FATAL ASK 35.奪還
こんなものを履くのは久しぶりだな──。アスランはそんなことを考えながら、インラインスケートで公道を疾走していた。
言っては何だがプラントは狭い。よって交通規制や要所の封鎖は地球国家とは比較にならない速さで成立してしまい、今や赤を着る必要もなくなったアスランはいつもの黒い上着姿で、軍用車も含めた数台の車に追われて、さながらカーチェイスのような攻防を展開している。
およそひとつきぶりのチカラの行使は、なかなか感覚が戻って来ない。このスケートを併用することで、本来であれば列車にも並んで走行できようスピードが出るはずなのに、今のアスランは車を引き離すか否かの速度がやっとだ。背後からの銃撃にしても、数発で崩れる程度の結界しか張ることができない。
長引けば不利になる。しかしアスランとて、まっすぐ逃げるだけの無能ではない。
浮遊を発現させながらスケートのサスペンションで大きくジャンプし、街灯のポールにローラーを引っ掛けて遠心力をつけることで更に離れたビルの壁へ着地し、そしてそこから壁を走って別の大通りへ逃れることで、二本も三本も道を離すことに成功する。
『アスランッ』 ディアッカの声がした。『いきなりやってくれるじゃないのっ』
「すまない、想定外の事態になった」 心底申し訳ない気持ちでアスランは言った。「そっちはどうだっ、ハイネと連絡はついたのかっ?」
『問題ナシ! もうすぐそっちに──』
ディアッカの言葉が終わらないうちに、ゴォッとものすごい風が頭のすぐ上を通り過ぎていく。風圧に吹っ飛ばされそうになって、何事かと見上げたアスランの目に、眩い黄昏の色をしたグフが後方へと大きく旋回していくのが見えた。
あれは──。
「ハイネッ?」
『お待たせアスランッ、助けに来てやったぜ!』
聞こえてきたのはマイクを通した声ではなく、頭に響くテレパシーだ。ディアッカが中継してくれているらしい。グフはアスランのはるか後方へ回り込むと、やっと別の道から大通りへと出てきた追っ手の群れに向かって実弾のライフルを一発お見舞いした。
ハイネの狙いはあくまで正確で、車に当たることは決してなかった。しかし巨大な砲弾ともいえたそれの直撃を受けた道路は衝撃波で爆発を起こし、次々と車両をその爆風で薙ぎ倒す。
グフはそんな惨事の真上を通過し、スピードを落とすことなくアスランに向かって突っ込んでくる。
相手の意図するところを、彼はすぐに理解した。スケートを元の靴に戻して大きくジャンプしたアスランを、伸びてきたグフの手がキャッチしてかっさらう。そのまま加速されるであろうことはおよそ解っていたので、すぐに前方に結界を張って、彼は自身のガードに努めた。
「バカなのかっ」 アスランは叫んだ。「曲がりなりにもプラント防衛の任に就いているフェイスが、市内でMSを乗り回した挙句、火器まで使うなんて!」
『このくらいしないと追っ手は振り切れないだろっ!』 ハイネは一切悪びれたふうもなく言った。『そもそも向こうは超能力を悪用して戦争の手引きをするような輩だぜ、そろそろこっちもホンキ出して行かなきゃ、やられっぱなしじゃハラのムシが治まらないってもんだ!』
手段にかなりの難こそあれど、こいつほど『柔軟』に、今の事態を捉えることができたならどんなかにラクだったろう──。アスランはつい遠いところを見てしまう。
自分たちの行動が正しいかどうかは判らないとしても、少なくともデュランダルの思想が『間違っていない』ことを示すには、兎にも角にも彼を救出して彼が成そうとしていたことを成させるより他に無い。そのためにならばテロリストと呼ばれようが、同胞たるザフトに追われようが、致し方ないというわけだ。
この世は結果がすべて。終わってみれば誰もが気付くだろう。今まで自分たちが、強大な悪意の手で踊らされていたことを──。
『アスラン。議長はアプリリウスタワーの執務室に幽閉されてる』 ハイネが言った。『今から俺がおまえをそこに突っ込んでやるから、そのまま議長を連れてシャフトタワーの宇宙港まで来いっ』
「おまえはどうするんだ、ハイネッ」
『クライン派の皆々様が、宇宙港にエターナルを回して下さるってんでね! 俺はそっちの防衛に就くから、おまえは議長と一緒にエターナルに入ってくれ!』
