FATAL ASK 25.開戦
「ロドニアのラボ?」
その報告を聞いたアスランは、休憩室でカップ片手にコーヒーを飲むグラディスを見やった。
「ええ」 彼女は一息つき、頷いた。「ファトムペイン司令官、ネオ・ロアノークへの聴取で判明したことですが、そのラボは連合の非正規な組織の中でも際立って特異なもので、『三賢者』もそこの出身だという話です」
「ファントムペインの構成員を直接養成している施設…というわけですね…」
「その見解が妥当ですわね。そしてこれは私の推測なのですが、よろしいでしょうか?」
「どうぞ。おっしゃってみてください」
「ファントムペインの上層部が部隊を見限ったというのなら、証拠隠滅のためにそのラボが処分される可能性は十二分に考えられます。現在、議長や評議会とは連絡がついておりませんが、もし急を要するものと判断されるのでしたら、貴殿もしくはシン・アスカのフェイス権限において、当艦へ出向命令を出して頂くことも可能かと」
なるほど、確かに考えられない話ではない──。アスランは考えた。
ロアノークが第一回目の聴取でそのラボの名を出したのは、ザフトによる接収あるいは制圧は早い方がいいと見たからだろう。そして彼がそう思ったのはやはりグラディスの言うように、早期の証拠隠滅工作によるラボそのものの『廃棄』が考え得るからだ。
もしも『三賢者』と同年代の、もしくはそれ以下の子供たちがまだそこに収容されているのだとしたら、急を要するどころの騒ぎではない。ミネルバがファントムペインの捕虜を抱えていることは、現状、同艦のクルーとデュランダルだけの機密であり、評議会の他の議員たちですら知るところではない。よって近隣の基地から偵察を出してもらうといった作戦も立てられない。いま動くことが可能なのはミネルバだけだ。
ただ──。アスランが決断を一瞬とはいえ躊躇ったのは、他でもないシンのことを考えたからだった。
アスランは、名目上この艦にラクスの『棺』が乗るからこそ同乗した、いわば彼女のボディーガードである。つまり、そもそものミネルバへの指揮権限はシンにあるのだ。グラディスは能力的にも人格的にも非常に優れた隊長格だが、どうもシンを自分の部下だとする意識から脱却できないでいる。それはひとえにシン自身にフェイスとしての自覚的行動力や決断力が足りないせいなのだが、だからと言ってアスランがこの艦の指揮を執るわけにはいかない。
シンがこのラボの話を聞けば、すぐにでも飛んで行こうとするだろう。ならば、それを代弁してやることもできるのだが──。
ミネルバがクサナギの護衛任務を終え、オーブに寄港してより早くも四日が経過している。ルナマリアの移送こそオーブ海軍の手を借りて速やかに行なわれたものの、艦内のシンが『やらかした』箇所の修復も満足に行なえないまま、評議会からは未だ何の連絡もない。さすがにオーブ軍や政府の者たちも、棒立ちも同然に港に停泊したままのミネルバをどうしたものかと困り始めていた。
「せめて」 アスランは溜息を吐いた。「デュランダル議長と連絡が取れれば、方針だけでも決められようものですが…」
『艦長ッ! 艦長、緊急事態ですっ! 至急ブリッジへっ!』
キーンと響くハウリングも何のその、オペレーターのアビーが甲高い声で放送を入れてきた。何事かと驚いた彼女とアスランが立ち上がり、顔を見合わせるまでもなく休憩室を飛び出してブリッジへ向かう。
あんな放送があったものだから、艦内各所で暇を持て余していた──もとい待機中であったクルーたちも続々とブリッジへ駆けつけてくる。ヨウランやヴィーノのような整備士はもちろん、血相を変えたトライン、そしてあろうことかロアノークやステラ、スティングまで。
最後に駆け込んで来たのはレイと、そしてシンだった。
「いったいどうしたのっ」 グラディスが言った。
「い、いま、プラントからの緊急中継が…っ」
