FATAL ASK  42.発狂

 スーパーコーディネイターの情報を発信するなど、カナードにとってすれば自分の傷を抉るも同然の行為だった。おかげでミーアの放送を見た地球連合の中で、かつて彼を所有したユーラシア連邦の者らがカナードのことを思い出し、この一件のウラに彼が噛んでいるのではないかと疑いを抱き始めている。

 不完全体であった彼のデータもまともに取れなかったばかりか最終的には逃亡までも許した怒りと、喉から手が出るほど求めていた完全体がこれまでオーブに独占されていたことへの激しい妬みが、今は大西洋連邦へ流れたかつての責任者や研究者らの記憶を通じて高まって『闇』となり、カナードへと凝縮される。それは彼の中で未だくすぶる、拭い切れぬ憎悪の火にくべられて黒い炎となり、一時はテレパシーすら満足に扱えぬほどにまで落ち込んだ彼のチカラを再び増幅していった。

 アスランに抱かれチカラが弱まることも計画のうちなら、こうしてそれが回復することもまた同じだ。数日ぶりに腕や脚を取り戻した気分で、彼は無人の最高評議会講堂の一席に着き、身体をほぐすように大きく伸びをしてひとつ息をついた。

 この『次元のズレ』に居るのも、ずいぶん久しく感じる。彼の『外側』ではデュランダルの放送でようやく『真実』を知らされた評議会議員たちが蒼白になって慌てふためいており、自身らのパトロンであると共に、真意もろくに確かめず易々と招き入れてしまった仇敵ジブリールの所在を捜してドタバタの大騒ぎを展開しているはずだ。

 宇宙港管制に精神でハックをしかけ外の様子を覗き見れば、『戦闘用コーディネイター』を寄せ集めてジブリールに指揮させたナスカ級によって『フリーダム』が撃墜され、ついにキラが自らの持てるチカラを全人類の前に晒すこととなった光景が『視』える。

 それだけでも充分だったのに、ついでにキラは、ザフト内部にジブリールの一声で容易に『裏切る』コーディネイターが多数紛れ込んでいることをすでに察知し、余計な事態を招かぬために敵対するザフト・連合全軍の艦・機体を機能停止に至らしめ、ごく少数の味方をアプリリウスへ送り込んだようだ。

 ようやく満足したようだな、あいつめ──。もとより鋭利な紫の瞳を細め、カナードはキラの行動を『分析』していた。

 シュ、と扉が開いて、入ってくる靴音があった。ジブリールだ。

「チカラの調子は万全のようだな、カナード」

「ああ、問題ない」

 『ここ』が誰にも感知・認識されない自分たちだけの秘密の空間であることを知っている彼は、席から動かぬ黒い男の傍へ歩み寄ると、慈しむように抱きしめた。彼の身体に染みついた、幾多もの『敵』の死を意味する血と硝煙の匂いが、そしてそれを乗り越えてここに在る体温がこの上なく愛おしい。

「もうこんな窮屈な場所に用はない」 ジブリールは言った。「カナード。やはり私はダイダロスへ赴き、レクイエムでコーディネイターどもを排除することに決めた」

「そうか」

「おまえとこのプラントを統べる夢も悪くはなかったが、それも終わりだ。すべて焼き払って、共に地球へ帰ろう」

「ああ」

 所詮、おまえに実現できる夢だとは思っていなかったよ──そんなことは口が裂けても言えない。ひとしきり相手の感触と『従順』な態度を堪能したジブリールは、改めてカナードの顔を覗き込む。何を考えているとも知れないこの能面のように凪いだ表情が、恐怖と絶望に染まったあの夜を思い出すだけで愉悦を抑え切れない。

 自分が流す作り物の情報ひとつで、単純な民草どもが易々と踊らされ反コーディネイターを掲げて暴動を起こす様もなかなか愉しかったけれど、今は、この黒い男の感情や挙動の支配権が自分に在るのだという優越に勝るものはない。愛しさ──という勘違いも甚だしい征服欲──に満たされるまま、ジブリールはカナードに口付け……ようとした。

