FATAL ASK 3.襲撃
その日、式典の締めくくりに現れたラクス・クラインの歌声と神々しいまでの姿は、アプリリウス・ワンだけでなく、プラント全域──地球圏全域に放映された。
デュランダルは彼女のプラント復帰を紹介する際にその役職を議長補佐とし、ゆくゆくは評議会議長の座を継いでもらいたい、とまで口にして会場をどよめかせもしたが、それ以外は比較的平穏で、式典は平和記念の名に相応しいムードで進行していった。
最後の詩を乗せたラクスの声と静かな曲が、最後の音の余韻まで響かせると、シーンと静まり返っていた会場のあちこちでパラパラと拍手が起こり始め、やがては大喝采となって沸きあがった。ラクス、ラクス、ラクス、と惜しみない声援が放たれるのを、彼女は壇上から笑顔で手を振り応える。
これは確かに、改めて彼女がプラントから受け容れられた証であった。
このあとに控えているのは彼女のスピーチだ。この挨拶を終わらせて式典もまた終わる。あとは街をあげた祭典が、数日をかけてそこかしこで始まるというわけだ。
だが、この大声援の中ではせっかくのラクスの言葉も届かないだろう。マイクを通しても聞こえるかどうか怪しいものだ。現在は係員としてあちこちに並んでいるザフト軍人たちが、それをいさめようかと踏み出しかけたとき、彼女は観客たちに自らの掌を示すようにスッと片手を持ち上げてみせた。
会場の観客たち自身はもちろん、来賓たるオーブとプラントの重鎮たち、そしてこの光景を見ている全世界の者たちがハッと息をのんだかもしれない。
場内の熱気が一瞬にして静まった。彼女の行動の意味も判らぬ子供でさえもだ。静かに、と言われたわけでもなく、ただ彼女がひとつ行動を見せただけで、自分たちの声や挙動でそれを邪魔することになるのを恐れるように。
「──みなさん」 ラクスは言った。「わたくしラクス・クラインは、結果としてプラントを裏切ることとなったかつての大戦の日々を経ながらも、ふたたびこの場に立ち、みなさんのために、平和の歌を歌える機会を与えてくださったすべての方々に、この場をお借りして、感謝を申し上げます」
裏切りという単語など微塵も頭になかった者たちが、ラクスの言葉を聞いて互いに顔を見合わせるなどして、口々にそれを否定する声をもらして場内をざわめかせる。
「そして、今日に至れども変わらぬみなさんからの応援の御声を励みに、これよりわたくしは評議会議員として、微力ながらデュランダル議長の助けとなれるよう、努めたいと思います」 彼女の言葉はさらさらと、水が流れるように響いていく。「すべてはオーブとプラントの、ひいては全世界の、平和と安寧の日々のため──」
コツ、と高い靴音を鳴らしてラクスの背後から人影が現れた。それは、黒いステージドレスの彼女とは対照的な白い礼服をまとうアスランだ。その姿を見た観客たちが指をさしてどよめく中、彼は落ち着いた──言い方を変えれば何を考えているともしれない表情を保って、壇上を進んでいく。
自らの隣に立ったアスランと視線を交わし、微笑みを浮かべて、ラクスは再び観客たちに視線を戻した。
「みなさん。これより偉大なる目標へ向かい前進するプラント最高評議会に、そして、その盟友であるオーブに、どうかみなさんのご理解を、そして力を貸してください。わたくしもまた、一日も早いその実現の日を目指し、努力してまいります。──我が未来の夫、このアスラン・ザラと共に」
彼女の言葉はそこで終わった。すべての者がシーンと静まり返っている。水を打つというよりも耳が痛くなるような静寂だ。
アスランがラクスに目をやった。ラクスもまたアスランに顔を向ける。──と、その表情が柔らかく笑んだ。
ザワ…、会場の一部が騒いだ。ザワ、ザワザワ。それは瞬く間に、彼女らの眼下に広がる人の海へと伝播していく。
ざわめきの中に、ラクス様、と呼ぶ声が混じった。別の場所でも、誰かがアスランの名を呼んだ。ラクス、アスラン、ラクス──次第に、ただの雑音も同然だったざわめきが二人の名を叫ぶ歓声へとぬり替えられていった。
