FATAL ASK  27.転機

 宇宙に拠点を置くプラントが開戦と同時に攻撃を仕掛けたのは、当然と言うべきか連合の宇宙基地だった。この攻撃は予告なくほとんど無差別に行なわれ、平和記念式典でラクスが襲撃された際、彼女が控える公民館に駐在したザフト兵も民間人の職員も問わず皆殺しにされたことになぞらえた、完全なる報復戦という形になった。

 表向き、公民館でのラクス襲撃は『無かったこと』となっていたため、連合側はこれを一方的な襲撃であると断定。『反撃』に出る。月面基地の守備を強化すると共にプラント宙域へ侵攻を開始し、コーディネイター側の優れた戦闘力とナチュラル側の圧倒的な物量とがせめぎ合うこととなり、あっという間に戦局は最終局面にも等しく泥沼化した。

 時を同じくして地球上においても、カーペンタリアおよびジブラルタルの二拠点にザフトの兵力が集中し、オーブ近海はもちろんインドネシアが主な最前線となり、特に連合の最たる拠点であるヘブンズベースを間近に臨むジブラルタルの厳戒ぶりに至っては、ほどなく突入作戦でも始まるかのような物々しさを帯びていた。

「イザーク隊長、お疲れ様です!」

 ビシッと敬礼を決めたシホ・ハーネンフースが、たったいま愛機から降りて着替えを済ませたばかりのイザークを出迎えた。自国防衛の最前線に立つジュール隊は、デュランダル最後の配慮もあって迅速に人員・物資ともに万全に補給された状態であり、おかげさまで報復戦後の連合からの襲撃に、ある程度の余裕を持って打ち勝つことに成功したところであった。

「ご苦労だったなシホ」 イザークは言った。「おまえが弾幕を張ってくれたおかげで、思ったより早く相手を攪乱できたぞ」

「勿体ないお言葉です」

「ティアッカは──」

「やーやー、お疲れー」

 イザークが自分の連れを探して視線を巡らせようとしたとき、その当人ディアッカ・エルスマンが緊張感のない声をかけながらやってきた。手をひらひらさせながらそんなことを言う様は、生死をかけたはずの戦闘から帰還したばかりの軍人の言動とはとても思えない。

 ──が、元レッドというだけあって実力は確かだ。さっきの戦闘でだって、遠距離砲撃を得意とする戦術性から、単純な撃墜数はイザークのそれを上回っている。だからシホは彼に文句を言ったこともなければ、特にその態度を改めてほしいと思ったこともない。

 それに。

「いい加減、貴様はその緊張感の無さを何とかしろ」 シホが言うまでもなく、こういうことはイザークが言う。「そんなことではいつか撃墜されるぞ」

「だいじょぶだって」 ディアッカはそれこそ自信満々の様子で言った。

 根拠もないのではただのバカだが、彼にはキラから授かったチカラがある。イザークは人間相手へのチカラの行使を極力抑えてはいるが、ディアッカは非常に有効活用している。テレパスに特化した彼のチカラは、特にこのような戦局においては大多数の標 的の思考を読み、その行動を先取りできるため非常に重宝するのだ。

 それこそキラのマルチロックオンの再来である。──もっともキラのそれは相手の思考を読んでいるのではなく、相手が行動するより速く全体を把握し一斉放射するという『超反射』によって成り立っているのだが。

 つい先日、野暮用だと言ってアプリリウスタワーへ出向いたこの二人と合流した際、シホは、彼らが能力者である旨を真っ先に打ち明けられた。

 はじめこそ、からかわれているのではないかと色んな意味で危惧したが、ディアッカから浮遊や転移、念力といったポビュラーなそれらの実演を見せつけられた上、その最たるテレパスで、彼女が胸の奥に大事にしまってあるイザークへのちょっとした想いまでも言い当てられそうになった時はさすがに手が出てしまったものだ。

 あのときのことは、咄嗟だったとはいえ上官に手をあげてしまったわけで、シホにとっては黒歴史にも等しい記憶だ。何のことかを察するまではなかったにしろ、イザークが『このバカにデリカシーが足りなかっただけだ、気にするな』と言ってくれたのが何よりの救いである。ディアッカも、あくまで実演のためだったことを前提にし、二度と口外はしないと約束してくれてはいるけれど、完全に弱みを握られた気分であった。