「お邪魔しちゃってすいませんけど」

 と、聞き覚えのある男の声が割り込んできた。『ここ』に入って来られる人間など居るわけがないのだから、当然ながら驚いたジブリールが何者かと振り向いてみると、開いたドアにもたれかかって、まるで子どもらの悪いイタズラを見つけてしまった親のような苦笑いを浮かべた男が立っている。

 それは──。

「そっから先は、このかわいい部下に譲っちゃ頂けませんかね?」

 よもや生きているとは思ってもいなかった男。ジブリールの頭の中では、ガーティ・ルーの撃墜に巻き込まれて、とっくこの世を去っていたはずの男……ネオ・ロアノークだった。

「ネオ──」

 貴様っ、と声を上げそうになったジブリールは、カナードの呟く声を聞き付けて凍り付いたように彼を見やった。黒い男は震えていた。声も、呆然と開いたままの唇も、大きく見開いた瞳も。まさか生きていたとは、と驚いたのはジブリールだって同じだったが、こいつの反応はそんなものではない。

 もう会うこともないと思っていた者の来訪を見た彼の心が、歓喜にわなないているのが手に取るように伝わった。カナードはそんな感情をほとんど知らないから、自分が受けたショックが何なのかを理解しきれないでいるが。

「…にを…っ」 ジブリールの震える手が伸び、カナードの胸ぐらを掴み上げた。私ではない者に私との逢瀬を邪魔されたというのに、その態度は何なんだ──。「何をしているカナードッ! 私に仇成す侵入者だぞ、殺せっ! チカラを取り戻したおまえならば、頭を吹き飛ばすくらい朝飯前……ッ!」

 未だボケている黒い男に怒鳴りつける声が弾かれたように途切れる。カナードを掴んでいた手にバシッと熱く鋭い痛みが疾り、ジブリールは、電撃に似た攻撃で火傷を負った反射によって咄嗟に手を、そして身を引いてしまった。

「やれやれ。部下に対する粗暴な扱いは相変わらずですなあ、盟主殿」

 投げ出されたカナードを抱き留め、ロアノークは困ったものだと愚痴めいて言った。様子から見て今の攻撃はこいつの念波のようだったが、ロアノークのチカラは『三賢者』より強くなかったはずだ。こんな明確に『攻撃』ができるほどの存在なら、ジブリールはこいつを『ロアノーク』になどせずロドニアへ実験体として送っていただろう。

 唖然とロアノークを見上げたカナードの目に、きらりと映るのは黒い光。下手をすればアスランよりも濃いキラの気配。この男がここへ来るために何をしたのか一瞬で察した彼が言葉を忘れているうちに、ロアノークは腕の中の黒い男を確かめるように抱きしめた。

「ありがとな」 何より早くこれを伝えたかったのだと言わんばかりに、彼は言った。「俺たちを助けてくれて」

「な、なんで──」

「俺の傍に居るって言ってくれただろ。そのためなら何でもするって。──じゃあ、俺が迎えに来てやらなきゃ終われないじゃないか?」

 ロアノークは知っていたのだ。

 カナードがガーティ・ルーの士官に魅了を使い、真っ先に自分を出撃させてくれたことを。その戦いで彼と『三賢者』をキラたちに『託した』ことを。ヨーロッパ郊外ではアークエンジェルとミネルバにばかり周囲の目を集中させて、確かにそこにいたはずのロアノークの存在を認識外にしたことを。

 オレはネオと共に在る──。カナードが最後に残した言葉を、彼は愚直にも信じ続けてきた。そして逆に、自分が必ず生き残ると信じられていることもまた、身に沁みるほど感じてきたのだ。

 わかってくれた。信じてくれた。来てくれた──。自身の中に渦巻くこの感情が何なのか、カナードはやっと知った。自分はこの男を愛していた。かつて壮絶な愛をもってこの身を包んでくれたプレアの面影を持つ彼は、それにも勝るとも劣らぬ存在感を持つ腕で今、自分を抱いてくれている。

