FATAL ASK  26.進化

 見上げればミネルバの中枢、インパルスの射出システムがある。

 非常に大きなシリンダー型をしたそれの中には今は何もなく、今や正規パイロットを失ったインパルスが、すぐ脇のMSハンガーで、救助されたその時の姿のまま立ち尽くしていた。

 シンはその足下で、ほとんど真上を見るようにして、もうずいぶんと長いこと沈黙している。

 ルナ──。目を閉じると、どうしても、もうここに居ない者の姿が頭をよぎる。

 対ファントムペイン戦では、乱戦の発生や、あるいはロアノーク直属の者を除いた部隊そのものが『別目的』で機能していたこともあって、インパルスがひとつも被弾することなく帰還することができたのは本当に幸運だったと誰もが口を揃えて言った。

 能力者と、そうでない人間とが戦って『無傷』で済んだのだ。キラに救われたことも去ることながら、シンですら、それは本当に素晴らしい奇跡だったと思わざるを得ない。

 持たざる者たちは、マイウスでその大半を失ったヴェステンフルス隊とジュール隊、そしてホーク隊の隊員たちのように、あるいはその釈明会見で無残に死んだあの男のように、ゴミ屑も同然に、その命を吹き散らされてしまうのが常なのだと思い知らされる。

 そう。──そう、シンにチカラが宿ったあの日、ヒトとしての尊厳もへったくれもない死を強いられたシンの家族と、同じように。

 悪いのはチカラではないと、シンはすでに知っている。自分の家族が死んだのはキラのせいではないし、ルナマリアがあんなことになったのはステラのせいでもない。真に討たれるべきは、チカラを使って平然とこの世の『ルール』を破り、あまつさえそれを正当化しつつあるファントムペインの『上層』なのだ。

 そこに思考が至るとき、シンの頭の中に、他人の語りかけのように芽生えるものがある。

 ──奴らはブルーコスモスだ。これまでのコーディネイター弾圧とほとんど同じように、そしてこれまでのプラント批判とも何ら変わらず、そのうち連中はキラの存在とチカラを指して、軍備強化のイタチごっこにする言い訳とそう変わらぬことを言うであろう、と。

 『おまえらの神格がバケモノだったから、我々もそのチカラを行使したまでだ』──。そうやって、奴らはあっという間に地球圏の世論を操作し、ナチュラルたちの、コーディネイター嫌悪を、より暴発性の高い『畏怖』へと塗り替えてしまうのだ、と。

 たまたまコーディネイターに多く能力者が存在したことですら利用して、コーディネイターという種そのものへの恐怖を煽っていくのだ……と──。

 こんなバカな話があるか──。シンは思わず心の中で反論してしまう。コーディネイターだって、スーパーコーディネイターだって、もとを正せばその理論を作り、その多くを生み出したのはナチュラルたちだ。それが、自分たちナチュラルの間にも思想や理念の違いがあった結果なのだと認めも考えもせず、ただ単純に『コーディネイター』だけを嫌悪しようなんて、それこそこんなものは作られた戦争じゃないか──。

 だからこそ、ステラたちのような存在をこれ以上生み出させてはいけない。ロドニアのラボへの出向を決めたのは完全に感情だったが、あとあと冷静になって考えてみても、その任務を放棄する理由はどこにも無かった。

 まるでひたすら誰かに講義でも受けているかのように、シンはこんな『悪意の心理』を嫌というほど感知し続けている。ルナマリアにコンタクトを取るため、彼女の状態を『知りたい』と強く望んで以降、彼は同じように『知りたい』と望むか、あるいはその対象へ『思考』を至らせることによって、その心算じみた深層心理が……中でも悪意がらみのことであれば尚のこと鮮明に、手に取るように『わかる』ようになってしまっていた。

 まいったな──。彼は溜息まじりに自分の手に視線を落とす。

 ちょっとナニカの、あるいはダレカのことを考えるだけで、その『悪い思考』が何もかもが透けてしまうのだからこのチカラはかなり厄介だ。残念ながらこの世に『悪意』を抱かぬ人間など居ない。時に他者への同情や哀憐の感情ですら、対象への優越という悪意に由来するのだから。

