FATAL ASK 36.先見
時は、アスランとラクスが目を覚ますよりも半日ほど前にさかのぼる。
ムウ・ラ・フラガは、ふっと舞い戻るように目を開いた。
頭の芯が出血でもしているようにジクジクと痛む。呻きをもらして頭を抱えながら、白っぽく濁った視界を調整するべく何度かまばたきをした。
「…ムウ」
懐かしい、女の声がした。徐々にはっきりと輪郭を取り戻していく視界の中で、マリュー・ラミアスが涙を浮かべて彼を覗き込んでいる。
「よ、艦長…」 フラガは弱く、しかしいつもと変わらぬ調子で言った。「憂えた顔も、相変わらずお美しいねェ」
「ばか…」
マリューは感極まるのを抑え切れず、それだけをやっと言うと、顔を逸らして涙を流した。本当はわっと泣きついてしまいたい感動を、懸命に堪えているのだと簡単に判る。
「ほんとあなたって人は」 マリューは言った。「生きてたなんて、思いもしなかったわ」
「言ったろ?」 フラガは言った。「俺は、不可能を可能にする男なんだぜ」
誰もが不可能──つまりは死んで当然──と思っている状況からの生還を可能にする。そういう意味では見事にこの男は自称を成し遂げたと言えよう。体調が万全だったなら、なに言ってんのよと頭をはったおしてやるところだ。
「でも、ほんとに不可能を可能にしてくれたのは、あの、赤の坊主だよ」
ふーっと長い息を吐きながら、フラガは言った。
目を閉じるだけで、シンと話していた時間を思い出せる。スカイグライパーを駆り、ステラと戦ったことを思い出せる。
そして、自分がネオ・ロアノークとしてよみがえったあの日のことですらも。
すなわちシンのチカラは、彼の中の『ネオ』を破壊しなかった。眠っていたフラガの人格と、表立っていたネオの人格から境界を解き放ち、完全に同一化させている。それは決して混在ではなく、どちらの記憶も経験も失わせず、そしてどちらの意識を強めるでもない均衡を保っていた。
自分が所属した組織のことをこう言うのも何だが、連合の洗脳技術は非常に高く、コーディネイター産出技術を応用して余計な遺伝子を組み込み、そうして生み出したコーディネイターに自我を与えることなく連合に絶対服従を強いるような馬鹿げた技術まで持っている。能力者であったはずの『三賢者』すら、キラに遭遇して多大な心的ショックを受けるまで決して解けなかった連合の絶対的な洗脳を、はじめての挑戦でこうも完璧に打ち破ってくれるとは彼自身、微塵も思っていなかったのだ。
ジブリールの命令であったなど言い訳に過ぎず、自分はそれだけのことをしてきたと彼は本気で思っている。コーディネイターたちに対しても、ステラたちに対しても。だから本当に頭を吹っ飛ばされる覚悟だったのに。
おれはあんたを殺さない──。シンの言葉の、本当の意味を彼は知った。
「なあ、艦長」
フラガは言った。真摯な青の瞳で、なあに、と答えるマリューを見つめて。
「……俺は、もう戻れないんだ」
はっ、と彼女が息をのむ。それは、思いもしないことを言われてショックを受けた…というより、最初からそう言われることを覚悟していた者の顔だ。
彼が目を覚ました時、マリューは本当ならば彼にすがって泣いてもよかった。なのに彼女がそれをしなかったのは、もう自分たちが元の関係に戻れないことを意識した上での抑圧なのだった。
もしここにステラが居たなら、彼女は『ネオがしあわせになるなら』と言って、彼がフラガに戻ることを祝福したかもしれない。アウルは彼にこんなスタイル抜群のカノジョが居たことを知ってヒガんだかもしれないし、スティングはそんな弟分の頭をはったおしたかもしれない。
救いようのない、不憫で哀れな子どもたちだったが、それでも彼らは『ネオ』にとって、絶対に忘れることのできない、バカで一途で素直な、最高の部下だった。彼らを置き去りに、記憶が戻ったからと言って自分だけが在るべき場所へ還っていくことなど、彼にはできない。
「わかってる…」 マリューは言った。それでも声が震えるのは、涙が零れるのはどうしようもなく抑えられない。「わかってるわ」
「…ごめんな」