 この男に存在を認めてられていることが、何よりも嬉しかった。

「バカ…ッこのバカがっ! 単純にも程があるだろっ」

 どん、とロアノークの胸を叩いてきた拳の力は、能力者やスーパーコーディネイターとしてはおろか、ひとりの男としてさえ考えられないほど弱かった。

 口をつきそうになったもっと違う言葉を減らず口で必死に隠すくせに、その腕は相手をはね退けも拒絶もしない。こんなに喜んでもらえるのなら、ロアノークだって来た甲斐もあったというものだ。嬉しくていっそそれも伝えようかと思ったけれど、口に出した途端、今度こそ鉄拳が飛んで来そうだったからやめた。

「怒るのか泣くのか、どっちかにしろよ」

 まるで子ども──否、彼の過去に『その時代』が存在しなかったのなら、カナードはまだ少年ですらない。込み上げる不憫さと悲哀は同情などではなく、これからこいつにもっと多くを与えてやりたいと望む確かな愛情だった。

「……と言っても、感動の再会はここらで終わりかな」

 これ以上を許してくれそうにない男がもう一人この場にいたことを思い出したロアノークは顔を上げ、そちらを見やった。長年連れ添ってきた妻から三行半を突き付けられた、何も知らなかった哀れな夫のような顔をしたかつての主人を。

「盟主サマよ」 ロアノークは言った。「もうあんたの味方になる人間はどこにもいないぜ。これでもまだ、投降するつもりはないか?」

「誰に…ッ」 ジブリールの表情が怒りに震える。「誰に口を利いているのだ、ロアノークッ! ボロぎれのようになって宇宙漂流していた貴様を救ってやったのは誰だと思っている! 貴様がここで生きているのは誰のおかげだ! その恩を仇で還すつもりか、裏切り者め!」

「心外だな。俺や『三賢者』を使い捨てたどころか、その死を踏みにじってここへ来たのはあんただろ? 裏切られただなんて、そりゃこっちの台詞だよ」

 困り果てた調子でそんなことを言いながら、ロアノークは腰のパックから銃を抜き取った。アスランを除けば、能力者としては類のない『深み』に入り込んだこいつが今更こんなものに頼る意味はないはずだ。それを証明するように、彼はテーブルの上に銃を置いてみせると、軽い手首のスナップでジブリールの前へと滑らせてやった。

「使えよ」 ロアノークはさらりと言った。

 ジブリールに火器の心得はない。戯れに狩りで猟銃を扱うことこそあったが、こうした白兵戦用のハンドガンなど、商品として扱うならまだしも実際に使用した経験は皆無だ。それでもこの至近距離、一発でも発砲が許されるのであれば、ロアノークに一矢報いることは可能だろう。

 この場で自分の命を任せられるチカラも武器も持たなかったジブリールは、一瞬こそ躊躇する素振りを見せたがすぐにそれを掴み取る。セーフティはすでに外れていた。

「…な、カナード」 ロアノークは、自分の隣に立つ彼にこそりと言った。「賭けてみるか?」

「話にならん」 カナードは言い切った。あいつのやりそうなことなど、予想なんかするまでもない──。

 鈍く光る銃を見つめ、ジブリールは沈黙していた。彼にとっては数分程度にしか感じられなかったけれど、この間に市街地では講堂がひとつ焼け落ちている。

 そして、不意に彼は笑い出した。喉の奥から響く静かな低音に始まったかと思えば、すぐにそれは激しいほどの哄笑に取って代わる。

 どこで自分がつまずいてしまったのか、彼にはわからなかった。愛しいカナードがチカラを貸してくれてまで持ちかけたプラント支配も、デュランダルを粛正しなかったことに始まりアスラン・ザラという憎き仇敵によって泡と消えた。『ロゴス』側として見ても、コーディネイターとナチュラルを丸ごと『統制』できたほうが都合が良かったはずなのに、他のメンバーがジブリールの計画に乗ることはなく、今も彼らは地球に居て、各地で起こっている暴動やテロを花火見物のように悠然と眺めている。

 自分こそは選ばれた人間だった。地球に、月に、溢れるほどいるブルーコスモスなる素晴らしき思想の代弁者。集団の意思を統率し、コーディネイター排除を謳う彼の言葉には誰もが諸手を挙げて賛同した。民草は率先して彼の手足となって引き金を絞り、それこそ山ほどのコーディネイターを葬ってきた。その遺体を吊るし上げ、晒し物にして酒宴すら開いた団体もある。