 早く発動をコントロールできるようにならなければ、シンのほうが一方的に疲れるはめになる。

 でもいったい、そんなことどうやって──。これまでこのチカラを『攻撃』にしか使ったことが無かったシンは、この新たに芽生えた『他者と繋がる』チカラを完全に持て余してしまっていた。

「シン」 アスランの声がした。「何してる、こんなところで」

 ぎくりと竦み上がったシンがとっさに首を回すと、このエリアへと歩いてやってくるアスランの姿が見えた。あの悪ふざけが大好きな友人らではなくて良かったと、心底ほっとする。

「あんたこそ、どこ行ってたんだよ」 シンは言った。

 アスランがこの艦の正規クルーではないことはシンも承知している。だから本当なら、彼がもしオーブで艦を下りると言い出せばそれを承認せざるを得ないところだった。グラディスを始めとするクルーたちもそれは解っていたから、姿が見えなくなった彼のことを探し回りはしていなかった。

 唯一、親でも見失ったように、その行方と所在を気にしまくっていたのはこのシンだけだ。

「ま、ちょっと野暮用でな」

 アスランは悪かったとばかりに言った。その苦笑いに違和感がある。──が、どんなにじーっと見つめても考えを巡らせてみても、彼の『内側』を見ることはできなかった。こいつくらい高度な能力者ともなれば、核ミサイルの直撃にも耐えるレベルの強固な結界が、意識外で常に肉体を保護している。心にもそういったガードが在っても不思議ではない。

 おれも、『このレベル』の能力者のはずなんだけどなあ──自分にはそんな『精神保護』の手法など身に着いていない事実にがっかりしながら、シンは傍までやって来たアスランに言った。

「最高評議会から『ロドニアのラボ』への出向許可はもう下りてるぞ。スティングやステラも、向こうの施設への交渉に協力してくれるって」

「それは何よりだ」 アスランは頷いた。「こちらも大体の手筈は整ってる。ミネルバはカーペンタリアを出港後、キラとおまえの『管制』で連合勢力圏……中東を突っ切ってイスタンブールへ向かう。そこを拠点として、おまえたち実動部隊をラボへ派遣するんだ」

「……そのことなんだけど」 と、シンは言った。「キラも、キラとおれのチカラでならミネルバを不可視化できるみたいなこと言ってたけど、そんなことほんとにできるのかよ? なんていうかその、大気中の水蒸気を操作して、即席ミラージュコロイドみたいなのを作るとかいうのだったら、おれ、そういう細かい作業はちょっと……」

「それもアリだな」 いい案じゃないか、と言わんばかりにアスランは言った。「俺の『イージス』を空の色に同化させて、迷彩化というのもいいかとは思ったんだが…」

「あっそれいいじゃ──」

「でもこれだと、本物のミラージュコロイドと同じで一部のスラスターしか使えなくなる。全速で航行しなきゃならない時に、ゆっくりしてはいられない」

「デスヨネー…」

 もういっそのこと最大出力の『イージス』で艦を包んで飛べばいいじゃないかと短気が出そうになるが、これはこれでアスラン個人への負担があまりにも重すぎる。もしここにイザークが居たなら、アスランひとりの犠牲で済むなら安いものだと決行を推したかもしれないが。

「で、シン」 アスランは言った。「おまえ、ここしばらくで新しいチカラが発現してるだろ」

 話すつもりはなかった上にまさか察知されていたとは思わなくて、シンはうっと言葉に詰まった。

「キラが言うには、そのチカラはあいつより多くの人間へ瞬時に干渉できるものらしい。下手をすれば地球圏全域に効果が及ぶ可能性があるらしいんだが……何か心当たりはあるか?」

「……ハイ、アリマス…」

 シンはつい、異国人の片言のような返しをしてしまった。

 なるほど、そういうことか──。シンは何となくだが、アスランの言葉を聞いて、自分のこの新しいチカラがどういうものなのか、理解できたような気がした。

 これは、極めて広範囲に有効なテレパシーやサイコメトリーに近いもののようだ。キラの『人間ではない存在の「声」を聞くチカラ』に焦がれるシンの想いが、ルナマリアの一件を通して『対象の深部』へ入り込むものとして発現したのだと考えられる。そして恐ろしいことに、これは完全に制御された時、有効範囲内──すなわち地球圏に存在する全ての『思考が可能な生命体』を『自分自身』として操作できるようになるという、魅了の究極形態となってしまうであろう。

