FATAL ASK  24.操作

 君が言ったことを、僕はずっと、頭の中で繰り返し続けている。

 具現した武装に頼っているままではいけない──あのとき君は、僕にそう教えてくれた。

 言われてみればその通りだ。一年という長いブランクを経て、僕はチカラを行使するために、かつて……いや、今もなお搭乗するMSの武装からそのイメージを獲得し続けてきた。ラケルタ、ルプス、クスィフィアス。手を掲げ、何かを握り、トリガーを絞る──その『想像』なくしてチカラを使うことが難しいくらいにまで、僕らは『慣れ』を失っていたんだ。

 このままじゃ、だめだ。

 これ以上『闇』を『自在』に扱うことを避けるために、心のどこかでかかっていたリミッター。それが武装の具現に繋がっていたんじゃないかと僕は考える。これは危機感でもあった。もっとも制御しやすく、もっとも扱いやすい形に『留めて』おくための手段だったんだ。

 『闇』に『在るべき姿』を与えたつもりになって、それ以上の進化をさせないようにするための──。

 深い、深い瞑想の底で、僕は心の内側へ……闇の底へと降り立っていく。

 ──いや、ここですら、きっと『底』ではないんだ。だって僕の足下は、まるで水面のように波紋を描いているのだから。

 進もうと思えば、この先へ入っていくこともできるのだろう。でも僕の足はそこに立っていて、落ちることも沈むこともなくバランスを保っている。

「…フレイ」 僕はそっと呼びかける。波紋が何度も続くばかりの、その水面へ。「君は、ここに居たんだね」

 目を閉じると、無数に応える声が聞こえる。

 反響にも等しい、たくさんの『彼女』の声。僕に償いを求めて支配しようとした、懐かしく、虚しくも甘い呼びかけは、僕自身が誰よりもよく知っていて、聞いて、受け入れてきた。

『キラ──』

 それでも、決して見失いはしない。

 本当の……苦痛と嘆き、そしてその奥に隠れてしまった優しさが響く、君の温かな声だけは。

 ずっとここで、君は僕を守っていてくれた。こうして『闇』と『僕』との間で境界となって、『僕』が向こう側へ堕ちることのないように、ずっと、ずっと。

 屈み込み、僕は水面に手を当てる。より集中して『超える』ことを意識すると、手はゆっくりと『向こう側』へと沈み込んでいった。手首から先が見えなくなり、それがやはり水のような生易しいものではないことがわかる。更にはどこからか集まってきたたくさんのナニカが僕の手や指を掴んで、小さい子供が親を呼ぶように引き込もうとするのを感じた。

 『僕』という『理性』を引き込んで、破壊しようとしている。この水底深く沈めて、もう二度と浮上できないように閉じ込めてしまおうとしている。

 それが、僕を生み出したすべての存在の意志。

 僕がチカラを振るうほどに『彼ら』は満たされる。もっと強く、もっと完璧なものを造り出そうとした理念が、構想が、設計が、僕が戦うほどに証明されていくのだから。

 戦え、殺せ、壊し尽せ──。過去に何度も耳を塞いで拒絶してきた囁きが、また聞こえる。僕は何も応えることなくただ目を閉じ、その声にじっと耳を傾けた。

 刺すような痛みが胸を貫く。

 君はこれから、こんなところへ入っていこうと言うの? ──僕の身代わりになって。

 君がしようとしていることの全貌はまだ見えなくても、君が独りですべてを背負って消えてしまおうとしているその意志だけは、痛いほどに伝わっている。

 それなら僕は、君の計画に乗っているふりをして、君を欺こう。君が示すままこのチカラを強めて、マイノリティを進化させよう。

 そして君が受けるはずだったすべてを、奪い取ろう。

 僕が僕として生まれてきたことが『あなたたち』のおかげであったことを、君が僕の『段階』であるという動かしようのない真実を、もう、否定はしない。

「もう僕は、僕という存在を憂いはしない。…これからは、『あなたたち』の誇りと共に生きよう」

『ええ、キラ。それがあなたの望みなら、ずっと…ずっと、私があなたを守るわ』

 水が跳ねるように無数の光の粒へと変わった『水面』が弾けて、『闇』は絶対の境界より解き放たれた。



「おい、キラ! 艦内放送、聞こえなかったのか? オーブに到着するぞっ」

 ドアロックを解除しながら、カガリは扉に向かって呼びかけた。

「まったく、どれだけ経ってもネボスケなところは変わらないな。とりあえずおまえは荷物のコンテナにでも入って、適当に人目を避けて──」

「もう、その必要はないよ」

 ロックの解除を終えて部屋へ踏み込んだカガリは、エッと我が目を疑った。

 オーブを取り囲む海に反射する、きらきらと眩しい陽光が射し込む専用の個室。肩越しに彼女を振り向いて笑って見せたキラの背からは、ほんの少し前まであったものが忽然と消えていた。

