FATAL ASK 29.致命
「…誰かいるわ」
グラディスの言葉で、周囲を探索していたシンとレイ、そしてロアノークが振り向いた。
一歩を踏み出すにも、滑って転ばないように気を付けねばならない血溜まりの床。
至るところに転がっている死体、あるいは人体の一片と思われるもの。白衣を着た研究員と思しき男も女も、そしてまだ十歳前後であろうと見受けられる子供も問わず、ラボの内側は死体の山で埋め尽くされていた。
彼らの死因は銃創もあれば創傷もあり、様々だ。四肢を完全に切り飛ばされた胴体、そうかと思えば上体と泣き別れになった下肢。指を切り落とされて転がっている手首を踏んづけそうになった時はさすがのシンも慌てて声を上げてしまったものだ。
遅かった。ミネルバの到着は、ラボの『処分』に間に合わなかったのだ。
だがグラディスの所見によれば、ラボそのものを処分するのであれば自爆が一番てっとり早く、開戦された今となっては周囲の目が向きにくく証拠も残りにくい。なのに内部の人間だけを掃討して建物を放置しようなど、見つけてくれと言わんばかりの行動だという。ロアノークもそこには同意を示し、彼は、おそらく本当に被検体の子供たちもろともラボを自爆させようとしたのだろうが、彼らに気付かれて反乱を起こされたものと推測した。
いかに武器類を厳重に管理していようとも、自爆を気取られまいと普段通りの訓練を行なっていたのだとすれば、無数の武器を持った子供たちが居たはずだ。ある程度以上に『人を殺すこと』に慣れている子供らが、各々の得意とする武器を手に襲い掛かってくる──その一斉蜂起は、戦闘員でもない研究員ではひとたまりもなかったことだろう。
深い血溜まりを避け、すれ違う人体がもう生きていないことを確実に確かめながら、一同はグラディスの先導に従って廊下を曲がり、奥まった行き止まりへ到達した。
深く、そして緩慢な呼吸の音。最奥の壁にもたれかかって、血まみれの女が座り込んでいた。
「あなた!」 グラディスが声をかけ、駆け寄って言った。その肩口にしっかり手を添え、彼女と視線を合わせる。「しっかりしなさい、私たちは救助隊よ、返事はできるっ?」
「……きゅ、…ぅじょ…?」 女は疲れ果てながらも、まだ相手を認識するだけの力を残していた。「……ザフトの救助なんて……フフ、笑えない、わね……」
「シン」 グラディスは振り向いて言った。「あなた、『治療』はできるの?」
「──やってみます!」
やったことなんか一度もない。でも、今はできないと首を振っていい状況ではない。シンは彼女らの傍らへ膝をつくと、その女に念波を飛ばして一度全身をスキャンした。
刹那、ぎくりと身が竦む。グラディスはそうやってシンの顔色が一瞬変わったのを見逃さなかったが、何も言わなかった。
手の施しようがない。ぱっと見たところ、腹部の出血以外、その女にめぼしい外傷はなかった。けれどその傷は恐ろしく深く、彼女の胴をほとんど真っ二つにしてしまっていたのだった。
薄皮一枚でかろうじて胴体切断を免れていた女は、青ざめているシンを見て小さく笑った。
「私……能力者なの…」
「なん──」 シンとグラディスが絶句する。
「坊や。あなたもそうなのね…」 女は少し嬉しそうに言った。「最期にこうして『仲間』に会えて、よかった…」
彼女は自らの念力で傷口の出血を止め、下肢を完全に殺してでも上体だけで今日まで生きていたのだ。
「何日前だったかしら…」 女は懐かしむように言った。「あの子の声が…聞こえたのよ…」
ラボがもうすぐ『処分』されることを知らせる警報。彼女はそんなまさかと思った。このラボから『持ち出された』時にはテレパシーさえロクに使うこともできなかった『あの子』が、こんなにも鮮明な声を飛ばして来られるわけがないと思って。
けれどそれからほどなくして、ラボの上層部──所長格に不審な行動が見られた。彼らがコンピュータの機能にロックをかけて外部への通信手段を断ち、機密情報の整理を行なっているのを、彼女は見てしまったのだ。
本当にここを『廃棄』するつもりなの──? 彼女は心が震えた。今日も過酷な訓練を受けている、そして今日までも苦しみ抜いて死んでいった子供たちのことなど、奴らは毛頭にもないというのか。このラボの『設備』と同じ、人間ですらないと、そういうのか──。
怒りに奥歯を噛みしめたそのとき、どこからか悲鳴が聞こえた。