 ルナマリアの時には彼女を助ける形になったとはいえ、対象の『五感』を『封殺』し、その精神世界へ自身が降り立てるというのは、MSでいえば強制的にコクピットを乗っ取る行為に等しい。キラが得意とする『マルチロックオン』がもし自分にもできるようになれば、一度に大量の人間へ介入し、『自身』として様々な場所・状況で行動することができるようになるのだ。

 今は先の事情からシンが『受信』するのみに留まっており、ついでに彼には、そんな『大勢の自分』を完全制御できるような並列的な思考回路は持ち合わせていないけれど。 

「おまえはそのチカラを使って、ミネルバを中心とする半径数十キロの人間へ一斉干渉する」

「はあっ?」

 このチカラに限っては完全に初心者であるシンに、アスランの続く言葉は無茶ぶりもいいところだった。たまらず声が跳ね上がる。

「ミネルバを捕捉するであろうレーダーを意識外とするように、連合の人間の精神を操作するんだ」

「そ、それが『不可視化』の正体ってわけかよ……」

「『実体の解除』という手段もあることはあるんだが、『この世界』が『俺たち』の『本拠』なせいか、『ここ』ではうまくいかないんだ。ぶっつけだが、やるしかない」

 できなければこの作戦は破綻するどころか、連合勢力圏を抜けることもできずミネルバは撃墜される──。シンは自分にのしかかる責任の重さを改めて痛感する。

 実のところ、これはキラだけでも遂行することができる作戦だった。けれどアークエンジェルの出立を黙殺させるために進行形でオーブ管制を乗っ取っている彼に、ミネルバの動きを追わせ、更にはその進路上の連合拠点までも次々に支配しろというのはさすがに無理がある。万一オーブで何かしら問題が発生したとして、キラの思考が一瞬でも別方向にブレてしまえば一巻の終わりなのだ。

 それなら、チカラの出力をキラに制御してもらいながら、ミネルバにのみ集中することができるシンがその拡散を担うのはごく当然の流れといえよう。

「……わかった」 シンはめいっぱいの時間をためて、ひとつ頷いた。「ミネルバはおれの艦だ、おれが守ってみせる」

「ああ、期待してるよ」

 そうやって頷くアスランの表情は、キラのそれにも似て優しく、あたたかい。それを見たとき、シンは、また彼の新しい表情をひとつ発見したような気持ちになった。

「あんたって、へんなひとだよな」

「いきなりなんだ」 唐突な侮辱ともとれる発言に、アスランの眉が寄る。

「あ、いや…ほんとその、悪い意味じゃ全然なくってさ」 シンはちょっと言い訳じみて、パタパタと手を振ってみせた。「おれと同じ先天マイノリティなのに、おれのことなんか全然眼中にないっていうか……おれに対しても全然優しいっていうか…」

 自分はこんなにもアスランを敵対視して、悪態ついてばかりだってのに……などと、シンは自己反省とも見えることをごにょごにょと言っているが、まともな言葉になっていない。ここでアスランが、『それは、キラは俺のものだからな』などと本心を言ってしまったら、こいつはもう一生二度と口を利いてくれなくなるだろう。

「おまえだって、大事な仲間だからな」 アスランは言った。

 これだって立派な本心だ。以前、イザークがマイノリティだった頃にしても、さすがに先天種は二人といなかったが、全員が揃ってマイノリティである中で長らく手を取り合ってこられたのは、その本能に流されることなく、個としての意思を強く持ち、それぞれが皆を仲間だと認識できていたおかげである。

「それって、ザフトの同僚として? それとも、能力者として?」

「人間としてだ」

 何を言ってるんだ、とばかりにアスランは答えた。それがあまりにも意外すぎて、シンは一瞬、返す言葉を失う。

「なあ、シン」

「え?」

「おまえ、あのステラって娘が能力者じゃなかったとしても、助けたか?」

「え──」

「たとえロドニアのラボが『三賢者』の出身施設じゃなかったとしても、こうしてミネルバ撃墜へのリスクを冒してでも出撃を決めたか?」

「何言ってんだよ、そんなの当たり前だろっ!」 シンは火が付いたように言った。

 そもそもシンは、ステラのように『ちょっとしたキッカケ』で発狂したかのように怯え、我を忘れて泣き叫ぶような恐怖心を抑圧した少年少女が、連合の反コーディネイター思想のもと、遺伝子改造さえしなければ何をしてもいいなどというふざけた主張の犠牲になっていること自体が許せないのだ。

