FATAL ASK  44.贖罪

「オレが狙っている『チカラの消失』に至るための方法は確かに『超新星爆発』だが、キラ……いや、暴走した『闇』が世界を崩壊させる手段として狙っているのもまた同じだ」

「同じ…って?」

 カナードの言うことが今ひとつ理解できず、シンは首を傾げた。チカラを消す手段と世界を滅亡させる手段が同じというのは、先ほど彼がルナマリアに言った『加減を誤れば…』という言葉に相当するのだろうが、まったくイメージが形にならない。

「まず『闇』の狙いを確認する」 カナードは言った。「式典の日以降、あれだけの悪意の中でもキラの人格が安定していたのは、アスラン・ザラへ向けた『自己愛』がヤツの中にコアを作っていたからだ」

 それを聞いたラクスが少しうつむく。

 ヤキン戦役のさなか、キラの精神はどうしようもなく不安定だった。せっかく再会したアスランとは敵同士、仲間や友人らからは一線を敷かれ、ナチュラルの群れの中に居るコーディネイターとしてひときわ浮いた存在であり、彼は自分の居場所や、そこでの存在意義を確立できないでいたのだ。

 向けられる悪意を跳ね返せるだけの強さを持てず、『闇』の囁きを否定しきるだけの意志もない。そんな彼が、幾多の血にまみれた手でやっと掴んだのは、アスランの手。自分を誰より愛してくれる無二の手だった。もう二度と離れたくない、もう二度と間違えたくない──その想いがどれほどの深さと強さだったか、彼女には容易に想像できた。

「しかしそれも、外部から入ってくる『悪意』が強ければ、内部反応の中で薄れて消えてしまう。つまりキラの自我…精神のコアを壊すためには、世界中の悪意を収束させねばならなかった。……ここまでは、理解してくれるな?」

「ええ」 ラクスは頷いた。「きっとキラ自身も、この日のために、アスランへの想いから故意に目を逸らすようにしていたのだと思います」

 その言葉に思い当たる節が多かったのはシンだ。

 アスランがザフトに復帰した後も、彼とキラが明確に接触する……またはできたタイミングは何度かあった。時にはそれを察知できる場面もあった。けれどキラのチカラは、弱まるどころかどんどん進化を繰り返して強くなっていった。

 カナードは言った。『愛』を受けたとしても、受ける側──つまりキラにも『その意思』が無ければ、弱化のきっかけとなる精神のコアは出現しないと。……もし自分がアスランの立場でも、あるいはキラの立場でも、愛し合えているはずなのに『弱化が発生しない』という事実はけっこう傷付く。二人とも、押し寄せるような大きな不安とずっと戦っていたのかもしれない。

「『闇』の狙いは、この一年で非常に安定し大型化していたキラのコアを完全に破壊し、精神の内側に大規模な空白を作ることにある」 ここに、と示すように、自分の胸に手を当ててカナードは言った。「そうなると内圧が失われ、恒星でいうところの重力崩壊が発生し、もともと内在していたエネルギーがその影響で圧縮コアとなって物理的な存在を獲得、『闇』の収束を一気に反射する──」

 言われたことの意味はやはりまだ完全には理解できないままだったが、今回の一連で長らくキラの内側へ収束・蓄積されてきたエネルギーが『圧縮コア』とやらの反射で一気に外側へ放出されるということは、先にキラが故意で放ったあの衝撃波の威力など比較しようもない、とんでもない次元のシロモノが飛来するということに他ならない。ぞっと背筋が冷たくなった。

「綿密な計算まではしていないが、現状観測されている超新星の中でも、極超新星と呼ばれる特大規模のもので発生する衝撃波の速度は光速の約十パーセント、つまり秒速三万キロにも及ぶ。……キラが『最期』に放つものは、これを超える可能性がある」

「……三万キロって、どのくらい…?」 ぽつりとルナマリアが訊ねる。

「一秒ナシでプラント群が全部吹っ飛ぶ」 非常に解り易くロアノークが言った。

「核の爆発で、その爆風の速度はおよそ秒速三百メートルだ」 デュランダルが言った。「単純に見てキラ君が放つ衝撃波はその千倍の威力というわけだな。はっは、現実味が無さ過ぎて笑えてくるよ」