 青い、あの機械翼がない。まさかこの数時間で、チカラが何の前触れもなく消失したのかと思ってしまい、彼女はボーゼンとしながら、自分の頬をつねってみる代わりに、近場の壁に自分の手を押し込んでいた。

 金属の壁に、ズブリといともあっさり手が潜る。……チカラが消えたというわけではなさそうだ。

「ほんとにチカラが消えてたら突き指するところだよ?」 キラが苦笑いする。

「それで痛けりゃ、夢でもないってことだろ」 カガリは完璧な二段構えを解説した。「それよりおまえ、『アレ』はどうしたんだ? なんでそんな、いきなり…」

「僕の『翼』は、ここにあるよ」

 ヴン、と空気を震わせる低い音とともに、カガリの髪をなぶる程度のごく軽い衝撃波が吹き抜けて、キラの背に、青白い光の翼が出現した。熱は感じないけれど、室内の空気にわずかな流動があるところを見るに、今の衝撃波の正体は、それが放っているMSのスラスターと同じ原理のエネルギー放出であろう。

 カガリはシンの『デスティニー』発現時の光の翼を、映像記録で見たことがある。あれは『鳥』のそれに似た無数の『羽毛』で形成されていた。キラ本人は『翼』と称してこそいるものの、出現時に赤い粒子が散るさまは虫の──鱗翅目のそれに近い。

 唖然としているうちに、『翅』は何事もなかったように消えてしまう。

「もう一段階『進化』してみたら、さ」 キラは何故か照れたように笑って言った。「『媒体』が無くても具現化できるようになったってか……うん。だから、もうあの物質の翼は要らなくなったんだ」

「なったんだ、っておまえ──」

 アスランが聞いたら、今度は泣かれるどころでは済まないかもしれない。しかし、こう言っては何だがあの邪魔っけな『翼』がここに来て消えてくれたのは本当に助かると言わざるを得ない。オーブの港では今ごろ、カガリの帰りを今か今かと待ち侘びる期待と同等に、『ヤキンの英雄』であるヤマト准将の帰還に恐々と構える首長たちが、文字通り首を長くして待っているはずだ。

 姉弟揃って無事な姿を見せてやるのが一番いい場面で、片方の所在を明かせないというのは非常にまずい。どう言い訳したものかと考えていたところだったから、カガリからすればありがたいと言ってもいいくらいだった。

「それよりカガリ」 キラは言った。「艦内で、何も変わったことはない?」

「やめろ」 カガリはほとんど反射で言った。「おまえがそういうことを言うとシャレにならない」

「ごめん。だけど、大事なことなんだ。着いたら、降りる前にみんなの状態の確認を──」

「ヤマト准将、こちらでしたか」

 カガリの背後から、すらりと背の高い女性士官が顔を出す。彼女は取り立てて急ぐ様子もなく、まずは二人に敬礼を示して見せると、淡々と言った。

「つい先ほど、アウル・ニーダが体調の不良を呈しました」

「えっ、大丈夫なのか、あいつ?」

 カガリが驚くその向こうで、キラはぐっと唇を引き結んで押し黙る。

「強い眩暈を訴えて昏倒し、高熱が見られます」 士官はてきぱきと言った。「現在は医務室で解熱剤を処方して様子を見ておりますが、原因が不明で、薬の効果も見られません。可能であれば、病院への搬送が適切かと思われます」

「カガリ。バルトフェルドさんに話してもいい?」 キラが言った。「できそうなら、マルキオさんのところへ連れて行くのがいいと思うんだ」

「…そうだな、わかった」 さすがに連合の手が加わっているアウルを、オーブの所属とはいえ病院なんて場所に入れるわけにはいかない。うんと頷いたカガリは踵を返し、士官に言った。「報告ありがとう。あとはこちらで対処するから、持ち場へ戻ってくれ」