アビーが待ってください、と言いながら震える手でコンソールを操作すると、ブリッジ上部の大型ディスプレイに映像が流れ出した。
プラント最高評議会による放送のようだった。そこはアプリリウスタワーの講堂で、特設会見場と化している。その壇上には、いつかも見たことのある議員のひとりが立っていて、演説を行なっているところだった。
『よって我々は、これを自国防衛義務の放棄と見なし、ギルバート・デュランダル氏を最高評議会議長より解任するとともに、プラントといういち国家が危機的状況に立たされた今一連の事件への対応不足、あるいは怠慢について責任を問い、アプリリウス当局にて身柄を拘束する運びとなりました』
「はっ?」
シンの目が点になる。誰もが言葉を忘れて唖然とした。
「な…なんでっ?」 シンは続けて大きな声を上げた。「議長が、戦争はするまいって頑張ってたのは、みんな見てたじゃないか! なのに、何が対応不足なんだよ、どういうことなんだよこれはっ!」
この叫びは間違いなく、この場に居るザフト関係者全員の心情に一致するだろう。ファントムペイン側の者たちに至っては、ロアノークこそ窺うような表情で厳粛に黙っているが、ステラは首を傾げてキョトンとしている。おそらく放送の意味自体を解っていないだろう。
「シン…どうして怒ってるの?」 ぽつりとステラが言った。
「大事なひとが、悪い奴らに捕まったんだよ」 さも当然と言わんばかりにスティングが教えてやった。「……やられたな、ネオ」
「ああ」 ロアノークは神妙に頷いた。「どうやら盟主様はファントムペインを見限っただけじゃなく、それを踏み台にしてプラントの乗っ取りまで企てようとしてるらしい」
『そして我々最高評議会は』 放送の声はいよいよ熱を込めて語る。『デュランダル氏による闇雲な反戦思想より脱却し、これをもって、プラントにて一連の「虐殺」を行なった特務部隊を保有する地球連合へ、宣戦布告を行なうものであります!』
今度こそ、一同に衝撃がはしった。
「ええぇっ」 トラインが大袈裟に驚きながら後退し、周囲の者たちを見回した。「い、今このタイミングで開戦って、そんな…っ、我々はいったい、どうすれば」
「下手な指令が出る前に、オーブを出たほうが良さそうね──」
グラディスが一同を振り向き、……そして、ハッと一点に目を留めた。
レイが唖然としたまま、未だ連合への恨み言を喋りまくっているモニターを見上げている。その表情は、まるっきり近親の死でも告げられた子供のようだ。
「そんな──」 彼は呟いた。信じられないものでも見たように、…否、未だに現実を受け入れられない様子で。「そんな、ギルが……」
「レイ、落ち着きなさい」 グラディスが母親のように言った。「ここで私たちが取り乱しても、どうにもならないわよ」
それに、放送を見つめていたってデュランダルの現在の様子が映るわけでもない。レイはまだまだ納得できなさそうではあったけれど、歯噛みまじりに俯いて、モニターから視線を外した。そんな様子を横で見ていたシンは、普段は沈着で聡明なレイでも、こうも取り乱すことがあるのかと驚いている。
ピー、ピー、ピー。ブリッジ内に通信のアラートが鳴った。誰もが一瞬、プラントからの早速の無茶ぶりかもしれないと身構える。
「──オーブ官邸のアスハ代表より、『裏回線』での極秘通信です」 アビーがホッとしたように言った。
「繋いでちょうだい」 グラディスも肩の力が抜ける思いだった。気を取り直して、新しい映像が映ったモニターへと視線をあげる。「──アスハ代表。さっそくのご連絡に感謝いたします」
『さっきの放送、諸君も見ていたのだな』 カガリは気丈に振る舞ってはいるが、誰から見ても疲れた様子で顔色も良くなかった。寝ていないのかもしれない。『こちらが議長の失脚を知ったのはほんの数時間前だ。現在の状況は、そちらも把握されていないと見えるな』
「残念ながら。寝耳に水というやつですわね」
