FATAL ASK 41.歌姫
『さて…この事態、どう収拾をつけたものかね、ジブリール殿』
モニターの向こうからしわがれた男の声がする。ジブリールは瀬戸際とも言うべき立場に在った。
アスラン・ザラの脱走に始まった彼の不運は、デュランダルの逃亡に合わせてザフトの指揮系統が曖昧かつ不安定であることを完全に見抜かれたカーペンタリア基地への並列的な襲撃と続き、アークエンジェルとミネルバを宇宙へ上げるための大きな隙を奴らに与えることとなる。
評議会のパトロンとしての立場が確立している以上、ジブリールは地球諸国への影響力を見込まれてカーペンタリアへの援助を行なうことになり、デュランダルとアスランについては国防委員会に任せざるを得なくなった。頼みの綱だったカナードのチカラが『あの夜』を境にかつてなく弱まってしまったことも相俟って彼に対応させることもできず、そうこうしているうちに連中は追っ手を壊滅させて合流し、三隻揃って行方をくらましてしまった。
まるで身動きがとれないまま数日過ぎたかと思えば、今度は何も知らぬ小娘に過ぎなかったはずの『ラクス・クライン』が単独で公の場に立ち、あろうことかジブリールも知らなかったキラの正体──スーパーコーディネイターの存在を曝露。彼女が発信した能力者の存在をも含む情報によって、プラントと地球連合の間には再び大きな温度差が発生し、かろうじてこれまで面倒な立ち位置にあったオーブを消し炭にするチャンスこそ訪れはしているものの、プラントは『キラ』という新たな拠り所へ大きく傾き始め、まさにジブリールの手を離れようとしていた。
『デュランダルを早々に始末しなかったことが裏目に出てしまったようだねえ』 はっは、と品の良い笑い声がする。『これも、君がお気に入りの「黒猫」からの入れ知恵かね?』
そのとおりだった。デュランダルを殺さず確保にのみ留めたのは、プラントに存在する数名の能力者たちへの人質であり、牽制の意味合いが強い。
しかし彼を殺せば、様々な意味で自棄になった能力者らがクーデター紛いの暴動を起こす危険性があることは、カナードに言われるまでもなく懸念していたことだ。このモニターの向こうに居る老人らの誰かがここに居たとしても同じことを考えたはずだった。こいつらにこんなふうに言われる筋合いはない。
「…っは、まだ万策尽きたわけではありませんよ」 ジブリールは少々無理をして、負け惜しみにも等しく笑った。「ザフトには私から『提供』した戦闘用コーディネイターが多数紛れ込んでいる。今でこそ奴らは『コーディネイターどもに味方する』」ことを優先的に実行していますが、ひとたび私から指示が出れば、プラントを内部から制圧することも可能となりましょう」
ただしそれは最終手段だ。一度実行してしまえば、それらを『提供』したジブリールの『信用』は完全に失われる。諸刃の剣とも言うべきものだったが、行使のタイミングが今であるなら有用といえよう。ジブリールがプラントへ渡った真の目的はプラントそのものの操作や支配だったが、それができないのであればやはり本来の目的通り滅ぼせばいいだけのこと。彼にとっては少々回り道をした程度の感覚でしかない。
『なるほど、それが君の切り札というわけだな』 男たちは面白そうに笑って、他の者らを見やった。『さて、スーパーコーディネイターの情報についてはどうするね?』
『すでに地球の親ブルーコスモス国家では、プラントへの大規模な抗議活動が始まっているようだ』 別の老人が言った。『はてさて何度目だろうな、こうした騒ぎが起こるのは』
『しかし、さして大きな問題ではあるまいよ。今まで通り、彼らにはしたいようにさせておけばいい。これが発端となって再度ザフトと連合が激突するならば、それも一興というものだ』
「なあに、その前に私がこの手でカタをつけましょう」 ジブリールは言った。強がりにも聞こえそうな自信を込めて。「間もなく皆さんに、ご覧に入れますよ。特大の花火をね…!」
