FATAL ASK 39.羽化
プラントに居た間のアスランに何があったのか、それは最初の口付けでぜんぶ伝わっていた。
「すまない…キラ」
心地好く微睡んでいたキラの意識が、アスランの呟きを聞き付けて浮上する。頭を巡らせて見ると、こちらに背を向けている寝ている彼の姿があった。
メサイア内部は今も人材や設備の搬入こそ続いているが、着艦した三隻のクルーの大半はこれまでの疲労を考慮され、可能な限り休むようにとデュランダルから通達されている。
束の間の安らぎだ。誰もが各々の方法で気分を切り替え、あるいは休息をとっていることだろう。
「…カナードのこと?」 キラは言った。
ぎくりとしたように、相手の背が竦む。キラはそっと伸ばした手をぺたりと当て、そして静かに身を寄せる。触れ合う素肌の感触は、ただ純粋に安堵だけをもたらした。
「謝ること、ないよ」
アスランは何も言わなかった。きっと色んなことを考えすぎて、何も言葉にできないのだろう。
「多分これは……彼の、賭けだったと思うから」
「……賭け?」
およそ今の事態に関係があるとは思えない言葉が出てきたものだから、アスランは驚いたように、肩越しにキラを振り向いた。
「うん…賭け」 キラは同じ言葉を繰り返した。「たとえ『僕として』でも、君に愛されることで、自分が『救われる』かどうかの」
能力者の──、否、キラやシンの『闇』は、『愛情』を受け入れることで弱化する。それはもはや通説となった事実だ。アスランだってそれは知っているけれど、まったく意味が解らないという顔をしていた。
それはそうだろう。だって彼は、カナードを『敵』と思っているのだから。
「カナードは」 キラは言った。自分の内心でも告白するかのように。「プラントにかけていたジャミングを、任意に解くことはできなかった。自分のチカラが弱まるなんて絶対に無いし、そうしたことがジブリールに知れたら信用を失ってしまうから。でも、君たちを逃がすためには、どうしてもそうする必要があったんだ」
ジュール隊やデュランダルといったマイノリティたちのネットワークを回復させ、アスランと連携させて脱出計画を実行に移させる絶好のチャンス の到来を報せるには、ジャミングの解除という、確実かつ非常にわかりやすいタイミングが必要だ。
けれど彼は……いや、今の彼にはそうなる『理由』がないし、そうする『動機』もない。プラント支配を着々とモノにしているジブリールに、強制ではなく率先して加担している彼が、せっかく捕らえている大事な切り札をみすみす逃がすなんて、絶対するわけがない。
だから『理由』を作ったのだ。自身の弱体化を招く、唯一にして絶対の手段で──。
「でも、彼にとってそれは『賭け』だった」 キラは続けた。「たとえ君に愛されたとしても、彼の心がそれを受け入れられなかったらチカラの弱化は発生しない。それに、『僕として』君のもとへ行くなんて、彼にとってはつらいことだったかもしれない」
『キラ・ヤマトとして生まれることができなかった』──カナードの言葉が耳によみがえる。そんな彼にとって『キラ』と呼ばれることがどれほど虚しいことか、同情にも似た想いが胸をよぎる。あまつさえその『キラ』として他人の愛をかすめ取ろうなんて、下手をすれば『闇』の増長にも繋がりかねない危険な行為だった。
だからこそ、これは『賭け』だったのだ。
「でも彼は、救われたんだ」
ほっと安心したように、キラはアスランの腕に縋った。一度きりだったとはいえ、カナードを抱いて一日と経っていないその腕に。
「カナードは君の想いを受け入れることができた。『僕として』でも、誰かに愛されることに、素直に安らぎを見い出せたんだ」
それが、プラントからジャミングが消えたことの真相なのだ。アスランは唖然と、本当に自分がやったことのようにそれを語るキラを見ていた。
おまえは、キラだよな──? そんな愚かな問いが口をつきそうになった。
「あやまちだったなんて、思わないで」 キラは言った。「ほんの一瞬でも彼を救えるくらい、君の想いが強かったってだけ。僕は…それが、嬉しいから」
「キラ…」
ついうっかり感動してしまいそうになるけれど、論点はもはやそこではない。