「笑ってる場合なんですか議長」 シンは疲れたように言った。「プラントがっていうか、地球も吹っ飛ばされかねませんよコレ…」

「いやいや。温度にもよるが、吹き飛んだ地球の元素が核融合を起こして、新しい星が生成されるよ」

 現実味がないというレベルでもない気がしてきた。ルナマリアはついに何も言わなくなり、シンはたまらず頭を抱えて項垂れてしまう。この場にもし連合の兵までもが同席していたら、もっと真面目に考えろとヤジを飛ばしてきたかもしれない。

 だが話を聞いただけで、連合最高の武器である核は意味を成さず、プラント最大の武器たるジェネシスですら無用の長物と化しているのが解ろうもの。真面目に考えたところで滅亡は逃れられない。それならせめて最後の瞬間を迎える前に、愛しい人のひとりやふたり、抱きしめにでも行ってやればいい──そんなふうにぼんやりと考えてしまう。

「…なあ。ちょっといいか」

 と、神妙な顔で言ったのはロアノークだった。

「いかがされましたか、フラガ少佐」 ラクスが訊ねる。

「いや。なんていうか…ちょっとした昔話なんだけどさ」 彼は少し自嘲めいて笑い、切り出した。「前に、キラのことをこんなふうに言った奴が居たんだ。『君は在ってはならない、許されない存在だ。誰にも理解されず、誰にも受け入れられない。君は人類が持つ終末の火のひとつだ』……ってな」

 一同は黙ってそれを聞いた。カナードはそんな彼にちらりと視線をやるものの、すぐに外し、その目を伏せる。

「憎しみと妬みと、自己繁栄の欲望だけがそいつにとっての人間のすべてだった。だから滅ぶべくして滅ぶんだとさ。実際んとこそうなんだろうなって俺も思うし、カナードだって、さっき似たようなことを言ったよな。ほんとに救いようのない世界だよ。こんなふうに言っちゃなんだけど……救ってやる意味なんかあるのかなって、考える時間が欲しくなる程度には──」

「……別に人は、滅びる必要なんかないと思うけど」

 口を挟んだのはシンだった。ロアノークは顔を上げ、そんなことを言った少年を見つめた。

「みんな生きたいに決まってるだろ、生きてるんだから」 シンは怒って言った。「っていうか何だよそいつ? 自分でどうにもできないから滅びるべきだなんて取って付けを正論ぶって、世界の代弁者にでもなったつもりかよ。ハナシ聞いてるだけでムカついてくる」

 それが正論かどうかは、聞く側の価値観次第だな──とデュランダルは思ったが、口に出さないことにした。

「人類が滅ぶべきだなんて御託並べて、一番死にたがってたのはそいつなんじゃないのか」 怒りに任せ、しかし声を荒げるわけでもなくシンは言い放った。「キラも言ってやればよかったんだ。そんなふうに言って、自分のことを誰より他人に理解されたがってたのはあんただろって。キラのこと以上に、自分のことを誰より許されない存在だとか、在っちゃいけない存在だとかグダグダ考えてめちゃくちゃになってたのはおまえじゃないかって」

 悪意は自己の投影だ、と、カナードは常々感じている。ユーラシアに居た頃、本当に幼かった頃から周囲の虐遇を受けて血反吐を吐きながら、それでも彼らの 言動の一つ一つが、彼らの日常で鬱積されたフラストレーションの体現であることが見えていたからだ。

 カナードをやたらに見下したがった男は、上層部から見下されていた。何日にも渡って食事を取り上げて媚びる言葉を強要した女は、不倫相手から今にも捨てられそうになっていた。また逆に彼のことを労わり、慈しもうとした女は家庭内で子どもらに見放されていた。

 誰も、自分に起こったことの範囲内でしか発想できず、また行動できない。人によっては驚く者もいるだろうが、それは『知りながらも突き進んだ道』であると共に、自身が描く『理想の人生』でもあるのだった。

