FATAL ASK 32.誤解
『守って……』
暗い闇の底から、身体の内側に声が反響する。
何度目だろう、この苦痛は。ルナマリアはぎゅっと目を瞑って身体を丸め、その時が過ぎ去るのをただ待つことしかできない。
『守って……お願い、守って…』
嫌よ──! 彼女は心の中で何度も叫び、抵抗した。嫌よ、あたしはあんたの自由になんかされない。あたしは仲間を撃ったりなんかしない、あんたなんか守らない──!
メイリンを殺しかけ、ラクスにおぞましい傷を刻んだ者たちの、『そちら側』へ呼び込む声。
奴らはプラントを混乱の渦中に叩き込んだどころか、チカラを悪用して次から次へと人を殺し、キラやアスラン、そしてシンの心を何度も傷付けた。誰がそんな奴らの思い通りになんかなってやるものか。そうなるくらいなら死んでやる──彼女はそれだけの決意をもって、いつでも舌を噛む覚悟を決めていた。
いつもなら、どのくらいか明確には判らないにしろ、耐え続ければ疲れたように声はやがてしぼんで消え、また無音の時間が訪れていた。彼女は周囲が静かになったことに安堵して、また長い眠りにつく。自分が生きているのか死んでいるのかも判らないこの空間で、その時間は唯一、自分が生きていることを実感できる時だったのかもしれない。
けれど、今日は違った。
「お願い、お願い…」
と、不意に、そこら中に響き渡っていた不快なサイレンのような声がクリアになった気がした。状況の変化を感じ、ルナマリアは耳を塞いでいた手を離し、そっと、窺うように身をもたげる。
「なに…?」
そこに、少女が居た。
淡い色の瞳を潤ませて泣いていたその娘は、ルナマリアと目が合ったのを確かめると嬉しそうに笑って、そして。
「お願い……シンを、守って──」
いきなり目の前に、白く眩しい朝の世界がひらけた。
少しだけ開いた窓から吹き込む磯の匂いと、海風にそよぐレースのカーテン。窓際のサイドボードに添えられた小さな花瓶には、パーソラルカラーがレッドであった彼女のために赤いバラが挿されている。
ピッ…ピッ…ピッ……ずっと、ずっと耳に電子音が聞こえてくる。それはちょっと耳障りだったが仕方がない。何せこの音が停まる時は、ルナマリアの心臓や脳の活動が停止するその時に他ならないのだから。
眩しい──。ルナマリアは何度となく、まばたきをした。
白い天井、壁、窓。
世界が見える。
肌が風を感じている。
感動も余韻もない。ただ呆然と、彼女は長いこと目の前の光景を眺めていた。
何の前触れもなく、彼女は唐突に目覚めたのだった。
「よう」
シンを深い意識の底から現実へ引っ張り上げたのは、ロアノークの気さくな声だった。
海底ドックの休憩室では、時間の経過を知るには時計を見るしかない。外ではとっくに陽も落ちた頃になって、今後の方針を決めた仲間たちがすっかり散会し各々の役目や持ち場、やるべきことへ戻っていったあとも、そこにはずっとシンが残っていた。
ほら、とロアノークは手にしていたカップを少年に差し出す。ほんのりと甘味を含むミルクコーヒーの匂いがした。
ども、と小さく答えた相手がカップを受け取ると、ロアノークはその隣に腰を下ろす。
「ここの奴らはどうかしてるよ、まったく」 彼は苦笑いで言った。「連合の捕虜を、しかもファントムペインの元司令官を、こうしてどこにも拘束しないで平然とウロウロさせてるんだから」
「……あんた、キラやアスランと知り合いだったんだろ?」 シンは言った。かねてより、気になっていたことを含めて。「信用があるんなら、当たり前だと思うけど」
「知らないよ、あんな連中」 冗談はよしてくれとロアノークは言った。心底困っているらしいことは顔つきでわかる。「名前も階級もカンペキ間違われてるし、あいつらの仲間だったって言うんなら、それじゃあそもそも何で俺はファントムペインなんて組織に居たわけ?」