『悪いけど、俺はこのままジュール隊の任務に戻らないとだから、行けない』 すまなそうにディアッカが言った。『間違っても俺らの隊の目の前を通過しようとなんてするなよっ、撃墜しなきゃならなくなるからなっ!』
「善処させてもらうさっ」
アプリリウスタワーがどんどん近付いてくるに連れて、アスランは集中を高める。突っ込ませる、と言ったハイネの言葉をそのまま受け取るなら、本当にあの一部を突き破ってデュランダルが居るポイントへ直接アスランを送り込むつもり満々だ。『イージス』レベルの結界が無ければ、その衝撃で自分はミンチにな
る。
久々の一発目が、自分がもっとも得意とするそれで良かったと心から思いながら、彼は立ち上がり、両手を前方へ掲げて結印した。
──ドクンッ。命令文読み上げに向けてチカラが高まる感覚にすら違和感があると思ったら、いきなり心臓が強烈な鼓動をひとつ打った。アスランはたまらず呻き、反射的にそこをぐっと押さえてしまった。それが命に迫る危機感をもはらんだ、非常な異変であることが瞬時にわかる。
『アスランッ』 ハイネが言った。『どうした、行けるのかっ?』
「し、心配ないっ」 アスランは咄嗟に言った。これができなければ、その時点で終わりなのだ──。
大きく一呼吸を置いて、彼は心にわきあがるままの命令文を読み上げる。
「此の腕に於いて悠久の安らぎを得し、甘く愛しき双つの闇よ!」
え──。アスランは自分で声に出しながら、その形式の大幅な改変に戸惑った。
「我が力と存在に新たなる意義を! ならば我は、今こそ汝らを護る盾と成らん!」
何だ、この命令文は──。答えのない疑問で頭がいっぱいになりかけた彼が掲げた両手の先で、赤い光が大きな円を描いて平面のバリアとなる。『イージス』そのものは問題なく起動するようだ。
『頼んだぜアスランッ』 ハイネが叫んだ。
耳をつんざく凄まじい破壊音がすぐ横を通り過ぎていく。幾重にも組まれた強靭な鉄骨も、銃弾も通さない強化ガラスも何のその。グフの腕はタワーの上層階をぶん殴って大穴を開けると、それで清々したとばかりにあらぬ方向へと飛び去って行く。
異常を知らせる警報と、災害を通知するベルの音がやかましい。グフの手のひらから転がるようにして床へ伏していたアスランは、軽い衝撃波を起こして周囲の煙幕を薙ぎ払うと、目的の姿を探した。
「議長っ! どちらにいらっしゃいますか!」
「──ここだよ」
聞こえてきたのは紛れもないデュランダルの声だ。彼は爆風に吹き飛ばされながらも完全に原形を保っていた、しっかりとした造りの執務用デスクの陰で難を逃れていた。やはりこういうところに安物は使うべきではないな、と、どうでもいいことを再確認してひとりで頷いている。
「ああ議長、ご無事でっ」 アスランは心底ほっとして彼に駆け寄ると、その身体のどこにも怪我や異常が無いことを確かめた。もとよりデュランダルは能力者だ、あくまで自分が狙われたわけではないのなら、このくらいの爆風は自力で防ぐこともできる。それにカナードの『魅了』も通じないからこそ、こういう場所に幽閉されていたのだ。
「なかなかド派手なご登場だな、アスラン君」 どこか嬉しそうにデュランダルは言った。「これで我々は、晴れて名実ともにテロリストと言うわけだ」
「そんなこと言ってる場合ですかっ」
こいつはキラ以上のマイペースだ、と改めて痛感しながら、アスランは懐から銃を抜いて弾を確認した。戦いの対処のほとんどをチカラに頼るようになってからは滅多に使う機会がなくなっていたが、さっきの『イージス』起動の時にも然り、今日は調子がおかしい。こういうときのチカラは不用意に使わないほうがいい。
今はこの無骨な武器と、袖口に忍ばせた予備のナイフだけが彼の命綱だ。
そのとき、バーンと木製の大扉が開いた。何事かと振り向いたアスランが銃を構えたその視線の先で、何人かのザフト兵が駆け込んできたかと思えば左右に展開し、廊下へ向かって幾度かの銃撃を行なう。その中にひとり、赤をまとった金髪の少年が混じっていた。
「レイ!」 まさか、とデュランダルが声を上げた。
「議長、ご無事でっ」 さっきのアスランとまったく同じことを言って、レイは肩越しにデュランダルを振り向いた。よく見てみると、同行しているザフト兵のうちひとりはマーチン・ダコスタだ。