「はっ、失礼致します」

「じゃあキラ、わたしも降りたあとは官邸へ入るから、しばらくは連絡をつけられないと思う。アウルやミネルバクルーへの対応についてはおまえに一任するぞ」

「うん。──落ち着いたら、いつでも連絡して」

 こういうときは本当に『身内』で勝手が利くのはありがたい。軍部のオエラ方が聞いたら職権乱用だと文句を言われそうで、そうなるとさすがに返す言葉が見つからないので行動には慎重を心掛けているが。

『本艦は間もなくオーブ本国、カグヤ島マスドライバーへ到着します。各乗組員は指定場所にて衝撃に備えてください。カウントダウン開始まで、あと五分──』

 オーブ近海では、先導するミネルバとそれに付き添うように飛ぶクサナギを出迎えるため、多くの船が待機している。甲板で眩しい青を見上げる者も居れば、手を振る者、敬礼を示す者など様々だ。直接見ずとも、キラはその様子が頭にフラッシュするのを感じながら部屋を出ると、ブリッジへと歩いて行った。アウルの処遇も含めた、そのすべてに指揮を執るために。

 カガリを除けば、この艦の最高司令官は彼なのだから。



「艦底部ジョイントの接続を確認。ミネルバ、オーブマスドライバーへの着港、完了しました」

 アビーのアナウンスとともに、グラディスの隣に立っていたアーサー・トラインがどーっと安堵の息を吐いた。

「本艦はこれにて、クサナギ護衛の任務を完了とする。手の空いた者は外へ、クサナギの帰港作業への補助に従事しなさい」 立ち上がったグラディスが厳かに言った。「──お疲れ様でした、アスラン・ザラ。貴殿による本艦防衛、全クルーを代表して御礼申し上げますわ」

「こちらこそ、貴艦の無事の到着を心よりお祝い申し上げます。グラディス艦長」 振り向いたアスランは、相手と同じ敬礼を見せて言った。「それから、ホーク隊長の容体は…?」

「面会したシン・アスカからの報告では、カーペンタリアへの移送に問題はないそうです。本人も同意したとのことですので、どうぞご心配なく」

「そうですか……」

 ここでアスランが、我々能力者がもっとしっかりしていれば…などと悔恨の本心を口にすれば、グラディスはどうフォローしたものかと返答に困ってしまうだろう。彼女の脱落によってミネルバは最大の戦力を失ったことになるが、こればかりは悔いてどうにかなる問題ではない。

「我々のことはお気になさらずに」 グラディスは言った。「あなたには、まだ任務がおありでしょう」

「お気遣い、感謝します」

 アスランは敬礼ではなく、頭を下げることでそれに応えた。

 そう、落ち込んだり後悔してばかりもいられない。ファントムペインという『組織』と『任務』から解放されたロアノークと『三賢者』は今ごろ、陽光を反射し輝く海を見て観光気分かもしれない。それがちょっとだけ羨ましい。

 昇降用のタラップが設置された甲板へ彼が出て行くと、クサナギからもぞろぞろと乗員らが降りてきたところで、集結した軍部の人間らがそれを出迎えているところだった。カガリに続いて出てきたバルトフェルドが、アスランの視線に気付いて軽く手をあげる。同じようにしてそれを返す。

 問題はキラか──。つい眉が寄る思いで溜息を吐きかけたところで、何の前触れも余韻もなくキラの姿が見え、アスランは思わずそちらを二度見した。

「お帰りなさいませ、キラ様!」 出迎えた海兵の代表が声を張った。「無事のご帰還、心よりお喜び申し上げます」

「ありがとうございます」 キラは答えた。「あなたがたも、代表不在の間のオーブ防衛、ご苦労様でした」

 あの忌まわしい翼が無い──。と、時が止まったようにぽかんとしているアスランの後ろから、どーんと誰かがぶつかってきた。完全に不意をつかれてバランスを崩し、浮遊するわけにもいかず危うくタラップから海へ転げ落ちるかというところで何とか事無きを得た彼に、無慈悲にして不愛想な声が飛ぶ。

「すいませんアスラン、邪魔なんですけどォー」

 シンだった。ルナマリアの容体が思った以上に悪いことに関して、今は非常に落ち込んでいるかもしれないから少しは気を遣ってやろうと思っていた矢先にこれだ、仕返しにこいつこそ海へ叩き落としたい衝動が込み上げてくる。

