FATAL ASK  an epilogue

 あらゆる電子機器の死に絶えた地球は、用途のない遺物と化した文明の産物が埋め尽くす狭苦しい世界だ。

 今が夜であればユニウスセブンが織り成す流星群が未だ降り続いているであろう晴れ上がった空の下、キラの消失からたった十時間ほどでカガリはオーブ国民の前に姿を見せた。

 彼女の登場は、そこかしこで混乱を起こしていた者たちへ速やかに伝えられ、官邸の前は詰めかけた群衆でいっぱいになった。

 カガリ様、カガリ様、カガリ様──! ついしばらく前まで、スーパーコーディネイターがドウダコウダとやかましく悪意を撒き散らしていた連中が──無論そうではない者も大勢居るが──一様に救いを求めて叫びを上げる。

 わたしに、どこまでできるかはわからない。それでも今のわたしは、おまえたちに任されたことをやるだけだ──。

『愛すべき、我がオーブ国民諸君』

 カガリは言った。マイクなど使えもしないのに、彼女の声は彼女が発したテレパシーを介して、全ての者に聞こえている。

 驚いて静まるどころか、ざわめきのトーンを上げた群衆へ、彼女は続けた。

『我々オーブ政府は、つい先日発令した非常事態宣言を継続する。国軍が保持する全ての技術と食料を解放し、いつ成せるとも未だ知れぬ「復興」の日まで、諸君らの中から誰一人の死者も出さぬことを誓おう。我ら能力者間の通信によって、プラント側でもすでに同じ決議が下された。我々はこれよりナチュラルとコーディネイターの隔たりを捨て、共に世界を再建する同志となる』

「──そんなこと、認められるかっ!」

 彼女の言葉に感動し泣き崩れた者が居たなら、こうして激高するナチュラル至上、コーディネイター至上の者も当然ながら居る。それを叫んだ若い男は懐に隠し持った銃を抜き、ワッと驚く周囲の目など気にも留めないでカガリに向かって発砲した。

 立て続けの銃声は三度ほど聞こえたろうか。今度こそ静まり返った群衆らは、血まみれになって倒れ伏すカガリの姿を、現実を見るよりはるかに早く想像したことだろう。

 だが。

『…そう思う、そなたの気持ちは理解しよう』

 身体を三発の銃弾に撃ち抜かれたはずなのに、カガリは無傷だ。結界や防御フィールドなんてものを作り出すチカラは彼女にはない。カガリはただ単純に物質透過の能力を応用して、銃弾という『障害物』を『通り抜けた』のだ。

『ゆえにわたしは、この場でそなたを処罰しない』 平然と、そして毅然として彼女は言った。『我らが保護を不要とするなら、あるいは我らが決定を不服とするならば、そなたを含めた全ての同調者はこの国を去るがいい。──次にわたしへ銃を向けるのなら、その時こそ、わたしはそなたの「敵」として向き合おう』

 カガリの傍や、群衆の外側、そして近場の建物の上に展開しているオーブ軍の者たちの目がその場に注がれている。いかに電子機器が使えなかろうと、たった今この男が拳銃を使用したように火器は使えるのだ。今は恐々として取り巻いている群衆も、我にかえればあっという間に彼を取り押さえてしまうかもしれない。

 これでもう一度、カガリに銃を向けることなどできるはずもない。彼女はきっと自爆テロからでも無傷で生還するだろう。それだけのチカラを見せつけられては、もはや普通の人間に彼女を殺す術はない。

「トダカ」 カガリは、すぐ脇に控えた男に言った。「ひとまず国民の保護は軍へ一任する。港に浮いている艦艇も、今となっては守秘もへったくれもないだろう、使えそうなら使ってしまえ。わたしはプラントの能力者から合意を得られ次第、マルキオ導師のもとへ飛び、今後の方針について会合する」