──デュランダルは抜かりのない男だ。今でこそ沈黙しているようだが、『ラクス・クライン』の放送を受けた世界が起こす混乱をなるだけ小規模に抑えるべく、夜が明ければすぐにでも対策を打ってくるだろう。そうなれば、これまでの嘘が暴かれるのは間違いない。ザフトを内側から潰すならば、デュランダルが動き出して間もなく、彼から語られるであろう『真相』が真実として受け入れられるまでのわずかな時間が決め手になる。
どうせ奴らはプラントを撃つことはできないし、バックになる組織といえばクライン派程度。ならばぎりぎりまで籠城し奴らに消耗戦を強いて疲弊させ、その混乱に乗じて月のダイダロスへ入ることができればしめたもの。あそこには一撃でプラントを撃滅させ得る戦略兵器レクイエムがある。奴らがコーディネイター同士で撃ち合っているうちにアプリリウス・ワンを落とすことができれば、もともと狙っていたジブリールの勝ちが決まるのだ。
そう、わかっていたはずだ。コーディネイターとは常々油断ならない生き物なのだと。評議会へお膳立てしてやる意味も理由も消えかかっている今、もうプラントに居る理由はない。スーパーコーディネイターなどというふざけた偶像ともども、宇宙の藻屑と消し去ってやる──。
しかしそんなジブリールも、ひとつだけ見落としていた。……否、意識すらしていなかった、というべきかもしれない。
自らが『油断できない生き物』だとしたコーディネイターの中には、カナードだって含まれていることを。ガーティ・ルー撃墜の作戦にも、あるいは『デストロイ』戦後の討伐戦にも、はたまた『ラクス・クライン』の専行にすら彼が関与し、戦局は彼が望むままの方向へ動いていることを。
ジブリールにとってカナードは絶対的な自分の所有物であり、少々遊びが過ぎることこそあっても、彼が自分を裏切るかもしれないなどとは微塵も考えていない。むしろ、カナードが自分とは自我を異にする『他人』であることさえ彼は認識していなかった。それを利用されているだなんて観念に至っては完全に欠落している。
だから今こうしてジブリールがプラントを捨て、再びコーディネイター撃滅の悲願に舞い戻ろうとしていることだって予定調和だ。モニターの向こうで顔を見合わせて笑い合う老人らでさえ、容易に予想していたことである。
彼は、結局、最後まで誰の裏をかくこともなく、他者のシナリオに定められた配役以上の存在になることはできない男なのだ。
スーパーコーディネイターの存在が暴露された挙句、それが常軌を逸脱した『超能力者』であったことまで知らされた地球で勃発した反コーディネイター活動──否、もはやテロとも呼ぶべき火は、デュランダルやラクスが想定していたものより遥かに上をいくひどいものだった。
青き清浄なる世界のために──。耳にタコができるどころか、そのタコも腐り落ちて重症もいいところとなった馴染みのスローガンをひたすらに掲げ、コーディネイターを対象にしたナチュラルたちの暴動は至るところで発生して止まない。中でもデュランダルの放送で曝露された、連合上層部──すなわちブルーコスモスの盟主たる男が生み出していた強化改造兵に関しては、コーディネイターだけでなくナチュナル内部からも凄まじい反発と抗議が上がっていた。
種を問わず各国・各地ですでに数えるのもバカらしいほどの死者が山と築かれ、危機的状況を認識した親プラント国家はいち早く入国・出国に対する厳重な規約を一時的に発効し、希望するコーディネイターにはプラントへの脱出手段も用意するとしたが、デュランダルの放送によって現在のプラントですらブルーコスモスの手中にあると知らされた避難民たちはそれを虚偽だと決めつけることもできず、我先にとオーブへとなだれ込むことになった。
さすがにこうなってはオーブも避難民を受け容れないわけにはいかなかったが、各地のザフト基地にまで安全の確保を求めて押し寄せている彼らの数は数十万人規模であり、とても一朝一夕で衣食住を賄ってやれるものではない。