 そうした活動によって使われた銃器・弾薬、破壊された数多の街や施設は、彼らの事業を通して賄われ、再生され、それが新たな活動を可能にする──。この完全なる永久循環の中では、コーディネイターはナチュラルらのストレスのはけ口に過ぎず、そしてナチュラルさえ滅びなければいくらでも造り出すことが可能な無限の資産でもあった。

 かつてカナードにも語ったことだったが、そんな連中が生みの親であるナチュラルに牙を剥き、あまつさえ自らを『優れた種』などと自称しようなどおこがましいにも程がある。いかに奴らとて撃たれれば死に、寄って集って殴られれば死ぬ。所詮ナチュラルの『道楽』のために生まれた命ならば、道楽のために費やされるのが本懐というものだ──彼は、そんなことを本気で考えていた。

 なのに自分はここにいる。自身の手足となって動くよう仕込んだはずの手負いの鷹は、その足枷をとうに解かれて、静かな怒りと敵意に満ちた目を向けてくる。そればかりか飼い主であるジブリールのもとから、自由への手土産とばかりにカナードさえも奪い去ろうとしているのだ。

 これほどの事態になってまで、それでもこの男は自分が愚かだったのだとは考えもせず、自分の思い通りに動かなかった周囲こそが救いようもない馬鹿ばかりだったのだと信じてやまない。頬の筋肉が引きつるかというほど、そんなバカどもを蔑み笑い尽したジブリールは、半ば狂気にも近い笑みを貼り付けた表情でゆっくりと銃を持ち上げた。

 自分の前方へ、向けて。

 銃声は一度起こり、そして直後にバァンとものすごい爆発音がした。

 放たれた銃弾はカナードの肩口で見えぬ障壁に弾かれた。それを張った本人であったロアノークは、立て続けの二発目が放たれる直前に念波を飛ばし、銃口付近に致命的な捻じれを造り出す。発射されるはずだった二発目が、これによって銃身そのものを破裂させていた。

「ぐああぁぁぁっ!」

 銃が弾け飛ぶ衝撃だったのだから、それを握っていたジブリールの手が無事で済むはずがない。パシャリと血が跳ね、指がコロコロと床を転がっていく。痛みよりも先に激しい熱が右手を痺れさせた。

「俺を撃とうってんなら、一発くらいは撃たれてやろうかと思ったんだけどな」

 うずくまるジブリールに歩み寄り、ロアノークは呟くように言った。

「おまえもおまえだ、カナード」 彼は背後に立った黒い男を、叱責じみて振り向く。「どんなヘタクソでもマグレってもんがある。当たりどころが悪かったら酷い目に遭ってたぞ」

 カナードは何も言わなかった。悪かったともすまないとも。ただジブリールの銃口に狙われた時と同じように、静かに黙って目を伏せる。

 銃が手に渡されたとき、ジブリールに与えられた選択肢は二つあったはずだった。ひとつは自決。もうひとつはロアノークへの一矢。けれどこの男は、用意されていなかった三つめの選択をした。

 ロアノークは能力者だ。しかも以前に比べて恐ろしく強くなっている。だったら銃弾の一発や二発で死んでくれるとは到底思えない。ならば、二つあるように見えた選択肢の片方は幻に過ぎず、最初から彼には自決の道しか残されていないと思ったからだ。

 だが、断じてカナードを道連れにしてやろうと思ったのではない。こいつはキラにも等しいチカラを持つ、バケモノクラスの能力者だ。心臓を撃たれたってきっと死にはしない。

 でもジブリールはカナードが『死んでくれる』と思った。この黒い男が、ここで潰える自分と共に逝ってくれると、固く、固く信じていた。何故なら自分たちは愛し合っているのだから。置いていくのも置いていかれるのも、身を裂くような悲しみを伴うから──。

 右手が吹っ飛んだショックで過呼吸を起こした彼に言葉は紡げない。愛していると告げることもできなければ、名を呼んでやることさえも。姿を見ることですら、もはや視界を影に覆い尽され叶わない。このとき彼の胸に去来したのは、途方もない孤独だった。

