FATAL ASK 30.虜囚
シンが搭乗したインパルスは、彼がほんの短い精神集中をする間に、まったく新しい姿へと変異した。
「シン・アスカ、デスティニー、行きます!」
──頭では、もう嫌というほどわかっている。
ステラはもう居ない。あそこに居るのは、生きるための執念に囚われた本能で動く、まったく違う人格なのだと。
自分もそうだった。シンにも、自我と莫大な知識を持つ『生きた闇』を喰らったことで、人格が著しく変異した経験があった。あの時の自分は、ことに『闇』に関してはキラ以上の明晰さを誇り、得意満面で彼に多くの知識を説いたものだ。
しかし何やかんやとあってそれが滅ぼされてみればそんな記憶ははるかに遠く、まるで昔見たこわい夢のようにおぼろげな輪郭だけが残っているに過ぎない。
ただ、それでも自分は元に──『シン・アスカ』に戻ることができた。何よりシンが求めてやまなかった戦う力と知識をエサに彼の意識を惹きつけ、意のままに操ろうとした忌まわしい『生きた闇』を自らの手で討ち払うことができた。そして自分には、その時の記憶がある。
だからステラはきっと、まだあそこに居る──。経験からくる根拠のない確信が、手を震えさせた。
ミネルバからデスティニーが出撃すると、アークエンジェルからフリーダムとスカイグラスパーが飛び出してきて合流した。相手は接近した生命体の『命』を吸い取るチカラを持っている。ミネルバとアークエンジェルは、その有効範囲のギリギリ外側で援護を行なうことになっていた。
『ステラ!』 ロアノークが叫んだ。『ステラ、俺が判るか! ネオだ!』
彼の戦闘機は『デストロイ』の周囲をぐるりと旋回し、声を送る。西を目指して進軍していた巨体の足が、ズンと一歩を踏んだところで停まった。
『……ォ…?』
ザザ、と強いノイズの中に、確かに少女の声が交じる。シンは死にたくなった。
何も答えないでいてくれたほうが、いっそこっちは救われたのに──そんな、極めて自分勝手な切望が胸を詰まらせる。
『いい子だ、ステラ』 ロアノークは言った。優しい父親か、兄のように。『そこから出て、こっちへ来るんだ。一緒に帰ろう』
『……ぇ、る……? いっしょ……』
嫌な予感がよぎる。
通信の向こうから聞こえるステラの声は、ウンともワカッタとも言っていない。あくまでもロアノークにかけられた言葉を、わかるところだけ復唱しているだけに過ぎないようだった。
自律した言葉を紡ぐ知性も、無くしてしまったのかもしれない。人間としての理性を塗り潰されて、動物的な本能で動いている彼女には、聞こえてくる『音』の『真似』をすることくらいしか、もうできないのだ──。
「やめろ、ネオ!」 シンは振り切るように通信に割り込んだ。「説得が通じるくらいなら、ステラは自分で、とっくにあんたのところへ帰って来てるはずだろ!」
まったくもってその通りだ。ロアノークがグッと苦しげに息を噛むのが聞こえる。
『シン』 キラが言った。『多分彼女は、まともに僕の姿を見たら暴走すると思う』
「え?」
『──「始まった」ら、一分でケリを着けるんだ。そうしないと、この森の外にまで被害が及ぶ』
一分。
それが自分とステラに残された、最後の時間だ。
「……トドメはおれが撃つ」 シンの声は震えていた。「キラ、あんたはおれの援護を!」
『了解!』
光の翼をはためかせ、デスティニーが飛翔した。その背後で別方向へ展開したフリーダムが、空中で赤い粒子をまとい、ボディの形状を変異させる。
鋭利なナイフのようであった背のウイングバインダーが丸みを帯びて鋭く尖り、白い体躯が、各所に金色の輝きを宿す細身へと変わっていく。シンは通信の向こうでキラが命令文を詠唱しているのを聞き付けたが、それは機械入力されたかのような速さだったために、ほとんど聞き取ることができなかった。
『目覚めよ、ストライクフリーダム!』
命令文の完成と共に、変異を完了した機体のバインダーから八つのドラグーンが分離した。個々それぞれが意思を持つように飛び交うその向こうから、シンのそれとは対称的な、青白い光の翅を広げた新しい姿のフリーダムが加速をつけて翔んでいく。
『あ、あいつ…大気圏内でドラグーンって……どんだけデタラメなんだよ』 ロアノークは呆れ半分で言った。
本来ならあれらドラグーンは、空気抵抗の関係を主な理由として宇宙空間でしか使用できない兵器だ。しかしキラのチカラを受けてそれに見合う姿に進化したあのフリーダムは、シンが搭乗する今のデスティニーと同じく、キラの肉体に連動し外側へと顕現した『闇』の『戦闘形態』と言って差し支えないだろう。
ならばあのドラグーンだって、通常の兵器としてのそれではない。キラのサイコキネシスで彼の意のままに動く、外部に独立した彼の手足そのものだ。
『僕が彼女の注意を引く! あとのことはお願いします!』
キラはその言葉を最後に通信を切った。ここから先は言葉など何の意味もないということだ。