ゴールデンカップル、神が定めし恋人、そしてコーディネイター第三世代への愛の架け橋──発表されてより様々な呼び名を与えられ続けてきたアスラン・ザラとラクス・クラインの婚約は、プラント全土において実施されている婚姻統制の象徴である。国民もまた美しい彼と彼女の巡り合いを運命と絶賛し、そしてその関係を、神が示した手本のように見ているのだ。
ならばラクス・クラインがプラントへ復帰するというのに、未だアスラン・ザラが亡命後行方不明のままでは示しがつかない。よってこういう演出をすることになる。
未だ鳴り止まぬ拍手と大歓声を浴びるラクスとアスランは、己に注がれる期待と賞賛に大きく手を挙げて応える。こうして記念式典は、大絶賛のうちに開会の幕を閉じるのだった。
「お疲れさまでした、ラクス様っ」
ラクスが着替えるために用意された控え室へ戻ると、そこには赤い髪の少女がひとり待っていた。
「ラクス様がこちらを出られるまでの間、お世話をさせていただきます、メイリン・ホークですっ。よろしくお願いします!」
緊張半分ときめき半分といった様子で、メイリンはペコンと頭を下げて見せた。どう見てもラクスより年下だが、ザフトに所属しているらしくあまり似合わないスーツを着ている。こんな少女にはかわいらしいワンピースが似合いそうなのに、とラクスはなにげなく思った。
今頃はアスランも控え室に戻っているだろう。だが、もしかしたらヤキモチ半分の元同僚たちから、天井に叩き付ける勢いの胴上げでも受けているかもしれない。
「ありがとうございます」 ラクスは答えた。「これからお祭りですわね。あなたも行かれるのでしょう?」
「は、はいっ! わたし、お姉ちゃんがいて…だから、お姉ちゃんと一緒に」
ドレッサーに腰かける歌姫を追いながら、メイリンは鏡に映る彼女にポーッと見入っている。これではお世話も何もあったものではないが、ラクスと初めて会うプラント国民とは、軍属であれ一般人であれほとんどがこうなるから仕方がない。彼女もそれは慣れっこだから、気にせず髪を束ねるリボンをほどいた。
はらり、とピンク色の髪が肩口に散る。先のほうにわずかなくせを持つそれだが、万人が考えるほど万全の手入れが行き届いているわけではない。髪の長さは彼女自身の好みにしか過ぎず、むしろ伸びたそれ自体には無頓着に近いのだ。
遺伝子的に相応の調整を受けているからこそ美しいが、ナチュラルではきっとこうはいかない。
「メイリンさん」 ラクスは言った。「そちらの服をとってくださいな」
「はいっ」
夢の世界から引き戻されたメイリンがキョロキョロと見回すと、小さなソファの上に淡いピンクのワンピースが引っ掛けてあった。式典が終わればすぐに着替えるのだからと置いたままにしていったのだろう、広げてみると持ち主の髪と同じ香りがした。上品なフリルが襟と袖、そして裾を飾っていて、胸元に大きな白いリボンがつけられている。
カワイイ服──。メイリンは素直に憧れた。みんなが着るみたいないつもの服もいいけど、あたしもこんな服が似合う女の子になりたいなぁ──。
「ラクス、入るぞっ」
いきなり声がしていきなりドアが開く。ノックも返事もあったものではない。驚いたメイリンが視線を向けた先にはカガリがいた。ラクスもその姿を鏡越しに確認して、座ったまま彼女を振り向く。
「あ、すまない」 カガリはきょとんとした。「話し中だったか?」
「大丈夫ですわ」 ラクスは笑んだ。「どうかされましたか?」
「ああ、あのな? わたしはこれからデュランダル議長と食事の予定があって、キラたちとは一緒に行けないから、それを伝えようと思ったんだが…あっちまで行く時間がないんだ。悪いけど、あいつらに会ったら」
「はい、ではそのようにお伝えしますわね。ごゆっくり、楽しんできてくださいな」