「は、カガリ様」 トダカは敬礼をもって応えた。

 忠誠心溢れる腹心とも言うべき男を通り過ぎ、カガリは官邸に戻る中で唇を噛みしめた。

 カナードを介したラクスからのテレパシーでは、『爆発』以降キラの姿は確認されておらず、またすべての能力者のセンサーにも引っかかっていないとのことだった。

 死んだ、などとは考えたくない。キラが死んだなら、キラと繋がっている自分たちのチカラもまた消えるはずだと、彼女らはそう信じてきたのだから。

 こうして自分のチカラが健在である以上、彼はその存在までも失ってはいない──キラやアスランの、これまでの苦痛を知る故に誰よりそのチカラの消失を望んでやまなかったカガリだが、今はその繋がりこそが、唯一の拠り所となっているのだった。



 キラが『最期』に引き起こした爆発と、それに伴った地球圏全域に及ぶ徹底的な電子機器破壊は、一部の者たちの間では一連をひっくるめて『ブレイク・ザ・ワールド』と称されていた。

「やれやれ…」 と、老人のひとりが疲れ果てたように言った。「我々がこうしてモニター越しでなく直に会するのは、もう何年ぶりだろうな?」

「まったくですな」 ふう、と溜息をついた別の中年男が言った。「しかし、良い機会ですよ。こうして皆さんと美味い食事を頂きながら話ができるのです」

「ものは考えようだね」

 そのホールに会しているのは、『ロゴス』を形成するメンバーの者たちだった。車椅子の老人、跡をついで間もないのかまだ若さの見える者、あるいは悠然と構えた恰幅の良い者──誰もが、どこか余裕のある表情を崩してはいない。

「しかし、キラ・ヤマトの件は残念でしたな?」 誰かが言った。「もし身体の断片でも回収できたなら、研究を続けることもできたでしょうに」

「同感だよ」 と別の者が言った。「『彼』の消失を受けて、世界は早くも新たな『完璧なるもの』を求め始めている。早いところでダレカに着手でもしてもらわねば、各国のコーディネイタープラントが被害に遭いかねん」

「──時に、プラントは健在なので?」

「アスハの小娘とデュランダルが、すでに手を組んでいるという話を聞いているよ。何でも『ブレイク・ザ・ワールド』の折、プラントに与する能力者らがアプリリウス・ワンだけはと死守したそうだ。他のプラント群は機能を停止してしまったようだが、アプリリウスの状態を手本に応急処置を行なったとかで、すでに全基問題なく再稼働していると」

「末恐ろしいものだな、コーディネイターの力は」

「しかし、だからこそそれが必要なのだよ。『我々』には」

 誰かがぽつりとそう言うと、周囲の者らはふと黙り込んでその者を見やった。

「コーディネイターがもたらす精巧な技術と新たなる知識なくして、地球の繁栄はもやは有り得んのだよ。ブルーコスモスという『はけ口』が未だ有効であり続ける現在、彼らのフラストレーションを受け止める存在がなくては」

「ひとまずは、世界の通信状態を回復させるのが先ですな。プラントではすでに電波通信が復活しているというのに、地球では未だにラジオのひとつも聞けんとは、まったく不便で仕方がない」

「まあまあ、そうおっしゃらずに。遠方からの報告では、どうもNジャマーですら機能を停止していると聞き及びます。すなわちこの世界は、一旦リセットされたのです。原子力使用を組み込んだ再建案を、各国にはそうそうにまとめさせねば──」

 そう言って、その男がまさにワイングラスに口を付けようとした時、バタンと扉の開く音がした。

 給仕の者が新たな料理を持ってきたのかと思えばそうではない。開け放した扉の向こうから室内へ、無遠慮に踏み込んでくるのは黒い装いの男ふたり。

 カナードとロアノークだった。

「オレは言ったからな、ついてくるなと」

「おまえの希望なんかこの際、関係ないね。これ以上、おまえだけにツライ思いはさせないぜ」

「おまえの感情論なぞ知らん。……勝手にしろ」

「き、貴様らっ、いったいどこから──」

 慌てて席を立ちかけた若い男の頭が、何の前触れもなくバーンと音を立てて吹っ飛んだ。一瞬こそ唖然としてしまったものの、室内に居た数人のSPらが銃を抜き、彼らに向かって一斉に発砲する。