よっ、と身を起こして彼は言った。泣いている彼女の髪を撫で、肩を抱いてやることも、もうしない。
その役目はもう違う者のものになっている。彼女にも、自分にも、動かしようのない『今』があるのだ。
「おいキラ」 と、不意に彼は言った。「いつまで立ち聞きしてるつもりだ?」
エッとマリューが慌てて振り向いた先で、出入り口の扉はしばらく沈黙したのち、シュッと小さな音を立てて開いた。その向こうに立っていたのは、申し訳なさそうな顔をしたキラだった。
「す、すみません…」 キラは言った。「立ち聞きするつもりは無かったんです、けど」
「キラ君、身体はもういいの?」
目元をすこし拭い、すぐに立ち上がったマリューがキラへと駆け寄る。傍でよく見てみると、倒れたあの時に比べて顔色もいいしふらついている様子もない。彼女はほっとした。
「心配かけちゃって、すみません」 キラは改めて言った。「でも、もう大丈夫ですから」
「そう…それなら良かったわ。無理はしないでね」
「ちょうどいいとこに来てくれたぜ、キラ。回復ついでに、ちょっと面倒を頼まれてくれないか?」
そう言うフラガを、キラは一瞬まじまじと見た。マリューと同じように、キラだってこの男には大変な世話になったひとりだ。当たり前のように自分の名を呼んでくれる相手が確かにフラガ本人だったことを改めて認識し、本当に生きていたのだという感動が静かに胸にこみ上げる。
「なんですか? ムウさん」
こうしてこの男の本当の名を呼び、それを本人に受け入れられるという当たり前のことですら、彼はもう諦めていた。キラがわざわざ付け加えるようにして呼んだのは、声に出すことでその実感を得たかったからだ。
あれ、とフラガが示したのは、この居住用個室の一角に置かれたサイドボードの、保温用ポットだった。小さなコップがいくつか用意されていて、この部屋を利用する者は好きに飲料を口にすることができるようになっている。備え付けの引き出しの中には、インスタントコーヒーや紅茶のパックなどが取り揃えられていたはずだ。
「何か飲む?」 訊ねたのはマリューだ。「それなら私が…」
「いや」 フラガは言った。「注いでもらいたいのは、キラ。おまえの『血』だ」
室内の空気が、凍ったようだった。
キラが驚愕に絶句し、立ち上がりかけたマリューがまさかと振り向く。
だが、フラガの目はマジだった。
「俺にはチカラが必要なんだ」 彼は言った。「ここから先は、そういう戦いになるんだろ。おまえらだけを戦場に送り出して、役に立たないからって放置をくらうのはごめんなんでな」
「ムウ、さん……」
キラとフラガは、しばらくじっとお互いの目を見ていた。
他人からは何を考えているとも知れない、無言の時間。キラはそんな相手の瞳の奥で、ひとつの感情が輝いているのを見た。
フラガはそれ以上、頼むとも言わず、決断を考えているように見えるキラを説得しようともしなかった。言いたいことは全部言った、認めないなんてことは絶対に言わせない──そんな強い顔だ。
「…マリューさん」 キラは言った。「コーヒー、ちょっと濃く淹れてもらえますか?」
「え、ええ…」
戸惑いがちなマリューが席を立ち、すぐに小さめの紙カップを持って戻ってくる。フラガは湯気のたつそれを受け取ると、何を言うでなくすっとキラに向けた。
キラは自分の胸元に両手を持っていったかと思えば、自分の手のひらを自分の爪で突き破った。ぶちりと皮膚の裂ける嫌な音がしたけれど、その時点では出血は起こっていない。彼はフラガが差し出したカップへ、蓋をするように、傷をつけた手のひらを伸ばした。
ぽたぽたっ、と、思い出したようにその中へ血が滴る。それはいつかの日にも、イザークやディアッカが能力者になるために行なわれた光景だったのだが、流れ落ちた血液の量は、数滴に過ぎなかったそのときの比ではなかった。
キラは、この男が成そうとしていることには、これだけのチカラが必要になると判断した。そして止めようとしないフラガも、それを承諾している。もしかしたら、切り落とした指がそのまま入っていたって彼は黙って飲み込んだかもしれない。