「…俺はこれまで、あんたの暗部を嫌というほど見てきたんでね」 ロアノークは言った。「どんなに憐れだろうと、優しくはなれない。悪いな」

 誰にも知られぬ次元の狭間で、ジブリールの生への幕引きは静かに行われた。



 今にも途切れそうな意識の中で、目の前が暗く濁っていくのをキラは感じていた。

 呼吸が苦しいのは宇宙空間に居るからではない。身体が重くだるいのは、チカラを使い過ぎたせいではない。まるで身体の内側へと引きずり込むかのような、緩慢でありながらも存在すら捻じ曲げるほどに強い、引力のようなものに抗っているからだった。

 愛してる、愛してる、愛してる──。耳の奥に、幾人もの声に彩られた囁きがこだまする。みんなそう言う。でも本当は全然違う。それが断じて『愛』などではないことを彼は知っていた。都合のいい、体のいい、聞こえのいい言葉で飾っただけの誤魔化しだということを。

 こんなものは他人を自分のもとに縛りつけ、支配し、所有し続けたい欲望を満たすための手段だ。そうやって相手を手に入れて、何が欲しい? どんな言葉が欲しい? 何を満たしたいの?

 ──ねえ。君もそう思うでしょ? アスラン。

 ああ、声が聞こえる。何もかもを嘲り、何もかもを蔑み、何もかもを否定する自分の声が──。

「これで……これ、で…いいんだよね………?」

 シンとアスランは息をのむほど驚いて、自分の耳を疑った。

 まるで死にゆく最期の一呼吸ほどにも弱り切ったその呟きが、キラの声に乗ったものだったから。

「キラッ」 真っ先にアスランが言った。「どうかしたのかっ?」

 一方で、シンは『視』た。プラントからふたつの『光』が飛び出してきて、花火のように弾けたかと思えば無数の光の粒になって霧散するのが。同時にバルトフェルドからラクスがエターナルへ帰還した通信が入り、間もなく合流するフラガと共に一旦プラントより離脱する旨の連絡が届く。

 ならばさっきの『光』の片方は、ミーアに宿っていたキラの『闇』だ。肉体が破壊され、キラへ還っていったのだと察しがつく。──しかしもうひとつは? ミーアのそれとは比べ物にならない『暗い』光を帯びていたそれは、まさかあの『黒い男』のものだったのか──?

 もしジブリールも能力者だったのだとしても、今はそんなことどうでもいい。あれが黒い男とジブリールのどちらであったとしたって、ここであれほどの『悪意』をたんまり蓄えた『闇』が還ってくるなんて、考えるだけでもゾッとする。チカラが強まるなんてレベルじゃない、あんな『悪意』を『取り込んだ』ら、キラの自我が壊れてしまう。前に『あいつ』と同化して、おかしくなったおれみたいに──。

「アスランッ!」 シンは叫んだ。「今すぐキラに『イージス』をっ! 『封印』して、早くっ!」

 空気とでもいうのだろうか。異様な気配を察知していたアスランが、言われるまま『外殻』の内側で結印を行ない、素早い命令文を組み上げる。最前線でエターナルの帰還を待つためにずっと滞空していたキラの身体が、赤みを帯びた球状結界に包まれた。

 キラは何も言わない。どうしたのとも、大丈夫だとも、何も。自分の状態をわかっているのか、それとも──。

「…ふ、っふふふ」

 キラの声がした。楽しそうな笑い声。もう堪え切れないというように、可笑しくて仕方がないとでも言うように。

「──シン・アスカッ!」

 シンは一瞬、自分がキラに怒鳴り付けられたような気がしてギクリと身を竦ませた。…だが、そうではない。目の前のキラは声など放っていない。その発生源はそう、プラント方面からまっすぐこちらへ飛んでくるアカツキだ。

「その位置からキラへ向かって全力で砲撃しろ!」 キラに似た声が叫んだ。「いいか、一瞬でも気を抜くな! 貴様の背後に在るメサイアを落としたくなければ全力でぶちかませ!」

 その位置、って──。シンは一瞬、まさかと思った。だってキラは本当に目の前にいたのだ。MSの望遠機能を使わなくても目視できるほどの距離。こんなところから全力砲撃なんかしたら、キラが吹っ飛ぶかどうかはわからないが、その向こう側に散在しているザフト陣営がどんな被害を被るか──。