 当たるわけがない。正確な狙いで二人を撃ち抜くはずだった弾は、カナードが無言のまま展開した『アルミューレ』に接触した瞬間、蒸発してこの世から消えている。

「……世界はリセットされた、か」

 ぽつりとカナードが呟くと、SPらが持っていた銃が落っことしたプラモデルのようにバラバラに砕け、引き続いて持ち主の頭や心臓部が次々と弾けていく。わ、わ、と動揺しきった様子で硬直し、辺りを見回していた要人らもまた、ロアノークの背から手品のように飛び出して来た金色のドラグーンが放つ熱線によって、的確に急所を撃ち抜かれて倒れ伏した。

「ならば」 黒い男は目を上げる。そこに宿る光は怒りでも殺意でもない、確かに宿る意思の輝き──ある種の覚悟ともいうべきものだった。「過去のあやまちを体現する貴様らは、これからの世には必要ない」

「…それを、誰が証明できるのかね? 成り損なったスーパーコーディネイターの黒猫君」

 最後に残った車椅子の男が、ぽつりと、余裕のある調子を崩さないまま言った。その態度は、自分だけは絶対に殺されないという自信から来るものではなく、このふたりが現れた時点で自分の人生はもう終わったのだとすべてを悟っているからだった。

「リセット後の世界に『過去のあやまち』が不要だと言うのなら、すべての人間がそうではないのかね? もちろん君もだ」 男は、可愛い孫に絵本でも読むように言った。「我々をしてこれからを生きるべきではないと断ずるならば、我々の『計画』より生まれた自分自身ですら、そこに含まれていることを意識できているのかね?」

 カナードは何も言わなかった。わかっているとも、違うとも。

 男は尚も、優しく続けた。

「自分だけは間違えないなどと、すべての人間がそう思っているのだよ。自分が信じるものだけを頑なに信じ、他者を批判しない代わり、気にくわないものを自分から遠ざけて速やかに処分していく。意見が合わぬだけで殺された者の数など計り知れんだろう?」

 と、ロアノークはちらりと、自分の傍らに立っている黒い男に視線を落とす。カナードはさっきからずっと黙って、最後に残った者の言葉を聞いているだけ──。

 に、見えた。

「君が今やっていることも、我々を『誤っている』とする『君だけの』判断……いわばこれは、君の正義──」

 バシンッ。予備動作も何もない、唐突過ぎるほどいきなり、その男の頭が破裂して吹っ飛んでいた。驚いたロアノークが正面に視線を戻した時にはもう、ガシャンと大きな音と共に、残った身体ごと車椅子が転倒している。

「最後の最期に何を語るかと思えばとんだ詭弁だな、もういい」

 清々したとばかりに顔を上げ、カナードは言った。その目には、しおらしい感情も感傷も、何一つとして揺れてはいない。まったく普段通りの彼だった。

 あの男は、カナードに一番言うべきでない言葉を口にしてしまったのだ。こいつが、初めから微塵も持ち合わせてはいないものの名を。彼が確固として信じているのは自分の存在と力だけだ。それが自分を生かし、自分の道を拓くのだと考えている。

 ──否。実際、彼はそうして生きてきた。そんな彼に他者の言葉が何になろう。今更『間違った存在』であることの告知は無意味だというのに、ついにはそれを『正義』などというありふれた『公用語』で表現しようとは、お粗末にも程がある。恐らくあの男はカナードに何かしらの『傷』を遺そうと考えたのだろうが、心を揺らすことすらできなかったようだ。