「──あの、隊長」 と、シホは言った。「戻られないのですか? ブリッジへ」

 本当ならディアッカとの会話にしたって、廊下を進みながらでもできたものだ。しかしイザークは三人で合流したそこから動かず、何を考えているのか視線を下げ、じっとあらぬところを見ている。

「やっぱ、疑ってんの?」

 ディアッカが言った。何のことか解らないシホが、まるで両親の動向でも探る娘のように、二人の間に視線を彷徨わせる。

「シホ、ディアッカ」 イザークは言った。できるだけ静かに、落ち着いた口調で。「おまえたちは、今の状況をどう思う」

「どうも何も」 ディアッカが肩を竦めながら言った。「議長の気配はパッタリ途切れちまったし、アスランやシンや姫さんとは『連絡』もつかない。プラントの内部から、姫さん並に強力な能力者がジャミングしてるよなコレは」

「しかし、ディアッカのテレパスまで制限されているわけではない」 イザークは付け加えるように続けた。「──通念で言うところの『超能力者』としては一級だが、命令文行使もろくに身に着いていないディアッカは、姫の一派における『能力者』としては最弱と言わざるを得ん……取るに足らんチカラだと思われているのか──」

「お厳しいことで」 たまらずディアッカは苦笑いする。

「あの、隊長」

 仮にも上官であるディアッカの能力を過小評価する内容のイザークの言葉においそれと同意することはできず、シホはそれに触れることなく別の疑問を口にした。

「疑われている、というのは、どういうことなのですか? まさか隊長は、この開戦について思う処がお有りで…?」

「おまえだって」 イザークは言った。「何の疑いもなくただ命令に従って出撃しているわけではないだろう、シホ」

「私は、隊長が望まれるのであれば特攻も厭わぬ覚悟です」 要約するところを、彼女はきっぱりと言った。

 彼女の理念としては、軍属である以上、その上層からの命令に逆らうわけにはいかない……ならば個の理念など封じ込めておくべきとするところがあった。ただもちろんというべきか、この場合の『上層』とはイザークのことであり、決してザフトのことではない。詰まるところ、彼が納得した上で決行される作戦ならば、彼女にノーの選択肢はないということだ。

「バカ、命は大事にしろ」 イザークはぴしゃりと部下を叱りつけ、それを聞かなかったことにして続けた。「今回の開戦……確かにここまでの連中の『テロ』は、民間人までも巻き込んだことを考えれば虐殺に値するものだ。報復に出んとする人間が多いのも頷ける」

「まあね」 ディアッカが肩を竦めて同意する。

「だが議長は、ただ当て所もなく、バカの一つ覚えのように反戦を唱えていたわけではない。例の『三馬鹿』どもの上層に心当たりを持ち、これまでの事件・事故が奴らの仕組んだものだと公表する準備を進めていたんだ。それを、理知高いコーディネイターの中でも、特に秀でた為政者として選出された最高評議会ともあろう連中が、何故これまでの実績も含めた、議長の思想や人格を今更全否定にかかったのか──」

「そりゃまあ、操られちゃったんじゃない? この『ジャミング』の主さんに、さ」

「姫に似た黒い男、か。──まるで黒鳥オディールだな」

 何を考えているのか、イザークは重々しくそのキーワードを呟いて、それきり沈黙する。その間、上官の邪魔をするまいと口を出さないシホと、下手なことは言うまいとするディアッカとが顔を見合わせた。

「ディアッカ、おまえ確か休暇申請出してたよな」 と、イザークが思い出したように言った。「あのミリアリアとかいう女とオーブで会いたいとか言って」

「は?」

 身に覚えのないことを言われて、ディアッカの目が点になる。しかもその理由は、開戦されたばかりの現状、本当に使うとしてもなかなかひどいものだ。そんな申請してたんですか──と言わんばかりのシホの目が痛い。