やがて出血は治まり、キラは、もう傷のついていない手を引いて言った。
「我が血肉のひとかけは……」
「……いずこにあれど、汝が祝福を宿す」 フラガが応えるように言った。
──だっけ? と問うように目を上げた相手にキラは頷いた。
そのあと、長い沈黙が落ちた。濃い香りを放つコーヒーがある程度冷めるまでの間を、フラガは目を閉じてじっと待った。様子だけを見ていると完全に服毒自殺だ。マリューも、キラも、何も言わずにただ彼を見守った。
どのくらいそうやって過ごしただろう。ふっと一息ついたフラガは、やおら腕を持ち上げ、適温を越えて冷めかけていたカップの中身を飲み干した。
「ミネルバ、およびアークエンジェルの修復が終了しました。機関・動力部のテストも万全、問題なく航行できます」
「ご苦労様、アーサー」
敬礼をもって報告に来たトラインを、グラディスは微笑んで出迎えた。
その言葉に込めたねぎらいは、かつてない感謝の情がこもっている。修理作業が始まってたった数日で真っ先に倒れたなんて聞いた時は頭痛がしたものだったが、いま彼女の目の前に立っている男の顔付きはなかなかに精悍で、ミネルバ副長という立場に申し分ない姿だ。
責任者がほとんど『身内』だったからとはいえ、無事に終わることができて、グラディスは長く悪い夢から覚めたような気分だった。
成りゆきながらもザフトの最新鋭艦の修繕作業を行なうなど、モルゲンレーテにとっては得るものの大きい作業であったろう。この企業が本当にオーブの理念に忠実な存在であったなら門前払いもいいところであったが、そうならずここまでこぎつけることができたのは、彼らがその技術を直に見る機会を求めていたからに他ならない。そうして得たものがどのように利用されるのかはさておいても、艦を失うよりはと下した彼女の決断を、デュランダルは決して責めはしまい。
すべての人類は、ゆくゆくは手を取り合う存在だ。知識や技術の『流出』だなどと、とんでもない。これは『提供』だよ──。彼女はまるで目の前で彼にそう言われたかのように、その言葉がシミュレートできるのだった。
さて、とグラディスが振り向いた先はいつもの休憩室で、乗艦修復完了の報を受けた一同が揃っている。
彼女はそんな中でも、連合の、しかも正規のものではない黒い制服を着た男を見やった。
「ムウ・ラ・フラガ少佐……でしたかしら? それとも、引き続きネオ・ロアノーク大佐とお呼びすべきでしょうか」
「どちらでも、お好きなように」 長かった髪をばっさり切った姿で、フラガは肩を竦めた。
あくまでも『見える』ように呼んでくれればいいという意思表示であろうが、その身を包む制服が、今は喪服のように見える。
アークエンジェルの者らからすれば彼はフラガだが、ミネルバの者からすればこの男はロアノークだ。どちらの名で呼ばれても本人が認識できるなら問題は無いが、過去と現在の中間に立つ、何とも不可思議な存在になってしまった。更に、そんな中でもシンは、彼が宿すキラのチカラが段違いに『殖』えていることに気付いている。自分たちに匹敵できるほどではないにしろ、先天種以外でこれほどのチカラを持たされたマイノリティは前例が無い。
アスランを欠き、他はみんな『普通の人間』にすぎないここで、ひとりでも能力者として『強い』者が現れてくれることは、正直に言えば非常に心強い。だからアークエンジェル側の者がこれをどう思っているかは、この際、考えないことにする。彼らは彼らなりの形で、感情に決着をつけているはずだから。
「さっそくで悪いんだけど、グラディス艦長」 と、フラガが言った。「そっちで一機、機体が余ってるだろ? 良かったら俺に貸してくれないか」
「──ええ、構いませんわ」 グラディスは、ほとんど考える間を置かずに頷いた。
「か、艦長?」 トラインが驚いている。
「いいのよ。どうせ今のミネルバはザフトの所属から外れているんですもの。守秘義務なんて、あったもんじゃないわ」 清々しいほど平然と言って、グラディスは相手に向き直る。「ただ、ロアノーク大佐。あの機体…レジェンドは、特殊な空間認識能力を持つ者でなければ扱えない兵器を搭載しておりますが、それは…」
