FATAL ASK  37.感謝

 海を臨むカーペンタリア基地の端でその少年を見つけたのは、明け方の巡回に出ていたひとりのザフト兵だった。

「おい、そこのおまえ! 動くなっ」 男は腰だめにしたアサルトライフルから安全装置を解除する準備をしながら、そちらへ向かって厳しい声を飛ばした。

 ぎくりとしたように身を竦ませ、すぐに両手をあげて見せたのは、裾の長いパーカーを着た、どこから見ても民間人にしか見えない黒髪の少年。どこにも武器や爆薬を所持している様子は無かったが、連合やブルーコスモスからの自爆特攻兵という可能性も大いにある。慎重に近付いていくと、相手が赤い瞳をしているのが見えてきた。なんだ、コーディネイターか──?

「あ、あのっ、すみません」 少年が戸惑いがちな様子で言った。「おれたち、向こうの島に遊びに来てたんですけど、ボートの故障でここに流れ着いちゃってっ。あ、怪しい者じゃないんですっ」

「見え透いた嘘を言うなっ」 男は一喝した。

 ここがザフトの主要基地のひとつであり、連合との最前線の一つであることは子供だって知っている。確かにオーブ近隣になると小さな島々はリゾート地として有名なところもあるにはあるが、今そんなところでのうのうと遊んでいる連中などいるものか。

 ガシャッ、とライフルの安全装置を解除したとき、男は不意に、くらりと眩暈にも似た感覚に見舞われた。

 緊張に満ちていた心が凪いでいき、どういうわけだか急に相手の少年が、まるで自分の息子のように愛おしくなる。わけがわからず心は混乱しているというのに、彼は相手から目を離すことができない。

 正確には、してやったりというようににやりと笑った、その少年の瞳から──。

 表情がボーッとしてきた相手に向かってシンが何かを強請るように手を伸ばすと、アサルトライフルが何の疑いもなく放って寄越された。安全装置はすでに解除され、弾はフル装填状態だったが、彼にとって実弾は無意味だ。

『──番、応答せよ! どうした、何をしてるっ』

 男が持っていた通信機の向こうで、管制らしき誰かの喚く声がする。シンが目で合図すると、男は少々緩慢な動作でそれを持ち上げ、自分の口もとへもっていく。

 合わせて、シンはライフルを構えた。まっすぐに伸ばした腕をやや上へ向けて、照準を定める。狙うは目の前の男の頭でもなければ、どこを狙うともない乱射でもない。おまけに銃口に白い光が集束するのは、特殊映像でも見間違いでも何でもない。

「てっ、敵襲だ! ミネルバが奇襲をかけてきたぞーっ!」

 男の叫びと同時にシンがライフルを撃ち放った。彼の半径一メートルを結界で覆っておかねば、すぐ傍に居たザフト兵が一瞬でミンチになっていたであろう凄まじい衝撃波が少年の足下を割り、銃口から閃光をもって巨大なエネルギー弾が発射される。

 砲撃と呼ぶに相応しいその一撃は、寸分の狂いもなく基地の中央に位置する大型アンテナにまで届いて見事命中し、跡形もなく爆破していた。

「……やっぱ威力低いか。こんなんだったら、そこらの街灯のほうがよっぽどいい『砲身』になったな」

 まるで試し撃ちでもしたような口ぶりで、シンはしげしげとライフルを眺めながら呟いた。



「カーペンタリア基地に『着弾』確認!」 モニターを凝視ししていたミリアリアが言った。

「総員、第一戦闘配置! ウォンバット装填、バリアント準備!」 ラミアスが言った。「──キラ君! いつでも『転移』どうぞ!」

「ミネルバ並びにアークエンジェル、『出航』します」 艦長席のすぐ傍で『端末』を展開し滞空していたキラが言った。「転移先座標は基地より北方五千メートル。転移完了後は、各艦『作戦』通りに!」

「アークエンジェル、了解!」 ラミアスが答え、

「ミネルバより、了解!」

 バルトフェルドが答えると、一同の視界をわずかな眩暈が襲い、ブリッジの外がどこまでも広がる空と海とに切り替わる。昇ったばかりの朝日を受けて輝く海など見るのは何日ぶりだろう、皆がそんな壮大な自然の光景に刹那、安堵した。