「洗脳されてんじゃないのか? あんたも」
本当に何の気なしであることが見て取れるほどあっさりと、しかしこれしかないと言うようにシンが放った一言で、ロアノークの溜息が中途で止まった。そのまま、そんなまさか、とばかりに顔を上げてシンを見るが、シンとしてもそんな顔をされたって困る。
ファントムペインの所属者は、ステラにしろアウルにしろスティングにしろ、本来の経歴を抹消されてその手先になるようマインドコントロールを施された者ばかりだ。ただガーティ・ルーの乗組員の中には正規軍の所属者も居たから、実質的に『ファントムペインの構成員』と呼べたのはこのロアノークと『三賢者』のみだったと言えよう。
他の三人が洗脳されているのが当たり前すぎて、ロアノークは考えてもみなかったのだ。
自分もそうではないのか──なんて。
「なあ坊主……もしそうなら、それ、解けないか?」 ロアノークは言った。
「はあっ?」 まさかここで自分のチカラを必要とされるとは思わず、シンの声量が上がる。「じょ、ジョーダンだろ、キラやアスランならともかく、おれがあんたの頭に干渉しようとなんかしたら、間違って吹っ飛ばしちまうよっ。『視』てもらいたいんなら、キラのところに──」
「その准将殿だけど、少し前にぶっ倒れたらしいぜ」
「はっ?」
「『過労』だってさ。まあ当然っちゃ当然だわな」 ロアノークはまるで自嘲するかのように笑った。「アークエンジェルとミネルバなんて大質量を、おまえや自分の機体も含めて超長距離瞬間転移……普通に考えたら無茶もいいとこだ」
プラントを出る前はあんなに気にしていたミーアの『状態』と、同志戦友として長らく連れ添ってきた『ラクス・クライン』の『路線変更』を目の当たりにしてもいやに反応が薄かった彼の様子は誰もが気にしていたけれど、実は体調が悪かったせいらしい。
ついでに転移の直前、キラはミネルバやアークエンジェルに向けて放たれた無数の砲火を目にも留まらぬ速さで薙ぎ払い、それが間に合わないと判断すればバリアをも張っていた。どんなに優れた戦闘力があったところで所詮は『個人』。替えが利き、大勢から成り立つ軍隊では決してない。
自律遊撃をしているよう
に見えるドラグーンでさえ、結局は彼の一部だ。『やっている』からといって、それが『当たり前にできること』とは限らない──立ち話をしていた関係者たちが、彼のことはしばらくそっとしておいてやるのがいいと言っているのを、ロアノークは小耳に挟んでいた。
まさか、キラ──。シンは、そんなキラの異変の原因にすぐピンと来た。そして彼の考えていることが正しいなら、キラの異変は『デストロイ』の戦闘中からすでに始まっていた。ステラのことにばかり気を取られて、何であの時に気付かなかったんだと自分を責めても今更だ。アスランが『いない』今、もっと、おれがもっとしっかりしなきゃいけないのに──。
「すべては自分の至らなさゆえ……」
ロアノークがぽつりと言った。えっ、と弾かれたように顔を向けるシンに、男はこれまた渋い苦笑いを見せる。
「そう思ってるならさ、ちょっと考えを改めたほうがいいぜ」
「な、…っ、なんだよ、あんたにそんなふうに言われる覚えは…」
「顔に書いてある」 ロアノークはずばりと言った。「キラが倒れたのはおれのせいだ、ってな」
完全に思考を言い当てられて、シンはたまらず怯んだ。
ロアノークもマイノリティだということは彼を見た瞬間に判っていたが、こいつのチカラはディアッカのそれよりも弱い。どんなにシンが精神防護を不得手としていても、こいつは相手の思考を読むような真似がそもそもできるレベルではない。
だからこれは、心を読まれたのではなく、人間として見抜かれていた──ということだ。