『プラントからの通達はまだこちらにも来ていない。……あまりこのようなことは言いたくないが、十中八九、「味方をしないならば安全は保障できない」といった「同盟破棄」の通告であろうことは予測している』
「ええ。そのご認識で間違いはないでしょう。こうなった以上、我々もオーブに長居するつもりはありません。万一にも、当艦にオーブ攻撃命令が下らないとも言い切れませんので」
『ありがとう、懸命な判断に感謝する』
その通信を聞きながら集団から離れたアスランは、頭に手を当ててより集中を高め、プラントに居るハイネ、あるいはディアッカへのテレパシーを試みる。だが、繋がらない。ともすればハウリングのような強いノイズが頭の芯に襲い来て、火傷をすれば手を引っ込めてしまうように、反射的に断線してしまう。
「アスランッ」 傍に来たシンが言った。「プラントの誰かと、話せないのか?」
「今やってる」 アスランは言った。「だが駄目だ…ノイズがひどくて、本人たちの所在さえはっきりしない」
「まさか、またあの野郎が妨害してるのか、おれたちのこと」
正直なところ、そのくらいしか考えつく可能性はない。アスランやシンほどの能力者を『制限』することができるのはキラくらいで、そんなキラにとても『近しい』存在であるあの黒い男の姿は、もはや呪詛や悪霊にも等しく彼らの頭にこびりついている。
カナード・パルス──。アスランは、ロアノークづてに聞いたその名を思い出し、沈痛な思いで目を伏せた。
『………皆さん』
不意にキラの声が聞こえて、アスランとシンはハッと顔を上げた。自分たちだけのテレパシーかと思ったが、それにしては口調がおかしいし、気付いてみれば周囲の者ら、そして通信の向こう側にいるカガリまでエッと驚いた顔をしている。
『ミネルバがオーブを離れる前に、お願いしたいことがあります』
それを告げると同時に、ブリッジの中空にキラの姿が出現した。半透明の黒い球体に包まれたそれは少し不鮮明で、立体映像のようなものだとすぐにわかる。
彼はオーブの制服を着ていなかった。髪の色より暗く深い、アスランたちが見慣れた普段の彼だ。
『いま僕は、皆さんの聴覚と視覚に介入して、あなたがたにだけ僕が見えるように、そしてこの声が聞こえるように操作しています』 キラはご丁寧にも、どこにも投影装置のない立体映像の原理を説明した。『開戦宣言が出た以上、もう、公式な軍部の回線は使えませんから……すみません』
キラのチカラに対して、未だ免疫を獲得していない一部のクルーたちも、これには黙らざるを得なかった。連合にも、近隣のザフト基地にも盗聴──いや、傍受される心配のない『通信』の手段は、もうこれ以外にない。今こうして話ができるだけでもありがたいのだ。
『構わないぞ、キラ』 厳しい表情をしたままのカガリが言った。『こちらはひとつでも多く、できるだけの手を打っておきたい。おまえの提案を聞こう』
「こちらも構いませんわ、ヤマト准将」 グラディスも言った。「どうぞ、おっしゃってください」
『ありがとうございます。……時間もないので単刀直入に言いますけど、もうすぐ、アカツキ島からアークエンジェルが出立します』
アスランは急に頭が痛くなった。
『ミネルバで保護しているファントムペインの捕虜たちを、今のうちにアークエンジェルへ移動させてほしいんです。迎えが必要でしたらこちらで用意できます。──今はどんな形であれ、プラントの情勢に従うことになるミネルバにとって、その存在を報告できない捕虜は邪魔……って言ったらひどいんですけど、扱いに困るでしょう?』
「言ってくれるな」 ロアノークはたまらず苦笑いした。だが事実だ、気を遣われて下手な言い回しをされるよりよほど清々しい。「いいぜ准将殿、俺たちはアークエンジェルに乗せてもらおう。このままミネルバの皆さんのお荷物ってわけにもいかないしな」
ネオ・ロアノークという存在をしてムウ・ラ・フラガであることをすでに確信しているキラとアスランは、当人にもし『その気』があるならば、ミネルバが所有するホーク隊のMSを貸し出したっていいとさえ思っている。──が、さすがにこの場でそんなことを軽々しく口にすることはできない。