キラの接近に気付いた『デストロイ』が重たそうな両手を持ち上げ、水平に身構えた。ガコン、とその手首が外れたかと思ったら、キラへ向かって飛んでいく。ドラグーンに近いシロモノのようだ。相手を鷲掴みにしようと指を広げて追い回すが、キラのスラスター制御は完璧で、右へ左へと、残像が見えるくらいの速さでかわしながら進撃していく。目的地はただ一ヵ所、相手のメインカメラだ。
いともあっさり『両手』の猛攻をすり抜けたかに見えたが、『手』はしつこく背後から追いすがっている。そしてあろうことか、その指先や手のひらが、無数の細いビームを撃ち出してきた。
「キラッ!」 シンはたまらず叫んでいた。
だが、これで撃墜されるキラではない。まるで見えていたように彼の背後にドラグーンが集結し、エネルギー照射による平面バリアを一瞬だけ形成してビームを弾いている。青いドラグーンはふたつの手首を取り囲み、それを叩き落とそうとする相手の攻撃をことごとくかわして攪乱する。
背面のユニットから無数のミサイルが放たれて一斉にキラを襲ったけれど、次の瞬間、それらはドラグーンを含めた両腰の砲門、両手に持ったルプス、そして胸の大型砲門からの一斉射撃によって、全弾空中にて綺麗な直線を描いて破壊された。
そして──。
『イヤアアアァァァァァァ───ッ!』
ついに目前へ到達したフリーダムの姿を認め、死の恐怖を覚醒させられたステラの絶叫がした。まるであばらをへし折られたように、ずきんとシンの胸が痛む。
ドラグーンと戯れていたふたつの手首が本体のもとへ戻り、人間の反射と変わらない速さでキラを叩き落とそうと動作する。それをくるりと決めた背面宙返りで難なくかわすと、彼は今しがたのフルバーストで腰に伸ばしたままだったレール砲を起こし、間髪入れずに撃ち出していた。
重い爆音がして『デストロイ』の顔面が爆発を起こすが、それは『表皮』に火傷を負わせる程度の火力でしかない。もしビームライフル『ルプス』であったなら間違いなく頭が吹っ飛んでいたことだろう。搭載火器の無力化を狙うのか、爆炎に紛れて至近距離を脱したキラは、巨体の後方へと回り込んであっと言う間に見えなくなった。
『来るぞ、シン!』 ロアノークが言った。
『ウ、ウゥ…ッ』
通信からはステラの呻き声が聞こえる。
身体の『外側』を傷付けられたのに痛いとも苦しいとも言わぬ、理性を忘れた獣の唸りにも近い声。
ステラとしての人格はとうに崩壊している、そうとしか見えない。再び『手首』を分離して、背後へ回ったキラを追い、自分への飛び火も構わずビームの照射を行なう姿は、手足の欠損も厭わず罠から脱出しようと足掻く野生動物のようではないか。
やめろ──。シンは口内をぐっと噛んだ。その痛みで紛らわせなければ、泣き崩れてしまいそうだった。
もうやめてくれ、これ以上『その身体』で暴れ回るのは──。
「うあああぁぁぁぁ──ッ!」
胸や腹の底に渦巻く感情も、一ミリも動きそうになかった身体も、何もかもその叫びで振り切ってシンは加速した。翼から散布されるミラージュコロイドが身体の周囲で煌めき、鏡を何枚も重ねたような幻影を作り出す。
『アアアァァッ!』
鋭い殺意を鈍い叫びに乗せて、『デストロイ』がシンのほうを向く。その顔面はキラのレールガンを受けて焼け爛れ、あちこち『出血』していた。それはこの機体が機械などでは断じてなく、今の自分たちと同じ『肉体』であることを示して止まない。
そう、彼女が殺した大勢の人間を寄せ集めて作り上げた、仮初の肉体──。
『口』に相当する砲門から、『デストロイ』が熱線を撃ち出す。まっすぐシンに直撃するコースであったが、横から飛んできたアークエンジェルのウォンバットとロアノークのミサイル弾が間に入り、空中で盛大な爆発を起こした。
「来い、『アロンダイト』!」
爆煙から飛び出したシンは、両手に召喚した大剣を振りかざして『デストロイ』の胸部──コクピットを貫かんとする。けれどすぐ傍にあった三連装のビーム砲がガコンと動いてシンに照準を合わせたものだから、さすがの彼もこのまま突っ込むことはできず慌てて下へと回避する。
放たれた砲撃はシンの光の翼をかすって、すでに焼け野原と化している森であった大地へ深く熱を撃ち込んで大爆発した。落下と加速のスピードを利用して間一髪で爆散を免れたシンは、地面に激突する寸前で翼を大きく羽ばたかせることで改めて浮力を獲得、足の隙間をすり抜けて後方へと回り込む。
ドォン、と『デストロイ』の背面ユニット部分で爆発が起こって、いくつかの砲台が焼け落ちていくのが見えた。同時に、直撃すれば小さな戦闘機くらいなら簡単に叩き落とせそうな、血を含んだ大きな肉片が至るところへ飛び散り、文字通りの血の雨を降らせる。