「……ああ。おまえの言う通りだよ」

 そう言いながら、ロアノークは思う。その男は『人は自分の知っていることしか知らない』とも言った。それは自供であると共に、シンの言葉に対する答えでもある……と。

 誰よりも愛情に飢え、誰よりも理解を望み、誰よりも自分自身と、自分を生み出した者の意思を信じようとしたのは彼自身だった。しかしそれが何一つとして叶わなかった絶望が、それまで彼が抱いていた欲求のすべてを悪意へ反転させた。そして、自分よりも遥かにタチの悪い生まれを持つキラに思いの丈をぶつけたのだ。

 解らぬさ──。その叫びが、虚しく胸の内に響く。それは、おまえだけはわかってくれという彼の心の叫びだったのだ。

「キラはあいつを討ち取った」 ロアノークは続けた。「誰にも解ってもらえなくても、受け入れてもらえなくても、救うだけの価値があるとは思えない世界だったとしても、それでもキラは『守りたい世界』を守るためにあいつを討った。……それはさ、キラにとって、あいつの言うことなんかどうでもよかったからなんだよな」

 万人に理解なんか求めはしない。愛してほしいなんて言わない。

 生まれて来てはならなかった存在だと言われようと、それでも僕には、僕を愛してくれる人が居る。

 アスラン、ラクス、カガリ──君たちが生きているこの世界を、ただ君たちの中に在る『世界』を終わらせたくないだけなんだ──。

 世界を守るためにそれ以上の理由なんか要らない。むしろ世界を守ることは、大切な者たちを守ることのついでに過ぎない。ラウ・ル・クルーゼが言ったように、キラがそんなふうに想って戦ったことなど、ほとんどの人間が知ろうとはしないだろう。知ったところで自己満足だ何だと難癖を付けに来て、理解しようとはしないだろう。

 でも、別にそれでもいいのだ。

 解ってくれる人間がたった一人でも居るのなら、それだけで彼は救われていたのだから。

「とまあ、前置きが長くなっちまったが」 ロアノークは天井を仰いで、何かを吹っ切るように言った。「世界なんざ滅びたっていいけど、俺はカナードを死なせたくないんだよな」

「は?」 いきなり何を言い出すんだ、とばかりに、黒い男が不審そうな目を向ける。

「あたしも」 ルナマリアがちょっと面白そうに笑って言った。「今も地球でバカやってる奴らのことなんかどうでもいいけど、あたしの中のステラを死なせたくないし、……シンにも、死んでほしくない」

「ルナ…」 いつかの夜、並んで花火を見上げたそれと変わらぬ無垢な笑顔に、シンの胸が痛みにも似て痺れる。

「私も同じ気持ちだよ」 デュランダルは言った。「私は、私をここまで引き上げてくれたすべての人間の想いを無駄にしたくはない。私をここへ送り出してくれたレイに報いるためにも、世界くらい守り抜いてみせなくては」

「わたくしは元よりそのつもりですわ」 ラクスが笑んだ。「たとえあなたがたが見捨てたとしても、わたくしたちは単独でも、あのおふたりを救いに参ります」

「見捨てるわけないでしょ! そんなの、おれだって行きますよ!」 バシッと拳を叩いてシンは言った。

 レイの分までデュランダルを守ってみせると、メサイアで彼は亡き友に誓った。生きることを望んだステラの心を宿したルナマリアを、死なせたりなど絶対にしない。

 何よりキラとアスランには、言葉なんかでは言い尽くせないほど世話になった。大切なことをたくさん教わった。背を押してもらった。自信がない時に支えてもらえた。彼らは何でもないことだと言うだろうが、その恩を何も返せないまま死なれては困る。

 そして何より、自分が死ぬということは、自分の中に生きている最愛の妹まで消えてしまうということだ。生きていてほしい。だから、生きていたい。キラと刺し違えてでも、などといったことを彼が口にしなかったのは、縁起でもないからではなく本当にそんなことは考えてもいなかったからだった。

「決意表明は終わったか?」

 一同のやり取りを、異様なほど冷めた目で見ていたカナードが言った。いや、冷めているというよりむしろ呆れている感が強い。一体何を言っているんだこいつらは──今にもそんなことを言い出しそうだ。