「おまえさ、『チカラ』を中心に考えすぎなんだよ」 ロアノークは言った。「自分にできることなんて、もっと近くに、いくらでもあるんじゃないか?」
「お、おれにできること…? で、でも、おれ…治癒も使えないし、バリアもロクに──」
「だからそういうことを言ってるんじゃなくてさ。おまえはまだ十六かそこらだろ、そんなガキがこんな状況下の戦場に出て、最善の行動や結論をいつでも引っ張り出せると思ったら大間違いだっつってんの」
「でも、キラやアスランはっ」
「おまえはあいつらじゃないだろ?」
キラやアスランはできているんだから、自分にもできるはずだ──そんなふうに言いかけた言葉が行き場を失って舌を噛みそうになる。
「おまえのチカラは強い」 ロアノークは言った。「下手すりゃ准将殿よりもな。だけど、だからってそれはおまえがあいつより前に出て戦わなきゃいけない理由にはならない。おまえは知らないことが多過ぎる」
「どういうイミだそれはっ、おれが何の役にも立たないってことかよっ!」
「焦りすぎだって言ってんだよ」
思わず立ち上がってしまったシンの激高した様子に怯むふうもなく、呆れをも含んだ調子でロアノークはさらりと言った。
「おれは別に焦ってなんか──」
「なんでだよ。そうじゃなかったら、あいつが倒れたのは自分のせいだなんて思わないだろ。自意識過剰もいいところだぜ」
「なんだと…っ!」
あまりにも歯に衣着せぬ相手の物言いにシンが犬歯を剥いたとき、自販機の横に設置されていたクズカゴがバシンと音を立てた。ちらりとロアノークが目をやってみると、プラスチックのその横っ腹に大穴が開いている。
感情によるチカラの発露だ。シンはいま、ロアノークに掴みかかってブン殴りたい衝動を抑え切れなかった。それが別の場所で発現したのだ。ただもし本当に殴られていたら、今ごろ彼の首は無かっただろうが。
「おれがどんな思いでいるかも知らないで、よくも平然とそんなこと言えたなあ!」 シンは怒鳴っていた。
あの時の自分に、もっと何かできていたなら──そう思えてならない事態があまりにも多過ぎたのだ。キラが倒れたことにも然り、戦艦の強制転移にも然り、あるいはミーアを監視するために自分がプラントに残ることができていたなら、そもそもデュランダルの失脚や、あの忌々しい黒い男の妨害すら振り切れたかもしれないのだ。
知らないことが多過ぎる。ごもっともだ。もっと効率的な確実なチカラの使い方を知りたいと望んでも、それは『闇』の進化に相当するため、どうしても慎重にならざるを得ない。だから制御の方法に関しては、どうしてもキラやアスランといった『巧く』使いこなせている者たちの模倣となってしまい、彼らに先んじた独自のチカラを覚醒させることさえできないでいる。
焦っているという指摘も、その通りだった。キラよりも強いチカラを完全に持て余し、自分の居場所と役目を確立できないでいる。それが今のシンなのだ。
「おまえの気持ちを解ってやることなんかできないさ」 ロアノークは言った。「でもな、知らないわけじゃないさ。おまえがどんなことを考えてるのかくらい、顔を見ればだいたい判るんだよ。伊達にクセモノ揃いの『三賢者』を統率してきたわけじゃないぜ」
「何が統率だっ! あんたがステラたちにやらせてたのはただの殺戮じゃないか! 大勢殺した記憶も平然と消して、何とも思わないようにさせて、死にたくなけりゃ言うことを聞けって脅かし続けて、結局誰一人救いも救われもしなかっただろ! あんたにそんなことを言う資格はないっ!」
「──そんなことはない」
それは、真に力のある言葉だった。
激高したシンの声量を上回る怒鳴り声でもなく悲観でもなく、粛々と否定したロアノークの言葉にシンが──いや、場が無音に包まれる。