アスランには意味が解らないままだ。カナードはキラがスーパーコーディネイターであることを世界に暴露し、この戦争をより取り返しのつかない事態へ追い込もうとしている。世界中からキラの居場所を奪い、ナチュラルたちには憎ませコーディネイターたちには崇めさせて、光とも闇ともつかぬ莫大な『欲望』を収束させようとしているのだ。
やがてそれはキラのチカラを今より更に……否、今とは比べ物にならぬ天文学的なナニカのレベルにまで引き上げるだろう。どう足掻こうと所詮『人間』に過ぎないキラに、そんなものをコントロールできるわけがない。あっという間に自我が崩壊して、在りのままの猛威をふるいはじめてしまう。
そうなったら、地球もプラントも終わりだ。
「なんであいつは、そんなことをしたんだ?」 アスランは言った。
「…まだ、わからない?」 キラは言った。
解るわけがない。
デュランダルを逃亡させ、こうしてこのメサイアへ集結させて、ここを舞台に最終決戦という話になれば、搭載されたネオ・ジェネシスが新たな死を撒き散らすのは目に見えたことだ。やはりどこまで考えてみても、カナードの行動の意図は『戦火の拡大』の域を出ないような気がした。
「──ううん、いいんだ」 キラは急に答えを引っ込めた。少し首を振り、改めてアスランに身を寄せて言った。「君は、知れば知るほど色んなこと考え込んで動けなくなるタイプだから、こういうことは、知らないほうがきっと上手くいく。カナードも、そう思ったから君に何も告げなかったんだと思う」
そんな言われ方をしたら、言って何だが余計気になる。
でも、キラが言う通りでもある。
不用意に、かつ今のアスランが想像すらできないカナードの『真意』を知ってしまったら、彼がまともに戦えなくなる『危険』があるということだろう。世の中は、知らねばならない知識や経験もたくさんあるが、知らなくていいことだってごまんと転がっている地雷原だ。ここで脚を吹っ飛ばされるわけにいかないのは、解る。
「でも、アスラン。ひとつだけ…」
と、キラが起き上がった。適当に脱ぎ捨てた服をたぐり寄せて肩にまとわせると、アスランを乗り越えてベッドを降りる。どうしたのかと同じく身を起こそうとしたアスランに、キラは肩越しに振り向いて言った。
「今度は、君が助けに来てね」
何のことだが解らない。
アスランはまだ何も知らなかった。
──来る。
シンがふっと目を開いたとき、施設内に呼び出しのアナウンスが響いた。
『デュランダルだ』 声の主は丁寧に名乗った。『諸君。休んでいるところをすまないが、至急プラントの国際放送を見るか、オペレーションルームへ集まってくれ』
ラミアスにグラディス、バルトフェルドといった艦を預かる者らはその場で言われたままのチャンネル調整を行ない、転移が可能な能力者らはオペレーションルームへと集結する。
たった数日ではあったが、休みは休みだ。皆は思いの時間を過ごすことができたおかげで顔色もよく、態度も落ち着いている。代わってオペーレーションルームはザフトの制服を着た大勢のクルーがうろつき、または端末のセットアップや調整を行なっており、いよいよ決戦の舞台として申し分のない雰囲気になって来ていた。
デュランダルは厳しい目で小さなモニターを睨んでいたが、だいたいのメンツが揃ったことを確かめると、手元で何か操作をして頭上の大型スクリーンに映像を転送した。
『──わたくしは、ラクス・クラインです』
定番も極まる彼女特有の挨拶。それを見上げているラクスの表情が一瞬、険しくなる。
白く清らかな、ローブにも似たドレスに身を包んでそこに立っているのはミーアだ。『路線変更』を修正するつもりになったのか、今までの明るく快活な笑顔はすっかり落ち着いたラクスらしい雰囲気を帯びており、その微笑みは慈愛の眼差しといっても過言ではない。
彼女はどこかの会見場に居るのか、たくさんのフラッシュとマイクに囲まれていた。
『先日、わたくしの婚約者であり、また我らがザフトにとっても英雄であったアスラン・ザラが「デュランダル派」へ関与していたばかりか、当局によって拘束されていた戦犯ギルバート・デュランダル氏を伴って国外へ逃亡した事件は、まだ、皆さんの記憶に新しいことと思います』