ひどいところでは、ちょっとした突然変異で瞳の色がナチュラルには有り得ないものだったナチュラルの男が、コーディネイターと間違われ通り魔にめった刺しにされる事件まで発生した。のちのちその男の情報はメディアに報じられたけれど、大半のナチュラルは『仕方がない』『あんな目の色じゃ間違われても…』などと一向に非を認めない始末。おかげで避難民の中にはそんな同胞に危機感を抱いた穏健派のナチュラルまで含まれており、彼らは各地の難民キャンプで難癖をつけられたり暴行を受けるなど、肩身の狭い思いをするハメになった。
まさしく『大混乱』だ──。オーブ官邸の窓から、カガリは遠い港がざわついている様子を厳粛な目で見つめている。
現在における一般的な『コーディネイター』とは、父母となる者らの外見的な嗜好も含め、子の将来を見据えたものとしてデザインされた存在を指している。知能を高めて研究者となるか、肉体を強化して選手になったり、あるいは生存能力そのものを高めるなど、一般家庭でも施術可能なまでに『簡単』なものとなったその技術は、あくまでも『両親』が子に向けるの『趣旨・趣向』の領域を出ないものとして認識されてきた。
けれどスーパーコーディネイターは、そうではない。
『キラ』はあらゆる面においてあらゆる者を置き去りにできる無限の可能性を持ち、現に先の大戦から今に至るまで戦いに戦いを重ね、ひたすらに『進化』を続けてきた。ストライクを駆ってザフトの脅威となり、フリーダムを駆ってヤキン戦役を停戦に至らしめ、そして『デストロイ』を相手に『単騎で』鬼神の如き戦いぶりを見せた。挙句の果てについ今しがた、機体を失っても宇宙空間において生身での生存・活動が確認された上、そんな得体の知れぬ『チカラ』を用いてザフト・連合の敵対勢力を機能停止に追い込んだという。
デュランダルの放送も、ミーアの訴えも、カガリの弁明も、この事実の前にはどうしうようもなく脆い。
言葉なんかいくらでも飾り立てることができる。口上などいくらでも取り繕うことができる。感情でも理論でもダメだ。何を言ったところで、あいつが本当の意味での『化け物』であることには何の変わりもないじゃないか──。
キラに以外にも能力者が居るなんて、今はそんなことはどうだっていい。
カガリの実弟だからって、自分の家族がそうだったらどうするんだなんて、そんな『他人』の身の上なんかどうでもいい。
ただミーアが言ったように『キラ』が『スーパーコーディネイター』であり、現存するすべてのコーディネイターを凌駕するばかりか、ヒトの身では絶対に持ち得ぬ『チカラ』を持っていることだけが揺るぎない事実なのだ。
今に世界中のコーディネイターどもが奴を神として徒党を組み、ナチュラルを支配するためにやってくる。自然の摂理からハズレたあいつらは、血を濃くする毎に肉体機能に異常を来たしていく。近付いてはいけない、触れてはいけない。『伝染』されるぞ、あの未来のないおぞましい遺伝子を──。
特にコーディネイター第二世代が抱える生殖能力の低下と、その問題に因したプラント婚姻統制の現状は、ナチュラルたちがコーディネイターを嫌悪する最大の理由にもなっている。世界の科学者も首を捻っているこの現象は、おそらくは知能や体力といった『一部』を尖らせたことによって他のDNAが割を食った影響なのであろう。そして、そんな秀でた能力を持つ者同士が次世代を生み出すことによってそのひずみはより大きくなり、第二世代という非常に早い段階で結果が出てしまった。
これは彼らコーディネイターですら未だ『途上』に過ぎない証明であり、パトリック・ザラが示した『更なる研究で解決できる』とする主張もあながち絵空事ではないことへの可能性も示していたが、何世代にも渡って営々と『人類』を築き上げ、それがさも『当たり前』とになっているナチュラルにとってすれば、コーディネイターが人類史へ受け容れられるに値しない、『人類』と呼ばれるにも至れない重大な欠陥を持つ種なのだと『結論』付けるものとなった。
同じ『ヒト』と思っていないから共感もなく、思いやることもせず、あまつさえその生死で心を動かされることもない。むしろコーディネイター虐殺を除染のように誇らしく考え、そして彼らが人類として地球に蔓延ることを許さぬナチュラルの意識は、まるで自らが人類の代表、あるいは生命意志の代弁者にでもなったようではないか。