「あっ、キラッ」

 と、そんなアスランの復讐心も知らず、シンはアスランの身体を押し退けるようにして身を乗り出す。さすがにこの狭いタラップで本当に押し退けられたら即ドボンなので譲るわけにはいかない。アスランは彼と押し合うようにして踏み止まりながら、シンの様子を窺った。

 その顔がいやに嬉しそうだ。キラの翼がきれいさっぱり消えていることを気にしているふうがない。

「シン」 アスランは言った。「おまえ、キラのあの姿について何か思うことは無いのか」

「そりゃー、仕方ないとは言い切れないよ」 シンからの答えは少しばかり思いがけないものだった。「でもこれで、あのひとが見た目だけでバケモノ呼ばわりされる心配はなくなったし、そこだけは、素直に喜んどこうと思って」

「……知ってた、のか?」

「え」 知らなかったのか、とシンはアスランを見た。「キラ、オーブに着くほんの少し前くらいで『進化』したんだぞ。それまでずっと『深い』ところに居たから、何してたのか、ちょっと心配だったんだけど……アスラン、もしかしてわからなかったのかよ?」

「わかるわけないだろ」 アスランは当然とばかりに言った。「俺たち『キラ派』の能力者は、キラの存在を感知するだけが精一杯で、状態までは……」

 それがわかれば、いや、わかるまではできなくとも多少なり感知するチカラがあれば、アスランはマイウスの一件でキラに起こった急激な進化を止めることができただろう。

 よく考えてみれば、このシンはキラからチカラを授かった能力者ではない。キラという『闇』の『支配格』である先天マイノリティであり、しかもその動力源となる『闇』を別口でとっくに確保している。キラとの『繋がり』如何でチカラの状態をも左右されるアスランと違う、ある意味ではすでに完成した……そう、キラに限りなく近い能力者だ。

 『闇』は同類と寄り添い合うことで爆発的に進化する特性を持つ。シンのそれがキラのそれに触発され、あるいは自己進化のための『競争相手』を見失うまいと、状態をも感知できるようになったと考えることはできよう。

 だがアスランがこんなことを言ったらシンはキレるかもしれない。キラを心配するシンの気持ちが、そういうチカラを呼び起こしたんだと考えておけばいいか──。面倒くさく、そして辛気くさい憶測はそこまでにして、アスランは自分の中でそう結論付けることにした。

「──ザラ二佐!」

 と、もはや呼ばれることもなくなったオーブでの階級で自分を呼ぶ声に、アスランははっと我にかえった。見やってみると、そこにはさっきまでキラへ挨拶を述べていた海兵代表、トダカ一佐の姿があった。彼はアスランと目が合うと、帰宅した息子を出迎えるような笑みを浮かべて言った。

「おかえりなさい。無事で何よりだ」

「やめてください」 くすぐったさも去ることながら、自分はもうオーブの人間から『おかえり』と言われる立場ではない。アスランはたまらず首と手を振って見せた。「私はもう、この軍の人間ではないのですから」

「はは、そう言わずに」 トダカは嬉しそうに言った。「きみのことだ、どうせまた人に気を遣いまくった結果なのだろう? 後悔していないならいいが、きみさえ良ければこれからも変わらず、私の大事な部下だと思わせてくれ」

「…ぶふっ」

 オーブ将校を前に、アスランの陰に入って邪魔をすまいと身を隠していたシンはたまらず吹き出して笑ってしまった。オーブで暮らしてたのはほんの何年かなのに、完全に性格把握されてるじゃないか──。