 しかしアカツキの速度は落ちない。まっすぐこちらへ……否、シンの真正面、キラへ向かって飛翔してくる。途中でドラグーンが分離し、そのうちのいくつかが機体の前方に展開するのが見えた。

「あーっははははは!」

 いきなりけたたましい哄笑を上げたキラが両手を左右に広げ、掲げる。命令文も何もなかったがドラグーンらが一斉に外側を向き、青白い光の翅がその出力を上げた。

「それならこっちも本気で行くよ! 何人生き残れるかなあ!」

 とてもキラの台詞とは思えない言葉と共に、その身体がチカッとフラッシュした。

 今だ、と合図があったわけではなかったが、シンは伸ばしたロングバレルにありったけのチカラを集めて撃ち放っていた。同時に到着したアカツキが、前面のドラグーンを利用した防御フィールドを展開し接触する。

 光ったのはほんの一瞬に過ぎなかったが、放たれたエネルギーは核や艦載主砲の比ではなかった。命令文を行使して展開されたはずの『イージス』を薄氷のように砕いて──もともとはキラにチカラを借りて完成する命令文なのだから、こうなるのは同然なのだが──球状に宙域を塗り潰そうとする魔の衝撃波が飛来する。

「ぜ、全力、って……!」 あっという間に砲撃のエネルギーごと押しやられそうになって、シンは今度こそ、ミネルバのタンホイザーを撃ち上げた時の『全力』を砲に注いだ。出力が一気に上がり、衝撃波がシンを内角にして直角に折れる。「ガチの全力かよっ! こんなもん、何分も保たないぞ…っ!」

 アカツキのような防御に特化した兵装を持たないデスティニーにとって、最大の防御は攻撃そのものに他ならない。しかしその出力が大きすぎる分、消耗も早いという欠点がある。おまけにこれ以上シンがチカラを注ごうとすれば、コアスプレンダーが変異した原子炉が暴走を起こして機体が核爆発を起こしかねない。

「シンッ、機体を捨てろっ!」 彼の危機感を読み取ったアスランが言った。「機体の武装ではチカラの発現に限界があるんだっ! 核爆発は俺が押さえてやる、そのまま出力を上げていけ!」

「し、っ…──信じるからなああぁぁぁっ!」

 次の瞬間デスティニーのエネルギー出力が臨界を超え、超高熱に耐え切れず機体が白い光を放って爆散した。どうやら機体での防衛に限界があったのはアカツキのほうも同じだったようだが、あちらはレジェンドの変質形だったとはいえ、核エンジンが特殊防御装甲に代わってしまっていたため単純な出力負けに至って押し潰されてしまう。

 衝撃波が通り過ぎ、機体の残骸が吹き飛ぶ内側から『イージス』に保護されたシンと、『アルミューレ』に護られたロアノークとカナードが姿を見せた。彼らが文字通りの『全力』で衝撃波を曲げたおかげでそれぞれの後方に控えた陣営はかすり傷ひとつ負っていなかったが、月方面に展開していた敵対連合艦隊や、それと交戦していた一部のザフト部隊は、その存在を疑うほどきれいに消し飛んでいる。

 守れなかったとか残念だったとか、そういう次元の話ではない。二人の息は完全に上がっていて、シンに至っては光の翼すらダウンしている。ここでキラがもう一撃撃ち出したら、今度こそ何もかも吹き飛んで終わっていたところだろう。

「すごいっ、すごいすごい!」 手を叩き、キラは子どものように喜んで言った。「あははははっ、耐え切るなんて思ってなかったよ! みんな強くなったよねえ!」

「キラ…っ」 かろうじて息を整え、シンはやっとのことで声を漏らした。

 無理だ、と直感が疾った。心が完全に『闇』にのまれてる。あんなものを撃ったあとなのにピンピンしてる。進化のレベルはおれと戦ったあの頃と比べようもないくらいじゃないか。キラはいつから『戦って』たんだ──。

「キラッ!」

 『外装』を捨て、アスランが生身で転移してくる。その声がしたほうを振り向いてキラは笑った。華がほころぶように、わきあがる愛しさをそのまま映し出す笑みは普段からキラがアスランに向けているものとほとんど同じものだったけれど、それは今、この場で見せるべき顔ではない。