 作戦、と偉そうなこと言っているが、何か特別なことをしようというのではない。

 シンがMSも使わず『単身』で基地へ殴り込んで、設備的な意味での大規模な破壊活動を行ない指揮系統を麻痺させたところで、洋上に転移したアークエンジェルとミネルバが、そしてそこから出撃するキラとロアノークが海沿いのMSハンガーを沈黙させて基地を制圧しよう、という流れだ。

 シンがひとりで基地へ赴くことは誰もが一度は反対し、キラも難色を示した。なんといってもそれは、シンが『能力者として』戦うことに他ならないからだ。これまではMS越しだったから、大砲撃も滞空も飛翔も思うがままだったけれど、生身ではそうはいかない。……というかむしろ、生身でそれをやってしまったら、いよいよこちらもあとに引けなくなる、という危機感が一同の総意であった。

 けれど唯一、ラクスがそれに賛同した。彼女は驚く仲間たちと、思いも寄らぬ人物からの賛成を受けてぽかんとしているシンにこう言ったのだ。

『あとに引けないだなんて、今のわたくしたちがとっくにそうでしょう?』

 手段を選んでいる場合ではない、という意味合いを持つその言葉に、誰も反論できなかった。シンの、そしてキラの無言の予測が正しいならば、間もなくアスランがプラントから脱出してくる。彼を迎えるために、そして彼が連れているデュランダルを守るためには、四の五の言っている暇など無いのだ。

『こちらシン・アスカ』 ブリッジにテレパシー通信が入る。ミネルバでも同じものが聞こえているだろう。『基地人員の陽動に成功、今ならMSハンガーに人は居ません! いっちゃってくださいっ!』

「ウォンバット、バリアント、撃てぇっ!」 ラミアスが叫ぶ。

『トリスタン一番、二番発射! 続いてイゾルデよりジャミング弾、撃て!』 トラインが言った。



 シンにとって銃撃戦ほど無意味なものはない。

 これでもかと銃を撃ってくる相手目掛けてダッシュをかけながら、トンと地を蹴った瞬間に転移し、相手の目と鼻の先に出現する。これだけで大抵の兵は驚いて言葉も出ない一秒ほどの間が空き、容易に殴り倒すことができた。

 銃弾など彼には一つも届きはしない。シンは常に、自身の肉体に密着させるほどに小規模の超振動フィールドを展開しており、これに触れたものはその場で推進力、引力はたまた重力といったあらゆる『力』を抹消され、分子レベルに分解されて消え去ってしまう。キラやアスランが展開する『防御』のためのものではない、どこまでも『攻撃』のチカラを転用したシン専用の『防護』フィールドだ。

 もちろんこれで触れれば相手が人間だって分解されてしまうから、兵たちの中に飛び込んで白兵戦となった時には細心の注意が必要になる。触れそうなほど近付かれた時には衝撃波で吹っ飛ばし、相手に距離を取られた時には近くにあるあらゆるものが彼の武器となった。

 何が入っているともしれない鉄製のコンテナを彼が片手で持ち上げてブン投げた時には、どいつもこいつも蜘蛛の子を散らすように逃げたものだ。おかげさまで基地施設はアークエンジェルやミネルバからの援護射撃を受けるまでもなくすでに半壊に等しく、銃が効かないことすら認識した兵に至っては敵前逃亡する始末だ。

 そうだ、逃げろ逃げろ──。シンは軽いジャンプで掴み取った天井クレーンのフックを引きずり下ろして、金属製のワイヤーを糸くずのように引きちぎり、それを鞭のように振りかざしながら思った。

 もっと安全を確保できる場所へ、もっと遠いところへ逃げないと殺されるぞ、おれに──。

 視界の隅で何かが動いたと思ったら、まだ諦め悪くも銃を構える兵が目に入った。そいつを集中砲火するのも可哀想だったから、シンは軽い念波でその銃をバラバラに砕いてやった。キィン、と、撃たれることのなくなった弾が床に散らばる音が涼やかに心地好い。