「お気遣いなく。その点の準備は万端なんでね。──キラ。OSの調整、頼んだぜ」
「はい」
キラはひとつ頷いたけれど、どこかへ転移していく様子もなければ、その場で端末を展開もしなかった。だがすでに彼は『遠隔操作』でミネルバのMSデッキに安置された、レイの専用機であるレジェンドにアクセスを開始している。この程度の作業ならば、ここで誰かと話をしながらでも行なうことができるのだ。
「問題は、私たちが出航するタイミングね」 と、ラミアスが言った。
「現状、プラントへ帰国したディアッカ・エルスマン、並びに議長奪還のため同行したレイと連絡を取る手段が無いのが痛いわね」 グラディスもこれには腕を組んで唸る。「バルトフェルド隊長。旧クライン派の拠点からは、何か連絡はありませんか?」
「今のところ、主立った動きはないね」 バルトフェルドは首を振った。「ただ、彼らも向こうでの『ラクス様』の動向には目を光らせてるはずだし、アスランも含めて監視してくれてはいるだろうが──」
「…そのことなんですけど」 と、キラが言った。「プラント側にかかっている例のジャミング、…もしかしたら、もう間もなく途切れるかもしれません」
「えっ?」 ラミアスが目を丸くした。「どういうこと?」
「ずっと、遠くで星みたいに見えてた『彼』のチカラが、ここ数時間で急激に落ちてるんです」 キラは目を閉じて顔を上げ、その瞼の裏に広がる『天体』を観測するかのように言った。「何かの理由があって、一時的な弱体化が発生してるんだと思います」
「つまり…」 フラガが言った。「今も弱体化は続いていて、やがてはプラントをジャミング領域で覆っておくこともできなくなるってことか?」
「今の下降ペースで見れば、おそらく最弱点に至るのは、もともと『闇』が弱まる傾向にある『早朝』です。そうなったら、僕からディアッカにテレパシーを送ることができるようになります」
「ヤマト准将。それは、アスラン・ザラの『洗脳』が解ける可能性もある、ということでしょうか?」 グラディスが念を押すよう言った。
「有り得ます」 キラは頷いた。「そもそもアスランだって能力者だから、カ…『彼』の支配が効くのは、アスランのチカラがダウンしている間だけなんです。その間に対策を打たれていたら危ないところですけど、今の状況的に見て、そろそろ復活しそうなアスランを抑えられるだけのチカラが『彼』に残ってるとは思えない…」
「助けに行くなら、そのときが唯一最高のチャンスってわけだな」
何かを決意した顔で、フラガがバシッと拳を叩いた。
「あの」
一同の輪からすっと手があがる。誰かと思えばシンだ。
「何かしら、シン」 グラディスが発言を促す。
「朝になって、もし向こうとテレパシーが繋がって、ついでにアスランも自由に動けるようになったとしたら、あの人のことだから多分プラントで、大きな騒ぎが起こると思うんです」
「え──」
そんなまさか、と皆が絶句する。
アスラン・ザラといえば、ザフトレッドの中でも特筆されるトップエース。その作戦遂行能力は極めて高く、難度の高い状況下では自らの判断で的確に動くことができる、赤でありながら隊長格にも匹敵する、過去に類を見ない逸材だ。そんな彼が、正気に戻った途端、いきなり敵の懐──しかしてプラントは自身が死守すべき地でもある──で発破を起こすことなど有り得るだろうか。
ただこのとき、唯一キラだけが、痛いところを衝かれたように沈痛に目を伏せていた。彼もそれを予測していたらしい。
「プラントには、ジュール隊やヴェステンフルス隊長、それに議長……ジャミングさえ解ければ頼れそうな能力者は何人か居ますし、クライン派との合流にしたって慎重になるだろうとは思うんですけど」 シンはまずいことを伝えるように、言い難そうに言った。「なんか、…あの女の説得に、失敗しそうな気がして」
「あの女って…」 グラディスは言った。「ミーア・キャンベルのこと?」
「はい。ここしばらくのあの二人を追ってて思ったんですけど、あれ、どっちも完全に演技じゃないでしょう」
