のように崩れて消えた。

 おれが否定したからか? ──シンはそう思わずには居られない。『本当の』キラが優しい人だって、あたたかい人だって、最後まで信じているべきはおれだったのに、思いきり突き放したから。だから──。

 唖然としかけてきたシンの、そして周囲に居たすべての能力者たちの耳に、ラクスの声がした。

「ユニウスセブンより、破砕作業部隊を撤退させます。今ですらこれだけの引力です、彼らまで巻き込まれては要らぬ犠牲を生んでしまうでしょう」

「懸命だな」 カナードが言った。「──おい、月の連合艦隊ども! 貴様らはすぐにダイダロスのレクイエムを起動し、ユニウスセブンに照準を合わせておけ! ビームの中継誘導はジュール隊がやってくれる!」

『そんなハナシ聞いてませんけどォー!』 通信を介してディアッカが叫んだ。

 カナードはそれ以上を指示しなかった。イザークが何も言わなかったということは、了承してくれたのだろう。『最期』の衝撃波はキラの周辺数十メートルという極小範囲に抑えるのだから、それにユニウスセブンも巻き込まれてくれたらなどと考えてはいけない。

 どう足掻いてもあれはもうオーブに落ちる。作業員が撤退する今、それでも最後まで可能な限りの破砕を行なう必要はあるのだ。

「もうすぐ終わるってのに、まだ抵抗するつもり?」

 渦巻く重力波の中心でキラが笑った。その背後に、控えるようにしてアスランが舞い降りてくる。

「もうお終いだよ、何もかも終わり。君たちに救いがあるとしたら、一秒もなく死ねるってことだけだ!」

「──さて」 と、カナードがぽつりと言った。キラが全てを見下して笑う姿を、滑稽だと言わんばかりに。「それはどうかな?」

「はっ。ここまで来て、何を──」

 なにをしようっての? ……そう問おうとしたキラの表情が、凍り付いたように笑みを失う。

 シンも、ルナマリアも、きっとエターナル艦内の者たちだって息をのんだだろう。何が起きているのか、それを理解できなくて。

「ア──」 キラの声が震えた。信じられない、というように。「アスラン…?」

 彼が首を巡らせてみれば、アスランはすぐ傍に居た。何を言うまでもなく、目を閉じ、静かな表情をもって、キラを抱きしめていた。

 拘束具さながらに、キラの両腕を封じて──身体そのものを、しっかりと捕えるようにして。

「……終わりだ、キラ」 ゆっくりと、正常に戻った目を開いたアスランは言った。異様に落ち着き払った静寂の声が、火が付いたような激しさを帯びる。「おまえにこれ以上、誰も殺させない! ──シンッ!」

 呼びかけられたシン本人が、ハッと息をのんだ。アスランと目が合う一瞬、テレパシーすら受けてもいないのに、それだけで彼は何もかも理解できて、そんな自分に嫌気がさして何もかもが嫌になった。

 死にたくなった。

「やってくれ!」 アスランは言った。「俺が抑えている間に、俺ごとキラを討て!」

 ああ──。身体が震えるのは拳を握って堪えたけれど、それでも、熱く滲む涙は抑えられない。ああ、やっぱりそうだった。あんたはやっぱりそういうヤツなんだ──。

 アスランはずっと機会を窺っていたのだ。キラの悪意にのまれたふりをして、支配を受け入れたと思わせて、キラが自分を完全に支配下だと信じ込んで、己が手足のように勘違いして、その挙動が絶対的に自身を守るものとしてまったく注意を払わなくなるのを。

「アスラン、どうしてっ!」 その腕から逃れようとして、キラがもがいた。

「…すまなかった」 アスランは言った。その肩口に頭を埋め、心から愛しい想いを吐き出すように。「すまなかった、キラ。今までひとりで淋しかったな、つらかったな。……でも、これからはずっと一緒だ」

 ここにイザークが居たなら、迷いなく光速で突っ込んで来てアスランをぶん殴っていたに違いない。アスランは、レクイエムの誘導役としてジュール隊をこの宙域から撤退させてくれたカナードに感謝していた。