 こいつは本当にキラと同じ『設計図』でできてるのか──? シンが如実にそんな目をしているが、ロアノークはそんなカナードの態度に愛しさ半分面白さ半分で笑ってしまった。

 こいつはそもそも、自分や世界が死ぬかもしれないなんて思ってもいない。世界に『繁栄』や『滅亡』という概念があること自体を認識していないといってもいい。自分の『作戦』にある種の確信を抱いていて、それを実行することになるここにいる者たちのチカラを認めている。だからこの作戦に対して、失敗に因る滅亡の危険性や死の恐怖なんて微塵も抱いていないのだ。

 やるからにはやり遂げる。いっそ清々しいほどの軍属精神だ。

「待たせてしまってすまないな」 デートに遅れてきた男のようにデュランダルが言った。「──ここからは、君の作戦を聞くことになるのかね?」

「そうだな」 待ちくたびれたとばかりに伸びをして、カナードは言った。「およその筋道は『闇』の目的とそう変わらない。キラ・ヤマトのコアが完全に破壊されるのを待ち、重力崩壊を発生させるところまではまったく同じだ」

「……それって、キラの心が死ぬってことになるのか?」 シンは言った。なるべく抑えた調子で。

「違う」 カナードは断言した。「先にも話したが、コアとは人格そのものや、あるいはそれを形成するために不可欠な要素というわけではない。『闇』の所有者が他者を愛することで生まれる『自己愛』の結晶だ。それはシン、おまえにもあるし、オレにもある」

「え、おれにも?」

 シンの目が丸くなった。先天マイノリティに過ぎない自分に、キラやカナードのような『闇の根源』と同じ現象が起こるものなのか──唖然としている彼を、デュランダルは何も言うでもなく一瞥した。

「便宜上コアという単語を使っているが、それは自分の存在を『その者』のためだけに賭けたいと考える、『兵器』や『力』にあるまじき思考のことを指し、『製作者』側から見れば『自己否定』と言える。だから反発が発生し、外部からの『闇』の流入を抑える作用を持つんだ」

「つまり『コアの破壊』とは」 ラクスが言った。「キラが自らを『兵器』と認め、世界の敵になる道を選ぶということ…」

「そのとおりだ。キラ自身がアスランへの想いを多少なり制限していたことも相俟って、『闇』の流入はかつてない規模となり、現在のヤツは中心核で光分解が始まった末期の恒星と同じだ。重力崩壊が発生するまで、そう時間はない」

「その重力崩壊ってのは、具体的にどういう現象のことなんだ?」 ロアノークが言った。

「コアの原子崩壊によって出現する広大な空洞へ、内部・外部を含めた世界中の『闇』が押し寄せる…」 カナードは言った。「『闇』がキラに集束するものという前提の上で、宇宙そのものをあいつが中心核となるひとつの星──球状空間として考えてみろ。ヤツが『空洞化』することで、『内部』へ向かって急激な収縮が発生するだろう?」

 砂の山を作ったとして、その中身をかき出し続けているとやがて山自体が崩れる現象。あるいは地下水の汲み上げがが原因で発生する地盤沈下なども、言ってしまえば重力崩壊だ。シンはその現象を想像してなるほどなと思った。

「それがおれやあんたに『漏れる』ことがないように、あんたは発信する情報をキラのものだけに限定した…ってことか」

「わかってきたようだな。なら、もうひとつ伝えておいてやる。キラの心は『闇』に乗っ取られたのではなく、『闇』の囁きに同調し、身を任せている状態だ」

「え?」

「二重人格なんて話ではない、ということだ。だから再び『自己愛』が強まり『闇』を否定する理由ができれば、あいつはいつでも元に戻ることができる。……そしてオレが狙っているのは、重力崩壊の直後、爆発が起こる前にヤツがそうやって自我を取り戻すことだ」

 本来の流れであれば、重力崩壊の影響で出現する圧縮コアによって、世界はキラともども爆散することになっているが、もしこのときキラが『闇』に打ち勝てるだけの『自己愛』を再び発現させたなら、圧縮コアが出現するより早く従来のコアが現れることになり、キラ自身の消失だけは回避できる──黒い男はそう続けた。