その一言が核心をついた。キラやフラガ、ラミアスの表情が厳しさを増す。
「アスランが支配を受けてるのはもう判ってますけど、あの女は、未覚醒とはいえキラの血を持ってますよね」 シンは言った。「だったら黒鳥の『魅了』は通じない。つまり『正気』なんですよ。開戦して、地球でもプラント宙域でもゴミみたいに人が死んでる中で、何の疑いもなくあんな態度で居られるわけがないのに……せめて哀悼の意を表明するくらいが、評議会にとっても都合がいいはずなのに、です」
このたびプラント各地でのコンサートを大々的に行なっておきながら、そこでミーアがやったことと言えば、ザフト関係者を中心に激励を送るのみに留まっている。かつてのラクスが、評議会議長であった父シーゲルのスピーチに立ち会って意見を述べたりしたような、そういった行為は一度もしていないのだ。
ザフト所属者、または評議会側にとってすれば、やはり彼女は女神も同然の立ち位置だったが、全市民という視点に切り替えたとき、彼女の行動は政治的な趣旨や意義をひとつも持たぬ、娯楽の域を出ないものとなる。シンが言うように、戦死者や怪我人、あるいは大規模な戦闘に対して心を悼めているような仕草を見せるくらいがちょうどいいというのに、彼女はアスランさえ傍に居ればそれだけでああ幸せと言わんばかりだ。
「断言してもいいですけど」 と、シンは付け加えながら言った。「アスランが正気に戻ったら、真っ先にあの女と衝突しますよ。彼女には評議会からのSPだってついてるでしょうし、そうなったらあのひと、速攻で『デュランダル派の手先』として追われるハメになります。アスラン確保を目指してふたりを監視してたクライン派はそれを期に動かざるを得なくなるし、議長奪還も多分、その混乱に乗じないとチャンスがなくなるんじゃないでしょうか」
シンには、ずっと聞こえている。
プラントから発せられているのであろう、『悪意』の声が。
きっとこれは、キラですら聞こえていないはずだ。もし聞こえていたのなら、今しがたシンが皆に話して聞かせた言葉はすべて、彼から発せられたであろうから。
『黒い男』のジャミングなど関係なかった。ずっと、ずっと聞こえていたのだ。このひとつきのあいだ。
ライブ中継、雑誌のインタビュー、果てはネット上でのSNSに至るまで、あらゆるところに彼女の──ミーアの自覚無き『悪意』は満ちていた。
ザフトの皆があたしの歌を聞いて戦場に出て行く。あたしの歌が人を動かしている。みんな、あたしを見て。あたしの声を聞いて。あたしの言葉に応えて。もっともっと見たい。あたしがラクスなんだって、あたしがアスランの婚約者なんだって、その証拠をもっと見せて──。
見る者が見れば目をむくほどの『路線変更』に、これでもかというほどのアスランへのアピール。本来の『ラクス』という娘の姿を壊してしまった彼女が求めて止まないのは、他者からの肯定だ。今の彼女の姿は『ラクス・クライン』ではなく、彼女が真に認められたいと願ってやまない『ミーア・キャンベル』の在り様なのだった。
シンは初めて彼女に会った時の、あの得も言われぬ不安を思い出した。能力者の仲間としてしっかり認識しておくべきはずのシンの名すらまともに覚えていなかった彼女は、もはやあの頃からすでに『ラクス・クライン』に成れる器ではないことを自供しているも同然だったのだ。
だから、到底思えなかった。そんな世界にどっぷり浸っている彼女を、あのアスランが説得できるなどと。
「そうなったら、仮に議長救出が成ったとしてクライン派がエターナルを出ししてくれたとしても、『脱出ゲーム』はプラント群から開始となり──」 バルトフェルドが苦く言った。「L5宙域を離脱できるかどうかすら怪しくなる……」
「タコ殴りか蜂の巣か、どっちか好きな方を選べってか」 やれやれとフラガが溜息を吐く。
「シン」 グラディスが言った。「確かに真実味のある話ではあるけれど、この憶測だけで、本当にエターナルが飛び出してくるかもわからないL5宙域へ出航するには、ミネルバにもアークエンジェルにも負担が大きすぎるわ。何か根拠や確信はあるの?」