キラだ。本体で相手の注意を引き付けているうちに、死角へ回ったドラグーンで砲門を次々と破壊している。派手に出血しようが、『デストロイ』が悲鳴にも似た軋みを上げるのもお構いなしの猛攻だ。ただ単純にこの光景だけを見せられたなら、きっとキラを知らない者はキラのことを甚だしく誤解してしまうだろう。
「キラ…」
もう死んでるんだよ、あの娘は──。そう叫んだキラは泣いていた。
哀れな命を救うことのできない悔しさ、ただ生きていたいだけの望みすら叶わないことへの憤り。何よりその笑う顔を、明るい声を知っている相手をこの手にかけねばならない現実への絶望。何から口に出せばいいのか、どれが自分の本心なのかわからないくらいぐちゃぐちゃになった胸の内を吐き出すかのようだった。
キラが通信を絶った理由が、痛いほどわかる。
彼はもうアウルの死を見ている。どうにもならず、どうすることもできず、できたことはといえばその『最期』を『見送る』ことだけだった。しかし結局、それさえ『できたこと』だったのかどうか怪しいものだと感じている。
何もできなかったなんて、そんなのあんたの、いつものヒクツな言い訳だ──。シンはそう思った。
アウルはきっと、このままでは自分が今のステラとそう変わらない、本能を『闇』に支配された怪物になり果ててしまうだろうと予想していたに違いない。だから自ら命を絶つことを選択した。ならば、それを最後の瞬間まで見送ったキラは、確かな手向けを彼に与えてやれたと言っていいだろう。何もできなかったなんてことは、絶対に無い。
でもステラは違う。
どうしようもなく恐がりで、どうしようもなく純粋であった彼女は、それゆえに道を踏み外してしまったことすらわからないまま自我を絶たれようとしている。あの『身体』の中で、どのくらい『ステラ』が残っているかはわからない。もしも『元に戻った』なら、今のシンと同じように、その頃のことをぼんやりと覚えている程度にはまだ意識があるかもしれない。
それなら、おれは──! 顔を上げたシンの真紅の瞳の中で、闇の珠が弾け飛ぶ。
背面、足下。シンの位置はステラにとって完全な死角だ。しかも上空にはロアノークとキラが、左右にはミネルバとアークエンジェルが展開していて、彼女はそちらに気を取られている。
彼を阻むものは、何もない。
背のウェポンラックから降りてきた巨大な砲身を展開したシンは、それを片手で支えながら照準を定めた。前方からであればハッチが見えるのでコクピットの位置も容易に判ろうものだが、背後からとなれば正確に撃つことは難しい。
しかし今、彼には『視』えている。
機体の中心で確かに輝く、今や偽りのそれとなった命の光が。
シンはその刹那、目を閉じなかった。語りかけも、呼びかけも、何も想いはしなかった。砲のトリガーを引く、その指の感触にだけただ集中する。
かつてない大出力で撃ち出された『デスティニー』の砲撃は、寸分の狂いもなく『デストロイ』の『心臓』を撃ち抜いていた。
「おお…」
目の前のスクリーンで繰り広げられる戦闘を前に、議員たちは完全に言葉を失っている。
今や『デストロイ』と呼称される巨大MSがジブラルタルへの進撃を開始したと聞いた時、彼らは肝を冷凍庫に突っ込まれたように真っ青になったものだ。しかし程なくミネルバが現地へ駆けつけるとホッと安堵の色を示し、続いてアークエンジェルの姿が見えるなり驚愕のあまり席を立つ者まで現れる百面相ぶりを遺憾なく発揮した。
だがそれだけではない。後にミネルバから出撃したMSこそが、彼らから言葉を奪い去る直接の原因となった。
赤く輝く光の翼を広げ、ザフトが誇る最新鋭機たるレジェンドにも劣らぬ機動性と火力を搭載した、見も知らぬ機体。ついでに、敵はあれほどの巨体であるにも関わらず、出撃したのはその未確認MSと、アークエンジェルからのお馴染みフリーダム、そして子供のオモチャにも等しい戦闘機の計三機のみ。評議会は即行でミネルバに説明を求める通信を飛ばしたが、グラディスからは戦闘中だと一方的にぶった切られてしまった。
「いったい何なのだ、あのMSは…」 議員が唖然と言った。
巨大MSが、その『口』に当たる砲門より大砲撃を撃ち出すが、三機はそれぞれに旋回してかわす。これまでの、MSより遥かに機動性に優れていたはずの戦闘機たちですらできなかった回避をあっさりとやってのけるものの、彼らはメインカメラや武装を狙って攻撃を行ない、まずは無力化をはかろうとしているように見えた。
「我がザフトには、あんな姿のMSなど登録されていないぞ」 別の者が苛々と言った。「地上の基地で開発されていたとしても、あんなもの──」
「……お解りになりませんか、皆さん」
議員らの傍で、同じように戦闘の様子を眺めていたジブリールがぽつりと言った。議員らは、まるで救い主の声でも聞き付けたように一様に彼を振り返る。
「あれが『奴ら』の新たな戦力なのですよ」 ジブリールは、これしかないと言わんばかりの強い口調で続けた。「国を、地球圏を混乱に陥れ、かの大戦以上の悲劇を引き起こそうとした、あのデュランダルに与する者たちが手にした力なのです」