「死体が発見されたら厄介だ、ここは更地にする」 事も無く言ったカナードが身を翻した。「あとはアスハとデュランダルが何とかするだろう。…行くぞ、ネオ」

「一緒に行ってもいいのか?」

 ぽつりと、確かめるようにそう訊ねたロアノークを、足を留めたカナードは肩越しに振り向いた。フラガとしての記憶を取り戻した彼の目に、その妖しの瞳はキラのそれと同じく懐かしく映る。

 あの時、出撃する直前、カナード自身が保留を乞うたことも相俟って、今後の『同行』に関してロアノークは明確な返事をもらってはいなかった。だからこれは答えを求める問いだ。互いの気持ちが通じていることは嫌というほどわかっているつもりだった。

 けれど、黒い男はそっぽでも向くように視線を外す。あれっ、とロアノークがフラれてしまうことを危惧した時、その予想に反した呟きが聞こえた。

「オレはネオと共に在る──初めに言っただろう。何度も同じことを言わせるな」

「どこまで素直じゃないんだよ、おまえはっ」

 一瞬とはいえ抱かされた危機感は半端なく重かった。そのお返しだと思えば頭をはっ倒してやってもいいくらいだ。

 でも、同じくらい嬉しくなったことも事実だったから、だからロアノークはそんな彼を張り倒すのではなく、思いきり抱きしめて文句を言った。



 シンはコペルニクスに居た。

 いくら完全中立自治都市とはいえ、電気系統が何もかも吹っ飛んだそこに自力で立ち直れと言うのはあまりにも無慈悲だ。連合にもオーブにもプラントにも所属していない都市であったことも相俟って、デュランダルは、キラを討ち取り名実ともに最強の能力者となったシンに、人知れずそこへ移り住み、ほとぼりが冷めるまで、チカラを使用した『陰ながらの復興支援』を命じた。

 詰まるところ、彼をそこに隠したというわけだ。

 おかげさまでコペルニクスはプラントとそう変わらぬ早さでの復興を成し遂げ、少々の食糧難をプラントから補われながら何とか混乱をしずめることに成功していた。

『そっちの生活はどう?』

「まあまあだよ。快適ってわけじゃないけど、不便ってほどでもない」

 テレパシーで繋がったルナマリアと話しながら、シンは自宅である賃貸へ帰ってきたところだった。買い込んできた食料品を抱えてエレベーターに乗る。

「おれはそっちこそ心配だよ。能力者への風当たりとか、大丈夫なのか?」

『今のところはね。だってホラ、あたしらのチカラがなきゃ、計器系統の復興はなかったわけじゃない? 今だって進行形で、艦艇の発着には「誘導」が必要だしね。だからあっちにこっちに引っ張りダコよ、ジュール隊なんて冗談抜きの日帰りプラントツアー状態なんだから』

 プラント全域を自領域と化せるだけのチカラを持ったカナードとロアノークが残っていてくれたなら、事態は更に落ち着いていたかもしれないが、居ないものに文句を言っても仕方がない。地球圏全域に渡る計器破損によってあらゆることがどさくさになってるうち、面倒を避けるためこうして行方をくらましたのはシンだって同じなのだ、そもそも文句を言える立場でもない。

 ただ彼はふと、戦いの最中、何度も自分を守ってくれた『アルミューレ』の光を思い出す。一回くらい、まともな礼を言わせてくれたって良かったじゃないか、あいつ──。

「オーブのほうは?」

『田舎のジジババかってくらい、議長がちょくちょく連絡入れてるわ。つい昨日、他の仕事もさせろーってアスハ代表に怒られてた』 面白いことを思い出したように、ルナマリアは笑って言った。『少なくとも宇宙よりは大変でしょうけど…近々、ラクス様が議長特使として訪問することになったから、心配しなくてもきっと大丈夫よ』

「そっか…」

 誰に言われるまでもなく、そして自負するまでもないことだが、シンはそれほど──いや、まったく政治に聡くはない。要するに、プラントでも地球でも、今の混乱を乗り切るべく活動しているのは生まれながらにその素質を持ったプロなのだから、そんな自分がそこまで心配する必要はないということだ。