「こら、シン!」 アスランが恥ずかしさ半分で叱りつけてくる。「おまえだってザフトのフェイスだろ、友軍将校に挨拶くらいしたらどうだっ」

「はーいっ。……って」 にやけ半分でひょこりと顔を出したシンは、ふと、相手の顔を見て一瞬真顔になっていた。「あれ…? あんたは──」

「きみは……、──あのときの?」 シンの姿を改めて見て、トダカが驚いたように目を見開いた。

「なんだ、知り合いだったのか?」 事情を知らぬアスランが首を傾げる。

「っあ…ああ、ちょっと、前にすごく世話になったんだ」

「へえ──」

 アスランがそうだったのかと頷く横をすっと通って前へ出たシンは、トダカの前に立つと、ザフト式の敬礼を見せて言った。

「──自分は、プラント国防委員会直属特務部隊『FAITH』所属、シン・アスカであります。このたびの礼遇、身に余る光栄です。謹んで感謝を申し上げます」

 アスランはぽかんとしてしまった。

 シンがこんなにも軍属らしいことをすらすらと言うなんて、少なくとも自分の前では一度とて見たことが無い。意外を通り越して呆気に取られてしまう。

 そしてトダカは、そんな彼を見てアスランと同じく唖然としていたけれど、その襟のエンブレムを確かめ、ふっと嬉しそうに笑うとオーブ軍の敬礼で返した。

「私はオーブ海軍一佐、タケミカズチ艦長トダカだ」

 名刺交換のようなその名乗りを終えて、彼は敬礼を示していたその手を、シンに向かって伸ばす。

「きみも、よく『帰って』きてくれた。きみのような勇士を友軍に迎えることができて、私は誇りに思う」

 息をのんだシンが、たまらずといった様子でトダカから視線を落とす。その肩口がわずかに震えた。けれど彼は一呼吸を置いて顔をあげると、堪え切れずすこし潤んだ目でしっかりと相手を見据え、その手を両手で取る。

「ありがとうございます」 シンは震える声で言った。「またこうしてあなたに会うことができて、嬉しいです」

「私もだよ。……おかえり、シン君」



 ──ひとまず、極秘裏に行なわなければならないことが多過ぎる。

 迎えの人員や車両のことごとくを断ったキラは、ひとりになったタイミングでオノゴロの国防総省へ転移すると、中央管制室のど真ん中、その中空にテレポアウトした。

 誰も自分の出現に気付かないほんの一瞬。彼は『闇』を解放し建物全体へ速やかに『魅了』を発動すると、自分を意識外とするよう言葉無きまま命じる。そして誰しもに注目されることのなくなった環境を確立すると、その場で自らを闇で包み込んだ。

 それは完全な暗幕ではなく半透明で、中から外を見ることも、その逆も可能だ。まるで愛機のコクピットにでも着くようなイメージで球状になっているそれはいわばアンテナの役割を持ち、キラの『魅了』が適用されている人間の視界と言動の一切を、彼がコントロールできるよう補助するものだった。

 ミネルバの艦底部には、皆が『棺』と称した密封カプセルに眠るラクスが居る。クサナギで今も臥せっているアウルと合わせて、マルキオに連絡を取りそのもとへ送り届けること。これは絶対に連合側に気取られてはならないし、よってオーブ政府関係者にさえ内密に行なわねばならなかった。

「マリューさん」 と、キラの言葉に合わせて、彼の眼下に居る女性オペレーターがインカム相手に同じことを言った。「僕です、キラです」

『えっ、キラ君?』 オペレーターが聞いている通信の向こうで驚くマリューの声が、キラの耳にも直接聞こえてくる。

「すみません。急ぎだったんで」 キラは続けた。「これから軍部の関係者を何人かバルトフェルドさんにつけて、そちらにラクスを送ります。マルキオさんに話して、地下のシェルターへ安置する手筈を整えてほしいんです」

『……わかったわ』 事態を把握したのか、女の声がいち軍人らしく引き締まる。『これからすぐね? 他に、私たちにできることはある?』

「もうひとり、そちらで様子を見ていてもらいたい子が居ます」

 そんなことを話す一方で、キラは別の視界を操作して別の通信士に回線を開かせる。繋がった先は一隻のイージス艦だ。キラは通信回線が繋がった瞬間、それによって『圧縮』された空間を通じて自身の意識を介入させ、この建物と同じように支配領域に引きずり込む。

 ミネルバへ向かい、ラクスの『棺』を回収すること。そしてクサナギの『荷ほどき』を補助するふりをして、アウルを回収すること。乗組員たちの『意識』へ、そう命じる。

「今はひどく体調を崩していますけど、多分……あと数時間もすれば持ち直すと思いますから」

 そのあとアカツキ島へ向かうには、イージス艦では目立ちすぎる。この建物から人員を派遣し、小回りの利くボート程度の小型船舶でふたりを送り届けるのがいいだろう。キラがその『思考』をしている時点で、すでに別室で勤務中であった事務員数人が、地下駐車場へと向かっていた。

『ええいいわ、任せておいて』

 マリューの応対は極めて迅速、かつ完璧だった。さすがにかの大戦の頃から、キラの『わがまま』に付き合ってきただけのことはある。

「すみません。本当なら、僕が直接送り届けることができれば良かったんですけど」

『……何か、起こりそうなのね?』

「………はい」 闇の宝玉を宿した目を伏せ、沈痛にキラは言った。マリューと直接通話しているオペレーターは、その挙動と口調ですら余すところなく確実に再現する。「──でも、まだ事態が動くには少し猶予があります。その間に、できることはしておきたいんです」