「ちょ、ちょっと勘弁してくれよ」 ディアッカは慌てた。「確かにミリィのことは心配だけど、いくらなんでもこんな時にそんなこと申請するわけ──」

「…構わんぞ、許可してやる」

「はっ?」 もう一度ディアッカの目が点になった。

「シホ、おまえはどう思う」 イザークが訊ねた。「この色ボケが、友人…しかも女に会いにオーブへ遊びに行きたいなどと言い出していることについて」

「………、はっ」 何かを考えるような間を置いて、シホは敬礼を見せて言った。「開戦されたばかりで戦局も不安定な中、その思考回路はいささか理解しかねますが、友人のご健在を確認するという点において、逆に言えば今をおいて他に無いものと存じます」

「ディアッカが不在の間の、隊の砲撃手は担えるな?」

「問題ありません!」 それこそ任せてくれと言わんばかりに、彼女は声を張った。

 ここに来て、ようやくディアッカは悟った。

 まともに受け止めればさすがの彼も泣き寝入りしたくなる程度にはえらい言われようだが、これは能力者の仲間──そう、キラやカガリと合流するために、単身オーブへ降りろと言われているのだと。

「聞いての通りだ」 イザークは言った。「貴様が居なくても隊は問題ない。今のうちに、できることをしてこい」

 今しがたの会話の中には、ぜひとも訂正して頂きたい箇所がたくさんあったのだが、悲しいことにまったく反論できる余地がないくらい、自分には『色ボケ』というキャラクターが板についてしまっている。イザークが『こういう手筈でいこう』と口裏合わせを表立って求めて来なかったのは、艦内の誰かに聞かれても、そして彼の称するところの『黒鳥』にその思考が読まれたとしても問題ないようにするためだ。

 それなら、自分は『三枚目』であったほうがいい。警戒されてジュール隊まで異動や左遷をくらっては、もはやプラントを守る存在はいなくなってしまう。

「……了解。英断に感謝しますよ、隊長殿」

 少し抑えた苦笑いで答え、ディアッカは緩い敬礼をした。



「感謝致します、ジブリール殿」 議員のひとりが、ごく軽くではあったものの頭を下げながら言った。「あなたからもたらされた数々の支援……まことに、痛み入る思いです」

「どうぞお気になさらないでください」 謙遜するふうはなく、ジブリールは高い地位にある者特有の『威厳』を保って言った。「あなたがたの同胞を虐殺したばかりか、あまつさえ女神をも凌辱しようとした地球連合という組織を、私もまた許すことができないというだけのこと。今や志を共にする同士である以上、支援を惜しまぬのは当然です」

 よくもここまで平然と言ったもんだ──。そう思っているのは、議員らの遥か後方に立っていたハイネだ。

 ジブリールがプラントに提供したのは、連合の名だたる主要基地の正確な見取り図に始まり、設備の増強・新たなMS配属の計画といった極秘の予定と続き、挙句の果てには連合へ供給されるはずであった多くの物資の横流しと、やっていることは完全な犯罪である。これでプラントを有利に導き、最終的にプラントが勝利を収めれば、彼は優秀なパトロンとして絶賛されるであろうが、あくまでそれは隠し通せた場合の話だ。

 特に物資に関しては、基地側が『何かおかしい』ことに気付いて調べ直せば即バレてしまう、子供の告げ口にも等しいチャチな行為。それとも連合には、ここまでされてなおこのジブリールを糾弾できない理由でもあるのだろうかと勘ぐってしまう。

 デュランダルの失脚後、プラントに常駐していたフェイスたちは、改めて最高評議会の意志の下で統率されることとなった。幸いというべきか、隊の大半を失って以降、デュランダルの身辺警護を主な役割としていたハイネはプラント外へ飛ばされることもなく、引き続き評議会議員らの護衛という形で立場を保っている。

 開戦宣言が出たと、そしてデュランダルが失脚したなどと聞けば、ミネルバでオーブへ向かったアスランやシンから真っ先にテレパシーが飛んでくるものと思っていたが、まるで音沙汰がないのが気がかりだった。ハイネは確かにマイノリテイだが、特出して何かに優れているわけでもなければ命令文行使ができるほどの上位でもない後天種であったため、自分からテレパシーを発信することができない。彼らから来た連絡といえば、ミネルバ艦長タリア・グラディスによる、連合所属ラボ『ロドニア』への出向命令の要請のみであった。