聞けば聞くほどひどい話だ。そういう下手な前置きはいいからさっさと本題に入ってくれと、さすがにアスランも苛々してしまう。
『わたくしは今、深く…ユニウスの悲劇を思い返すときのように胸をいためています。誰よりも愛し、誰よりも信じていたアスランの裏切りは、わたくしを失意の底へ突き落としました』
彼女は目を伏せ、胸元が本当に痛むかのようにぎゅっと手を握った。そんな様子を、記者たちは有難そうに写真に収めている。
「……完全にウソじゃないとこがミソですよねこれ」 シンがぽつりと言って、
「黙ってろ」 アスランにばっさりと低く言われ、
「へーい」 まったく悪びれたふうもなく少年は顔を逸らす。
『ですが、わたくしも嘆いてばかりでは居られません。地球においてはカーペンタリア基地が彼らの手の者に襲撃を受け、壊滅しました。死傷者も多く、最高評議会は現地への救助活動にも対応しています』
うそつけ、おれは誰も殺してなんかない──。シンはつい、目が据わるのを感じた。そもそもルナがみんなに『避難勧告』を出してたんだ、怪我人だってそんなには出てないのに、なんでこう無駄な感情を煽ろうとするんだ、こいつらは──。
『最高評議会は、現在もなお潜伏を続け尻尾を出さず、各地をいたずらに混乱させるばかりの彼らに強い憤りを感じています。己が罪を認め、名乗り出るのであれば命までは取りません──と、申し上げたいところでしたが』
話の流れが変わる雰囲気だ。一同は固唾を飲んで、彼女の次の言葉を待った。
『一時ミネルバへ潜入させていた諜報員からの報告で、驚くべきことが明らかになりました。「デュランダル派」の旗艦ミネルバ…その友軍アークエンジェルにて、かつて夥しい犠牲を払ったがために悪魔の研究と称され闇に葬られたスーパーコーディネイター、その完成体の存在が確認されたのです』
言葉と事態の重さに比べ、前置きとなった言葉はあまりにも短かった。こんなにあっさりと言ってもいいのか、と驚いたくらいだ。
ぱっ、と映像の表示が変わった。それは旧大戦の頃のもので、大空を飛び回る蒼き翼の姿がはっきりと映っている。次々と映像は切り替わり、エターナルやアークエンジェルに追従する姿が捉えられている。
『我らコーディネイターの中でも、最高の技術をもって生み出されたスーパーコーディネイターの能力は、わたくしたちの理解を超えています。──すなわち、人智を超えているのです。ご覧ください、このチカラを』
まず映し出されたのは一枚の画像だ。対ファントムペインにおいての、キラの生身での宙域への出撃。ドラグーンを浮遊させ、神聖極まりない青白い翼を広げた彼の姿が至近距離ではっきりと映っている。
そして切り替わった映像は、今度は『デストロイ』戦だ。フリーダムの姿が『ストライクフリーダム』のものへと変わっていく。今時CGでもこのくらいのことはできるが、映像加工というものは見る者が見れば一発でバレるものだ。しかしこれは加工の形跡なんてどこにもない。正真正銘、キラが『闇』をもって機体を進化させた映像なのだから、現実の光景に違いなかった。
しまった、とアスランは思った。あれは自分がプラントへ『持ち帰った』ディスクだ。評議会の連中を適当に騙くらかすために編集が施されたそれは、見事なほどデスティニーの姿が入らないように加工された状態で、フリーダムだけを狂ったように追い続けている。
『MSを新たな姿へと変質させるばかりか、宇宙空間においての生身での活動、そして有重力下では使用不可能であるはずの兵器を手足のように操る「超能力」すらも持ち合わせ、先の大戦においてはまさしく一騎当千と謳われたこの方は、何故、同胞であるわたくしたちコーディネイターを守ってはくださらないのでしょう?』
モニターの中に戻ってきた『ラクス』は、涙すら浮かべてそんなことを訴え、そして続ける。
『答えは簡単なことでした。彼は、囚われているのです。先の大戦よりずっと以前から……地球軍でも、ザフトでもない組織……「デュランダル派」の一味であるオーブという国家に』
な──。
今度こそ全員が絶句した。
確かにオーブだって、先の大戦ではアークエンジェルやエターナルと行動を共にした。それは連合の攻撃を受けて降伏した祖国のため、そして戦争の早期終結のためという目標があったからに他ならない。