 自分もまたそうである『戦争孤児』の末路。シンはそれが、自分自身が至ったかもしれない道だと思うとぞっとしないではなられなかった。

 デュランダルがロアノークの部隊を捕虜にしろと極秘の命令を飛ばして来たのは、この事実への調査を入念に行ない、ゆくゆくは連合上層部の非道を暴くためだ。これがブルーコスモスという思念集団の解体へ繋がるとは到底思っていないにしろ、少なくともナチュラル至上に染まっている弾圧や暴動への抑止力にはなるかもしれない。

 いきなり何もかもを洗いざらいゼロにする手段など無い。だからこそデュランダルは、少しずつでも、確実に歩もうとしていたのだ。

 議長が戻ってきたときのためにも、おれは議長に託されたこの艦で、できるだけのことをしておきたい──。それがシンの切なる希望なのだった。

「──それなら、いいんだ」

 そう言って満足そうに笑ったアスランは、どこか淋しそうだった。まさかこの男に限って、ナチュラルとコーディネイターの融和など夢物語だと言い出すわけではあるまい。

「なんだよ?」 と、シンは訊ねる。

「いや、…時代は変わりつつあるんだなと思っただけさ」

「そういや、アスランはヤキン戦役を戦ったんだよな」 シンは思い出したように言った。世界情勢的には相当重要な部類に入るはずなのだが、シンにとっては特に気にすべき問題ではないらしい。「その頃と今って、けっこう違うのか?」

 正直なところ、シンはオーブ侵攻以外のヤキン戦役をほとんど知らない。終戦したという報せこそ街頭で聞いた覚えがあるけれど、それを鮮明に覚えておくには、彼の心は暗い『闇』で濁り過ぎていた。オーブ制圧戦の折に家族を失って以来、デュランダルに出会ってザフトで今の立場を与えられるまで、彼の記憶は軽くすっ飛んでいるといってもいい。

「………あの頃は」 アスランは言った。遠いところでも見るように顔を上げて。「本当に、どちらかが滅亡することでしか決着できないものだと思っていた」

 その口調が恐ろしく『静か』で、シンは刹那、息をするのも忘れてしまった。

「俺たちがヘリオポリスに侵攻したとき、運悪くそこにいたキラが、運悪く連合のMSに搭乗してしまってな。何年かぶりに再会したってのに、あいつはナチュラルの友人を守るためだと言って、俺の誘いになんか耳も貸さずに、そのまま連合に与したんだ」

「え──」

「何度説得しても、呼びかけても、あいつの意志は変わらなかった。コーディネイターが連合に所属するなんて、それだけで肩身の狭いを思いをしただろうに…それでも俺の部隊と何度も戦って、…戦って、とうとう、あいつは俺の友人を殺してしまった」

 シンは何も言えなかった。感情を押し殺したように淡々と、そんなことを喋るアスランを見ていることしかできない。

 アスランは、ふっと大きく息を吐いた。胸につかえた何かを追い出すように。

「俺は…その結果を自分が招いてしまったように思った。何度もキラと会って、何度も話をするタイミングがあったのに、それでもあいつを連れ去ることさえ満足にできずに、その時に至ってなお、討ち取ることもできなかった自分のせいだって」

「そんな、…そんなわけないだろっ」 シンはつい言ってしまった。「あんたがキラを殺す? 冗談じゃない、そんなことできるわけないだろ! なんで自分でそんなこともわからなかったんだよ!」

「できるできないの話じゃなかったんだ。キラは『連合』だったんだよ。……あいつは敵だったんだ」 アスランは、やはり淡々と、静かに言った。「どうしようもなく、救いようもなく、俺たちは『敵同士』だったんだ」