 チカラという面では役に立てるかもしれないが、いま自分がプラントへ戻ろうものなら関係者各位ですらどんな顔をするかわからない。やはりデュランダルが言う通り、情勢が落ち着いて、普通の人間が『シン・アスカ』を受け入れる態勢が整うまでは身を隠しているのが一番良い。──そんな葛藤を、彼は長らく繰り返している。

 ヤキン戦役が終わった頃のキラたちも、こんな気持ちだったのかな──。

『ごめん、シン』 ルナマリアが言った。『そろそろ次の出航があるみたいだから、行くね』

「ああ。無理しないようにな」

 ちょうど玄関ドアの前に着いたところでテレパシーが切れ、サテ、と彼が鍵を開けて戸を開くと。

 トリィッ。どこかで聞いた覚えのある電子音声と共に、シンの顔面に何かが飛びかかってきた。

「ぶっ!」

 金属質で固いものに顔を直撃されたシンが反射的に払い除けようとして手を振りかざすと、ソレは巧みに避けて空中に舞い上がった。

 トリッ、トリィッ。得意げに鳴きながら狭い玄関を飛び回るそれは、緑色の、小鳥の形をしたペットロボットだ。

「えっ、あ、おまえ…っ?」

「すまない、シン。怪我しなかったか?」

 シンが驚いていると、戸が開いたままだった奥の部屋からアスランが顔を出した。ロボット鳥は、彼がすっと持ち上げた手へ、まるで巣に戻るように帰っていってちょこんと留まってみせる。

「……それ、壊れたんじゃなかったのかよ」 シンは言った。

 いつかの日。──そう、シンとアスランが初めて会った時、ふたりは先天種の感情から咄嗟に攻防となった。そんなふたりを止めるべくキラが放った衝撃波に巻き込まれて、この鳥は翼や脚を折られたばかりか、胴内のユニットまで潰されてあっけなく壊れてしまったのだ。

 原因はシンにもある。だからあれを見ていると、ほんのちょっと、当時の罪悪感がよみがえらないこともない。

「ああ、だから修理したんだよ」 アスランは事も無げに言った。「こんな旧型、今じゃどこへ行っても部品の替えなんか手に入らなくて、イチから作るようなもんだったから大変だったけどな。──まあちょうど、こうして暇もできたことだし」

 そう言って、ロボット鳥を肩に玄関までやってきたアスランは、シンの創造の産物でもなければ空想の住人でもない。れっきとしたアスラン・ザラ本人だ。まだ戸口でボケーッとしていたシンから荷物を預かって、すたすたと奥へ戻っていく。

 彼は『ブレイク・ザ・ワールド』において誰よりもひどい傷を負ったが、肉体の怪我など生きてさえいるならばラクスの治癒能力でどうとでもできる。それでも心的ショックが影響したのか数日ほど眠ったままだった彼は、目覚めて程なく仲間たちからキラの『消失』を知らされた。

 誰もが、アスランは泣き崩れるか自失するかだと危惧していた。けれどその予想に反して、彼はただ一言「そうか」と答えるのみに留まったのだった。

 それからはデュランダルの配慮を受け、シンと共にここで暮らしているというわけである。

 シンは何とも複雑な気持ちでその背を追っていった。自分も彼も、いま恐らく『相手が「別の人物」であったならどんなに良かったか』と思っているに違いなかったから。

 リビングでは、電波放送の復活したテレビがローカル番組を流している。地球ではまだ電波通信すらおぼつかないし、プラントの放送を受信できるようにもなっていないが、都市内の様子だけでも放映できるに越したことはないだろう。

「それにしたって」 食料品の片付けを軽く手伝いながら、シンは言った。「何もこんな時にそんなもの直さなくても良かっただろ。──いつ帰って来るかもわからないのに」

「いつ帰って来るかわからないから、準備は万全にしておくものなんだぞ」 主語のない言葉だったにも関わらず、紙袋を丁寧に畳みながらアスランはさらりと言った。「……おまえの命令文が俺の読み通りなら、あいつはもう、どこかで復活してるはずなんだ」