しかし『ラクス』は語る。かの三隻が参戦したことによって戦局が加速し、ジェネシス発射を含めた幾多の悲劇を生むことになったのだと。連合・ザフト両陣営においても多くの兵が、本来の役割とは違った死を強いられたのだと。
何も間違っていない。すべて真実だ。そして今、新たな戦争を求めてアークエンジェルが暗躍している──そういう思考に繋がってしまうのも、致し方ないとさえ思っている。
だがそこにオーブを無理やり巻き込むのはどういう了見なのか。ミーアにチカラが発現していたなら、アスランは今すぐにも抗議のテレパシーを飛ばしてやるところだ。
『わたくしたちを新たなステージへ引き上げて下さるスーパーコーディネイターの名は、キラ・ヤマト』 女はついにその名を口にした。『オーブ連合首長国は代表首長、カガリ・ユラ・アスハ氏の「実弟」であると共に、同国の第二宇宙艦隊を任された准将です』
シンはぐっと唇を引き結び、すぐに『思考』を広げて世界の声を聞く態勢に入った。誰もが動揺しているらしいことは、ノイズまじりのざわめきですぐに解ったけれど、じきに、いくつかの鮮明な声が混じり始める。
あんな姿、おぞましい。あいつを解析すれば、我々にもスーパーコーディネイターを量産するチャンスが来るぞ。万能のチカラ、妬ましい。完璧な調整、彼の『設計図』こそが我らを救う鍵になるんだ。いつか奴の銃口がこちらに向くんだ、おそろしい。
きえろ、いなくなれ、死ね。
コーディネイターは一人残らず死ね、死ね、死ね──!
「シンッ」
ルナマリアにぐっと肩を掴まれて、シンはハッと我にかえった。
いち早く世界の状態を知りたかったせいもあって、少し深く入り込み過ぎた。危うく『奴ら』の声に流されるところだった意識を取り戻し、軽く首を振りながらシンは言った。
「さっそく始まりそうですよ、ものすごい悪意だ」
『皆さん』 いつになく厳しい顔で『ラクス』は言った。『オーブはかねてよりプラントと同盟を結び、ナチュラルとコーディネイターの共存を訴えて来ました。ですがそれは表向きの貌に過ぎず、真意はオーブ代表アスハ氏と戦犯デュランダル氏との間での極めて私的な癒着、キラ・ヤマトをオーブで保有するための結託でありました』
「…なんということを…!」
さすがのデュランダルも感情を隠し切れず、臍を噛むように呟いた。
『プラントの勇士、ザフトの皆さん。そしてかつての大戦において、彼らによって甚大な被害を被った地球連合の皆さん。真なる敵はギルバート・デュランダル氏です。わたくしたちコーディネイターの救い主足り得るスーパーコーディネイターの存在とチカラをオーブに独占させ、またそのチカラを用いて今新たにこの世界に絶大な戦火をもたらさんとしている魔物を、わたくしたちの手で討つときが来たのです』
そして、神の遺贈物にも等しき『設計図』をその身に保有するキラを、本来あるべき地・コーディネイターの国であるプラントへ取り戻すのだ──。
シンの耳に、そのシュプレヒコールが痛いほど響く。
放送は『ラクス』の演説に加えて、その背景ではかつてメンデルで行なわれたスーパーコーディネイター研究のものと思しき資料がいくつか公開され、キラがそれであるという確かな証拠こそはないものの、キラが主任研究者であったヒビキ博士の実子であったこと、また彼が同博士の妻であったヴィアに似た容姿にデザインされていたことなどが『証拠』として扱われ、事実は揺るぎないものになろうとしている。
多くのブルーコスモスを内包する連合では、ついに明かされたその存在をして過去の戦禍に納得すると共に、ただでさえ肉体面・頭脳面において通常のコーディネイターをも大きく引き離す『キラ』が人智を超えたチカラまでも有していることを知り、再び大きなコーディネイターアレルギーが勃発しようとしていた。その矛先はまさに、『キラ』を軍部の上位に据えることでその『恩恵』を享受していたオーブへと向こうとしている。
代わってプラントにおいては、もともとナチュラルに対し否定的な価値観を持つ者が多いこともあって、いくらコーディネイターを認めているといえど国民の大半がナチュラルであり、一部氏族に至っては大西洋連邦にパイプを持つ者が存在することも相俟って、これまで『キラ』を隠匿し続けてきたオーブへの不審が高まり、拒絶反応が起こっている。