様々な思惑が交錯する間ののち、双方に合意の旨がある様子を見届けたグラディスは、再び視線をキラに戻した。
「ひとつよろしいでしょうか、ヤマト准将」
『はい』
答えたキラの目が、はっきりとグラディスを見る。これは単なる視覚操作による立体映像というのではなく、本当に相手の脳の内部反応に干渉して自分を認識させているのだ……ということがわかって、彼女は背筋が薄ら寒くなる。
これが『超能力』……ギルも、こんなものの片鱗を持っていたのね──。
「我々はつい先ほどまで、ファントムペインより供述のあった『ロドニアのラボ』へ向かうか否かで協議していたところでした」 グラディスは言った。「そこは今もファントムペインの人員となるべく、年端もいかぬ子供たちが収容され、『訓練』を施されていると聞き及んでおります。連合所属の非正規施設への調査という名目になりますから、もし公式に出向命令を要請しても、プラントが渋ることは無いでしょう」
この作戦の真の目的は、施設の制圧でも接収でもなく、連合の手による『廃棄』が実施された場合に対する、内在する人員への救援という意味が強い。プラントへの上辺だけの報告であればグラディスだけでうまくまとめられるだろうが、上空にいきなりザフト艦が飛んで来ればラボの所属員は何事かと思うに決まっている。
ミネルバだけで向かっては、激しい抵抗が予想される。だからもし不都合がなければ、捕虜の移動はそのラボへの出向が終わってからでも…と、彼女は考えていたのだった。捕虜を使って門戸を開かせるというのは気の進まない作戦ではあるが、今は手段を選んでいる場合ではないし、決定となれば今後に支障が出ることもないよう、迅速に遂行するつもりでいる。
「ただ──」
それまで澱みなく話していたグラディスの口調が、急に落ちる。誰もその先を促そうとはしない一瞬を経て、彼女は思い切ったように言った。
「この作戦は、急を要します。本来であれば連合勢力圏であるインド・中東を突っ切ってでも向かうべきところです。ですがつい今しがた、プラントからは開戦宣言が出たばかり……この情勢下では、あっという間に当艦は撃墜されてしまうでしょう」
主戦力であったホーク隊を失った今、戦力と成り得るのはシンとレイ、そしてアスランだ。ミネルバは最前線で戦うことを見越した新鋭戦艦ではあるが、搭載MSや積載物資の量となると『少数精鋭用』と言わざるを得ない規模である。連合勢力圏の上空を堂々と通過などしようものなら、その物量に押し負けるのは目に見えている。
「もし…」 グラディスは言った。「もし、准将やアスラン・ザラ、あるいはシン・アスカの『チカラ』を行使することで、この作戦を迅速かつ確実に遂行できる手段あるいは案がありましたら、ご教示頂けませんでしょうか」
艦内はざわめきこそしなかったが、無言の一線がぴんと張り詰めたような沈黙に見舞われた。
驚いているのはクルーらばかりではない。キラもカガリも、アスランもシンも、まさかここで能力者としての自分たちが必要とされるなど考えてもいなかったらしく、返す言葉を失っている。
「か、艦長…」 トラインが言った。何を言ってるんですか、と、非難とまでは行かずとも、相手の動向を探るように。
「デュランダル議長であれば、きっとこうしていたはずよ」
部下にそう答え、グラディスは少し改まって言った。
「──私は軍人です、本来であればザフトの…いえ、その統括であるプラント最高評議会の意思こそを最優先として動くべくあるのは重々承知しております。ですがそれでも、開戦されたからと言って、失脚なさられたからと言って、これまで自分が信じてきたデュランダル議長の信念を投げ捨てることが最善とは、思えません」