「誰も救われなかったなんて、そんなことは絶対に無い」 ロアノークは重ねて言った。「アウルも、スティングも、ステラも、……俺も、ちゃんと救われたんだ」
ロアノークはナチュラルだ。肉体の成熟速度まで速いコーディネイターが十五で認められているのと違って成人は二十歳と決まっていて、しかしそんな者たちですらまだまだ『子供』と言わざるを得ない場面がたくさんある。そんな者たちを大勢見てきたからこそ、彼は常々、精神の成熟も伴わないうちに大人の仲間入りをさせようなど、コーディネイターはどこまで自意識過剰な生命体なのだろうと呆れていた。
知識獲得の速度、情報処理能力、空間演算、コーディネイターはそのすべてがナチュラルよりも遥かに優れている。キラがその若さで職業軍人の歴々を差し置いて准将という地位にあるのは、その能力が物を言っているのは明白なことだ。
しかし人は、どんなことにも『経験』を無くして順応することはできない。
「なんでそういうこと、平然と言えちゃうわけ? 俺からしてみりゃ、おまえのほうこそ自分のことばっかりで、周りを理解しようとしてないだろ」
たった十五という若さで成人したとして、その人物はどれほどの『経験』を持っているというのか。
せいぜいが世界情勢を知らせるニュースや書物、歴史にしたってアカデミーで習い身に着ける程度で精一杯だ。既存の知識をどんなに速くモノにしたって、学校で教えてくれないことを学ぶためにはナチュラルとそう変わらない時間が必要になる。そう、それこそ一生をかけるくらいの莫大な時間が。
キラやアスラン、グラディス、あるいはレイといった『優秀』すぎる面々に囲まれてしまったせいで、シンはコーディネイターにあるまじき『劣等感』すら覚えている。チカラばかりが強くて、気が短くて、戦闘においてどころかどんな局面でもまったく役に立てていないことを自覚している。ロアノークの言葉に図星を隠し切れずきつく噛み付いてくるのも、それが原因だと彼は判っていた。
「おまえはさ、ステラを助けてくれたんだぜ。俺が絶対にできなかったことを、おまえはやってくれた。俺はそれにすごく感謝してるんだ」
「か、感謝?」 まさか想像だにしない言葉を贈られて、シンは驚いた。「……おれに?」
「ああ」 ロアノークは、長く息を吐くように頷いた。「ミネルバに連れて来られてすぐ、おまえがステラを『死』の恐怖から救ってくれたって聞いた時、俺は思ったんだよ。あいつらは『ここ』へ来るために生きてたんだって。俺は、あいつらを『ここ』へ送るために今までやってきたんだってな」
この男は、『三賢者』をただ生かし続けることしかできなかった。
もとを正せば彼らは『兵器』だ。その能力が落ちれば戦場で死に、役に立たないと判断されれば処分されて死ぬ。彼らが『生きたい』と望む以上、それを叶えてやるには『兵器』としての利用価値を上げ続けるしかない。だから彼は率先して彼らの洗脳を強め、時には残してやりたい記憶すらも削除して、彼らがより効率よく戦える状態に整えてやることしかできなかった。
そうすることだけが彼らへの救いなのだと、本気で信じていた。
彼らが生きたいと言うから、生かしてやることしか考えられられなくて。でも、それでどうなるのかという話で。年頃の子供を無残に死なせたくないから……なんて所詮キレイゴトで、ロアノークは常々自分のことを『悪い大人だ』と揶揄しては部下や研究員を絶句させてきたけれど、それは紛れもない本心で、どうしようもない自虐の片鱗なのだった。
でも、そのあまりにも無意味で空虚な連鎖に『意味』をくれたのは、シンだ。
「誰も救われなかったなんて、そんなふうに言ってやらないでくれよ。あいつらを…少なくともステラを救ってくれた奴が、自分には何もできなかったとか言うなんて、酷すぎる話じゃないか」