「そ、それでは…!」 女の議員が息をのんだ。「ミネルバはすでに、彼の私兵だったとおっしゃるのですか!」
「そのとおりです」
答えたのは、ジブリールではなかった。
まるっきり新作映画の上映会のように一同が会する評議会の大ホール。その出入り口が開いて、ふたつの人影が見えた。その姿を見るや議員たちの表情には、驚けばいいのか喜べばいいのか、複雑な感情が入り交じる。
踏み込むやジブリールと視線を交わした片方の男はカナード。そして、彼が連れたもうひとりの男は。
「今やミネルバは、ギルバート・デュランダル前議長への歪んだ忠義に凝り固まった者たちの巣窟も同然でした」 秘め切れぬ怒りをも滲ませて、そんなことを言ったのはアスラン・ザラであった。「連合施設の調査などと偽って、奴らは『ロドニア』で友軍であるアークエンジェルと合流し、あの機体を獲得したのです」
「な、なんと」
「そんなばかな──」
「よくお考えを」 動揺する議員たちに、今度はジブリールが言った。「ミネルバの艦長はタリア・グラディス……かつてデュランダルと関係のあった女です。よもや私も、彼女が軍属の身で在りながら男を優先するなどとは、愚行も極まるものとして有り得ないと考えておりましたが…」
さも残念そうに首を振る彼の様子に、議員らは動揺しながらも納得せざるを得なかった。もともとグラディスがミネルバ艦長に就任したことについては、局内でも贔屓だとする陰口があったのだ。グラディスはきっぱり否定したし、デュランダルも選考は公平なものであったとした。──だが、そんな口先だけの否定が何になろう。どこにも贔屓ではなかったという証拠など無い。
……もちろん、贔屓だとする証拠もないのだが。
「『ロドニア』は証拠隠滅のため、彼らの手で『破棄』されてしまいました。……しかし、その内部データはここに」 と、懐から取り出したディスクを示しながらアスランは言った。「あの巨大MSは、その際に脱走した彼らの関係者です。すでに自我を喪失しており、敵味方の区別を失っています」
アスランの手から回収されたディスクは素早く室内の端末で読み取られ、議員たちが見上げるスクリーンに凄惨な光景を映し出す。折り重なる死体の山、人道を踏み外した人体改造の実態。ただここにはひとつだけ、確実に欠けている情報がある。
ここに育成された『人員』が、ファントムペインに『出荷』されていたという事実だけが、無い。
そういうことか──。議員の誰かが、そうして作り上げられたデータを見上げながら理解した。
ジブリールの及び知らぬところで、ファントムペインに狂気とも言える虐殺の作戦を実行させたのは、アークエンジェルの者たちなのだ。元はと言えばあれは連合の艦、当然ながら搭乗員も連合の所属者ばかり。ファントムペインまで通じる者が居たとしても不思議ではない。
ミネルバがジブラルタルに、アークエンジェルが近隣の基地へ出撃をやめるよう勧告したのは、自分たちだけで立ち向かうからという勇気ある宣言などでは断じてなく、他軍の介入によって自分たちの所業がバレることを隠蔽するための行動だったのだ──。
どこの軍にも登録の無いあの巨大MSと、光の翼を持つ新鋭機、あれが何よりの証拠ではないか。そもそもこんなところにアークエンジェルとフリーダムが突然出現し、一瞬でミネルバと手を取り合うなんて無理のある話。もともと彼らの間でそれなり以上の疎通があったと見るのが妥当──否、当然だ。
ここまで『想像』が及べば、先の大戦におけるアークエンジェルの行動までもが怪しくなってくる。パトリック・ザラが狂気に走る直接の火付けになったと言っても決して過言ではない、フリーダム強奪事件の『実行犯』……今でもあれのパイロットが同じだというのなら、世界はその者が振りまく『災厄』に、再び飲み込まれようとしているのではないか──。そんな危機感が、背を冷たく駆け上がる。
それに、ここまで来れば連中の目標はナチュラルでもコーディネイターでも関係ない。『ヤツ』の望みは純然たる『戦い』だ。それこそが自身の存在理由であると言わんばかりに、その者はデュランダルという権力をも懐に引き込み、必要以上の強大な力を生み出すことにのみ尽くしている──。
「これではっきりしましたな、皆さん。我らが立ち向かうべき敵は、デュランダルの残党どもです!」 ジブリールが言った。「今こそ我らも立ち上がる時! 奴らが自身の不手際の始末に追われているうちに、我々は騙されているふりをして包囲を固めましょう。奴らが世界を救ってやったとばかりに背を向けたところで、一斉砲火を浴びせ
てやるのです!」
「可能であれば、近隣の連合基地にも協力を仰ぐべきでしょう」 アスランが言った。「これ以上、奴らに踊らされた父のような過ちを、プラントに繰り返させてはいけない。奴らを討ち取るならば、これは同じく被害を被った連合にも権利のある話です」