「……ないです」 シンは言った。相手の目を、しっかりと見つめて。「全部、おれの『カン』です」
一瞬、誰もが言葉を失った。
シンが唱えるこの推論がもし事実と成り得るなら、ミネルバとアークエンジェルは彼らを救済するため、出航への危険を冒すだけでなく、宇宙へ上がるための手段まで獲得せねばならなくなる。アークエンジェルはともかく、モルゲンレーテにこれ以上頼ることができない以上、これは負担どころの話ではない。残された時間も少ないのだ、本当に動くとなれば、マスドライバーを保有する連合の基地へ奇襲をかけねばならないレベルだ。
どうしたものか。どうすべきか。グラディスやラミアスが困惑した沈黙を見せる中で。
「あっはっはっは! いやあ、能力者ここに極まれりってヤツだな!」 手を叩いて大笑いしたのはフラガだった。「──グラディス艦長殿。俺もこの坊主と同意見だぜ」
「……一応お訊ねしますが」 グラディスは半ば諦めたように言った。「根拠はおありで?」
「無いな。無いけど、俺の家系は代々直感力が冴えててね。こいつの言うことが正しいような気がするのさ」
こいつも大概空気を読まない発言をかましてくれるが、言っていることはシンよりひどい。とうとう抑え切れず、といった様子でキラやマリューがくすくすと笑い出した。
「やれやれ…」 グラディスは肩を落とした。「とんだ連中とつるんじゃったわね、私たち」
「ほんとですね…」 たまらずトラインが苦笑いする。
「いいわ、シン。以上を起こり得る事態と想定して、あなたの作戦を聞きましょう」
そう言われて、シンは始め、何も言わなかった。唖然としたように口を開けたまま、相手に何を言われたのか理解できない顔をしていた。
まさか信じてもらえるなんて思いもしなかった、そんな表情だ。
「どうしたの」 グラディスが促す。「まさか、私たちの不安を煽るだけ煽って終わりなんて言わないわよね?」
「いっ、言いませんよっ」
シンはハッと我にかえって、慌てて言った。そして一呼吸を置いて気を取り直すと、精神の集中をわずかに挟む。
自分たちの『標』とする、『悪意』の声を聞くために。
「……評議会は、未だに自分たちの行動が正しかったのかどうかを迷っている」
まるで物語を読むように放たれた彼の言葉に、誰も、余計な茶々を入れようとはしなかった。
「もしおれたちが本当に、連中が言うところの『デュランダル派』だったとして、連合にもザフトにも属さず、双方の争いを激化させるだけを目的としているモンスター集団なら、まずてっとり早く議長が粛清されるでしょう。なんたっておれたちのリーダーですからね」
でも、それはされていない。
『すでに実行されている』という可能性は、万一にも無い。前任議長の『粛正』ともなれば、プロパガンダの意味も含めてプラントにおいては特大ニュースになる、実行されるとしたら、その事実を秘匿しておくことは絶対にできないからだ。
すなわち、評議会はデュランダルを『クロ』と確定していない。
度重ねて連合から『国家』としての威信を踏みにじられ続けてきた彼ら──コーディネイターとしてのやり場のない怒りや恨みといった、相手憎しの感情が抑え切れず発露した結果がデュランダル解任に始まった開戦だ。その背景に今の状況を照らし合わせた時、別の真実が見えてくる。
議員たちをも含めたプラント市民は、散々自分たちを理知高い新種だと能弁垂れておきながら、結局ナチュラルに迫害された歴史を、乗り越えることままならず引きずり続けていたに過ぎなかったのだ、と。
ただシンは、そこに深い理解を示していた。
彼だってかつては、家族を誤爆したフリーダムが……キラが憎かった。過失だなどと──そんなふうに訴えられたことなんか一度も無かったが──思うことができなかった。その罪滅ぼしのためになら、この手に引き裂かれて死んでみせろと思ったことさえある。