シンは言葉もなく、唖然と、そんなことを言って項垂れている相手を見つめた。
ファントムペインの司令官で『三賢者』直属の上官。実際に作戦内容を考案したのはもっと上層の者であろうが、決行を彼らに命じていたのは誰あろうこの男だ。
しかしロアノークは傷付いていた。どんなに足掻こうとどんなに綺麗事で誤魔化そうと、自分が『三賢者』に命じてやらせていたのは外道の行為でしかない。彼らに助かる道など最初から無いことを、ずっとずっと前から頭のどこかでわかっていたのに──。
「なあ坊主」
それなのにシンは、そんなふうに傷付いている男へ絶対に言うべきではないひどい罵声を浴びてしまった。芽生えた後悔を口に出せずにいた赤の肩口が、びくりと震える。
だが顔を上げたロアノークの青い瞳は、思いのほか優しかった。
「俺は、守ってやるべきはずの部下をみんな失った。そして今、『ネオ・ロアノーク』っていう今の自分に疑問すら抱いてる。そろそろ年貢の納め時ってやつなんだよ」
「……なんだよ、それ」 たまらず声が震える。
「おまえになら、『手違い』で頭を吹っ飛ばされてもいいって言ってんの」
何故この男は、こういうことを笑って言えるのだろう。
答えは至極単純、それに納得しているからだ。
それで人生終了となることに微塵の後悔も抱いていないし、そうして死ぬことが、『悪い大人』としての『三賢者』へのせめてもの罪滅ぼしになると思っている。そしてその『断罪』をシンに求めたのは、『三賢者』の中で誰よりも救いようのない存在であったステラに、彼女が何よりも恐れた『死』をもって永遠の安らぎをもたらしたシンに対して、敬意すら表しているからなのだった。
シンは、自分にそこまで思われるだけの価値などないと思っている。少なくともこの男が考えているように、ステラを救えたなんて微塵も思っていない。守ってやると大口を叩いておきながら、結局肝心な時に傍に居てやることができず暴走を許し、元に戻せないと判断したら撃ち殺した。
結論だけみれば、やったことは連合の下種どもと何も違わないのだとさえ。
だが、もしキラがこんなことを口にしたなら、シンは彼を殴ってでもそんなことないと全力で否定しただろう。なのにいざ自分がやったこととなるとそんなものは利己的な思い込みだと否定してやまない。どうしても苦しいのに、認めることができない。そんなものは逃避だと、真の現実から目を逸らすなと、もうひとりの自分の声が止まないのだ。
「なんで…なんであんたは、そんなふうに考えられるんだよ」 シンは言った。「誰かがそう言ったわけじゃないだろ。なのになんで、そんなふうに信じ切った顔ができるんだ」
「これがおまえに足りないもの…『経験』ってやつだよ」 ロアノークは言った。「あいつらとは、おまえより長く付き合ってるんだ。何て思うか、何て言うか、だいたいわかるさ」
このときシンは、不意に気付いていた。
ザフトへ復帰してから自分がこれまで、自らの意思で動いたことが一度としてなかったことを。
デュランダルに要請されて、キラやアスランに頼まれて、グラディスに命令されて、レイに促されて、これまでずっとそうやって彼は戦ってきた。自分のやり方が破壊しか生まないことを嫌というほど知っていたから、シンは自分のチカラを的確に使ってくれる者に判断を委ねてきた。
でも『デストロイ』に対峙したあの時、誰もシンに『戦え』なんてひどい命令はしなかった。彼女と戦うことを、彼女を討ち取ることを決めたのは誰あろう自分自身だ。
誰にもステラを奪われたくなかった。彼女が抱いてやまない『死』への恐怖をわかってやれるのは、同じだけの無残な死に打ちのめされたことのある自分だけだ。たとえキラであったとしても、『ステラを討った相手』として記憶に残ってしまうのは嫌だった。