「俺はもうどこへも行かない。──どんなにおまえが望んだことだとしても、俺は、おまえの居ない世界なんて耐えられない。だから……俺も一緒にいくよ」

 キラは唖然としていた。まさしく、信じていた唯一の味方に裏切られたかのように。

「は……」 わなないた唇が、言葉にならなかった震える息を吐く。

 そして。

「放せえええぇぇ──っ!」

 命の危機を察した動物のように身を捩り、キラが暴れた。激しい攻撃の意思を帯びた念波がアスランの頭を殴りつけ、腕を捩じり、脚を蹴る。

「放せっ…離れろ、このっ!」

 怒りすら滲ませたキラの意思を合図に、ドラグーンが身体の各所を熱線で貫いていく。熱湯の入った風船が腹の中で割れたような、そんな危うい感触に幾度となく見舞われながら、それでもアスランは絶対にキラから離れようとはしなかった。

 だって放してしまったら本当に終わりなのだ。こいつは今度こそ、独りでどこともしれないどこかへ転移して、そこで『最期』を迎えてしまう。

「シン・アスカッ」

 あまりにも凄惨な光景に硬直していたシンが、カナードの呼びかけを受けて我にかえった。

「行け!」 無慈悲極まりなく、彼は言った。「おまえは、スーパーコーディネイターを──キラを討って、英雄に成るのだ!」

 親や兄弟も同然の彼らを討つなんて、とんでもない──そんな私情なんか聞いてはもらえない。嫌だなんて返答は絶対に許されない。そもそもこの戦いの目的は、『キラの死』を世界に知らしめることにある。ならば『彼を討ち取る者』はどうしても必要なのだ。

 どのくらいそうやって考え込んでいただろう。とっくに一時間は過ぎたかもしれない錯覚とともに顔を上げたシンの手に、『アロンダイト』が出現した。

「シン…」 本当にやるつもりなのかと問わんばかりに、ルナマリアが不安げな声を漏らす。

「…ルナ、離れててくれ」

 そうだ、他の誰にもやらせるもんか。他の誰にも、この痛みを譲りはしない──。

「──ここから先は、おれの役目だ」 彼は厳かにそう言った。



 大剣を正眼に構えたシンの背に、赤みを帯びた光の翼が最大出力で展開される。一声高く吼えて飛翔する彼の姿を、キラはそれこそ信じられないばかりに見上げた。

 どうして。どうして、そんなことを平然とできるんだ──。

「来るなああぁぁぁぁ──っ!」

 叫び声を上げたキラの周囲からドラグーンが一斉に飛び立ち、シンを取り囲んで撃墜するため熱線を撃ち出す。けれど初撃は右へ、二撃目は左へ、そして左右から同時に狙った三撃目は軽く旋回されてあっけなくかわされ、眩い光は一気に加速してドラグーンを振り切り、突っ込んでくる。

 『世界』はアスランの行動に、シンの特攻に期待しきっていた。

 これで終わる。これでキラが死ねば世界は救われる。その『存在』こそ残念だったが──否、どこかでナニカの残骸くらいは拾えるかもしれない、なんて考えている悪意だって居る。キラを疎み、また利用せんと目論む声は、その『最期』を間近にした今となってより高まっていく。

 悪意の収束は止まらない。

 揺るぎなく『同胞』であったはずの『護るチカラ』たるシンの否定を決定打にして、キラの『兵器』としての自己観念は確立し、その意志はその役目のままに世界を──すべての人間が憎んだ総てのものを滅ぼすべく固定化された。

 ……はずだった。

「キラ…」 ほんの短時間でずたずたになってしまったアスランが、か弱い声で囁く。腕にこもった力は、残酷なくらいにまったく緩んではいないのに。「──愛してる、…キラ」

「いやだっ…!」

 キラの唇を、震える声がついた。自分で好き放題に撃っておきながら、場所によっては身体の内側まで覗き見られそうな深手を負って弱り切ったアスランを見つめていた瞳が揺れ、ぼろぼろと涙を零す。

 嫌だ、いやだいやだいやだ。

 君が居なくなるなんて、絶対に嫌だ──。

「あああああ──っ!」

 形振り構わぬとはこのことだ。絶叫したキラの全身が淡く発光した瞬間、全方位へ向けてドラグーンのそれに似た熱線が放射された。レーザーのように縦横無尽に宙域を駆け回るそれらはユニウスセブンをも何度も貫き、斬り裂き、打ち砕いていく。

 だが、何の計算もされていない単なる放射を防ぐことなんか、シンには造作もない。腕に発生させたビームシールドでいとも簡単に弾いてしまうと、いよいよ『アロンダイト』を腰だめに構える。