どんなに知能が高かろうと、どんなに肉体が丈夫だろうと、自分たちには昆虫類のように『群れ』を『同一思考』で『統一』する手段なんか持っていない。つまりコーディネイターだって人間なのだ。すべての判断基準は『個人』の感情と経験にのみ委ねられ、いくら最高評議会の議員といえど道を間違えないわけがないことはパトリック・ザラの凶行で証明されている。
「評議会の連中は…」 シンは言った。「自分らが一番やりたかったことをやって多少の発散ができてきたら、今度はやったことの重みに堪えかねて、間違ったことをしちゃったんじゃないかって考え始めてるんです」
「そりゃ都合のいい話だこって」 困ったね、と同意したのはフラガだ。
「そうね」 ラミアスが苦笑いで頷く。「なんだか小さな子みたい。散々悪いことやって、自分の立場が悪くなって来たら親に何とかしてくれって泣きついて」
「……そうしてくれたほうが、デュランダルさんはいくらかマシに感じたかもしれませんけどね」 ぽつりとキラは言った。
「そうですわね」 グラディスは溜息を吐いた。「残念ながら評議会も、悪い意味でバカではない。感情任せで突っ走った『為政者』らしからぬ行動を詫びようなんて、プラントを連合の支配下に引き渡すようなもの…おまけに『自国防衛の責任を果たしていない』なんて大口叩いて追放した議長に今更ご帰還も願おうなんてのも、プライドが許しはしない。要するに、あとに引けなくなってるんですわ」
だがこの時点においてでも、評議会議員たちが揃って頭を下げに来たなら、デュランダルは笑って彼らを受け入れただろう。そして政治の席へ当たり前のように戻って停戦命令を出し、これまでプラントの指揮系統が狂っていた事実を表明した上で、無関係な連合諸国への非礼を澱みなく詫びたであろう。
そして暴露しただろう。本当の『敵』が、ファントムペインの裏に──連合の『裏』に潜んでいることを。
「のちにすべての責任を取って、辞職や粛正を受ける形になってしまうとしても、あのかたは、自身がやるべきことを成し遂げようとなさるでしょうね」
──と、聞き覚えのある、涼やかな女の声がした。
重い思考の海から引き上げてられた一同が驚いて振り向いてみると、いつからそこにいたのか、ラクスがしずしずと歩いてくるところだった。
「わたくしは、デュランダル議長を素晴らしい方だと思いますわ。だからこそ、お助けしなくては」
「ラクスッ!」
キラが声をあげて真っ先に立ち上がった。そうして傍へ駆け寄ってきた男を、彼女は懐かしそうに見上げる。
「お久しぶりですわね、キラ。あなたの鼓動は、ずっと感じていましたよ」
「ラクス…」
間違ってもミーアではないし、会いたいと思うあまりに自分が作り出した思念体というわけでもない。落ち着いた気品あるその微笑みを見たキラは、わずかに息をのんで目を伏せると、黙って女を胸に抱き寄せた。感極まって零れた涙が頬を伝う。
「よかった、ラクス…ほんとによかった」
「あらあら…」 はじめこそ少し困った顔をしていたけれど、彼女はすぐに笑みを取り戻し、彼の柔らかな髪を梳くように撫ぜた。「まだ何も終わっていませんよ、キラ。涙は最後まで、とっておいてくださいな」
「ラクス様…」 バルトフェルドがぽかんとしている。「いったい、いつ──」
「つい二時間ほど前ですわ」 キラを宥めるように離し、ラクスは言った。「傷のことでしたらご心配なく…目覚めた時こそまだ癒え切っていませんでしたが、もう治っていますから」
さすがは回復特化、アスランと並んで能力者の命綱と呼ばれるだけのことはある。目覚めた時にはどの程度の物だったかはもう聞かないとしても、寝起き一発目で瀕死の怪我人を完全回復とは、そうそうできる芸当ではない。
「久しぶりに皆さんにお会いするものですから、支度に少し時間をとりすぎてしまって」 ふふ、と彼女はちょっと恥ずかしそうに笑った。「ゆっくりお風呂で身なりを整えていたら、出てくるのが少し遅れてしまいました」
時間、という言葉を聞き付けたグラディスが、ふと壁にかかったアナログの時計を見上げる。時は日の出の刻であった。
「時間がないわね」 彼女は言った。「シン、結論を聞くわ。私たちは、何をすべきなのか」
「ザフトの主要基地を、ミネルバで叩きます」