 うわあああ──。身体の一部でも破壊されたような情けない悲鳴を上げ、兵らが逃げていく。

 そう、これが……これが、『ファントムペインの上層部』が真にファントムペインに求めたことだ。

 強力な能力者を育成し、たったひとりであっても圧倒的なチカラをもって基地を制圧することができる。シンくらいの能力者なら、三人もいれば地球上のザフト基地はすべて壊滅だったことだろう。

 けれど『三賢者』は、キラから直接、絶大なチカラを授かることが可能な先天種ではなかった。おまけに母体と期間的にも距離的にも離れすぎたために『進化』の『路線』が変わってしまい、劣悪な環境と過度な肉体改造に因る『判断能力』の低さも相俟って、彼らは『闇』にとっても『進化の試作品』に過ぎぬ存在となってしまったのだ。

 そうだ。奴らは能力者の存在を隠しておこうなんて、これっぽっちも考えてなかった──。シンの心に、怒りの火がぽつりと灯る。あくまで自分らでその生産を独占するためにキラの鹵獲を狙い、『三賢者』を『試用』して不要な死体の山を築き、挙句の果てにはその死を踏み台にまでしてプラントの政権を乗っ取ってしまった。

 ならばもはや、『自分たち』が人目を気にして隠れている必要なんかない。シンがここへ独りで乗り込むことを決めたのには、そういう背景があった。遅かれ早かれ『敵』は能力者の戦術的使用を視野に入れていた。もしキラを獲得して能力者の増産が可能になったとしたなら、下手をすれば奴らはそのチカラが自分たちにだけ与えられた恩恵だなどと吹くつもりでいたに違いない。

 かくれんぼはもう終わりだ。チカラはおまえらだけのものじゃないって教えてやる。そしてステラたちを苦しめた代償は、必ずおまえらの断末魔で贖わせてやる──!

「行け、『ブラスト』! 障害物を焼き払えっ!」

 掲げた手のひらがカッと熱く、白く輝いたかと思えば、次の瞬間には白い炎となったエネルギーが一直線に基地内を駆け抜けた。コンクリートや金属で構成された建物が溶けるように吹き散らされ、シンがぐるりと身体を巡らせると、放射の続いていた光も同じように動いて扇状に地を舐めていく。

 ドォン、と大きな爆発音が海のほうで聞こえる。キラとフラガがMSハンガーを制圧したのだろう。

 ここまでくると、シンの周囲から人の気配は消えていた。彼自身がしっかり注意を払ったおかげで、どこにも死人は転がっていない。どこかで瓦礫の下敷きになっていたりしたなら申し訳ない話だが、『ブラスト』での砲撃にしても『対象指定』をしておいたから、人体には何の影響も出ない。自分たちが撤退したあと、他所から来るであろう救助隊に助けてもらえばいい。

 しかし、それにしても。

 へんだ──。シンは周囲を見渡した。

 確かにMSハンガー周辺から人間を引き離すよう陽動したのは自分だし、MSを出撃させないために『生身』での殴り込みを企画したのも事実だが、それにしたって本当に一度もMSが出撃しなかったのは少しおかしい。ハンガーは海沿いだけではなく、陸側にもいくつか設置があるはずだ。シンの砲撃ですでに倒壊しているであろうが、その前に乗り込む余裕だってあっただろうに。

 精神の集中を高め、耳を澄ます。吹き付ける海風に混じって、いつかも感じたことのある空気感のようなものがサワリと肌を撫でていくのが判った。

『 ハ ナ レ テ … 』

「いっ…!」 シンはたまらず、針を刺されたように痛んだ頭を押さえた。

 なんて下手くそなテレパシーだ。能力使用にかけては、慣れが無い自分よりも初心者以下と言っていい。『三賢者』ですら、誰が発信しているのかを『声』で聞き分けられる程度には、まだもう少しまともなものが使えたというのに。