ロアノークはじっと沈黙し、そんなことを言うグラディスを見ている。自分たちが出撃する少し前、カナードが並べ立てる『事実』に彼が同意も反論も、そして議論ですらしようとしなかったのは、それが『命令』という絶対のものだったからだ。
ただ彼だって、そんな上層部から見捨てられたと言われた時、ならばその威信と廃棄命令を遂行するために相手を巻き込んで自爆しよう、などとは微塵も考えなかった。真っ先に思い浮かんだのは、もう長いこと顔を見ていないやんちゃ坊主のアウルと、自分に想いを寄せてくれている娘のようなステラ、そしてそんな二人の兄貴分として自分の補助役を買って出てくれていたしっかり者のスティングのことだった。
軍人だって人間なのだ。情というものがあり、それを基盤にした主観があり、それを捨てることはどうしてもできない。だからこそ連合は『三賢者』のような馬鹿げた『おもちゃ』をやたらと作りたがる。本当に情が撤廃されるべきだと思うのなら、戦争ですらオートマチック化する技術など、連合だってすでに持っているというのに。
それでもザフトにおいてジェネシスの、連合においてもレクイエムの、最後の発射スイッチが人の手に委ねられているのは、それを撃たなくてもいいかもしれないという、『人間の判断』に重きを置いているからだ。本当にこの領域が機械の判断するところになっていたなら今ごろ地球は焦土であったろうし、プラント群もすでに無かったかもしれない。
「幸い、というべきでしょうか」 グラディスは続けた。「現状、当艦は、個人単位での立案・指揮権を有するフェイス、シン・アスカの部隊として認識されているためか、近隣基地への徴集が来ておりません。遊撃隊としての見方が強いかもしれませんわね。ですので、ラボへの出向を決行するのであれば、今が、またとないチャンスでもあるのです」
『──キラ、わたしはグラディス殿の案に賛成だ』 カガリが言った。『連合の……いや、一部の「過激派」の非道を、これ以上は看過しておけない。施設解放の際、もし大量の捕虜が出そうならオーブで保護しよう。アークエンジェルは現地でミネルバと合流し、捕虜を回収すればいい』
連合の施設から出た大量の捕虜を保護しようなど、本来であればオーブ攻撃の格好の理由となるところだが、ミネルバが絡む以上、さすがに双方ともに文句は言えまい。
スティングにステラ、そしてアウル。彼らは幼少の頃より非道というより他に無い訓練を強いられ、それを苦とも思わぬよう精神や記憶を操作されてきた。そんな『人員』を『養成』している施設が連合の傘下にあるなどと外部に知れ渡れば、あっと言う間に所属国家の威信は地に落ちてしまう。オーブやプラントが名指しで難癖をつけてこない限り、そんな施設は知らぬ存ぜぬを通すのが利口であることくらい、連合だって重々理解しているはずである。
プラント側にしても同じだ。捕虜のすべてを各地の基地へ回収してしまったら要らぬ火種となるのは目に見えている。ならばザフトによる施設の『解放』と称して、ラボの接収をミネルバの『功績』とするのがもっとも無難だ。連合に返すわけにもいかない行き場のなくなった捕虜をオーブが保護するというのなら、願ったり叶ったりといったところであろう。
だからこそ今、『廃棄』が行われる可能性は極めて高いのだ。グラディスは不都合が無ければ…とは考えるものの、ミネルバが保護するロアノークたちの移動は、今でなければ、現地でのアークエンジェルとミネルバの『逢引』が連合やザフトに見咎められる危険性が高くなる。
正直なところこの作戦は、もはや決行不可能にさえ見える。だが──。
『……シン』 と、キラは唐突にシンを見て言った。『君は、この作戦をどうしたい?』
「え、っ…」
アスランは何も言わず、いきなり話を振られて動揺をあらわにしたシンを見た。
その襟に光るモノは飾りなのか──。キラの言葉は、何よりもそれを問い質すものだった。