 だから──。当時のことを思い出すと、それだけで込み上げる感情を抑え切れなくなる。アスランはきつく握り締めていた拳を開き、爪の痕が刻まれた手のひらに目を落とした。

「だから、俺はこの手でキラを殺さなきゃいけないと思った」

 尚更、そんなことできるわけがない。シンはもう一度同じことを思った。

 そしてその当時、アスランも同じ観念に囚われていた。

 キラを殺すことなんてできない。幼い頃からずっと一緒に育ってきた弟のようなキラをこの手にかけるなど、考えるのも嫌だった。

 でも。

「そうしなければ、他の誰かがあいつを殺してしまう」

「あ……」

 はっ、と息をのむように、シンはアスランの言わんとしていることを理解した。

「俺じゃなきゃいけなかったんだよ」 アスランは噛みしめるように言った。「他の誰かに殺されるくらいなら、その報告を他人づてに聞いて、死ぬほど後悔するくらいなら……俺がこの手で、その首を絞めてでも、あいつを殺さなきゃいけなかったんだ」

 キラがニコルを殺した。

 あいつが俺の大切な友だちを殺したんだ──。

 家族も同然のキラと、出会って数年のニコル。クズの思考であることを承知の上でどちらが存在して重いかと考えれば、キラに軍配が上がるのは言うまでもない。それでもアスランはニコルの死という『事実』だけを深く、深く、これでもかというほど自分の眼前に突き付けて、キラへの怒りと憎しみをかき立てるより他なかった。

 それは自分自身による、己の洗脳なのだった。

「シン」 アスランは言った。「おまえは間違うなよ」

 その言葉が恐ろしく重たくて、シンは返事ができなかった。

「たとえ俺と同じ轍を踏むことになったとしても、絶対に間違った考えで自分を染めるな。立場や所属に惑わされずに、自分が最善だと思うことをしろ。議長がおまえをフェイスにしたのは、きっとおまえなら間違えないと信じたからだと、俺は思ってる」

 このアスランは、そうしてキラと死闘を演じた後ほどなくザフトより脱走し、クライン派の『武力行使』に加担している。始まりと結果だけがすべてのこの世界で、アスラン・ザラといういち個人を『プラントの英雄』などといった概念でしか見ていない者たちはきっと、そんな彼がどんな思いでその行動に至ったか、知ろうともしないのだろう。

 あの日、アスランは『ザフトから離反した』のではない。

 『ザフトに所属する自分』のままではいけないと思ったのだ──それが、容易に想像できる。

 自分には到底真似のできない行動力だと舌を巻く一方で、自分が未だかつてそんな立場に追い込まれたこともない──少なくとも自分のような気性の激しい者がそうならずに済んでいるのは、デュランダルやグラディス、あるいは友人らの厚い配慮ゆえなのだと、改めて強く認識する。

「……何を言ったって、結局最後は言い訳になるんだよな」

「え?」

 シンがぽつりと放った言葉にアスランがきょとんとした一瞬、シンの足が床から離れた。アスランがエッと驚いて見上げてくるのも構わず上昇し、彼は程なく、インパルスの胸元近くで静止する。

「おい、シン──」

 すでに一度間違ってしまっているシンという存在を、諦めずにいてくれる多くの人々に、彼はいつも感謝している。だから時々卑屈なことを言ったり態度にも出てしまうけれど、この開戦という事態において、いよいよその恩を返す時が来ているのかもしれない。

 アスランの言葉に、そして彼が想像するデュランダルの『期待』に、任せておけと頷けるだけの自信なんかシンにはない。今ですら彼は、何が正しくて何が間違っているのかをはかりかね、己の主観でしか物事を見ることができないでいるのだから。

 でも、アスランもデュランダルも、それでいいと言ってくれる。……多分、確実な俯瞰など誰にも獲得できるものではないのだ。あらゆるすべてを客観視できる者がいるとすれば、それこそ機械くらいだろう。人には感情があり、経験がある。そこに生まれる想いや祈りがあるから、シンだって自分の信じる道を歩むよりない。

 これまでも、これからも、これが変わることは、きっとない。

 それなら、自分が返すべきはアスランへの言葉という返事ではないように思えた。

 シンはすっと持ち上げた両手を宙に舞わせ、謳う。

「この世を包む一切の闇よ。我は汝らが知らずまま在る、真なる姿を此処に示さん」

「シン…っ?」

 アスランは思わず身構えるようにして彼を見上げた。聞いたこともない構成の命令文。──否、何とはなくだが、聞き覚えのある節が混じっている気がする。

「果てなく世に満ちたる汝らは、此の夜で在り此の世に非ず」

 シンは謳いながら、ルナマリアのことを思った。大怪我を負ったメイリンのこと、そしてメイリンを救ってくれたラクスのことを思った。

 そして、ステラのことを。

 シンが言葉による誓約を嫌うのは、それがかつて何の効力ももたらさなかったからだ。どんな言葉で飾ったって、そんなの誰だって──そうだ、そこらのインコだって 覚えれば言える。