 トリッ。主人たちが何を話しているかなんて知らないロボット鳥は、小首を傾げ、しきりに羽根をパタパタさせて忙しなく動作している。

 『ヴェスティージ』を謳った時、シンの頭の中は真っ白だった。アスランは意識があったかわからなかったが、少なくともシンは、誰よりもっとも近くでキラの『最期』を見届けた。すべての『闇』を放出し、まるでパンドラの箱の底に残った希望のように、その身体が光の粒になって拡散したのを。

 キラの気配は、長いこと自分たちの傍を漂っていた……ような気がする。手を伸ばせば、その手を取ってくれたような感覚があった。求めるあまりの錯覚だったかもしれない。信じたくないがゆえの妄想だったのかもしれない。もしキラ自身がこの結末に満足して肉体を『解放』したのだとしても、それならばと納得することなんか、そう簡単にできることではなかった。

 いかないで──無我夢中だった。去るものを無理やりにでも引き戻さんとする、死体を蹴るような真似だと解っていながら、それでもシンは自分の口をつく命令文を止められなかった。

 キラの帰還を……彼に『復活』を強請る、その言葉を。

「命令文は確かに完成したけど、手応えなんか何にも無かったぞ。……なんでそう思うんだよ?」 シンは訊ねた。「おれたちのチカラが、消えてないからか?」

「俺たちのチカラが健在なのは多分、あいつから『切れた』からだよ」

「へっ?」

 思ってもいなかったことを聞かされて、シンの目が点になった。

「何だよそれ、あんたら散々言ってたじゃないか。キラのチカラが消えたら、おれたちのチカラも消えるはずだって」

「そうだな。でもそれは、あくまでも俺たちとキラが『繋がっている状態』が維持できていたらのハナシだった」

 あの衝撃波の飛来によって、キラに内在していた『闇』は比喩でも何でもなく文字通り宇宙の彼方に吹っ飛んでいった。地球圏の機器類が内在データもろとも死に絶えたように、能力者たちの間にあったネットワークや『絆』なんて些細なものも、何もかもをかっさらって。

 だというのに、これまでテレパシーとは無縁だったカガリがそれを操れるようになったことや、今までキラにしかできなかった地球・プラント間でのテレパシー通信をデュランダルも扱えるようになったことなど、『ブレイク・ザ・ワールド』以降、各能力者たちのチカラはまた格段に強まっている。アスランはこの件に、こんな推測で言及した。

 『爆発』によって吹き飛んだ『闇』は、計器類ばかりでなくこの世のあらゆる生物をも『通過』していった。そのとき、もとより適性のあった人間…すなわち能力者は闇を取り込んでより強いチカラを獲得し、そして適性を持たないはずの普通の人間もまた、闇の痕跡を受けてチカラを発現させる可能性を宿してしまったのではないか、と。

 要するに全人類がキラの血を飲んだのとそう変わらない状況なのだ。いま、地球・月・プラントにいるすべての人間が、能力者予備軍になったといっても過言ではない、と──。

「いや…あの……初耳なんだけど、そんな恐ろしいハナシ…」 まじか、と呟いたシンは頭を抱えた。

「まあ言っても放射線理論だし、まだ覚醒者がいないから、推測の域を出ないけどな」 何気なく窓の外を見やり、アスランは言った。「だが『キラ』という母体と収束先を失った『闇』は、今の人々の悪意と同じように、個々各々に独立して育つしかない状況になったんだ」