 だがそこに、彼はわずかな希望を見出している。

 拠点と成り得る大きな基地の制圧や、あるいはジブラルタル、カーペンタリア近辺で発生している連合とザフトの競り合いを無視してまで『ラボ』のような施設に向かうことが、ミネルバともあろう戦艦にとって何の利となろう。グラディスの申し出には『非道極まりない実験施設であるゆえ、早急な制圧を要する』とあり、艦に同乗するフェイス二人の同意が添えられていたことから、評議会はその要請を承認し『ロドニア』への出向を許可した。

 ミネルバはファントムペインの捕虜から情報を得て、その関連施設に向かおうとしているのだとすぐに察しがついた。彼らの心は、まだ自分と……否、議長と共に在る──その行動を見て、安堵に胸を撫で下ろしたものだ。

 ただ問題があるとすれば、そのファントムペインの親玉が目の前にいるということだろうか。チャンスがあるならその頭を自慢のマグナムでブチ抜いてやりたいところだが、おそらくこの情勢下でそんなことをしたら次に自分が蜂の巣になるのは知れたこと。やがて役に立つ日が来ることを信じて、今は情報収集に専念するより他に無い。

 彼は、アプリリウスタワーに幽閉されたデュランダルの居場所を知っている。ミネルバの誰かと……あるいはキラやカガリと『連絡』さえつけば、自分の命と引き換えにしてでも、すぐに知らせてやろうものを──。

「──ですが」

 と、ジブリールがさも残念そうな口ぶりで言った。やや疲れてはいたものの思考の海から浮上したハイネがふと見やると、その視線の先には、議員たちの背後に隠れるようにして立っているミーアが居た。

 議員たちと『談笑』していたジブリールは席からすっと立ち上がると、彼女のもとへと歩み寄って行く。

「あなたのリサイタルを楽しみにしていたというのに、中止となってしまったのは残念ですな。ラクス・クライン」

 開戦に伴い、ミーアは今週頭に予定されていた『ラクス・クライン』としてのリサイタルの中止を余儀なくされていた。連合憎し、ナチュラル憎しで戦争を始めたばかりの時に、静かで優しいメロディのものばかりである彼女の歌は、兵や隊の士気に関わると判断されたためだ。

「お心遣い、恐縮ですわ。ミスター・ジブリール」 ミーアは微笑みを湛え──たかったのだろうが、相手がブルーコスモスの元盟主という肩書きだけに、少し緊張した苦笑いのような表情になってしまった。「でも、こんな時ですから……仕方ありません」

 彼女自身も、地球へ降りたアスランに自分の晴れ舞台を披露する絶好のチャンスだっただけに、リサイタルの中止が決まった時の落ち込みようはなかなかのものだった。仕方がない、と口では言うものの、納得しきっていないのは誰の目にも明らかであった。

「実は私は、こう見えてあなたの歌をいくつか存じておりましてね。リサイタルも、映像ではありましたが拝見したことがあります。ナチュラルもコーディネイターも問わず、心の奥深いところへ訴えかけてくる旋律は、まさに別格。女神のそれと呼ぶにふさわしい」

 ミーアの手をそっと取り上げ、ジブリールは騎士のように言った。うそつけ、暗殺のチャンスを狙って動向を監視してたの間違いだろ──ハイネがそんなふうに思っていることなど露知らず、彼の饒舌ぶりは留まるところを知らない。

「愛しい人が、プラン トと己のため、その命を賭してザフトへ復帰する……アスラン・ザラの会見を見たとき、私は、その隣で涙を流すあなたの姿に胸を打たれたものです。きっと多くのプラント市民の皆さんも、同じ気持ちだったことでしょう」

「は、はいっ! そうでしょうっ?」 ミーアはパッと花が咲いたように喜んだ。「近くで見れば見るほど、ほんとにカッコよくって、優しくて……あ──、わたくしにとって、ああも頼もしくて、心の安らぐパートナーは他にいませんからっ」

「ふふ、仲睦まじいことで。妬けてしまいますなあ」

「まあ、お上手ですわねっ」

 先ほどまでの警戒じみた態度を一転し、ミーアは楽しそうにコロコロと笑う。挙動こそ本人からやや遠いものの、顔だけはほぼ完璧に同一となっているため、その様子を一抹の不安と共に見守るハイネは、いっそここにいるのが本当にラクス・クラインその人であったなら……と切実に思ってしまった。