そして今、そんな独善的なナチュラルの思考は、これまで積み上げてきたコーディネイターの『欠陥』の集大成足り得るキラに矛先を向けようとしている。それだけならまだマシだ。しかし時の経過と共に、今でこそ彼を『最高の同胞』として受け容れようとしているプラント側でさえ、いずれ気付くかもしれない。
たった一人しかいない『キラ』を受け容れて祀り上げるよりも、その存在を抹消して秘密裏に研究するほうがよほど将来的に有意義なのではないか、と。
プラントに生きる何百、何千万人のコーディネイターを救う手立てが『キラ』の中に隠されているかもしれない。『キラ』をベースに新たな『第二世代』を創造することで、現存する同胞すべてが助かるのであれば、たったひとりの犠牲など安いものだろう──と。
諸各国が釈明を求めてオーブへ記者団を派遣した中、政府にだけ極秘文書を送り付け、カガリが個人ではなく『オーブ首長』としてついクラッと傾いてしまいそうな数多の好条件をつけて『キラ』の引き渡しを求めてきた大西洋連邦の考えることなど知れている。もう世界を後戻りさせる術はない。『キラ』がその存在としてどうにかならない限り、人類は決して終わることのない、混沌とした戦火と陰謀の闇に落ちていく。
ミーアの放送で『戦犯の共謀者』などと言われてしまったカガリも、今は安易に官邸の外へ出られる状況ではない。避難民の対応を軍部と他の首長たちに任せながら、現状の真実を知りながら、それでも今の彼女はただ祈ることしかできない無力な娘だった。
アスラン、キラ。これからどうなってしまうんだ、おまえたちは──。
彼女が見上げた空から、ぽつりと一滴、雫が降ってきた。
アプリリウス・ワンの宇宙港でフラガと別れたラクスは、シャフトタワーの大型エレベーターで市街地へと降りてきた。
天候は雨。夜更けかと思うほど暗い曇天からは、しとしとと雨が降り注いでいる。バルトフェルドはエターナル内で待機となっているが、ダコスタをはじめ、数人のクライン派のザフト兵をSP代わりにつけて、彼女は導かれるように大通りを歩いていた。
誰も、何も言わない。街はゴーストタウンもさながらに静まり返っていた。アスランの逃走劇で吹っ飛んだ大通りは修復作業もまだ始められておらず、大きな実弾が埋まったままの無残な姿を晒している。
まるでもう、自分が目覚めたあの朝が何十年も前のことだったように感じられてやまない。式典の日、彼女はこの都市の中で瀕死の重傷を負わされた。あの時のことは、それこそついさっきのように思い出せるというのに。
辿り着いたのは大きな講堂だった。そこがミーアのプラント横断ライブの出発点となった会場であることは、彼女もよく知っている。中へ入っていくがやはり人影はどこにもなく、施錠もされていない。外の天候も相俟って照明のない内部はほとんど視界が利かなかった。お気を付けて、と後ろから軽く声がかかる。
この場で本当に気を付けるべきはダコスタたちのほうだった。黒鳥というキラに匹敵する能力者が潜んでいるここへ、能力者ではない人間が銃だけを頼りに入り込むなんてあまりにもバカげた自殺行為だからだ。それを解っていたからラクスはもともと独りでここへ来るつもりでいたが、彼女を護衛するのが役目である彼らの面目を潰すわけにもいかない。簡易的な『エターナル』を展開する準備は、とうに完了していた。
──歌が聞こえた。
優しく、懐かしい旋律。SPらがちらりとラクスを見やったのは彼女に目配せをする意味ではなく、その歌声が目の前にいる彼女から発せられたものではないことを確かめるためだ。
そのくらい、その声はラクスのものに等しかった。
ホールへの扉が開く。ミーアはそこにいた。
ひとつだけ照明のついた舞台の上でスポットライトを受けながら、処刑を待つ罪人のようにうずくまり、祈るようにラクスの歌をうたっている。いつかの自分もこうしてアスランを出迎えたことがあった。偶然の符合なのか、それともあまりにミーアが『ラクス』に近付くことを望み過ぎたせいで、思考に『同期』が発生しているのか判らなかった。