いや、絶叫だ。真に迫った、命の危機どころか己の絶命をも知らせる断末魔。それはあっと言う間にラボの各所から響き渡り、館内に警報が流れたがもう遅い。彼女が慌てて駆けつけてみれば、すでにあちこちをロックされた施設内を逃げ惑う研究員たちに、武器を手にした子供らが次々と襲い掛かっていた。
誰も、怒りと恐怖に逆上した、鬼のような顔をして──。
「きっと私から、テレパシーが漏れてしまったんだと思う…」 女は懺悔のように言った。「受信能力の強い子もいた…から……伝わってしまったの、ね……」
どう答えればいいのか、誰にも判らなかった。
ミネルバの到着が間に合わなかった以上、子供たちや、一部の何も知らぬ研究員たちは施設もろとも吹き飛んでいたことだろう。ただ死に方が違ったというだけで、それが非業の死であることに違いはない。
何も知らせず楽に死なせてやることが慈悲と言えたのか、それとも最後の最後まで『人殺し』をさせ続けてしまったのは自分たちの『業』なのか──能力者さえ養成し始めていたこの施設において、この悲劇の発端が、感情のタガが外れてしまった彼女のせいでないことだけは確実だが、かける言葉が無いとはこのことだ。
と、そんな痛すぎる沈黙の中をレイが動いた。成す術もないシンの傍へ──女の前に膝をつき、かと言って特に表情を動かすわけでもなく淡々と口を開く。
「最期に自分の運命と戦うことができたのなら、彼らはそれだけで救われたことだろう。──だから、これはあなたが気に病むことではない」
「レイ──」
「優しい、の、ね…」 女は涙を流して微笑んだ。「あの子、……と、似てるわ…」
彼女の目が虚ろに光を失い、ゆっくりと閉じていく。呼びかけようとしたグラディスを、その肩を掴んで止めさせたのはロアノークだった。
「悪いけど…このまま、死なせてやってくれ」
「すみません、艦長」 シンは自分の責任のように言った。「おれには、どうすることも…」
「……いいのよ、シン」 グラディスは立ち上がって言った。「どの道、彼女は長くは無かった……聴取のための延命なんて、きっとあのひとも望まなかったはずだわ」
それにどの道、助けることができたとしても、子供たちは施設の外では生きられなかった──。誰も言わなかったけれど、みんな、わかっていた。
ラボ内部を探索した時、マスタールームと思しき部屋では未だコンピュータが稼働した状態で残っており、ロアノークの持っていた認証キーでシークレットデータのロックを解除することができた。そこで一同が閲覧した情報は、世界に──何の準備もなく世界に知れ渡ってしまえば、それこそ世の中が引っくり返るくらい凄絶な事実であった。
よく考えなくてもわかることだ。誰が好きこのんで、生物としても老化の兆しが見え始めたような者に最先端の改造など施すものか。それにもっとも適しているのが、抵抗力、免疫力に優れ、何より過度な『改造』にも成長過程で『馴染む』ことができる可能性を持つ、バイタリティに溢れた十代以下の若者であることくらい、バカでもわかる。
ナチュラルたちが至上と掲げる『自然に生まれくる者』の中でも、そう簡単に替えが利かず、そして未来の担い手としてもっとも大切にされるべきはずの『子供』が、コーディネイター憎しのためにここまで無残な仕打ちを受けている──ここがデュランダルに提出する『証拠』として、何よりも重要な施設であることが、シンにはもどかしくてならなかった。
現存の必要さえないのなら、できることならこの手で何もかも吹き飛ばしてやりたいくらいだ。そんなやるせなさに拳を握り締めていた彼は、不意に胸の内側でぷつんと何かが途切れたような違和感を覚えた。
「え、…?」
胸騒ぎというのはこういうものを言うのだと、はっきりわかる瞬間。ミネルバで何かあったのだという直感。振り向いてみると、真っ先に目が合ったロアノークが厳しい表情でひとつ頷いた。
「艦長さん、引き上げよう」 ロアノークが言った。「ミネルバで何か起きたみたいだ。……あの赤服の坊主の『反応』が消えた」
「え──」
グラディスにとっては、ミネルバが連合の攻撃を受けた、と言われた方がまだマシだったかもしれない。
ただそれだけの事態なら、強靭な結界術を操るアスランがひとりでも乗り切ってくれるのだから。しかしロアノークの言葉は、──シンが感じたものは、そんな彼の危機を示すものに他ならなかった。