今や世界のお尋ね者であるミネルバの乗組員であるレイにも、指名手配はかかっていたはずだ。それがディアッカの帰国に合わせたとはいえすんなりとプラントへ入れるなんておかしな話だと思っていたが、どうやらクライン派がいよいよ本格的に動き出しているらしい。自分たちの導き手たるラクスが地球で目を覚ましたことをディアッカ経由で聞き付けて、彼らもついに立ち上がる決意を固めたのかもしれない。
「間もなくアプリリウス宇宙港に、エターナルが最接近します」 ダコスタが言った。「時間がありません、急いでくださいっ」
「なら、活路は俺が開くっ!」
言うが早いかアスランが、銃撃が瞬間的に途絶えた廊下へと飛び出した。この膠着状態がしばらく続くものと思っていたのだろう、向こう側に居た兵らがぎょっと驚いたところへダッシュをかけると、ひとりの手元に蹴りを見舞って武器を落とさせたところで胸に二発銃弾を叩き込み、続く二人目の顎を突き上げるようにして発砲し沈黙させる。
デュランダルやキラは可能な限り殺したくはないと言うだろうけれど、そんなことを言っているうちに他の者たちがハチの巣にされるのは目に見えたこと。そもそもチカラも持たない人間を殺したくないなど、極めて高い優越を持つ能力者視点もいいところだ。そこを早くに割り切っていたアスランに迷いなど微塵もない。至近距離で自分の頭を狙ってきた三人目の額へ向かって、彼は躊躇なく発砲していた。
現時点での追っ手であった三人が片付いたのを確かめ、レイたちはデュランダルの前方を固めるようにして執務室から出てきた。アスランは彼らについて来いと手で合図すると、先頭に立って走り出した。
プラントを発つ前からここで長いこと生活させられていたせいもあって、このタワーの中身は、目を閉じればその細部までが浮かぶほど鮮明に覚えている。アスランは曲がり角のたび、その先に誰も居ない事を確かめながら一同を先導して走った。その横にレイが並ぶ。
「さすがは元トップエースですね、あなたが味方で心強い限りです」
「耳が痛いよ」 アスランは自嘲気味に言った。「クライン派は、いったいいつからこの奪還計画を?」
「そんなの、あなたが寄宿舎から逃げ出した今朝に決まってるじゃないですかっ」 後ろからついてきていたダコスタが言った。「あなたと来たら、我々がどんなにサインを送ってもガン無視で、しばらく様子がおかしかったですからね。不用意に動けばあなたが敵に回るかもと思えば、慎重にならざるを得ませ
んでした」
「も……申し訳ない」
アスランは心の底からすまない気持ちで謝った。
半ば予想していたことだったが、やはりミーアのSPの中にクライン派の関係者が紛れ込んで、彼女の様子を監視してくれていたらしい。誰も能力者ではないから、万一にも彼女がチカラを発現させていたらどうにもできないところだったが、それと合わせて自分の様子まで見ていてくれていたとは、これは恩に着なくてはならないところだ。
「でも、あなたがミーア・キャンベルの説得に失敗して逃走したことを受けて、我々はあなたが『正気』に戻ったことを察知できた」 ダコスタは続けた。「そこからはほとんど対症療法ですよっ。ヴェステンフルス隊長が機転を利かせてくれたおかげで、地上からタワーを駆け上がるステップは省略できましたけどねっ」
グフが派手に飛び回ってくれたおかげで、タワーを警備していたザフト兵の注意がほとんど外側へ向き、突入班であったダコスタやレイから注意を逸らす結果になってくれたらしい。ここまでを読んで行動してくれていたならハイネも大したものだが、彼の言葉を思い出すに、おそらく本当に『ハラのムシ』が命じるままに行動したのだろうなとアスランは思った。
「ミーアの説得?」 物陰で見張りの有無を確認する隙間で、デュランダルが言った。「どういうことだ? 彼女は今、どうして──」
「申し訳ありません、議長」 アスランはまた心から謝った。いっそ土下座したい気分だ。「彼女はラクスの覚醒に対して強く動揺し、彼女の帰国を拒む旨を示しました」
「アークエンジェル関係者を、きっぱりテロリストと断じもしましたね」 ダコスタが付け加える。「現評議会の言うことを、完全に真実だと受け止めているのでしょう」