『デュランダル派の皆さんへ、警告します』
と、モニターの中で『ラクス』は言った。
『わたくしたちは何も、オーブという「国家」までもを敵と見なし攻撃する意向はありません。わたくしたちが討つべきはデュランダル氏であり、そして彼と癒着していたアスハ代表のみ。欲望に穢れた為政者を粛正し、この世界に再び正しい秩序を取り戻すことこそがわたくしたちの目的です。どうか己が罪を認め、投降してください』
その『欲望に穢れた為政者』こそが、いまプラントで、おそらくこの放送を見て笑いが止まらないであろうロード・ジブリールなわけなのだが──誰もがそう思ったけれど、何も言わなかった。
『さもなければ我々は、あなたがたのパトロンとしての疑いが濃厚であるオーブ連合首長国へ、宣戦布告を行なうこととなるでしょう』
今頃オーブの官邸はどったばたの大騒ぎになっていることだろう。カガリの傍で小さな子どものように動揺しまくり、右へ左へちょろちょろしているところをはったおされるユウナ・ロマの姿が目に浮かぶようだ。
『プラント、そして連合の、わたくしたちに助力を下さる、多くの勇士の皆さん。わたくしはかつてキラ・ヤマトと接触し、そのチカラを、ほんのわずかだけ、分けて頂いたことがあります』
目を閉じ、神妙な面持ちで不意にそんなことを言った『ラクス』に、会場内がざわつく。ここに映っている女が本物かどうかはさておいても、ラクス本人は先の大戦でエターナルを駆り、それはザフトの新鋭機でもあったフリーダムとジャスティスの専用艦でもあった。接触していないほうがおかしい。
と、彼女が、だぶついた上着の襟に手をかけた。静かにホックを解き、何をするのかと注目している取材陣の前でそれをするりと脱ぎ落とす。
あっ、と誰かが声をあげた。
『わたくしはこの戦いにおいて、このチカラで皆さんを守護しましょう。そして、いずれ敵の手より奪い返される「キラ」の存在をもって、わたくしたちコーディネイターは新たな次元へと昇華するのです』
翼が、そこにあった。
薄い桃色をした、彼女の身の丈よりも長く大きな、羽毛をまとう一対の翼が。
最初はツクリモノと疑ったのか、誰もぽかんとしていた。しかしそれがゆっくりと持ち上がり、バサリと音を立てて悠然と広げられると、風圧が彼女の髪を揺らし、作り物には決してない質感と羽音が合わさって誰しもに知らしめる。
それが彼女の背に、直に生えている肉体の一部なのだと。
『わたくしはそのために、今ここで、あなたがたの新たなるエビデンスとなりましょう。あのような骨と石の産物よりも、生きてここに在る、より確かな存在として』
「覚醒したのか、チカラが…」 驚いてアスランが言った。
「なんかあの声、あたしの…」 ルナマリアが呟いた。「ううん、『ステラ』のとよく似てる。もしかしたら、この放送を聞いてる人はほとんど無条件に彼女の言うことを『真実』だと思わされてるかも」
「大勢の人間に、姿を見て、声を聞いてもらえることが彼女の最大の望みだった…」 ロアノークは言った。「なら、そういうチカラとして『闇』が覚醒するのも頷けるな。おまけにあの外見だ、ぱっと見た奴はみんな思うだろうぜ」
女神様だ、ってな──。言われなくても、この続きはみんな解っていた。
「しかし、これで我々にも『口実』ができたことになるな」 デュランダルが言った。「オーブが本当に無関係であるかはこの際二の次、私だけが命を狙われるならまだしも、ジブリールはとうとうオーブを……いや、アスハ代表を人質にとった。籠城戦になるかと思いきや、彼女を守るという名目で早期解決ができそうで、不謹慎だが喜ばしく感じてしまうよ」
「…同感ですわ、デュランダル議長」 ラクスがふっと笑った。
シンはじっと、未だモニターを凝視したままだ。敵を射るようなその鋭い瞳には、彼女の──ミーアの心の内側で際限なく広がりゆこうとする『闇』の姿が『視』えていた。
彼女は、キラに『闇』が芽生えたそれとほとんど同じプロセスを自分に適用したのだ。