はじめに彼が感じたのは、痛みだった。
「う…っ、うう……」
本能的に助けを求めて呻くけれど、その発信すらもろくにできない。痛い、苦しい──そんなことを思ううちに、その痛みの在り処がわかってくる。
胸に喉、それに腹。腕と足にもあったそれらはほどなく薄らいで消えてくれたけれど、身体の中心に近い部位ほど生命維持への重要性が高いためか、鋭く貫くような痛みを訴える。
──生命維持。身体。
彼は不意に思い出す。
自分がひとのかたちをした生命であったことを。
自分の名が、アスラン・ザラであったことを。
「……アスラン」
ぼやけた視界がいやに眩しい。にじんだ人影が自分を見て、ほっと笑みを浮かべた。
「キ、…ラ…」
「無理はしないで」 ほとんど声に乗らなかった相手の呟きを聞き付けて、キラは言った。「手足の骨折は何とかなったけど、内臓はまだ全然なんだ。──ラクスみたいに上手くできなくて、ごめん」
「……、の」
「え?」 相手が何か言おうとしていることに気付き、キラが注意を向ける。
「おまえ…の、一撃より…強烈……だった……」
「勘弁してよ」 がっくり項垂れて、キラは泣きそうな声を漏らした。「笑えないからそういう冗談」
どう考えてもそれは、以前キラがアスランの念波からシンを庇い、アスランを吹っ飛ばしたあの時のことを指していた。これはもう根に持たれていても仕方のないことだと受け止めるしかないが、これだけ言えるならとりあえず命の危機は脱したと思っていいだろう。
命の危機。自分で思考しておきながら、その単語が異様に白々しい。キラは今の自分が、首だけになっても一日足らずで全身を再生できる存在になってしまっていることを自覚していて、アスランはそんなキラと、直接的かつ能力的に連動している。
つまり死ぬわけがないのだ。無論、アスランに死なれたらキラは個人的にも困るのでとやかくは言えないが、その事実を客観視するとある瞬間、『死ぬことのできない致命傷』に苦しむ彼の痛みが、自分の責任のように思えてならないことがあるのだった。
「すまな、い…キラ…」
その『謝罪』が何を意味するのか、正直なところキラにもわからなかった。けれどアスランのことだから、キラを守るはずの自分がこのザマで…、などと考えているのかもしれない。
いろんな気がかりがあったに違いないだろうが、そこで彼は力尽きてしまった。室内の照明さえ眩しそうにしていた目は閉じてしまい、苦しそうだった呼吸も、不自然なほどゆっくりな、静かな寝息に取って代わった。
おそらく通常の人間なら、このままやがて自発呼吸が止まり、死んだのであろう。何せ肋骨はほとんど跡形もなく砕け散り、肺が気管もろとも押し潰されていたのだ。他の臓器だって急激な圧力をくらったせいで破裂を起こした箇所が多く、その上で壁へ叩き付けられたせいで椎骨のおよそ七割を損傷するという、本当に一撃死に近い状態だったのだから。
「僕のほうこそ──」
もう誰も聞いていない言葉を独り言のように放って、キラはそっとベッド際の席を立ち上がった。眠ってしまったアスランの上へ被さるように身を乗り出すと、どんな医師も首を横に振りそうな顔色をした彼の、白っぽい唇にキスを落とす。
筋肉の緊張など無かったこともあって、伸ばした舌で下顎を開かせるのに苦労しない。そうやって互いの口腔が、気道が、肺まで繋がったことを確かめるとキラは人工呼吸の要領で自らの吐息をアスランに吹き込んだ。
もし意識があったなら、アスランはこれを、柔らかく暖かな、しかし力強い春風のように感じたことだろう。これから芽吹く無限の生命力を約束されたそれは、彼の死にかけた細胞群に、余すところなく活力を供給する。
これは、アウルを『治療』せんと試行錯誤する過程でキラが新たに身に着けた『治癒』のチカラだった。キラといえど、ラクスほどの強靭な意志と巧みな技術を持たぬがため、その効率は『エターナル』と比較しようもないほど弱いが、何もしないよりはましだ。
「こんなことしかできなくて、──ごめん」
心底から沈痛にキラは言った。こんな怪我を負わせることしか──生かすことしか、戦わせることしかできなくて。彼が傷付く姿は見たくない。つらそうな声を聞きたくはない。けれどこれまでにしても、やろうと思えばアスランからそのチカラを回収して彼を『人間』に戻すことだってできたのに、実行はしていない。──したくない。