『今の君と僕のチカラでなら、ミネルバを連合勢力に発見されることなく、最短距離で現地へ送り届けることができるだろう』 キラは言った。『でも、アークエンジェルが絡む以上、この作戦は君たちにとってとてもリスクの高いものになる。──もちろん、オーブにとっても』
ラボでこれから起こるであろう『悲劇』とミネルバへのリスクをハカリにかけ、いま抱えている捕虜だけを逃がすのか。それとも、万一のことがあればデュランダルの身の安全に直接影響する、…あるいは連合とザフト双方によるオーブ制圧実施の引き金にもなりかねない危険な『共同作戦』を敢行し、『過激派』の非道を阻止するのか──。
「…行きますっ」 シンがその答えを返すのに要した時間は、誰の予想よりもずっと短かった。「行きますよ、ロドニアのラボへ! そこじゃ今も、ステラみたいな子たちが無下に扱われてるんでしょ、助けなきゃ!」
非の打ちどころのない、完全なる個人思想だ。
アスランは、一度は何とか抑えることに成功した頭痛がわずかに再発した気がして、ちょっとだけ頭を抱えて溜息を吐く。と、そんな自分をキラが見ていることに気付いて目をやると、彼はまるでシンの弁護でもするように、少し、仕方なさそうに笑って見せた。
たとえ個人の考えであったとしても、この作戦はグラディスだって必要性を感じていたし、アスランも立場が立場なら決行していたであろうものだ。誰にも意見を求めることなく自分の中だけで答えを出したのなら、シンにしては上出来なほうだと言いたいのだろう。
けれどアスランは、普段ならちょっと肩を竦めて返す、そんなやり取りをしなかった。厳しい表情でキラから視線を外し、ぐっと拳を握り締める。
「決まりのようですわね」 グラディスは言った。その、ほんの少し柔らかみを帯びた笑みは、シンの決定に命を預ける覚悟がとっくに決まっている証明だろうか。「アスハ代表、ヤマト准将。我々は只今よりプラントへ報告を送り、『ラボ』への出向許可を求めます。遅くとも明朝には出立できると思われますが、ひとまず本艦はオーブを離れ、カーペンタリアにて待機することにしましょう」
『わかった』 カガリは頷いた。『それとキラ。おまえはこの作戦が終了するまで、「今」の状態を維持してくれ。連合の勢力圏をミネルバが突っ切るためにも…それに、後のアークエンジェルとミネルバの「逢引」にも、おまえの「管制」は必要だ』
『そのつもりだよ。任せておいて』
『ミネルバ乗員諸君。オーブからしてやれることが何もないのが歯痒いばかりだが、皆の無事の帰還を祈っている。──ハウメアの護りが、そなたらと共に在らんことを』
カガリとの通信は彼女の言葉をもって終了し、キラの姿も消えた。ブリッジに居たすべてのクルーが、それを敬礼で見送る。
「全クルーへ通達!」 艦長席に着いたグラディスが言った。「本艦はヒトロクマルマルをもってオーブより出港、カーペンタリア基地へ向かう。総員、配置へ!」
ブリッジの外まで群れていた整備士たちが蜘蛛の子を散らすように廊下を駆け出して行き、トラインが未だに動揺のおさまらぬ様子ではあったが席に着く。オペレーターが揃い、ミネルバは各動力機関、並びに武装のチェックへと入っていった。
「シン…」
ふと声をかけられシンが振り向くと、そこには少し不安そうな顔をしたステラが立っている。
「シン、またお仕事?」
「ああ」 シンは頷いた。「でも、今度はステラたちにも手伝ってもらうから」
それを聞き付けたステラの、嬉しそうなことと言ったら。顔から太陽が飛び出すとはこのことだ。
「頑張るねっ!」 ステラは張り切って言った。「みんな、みんなステラが守るからっ」
「ちがうって、ステラは戦わなくていいんだよっ。ただちょっと、『昔のトモダチ』にクチを利いてくれたらってだけで…」
なかなか疎通がうまくいかないながらも、それでもシンとステラが互いを大切に思い合えていることは間違いあるまい。ロアノークとスティングは顔を見合わせ、肩を竦め、また面白そうに笑った。
「もー、アスランからもちょっと説明してやって──」