『こっちにも情報は入ってきてるわ。クサナギが戻ってくるほんの少し前、オーブ政府に、連合・ザフトからそれぞれ「打診」があったのよ。──自分たちの側につくつもりはないか、ってね』

「やっぱり、開戦の雰囲気なんですね」

『オーブ政府側は、カガリさんの留守もあって、代表抜きの独断では決定しないと突っ撥ねたけど、カガリさんが帰還した今、改めて同じ打診が入るとは考えにくいわ。もしこのまま開戦の流れになれば、カーペンタリアから真っ先にザフトの部隊が飛んでくるかもしれないわね』

 果たしてそれは連合からの攻撃に対する援護なのか、あるいはオーブ吸収のための制圧部隊なのか。現時点では計りかねるけれど、どちらにしたって世界が連合とプラントで二分される以上、歓迎できない存在であることは確かだ。

『これは伏せておこうと思ったけど、…この際だから伝えるわ』 マリューはふと切り出した。『キラ君。あなた、連合の非正規艦と戦闘した時、宙域に出たわね?』

「……何か、証拠が?」

『ミネルバのMSをかばった「あなたらしき人物」の記録画像が、連合からもザフトからも送り付けられてきたのよ。宙域外からの超望遠撮影だったおかげで、それがキラ君だっていう決定的な証拠にはならなかったけれど』

 キラがそれを知りたいと望むと同時に、オペレーターたちが端末を操作した。目の前に展開された大きなホログラフィックディスプレイへすぐに表示される。

 ピンボケもいいところの画像。もっとも、『撮影班』だって戦闘宙域に堂々と飛び込んで誤射でもされてはたまったものではないから致し方あるまい。それは静止したインパルスを超望遠で捉えたもので、その胸元に浮遊する『発光体』を限界までアップにし、そして鮮明に見えるよう調整されたものだった。

 シンとアスランが見れば一発でキラだと判る、青白い光の翼を広げた、オーブ軍制服らしきものを着用した『人影』のようなもの。このとき、せめて制服は脱いでおけばよかった──と、どうでもいい後悔が頭をよぎる。

 連合およびザフトは、やはりこの『人影』を「ヤマト准将ではないのか」、「オーブはこんなことをやってのける『存在』まで保有しているのか」と詰め寄ったようだ。けれどオーブ政府は、要約して「人体が宇宙空間へ生身で出られるわけがないだろうバカじゃないのか」と『当たり前』の回答をし、この問いを一蹴している。

 本当に当たり前の話だが、連合やザフトだってオーブ政府の回答と同じことを思うに決まっている。こういった『証拠写真』は何かの映り込みとして処理されるのが普通だろう。面白がって取り上げるのはタブロイド関係のマスコミくらいで、本来は軍部のような国政にも関わるデリケートな施設が構うものではない。

「『悪意』のは手は──」 キラは言った。「もう、連合でも、ザフトでも、かなり深いところまで浸透してるみたいですね」

『そのようね。もしかしたら、至近距離に居た…当事者のミネルバには、最高評議会から「証拠」の提出命令が出る可能性があるわ。アスラン君に、先に手を打つように言っておくのが懸命よ』

「はい。彼とは、またあとで話すつもりなので」

『デュランダル議長はどうされているのかしら?』 マリューは当然の問いを放った。『あのひとだけでは、もう抑えておけないってことなの?』

「……デュランダルさんの『気配』は、大気圏突入の前後で感じられなくなりました」

『まさか……?』

「いえ、殺されたってわけじゃないと思います。たぶん『封印』に近い状態かなって…プラントのネットワークには現在、とても強い『プロテクト』がかかっていて、容易に侵入できないんです。詳しいことがわからなくて、すみません」

『いやぁね、別にあなたにすべての情報を求めてるわけじゃないのよ? キラ君が謝ることじゃないわ』

「ありがとうございます。……でも、これまで最大の抑止力だったデュランダルさんを欠いた最高評議会が、連合に向けて開戦宣言をするのは時間の問題ですね……」

『でしょうね。アークエンジェルは、いつでも出せるようにしておくわ』

「え、そんな──」

『オーブはあくまで中立だけど、先の大戦では連合の攻撃を受けて降伏にまで至っているのよ』 マリューは相手に落ち着けという代わり、淡々と事務的に言った。『今回は最悪、それに足してザフトまで相手にしなきゃならないかもしれない。万一のときのために、「あなたたち」が「帰って来られる場所」は必要でしょ?』