 ミーアの危なっかしいところは、ラクスの婚約者であるはずのアスランを、ほとんど自分自身の婚約者のように捉えてしまっていることだ。平和祈念式典の際にはラクスのステージの最前列に居たというだけあって、ラクスとアスランのファンであったことは自他共に認めるところだが、『ファン』というものは、その情熱の対象と自分自身の間に境界を見失うケースも少なくない。ミーアはそのタイプと言えた。

 それでもデュランダルが選んだ人物であり、まだ発芽こそしていないがすでにキラのチカラを宿した者だ。無下には扱えない──何かあるたび呪詛のように繰り返されるそれは、もはや葛藤ではなく自己暗示に近い。

「そこで、いかがでしょうラクス・クライン。私からひとつ、提案があるのですが」 と、ジブリールは言った。「あなたの歌で、今も最前線で戦っておられるザフトの皆さんを激励されてみては?」

 えっ。驚いたのはハイネばかりではなく、そこにいた議員たちも同じだった。まさか、とばかりに、揃いも揃って前人未到の案を出してきたジブリールを見やる。

「もっと明るくアップテンポに、聞く者の心が弾むような歌を提供すればよろしいのです」 彼は、自分たちの女神が作りたもうた歌を改竄しようなど考えたこともなかった者たちを得意満面に見渡すと、改めてミーアへと向き直る。「…なに、ただあなたがその心に秘める、アスラン・ザラへの想いをそのまま声に乗せればいいだけのこと。きっと誰もがその光に魅せられ、士気も高まることでしょう」

 そしてそれなら、今の情勢と曲のテーマが合わないからなどという『難癖』で、リサイタルが中止になることもない──。暗にそれを示す相手の言葉を受けて、みるみるうちにミーアの表情が輝く。名案だと思ったらしい。

「素敵ですわね! ねえ皆さん、素敵なご提案だと思いませんかっ?」 ミーアは議員たちを振り向いて言った。「いま前線にいらっしゃるのは、アスランをはじめ、まだお若い第二世代の方々ですし! きっとみんな、喜んでくれると思いますわっ」

「…よろしいのではないでしょうか?」

 議員らは顔を見合わせ困惑している様子だったが、ひとりがそう呟いたのを皮切りに、肯定のほうへ傾き始めた。悠久なる水の都プラントの象徴であるラクスが、歌姫としての側面でザフトの士気を高める役割までも担ってくれるというのなら、彼らにとってこれほど有難い話はないだろう。

 ラクスの歌を、よりにもよって士気高揚のプロパガンダに利用?…冗談じゃない──。ここにいる集団の中で唯一、このラクスが『ラクス・クライン』ではないことを知っているハイネの心中は穏やかではない。

 ミーアの『大改造』に携わったのはすべて『クライン派』に属する者ばかりであったため、この秘密がいつバレるとも知れない危機感を抱かずに済んでいるだけまだ彼は救われていたが、これではむしろ議員たちが真実を知っていて、いづれ目覚めるラクス本人がこのザマを見たら何と言うか……と考えてくれるほうがまだ有難い気がした。

 と、ハイネと目が合ったミーアは、そんな彼の心労も何のその、ニッコリと微笑んで見せた。『大丈夫です! あたし、うまくやって見せますから』──そう言われているのが、テレパシー並にわかる。

 違う、そうじゃない。…と、声を大にして言いたかったが、今の彼には以前ほどの発言力は無い。議員らやジブリールが、自分にまでこの『名案』に対する肯定の旨を確認しに来ないだけまだマシだと思うことにして、彼は沈痛に目を閉じた。

 アスラン、泣いちゃうかもなあ──。そんな、どうでもいいことを考えながら。



 休憩室で甘いジュースを飲んでいたステラが、軽く咳き込んだ。

 その場に居合わせた整備士の何人かが気付いて、ちょっとむせてしまったのかなと注意を向ける。傍についていた女性看護士クルーが、大丈夫かと優しく呼びかけながら背をさすってやるけれど、咳はなかなか収まらない。