淡い桃色の羽毛に覆われた背の翼は健在だったが、それは力なく垂れ下がっていて、まるで衣服の裾も同然だ。
それでも彼女は美しかった。
たとえ個人的なものであったとしても、絶大な悲しみと痛み、そして苦しみを背負って失意の底で送葬の歌声を紡ぐ彼女の姿は、万人に心を揺らして然るべき魅力を放っている。どうせなら下手な演説ではなく、この様子を放送していれば彼女はそれだけで『ラクス・クライン』として世界に受け入れられたかもしれなかったのに、とラクスは他人事のように思ってしまった。
「……アスラン」
歌が途切れ、消え入るような呟きが漏れる。踏み出しかけたラクスの脚がぴたりと停まった。
「アスランは……来てくれないのね…?」
ラクスをはじめ、誰も答えようとはしなかった。何も彼らは揃いも揃って話すべきことは無いと考えているわけではなく、単に彼女の悲しみにかけるべき言葉を見つけられなかっただけだ。
ラクスは、彼女をここまで追いやってしまったのは自分たち能力者の責任だと思っていた。
仲間たちは半年だけの『契約』であった故に、アスランとラクスが婚約関係に戻った『本当の理由』や、自分たちの『内情』を何一つ知らせなかった。もしも自分に意識があったなら、せめてキラとだけでも繋がっていられたなら、彼女は何が何でもミーアに『内情』を知らせて理解をもらえるようにと進言しただろう。
世の中には知らなくていいこともたくさんあるけれど、その中すら、知っておかなければ何も始まらないことがある。すべてはミーアが何も知らなかったことに端を発していた。せめてアスランの想いの先がラクスではなかったことを彼女が知っていたなら──そう、悔やまれてならない。
けれど、もう遅すぎる。教えてやろうにも、説明してやろうにも、もうそんな時間は無い。
「ミーアさん」 ラクスは言った。「今からでも遅くはありません。そのチカラをキラに還してください」
舞台の上の女がゆっくりと首をもたげる。涙に濡れた青い瞳。
「あなたはアスランを想い過ぎるあまり、『キラ』とネットワークを構築できていません。その疲労は、チカラの行使に慣れぬせいではありません。その翼を発現させていることで、あなたは自分の生命力を消費しているのです」
「…あたしは、死ぬの?」 ミーアは言った。か細く、弱い声だ。
「このままでは、いずれ」 ラクスは言った。「ですがまだ間に合います。チカラをキラに還すことで、あなたは普通の人間に戻ることができます。どうかこれ以上、無駄な死を重ねないで──」
「……無駄?」
ぴくり、と床の上に落ちていたミーアの手がぐっと拳を作った。
「ここまでにあたしが『激励』した人たちの死が無駄だったって言うなら、あなたたちが前の大戦で積み上げた死体だって同じだわ」
「解っています。必要であればわたくしとて粛正を受ける覚悟はできております。この命を賭さずして、持てる力をふるわずして事の成就を望もうなど考えてはいません。だからこそ、わたくしはここに居るのです」
戦う力はなくとも、戦う者たちと同じ戦場に立ち、『象徴』である自分の存在と命を賭すこと。それが彼女にできる唯一にして最大の『戦い』であった。クライン派の中にさえ、そんなラクスの行動を『自己満足』だと、『足手まとい』だと言う者は少なくない。けれどだからと言って、戦える者たちにすべてを任せて自分はその屍の上で平和を祈るだけなんて他力本願は、誰が求めようと彼女自身が許しはしない。
だからキラはチカラをくれた。イザークもチカラを託してくれた。ならば彼女にできることは、彼らの想いに報いてやることだけだ。
「それなら──」
ふらりとミーアが立ち上がった。翼の重みで足元がよたつくけれど、それでも、何とか。
「それなら、あたしも戦うわ。この命が終わる瞬間まで」
それが自分たちの陣営に入ってくれる宣言であったなら、どれほどラクスは救われただろう。
でもそうではない。
ミーアが決意表明とも見える言葉を放った直後、舞台の天井裏からいくつかの何かがドタドタと落ちてきた。慌てて護衛たちが前へ出て、ラクスが身を退いてみるとそれらは数人のザフト兵だった。ただ誰も泡を吐きながら白目を剥いて、ぴくぴくと痙攣を繰り返している。