 返す言葉が無い。彼女の言う通りだった。

 皆が暮らすアカツキ島は、マルキオという特定権威の占有あるいは個人所有にも近い状態にある。かつて宗教勢力下において圧倒的支持を得た彼を、その立場より去った今でもなお慕う者はそれこそ世界各国に散らばっている。まして大勢の孤児を抱えるそこは、下手をすればオーブ本国よりも強く……そう、非常に強く、人道的にも見て『中立』の属性を持つといえよう。そんな場所が吹き飛ぶような心配は、実際のところゼロと言い切ってもいい。

 ラクスの『棺』の安全は間違いなく保証されるが、だからと言って一度は『戦場』に立ち、『戦果』をもたらしたことのあるキラやアスラン、マリューやバルトフェルドまでもを長く匿えるかと言われれば、そんなことはない。有事の際に彼らがアカツキ島を発つことは、島で暮らす『民間人』のためにも、どうしても必要なことなのだった。

 アークエンジェルは、先の大戦を終戦へ導いた『功績艦』だ。しかしあくまでそれは結果論に過ぎず、その過程を見れば、本来の所属である連合から脱走・敵対といった行動に取っていたことで、連合にとってもザフトにとっても、『敵』に回りかねない不安要素を満載した艦とも言える。オーブ政府としても同じ気持ちだろう。過去に一度でも『間違い』を犯している存在は警戒される。ごく当たり前のことだ。

 もしかしたら、かつてザフトより脱走し三隻同盟に加担したアスランも、ザフト──否、最高評議会から見れば警戒対象になっているかもしれない。ラクスもキラも、同じだ。

 平和記念式典で、アスランとラクスを大いに歓迎してみせたプラント市民の歓声を思い返すと、胸が痛む。まさに今、手のひら返しとも言えようことが彼らの中で起ころうとしているのだ。

「……わかりました」 キラは長い沈黙を置いて、厳粛に頷いた。「よろしくお願いします」

『ねえキラ君、覚えておいて?』 マリューは言った。柔らかく、たしなめるように。『これは、あなたのせいなんかじゃ、絶対に無いから』

 そうだろうか──? ぽつりと疑問が胸にわく。

「ありがとうございます」

 弱いながらも、笑みを含んでキラが答えて、通信は終わった。オーブ官邸のほうへ意識を向けてみると、カガリもまた首長たちから、『開戦』はもはや避けられないこと、そうなれば連合とザフトの両方を相手取る可能性があること、そしてここ数時間デュランダルと連絡がついていないことの報告を受けている。

 カガリ──。内心の動揺を懸命に押し隠し、今も敬愛する亡き父の遺志を継ぐべく、断固として『中立』を守り抜かんとする彼女の強き意志に、キラは救いと哀憐を同時に見た。

 中立であることは、言い換えれば孤立でもある。有事となった際にどこにも加担しないということは、最悪の場合、マリューや他の首長たちが言うように、世界が敵に回る可能性をもはらんでいる。だがカガリが居るから、他の首長たちは彼女に全責任を負わせる形となりながらも意思の統一化をはかることができ、オーブは中立で在ることができている。そしてオーブがあるから、世界は完全な二分とならず、互いが果てるまでの殺し合いに至らずに済んでいるのだ。

 キラたちにとってアークエンジェルという場所がそうであるように、戦いの中でどうしようもなくなった時、その人間が最後に頼れる『逃げ口』としてオーブが在るのは、世界にとっての救いなのだった。

 問題は、ザフトと連合がその『事実』をどのように捉えるか、だ。

 カガリ。『世界』はきみが守れても、きみ自身を守ってくれる者はいない。それなら僕は、唯一同じ血を分けたきみのために、きみだけの味方で在ろう──。

 そうしようと思えば、今すぐ彼女に声を飛ばすこともできた。けれどキラはあえてそれをせず、その想いを、自らの内にだけ秘めて目を閉じる。

 感傷を口にしている場合ではない。手を回さねばならない場所は、まだまだたくさん、あるのだから。







                                         NEXT.....(2017/08/15)