 ちゃんとやります、頑張ります。そんなこと言ったって嘘くさいだけだ。だったらおれは、自分の覚悟くらい、自分で示してみせる──。

「総ての闇は、我が示せし輝きの前にひれ伏さん。我こそは世界の運命を此の手に紡ぐ、新たなる刻をいざなう者である」

 ゾクリと全身に悪寒がはしった気がして、アスランはたまらず身震いした。

 いや、一瞬こそ勘違いしてしまったが、これは『悪寒』などではない。──いわば『歓喜』だった。マイウスでカナードを初めて見たあのときに似た、キラのチカラを初めて目の当たりにした幼い日と同じ高揚。シンの『闇』が『正規の姿』を示さんとするこの時、アスランの先天マイノリティとしての本能がそれに沸き立っているのだ。

「我が名を解放せよ!」

 来る──。アスランはキラのそれに継ぐシンの『闇』の妨げとなることを畏れるように、息をのんで彼を見つめた。

「闇に代わるは我が光、目覚めよデスティニー!」

 命令文の完成と同時に、唯一の観客であったアスランの視界いっぱいに、眩く輝く赤き光の翼が展開された。



 夜明けが近い。

 オーブ近海を一望できるアカツキ島の岬へキラがやってくると、そこにアウルがいた。

 海へ向かって両膝をつき、まるでどこかへ祈るようなかっこうで。

「──アウル」

 キラがそっと呼びかけると、彼はほんの少しの間を置いて立ち上がり、振り向く。ニッと笑って見せたその気の強そうな顔は、まったく普段と変わらない、生意気小僧のそれだった。

「ミネルバ、ロドニアのラボに行くんだって?」 アウルは言った。

「うん」

「母さんだって聞こえてるよな? 『海』の声。──スエズ基地からラボの『処分』命令が飛んでる。今から行ったって、直線でも多分間に合わないぜ?」

「……だから、頼んでたんだろ?」

「へへ、まあなー」

 アウルは肩越しに、さっきまで向き合っていた海を見やった。水平線がわずかに白んでいるように見える。波の音は大きく小さく、近く遠く、規則正しくずっと二人の耳に届いている。

 少年は、海に祈った。──言伝をした、というのが正しい表現かもしれない。間もなく『処分』が決行されるラボの誰かに、本当に誰でもいいから、自分の声を届けてほしいと。

 おまえらはもうすぐ殺される。逃げろ。どこだっていい、何だっていい。自分が生きた証を残せ──。

 誰かに届いたかはわからない。けれど『海』はアウルの声を聞き届け、その『身』に声を溶かしてくれた。自分たち『三賢者』のチカラは、キラの傍に在ったことで飛躍的に進化している。これなら、自分たちよりも全然弱くて、能力者としては使い物どころではなかった施設の子供たちだって、一部くらいは受信できるかもしれない。

「気付いてくれるといいな」 アウルは言った。遠いところを眺めながら。「ひとりでも、…一秒でも、長く生きてくれたら」

「アウル…」

「やめろって、そういう顔」 彼はあっけらかんと笑った。「ボクさ、辛気臭いの苦手なんだよね」

 キラは何も言わなかった。

 部屋に戻ったほうがいいとか、休んでいた方がいいとか、無理にチカラを使ってはいけないとか。そういったことは、何も。

 わかっていた。

 アウルにはもう、戻るだけの体力さえ残っていないのだということを。

 クサナギで倒れてから、食事らしいものを一度も口にしていない彼がこうも血色よく見えるのは、自身で血液の循環を操作しているからだった。生命維持にもっとも重要な臓器をピンポイントで選んで重点的に血液を送り、他の壊死や腐蝕をかえりみず『正常』を保たせる。