「それはこっちのセリフだよ」 カガリはトホホと肩を落とした。「わたしも祭りのほうがいいのに、議長ときたら、わたしがそっちに行く気だと知ったらついていくとか言い出したんだぞっ。おかげでわたしまで評議会の連中に怒られたじゃないか」
そんなカガリの様子を見てラクスは小さくふき出し、笑った。カガリもハハハと苦笑いを浮かべて頭をかく。どうやら本当に祭りにいけないのが残念でたまらない様子だ。
「御気を落とさずに」 ラクスは言った。「お祭りは、今日だけではありませんよ」
「まぁ、そうだな。それじゃ明日にでも付き合ってくれると嬉しいよ」
「よろこんで、ご同行いたしますわ」
アスハ代表、お急ぎ下さい──。ドアの向こうから女の声がする。カガリはすぐ行く、と返事をすると、ラクスと、そしてメイリンにかるく手を振って見せて部屋を立ち去った。
まったく初対面のメイリンに何の挨拶もなかったといえばそうだが、カガリが生来持っている物怖じしない雰囲気はさすがだと思わせることができる。嵐のようなひと、いち軍人の少女が抱いたアスハの第一印象はそれだった。
「わたし、アスハ代表を見たの初めてです…」 メイリンは呆然として呟いた。
「とても好いかたですよ」 ラクスが笑顔で答えた。「今はまだ荒削りといわれても仕方がありませんが、ゆくゆくは、世界を先導する女王となられる御方です」
へえ──メイリンは返答ができなかった。呆れたとか驚いたとか、そういうことではない。ラクスがあまりにもさらりと言うものだから、ああそうなんだと納得してしまい、そしてそんな自分にあとから気が付いたのだ。
自分がラクスの着替えを持ったまま固まっていたことにも、いま。
「ご、ごめんなさいラクス様っ、ラクス様のお洋服でしたよね、どうぞっ」
「構いませんわ」
メイリンが慌てて差し出したワンピースを受け取ってラクスは笑む。明らかに、見慣れぬ少女の見慣れぬ行動が微笑ましくて仕方ないといった様子だ。メイリンは自分で自分が恥ずかしくなってしまった。
そのあとも激励やら挨拶やらに数人が訪れはしたが、ラクスの着替え自体はものの数分で終わった。髪を整えるのを手伝い、軽いメイク直しをして、クリーニングをすることになった黒いドレスを受け取れば、あとは彼女自身をアスランのもとへ送り届けて完了となる。
「あ、ラクス様。そこのアイスボックスにお茶が入ってるんで、よかったらお飲みになってくださいね」
まずは係員にドレスを届けようとして、それが入った紙袋を持って出ようとしたとき、思い出したことをメイリンは告げた。鏡の前で胸元のリボンの微調整をしていたラクスは、ありがとうございます、と鏡越しに微笑む。
ああ、きれいなひと──。改めて彼女への憧れを募らせていると、不意にカチャリとドアが開いた。また誰かが挨拶にきたのか、と思い振り向いたメイリンの前には、花束を持った少女がひとり、立っていた。
「はい?」 メイリンは言った。「何か御用ですか?」
「ラクス、さま…」 少女はたどたどしく言った。「ラクスさまに、あげる…」
肩口までの金の髪はゆるやかなくせを持ち、白い肌に白いドレスが非常によく似合っている。淡い桃色の瞳は大きくつぶらで愛らしいが、すこし表情がポケーッとしていて、言い方を悪くすれば知能に障害があるように見えてしまう。年の頃は自分の姉と同じくらいに見えるが、見る角度によってはより幼く映らな
くもない。
抱えた花束は総じてオレンジの色が強く、小ぶりなヒマワリとマーガレットを無数のカスミ草が彩る。言っては何だが、ラクスにというよりはこの少女自身に何よりも似合う花束だった。
「わあっ…」 メイリンはその花束を見て、まるで自分が受け取ったように嬉しくなった。「見てくださいラクス様、きれいな花──」
「──あぶないっ!」
振り向こうとした相手から悲鳴のような声が飛ぶ。刹那メイリンはグッと強く肩を掴まれて後ろへと引っ張られていた。
すぐ傍で響いた音は、金属同士を全力で叩き付け合ったときのそれに近い。メイリンと立場を入れ替えたラクスが突き出した両手の先で、その轟音は突き抜けていった。