「ジ…・ジブラルタル基地に通達を!」 議員のひとりが言った。「巨大MSとの戦闘が終了次第、アークエンジェルとミネルバへの総攻撃を行なわせろ!」
「そうだ、戦闘後なら奴らは身から出たサビで疲弊しているはず! 近隣の連合基地にも出撃要請を送れ、今を無くしてチャンスはないぞ!」
「フェイス、アスラン・ザラ!」 女の議員が言った。「アークエンジェルへの対応は、あなたに指揮権を与えます! ただちにジブラルタルを先導し、作戦の立案と実行に務めなさいっ」
「はっ」
軍人然とした敬礼で応え、アスランはさっさと身を翻して混乱したホールをあとにする。出入り口の脇でじっと様子を見ながら待機していたカナードが、あとに続かんと踵を返すとき、ちらりとジブリールに目をやった。
ジブリールは始めからカナードを見ていた。愛しき者と目が合っただけでも満足だとばかりに彼は小さく頷いてみせる。それでいい、と肯定する表情。それを確かめ合うとふたりは視線を外し、それぞれの役目に戻っていった。
廊下には誰の気配もない。中途まで力強く歩を進めていたアスランの足が、やがて止まる。
「──これがおまえたちの狙いなのか、カナード・パルス」
肩越しに振り向いたアスランの目には、確かな理性の光があった。しかしその奥には、悲壮と怒りの入り交じる複雑な感情の光が揺れている。
「アークエンジェルを『ロゴス』の隠れ蓑にして、ジブリールにプラントを支配させる…」 彼は続ける。「世界は間もなく、本当の意味でロゴスの手中となるわけだ」
現在における両陣営の戦力はほぼ均衡していると言っていい。マイウスで、そしてファントムペイン戦で失われたヴェステンフルス隊、ジュール隊、ホーク隊への損失は、ジブリールからもたらされた『横流し品』によって充分過ぎるほどの埋め合わせをされているのだから。
プラントへ贈られたのは、何も物資ばかりではない。人員もだ。連合の主要基地において生産されていた『戦闘用コーディネイター』をも、ジブリールは『本来在るべき場所へ帰すだけ』などと銘打って送り込んでいた。評議会も、ザフトも、連合という場所で秘密裏に、そして不条理に生み出された『同胞』へ哀憐の意を表して受け入れこそすれ、それらを疎んだり拒絶することはほとんどなかった。
おそらくそれらの配置を、『人員なら間に合っている』と言って、やんわりではあるものの明確に拒否したのはジュール隊のみだろう。
実力が均衡した者同士の戦いが長丁場となりやすいように、かつてはラクスが、それを良しとせぬがためにキラにフリーダムを託したように、この争いは、この均衡が続く限り先数年にも渡るものと予見されている。
「……さあ、な」
はぐらかすように言ったカナードは薄ら笑みさえ浮かべ、傍の壁に身を預ける。怒りすら滲ませているアスランのことを、まるで警戒していない。
「ジブリールの薄っぺらい自己満足などオレの知ったことではない。……解るか、アスラン・ザラ。オレが見ているのはもっと先だ」
「先…?」
「かつて失敗に終わったとして歴史の闇に葬られたスーパーコーディネイター研究。それが実は完成していたこと──その完成体が、今もこの戦場を我が物顔で飛び回っていることを、全域の人間に知らしめる」
「バカなっ!」 アスランはたまらず大声を上げていた。「そんなことが世界に知れたら、今でさえ手が付けられないブルーコスモスが暴徒と化すぞ!」
おまけに、真実が明るみに出ればキラと直に血の繋がりがあるカガリだってタダでは済まない。下手をしなくても、そして連合やザフトが手を下すまでもなくオーブに暴徒が押し寄せるのは目に見えたこと。そうこうしているうちに、オーブという国が地図から消えてなくなってしまう。
それだけではない。
「おまえの、本当の狙いは何なんだっ」
カナードの頭のすぐ脇に拳を振り下ろし、アスランは言った。ガン、と、なかなかいい音がしたけれど、相手は怯んだふうもなければ驚いてすらいない。
「これ以上キラに人間の『闇』を集中させるようなことをしてみろ、あいつ自身も、そのうちチカラを抑え切れなくなるっ。あいつが本当に暴走してしまったら、何もかも終わりなんだぞ! それともおまえは、あいつを巻き添えにしてこの世界を滅ぼさなければ気が済まないのか!」
あまりに多くを憎み過ぎたがゆえに、自分の在り処すら見失ってしまったラウ・ル・クルーゼのように──。
「──だったら、どうする」
今まさに相手へ噛み付かんばかりの剣幕を見せていたアスランの表情が、火に油を注がれたように激しさを増した。
カナードの表情から笑みが消えた。どこか虚ろさすら感じさせる凪いだ態度で、彼はもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「キラ・ヤマトとして生まれることができなかったこの世界など、オレにとって何の意味もない。だから壊す──オレがそう言ったなら、おまえはどうする」