 それどころか、彼女はストゥールから崩れ、床にぺたりと座り込んでしまった。息を引きつらせてウッと呻き声をもらすと両手で口を押さえ、何かを堪えるように身を震わせる。

「お、おい、なんか様子、おかしいぞ」

「誰かシン……、アスカ隊長を呼んで──」

 整備士たちが口々にそんなことを言い合っているうち、異変は起きた。

 ステラを介抱していた看護士の身体が突然傾き、そのままドサリと倒れる。エッと驚いた周囲の者たちも、次の瞬間には立っていられないほどの眩暈に見舞われたかと思えば急に意識が遠くなり、ばたばたと倒れていった。

「……ハァ、…ハ…ッ…」

 そのときには、ステラの咳は治まっていた。呼吸こそまだ乱れていたが、幾分か顔色も回復している。彼女は何事もなかったように立ち上がると、そこら中に倒れているクルーたちなど気にも留めず、休憩室を出て行った。

 彼女の心は、『倒れている者』を見て、『大変だ』と思うようには作られていなかった。



 夜明け頃、何かがぷつりと切れたような気がしたと思った。

 あのとき丸窓の向こうに広がる暁の空を見上げながら、スティングはアウルが死んだことを察した。それと同時に、まるでこれまで抑え付けていたかのように体調が崩れ出し、丸一日が経過した今、かつて経験したこともない異様な気怠さと共に、日常的な活動にさえ支障が出るほどの発熱をも伴い始める。

 そうか──。彼は理解する。今までずっと、おまえが俺たちを守ってくれてたんだな、アウル──。

 『寝台』に入らなくなってもうずいぶんになるが、それにしては身体の調子が良いことが不思議ではあったのだ。礼を言おうにもすでには相手がこの世に居ないやるせなさを堪え、スティングは可能な限り意識を集中すると、呼吸を整え、自身の周囲に、身体をぴったりと包み込むスーツのようにごくごく小規模の『クリーンルーム』を生成した。

 皮膚呼吸の効率を高めることで『余計なもの』の取り込みの一切を遮断し、また自身の肉体に蓄積された『老廃物』をなるだけ速やかに排出できるように。そして『空調』を整えることによって、この高熱がなるだけ平常体温に近く下げられるように。

 アウルほどうまく調整することはできなかったが、数分の集中を経て、スティングは自身の体調が自分で制御できる程度に落ち着いてくるのがわかった。

 一息ついたのも束の間。シュ、と扉が開いた。誰かと思えば、入ってきたのはステラだ。

「どうした?」 スティングはなるだけ平静に言った。「愛しの王子様なら、まだもうちょっと帰って来ないと思うぜ」

「…そう…」 やはりシンの所在を確かめに来たらしく、ステラはしょんぼりと肩を落とす。

 シンとキラの連動はアスランが心配したより遥かにうまく安定し、ミネルバは、連合の基地がひしめくインドネシア及び中東を全速で駆け抜けることに成功した。ジブラルタルを目前にしたヨーロッパへの玄関口となるボスポラス海峡へほぼ『定刻通り』に到着し、すでに実動部隊であるシンがロアノークを、レイがグラディスを伴って出立している。

 ステラやスティングにも協力の要請が出ていたはずなのに、こうしてここに彼らが残る羽目になったのは、ラボへ出向するMSの定員オーバーだというわけではなく、ひとまず通信を試みたグラディスの呼びかけに、施設側から応じる声が何もなかったことに因る。

 ラボへの専用通信用のチャンネルナンバーはロアノークが知っていて、今更嘘を言ったところで意味はない。ザフト艦からの直接通信だから警戒させてしまったかと思い、改めてロアノークが呼びかけてみたけれど、やはり返事は無かった。

 衛星通信による画像で確認してみたところ、ラボは確かにそこに在る。その無音に嫌な予感を掻き立てられたシンが、待っていても仕方がないと出立を決め、精鋭二人から成る実動部隊はMSで飛んでいってしまった。

 これが、一時間ほど前の話になる。すでに彼らはラボに到着している頃だろう。通信が守り抜いた静寂──否、無音が意味成すところは如何に……といったところだが、色んな意味でスティングはすでに諦めがついていた。