 本当なら死ぬまで続いた高熱があっけなく下がったのも、それからは『家』の孤児らの遊び相手ができるくらいに回復したのも、そのおかげだった。

 ……はっきり言って、正気の沙汰ではない。彼の体内では、すでに使い物にならなくなったいくつかの臓器の腐敗が進んでいる。血液と体液の循環を自ら制御しているアウル自身が、それに気付いていないはずはない。

 生きながら腐っていく自分の身体を、どんな思いで、いま──。

「ありがとな、母さん」 アウルは言った。「ずっとオレのこと、サポートしてくれてたろ」

「……何もしないよりは、ずっといいと思ったから」

「無駄に苦しませただけかも、なんて考えんなよ? 予想してたよりは長く保ったなあって思ってたんだ。一日でも長く母さんの傍に居られたんだ、余計なことされたなんて、思ってないからさ」

 実のところキラはアウルの『表面的な正常化』のサポートなんかじゃなく、彼の肉体の『浄化』を試みていたのだが、結果としてそれは叶わなかった。

 はっきり言って、肉体が崩壊する速さに処理能力が追い付かなかったのだ。

 連合のラボだけが処方箋を所有する、特殊な配合を成された薬物。それが無ければファントムペインの『生体兵器』は生命維持ができない。それは兵の脱走を確実に阻止するためのものであり、また効力によって限界までその力をフルに『活用』するための増強剤のような役割を持つ。

 それを摂取することでしか、彼らの肉体が排出する老廃物を除去する手段がない。ついでに言えば、それを摂取した状態で『寝台』と称される特殊な装置に入らなければ、完全な『クリーンアップ』とはならないようにできていた。

 薬物に植え付けられた強い依存と、本来は持ち得ない細菌類の移植による過激なホルモン分泌、そしてトドメに脳内インプラントのクリーンアップ──彼らの人間としての『寿命』など考えもしていない、彼らが成長し、やがては『大人』になることなど前提にもなっていない、たった数年で使い潰されてしまう無慈悲もいいところの改造。

 連合の上層部はコーディネイター嫌悪の理由として『自然の摂理に背いた化け物』などと称するが、それじゃあ『これ』は何なんだと突き付けてやりたくなる。綿密な調査を重ね、ゆくゆくはそうするつもりであったはずのデュランダルは失脚を余儀なくされ、今や行方が知れない。世界は連合の──カガリが言うところの『一部の過激派』の思うまま、戦乱の闇へと落ちていく。

 この夜は程なく明けようとしているのに、これほど暗いそれも珍しかった。

「助けられなくて、…ごめん」 キラは言った。

「ほら」 アウルは言った。「母さんの悪いクセ」

「えっ?」

「チカラがあれば自分は万能だなんて思わないほうがいいぜ。誰にだって、できないことはあるんだよ。これが自然の摂理ってヤツ、しょーがないことなんだって」

 キラは何も言えなかった。

 自分というおぞましい存在を指してなお、『自然の摂理』なんてものを適用してくれる、この心優しい少年に。

 そんな彼を人間という枠から外したのは──キラのチカラですら及ばないくらい『自然の摂理』から無理やり反らしてしまったのは、連合の手の者ではないか。何故ここにきて、それを理由にこの少年が生きることを諦めなければならないのか、それこそ納得が行かなかった。

 自分の『闇』を分け与え、命を共にすることで存えさせることはできる。けれど、そこに救いはない。

 それでも生きてさえいてくれればと望むのか。それなら安らかに眠らせてやりたいと望むのか。

 ああ──キラは目を瞑った。

 『海』の声が聞こえる。『空』の声がする。『風』の声が響く。

 終わりのときだ。

 ふたりは何も言わず、何も交わさず、程なく訪れるその瞬間までの猶予を過ごす。どんな軍事式典のときより、どんな追悼式典のときよりも厳粛な気持ちで。そうして閉じたままだったキラの目尻から、抑えることのできなかった涙が伝い落ちていった。

「──母さん」

 視界を濁らせるそれを拭う一瞬さえ惜しい。キラは濡れたままの目を上げ、少年を見た。

 その笑みは、これまでに見たこともないくらい静かな、凪いだ海のようだった。

「オレの死体、探さないでくれよな」

 彼は地を蹴り、中空へ身を躍らせると、まっすぐに落ちていった。

 自分を最期に抱き留めてくれる、優しい『母』の胸へと──。







                                         NEXT.....(2017/08/20)