 その赤い瞳には、迷いも悲愴もない。その想いはアスランのそれとほとんど同じだ。

 キラにこれ以上、殺させたくない。そのためになら、何だってできる──。

「キラああぁぁ──ッ!」 シンが叫んだ。もう声が届く距離。もう逃げられはしない、覚悟を決めろと言う代わりに、彼は呼ぶのだ。

 この世で何より大切にした者の名を。

「いやだ、いやだあああっ!」

 子どものように泣き叫び、キラは首を振った。往生際悪くもシンを打ち払わんと撃ち出した衝撃波は、勢いづいた『アロンダイト』の切っ先に斬り裂かれて届かなかった。

 なんで、どうしてこんなことになるんだ──。キラは泣きながら思った。

 なんでそんな簡単に命を投げ出せるんだ。

 なんでそんなにも平然と受け入れることができるんだ。

 こんなにも綺麗な君が、なんで死ななきゃならない?

 こんなことになるのなら。

 君が居なくなるくらいなら、いっそ。


「──こんなチカラなんか、要らないっ!」


 ばちん、とキラの中で何かが弾けた。まさに『闇』の覚醒に等しい衝撃だったにも関わらず、色を失っていた瞳が本来の光を取り戻す。

 シンの『アロンダイト』がふたりまとめて貫かんとするその刹那、キラの身体から放たれた漆黒の嵐が地球圏全域を駆け抜けていった。



 飛び立ったシンを追う形で、カナードとロアノーク、そしてラクスが『爆心地』へと接近していた。

 彼らはカナードが展開した最大直径の『アルミーレ・リュミエール』に『シラヌイ』の防御シールドを重ねて先のモノフェーズシールドを無効化し、その上から『エターナル』を発動させて三人が居る空間を厳重に閉じた。二度と起き上がって来ないよう吸血鬼の心臓へ杭を打ち込むかのように、これでもかというほど入念に。

 外側に居るこの三人が一瞬でも油断すれば、どれかが破壊されるだけでも致命的なダメージになる。息を止めているにも等しい緊張が最高潮に達した時、殊にキラと強く繋がっているラクスの脳幹を猛烈な危機感が襲った。

「キラ…!」 彼女は直感した。キラが自分の意志を取り戻したことを。

 直後、閉じた結界の内側から凄まじい圧力が噴き上がってきた。出力に全力をかけるとき、結界は本人の現身になると言ってもいい。今にも割れ飛びそうな圧力に耐える三人それぞれの身体が見る間に傷だらけになり、あるいは鈍器でぶん殴られたかのように腕や足に骨折が生じる。

 衝撃波と同時に放たれた『闇』は結界に阻まれることなく瞬間的に宙域を駆け抜け、地球で、プラントで、この宙域の外側で固唾をのんで事態を見守っていたすべての計器をぶっ壊していった。電磁波を著しく増長させて電圧を狂わせ、あらゆる電子機器を破壊していく様は、完全に大型太陽フレアのそれだ。

「カナード、フラガ少佐!」 ラクスが言った。「上側でも下側でも構いません! 地球とプラント、どちらにも向いていないポイントに『穴』を開けてくださいませ!」

「……っ、なるほどな!」 ロアノークが一瞬で納得して笑った。「だが内圧は強烈だぜ、腕の一本や二本、覚悟しとけよラクス様!」

「ならば『コレ』で、ユニウスセブンを吹っ飛ばしてやる!」 カナードが言った。「行くぞネオ、タイミングを合わせろ!」

「おう!」

 3、2、1──。二人の秒読みが確実に重なって、『アルミューレ』と『シラヌイ』の一部がホール状に口を開いた。封を解かれた風船のように内側の圧力がそこから一気に噴き出していく。全体が圧力負けを起こさぬよう壺口の形に整えるには相当な集中力が必要だったが、そのためには如何せん二人の身体は傷付き過ぎていた。

「ぐう…っ」 もっとも内側でその衝撃を受け続けているカナードが呻いた。骨どころか、腕そのものがみしみしと悲鳴を上げている。もう数秒も待たずに肩口から吹き飛んでしまいそうだった。

 くそ、この判断があと一瞬早かったなら──。

「──我らは幸福である、此の世の主が目覚めたるを識る事が出来る故に。我らは至福である、汝の真なる姿を視る事が出来る故に」

 はっ、とカナードとロアノークがその声を聞き付けて目を向けると、そこには両手を組み、祈るように命令文を謳うラクスが居た。

「此処に降りたる、何者よりも優しき汝よ。我が願いに微笑みを、我が想いに安らぎを与え賜え。──さすれば我らは、汝が祝福を受けし此の身を以て、汝が愛せし此の世の守護を奉らん」