あんたがやったんだと、あんたにやらせたんだと、どちらともなくやり場のない憎悪が芽生えるくらいなら。
『シン、おまえは間違うなよ』──。
ああ──。シンは頭を抱えたいくらいに沈痛に思った。わかる、今なら本当によくわかるよ、あんたの気持ちが──。
「おれ……」 その想いのまま、彼は吐き出すように呟いた。「正しいこと……できてたのかな」
「…戦争なんてやってると、全部間違ってるわけだからな」 ロアノークはしみじみと言った。「その中で、どれだけ信じられるものがあるか──大事なんだぜ、そういうの」
アスランがプラントへ渡ったのは、キラの言ったことを鵜呑みにするなら、黒鳥と『取引』をしてまで何か成すべきことがあったからだろう。ディアッカが地球へ降りて来たのはキラたちに合流し、プラントの現状を知らせるためだ。ミリアリアがアークエンジェルに乗ったのは、自分にもできることがあると確信しているからだ。
そしてレイが今、プラントへ発とうとしているのも、自分にしかできないことがあると考えているから──。
シンは目を閉じ、大きく深呼吸をした。
「そうか──」
何となく、解った気がする。
誰もが自分の判断とその行動に意義を持ち、またそれを信じている。──すなわち『シン・アスカ』を誰より一番信用していなかったのは、シン自身だったのだと。
突っ立っていたシンは、思い出したように歩を進めた。ロアノークの前へ回り、すっと右手を持ち上げる。視界の中で、自分の手のひらが相手の頭を覆い隠した。
経験が足りないから自分はキラやアスランのように動けないし、グラディスやラミアスのような的確な判断もできない。けれど、それはどんなに求めても今すぐに手に入るものではない。キラを殺してその『闇』を取り込めばその記憶も経験も彼のものになるだろうが、そんなおぞましいことを考えるの二度とごめんだ。
要は自分の足で進み、自分の手で成すことを、如何にして己の内に取り込めるかだ。あれは正しかったのか、自分は間違っていたのか──そんなことばかり考えていたら、何もかも見失ってしまう。
「…おれはあんたを殺さない」
シンは言った。はっきりと、死刑宣告を撤回するように。
「あんたが死んだら、おれよりステラを知っている誰かがひとり居なくなる……ステラの存在が薄くなる。あんたは生きて、あんたの中に居る『ステラ』を忘れないでやってくれ」
「……わかったよ」 シンを見上げ、ロアノークは言った。「それが、俺たちの『恩人』の頼みならな」
意識を集中するシンの手のひらに、ぼうっと淡い熱が生まれた。
それは相手の脳を破壊するためのものではなく、頭を吹き飛ばすためのものでもない。彼自身が今しがた言ったように、この中に居る自分の知らない『ステラ』をまた『殺す』ようなあやまちは、絶対にしない。
「──聞こえるか、『キラ』」 シンは言った。「もしもあんたがまだそこに居るなら、もしあんたがこの人の大切なものを持ってるんなら、頼む……返してやってくれ」
彼が呼びかけたのは、この施設のどこかに居るキラではなく、この男の中に居る、もっともっと以前にこの男のものになったキラの意識の片鱗──『闇』だ。
命令文ではなかったけれど、命令文を扱うことに慣れていないシンが放つ言葉ならそれは命令文と成り得ただろう。ややあって、応えるようにロアノークの内側でひとつ小さな波紋が立つのを感じた。
ここだ、とシンは思った。完全な直感だ。
狙いを研ぎ澄まし、彼はチカラを撃ち放つ。
本当に、本当にごく小さな、トゲのような一撃。でもそれは、かつて放ったどんな大砲撃よりも確かな意義を持つ、シンが自分の意思で放ったものであった。
NEXT.....(2017/09/10)