 ただし従来のコアはもともとが反発作用を持つシロモノであるため、爆発の規模は圧縮コアによって発生する威力を大幅に上回ることになる。これをラクスの『エターナル』とカナードの『アルミューレ』、加えてロアノークの『シラヌイ』で、完全無効化まではできずとも相当まで弱めることさえできれば、地球もプラントも救われるという。

 おまけに重力崩壊をコアで反射することで、キラに内在する『闇』は秒速三万キロを超える速度ですべて外側へと吹き飛ばされ、自己愛によるコアの作用で外部からの流入も制限される。そしてこの効果が持続しているうちに『キラが討たれて死んだ』ことを世界に知らしめることができれば、金輪際キラに『闇』が収束することもなくなる。

 つまり、キラのチカラが消失する──というわけだ。

「…ハナシだけ聞いてると簡単そうに聞こえるけど」 ロアノークが言った。「実際、キラがその重力崩壊を起こしたとして、圧縮コアが出現するまでの時間ってどのくらいなんだ?」

「実際の超新星爆発においては数秒もない一瞬だと言われているが、『闇』となるとオレにも計り知れん」 カナードは肩を竦めた。さすがにこの態度を他人事すぎる、と怒ることは誰にもできない。

「それなら、キラ君の『観測』は我々が行なおう」 デュランダルが言った。「要は、彼の内側でエネルギー圧縮が発生する予兆を見つけることができればいいのだろう?」

 彼の手元には、キラはもちろん、キラに属するマイノリティやシン、そしてデュランダル本人といった能力者を解析した研究データがある。加えてカナードがキラを『星』と称したことで、アプリリウスの天文研究部門の設備でならキラの状態を文字通り観測することが可能であろうと考えたのだ。

「……マイウスの管理データはすべて削除したはずだが」 ぽつりとカナードが言った。まるで確かめるように。

「バックアップのひとつも取らない管理者が、いったいどこに居るというのかね?」 ははは、とデュランダルは何も気にしていないように平然と笑った。「データは国防本部のシステム内に保存されているよ。私の生体認証でいつでも復元可能な状態でね」

 そんな相手から視線を外し、カナードはひとつ舌打ちした。さすがの彼も、デュランダルがここまで周到な男だとは思っていなかったようである。

「ネオとオレに防衛は必要ない」 そして彼は、何事もなかったように話を続けた。「──だからシン・アスカ、ルナマリア・ホーク。おまえたちは何が何でもラクス・クラインを守り抜け。最後の衝撃波にだけ備えていればいい話ではないぞ。オレたちはこれから、遠慮も躊躇もなくなったキラと戦うことになるのだからな」

 シンとルナマリアは、一瞬、確かめ合うように視線を交わしてから、皆へ向かってひとつ頷いて見せた。

 覚悟なんか何も決まっていないけれど、それでも彼らは行かねばならないのだ。

「よし」 デュランダルは言った。「それでは各員、適切な場所で待機を──」

「貴様ら、こんなところにいたのかっ!」

 会議室の扉が開くなり、カナードが展開していた『宇宙』はあっけなく消え去った。そして血相を変えてやってきたのは、白い隊長服に身を包んだザフト兵──イザークだ。

 先ほどまでの『空間』は、この作戦会議を『キラ』に傍受されぬようにするためのジャミング領域だ。能力者といえど、それは内側に居る者たちの存在を秘匿する。どうやらイザークは、ここにいる者らを探してタワー中を走り回っていたらしい。

 誰がどうしたんだと問うより早く、彼は言った。

「それぞれとっとと持ち場へ戻れ! ユニウスセブンが地球への落下軌道に入ったと、月と司令部が蒼白になってるぞ!」

「な──」 一同が絶句した。

 誰もショックで動けなくなっている中で、唯一カナードだけが、鋭利な目に冷たい光を宿して顔を上げる。始まった──容易にそれを感じ取ることができた。

 キラはプラントにも地球にも現れなかった。あろうことか彼は、かの悲劇の地を地球に落として、まずは大地を滅ぼすことにしたらしい。

「デュランダル議長はすぐに司令部へ」 ラクスが言った。「わたくしたちは出撃の準備に入ります」

「気を付けたまえ。……無事の帰還を、心の底から祈っているよ」

 かつてなく厳格な表情でそう言って、デュランダルは散っていく同胞たちを見送った。



 氷と闇に閉ざされた無音の大地で、アスランは宙を漂いながら虚空を眺めている。いろんなものが目の前を、遠いところを通り過ぎていった。かつてここにあった『生活』の一部を思わせるもの、あるいはどこからか流れてきた、戦闘の痕跡らしきもの──。