猛毒でも飲まされたかのような反応で、彼らはもう事切れていた。
まさか、とラクスは正面に立っている女を見た。へたばった翼こそそのままだが、青ざめていた顔色がかなり回復している。
「そんなに驚くことないじゃない、ラクス様」 ミーアは言った。「あなたたちのチカラは、もともとこういうふうに使うものなんでしょう?」
あろうことかミーアは、自分の護衛としてこの舞台に潜んでいたザフト兵から生命エネルギーを吸い殺したのだ。デュランダルの放送を見て、ステラがそうして自分の命を繋ぎながら『デストロイ』を作り上げていたのだという真実を知っている彼女は、それを見事に模倣してみせた。
ミーアに宿った『闇』は、自己の回帰を避けるべく宿主のミーアを死なせまいとしている。そして彼女の強い自己愛に応え、ミーアが『ラクス』と成るための、ミーアがラクスを殺すための武器を造り出すチカラを覚醒させたようだった。
「ラクス様ッ」
「下がりなさい!」 咄嗟に銃を構えようとしたダコスタらを、ラクスは鋭い剣幕で引き留めた。「彼女に近付いてはなりません、触れられただけでも死んでしまいます!」
「さあ見て、アスランッ!」 ミーアは嬉々とした笑顔で両手を広げ、誰にともなく言った。「あたしの──『ラクス・クライン』の、最後のステージよ!」
もう彼女の味方はどこにもいないはずなのに、ステージが一気にライトアップされ、明るいイントロが流れ出す。ミーアの楽曲はいくつか聞いたし、それはどれも過去にラクスが公開したもののアレンジばかりだったが、聞き覚えが無いところを見るに完全オリジナルの新曲らしい。
今まで以上に快活なリズムに合わせるように、ザフト兵の遺体がもぞりと動き、先に起こした脚の力だけで全身を立たせるという、到底人間のそれとは思えぬ動きで起き上がった。立ち上がったことで脈拍を無くした上体から血流がすみやかに下肢のほうへ『落ちていく』様子が、さーっと青ざめて白っぽくなっていくその顔色から窺える。まったくもって直視したい光景ではない。
ミーアはそんな惨状なんか知らぬ存ぜぬといった笑顔で、くるくるとステージの上を舞い始めている。イントロが終わって彼女が歌い始めると、三人の死体たちは一斉にラクスへと襲い掛かってきた。下がれと言われた手前、前へ出てむざむざ殺されるわけには行かない。護衛の者らが息をのんで身構えるけれど、ラクスは微動だにしなかった。アスランのような結印もしない。
パン、と強い音を立てて死体の腕が吹っ飛んだ。続けざまに脚が弾け、あるいは膝から折れ飛び、三人目に至っては首から上がねじ切られ床の上にゴトンと転がり落ちる。
ラクスの念波は、結印を必要としない。彼女はキラの『戦い方』を彼の傍で長く見てきたことで、『イメージ』を強めることでその通りの攻撃をすることが可能なのだ。伏せていた目を上げた彼女の瞳は、夕暮れを越えた薄闇を湛え、闇の珠を浮かべていた。
死体たちは退かない。そもそも退くような思考をすでに持っていない。ミーアの『歌』に『激励』されるまま、『敵』と戦うために『出撃』する彼女のためだけの『兵』だ。身体の各所を失ってもなおずるずると重い身を引きずり、ラクスをその手にかけんと迫り来る。
そのうち一体が懐から銃を抜いて発砲してきたけれど、そもそも潜在的に防護結界を展開している能力者相手に実弾攻撃など意味が無い。バギン、と鈍い音がして銃弾はひしゃげ、ラクスの足下に転がるだけだ。
「あとには引けなくとも……」
ぽつりとラクスは呟いた。あれだけの『無残』とも言える攻撃をした彼女の目は、ぽろぽろと涙を零していた。
「…人は、何度でもやり直せるのです。だからこそわたくしは、あやまちを繰り返させたくないだけなのに…」
ボッ、と死体のひとつが燃え上がった。ふたつ、みっつと発火は続き、客席側まで吹き飛んで転がった腕や脚、首に至るまですべてに火がつく。火をつけたラクス本人の意志によって燃焼の速度は極めて速く、操られた死体らはあっという間に筋肉組織まで焼き尽くされて動かなくなった。