離れないで。傍に居てほしい。どんな姿でも形でも、ずっとずっと、僕の傍に──。
「キラッ」
緊急の集中治療室と貸したミネルバの医療ルームから出て来たキラを、廊下でソワソワと待っていたシンが出迎えた。
「どうですか、アスラン」
「クリティカルってところかな……まだ一週間は動けなさそう。生命維持のために、チカラも完全にダウンしてる」
「ステラのことについてはっ?」
「わからない。アスランを吹っ飛ばして結界が解けたところで転移したみたいだけど、どこへ行ったかは……」
「クソッ、手掛かりなしか…!」
バシッと手を叩くシンは、明らかに焦っていた。
無理もないと言えよう。キラはアスランに言わなかったけれど、実はステラが逃亡してから、すでに五日という膨大な時間が経過していたのだ。
シンたち実動部隊がロドニアのラボから戻ってみたら、艦内はバイオテロでも受けたようにみんなバタバタ倒れていて、頼みのアスランも瀕死の状態。無事だったのはブリッジに残っていたトラインと、格納庫で作業中だった友人らくらいだった。プラントを出てから手に負えぬ事態が続き、乗務員の大半が普通の人間であったミネルバの部隊はここに来てほぼ壊滅といっていい被害を被り、その『実行犯』となったステラも逃走して行方知れず。
はじめこそロアノークが単独で精神統一を行ない、彼女へ呼びかけながら行方を追ってくれたのだが、応じる声はなかった。
近隣の基地に捜索願いを出そうかとも思ったけれど、近ごろはザフトにしろ連合にしろ『捕虜』なんて概念を使わなくなって久しい。投降されようが無抵抗を示されようが、相手は最後の瞬間まで『敵』だとする風習が強まっており、仮にステラが発見されたとしても、即攻撃が実施される可能性は極めて高いのだ。おまけにミネルバを壊滅させて逃げたという最悪の状況証拠まである。こんなこと誰にも言えるわけがない。
「とりあえずブリッジへ」 キラは言った。「ラボのことの報告も含めて、みんなと話して相談しないと」
キラの言うことも、もっともだ。
今はひとつでも多くの情報を共有し、可能な限りの対策を打たねばならない。ステラはきっと今ごろ、ひとりで心細くて泣いているかもしれない。早く見つけてやらないと──シンは駆け出したい衝動を堪えて、キラに先立って足早にブリッジへ入っていった。
このあと半日近くもここへ戻ることができなくなる彼らは、知らなかった。
キラが退室して程なく、室内を見渡せる大窓の向こう側に──アスランのすぐ傍らに、黒い影が静かに佇んでいたことに。
「……見つけた」
ステラ捜索のため、ミネルバのブリッジが沈黙してから一時間ほど過ぎただろうか。目を開いたキラがぽつりとそう言ったのを、そこにいた誰もが聞き逃さなかった。同じようにずっと『検索』を繰り返していたシンが弾かれたように顔を上げ、彼を見る。
『本当なの、キラ君?』 モニターの向こうでラミアスが言った。
アークエンジェルとミネルバは現在、ミネルバが停泊していた港町を離れ、とある孤島の深い森に身を隠している。それでも全長数百メートルの戦艦がふたつも並べば誰が見たってバレてしまうから、島の端と端、というかなりの距離を取っていて、通信回線も傍受の危険があるため、双方の連絡はすべてキラのテレパシーを介している。
以前にも増してあらゆる電子回路への支配レベルを上げたキラのテレパシーは、今や思念の波長ではない。通信回路そのものを自らの外部設置の思考として扱った、いわゆる電波ジャックに近いものとなっている。今こうしてミネルバとアークエンジェルで、外部から傍受の危険を一切無視して相互通信ができているのは、実にこのチカラのおかげだった。ついでに島の上空へ、光の翼から生成されるミラージュコロイドを拡散させて偵察機の目くらましを行なっているのはシンのチカラに因るものだ。
キラは何も答えなかったが、これを見ろとでも言うようにメインモニターの映像が切り替わった。きっと今ごろ、アークエンジェル側でも同じものが流れ出していることだろう。
夜空を赤く染め、燃え盛る深い森。大量の火の粉が舞い上がり星の煌めきも見えない中を、連合のものと思われる戦闘機が隊を成して飛んでいく。よくできた映画のようなその光景に一条の光が飛び込んできた。あらぬ方向からビーム砲が飛来し、それらをまとめて薙ぎ払ってしまう。