『離レ、テ…』 ノイズのせいで男かも女かも判らないその声は、懸命ともいえる訴えを放っていた。『ココカラ…離レテ……避難……安全ナ…トコロ…へ……』

 避難誘導──? シンは眉をひそめた。

 この基地に能力者がいるなんて感じたこともないし、そもそもキラやデュランダルからも聞いたことがない。しかしそれは確かに『能力者』が放つもので、ステラのそれに近く、聞いた者の精神を『言う通り』に操ることを目的とした波長を持っている。聞き取るアンテナをもっていない普通の人間でも、この『声』が及ぶ領域内では、それに従うしかなくなるだろう。

 駐在しているはずの人数情報よりも実際に相手にした数が少ないように感じていたのは、シンの錯覚ではなかった。この『避難誘導』によって大半が前線に出ることなくどこか避難していたからなのだ。

 シンが暴れることをやめ、基地に朝の静寂が戻って来たことに気付いたのか、『声』は聞こえなくなった。

 なんだったんだ、今の──。

「シン!」

 とても遠いところから、誰かの肉声がした。キラからのテレパシーではない。エッと驚いて周囲を見回すシンの頭上で、赤いものが動いた。

「こっちよ、シン!」

 よりはっきりと聞こえたその声に、彼は息をのんで驚愕した。見上げてみれば、基地の中でもひときわ高い──一階部分の倉庫はシンが破壊の限りを尽くしてしまったが──監視塔だろう建物の上から、手を振っている女の姿が見えた。

 そんなまさか、と彼は思った。またナニカのタチの悪いイタズラで、自分はおかしなものを見せられているのかと疑ってしまった。高いところから彼の姿を認め、大きく手を振ってくれているその女は、シンの中では未だ『意識不明』のまま自分の帰りを待ってくれていたはずの、ルナマリア・ホークその人なのだった。

「待ってね、今そっち行くからっ!」

 ルナマリアはそう言うが早いか、割れてしまった窓からひらりと外へ身を躍らせる。

「ばっ…!」 バカ、なにやってんだ、とシンは叫びそうになった。

 だってその建物はMSの倍近い高さがある。無重力でもないのにそんなところからいきなり飛び降りるなんて正気の沙汰ではない。慌てて浮遊を発現し、彼女を迎えるべく上空へジャンプした彼の前で、もっと信じられないことが起こった。

 ルナマリアの身体は、彼の腕に落ちては来なかった。お互いが接するもう少しのところでふわりと浮遊し、空中で一定の距離を保っているではないか。

「シン、あのね」 ルナマリアは微笑んで言った。「あたし、あのステラって子が最期になんて言ったか、知ってるわ」

「え?」

「『ありがとう、大好き』」

 時間が停まったようだった。ルナマリアを見つめているはずの彼の目に、その微笑みが違う少女のものとして映る。柔らかな金色の髪、幼く愛らしい無垢な瞳。彼女は、未だ現実を捉え切れず震えている相手に、確かめるようにもう一度口を開いた。

「シン」 その声が、ステラのものとダブる。「ありがとう、……大好き」

 ああ──。大きく見開いた赤い瞳から涙が溢れる。

 『デストロイ』と決着したあのとき、崩れ去る巨体の中から飛び出した『闇』はひとつだった。そしてそれは、キラが言うには『スティング』であり、すでにキラの中に居た弟分の『アウル』に引き寄せられてキラの中へ帰っていった。

 『ステラ』は出て来なかった。──『同盟軍』からの攻撃を受けるまでの短い間だったけれど──長いこと待ったけれど、肉体から解放されたはずの彼女の『闇』は、自分にも、キラにも帰っては来なかった。

 どこへ行ったのか、ではなく、帰る余地もないくらい自分が消滅させてしまったのだと、シンはずっと思っていた。

 でも違ったのだ。

 彼女は、『ここ』にいる。

 自分の駒として支配するためにステラがルナマリアに送り込んでいた『思念』を『本体』と勘違いしたのか、ステラの『闇』はルナマリアの肉体を『帰る場所』として認識したのだ。結果、ステラの記憶と経験はルナマリアのものとなった。……そう、彼女が操っていたチカラでさえも。

 ロアノークにそうだと言われても、シンは自分がステラを救えたと思うことがなかなかできずにいた。半ば無理やりにでも、自分を前へ進ませるためにはもう、そう信じるしかなかった。