女神とも天使ともとれる、人ならざる壮絶に美しい姿を人前に晒すことで、今まで以上の人心を惹きつける。それは何も好意や興味ばかりではなく、コーディネイターがより『高い』次元へ至ろうとすることへのナチュラルたちの焦りや憤り、そして憎悪といったものまで含まれている。
希望は影を強め、憎しみは光を強める。キラが前者によって『闇』を、シンが後者によって『光』を操るようになった今、その両方を一身に集める彼女は何に成ろうとしているのか。
「……シン。君にも、『視』える?」 傍にいたキラがぽつりと言った。
「見えてますよ」 シンは画面を見つめながら答えた。少なくとも、神でないことだけは確かだ──。
彼女の望みは叶ったはずだった。たくさんのフラッシュに包まれ、大勢の記者がその声を大切に録音し、ザラ派とも言われた一部の狂信的なコーディネイターはかつての選民思想を思い出し、多少の相違はあれど確かに自分たちが『高く昇る』ことが可能な生命体なのだと実証してくれた彼女に強く賛同し始めている。
なのに、その頬に伝ういくつかの汗は何なのか。顔色が青ざめて見えるのはどうしたことか。
無理をして笑っているように見えるのは、何故なのか──。
「あの女、終わりですね」 シンは言った。
ミーアは明らかに疲労していた。大きな翼は畳まれるわけでもなくだらりと垂れ下がり、風切りの先を床に引きずってしまっている。
「あの翼…」 キラは言った。「重いんだ」
浮力がないから重量を打ち消せず、そしてもとの形に持ち上げておくだけの体力もない。鉛の足枷も同然の翼を顕現させておくだけで精一杯の彼女は、世にも珍しい、ほとんど外見にのみ特化したマイノリティとして目覚めたのだ。
キラは静かに目を伏せる。まだ生きている相手へ、早くも黙祷でも捧げるように。
「彼女はもう……どこへも行けない」
オーブの対応は極めて迅速だった。
政府はカガリ本人を会見の場へ出し、『デュランダル派』への関与を全面否定すると共に、かつてデュランダルと個人的ともとれる友好関係を持っていた事実を認めながらも、それはあくまでも『ナチュラルとコーディネイターの共存』という共通の目的を持つがゆえの『同盟』であった旨を改めて発表した。
だからこそ開戦時、いくら友好国といえど中立という立場上、プラントへの軍事的な協力はできないとして『同盟関係』は破棄されている。カガリはそれを強調した──おまけに同盟破棄はプラント側からの、半ば一方的なものであったものとした──上で、スーパーコーディネイター『キラ・ヤマト』隠匿の疑いに対しても、どこの世界に自分の弟を兵器として戦場へ送り出すバカが居るのかと『ラクス』の声明を一喝し、彼を准将の地位に就けたことは、血縁上、そして文民統制という制度の上で、カガリ自身が軍事的な最高責任者であるために仕方のなかったことであるとした。
第一、そうしてキラが任されているオーブの第二宇宙艦隊は、基本的には同じく完全自治都市であるコペルニクスに協定上の都市防衛のため停泊している状態で、別段連合やザフトの基地を監視、あるいは率先して偵察・攻撃する目的のものではない。キラがその指揮を執ることがあるとすれば、両陣営のどちらかがオーブに仇成す行為に出た時か、あるいはコペルニクスがそうなった時だけだと言えよう。
だが、大半をナチュラルで占められた記者団も簡単には引き下がらなかった。彼らがスクープ欲しさに、結果的には『キラ・ヤマトの正体』を隠していたことに変わりはないだろうと詰め寄ると、彼女は小さく一呼吸置き、静かにこう言い放った。
『あなたがたは、ご自分の妻や夫、あるいは子が「そう」であっても、同じように世界へ暴露することができるのか』
すごいだろうと大々的に自慢して、むざむざブルーコスモスの標的にすることができるのか。
おぞましい存在だとして殴り、蹴り、人前に晒し上げることができるのか。
無論、できる人間もいる。だが少なくともカガリは、そんなことができる人格ではないし、集まった記者団も、事態を自分の立場に置き換えてやっと相手の言わんとしていることを多少なり理解したらしい。ざわめきがワントーン落ちたところで、彼女は言った。