「…いや」 アスランは苦い表情で言った。別れ際に見た、その必死の涙が脳裏をよぎる。「おそらく彼女は、『本物』のラクスに成りたかったんだ」
「え──?」
一同がそんなまさかと絶句する。ここに居る者たちは、誰も『ラクス・クライン』を唯一無二の女神のように考えているから解らないかもしれない。だが、彼女の言動を思い返せばそれほどに、それ以外の理由が浮かばないのだ。
どう考えも無理のある評議会の『言い分』を全面的に肯定し、ジブリールの怪しげな提案をも飲み込んで、彼女が手にしたのは途方もない『栄光』だった。
会場を埋め尽くす声援、憧憬。そして隣には素晴らしい婚約者……ラクスに声色が似ているというだけの、ただの一介の少女にその光はあまりにも強すぎただ。一度手を染めれば二度と抜け出せぬ危険な薬物のように、彼女は自身の脳が放った強烈な快感の虜になってしまった。
キラのチカラの根源は、キラを生み出したすべての存在──実父である科学者と、その研究に賛同し出資した国家、助力した人工子宮の設計者など世界中に散らばる人間がキラに込めた、研究の成功に代わる『栄光』のウラに棲む、欲望という名の莫大な『悪意』である。しかし人間は、アスランやラクスですら究明に長い時間をかけたように、その素晴らしい輝きを眩しく見上げこそすれ、『裏側』が存在するなどろくに考えもしない。
その点では、ミーアはまさにキラと同じ道を歩みかけていた。自分に集まる大勢の関心を見て、彼女はそれを利用しようと仕組んだ者が居ることなど考えもしないで、それが自分だけで掴んだ自分だけのものだと受け止めてしまった。
結果、成れるはずの無いものに成れると思ってしまったのだ。そしてそれは、周囲が何の疑いもなく彼女の『変貌』を認めてしまったことも要因のひとつであったろう。もはやこれは、自分たちがどこで間違えてしまったのか……という話ではなく、ロード・ジブリールの凶行こそがすべての発端だ。一同は神妙な面持ちで沈黙する。
「……彼女は『こちら』に居ることを望んだ」
ぽつりとレイが言った。その手に握った銃が、チャッと小さな金属音を立てる。
「代役を立てることを提案し、彼女を選出したのは確かに議長です。そしてそれを承認したのはヤマト准将にアスラン・ザラ……ですが、ラクス・クラインの『代役』を務めることを承諾したのは彼女であり、今ここで我々をテロリストと断じ、袂を分かつ決断をしたのも彼女の意思です。我々が後悔して、どうとなる話ではないでしょう」
もっともだ。ひどくもっともな合理的結論だが、人間には『気持ちの問題』という非常に厄介なものがつきまとう。そしてこういう時の働く心理として、誰もが頭ではレイの言い分がもっとも正しいことを認識していたけれど、彼らはどうしても自分にも非があるように考えようとして止まない。
ダダッと駆け抜けていく大勢の足音の陰で、アスランは身を縮めた。さすがに『戦犯』デュランダルの逃亡を許してしまっただけあって、内部の警備はあっと言う間に厳しくなってしまっている。緑服ばかりでなく、赤服も何人か混じっているようだった。このまま時間をかけすぎては、ジュール隊がこちらの宇宙港へ対応に回されるのは時間の問題だ。
「…アスラン」 と、レイが耳打ちした。「あれを」
少年が視線で示したのは、先のホールの奥に設置された貨物用の大型エレベーターだ。恐らくは地上から物資を宇宙港へ上げるためのものだろうから、彼らの目的地へ直結しているだろうと窺える。人が乗ることを前提に作られていないだろうが、人も貨物もこの際変わらない。
瞬間的にアスランは、脳内であれに自分たちが乗り込むまでをシミュレートした。自分が切り込んで警備兵を攪乱するとともにエレベーターを呼び、レイたちに後方支援を任せればこの一角を一時的に無人にすることは可能かもしれない。増援が来る前に乗り込むとして、時間は数分もかけられない。
「──行くぞっ!」
唯一放ったその言葉をすべての合図にして、アスランは飛び出した。カツッ、と響いた靴音に気付いた警備兵が一斉にハッと振り向き、手にした銃を撃ってくる。だが一発も当たらない。アスランはとっくに靴をスケートに変えていて、前進のスピードも去ることながら壁への接地から頭上の追い越し、背後に回り込んでの銃撃と、キラにも匹敵するとんでもない速さで数人を撃ち殺していた。