どうしても戦うことから離れられないステラの様子に、ついにシンが助け舟を求めて振り向く。
……だがそこに、アスランの姿は無かった。
背後で物音がしたから、振り向いてみたらアスランが立っていた。
いつかも、こんな状況を見た覚えがある。あの日のキラは自分が振り向いてしまったことを後悔したけれど、今の彼は、アスランが『来る』であろうことをもう半ば確信していたから、動じもしなければ後悔もしなかった。
「もうすぐ、ミネルバが出港するんでしょ。準備はいいの?」 キラは言った。
「俺はもともとあの艦の所属じゃない」 アスランは身勝手を言った。「出港までに戻れば問題ないだろ」
キラは自分を包む闇の球体を破裂させるようにして消し去ると、中空にいた自分の身体を下ろす。
「地球降下完了後に『進化』したんだってな」 アスランは言った。「シンから聞いたよ」
「あの子から? …そう…」 キラは少し切なそうに目を伏せた。「ちょうど同じくらいの頃に、あの子の『闇』にも変化があったよ。まだ気付いていないかもしれないけど……新しいチカラが発現したみたいだ──」
「……なんで…」 ぽつりとアスランは言った。その声が震える。
「アスラン…?」
「なんでおまえは、いつもそうやって…っ」
強く握った彼のその手は、今まさに掴みかかって来そうだった。無理もない、ここまでのキラの変化や行動には、アスランさえついていけないものが多過ぎた。マイウスでの進化、ファントムペイン戦での単身戦闘、そして今、新たな肉体進化までも──。
キラという『闇』…『能力者』を隠しておこうとすればするほど、『敵』の攻撃や行動は激化する一方で、誰もがキラのチカラに頼らなければならない状況になっていく。そうでなければ大勢の人間が、何も知らないまま死んでいく。少なくとも目の前で繰り広げられるその悲劇だけでも、自らの力が届く範囲で可能な限り留めたいと考えるのは、キラもシンに似通う部分があるのだった。
「……ごめん…」
ただそんな言い訳をしたところで、このキラが、アスランの気遣いや段取りのことごとくを無視して独断で行動してしまっていることは動かしようのない事実だ。ここらで一発くらい殴られたって仕方がない──キラがそんな覚悟を決めて目を閉じたとき、予想とは違うことが起こった。
本当に掴みかかる速さで伸びたアスランの両腕が、キラの身体を抱きしめていた。キラはエッと驚くよりも、その腕にこもった力の強さに息が詰まる。
「ア、アスラ、ン…ッ」
抗議ではなく驚愕まじりで呼びかけるも、口付けで唇を塞がれてしまった。わけがわからずとにかく一旦離れようと後退するキラを、アスランは追いやるようにして壁に押し付ける。
数秒の、間。
「待ってっ…」 どんな過激な戦闘でもほとんど荒れたことがない呼吸を乱し、キラはやっとのことで言った。「落ち着いて、何だよこんなところでっ」
「じゃあ、どこならいい」 アスランは言った。「おまえの部屋か。ここの休憩室か?」
「な──」
その言葉が、今の行為の『先』を求めているようにしか聞こえなかったものだから、たまらず絶句したキラの明敏な頭にたちまち余計な血がのぼる。
でも、冷静に考えてそんな時間、あるわけがない。ミネルバが発進する予定時間まであと半時もないのだ。いくら瞬間転移が可能だと言っても、海上へ出て行った艦を追うとなれば容易なことではない。アスランだってそのくらいことはわかっているはずだ。
「アスラン、どうしたの」 キラはなだめ半分に言った。「僕のこと、怒ってるんじゃないの…?」
「怒ってなんかない」
「うそっ」 相手の言葉があまりにつっけんどんだったから、キラはつい、食ってかかるように反論した。「だってミネルバで話してた時から、きみはずっとっ」
「──もうずっと、長いことおまえに触れてなかった」
えっ、と、キラは相手の言葉を改めようとした。
「ずっと、ずっとおまえに触れたいのを我慢してきたんだよ、悪いかっ」