スーパーコーディネイター研究の落とし子。『キラ』とまったく同じ設計図を施され、まったく同じ構造・環境を持つ人工子宮にて育まれた、『キラ』になるはずだった子供──。それがこのカナードなのだと、アスランはもう知っている。
キラと同じ瞳、同じ肌、同じ声──傍で感じる匂いですらも同じならば、能力者としての『存在』さえ、ほとんど変わらないのだ。わずかでも気を抜けば、今こうして話しているうちにもカナードの姿がキラのものにすり替わってしまう自分の目がいっそ憎らしいくらいに。
「オレを殺すか?」 カナードは尚も言う。「自己愛の強い『闇』は、自分より強い同属を感知すると競って進化しようとする……キラ・ヤマトの進化をひとまずくい止めるには、オレを絶つのが一番手っ取り早い」
「おまえっ…!」
「だがキラ・ヤマトもシン・アスカも、すでにチカラと自我の『境界』を解き放っている。奴らは存在をして『闇』と成った。オレを殺したところで、そしておまえらで言うところの『愛』をもってしたところで、もはやどうにもならん」
ぐ、と、首でも引っ掴まれたようにアスランが返す言葉に詰まる。
「ここでオレの真意を問い質したところで、それは事態を打開する策には繋がらんぞ、アスラン・ザラ。貴様が考えるべきはオレやジブリールを止めることではない、すでに動き出した世界を、どう収拾させるかだ。そのために貴様はオレの誘いに乗ったのだろう」
ここに立っているこのアスランは、何も瀕死の肉体から抜け出てきたユーレイというわけでもなければ、カナードのチカラによって実体を結ばれた彼の意識というわけでもない。正真正銘、キラによって『動けるようになるまでに一週間はかかる』と言い渡された、アスラン・ザラ本人の意識と肉体である。
ひょっとしたら今ごろ、ミネルバのクルーの誰かが、医務室から忽然とアスランが居なくなっているのを見つけて騒いでいるかもしれない。──そう思うと、強まる罪悪感で、控えめに言って死にたくなる。
ミネルバとアークエンジェルが戦闘準備に追われていた時、キラとシンですらステラにしか目が向いておらず、負傷して戦力外となったアスランは完全なノーマークだった。
そこを狙って現れたのがカナードだったのだ。
チカラが完全にダウンし、肉体にも精神にも防護のないアスランへ、キラにも相当するこの男が干渉するのは呼吸をするよりもずっと簡単なこと。このふたりはアスランの内側で対面し、対話をし、そして。
「オレとおまえが交わした『契約』は何だ?」 カナードは言った。「──正確に答えろ」
「……俺を『完治』させた上で、プラントへ渡す」 口に出せば死ぬぞと忠告された呪詛でも読まされるように、アスランは苦々しく言った。「だがその代わり、俺の肉体の支配権をおまえに譲る」
「そうだ」 よくできた、と言わんばかりに腕を組み、カナードは言った。壁際に詰め寄り詰め寄られた立ち位置とは裏腹に、彼らの立場はまったくの逆と言っていい。「肉体の自由が貴様のものに戻るのは、こうしてオレと二人きりになった時だけだ。それ以外の場所では、オレの『魅了』を適用させてもらう」
ただ、『魅了』にかかっているとは言っても、その時にアスランの意識が完全に閉じているのかと言われればそうではない。さすがに腐っても能力者の端くれ、彼はカナードに支配権を明け渡している間にも、身体の自由が利かないだけで意識を保つことができていた。先ほどのホールで交わした議員たちの会話にしても、内容をしっかり記憶している。自分が『自分』のままでは、こうはいかないだろうなと思ったくらいだ。
そう。アスランは、自分がジブリール側に付かされることまですべて解った上でカナードの支配を受け入れている。下手をすれば『パトリック・ザラの息子』として、ザフトのプロパガンダに使われる危険性をも覚悟して。
そうまでしてでもプラントへ戻らなければならない理由が、彼にはあったのだ。
「ジブラルタルへの指揮はオレに任せておけ」 カナードは言った。「奴らを蜂の巣寸前まで追い込んだら、適当に隙を作って突破口を開かせてやる。シン・アスカは使い物になるまいが、キラ・ヤマトならひとりでもそのくらいはできるだろう」
アスランは、黙ってそんなことを言う黒い男を見つめた。
世界を壊そうとする理由の真偽はともかく、スーパーコーディネイター研究のことを暴露し、キラに地球圏全域の憎悪を集束させんと目論むならば、この戦闘で彼を捕らえてしまうべきではないのか──その疑問が頭をかすめた。自分が本当にカナードの言う通りのことをしようと考える立場であったなら、いっそアスランを使ってでも疲弊時を狙ってフリーダムもろとも鹵獲し、魔女裁判よろしく吊るし上げるのが何よりも効果的だというのに。
…………そんなことを平然と思い付いてしまう自分も大概だ。頭痛がする。