誰もが彼に追い付けなかった無音の刹那、続いて駆け出したレイとダコスタ、そして応援の数人が狙いをすませて発砲し、次々と見張り兵は倒れていく。
エレベーターの操作盤は、本機から離れたところに設置されていた。バンッ、と手のひらを叩き付けるようにしたアスランがボタンを押すと、大きなブザーが鳴って扉が開いた。ありがたいことに箱はこの階で停まっていたらしい。
「議長! みんな、早くっ!」
アスランの号令を受けて、SPたちに前後を護衛されたデュランダルが最初にそこへ駆け込み、アスランが、ダコスタが続く。最後に続くのはレイ……の、はずだった。
だが彼は中へ滑り込んでは来なかった。操作盤の前で足を止めると、ボタンに手をかける。ビーッと響く大きなブザー。扉が閉まる合図だ。
「え──」
アスランはまさかと思った。慌てて内部を見回すと、内側にもあるはずの操作盤がどこにもない。
搬入用の、正真正銘の『貨物用』だったこのエレベーターは、本当に人が乗ることを考慮されておらず、内部から操作できるようになっていなかったのだ。
まさかあいつ、最初からわかってて──。唖然としていた彼はハッと我にかえった。ホールの向こうの廊下から駆けつけてくる複数の足音。増援隊だ。
「レイッ!」 デュランダルが声を上げた。「まだ間に合う、こっちに──」
「申し訳ありません、議長」 レイはいつもとまったく変わらない、沈着そのものの声で言った。「自分が手を離せば扉の閉鎖も止まります。あなたは必ず、私がエターナルまで送り届けますのでご心配なく」
そういうことを言っているのではない──誰がそれをつっこむより早く、無慈悲極まりなく冷たい扉は閉じてしまった。何の余韻も、心の準備もない。防音も何も施されていない、動き出した四角い密室に、マシンガンと思しき外からの銃声が幾重も聞こえてきた。
脚の力が抜けたようにデュランダルがその場に膝をつく。
普段は明晰極まりない彼らしくもなく、何が起きたのかを理解しきれていない顔だった。
自分は、シンの救いになれていただろうか──。エレベーターの閉鎖ボタンを最後まで押し込んだまま、レイはそんなことを考えていた。
アル・ダ・フラガのクローンであるラウ・ル・クルーゼ、その更なるクローン体。テロメア問題の解決のために多数行われた実験の産物が自分だ。結局はレイをも含めたクローン研究そのものが失敗に終わり、あとにはカプセルの中で目覚めることなく死にゆくだけの『兄弟』たちと、寿命の短い自分だけが残された。
何故自分が、こんな思いをする羽目になっているのか。答えのない疑問を繰り返した果てにレイが見出したのは自己の否定だった。結局自分は生まれてくるべきではない存在だった、生まれても意味のない存在だった。だから生きることに意味など無い、誰も救えず誰にも救われない、感情の伴わぬ手で無機質に造り出されただけなのだから──。
それはある意味、大切にしていた何もかもを全部失った当時のシンと似た心境だったのかもしれない。だからこそ、レイは誰よりもシンの考えていることを理解できた。彼に必要なものが何であったのかを察してやることができた。求める言葉を与えることができた。
途方もない否定を繰り返し続けた彼らが真に求めたのは、他人の手だ。レイはシンの求める存在に成れていただろうか。デュランダルの役に立てていただろうか……今際の際とも言えた今この時、彼の自問に答えるのは、『あの日』のデュランダルの言葉だ。
『人の生死は所詮、早いか遅いかに過ぎない。すべての人間は生まれると同時に、すでに死を予告されている。ならば、その「間」をいかにして埋めるのか、その「期間」にいかなる意味を見出すのか。……それは君自身が考え、選んでいいことなのだ』
だったら、彼はもう満足だった。
信頼のおける人間にデュランダルを任せ、その安全を護るための扉をこの手で閉じることができた。ここから先を共に歩めなくても、まだ生きることができるあなたを未来へ送り出すことができた。それだけで、彼は本当に充分なのだった。
だから背後から迫る多数の足音は、彼に恐怖を与えるには至らない。手にしていた銃を一発撃ち込んで操作盤を破壊した彼の表情は、どこまでも穏やかだった。