 狂気は、おさまっていない。

「キラ、気を鎮めろ」 アスランはなるだけ静かに言った。そっと近寄り、肩口に触れ、抵抗がないことを確かめて身体を掴む。「一度メサイアに戻るんだ。一連の黒幕はもう──」

「…アスラン」

 わかっているよ、とでも言うように持ち上がったキラの手が、アスランの手に重なる。慈しむ表情、優しげな視線、落ち着いた声。時も場所も場合もまったく考慮されていないことを除けば、何もかも、いつものキラのものだった。

「終わってなんかないよ、何も。誰も終わることなんか望んでない」

「キラ…?」

「もう駄目なんだよ、アスラン。この世界はもう戻れない。だから僕らの手で終わらせよう? 何もかも潰して、みんなみんな殺そう?」

 アスランは一瞬、相手が何を言っているのかわからなかった。唖然としている彼を見て、キラは本当に嬉しそうに笑って言った。

「君が居れば、僕は何だってできるから」

 これほど意味の違う言葉があるだろうか。以前はアスランが触れるだけでキラの狂気はおさまった。抱きしめてやればどんな狂乱も落ち着いた。なのに今のこいつはどうだ。チカラの増幅は収まるどころか加速する一方で、説得しようにも『キラ』の糸口すら見えない。

 スーパーコーディネイターは、研究主任であったヒビキ博士がどのように考えていたかこそ明らかになっていないが、ユーラシアにおいてカナードが受けた扱いをかえりみるに、完全に『兵器』としての観念が確立している。プラント側は自分たちの同胞を救うための手立てとして、そして連合は新たな戦術兵器として、やがて対立してでもその存在を求めるようになるだろう。

 今、停戦に持ち込んでもどうしようもないのは事実だった。デュランダルもラクスも反論しようがない。もし仮に『キラ』への扱いに関する条約を作っても、そこに双方がウンと言っても、そのうちそんなものは平然と破棄されるのが目に見えている。

 何故なら双方が双方をヒトとも思っていないからだ。文書を作ろうが石碑を作ろうが、そもそも遵守の概念がないから何をしたって結局無駄になる。

 そんな悪意と憎悪の連鎖がキラの『闇』を加速度的に飛躍させ、とうとうこうして『人格』として出現した。自分という存在の意義をこれでもかというほど確かに認識した、文字通りこの世を滅ぼす『兵器』となるために。

「さあ、一緒にいこう」

「キラ…ッ」 キラを捉まえていたはずなのに、いつの間にかその両手に捕らわれていたことに気付いて、アスランは焦りの声を漏らす。

 だがいくら呼んだって無駄だ。声は届いても、キラの心を揺らせても、そのベクトルは全然違ってしまう。

「『愛してる』よ、アスラン」

 相手の答えなんかまるで求めていない。完全に自己完結した言葉と共に、キラはアスランもろとも転移してその場から消えてしまっていた。

 もっとも、最大戦力であったシンとロアノークが口も利けない疲弊状態であったことを考えれば、この場で第二波が来なかったことは何よりの救いだったとしか言いようがないのだが。

「…デュランダル議長」

 ラクスの声がした。どこから様子を見ていたのか、彼女の声はかつてなく暗く、そして重い。

「メサイアをプラントへ。今のうちに最高評議会を再結成し、ザフトの統率を回復してください」

「連合艦隊は、可能であれば月基地への帰還を…願います」 ラミアスが言った。それだけでやっとだった。

 基地にはおそらく、出撃しなかったごく少数のジブリール派の兵から成る艦隊や、管制のオペレーターたちが残っているだろう。それでも『あんなもの』を見て、帰還してくる『裏切り者』たちに牙を剥くだけの『士気』や度量が残っているとは思えない。アークエンジェルが随伴することも考えたが、主力MSをほぼ失った今、これ以上メサイアの防衛力を削ぐことはできなかった。

 今はとにかくプラントへ。ラクスが言う通り、最高評議会の早急な立て直しが望まれる。

 地球、及びプラント市民への情報統制をまず急がねば、あらぬ誤解を受けたままのオーブが火の海になるのは時間の問題なのだから。







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