 けれど、もう信じ込まなくてもいい。

 死に際にステラが救われていたことは、たった今、証明されたのだ。

「ありがとう…」 シンは泣きながらルナマリアを抱きしめた。「ありがとう、ルナ…っ」

「あたし……能力者になっちゃった」 ごめん、と、相手を抱き返してやりながらルナマリアは言った。「でも、怖くなんかないよ。これであたしは、あんたの痛みや苦しみを、もっと近くで理解できるんだから」

「ルナ…」

「お願い、あたしも連れてって。こんなところで、独りで救助を待つなんてゴメンよ?」

「あ…っ、ああ、当たり前だろっ」 シンは袖でごしごしと目元を拭って、思いっきり頷いた。なんたって彼がこのカーペンタリア基地への襲撃を決めたのは、ここに収容されたままのルナマリアを回収したかったから、なのだから。

『シン、聞こえる? ついさっき「ターミナル」から連絡が入った』 キラの声がした。ルナマリアも聞こえているらしく、二人はまるっきり自軍の連絡通信でも聞くような顔つきになる。『「ラクス」の通報によって、アスランに「デュランダル派」の容疑がかかって「逃走」したって』

 来た──。まるで、最初から判り切っていた世界の終末が始まったような感覚で、シンは空を見上げた。

『「ターミナル」はクライン派からの要請を受けてエターナルの出航を決定、十五分後にはアプリリウス・ワンに最接近する』 キラの声は尚も事務的に言った。『多分エターナルは、その時にアスランやデュランダルさんを回収するはずだ』

「ヤマト准将!」 ルナマリアが言った。「カーペンタリア基地は現在、完全に沈黙している状態です。先一時間はこの状態を保持できます、今ならアークエンジェルとミネルバの『出立』を遮るものはありませんっ」

「アークエンジェルは単体でも大気圏離脱できましたよねっ」 シンは言った。「だったら、他所から応援が来ないうちに先に行ってください! ミネルバはおれが宇宙に上げます!」

『…了解!』 テレパシーの向こうでラミアスの声がした。『アークエンジェル機関最大、ブースター点火! これより大気圏離脱シークエンスへ移行する!』

 同時にシンはルナマリアを連れて転移を行なっていた。トン、と足元に触れたのは硬い金属の感触。そこはミネルバの、ブリッジの真上だ。

 すぐ傍に居たアークエンジェルが天を目指して加速を開始し、どんとん離れていくのが見える。

「艦長、ちょっとだけ操縦借りますよ!」

 相手の返事を待たず、シンは光の翼を展開した。精神の集中に合わせて彼の赤い瞳が暗いグラデーションを帯び、闇の結晶を浮き上がらせる。

 ゴゴン、とミネルバが大きく傾いた。キャッと驚いたルナマリアが浮遊を使ってバランスを取り戻す。艦体は天を見上げるような姿勢になり、艦首のゲートが開いてタンホイザーの砲身がせり上がった。見る見るうちに砲へエネルギーが充填されていくと、そこにシンのチカラである白い光が合わさった。

 これが、今のおれにできる最大の一発だ──!

「行っけええええぇぇぇぇぇ──ッ!」

 本来のそれが持つ威力を遥かに上回る衝撃波と共に、砲身から終末の火にも等しい輝きが放たれて天へと駆け上った。

『これは…っ』 今はミネルバと『意識』が繋がっているシンの耳に、グラディスの驚く声がする。

 数秒と待たず、撃ち抜かれた大気がオーロラのような色を帯び、天へ通じる『道』を作り出した。今頃はその光景を遥か眼下に捉えているアークエンジェルのクルーらも驚いていることだろう。

 かつて自分たちがオーブを脱出した時と同じ原理を、シンが単独で、艦体へのブースターの設置もなしにやってのけようとしているなんて。

 自身の砲撃が生み出した光の道へ、機関を最大にして飛び込んでいくミネルバの可変翼が大きく広がり、そこにシンのものと同じ光の翼が展開される。『道』の中をきらめき浮遊していた光の粒がその翼へと収束し、莫大な推進力を生み出していた。