シンは言われたとおりに結論を先に述べた。しかしそれは説明省いた分、あまりにも突飛しすぎていた。結論を言えと言ったはずのグラディス本人までがたまらず絶句する。
「アスランがプラントで行動を起こして、議長救出作戦がクーデターレベルになったら、こっちも地球ででかい騒ぎを起こしてやるんです」 シンは言った。「特に最前線になってるような大きな基地ほどいい。ただでさえ自分らの理念とやらを見失ってる評議会が、アスランの『逃走』と基地の『襲撃』へ同時に対処できるとは思えません」
「……な…る、ほど…」 未だ絶句状態が解けないながらも、グラディスは半分ほどは納得したようだった。
「連合だって一緒です」 シンは畳みかけた。「いくらミネルバとアークエンジェルが『戦犯』扱いになったからって、そのミネルバに襲撃を受けている…要するに『同士討ち』をしてるザフト基地へ救援に行くような態勢は、連合にはまだできてないはずなんです」
「面白いことを言うようになったじゃないか、坊主」 フラガは、今にも漏れそうな笑いを堪えているようだった。「確かに、つい先日まで互い憎しでやりあってた者同士、いきなり手を取り合えるはずがない。逆に、様子を見ようものならどんどん『結託』が強まるばかりだ、奇襲をかけるなら今しかない」
「おれに作戦があります。これが上手くいけば基地を制圧した上で、プラントから脱出したエターナルが撃沈されるまでに、ミネルバとアークエンジェルを宇宙へ上げることができるはず──」
「──通じた」
と、唐突にキラが言った。その言葉の意図するところを誰も理解できなかった一瞬後、彼の足は中空へ浮き上がり、造り出した黒い球体に包まれる。改めてキラの『進化』を目の当たりにし、どう見ても胸を痛めているようにしか見えない顔でラクスが何か言いたげに息をのんだけれど、邪魔になることを懸念してか何も言わなかった。
「ディアッカ、聞こえる?」 キラは言った。
『え、もしかして姫さん?』
その場に居る全員の耳に、答えるディアッカの声が聞こえてきた。キラが媒体を務めてくれているのだろう。
「プラントから例のジャミングが消えた」 キラは率直に言った。「そろそろアスランも『目を覚ます』と思う。一度、連絡を入れてみて」
『オーケー了解、こっち側での連絡網は任せておいてくれ。ちなみにこれ、制限時間とかありそうなわけ?』
「わからない…でも、少なくともいきなり回復することはないはずだ。今のうちにそっちの能力者でネットワークを構築して、今後のことを取り決めておいてほしい。それから…こっちではラクスが目を覚ましたよ」
『マジでっ? グレイト!』 心底嬉しそうな声が返ってくる。これはテレパシーの向こう側で指の一つも弾いているだろう。『アスランが正気に戻ってそうなら伝えるよ!』
「あっ、あのっ!」 今にも通信が終わってしまいそうだったから、シンは慌てて声を飛ばした。「レイはそこに居ませんか? 話せるなら、一言だけでも…っ」
『悪い』 ディアッカは申し訳なさそうに言った。『俺は、今はもうジュール隊の任務に戻っててね。彼は今、クライン派の皆サンと一緒に行動中だよ』
「…そ、う、ですか…」
声を聞けるかもしれないという期待をあっさり打ち砕かれ、シンは自分でもわかるほどがっかりした。彼がプラントに発ってまだ一週間も経っていないというのに、もう半年ほども会っていない恋人のように恋しい。
彼が帰ってくればまた顔を突き合わせる毎日が戻ってくるはずなのに、それを最後の機会のように感じたのは何故なのか、シンは深く考えなかった。ちょっとした不安くらいに思って、縁起でもないと打ち払い、気を取り直してしまった。
──話ができたところで、運命が変わったわけではない。だから、むしろこの時に話せなかったことは、ある意味では救いだったのかもしれない。
シンはのちに、デュランダルからレイの死を告げられる。
そのとき彼は、痛く、懐かしく思い出すのだ。
あの少年が、掛け替えのない同胞であったことを。
自分にとって、彼こそが最高の理解者であったことを──。
NEXT.....(2017/09/18)