『我が弟、キラ・ヤマトがスーパーコーディネイター実験の被検体であったことは事実だ。しかしわたしは、あいつをその完成体だなどとは思ってはいない。バカで空気が読めなくて、こうと決めたらテコでも動かん頑固者で、女心に疎いくせに惚れっぽくて泣き虫で──』
なんでそういうことを公式の電波で言うの──? この放送をメサイアで見ていたキラはたまらず頭を抱えてしまい、同情あるいは同意した周囲の者らから肩や頭をぽんぽんと叩かれた。
『先の大戦で敬愛する父を失ったわたしにとって、あいつは唯一の家族だ。あいつが望むならともかく、わたしはプラントにも連合にもキラを引き渡すつもりはない。占有だとは言いがかりも甚だしく、テロリスト呼ばわりなど以ての外だ。……もう一度言う、わたしはあなたがたが言うところの「デュランダル派」へは一切関与していないし、連合にも、プラントにも応じるつもりはない!』
「オーブの立ち位置は、比較的早くはっきりしたようだな」 デュランダルは言った。
「ええ」 ラクスは頷いた。「このような事態の際には、長い沈黙は余計な誤解を招きます。理詰めにするよりも、カガリさんのように『感情』で潔白を訴える方法は正攻法と言えますわね」
「あらぬ疑いをかけられた時、明確に感情を表に出すことができるのは、真に潔白である者のみですからね」 カガリの態度が毅然としていたことも含めて、少し嬉しそうに彼は言った。「オーブ政府が『我々』への関与を徹底的に否定してくれたことで、オーブが両陣営により焼け野原にされるのはまず回避できたと言えるでしょう」
「ですが」 アスランが言った。「完全に回避できたわけではありません。潔白こそひとまず主張できましたが、スーパーコーディネイターを抱していること自体は認めてしまいました。いつ、どこでどんなテロが…いえ、暴動が発生するかは、すでに予想もつかない状態です」
ジブリールが本来所属する『ロゴス』は、情報の統制や経済の流通を操ることに特化した『成功者』から成る、非常に影響力の強い──否、世界を自在に操作することができる組織だ。秘密結社と称しても間違いではあるまい。彼らならば、スーパーコーディネイターという新たな『燃料』に『火』をつけ、オーブを標的に投げ込むことなど造作もない。
壊させ、殺させ、そして再生させる。それは彼らに無限の利潤を与え続けるだろう。
デュランダルが知る内でもその構成員は十名ほど居たはずだが、ジブリール以外の人間が出て来ていないところを見るに、他の者らは傍観を決め込んでいると見ていい。それが興味本位によるものか、あるいは全面的にジブリールを信用しているのか、はたまた後者を演じ、ジブリールですらいいように操っているのか──デュランダル程度の若さと視野では、そこに属する老人らの深淵はまったく見えなかった。
……余計なことを考えるな。デュランダルは目を閉じ、自らにそう言い聞かせる。
他のメンバーがどのような思惑をもって傍観あるいは静観しているのかなど、知りようもない。ただシンが感知している通り、世界には今、ジブリールに扇動されるままの悪意が在るだけだ。とにかく自分たちにできることを第一に、まずは『正しい情報』を発信して、世界に目を覚ましてもらわねばならない。
後手に回り過ぎていて、今更デュランダルの言うことに誰が耳を貸すかなんてわからない。
でも、もう無理だと思って何もしなければ、自分たちは世界の生贄になるだけだ。デュランダルを信じて危険を冒し、ここに集ってくれた者たちに報いるためにも、彼は立ち上がらねばならなかった。
「諸君」 デュランダルは言った。通信でミネルバ、アークエンジェル、エターナルへも含めて。「真に公にされるべき情報は私の手元に整った。明朝、メサイアはL5宙域へ向けて出立する。防衛については各艦長殿へ一任させて頂く。諸君の健闘と、一人も欠くことのない、無事の帰還を祈っているよ」
『はい!』
軍属の者らが敬礼で応え、そうでない者も声を揃える。
デュランダルは彼らの返事を心強く感じると共に、もし自分にも技術があったならMSで一緒に出て行きたいくらいの気持ちで居た。
断じて彼らを信用していないのでない。彼らにこうして守ってもらいながら、彼らを守ってやる術を持たない自分の非力さが、ただ歯痒かったのだ。
NEXT.....(2017/09/24)