「…できるのか、おまえに」 アスランは、できるわけがないと断じるように言った。「例の三機のうち、スカイグラスパーに乗っているのはネオ・ロアノークだぞ」
「何を言い出すのかと思えば。──すでにジブリールに捨てられた不要の駒だ。銃弾の雨を突破できないならそれまでの話、どうとでもなればいい」
「おまえは」 アスランは言った。これまでになく真摯に、静かに。「何を考えているんだ」
「知りたいか」 キラのそれより鋭く輝く妖の瞳を細め、カナードは笑う。まるっきり真面目に答えるつもりのない、教師をナメきった幼年生のような顔で。「知りたいのなら、──触れてみるか? オレに」
アスランの目元がぴくりと動く。笑えない冗談に引きつるのでなく、どこか苛立ったように。
即発かと思われた雰囲気はほんの一瞬で消えた。カナードにかかっていたアスランの影が退き、黒い男が壁から身を起こした時にはすでに、彼はさっさと廊下を歩き出している。
「ミーアのところへ案内してくれ」 アスランは振り向かずに言った。「とにかく、彼女の安否を確かめたい」
「ああ……そうだったな」
今更のようにカナードは思い出していた。
アスランが自身の自由と引き換えにしてでもプラントへ戻ったのは、あの女に会うためだったのだと。
コーディネイターにだってミュージシャンというものは存在していて、彼らは、ナチュラルからしてみれば難易度の高い楽器テクニックや声域を自在に操っては人々を魅了してきた。
そこは、そういう者たちが大々的にコンサートをするための大きな施設だ。音響設備をこれでもかと多数取り揃え、プラント中から押し寄せるファンを収容できるだけの規模を持っている。多目的施設と言ったほうがいいかもしれない。
アプリリウス・ワンの中でも市街地の中心部に位置していることもあって、そこへの移動は車で行なった。大通りに面した正門前に、いきなりテレポアウトしてくるわけにはいかない。
「ここが…?」
アスランはつい、唖然とその建物を見上げてしまった。
『ラクスのリサイタル』といえば、以前ともっと小ぢんまりとした市民会館のような、マイクを使わなくても彼女の声が聴衆全員に聞こえるくらいの規模であったり、あるいは舞台施設を持った大きな劇場であったりと、彼女の重んじるものがはっきり見える会場が選ばれてきたものだ。
大々的に貼り出されたポスターには、ミーアだと一目でわかる『彼女』の柔和な笑顔と、しっかり『ラクス・クライン』の名前がある。会場を間違ってはいないらしい。後ろで迎えの時間を確認して車を送り出したカナードがやってくるが、特に何か言う様子はない。自分の目で確かめろということだ。
中に踏み込んだ時、ワーッと大歓声が聞こえてきた。惜しみのない拍手喝采。これまでの彼女のリサイタルでは、こんなもの一度も聞いたこともない。
防音処置のされた重い扉をぐっと押し開いたその先に、眩しい世界があった。
『みなさーん、ありがとうーっ!』
ラクスの──いや、ミーアの明るい声がした。ステージの背面に設置された大きなスクリーンに、とびっきりの笑顔で観客に手を振る彼女の姿が大きく映し出されている。
『それじゃあアンコールにお応えして、もう一曲、いっちゃいまーす!』
その声を合図に、場内の歓声はより高まる。そして一斉に照明が落ち、あたりは観客たちが手にしたスティックライトが流星のようにきらめく暗闇となる。
ざわめきがさざ波のように引くだけの時間を置いて、やがてドラムスティックが拍を打ち、再びステージにライトが集中する。
ドラムにギター、キーボード。色とりどりのパネルを跳ね回る、作ってやった覚えのない真っ赤なマスコットロボット。始まったのは、やはり完全に場所を間違えたとしか言いようのない、リサイタルというよりはライブそのものの光景だった。
派手な演出、ポップで速いリズム。こいつはなんという快活な生き物なのだろう。色合いこそラクスのドレスに近しいものの、豊満なボディラインを隠そうともせず大胆に肌を晒した衣装が、可愛らしい星型のヘアピンやインカムの装飾とまったくマッチしていない。
そこに居るのは、戦禍に傷付いた心を静寂で癒やす聖女ではなかった。ステージを端から端まで飛び回り、くるくると楽しげにステップを踏んでは前列の観客に笑顔を振りまき、三階席の遠い者たちにまで手を差し伸べるアイドルだ。前列で惜しみない歓声を送るのはだいたいが若い男たちで、彼らは彼女の笑顔を、視線を、決して届きはしない手をいかにして自分に向けさせるかに余念がない。
場内には腐るほど人間が居たけれど、その注意が完全に『ラクス』のほうを向いているならば、この場はアスランとカナードの『二人きり』と言えただろう。それゆえにまだ『自分』で居られたアスランは、あまりの光景にたまらず自分が一歩後退してしまっていることに気付かなかった。
「ジブリールの提案でな」 カナードはさしたる興味もなさそうに言った。「リサイタルが中止になってスネていたところに『改善策』を出してやったら、あの女、大喜びで即実行したというわけだ」