 解放の言葉は無かったけれど、命令文の完成と同時に、三重結界のもっとも外側を形成していた『エターナル』の形が変わった。ふわりとレースのカーテンのように揺れ、揺蕩い、結界維持のために傷付いたカナードとロアノークをも包み込む球状領域となる。

 驚くほど素早く、痛みもなく傷が癒えていく。──否、正確にはカナードとロアノークのふたりは進行形で結界を維持していたためどんどん傷付き続けていたのだが、それを上回る速さで回復していくのだ。痛感の一切があたたかく遮断され、息をするにも苦痛を伴った疲労が消える。

「カナードッ」 ロアノークが言った。「小出しにしてたんじゃラチがあかない、このままコッチ向きに『解放』するぞ!」

「いいだろう!」

 再びカウントしたふたりの拍が合い、『アルミューレ』の外周の一部が、そして『シラヌイ』の面のひとつがふっと掻き消えた。大砲をぶっぱなしたかのように二人の手元に強烈な振動が伝わり、内側に閉じ込められていた圧力が一方向へまとめて解放される。

 ただでさえキラの『抵抗』でかなり破砕されていたユニウスセブンに、相当に威力を削がれていたとはいえ綿密に方向を計算されて放たれた衝撃波が直撃した。まだ大気圏に触れていなかったのが最大の救いだ。それは見る間に砕け散って散らばっていく。中には吹き散らされたせいで早々に大気圏へ飛び込んで、燃え尽きていくものもあった。

 ラクスの展開した淡いオーロラが消え、『アルミューレ』と『シラヌイ』が消失してしばらく、場は宇宙空間に相応しい無音に閉ざされた。何といっても全ての場所でほぼすべての計器が損傷したのだ。月もプラントも、宙域外へ避難していた艦隊も、望遠鏡でも持って来なければこの場を見ることすら叶うまい。

 終わった──。

 普段から基地に帰投するまでが『作戦』だと断言して止まぬカナードではあったが、今度ばかりは一気に脱力する感覚を否めなかった。『浮遊』すら発現させていることに疲れてよろめいたようになった彼の背に、そっとロアノークが寄り添い、支える。

「ネオ…」

 このまま眠ってしまえそうなくらい、彼の体温が心地好い。

 これで……これでやっと、オレもおまえの想いに応えられる。…なあ、プレア──。

「我が存在に意味と意義を齎せし汝が影、此の目潰えども見失う事確と無し…」

 シンの声がした。

 ラクスが、ロアノークが、カナードが、そしてルナマリアが目をやってみると、『爆心地』であった場所に彼の姿があった。息をしているのかもわからないアスランを抱いて、どこともない虚空を見上げながら、淡々と言葉を謳う。

「限りなう愛しき汝の消えゆきたるに、我は手上げ成すべくも無し。ただ情も無しと、惨き事と知りながら、汝を描き、込み上げたるままに呼ぶ事のみぞ成る」

 キラの姿がどこにも見えない。それに気付いてカナードは息をのんだ。

 これは断じて、キラを殺すための作戦ではなかった。けれどキラが『最期』の瞬間に放った叫びは、彼の意識と闇が完全に同調しきったものだった。ならば、吹き飛んだ闇と共に、その命までも消し飛んだ可能性は高い。

 そんなまさか。よりにもよって、あいつに限って──何が起きたのかわからない顔をしているラクスやロアノーク同様、カナードもまた唖然としていた。

「汝が優しきを、温かきを、我が身は深く刻まれし傷が如く覚え知る。此の醜き疼きにも、此の断末の苦痛にも似寄る歪なる想いが形と成すを……汝よ、どうか許し賜え」

 誰も艦を出せないのだから迎えなんて来はしない。誰にも妨げられることなく、誰もかつて聞いたことが無かったシンの『命令文』は完成する。

「我は待つ、汝が声を。──ヴェスティージ」

 もはや機体の残骸ほどにも細断されたユニウスセブンが、大気圏へと入っていく。

 地球でもほぼすべての電子機器が死んでいるはずだから、今夜はきっと、壮大な流星群が見られることだろう。







                                         NEXT.....(2018/01/21)