「あぁッ!」 いったい何事なのかと驚くトラインが思わず声を上げていた。
グラディスもアビーも、シンも息をのんでその光景を見つめた。
モニターの中で、業火の中を進軍していく巨大なMSの姿を。
「な…」 グラディスが言った。「なんなの、あれは…?」
と、キラの足が床から離れ、その身体が黒い球体に包まれた。映像だけでは情報が足りないと判断した彼は、より精度の高いものを獲得するためにあらゆる通信・放送へと干渉し取り込み始める。膨大な量の情報は、すぐにあらゆる機器を介して、音声となって具現した。
『あんなデカブツ見たことねえぞ、こっちは戦闘機しかねえのに、あんなものと戦えってのか!』 誰かが怒っているが、その声には泣きが入っている。
『識別コードが不明なんです、どこから来たのか、何なのか…!』 混乱したオペレーターらしき女がわめている。
『い、いま、ヤツの装甲が動いたぞ!』 戦闘機のパイロットらしい男が、エンジン音に掻き消されないように必死に叫んだ。『け、血管だ! ヤツはイキモノだ!』
『ちゃ、着弾点から「出血」あり!』 それを実証するように別の者が言った。『生きてる……あのMS、生きて──』
その通信が、途中で異変を来たした。ガボッ、と水に溺れたような音を立てたかと思えば、その後程なく『本部』からの呼びかけに応じることなく途絶える。
あちこちの通信機を介して聞こえていた怒号はプツプツと途切れ、必死に応答を呼びかけていた『本部』もまた、そのうち音信を絶ってしまった。
モニターの中でその大型MSは、周囲を飛び回る小バエのような戦闘機をビーム砲で次々と撃ち落としていく。中には撃ち落とされるまでもなく握り潰されたものもあれば、何が起こったのか、途中でコントロールを失ってその巨体にぶち当たって炎上するものも見られた。
「ま、待って!」 通信を聞きながら呆然としていたグラディスが、我にかえって言った。「ヤマト准将、今の、戦闘機が激突したところをもう一度!」
キラは彼女の言葉を受け、メインモニターの様子はそのままに別のモニターでその様子を再生する。できることなら、そう何度も見たくない悪夢の光景。飛行中に翼が左右にブレているのを見るに、中のパイロットが操縦桿を手放してしまったのかもしれない。
『シ……死ニタクナイ…!』
通信から、男の声がした。クローズアップしたことで、そのパイロットの言葉をも拾ったようだ。
『死ヌノ、怖イ……死ヌノハ、ダメ…!』
「ステラ…っ?」
聞き覚えのあるフレーズに、思わずシンが息をのむ。
『ミンナ──』 ゴボッ、と水を吐いたかのような音を交え、男は尚も呟く。『ミンナ、ステラト、ヒトツニ──』
バチリと激しい音がしたのは戦闘機がMSに激突したせいだ。通信はそこで切れる。
──だが、彼の外側の世界……映像は、まだ続いている。
激突の瞬間、戦闘機そのものは派手に炎上しているが、それにしては落ちていった部品類が少ない。炎をまとって散らばって行ったのは翼の部分だけで、肝心の本体がどこにも見えなかった。
「今よ、止めて!」 グラディスが叫ぶ。
ピタリと映像が停止した。……それを見て、誰もが目の前の現実を信じられなくなった。
燃え盛る戦闘機のコクピット部分が巨大MSの中に潜り込んでいた。まるでカガリの手が壁の中に入り込む時のように、立体的な波紋を伴って。誰が見たいと望んだのか、そこは解像度の上昇を伴いながら段々と拡大されていく。
「な、…んだよ、あれ…」 シンは言った。
黒っぽい赤と茶色が織り成す、異様な映像。激突の衝撃によるものかパイロットは完全に原型を失っていて、まるっきりペンキでもぶちまけたように、MSの面にべっちゃりとへばりついているのだった。
ウッと呻いたアビーが口元を押さえて立ち上がり、慌ててブリッジから駆け出て行く。トラインなどもう拡大の途中から目を逸らしていたというのに、新鋭艦のオペレーターを務める以上は決してここを離れるまいとしていたのだろうが、まともな神経ではこんな映像にはとても耐えられない。
程なく映像は停止を解除され、再び流れ出す。そこに張り付いていた肉塊は、次第にMSの面の色に同化するように消え去ってしまった。吸い込まれたみたいに。
「……『あいつ』のチカラに、よく似てる…」