「ずっと……ずっとこうして、君と静かな時間を過ごすのが夢だった……」

 と、その胸にすがったキラが言った。甘えるように頬をすり寄せ、うっとりと目を閉じている。

 アスランは、いつも忙しい人だから。

 朝早くから夜遅くまで、オーブの官邸でカガリの傍に付きっきり。政府内ではユウナ・ロマにはうざがられ、司令部ではコーディネイターのくせにだの、元ザフト兵が偉そうにしやがってと、いっそ殴ってやってもいいくらいの罵倒じみた嫌味を言われることにもすっかり慣れてしまっていた。国内で何か行事があれば外出して何日も戻らず、戻って来たかと思えばだいたいは疲れ切っている。

 構ってもらえない。傍に居られない。声を聞きたいのに。触れたいのに。淋しい。さみしい──。

 だからまずは、そんなふうにアスランを自分から遠ざけたあのオーブという国を潰してしまおう。名案だとばかりにキラはそう考え、オーブの島々を丸ごと押し潰すことができそうな、手頃な道具を見つけたのだ。

 安定軌道に漂っていた、この死の大地を。

「ねえアスラン、聞こえる?」 キラは言った。薄く目を開いて、彼の身体の向こう側に広がる氷の海を見やる。「ここに居たひとたちは、まだ自分が死んだことに気付いていないひとも居る。受け入れられないひとも居る。彼らの存在はまだここに在って、『みんな』はその内側でまだ平穏な日々を生きている」

「キラ──」

 こいつが何を言っているのか、アスランにはほとんど理解できなかった。キラはその目で何を見ているのだろう。その耳で何を聞いているのだろう。その肌で何を感じ取っているのだろう。

 キラは風や水ばかりでなく、『季節』といった『概念』とさえも意思を疎通させることができた。植物や動物とさえ時に会話をすることができ、シンはこの一年、その能力を会得しようと四苦八苦していたが、結局身に着かず終いだった。

 ひょっとしたらキラの目には『視』えているのかもしれない。在りし日のこの地をこことは違った次元に構築し、ここが破壊されたその『時間』に囚われたまま、永劫のリフレインを続けている者たちの姿が。その『日常』が。

 願わくば、そこに自分の母が含まれていないことを、アスランには祈ることしかできない。

「アスラン」

 ぬっと目の前に影がかかり、キラが顔を覗き込んできた。愛らしいさえ言ってもいい安らかな表情、大きな紫の瞳は優しげな笑みを湛えている。

「もうすぐ地球もプラントも、みんな消えてなくなる」 明日は遠足だね、というくらい簡単に彼は言った。「でも、僕が放つ最後の『風』は終わりを告げるものじゃない。次の始まりを示すものなんだ」

「次…?」

「うん、そう。何もかも壊れてなくなるけれど、その代わりにたくさんの新しいものが生まれるから。君のために、僕が次の地球を作ってあげる」

 誕生日プレゼントくらいの気軽さで何ということを言うのか、こいつは。アスランは呆気に取られてしまった。

「僕の意識は新しい大地に溶け込んで、そしたら君と僕だけの世界ができあがる。もう人類なんて作らせない。君以上の存在は、僕にはもう必要ないから」

「…っ、キラ、もうやめろっ」

 聞けば聞くほど頭のおかしい夢物語だ。キラがそんなバカげたことを言っているだけで、痛いやら苦しいやらまぜこぜになって判らなくなる。

 できるわけがないと思っているのではなく、きっとこいつは本当にやってしまうのだという危機感がたまらない。こいつにそんなことができるなんて思いたくない、思ってしまう自分をいっそ殴ってやりたい。そして、できることならふざけたことを言うなと怒ってやりたかった。