 ファントムペインの部隊そのものが見限られたのに、その構成員を養成する施設がこれからも稼働し続けられるわけがないのだ。もはやガーティ・ルーが自爆したくらいのタイミングでとっくにラボへの『処分命令』は出ていて、決行されてしまっているに違いない、と──。

 そんなところにステラが同行しなくて済んでいるのはせめてもの救いだと思った。シンがステラを置いて行ったのは、きっと彼も、彼女に悲惨なものを見せる結果になるかもしれないと懸念してくれたからだろう。

「ステラ」 と、スティングは思い出したように言った。「おまえ、具合悪くなったりとかしてないか?」

「ないよ」

 どうかしたの、と言わんばかりにステラは首を傾げる。思い当たる節が無いらしい。

 アウルや自分がこうしてチカラの行使で『正常化』を行なえているのだから、きっとステラも意識しないところで自己防衛が働いているのだろう、と少し安心 する。──どこまで保つかは判らないけれど。

『……ナイ……』

 不意に。

 ステラが何か呟いたような気がして、スティングは彼女を見やった。

「…なに?」 ステラが訊ねる。

「いや、おまえ、いま何か──」

『タリナイ……』 また、ステラの『声』がした。『タリナイ、モット……シニタクナイ…!』

「…う、っ…」 息が詰まったように苦しそうに呻いたステラの脚から、がくんと力が抜けた。

「ステラッ!」

 慌ててスティングが抱き留めたおかげで床で頭を打つような自体にはならずに済んだが、服越しにも彼女の身体がじわりと熱を帯びているのが判る。

 何だこれ──。得体の知れない声に、あまりに不穏なことを『言われた』あとだったこともあって、スティングは焦燥に駆られ、居ても立ってもいられなくなる。そのときちょうど、廊下がバタバタと騒がしくなった。医療室、誰か早く──居残りの整備士たちの怒号に混じって、艦の防衛と『三賢者』の監視のため残っていたアスランの声がする。

 そうだ、あいつならまだ何とか──。

 彼がアスランに助けを求めようとしたところで、扉は向こうから開いてくれた。

「スティング、ステラを見なかっ…」

 飛び込みざま、訊ねようとしたアスランの言葉はそこで切れた。スティングが大事に抱えているステラの姿を確かめて。

「悪いな…ちょっと、調子が良くないらしくてさ」 スティングは言った。「どうせまたステラが勝手に抜け出して来たんだろ? それは謝るけど──」

「まさか、おまえたち……」

 さすがに先の大戦で、スティングら『三賢者』の『旧型』に接触しているだけのことはある。アスランはすぐに、彼らの『体調不良』が決して治らないものであることを察知したようだ。

「すまない、ひとつ確認したいことがある」

 言うが早いか、アスランは素早くスティングの傍らに膝をつくと、苦しそうに息をしているステラの肩口をぐっと掴んだ。何をしようとしているのか判らない刹那、ふっと彼の肌から血の気が失せた。

「くぅ…っ」 脊髄反射ともいえる速さで手を引っ込めたアスランだったが、ぐらりとその上体がバランスを失い、倒れそうになる。

「お、おいっ!」 スティングは慌てた。「大丈夫かよあんたっ」

「やはり、そうか──」

 呼吸を整えんとして、大きく息を吐いたアスランはひとりで納得したように言った。スティングが説明を求めるより早く、血色に至るまであっと言う間に回復した彼はすっくと立ち上がると両手を広げて謳った。

「我が身に残る、愛しき汝の残り香よ。此の場、此の地を、いま、我と汝だけのものと成せ!」

 一瞬、室内の壁という壁が赤く発光したように見える。隔絶結界──アスランが張ったそれはこの部屋だけに限定された、しかしチカラまでもをこの内側に封じ込める最高位の分類のものだった。

「さっき」 アスランは言った。「休憩室でミネルバのクルーが何人も倒れているのが発見されたんだ」

「え」

「体機能の急激な低下による重度の貧血が原因と見られているが、『被害者』の中に、ステラに専属していた医療クルーが含まれていた」

 まさか──。スティングはたまらず絶句する。

「スティング。君は自力で調整できているようだが、おそらくステラはそれだけの自己管理能力を持っていない」 アスランは苦々しく続けた。「活動に支障が出るレベルの不調を感知して、彼女の深層で防衛本能が働いている。……近場の人間から、不足したエネルギーを吸収しているんだ」