「ギル…どうか…」
彼の呟きは、空気も読まず背後から放たれた無数の銃声に掻き消された。
血と硝煙の匂いが鼻につく。膝から一気に力が抜けた彼は、自分が倒れ込んでいくのを感じながら、ゆっくりと目を閉じて思いを馳せた。
どうかあなたは、最後まで、生きて──。
エアロックの『誤作動』でアプリリウス港から射出された小さなシャトルは、そのすぐ脇を高速で駆け抜けていった鋭利な形状をした大型艦の緊急着艦システムに導かれて艦内へと消えていった。港からは続々とMS部隊が飛び出して来たが、すでに周囲を固めていたヴェステンフルス隊の数少ない精鋭たちが迎撃を行ない、後方でいくつかの爆発が上がった。
「この艦にMSはあるか?」 ブリッジへの扉を通りながらアスランは言った。「準備ができ次第、俺も出る。いくらハイネの部隊でも、このあと出てくる大型編成の追っ手はさすがに振り切れない──」
「あ、アスランさんっ、デュランダル議長っ!」
と、聞き覚えのある女の声がアスランを出迎える。誰かと思って見てみれば、赤い髪の少女が嬉しそうに笑っている。ルナマリアの妹、メイリン・ホークだ。
「ご無事で本当になによりでしたっ」
席を立ち、ふわりと寄ってきた彼女は言った。傍で見てみると、緑の軍用制服の緩めた襟からは包帯が覗いている。まだ肋骨の骨折は癒えておらず、ギプスを外すには至れていないらしいが、無重力の場所でなら何とか動けている…という印象だ。
「メイリン、なんで君がこんなところにっ」 アスランは驚いて言った。
「だ、だって」 メイリンはちょっと困ったように言った。「あ、あたしだっておねえちゃんのこと心配でしたし…、議長やミネルバがテロリストの手先だなんて、そんなのとても信じられなくて」
言っていることにはそこそこ正当性はあるが、やっていることは完全にテロリストのそれなのでどうしようもない。アスランは軽い頭痛がするのを無重力酔いだと思うことにした。
「アスラン君」 と、デュランダルが言った。「このあと我々は、君が言う通り大型編成隊に追われることになるだろう。ジブリールのことだ、私や君を確実に殺せるこのチャンスを逃すとは思えない。振り切る策はあるのかね」
「……少なくとも」 アスランはぽつりと、呟くように言った。「私にはありません」
メイリンとダコスタが、そんなバカなと言うように絶句する。
その心境はごもっともだが、アスランだってこの流れは唐突過ぎてあれこれと考えている隙はまったくなかった。今はクライン派に属するMSとともにハイネの部隊だって飛び回ってくれているからいいようなものの、このあと戦艦が三隻もやってくれば、自分たちは間違いなく包囲されてタコ殴りだ。
本当ならクライン派との合流にしたってもっと水面下で確実に行なうつもりだったし、エターナルに乗って逃げるにしたってより確実な手段や人員配置をすることも考えていたというのに、ここまで来てはあとの祭りもいいところである。
「だが」
しかしアスランにはひとつ、希望の灯火のように胸の内で小さく光るものがあった。
ディアッカが最初に言っていたのだ。姫さんがそろそろだって言ってたから──。
「きっと、アークエンジェルとミネルバが上がってくる」 何の根拠もないのに、アスランは確信めいて言った。
「……では、私はそれを信じることにしよう」
デュランダルがあっさりと頷いたのを見て、周囲のクルーたちはいよいよ怪訝な顔をする。
しかし、だからといって逃げる場所はどこにもなかった。この艦が光速でも出せない限り、追っ手を振り切ることはもはやできない。それなら今更どこへ行こうと同じこと、せめて希望が示された方向へ、全乗組員の命を彼に押し付ける形になったとしても、アスランを信じてみたっていいかもしれない。
いや、そうするより他にもう道は無いのだ。
「こうなったらヤケクソってやつですね」 ダコスタがひらりと座席を越え、席に着く。「ラクス様のために、どこまでもご一緒しますよ臨時艦長殿!」
「推力最大、まずはL5宙域を離脱する!」 アスランは言った。「最終到達座標はオーブへの降下ポイントに指定、追っ手が編成される前に、可能な限り距離を稼ぐんだ!」
そこで誰にも合流できなければ──。
自分たちは、終わりだ。
NEXT.....(2017/09/14)