 カガリやラクス、他にも何人もの友だちがいるはずの世界だ。かつてはアスランと戦う道を選んでさえ守ろうとしたその者たちを、こいつはその手でみんな殺してしまおうと──消してしまおうというのか。

「頼む、キラ…」 アスランは祈るように言った。愛しいその肩を掴んで。「そんなことをしなくたって俺はおまえを愛してる。どこへも行かない。だから──」

「君はいつも、そうやって平然と嘘を言うよね」

 すっとキラの目が鋭さを帯びる。怒っているというのではなく、気分を害したというのでもない。言うなればそれは、アスランのことをどこか蔑むような目だった。

「どこへも行かないなんて、そんなの嘘だ。君はすぐどこかへ行ってしまう。僕の手の届かないところに。昔プラントへ帰った時も、ヘリオポリスで会ったあの時も……今だって。君は何度、僕を一人にしたの?」

「それはっ…」

 反論も、続く言葉も浮かばない。急激に虚しさが込み上げる。

 ──解ってくれているはずだなんて、アスランには言えなかった。

 先天種でありながら、そのチカラの強さや生来の立場を散々利用し利用されて、彼は何度となくキラを置いて戦場に発ってきた。ミーアやプラントの状態を確かめるため、そしてデュランダルを救出するためと銘打ってプラントへ渡ったことなど決定打と呼ぶに相応しい。ラクス発案の『洗礼』なんかでは生温い、メサイアで仲間たちと顔を合わせた瞬間、シンに掴みかかられたっておかしくはなかった独断専行なのだ。

 自分たちの繋がりを信じていたはずだった。そしてキラもそれを解ってくれているはずだと、彼は信じていた。でもそれらが全部、自分勝手で自己都合主義な独り善がりにすぎなかったのだとしたら。

 もう、どこへも行かないで──。あのときのキラの囁きが耳の奥によみがえる。あれは紛れもない彼の、悲痛さだけを押し隠した本心だったのだ。

 先天種としての役割ならば、どんな時でもキラのことを気にかけ、彼の行方や無事を知るべく躍起になっていたシンのほうが余程しっかり果たしていた。こんな自分なんか、キラに愛してもらえこそすれ、キラを愛してやる資格などないのではないかという思考が頭をよぎる。

「だから君がもうどこへ行かないように、世界を作り変えるんだ」 そんなアスランを許すように、キラは微笑んだ。「ううん、そうじゃない……君がどこへ行っても、僕がその存在を感じていられるようにするんだ」

 これは罰だとでもいうのだろうか。

 大地になる、なんてバカげた台詞から察して、キラが言う『新しい世界』に確固とした『キラ』という存在はいない。プラントも地球も吹き飛んで何もかもが滅びて、そしてキラの意思通り自分だけが唯一のヒトとして生かされるそこは、二人だけの楽園足り得るのだろうか。

 答えは──。

「ああ……来る。死を望まない意思の声がする」

 キラが身を起こした。あらぬ方向へ顔を向ける彼の背に、ぼうっと青白い光の翅が浮き上がる。

「さあアスラン、一緒に行こう。最高の兵器として僕を生み出しておきながら、その意思を否定する諦めの悪い奴らを、みんな殺してしまおう? 僕たちふたりに、できないことは何もないんだから」

 差し伸べられたキラの手を見て、アスランは視線を上げた。

 暗く濁った瞳の中に座した、一粒の闇。それはこれまでにないほど強く、一度見れば二度と目を逸らせぬ莫大な引力を持っている。

「キラ…」

 呼んだって無駄だ。キラはアスランの声や表情が悲痛さを帯びるほど、まるでそれを喜ぶように笑みを深めていった。今だってそうだ。その手を取らないなんて選択肢など、彼には許されていない。

 それが、俺とおまえの辿り着く最後の場所だというのなら。それなら、俺は──。

 何を思うと知れず伏せた彼の目が再び開いたとき、それは薄闇のグラデーションに彩られた、キラと同じ質のものへ変わっていた。

「ああ行こう…キラ」 キラの手に手を重ね、アスランは言った。「何もかも…終わらせよう」







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