痛みをも伴った、小さな呟き。それを放ったのはキラだった。闇の雫が座す瞳で、厳しい表情を隠そうともせずモニターを……いや、恐らくはあの球体の中で、現地の光景をそのまま『視』ている。巨大MSはパイロットを取り込んでしまったあと、邪魔になった『抜け殻』の戦闘機を自身から叩き落とし、何事もなかったように歩んでいく。
西へと。
「まさか」 グラディスの顔色がサッと変わった。「やつの目的は、ジブラルタルっ?」
「おそらく」 キラは言った。「『彼女』にとっては、敵であるザフトの主要な基地ですから…本能的に殲滅の意志を持っていても不思議じゃありません」
「冗談じゃないわ! あんなものに襲撃されたら基地は壊滅よ!」
壊滅──? シンは未だに、夢の中にでもいるような離人感に取りつかれたままだった。ジブラルタル基地が壊滅するって? どうして? あのデカブツが来るから? でもあれは、あの中に乗っているのは──。
「艦長さんっ、ちょっといいか!」 アビーが戻ってきたのかと思いきや、ブリッジへ飛び込んできたのはロアノークだった。「あのデカブツを迎撃に向かうなら、俺も出撃されてくれ!」
「ムウさんっ?」 まさか、というようにキラが振り向く。
「ネ・オ!」 いい加減にしろとばかりにロアノークは修正した。「俺の言葉なら、まだステラに届くかもしれない。絶対に裏切ったりなんかしないって約束する、だから──」
「あなたが信用のおける人格であることは把握しているわっ」 グラディスが言った。「ザクで良ければ使ってちょうだい、私の責任をもって許可します!」
「サンキュ──」
「待ってくれっ!」
今にも出立しそうな緊迫した空気が、その叫び声で凍り付いた。キラが抑揚のない視線を下げ、グラディスが、ロアノークが、そしてトラインが驚いて見やる。
声を上げた本人である、シンを。
「出撃? …迎撃?」 有り得ない、とシンは言った。「あの中に居るのはステラなんじゃないのか!」
痛すぎる沈黙の中で、ロアノークがぐっと口元を引き結ぶ。
「さっきの言葉を聞いただろ!」 シンは尚も言った。「死にたくないって、死ぬのは怖いって! あんなに怯えてるのに、武装したMSで向かおうなんてどういうつもりなんだよ、あれを撃墜するつもりなのか、あんたは!」
「……最悪の場合は、そうしなきゃならない」
「ふざけるなっ!」 冷静極まりなく言ったロアノークの言葉に、シンは激高した。「ステラはあんたを誰より一番信じてるのに、それを裏切るのかよ!」
「シン、いい加減にして!」 グラディスが怒鳴った。「あなたはザフトの所属なのよ、立場をわきまえなさい! それでなくてもヤツの進撃で、進路上の基地類はザフトも連合も問わず潰されているわ、ジブラルタルから迎撃部隊が出撃するのも時間の問題なのよ!」
そんなものが何の役に立つのか判らないが。──それが、この場に居るすべての者に共通する思考だった。さっきの戦闘機たちの末路を見たあとであれば、対象がMSになるくらいで、中の人間がどうにかなって結局全滅してしまうであろうことが容易に想定できる。
だがそれを、ジブラルタル基地の者たちはまだ知らない。ミネルバが基地に連絡を取って部隊の出撃をやめさせた上で、あのデカブツが到達する前に、ここにいる能力者があれを止めなければならないのだ。
それがたとえ、搭乗者……ステラを殺す結果になろうとも──。
「……シン、君はここにいて」
今にもロアノークに掴みかかりそうだったシンがエッと振り向いた先で、キラはすとんと床に降り立つと、モニターに映し出された巨大MSを見上げた。
へんだ。シンはすぐに気が付いた。キラの瞳の色が戻らない。いっそ感情を撤廃した無機質なその目で、彼は今も暴れ狂う巨影を見つめて、そして。
「我が身に揺蕩う、栄光の輝きに裏打ちされし闇どもよ」
キラの呟きを聞き付け、ぎくりと身が竦んだ。──それは数日前、ロドニアのラボで、死にかけた女の傷を見た時のそれとは比較にならない強いものだ。キラが何をするつもりなのかまだ判らないグラディスの傍で、ロアノークも息をのんで固まっている。
当然の反応だった。だってこの命令文は、下手な発動の仕方をしたら、この場にいる者たちですら殲滅させかねない、恐ろしいチカラを紡ぐものなのだから。キラを至上とするマイノリティであれば、誰だって本能的な恐怖を掻き立てられて動けなくなるだろう。──そう、きっと今はここに居ない、アスランでさえも。