 足りない、死にたくない──。さっき聞こえた、不気味な声を思い出してスティングは愕然とした。

 あれはステラの心の……いや、魂の叫びだ。このまま身体が崩壊して死ぬのは嫌だから、だから、普通の人間が体調を回復するために多くの栄養を必要とし食事をするように、彼女は手当たり次第に、まるで冷蔵庫を物色するように傍に居る人間から生体エネルギーを吸い取っているのだった。

 それがスティングにまで及んでいないのは、彼女が本能的に『ダメ』だと認識しているからだろう。喜んでいいのかわからないが。

「うぅ…」

 スティングの腕の中でステラが呻いた。さっき、アスランをもぶっ倒れる寸前まで追い込んだくせに、それでも足りないらしい。

 ──当たり前だ、と、スティングは絶望半分に思った。自分たちの体機能は、コーディネイターのそれを軽く凌駕するように作られている。だから一日を活動した後の肉体そのものダメージは凄まじく、たとえ『寝台』と『薬物』で十全に管理されていたとしても、フルで使い込めば、ほんの一年かそこらで内臓が『老衰』を起こし死に至ってしまう。

 現代の連合の科学力ではそれが限界なのだ。だから他所の基地や施設では、『戦闘用コーディネイター』などといった、もはやブルーコスモスの理念さえ喪失したナニカが生まれ続けている。

 この悪意の連鎖が、自分を、ステラを、そして関わった者たちを殺していくのだ。

「お、まえ…っ」

 奥歯を噛みしめたステラが、憎々しげにアスランを睨む。どうやら自分のチカラを制限しているのが彼であることを、本能的に察知しているようだ。

「おまえええぇぇっ!」

 スティングの腕を全力で振り払い、ステラはアスランに飛びかかった。自身の生命維持を阻害されたことで、完全に彼を敵と認識したのだろう。やめろと叫ぶ兄貴分の声など聞こえてもいない。

 バシィッ。まるで高圧電線にでも触れたように光と衝撃がフラッシュし、ギャッと短い悲鳴を漏らしたステラが吹っ飛ばされた。スティングが成す術もなく息を震わせる中、彼女は呻きながらも、まるで獣のようにのそりと身を起こす。

「よく、も…」 ぎらつくその目から、敵意は消えていない。

「やめておけ、君のチカラでは俺には敵わない」

 サイコアタック対決でもないわけだから、アスランは手を掲げるような『姿勢による結印』すら見せてはいない。もっともそれが成された時点で、おそらくステラは弾き飛ばされるどころか、腕や脚のいずれかを失っていたのだろうが。

 こうなったステラは誰にも止められない。それができたであろうロアノークとシンは外だ。これ以上ミネルバに乗せていては、どんなタイミングでまた被害が出るかわからない。今は強制的に彼女の意識を断ち、のちにここへやってくるアークエンジェルに収容してもらうより他に無い。

「このあたしを、よくもおおぉ!」

 叫んだステラの身体が、刹那、強烈な光を発した。

「うわっ!」

 アスランはおろか、スティングまでもその場から吹っ飛ばす凄まじい衝撃波。それは彼女がミネルバからセカンドステージを強奪した際、シンやキラをも同じ目に遭わせた『切り札』だった。敵艦との戦闘にも十二分に耐え得る強靭な強化ガラスの窓が薄氷のように弾け飛び、予期せぬ力に全身を強打された上、さらに壁に叩き付けられたアスランの息が詰まる。

 室内にノイズが疾ったように見えたのは、アスランの意識が揺らいだことによる結界の弱化だ。ステラはもはや動物的ともいえるその察知能力でそれを感じ取ったのか、相手にそれ以上の追撃を行なわず、さっと踵を返すとどこへとも知れず転移してしまった。

 今の音は何ですか、どうしたんです、アスラン・ザラ──。

 取り乱した様子のトラインの声を遠いところで聞きながら、喉と肺が潰れて呼吸もロクにできないまま、アスランは莫大な危機感を覚えずにはいられなかった。

 あんな状態で彼女が外へ出たら、大変なことになるぞ──。







                                         NEXT.....(2017/08/23)