「はっ?」
「『静寂の癒し』など、戦時の現在は何の役にも立たん。──ならば、兵隊どもを激励し、その士気を高める役目をしてはどうか、とな」
「おまえがそうしろと言ったのかっ」
「まさか」 冗談はやめてくれと言わんばかりに、黒い男は即答で否定した。「提案したのはあくまでジブリールだ。あの女は『ラクス・クライン』としてステージに立つためにそれを呑んだ。どうにも、『活躍』の機会を待ち焦がれていたらしいな、あの張り切りようを見るに」
言葉の最後のほうでは、もうその口調は完全に呆れている。誰がここまでやれと言った、というやつだ。
そう、明らかに彼女は張り切っていた。会場を埋め尽くした大勢のファンたちに応えるために、そうすることが何よりの喜びとばかりに幸せそうな笑顔が眩しい。観客たちは手渡す機会を得られない花束を次々に投げ入れ、ステージの前方はあっという間に花園と化してしまう。
『みなさーん、ありがとう! ありがとーうっ!』
最大級の感謝を示して両手を大きく振り、彼女は叫んだ。ワアッと歓声が高まり、ラクスラクスとコールが始まる。彼女がいくつかの花束をありがたそうに拾い上げて胸に抱きしめると、投げ入れたらしい本人がそれに気付いて感動の涙まで滲ませる始末だ。
とりあえず誰にも気付かれないうちにここを出たい、とアスランは思った。いま地球ではキラやシンがステラと死闘を繰り広げている。連合もザフトも問わず大勢の死者が出ていて、戦場には慟哭の声が飛び交っている。ここに居たらそのすべてが掻き消されてしまう、そんな危機感があった。
偽りだ。ここにあるすべてが、作られた楽園なのだ。
「帰らせてくれ」 アスランは言った。「これ以上、ここに居たくない」
「……残念だが」 カナードは、すっとアスランから一歩下がって言った。「そうはいかんらしいぞ」
ガシャッ。どういうことだと訊ねるより早く、アスランにスポットライトが当たった。驚く暇もない。観客たちが何事かと彼を振り向いた時には、すでに身体はまったく自由が利かなくなっている。
『アスランッ!』
どんな素晴らしい宝石や豪華なドレスを贈られたってこうは喜ばないというほど、歓喜に塗り潰された声がした。ステージの上の女が、子どものような輝く笑顔で三階席出入り口の自分を見つめている。彼女のバックにあるスクリーンには、ご丁寧にもうっすら涙まで浮かべているその表情まで、はっきりと映し出されていた。
『嬉しい、アスラン! ステージを見にきてくれたのねっ』
言うが早いか彼女はステージをぴょんと飛び降り、驚いて道を開けた観客たちの間を駆け抜けて階段を上がってくる。同じタイミングでアスランも歩を進めていて、ふたりはちょうど二階席にさしかかったところで、ミーアが彼の胸に飛び込む形で合流した。
「おかえりなさい、アスランッ」 ミーアは夢見るように言った。「あなたに来てもらえて、本当に嬉しいっ」
「帰りが遅れてすまない、ラクス」 愛しい『婚約者』を優しく抱きしめ、アスランは言った。「でもアンコールに間に合ってよかった、素晴らしいステージだったよ」
「ほんとっ? あたし、みなさんの役に立てているかしら」
「もちろんだ。この歓声を聞けばわかるだろう」
ほら、とアスランは周囲を示す。ミーアが振り向いてみると、場内は拍手で包まれていた。誰もがアスランと『ラクス』の名をコールし、その再会を歓迎し、祝福している。
「ああ……!」
式典の時のそれに勝るとも劣らない喝采を受けて、ミーアの大きな目がきらきらと輝いた。
『みなさん、本当に今日はありがとう!』 ミーアはマイクを通して叫んだ。『ザフトの方々も、どうか頑張ってくださいねっ! わたくしは常にアスランと、──そして、みなさんと共に在りますわーっ!』
満面の笑顔で両手を振り回しているミーアに合わせて、アスランもまた手を振って歓声に応える。プラント中の女を掛け値無しに魅了できるその笑顔の裏で、彼は奥歯を噛むことも、拳を握ることもできないでいる。せめてどこかの漫画やアニメの世界のように涙くらい流せればいいものをと、奇跡を願うように祈ってしまうが無駄なことだ。
現実は動かない。祈りも、嘆きも、『チカラ』という絶大な存在の前では無力でしかない。
キラ──。思い描く愛しい姿を、今、とても遠く感じる。
そのうち、アスランは考えるのをやめた。まるでいわれなき暴力に耐えることしかできない幼子のように、意識の底で目を閉じ、この悪夢のような時が一刻も早く過ぎ去ってくれることを願って自己を閉じる。
しかしそれは、逃避のためではない。
折れることなく今を耐え抜くことが自分の役目なのだと、彼は知っている。──信じている。
カナードの挙動の『裏』と、そして自分とキラの『繋がり』を。
いづれ反撃の機会はやって来る。
必ず。
NEXT.....(2017/09/04)