「我が望み、聞き届けよ。眼前に在りしは我が敵也。其を討ち、滅する力を此の手にもたらせ」
『ストライク』が発動する、ステラを殺す気だ──それに気付いたシンの、床に根の生えた足が動いていた。
「やめろおおおおぉぉぉぉーっ!」
恐怖を振り切る意味でも、そしてキラの集中を切る意味でも絶叫を上げ、シンは全霊の力を込めてキラをぶん殴っていた。加減なんか一切できなかったから、ヒットの瞬間、シンの背に光の翼が浮き上がった。
キラも同じだった。殴り飛ばされた刹那、青白い翅が煌めいたのは防御のためだ。おかげさまで、キラは本当ならこの島の向こう側、アークエンジェルまで直行便となるはずのところを、壁に背を打ち付ける程度の打撲で済んでいる。
「あんたなら解ってくれると思ったのに…っ!」 真紅の瞳に怒りをみなぎらせ、シンは壁際で動かないキラにずんずん歩み寄ると、その襟を両手で引っ掴んだ。「アウルのことは許したクセに、ステラは許さないって言うのかよ! どうせ、ステラにアスランを吹っ飛ばされて頭にキてたんだろっ! あんたはいつもそうやって、自分の言うことばっかり正しいみたいな顔して──」
バシッ。シンの目の前に星が散った。
キラから飛んできたのはチカラによる攻撃でもなければ、牽制のための『結印』でもなかった。能力者からすれば非力極まりない、人間の平手打ち。あまりにそれが意外すぎて、シンはそのとき、まだまだ相手に浴びせ足りず、いくらでも湧いてきていた罵詈雑言の一切を忘れてしまった。
キラの手とシンの頬が接触したのはほんの一瞬だ。でもこのとき、シンには『視』えてしまった。きっとキラも意図的に見せることを狙ったのだろう。
それは、アウルの最期──。
「僕だって…」 うつむくキラの肩口が、声が震えていた。「僕だって、できることなら助けたかったんだっ! それがどうしてもできないから、諦めるしか無いんじゃないか!」
顔を上げた彼は泣いていた。表情を彩っている感情は悲哀ではなく、悔恨だ。爪の喰い込む音がするほど拳を握りしめて、言葉が崩れそうなほど奥歯を噛んで。
「本当ならもう死んでるんだよ、あの娘は!」
キラの手が、自分の襟をつかんでいたシンの両手を掴み取った。痛いくらいきつく握り締めて、彼は叫ぶ。
「それを、他人の命で無理やり埋め合わせてるんだっ! 仮にとめることができたって、彼女は『死にたくない』がために命を喰らい続けるんだ! 君はそれをどうするって言うんだ、僕や君が命を差し出したとしても、あの娘の何時間分にも満たないんだぞっ!」
アウルが死んでいたなんて、シンは考えもしなかった。キラはそんなこと一言も言わなかったし、感じさせもしなかった。能力者になって、キラのチカラで劇的に進化して、連合の呪いからも解放されたのだとばかり思っていた。
だからロドニアのラボで真実を見た時も、彼はステラがそうなるかもとは露ほども考えなかった。このチカラがあれば何だってできる、他人と繋がることも、他人を操ることも、自分の痛覚や出血を遮断することだって。
だから、彼らはもう死ななくてもいい存在なのだと、そう、思い込んでいた。
どこにもそんな証拠はなかったのに。
やっと解った。キラがアウルを許した理由が。
「君は……」 キラは言った。無念の涙を流し、シンに救いを求めるように。「君は、あの娘を救えたの……?」
襟を掴んでいた手が力を失い、キラが手を離したことも相俟って、シンはその場に膝から崩れ落ちていた。
それは絶対に答えることのできない、いっそ致命的な問い掛けであった。
救えると、ほんの一瞬前までは救えたと本気で信じていた。しかしそれはたった今、崩壊した。キラでさえ解くことのできなかった最悪の呪いは、もうとっくにステラを殺していたのだ。
自分たちがとどめを刺さなければ、彼女はずっとずっと、生き続けるために他人の命を喰らい続ける。ジブラルタルの人間を喰い尽したら、きっとヨーロッパを死の大地に変えるだろう。あの巨大なMSは、殺した人間の肉を吸収しているようだった。あれは彼女が歩むほどに巨大化し、膨れ上がっていく死の砦。彼女が積み上げている屍そのものなのだ。
死にたくない──。命を持つ者であれば誰だって抱いている当たり前の恐怖が、そのためには他人をも踏みつけにできる本能が、彼女を救いようのない殺戮者に変えていく。