はらはらと黄色やオレンジの花びらが散っていく。少女が持っていた花束は大振りなシミターに取って代わっていた。──いや、最初から花束の中に仕込んでここへ持ってきたに違いない。その刃が、驚いたことにラクスの手のひらと競り合いをしていた。
え、なに、なに──。激しい混乱を起こしたメイリンの前で、二人はぐっとそれぞれの腕に力を込めた。純粋な力勝負ではどうやら少女のほうが強いようで、ラクスがウッと焦りを見せる。
「ラ、ラクス様あっ!」 メイリンは悲鳴を上げた。
「ラクス・クラインッ、ここで落とすっ!」
鋭い目つきに表情を一変させた少女が、大きく一歩を踏み出した。大きくバランスを崩されたラクスの身体がぐらりと傾く。仰向けに、という点ではただ転んでしまうよりずっとマシだが、それで力関係が変わるわけではない。ラクスは依然として形勢不利なまま倒されて決められてしまうのか──メイリンが目を覆いそうになった一瞬後、ラクスは反撃に出ていた。
身体を転がす反動を利用して、ラクスは少女を投げ飛ばしていた。今度こそキャアッと頭を伏せたメイリンの頭上を風が吹き抜け、少女の身体がドレッサーに叩き付けら……れなかった。
タンッ。軽い音で、あろうことか少女は鏡に着地し、再びそこからラクス目がけて跳躍したのだ。手にした刃物を握る力はまったく衰えていない。
「メイリンさんっ」
ラクスは叫んだ。ガギンッ、と音がして、再び彼女は素手で少女の刃を受け止める。体力的に見ると、このままでは三十分もしないうちに血を見ることになりそうだ。
「キラを…っ」 ラクスは苦しそうに言った。「──ア、アスランを呼んでくださいっ! 決して、他の誰にも知らせてはなりません、アスランにこのことを伝えるのです!」
「は、──はいっ!」
メイリンは慌てて部屋を出ようと、開いたままのドアへ走った。
これだけ騒いでるってのに、誰ひとり助けに来ないなんて、いったいどういうことなの──。混乱した頭で今にも泣き出しそうになりながらそんなことを考えた彼女に、目の前の現実がすぐ答えを出してくれた。
「キャアァッ!」
廊下へ走り出た彼女はその光景に悲鳴を上げた。
そこは一面の血の海だ。あちこちに男女も問わぬ無残な死体が転がっている。歳はそれぞれだが、ここにいたのはほとんどがザフトの軍人のはずなのに、すべての者が、胸の中央一点から大量に出血して死んでいた。
撃たれた? 刺された? メイリンは大量の死体を目の前にしてどうでもいいことを考えてしまった。一刻も早くアスランのもとへ、その一瞬前までの確かな目的さえも完全に忘れて。
ウアアァァァァァッ! 背後から叫び声が聞こえて彼女はハッと我に返った。刃が肉を断つ嫌な音が、見たことのあるホラー映画のそれよりも遥かに鮮明な音量で耳に届く。この世で一番恐ろしい音、そしてこの場で一番聞きたくなかった音だ。
ラクス様──? 恐怖に凍りつきかけたメイリンの脳が、かろうじてその名を思い浮かべる。ほんの数秒前まで一緒にいた、美しい女の名を。
ポンッ。不意の彼女の肩に誰かの手が触れた。ショック状態だったメイリンの身体が過剰に反応して素早く振り向こうとする。
「──ドン」
ふざけ半分に銃声を真似る少年の声だった。何故それをこの場で聞くことになったのかは判らない。だが直後メイリンの身体は、まさに銃で撃たれたに等しい、かつて経験したこともない衝撃に貫かれていた。
膝から、足そのものからガクンと力が抜ける。
「ちっ」 少年の声が舌打ちした。「あの女、やってくれるじゃん」
顔を見ようとして、最後の意識の中で目を凝らした彼女の瞳に映ったのはやはり少年だった。空の色をした髪と深海の瞳を持つ、先ほどの少女に負けず劣らず幼い顔立ちを、した。
このひとが──? メイリンの疑問は声には乗らなかった。
そのまま、彼女の意識は闇の底へと落ちていった。
NEXT.....(2006/02/01)