 ミーアは失意のどん底に居た。

 SPらに保護され、以前デュランダルから好きに使ってくれと与えられた邸宅の庭先で、美しい彫刻の噴水が澄んだ水を噴き出す様を、未だ腫れの引かない真っ赤な目で眺めている。

 泣いて、泣いて、泣き疲れてしまったけれど、彼女は眠ってはいなかった。身体はだるく、重いのに、横になりたいとは思えない。こうして良質な木材と布地を使われた座り心地の好い椅子に着いて、花の咲き誇る庭園を見るともなく見ているだけだ。

 アスラン──。何度も、何度も心の中で彼女はその名を呼んだ。声にも出した。けれど応えてくれる声など、どこにもない。

 キラは以前、自分が『超能力者になった』と言っていた。けれどそんな兆候はまったく発現しておらず、彼らが平然と行なっているテレポートや浮遊、あるいはテレパシーといったごく簡単そうに見えるものまで何一つ、彼女は獲得していなかった。

 どうして…? その事実は、更にミーアの自己嫌悪を深めていく。どうしてあたしにはチカラが目覚めないの? やっぱりあたしがラクス様じゃないから? ラクス様になるためのチカラだけど、あたしにその資格がないから、だから何も目覚めないの──?

「…そうではない」

 と、背後の室内から聞き覚えのある声がした。キラさん? と彼女が驚いて振り向いてみると、そこに立っていたのは、キラに似ても似つかぬ黒い男だ。陽光の届かない、照明もついていない室内に潜むように佇んでいた彼は、ミーアと目が合うとまた口を開いた。

「おまえが望んでいないからだ。能力者となることを」

「あ、あたし…が?」 ミーアは意味もよく解らないまま言った。「で、でもあたし、プラントのために役に立ちたくて、ラクス様になれるように、一生懸命──」

「違うな」 黒い男はばっさりと言った。「プラントのためだなどと笑わせる。貴様が欲しかったのは、プラントの人心とアスラン・ザラの心だ」

 いともあっさりと嘘を見抜かれて、ミーアがウッと言葉に詰まる。そんなことない、と言い返すのは簡単なことだったが、どう違うのかと問われれば先が浮かばない。

 完全に図星なのだった。

「本物のラクス・クラインが目覚めるまでの半年間、彼女の代役を務めきったところで、何になったろうな?」 黒い男は淡々と言った。「デュランダルや、目覚めたラクスは貴様に大いに感謝しただろう。これまでプラントを守ってきてくれて、ありがとうございました……『それでは、さようなら』」

 ミーアの肩がビクッと震えた。禁断の言葉を聞いてしまったステラのように、瞳が見るものを失って自失したようになる。

「はじめから、半年間、ラクス・クラインがおまえだったことなど誰も知らず終わるだけだった話だ。結局は短い夢、ラクスが目覚めてしまえばおまえは元の姿に戻り、元の生活に戻っていく──」

「やめてっ!」

 ミーアは頭を抱えて叫んだ。振り下ろした両手の拳が、ドンッと傍のテーブルを叩く。すっかり冷めてしまった紅茶のカップが転げ落ちて割れてしまったが、相手は涼しい顔でその様子を眺めているだけだ。

「どうしてよ、どうしてみんな、あたしを否定しようとするのよ!」 彼女は喚いた。「コンサートじゃみんな大喜びだったくせに、あたしからサインもらって舞い上がってたくせに、あたしを認めたのはあんたたちなのに、どうして今更違うなんて言われなきゃならないの!」

 ミーアはたびたび、自分のSPや身辺警護に当たってくれている者たちが厳重に秘匿していた、『ラクス・クラインの現状への批判』をこっそりと目にしていた。

 明るい歌で皆を元気づけてやればいい、と言われたからそうしただけなのに、一部の者らはそれを拒絶し、あんなものはラクスではないと断じていた。幻滅した、軽薄になった、いかにも安っぽい女になった──そういった発言をしている者は、もともと本物のラクスに対しても、お高くとまってる、鼻にかけてる、などと、どちらがどちらでも文句を垂れることしかしないタイプの人種だったのだが、そんなことを彼女が知る由もない。