『シン、おまえは間違うなよ』──。脳裏にアスランの言葉がよみがえった。『他の誰かに殺されるくらいなら、その報告を他人づてに聞いて死ぬほど後悔するくらいなら』──。
「ネオさん」 代わって立ち上がったキラは、まだ感情を抑え切れないふうではあったが気丈に言った。「アークエンジェルにスカイグラスパーが積んであります。連合の戦闘機だから、ザフトのMSよりは使いやすいでしょう。使ってください」
「お気遣い感謝するぜ、准将殿」
「僕も一緒に行きます。彼女を討てるのは、僕しか──」
「……待ってくれ」
ついさっきも聞いた、同じ言葉。でも崩れたままのシンから放たれたそれは、さっきのものとは比較にならないくらい消沈し、憔悴しきっている。キラも、ロアノークも、グラディスも、そして、戻って来たはいいがブリッジに入れずにいたアビー、あたふたと様子を見守るしかないトラインも、皆そろって彼を見やった。
この期に及んでまだ出撃を止めようとするのなら、もう彼にも救いは無い……ところだった。
「──おれが行く」 声を震わせ、シンは言った。手も、脚も、まるで途方もない恐怖に晒されたように震えがきていて、うまく動いてくれない。それでも。「……おれが、彼女を止める」
「できるのね、シン」 グラディスは静かに訊ねた。疑うのではなく、彼の決意を再度確かめるために。
「やります」 いっそ残酷ですらある確認に、シンははっきりと答えた。「おれに行かせてくださいっ」
『可能』か『不可能』ではなく、『成す』。その返事を聞き届けたグラディスが、ブリッジに残ったわずかなクルーを振り向いた。
「ブリッジ遮蔽! 動ける者は直ちに第一種戦闘配置へ! ジブラルタル基地へ伝達せよ、本艦はこれより巨大MSを『デストロイ』と呼称、これの撃墜を任とする! 援軍は無用、基地の守備防衛に務められたし!」
「ジブラルタル基地より応答!」 席について程なく、アビーが言った。「──貴艦の無事を祈る!」
「やれやれ、勿体ないお言葉だわ」
すでに大勢が死に消えた死地へ向かう艦に無事を祈るとは、なかなかの名文だと彼女は思った。しかし基地側も、このまま無対策で出撃したところで無駄に人員を失うだけだ。ミネルバがアレを撃墜すると言い出した以上、どうにかしてくれることを祈るしかないという気持ちも、解らないではない。
『アークエンジェル、第一種戦闘配置!』 通信の向こうでラミアスの声がした。『本艦は現刻をもってミネルバを友軍とし、「デストロイ」との交戦を援護する! 近隣の各基地へ可能な限り伝達、「デストロイ」との戦闘は、本艦、及びミネルバに任されたし!』
「伝達完了」 まったく何もしたふうがなかったものの、キラが言った。「応答は…さすがにないですね」
『無理もないわね』
「……アークエンジェルの介入に動揺してるみたいですけど、『増援』が来た以上、彼らも様子見に入るはずです。少なくともこっちが撃墜されるまで、無理な出撃はしないでしょう」
「さあて」 グラディスは呟いた。「この結託が吉と出るか凶と出るか、運を天に委ねるとしましょうか」
『…気が合いそうですわね、ミセス・グラディス』 彼女に近いモニターの中で、ふっと笑ったラミアスが言った。『生きて戻れた暁には、お茶でもいかがでしょうか?』
「ええ、ぜひご一緒させてくださいな」 まるで恩師にでも誘いを受けたように、グラディスは柔和に応じる。「とっておきの葉を持参しますわ」
「シン」 艦長同士が親睦を深めているやり取りを聞きながら、キラはロアノークを伴ってアークエンジェルへ戻る前にとシンを見やった。「もしインパルスが使えそうなら、君はそれで出撃して。僕もあっちにフリーダムがあるから、それで──」
事前の打ち合わせはしておくに越したことは無い。…けれど、自分たちの間にそんなものは必要ないと、彼はこのとき思い知る。
シンはキラの声など、もう聞いてもいなかった。自らが彼女を討つと言ってしまった少年は、ただ、ただモニターに映っている魔物の巨影を見つめているだけだ。
自分がここを離れる最後の瞬間まで目に焼き付けようとでも言うのか。それとも、怪物となってしまったその姿に、在りし日の幻を重ねているのかは知れない。見ようと思えば見ることもできた彼の胸中を、キラは探ろうとはしなかった。
もはや泣きも喚きもせず立ち尽くすシンの姿は、まるで彼自身が死刑執行を待つ罪人のようなのだった。
NEXT.....(2017/08/30)