「なったんだ、って、そんな他人事みたいに言うなよっ! いざ有事となったら、おれやあんたが真っ先に駆り出される案件だろこれっ!」

「そうだな」

「もし覚醒者が出てみろよ、前よりずっとやばい状態になるじゃないかっ」

「わかってるさ。──でも、俺は」

 あまりにもさらりと答え、アスランは窓を開けた。快適な気温に調整された人工の風が吹き込み、髪を撫ぜていく。

「キラが居てくれるなら、どんな世界でも生きていける」

 あ、だめだこいつ──。シンはそれを直感して無言になった。

 本気で言っているのは間違いない横顔。何といってもこいつは『ブレイク・ザ・ワールド』で、キラの居ない世界に自分だけが生き残る理由はないとして、キラを『道連れ』にしようとした張本人だ。だからこそ、こいつとこじれるのが何より一番怖い。シンはここしばらくでそれを痛感していて、そしてキラに同情してもいた。

 こんなヤツ好きになっちゃって、キラも大変だよなあ──なんて。

 キラの存在をどこにも感じられない今この時も、アスランがこうしてロボット鳥の修理なんかしながら暇を潰して生きているのは、キラが戻ってくることを確固として信じているからで、そしてその自信の根源は、シンが謳った『ヴェスティージ』にある。これで本当に、あの何の手応えもなかった命令文が空振りに終わってしまったら自分がどうなるのか、想像もできない分だけ今はこの男が怖い。

 トリィッ! 一声高く鳴いたロボット鳥が翼を広げ、窓から空へと飛び立っていく。

『──はい。僕のことを、待っていてくれるって……そう言ってくれた人が居て』

 え──?

 聞き間違えようもないキラの声がいきなり聞こえてきた。ロボット鳥が飛んでいった空を感傷まじりに見上げていたふたりは一発で我にかえって、ほとんど同じタイミングでリビングを振り向く。

 そこにキラがいた。──正確には、そこに置かれたテレビ画面の中で、レポーターにマイクを向けられている。

『それじゃあ、待ち合わせなんですね』 微笑ましそうにレポーターの女が言うと、

『ふふ、そうなりますね』 キラはちょっと嬉しそうに笑った。『来てくれるかどうか、判んないんですけど』

『え、そうなんですか?』

 彼の背後は一面のピンク色だ。そこはアスランには見覚えのありすぎる、そしてシンも一度だけ鮮明に見たことのある、堤防沿いの桜並木の道だった。画面端の見出しは『季節外れの桜が開花』とある。どうやらこの放送は生中継で、そしてリアルタイムで、あの並木道の桜が一斉に満開になっているらしい。

『ほんとはもっと早く来たかったのに、ちょっと道に迷っちゃって。それに、待ち合わせ場所もちゃんと決めてなかったんで。どうしたものかなって思ってたら…ここの桜たちが』

 そう言って彼は頭上を仰ぐ。懐かしそうに、愛おしげに。

 ……ク、オイデ。

 画面を凝視していたシンの耳に、誰とも知れない声が聞こえた。囁きかけるような、いたずらっぽい笑い声。

 ハヤク、オイデ。私タチ、今が一番の見頃よ──。段々と鮮明になっていくその声が誰のものだったのか、考えるより先に理解できて、彼は泣きたくなった。

 しかし感動している間なんかこれっぽっちもない。何を言うでもなくいきなりアスランが真っ先に身を翻した。さっきまでの沈着な態度はどこへやら、適当に引っ掛けてあった適当な上着を引ったくり、転移していく。

「…っえ、ちょまっ、待てよアスランッ!」

 テレビを消すことも戸締りも完全に失念して、シンも慌てて彼を追い、転移した。

 そうしてリビングに忘れられてしまったテレビの中では、桜並木の壮麗な景色が変わらず放映されている。そのほんの端っこで未だ待ちぼうけをしている、さっきインタビューを受けた青年のもとに一羽のロボット鳥がやって来るのは。

 それからふたりの男が我先にとばかりに駆けつけてきて、押し倒すくらいの勢いで彼に飛びつく様子が流れるのは。

 ──まだもう少しだけ、先の話だ。







                                         FIN(2018/01/22)