 でも、コンサートに来てくれる者たちは誰も自分を讃えてくれた。愛してくれた。だから彼らの目をもっと惹きつけたくて、彼女のポップな『芸風』はエスカレートしていった。要するに悪循環を繰り返していたのだが、やはりそこに彼女自身が気付けるはずもない。

 そしてついには、アスランまでもがミーアを否定した。これまで、雑誌の記者や番組の担当者のように彼女の機嫌をとるような態度なんてひとつも見せることなく、いつも自然体で、どんな話にもちゃんと応じてくれて、優しくて……次に会う時にはプレゼントをくれると言っていた彼が、今はもう果てしなく遠い。

 ラクスが目覚めた──誰と話していたのか、あのとき電話でその情報を聞いて、もうアスランにとってのミーアは『自分が愛すべきラクス』ではなくなったのだ。

 『本物』が帰ってくるから、『偽物』はもう要らない──。そう言われ、突き放されてしまったのだと彼女は思っていた。

 やはり最初から、何も解っていなかったんだな、こいつは──。カナードは察知されない程度の小さな溜息を吐き、そんなふうに思う。

 最初から『契約』は半年のみだった。

 レイも言ったことだが、その『期間』を了承し、その間でのみラクス・クラインを『演じる』と承諾したのはミーア自身だったというのに、ついに人前に出た彼女はその役目よりも、『ラクス・クライン』としての自分に向けられる人心とアスランの目のほうが重くなってしまった。ひょっとしたらラクスが目を覚ましたとしても、彼女の影武者のような立ち位置で永遠にラクスで居られるかもしれない、彼女と一体になれるかもしれないという、期待と表裏一体の悪意に気付くことなくそれを増長させた結果が今なのだ。

 はじめから『半年間の仕事』と彼女が完全に割り切っていたら、誰も苦労はしなかったろう。

 だが──。カナードの細めた目が鋭い光を宿す。

 こいつは愚かだ。しかし愚かだからこそ、踊らせる価値がある──。

「……なら、おまえが『本物』になれ」

「え…?」

 顔を上げた女の濡れた瞳が、まさかとばかりに震えている。自分が成れるわけがない、と完全にタカをくくってすべてを諦めている顔だった。

「今のおまえを支配しているのは、ラクス・クラインへの劣等感だ」 カナードは言った。「自分がその器でないことを充分に理解しているが、だからと言って手にした『今』を失いたくない。何かしたくても何をすればいいのか……いや、やるべきことは解っているのに、その一歩を踏み出せないでいるのだろう?」

「な、……なにを言ってる、の……あなた…」 ミーアの声が震えた。

「立て」 黒い男は、そんな彼女に片手を差し伸べた。「前を向き、もっと堂々としていろ。地球で目覚めたあの女は、今や世界のお尋ね者、テロリストのブレインではないか。プラントにとってのラクス・クラインはおまえ以外に存在しない。兵を発たせてあの女を討ち取り、自分が本物だと証明すればいい」

 ミーア本人ですら目を逸らしていた、自身の醜く薄汚れた暗部をことごとく言い当てきたかと思えば、次に放たれた言葉は全面的な肯定だ。彼女が抱いてやまない欲望も苦痛も悲しみも憂いも不安も、何かもを解った上でこの男は自分を導こうとしてくれている──このときミーアは、肩の荷が下りたように心が安らぐのを感じていた。

 この人になら任せられる。あたしの悪いところ全部、このひとが認めて、受け止めてくれるんだ──。

 そう、地球で目覚めたラクスがいくら訴えかけたところで、結局のところ連中は『デュランダル派』であり、その言葉は戦乱と混沌を招くものに過ぎない。彼らはナチュラルとコーディネイターの共存という第一の目標を体現した今の評議会に異を唱える。自分たちのトップをリーダーに据えなければ気が済まないとばかりに。

 そんな女の世迷言など、誰が聞くものか。目指すべきは真なる融和。ナチュラルからの使者であるジブリールを守ってこそ共存への道が拓ける。皮肉にもデュランダルは、人心を惹きつけるために自らが唱えた『理想』を実現するために討たれるのである。

 そのときは、もう間もなくやってくるのだ。







                                         NEXT.....(2017/09/21)