その火の手が、客席の布地に燃え移る。火災報知器が非常ベルを鳴らし、スプリンクラーが起動するけれど、数秒で人体を灰にできるほど勢いの強かった火は、すでに大きく広がり始めている。
「ラクス様っ」 ダコスタが言った。さすがにキラやアスランのように彼女の手をぐいっと引くような真似のできない彼にとって、それは撤退してくれという切なる願いだ。
客席が火の海となりつつあるのに、明るい歌はずっと続いている。ミーアの目には今、何が見えているのだろう。
『救えない』ことを嘆いてはいけない──ラクスはそれをよく知っていた。
『救い』という言葉は千差万別なものだ。本人が満足して逝くことができるなら、それは自殺であろうが事故死であろうが、あるいは殺される結果であろうが『救い』に相当する。ラクスが今、この場で無理やりミーアを引っ張り出してエターナルに連れ帰ることが彼女への『救い』になるかと問われれば、答えは限りなくノーに近い。
人は何度でもやり直すことができる。たとえ先が有限であったとしても、それまでの在り様を変えることだってできる。ラクスはそれを素晴らしいことだと思っているが、それを望まない人間だっている。そんな者らにとっての新しい人生なんて救いでも何でもなく、むしろ苦痛でしかないものなのだ。
『ラクス』であることを望んだミーアにとって、『ミーア・キャンベル』に戻ることがどれほどの苦痛と恐怖であるか、残念ながらラクスには察してやることさえできない。自分のような存在の何がいいのか──それはまさに自身の暗部をいくつも知っているからこそ思える自己否定なのだった。
ブワッ、と黒いものが視界を覆った。ハッと我にかえったラクスが気付いてみれば、それは焼けた死体から出た灰だった。水を含んでヘドロのようになったそれは、意思を持つ暗幕のように彼女の身体を覆い尽そうとした。
「ラクス様っ!」
ザフト兵のひとりが彼女を突き飛ばし、身代わりになる。しまったと思い彼を守るべく結界を起動させようとしたが、もう遅い。ゴギンと嫌な音が響くと共に一発で首をへし折られ、哀れにもその者はかえらぬ人となってしまった。
声に感情と願いを乗せることで、あらゆるものを操るチカラ。それがミーアが発現させた『進化』の最終形態だ。彼女の歌が続く限り、ここにいる限り自分はともかく他の者らが皆殺しにされてしまう──用済みになった兵の死体を投げ捨てて再び襲い来る死の灰を、バリアではなく衝撃波で弾き飛ばし、彼女は控えた者らを振り向いた。
「皆さんっ、エターナルへ帰還します!」
「はっ!」
護衛らが声を揃え、ごうごうと燃え盛る火の手からラクスを庇いながらホールの外へ連れ出していく。
肌や髪の先をチリチリと灼いていた熱気は防火扉になっていた出入り口を閉めると多少はマシになり、外へ駆け出すと、いよいよ強くなってきた雨が心地好いくらいだった。
「──目覚めなさい、『エターナル』!」
ラクスが振り向きざまに放った命令文が完成し、建物そのものを巨大な結界が完全閉鎖する。窓を割って噴き出していた火と黒煙は一切が中に封じられ、そこはさながら地獄の窯のようになった。
こうしなければ市街地が大火災になる。そしてミーアの意思を宿した死の灰がやがてやってきて、外を徘徊することになる。それだけはさせてはならない。彼女の命がこの中で尽きるまで、ラクスはこの結界を維持しなければならなかった。
「ラクス様──」
それがどれほど悲愴なことか。ダコスタは彼女を労わろうとして、しかし、解ってやれようはずもないことを意識して押し黙る。
結界を維持し続けたまま、彼女は何も言わなかった。嗚咽を漏らしもしなかった。ただ頭から雨に濡れ、まるで神に救いを求めるように首を上に向けている。
やがて建物はその外観を炎にのまれた。キラにさえ破れぬ堅牢な結界の内側で外壁が崩れ、広大な講堂は形を失っていく。
天を仰ぐラクスの耳には、いつまでも、ミーアの楽しげな笑い声が響いていた。
いつまでも。
いつまでも──。
NEXT.....(2017/10/01)