キラはぽかんとして、聞くまでもなく自棄を起こしたようにそんなことを言ったアスランを見ていた。
そういえばここしばらく、二人きりになった記憶が無い。思い出せる限りでアスランがキラと最後に『接触』を持ったのは、マイウスで異変が起こったあの夜のことだ。それからはキラの進化にアスランのザフト復帰、アウルの乱入、ミーアの参入もあって、二人だけで話をする機会すらロクになかったのだ。
キラのチカラが進化したことも、彼が単身で宙域へ出て行ったことも、今やどうでもよかった。決定的な証拠でも出されない限り、──否、チカラによる死体を山と積まれてもなお『普通の人間』には『超能力』の存在を認識、あるいは理解するアンテナやデータドライブなどそもそもないし、今更キラを叱りつけたところでどうにかなる話でもない。ある意味で、アスランはそのあたりを完全に割り切ることに成功している。
それなのに。
苦労してやっとオーブまでこぎつけたかと思えば、今度は開戦だなんて──。
恋人と過ごす時間を奪われてシャクに障ったなんて理由でアスランに暴れられたら、それこそ連合もザフトもたまったものではない。唯一の救いは、キラも同じ気持ち…というわけではなかったことだ。けれどアスラン個人はと言えば、そんな『私怨』で国家群をぶん殴ってしまえる程度には、この一連の事件に心底苛立っていたのだった。
ミネルバで話をしたとき、キラはアスランに笑みを向けた。本当に、本当に普段と変わらない、アスランが見慣れた、静かで愛らしい微笑み。──スティングにキラを『恋人』だと指摘されてからこっち、ずっと意識しないように目を逸らしてきた感情に、ついに火がついてしまった。
なんでおまえはいつも、こういうところだけやたらと疎いんだ──。
「ごめん……気が、つかなくて」
自分たちの想いは、いつでも繋がっているから──そんな確信めいたものを持っているキラでも、長らく戦争への懸念やら根回しやらで、張り詰めた緊張がぷつりと切れる瞬間がある。アスランの渇望の発露を目の当たりにして、彼の両手がしっかりと掴んでいる自分の肩口の感触が、今更のように強く伝わってくる。
キラは無性に、この、非常に優れた司令官でありながら、一個人としてはどうしようもなく不器用なアスランという男を愛おしく思った。彼が望むならば、望むだけのものを今すぐにでも差し出したい。そんな衝動に駆られる。
触れたい、触れてほしい──。堰を切ったように、キラの内側でもその欲求が高まる。
「…いいよ、アスラン…」
キラは両腕を伸ばし、アスランの頭を引き寄せた。今、その翡翠の瞳に映るのが自分だけで在りたいと、夜闇よりも安らぐ色をした髪を梳きたいと、この世の誰より静かで優しいその声が呼ぶのは自分の名であってほしいと、そう思ってやまない。
改めて認識すればそれほどに、泣きたいくらいキラもアスランが好きなのだった。
「キラ…」
「ミネルバへは、あとで僕が送ってあげるから……」
それこそコペルニクスで別れて以来、エターナルの中で抱き合ったあの頃のように、もう長いこと、この感触を忘れていた気がした。式典以降、多くの惨状と事件を通して、こんな想いはあるだけ邪魔だと、今の自分には必要ないものだと心のどこかで決めつけてしまっていたのだろうと、なんとなく思う。
彼も、自分も、これから戦場へ出る。明日の行方はどことも知れない。ならば、これからも必要とされ続けるキラのチカラが、今こうして想いを交わすことで弱まってしまうかもしれないなんて、そんな危機感こそ鍵をかけてゴミ箱行きだ。
自分たちの想いに勝るものなど、何もない。『敵』なる存在がどんなふうに動こうとも、必ず世界は守り抜いてみせる。
おまえと──。
君とで──。
「キラ」
「うん」
「キラ、愛してる」 キラの髪に頬を寄せ、アスランは言った。「…愛してる」
「うん…」
僕もだよ──。その言葉を他の誰にも聞かせたくなくて、キラはそれ以上を答えなかった。
NEXT.....(2017/08/19)