FATAL ASK  16.不意

 カナード・パルスはガーティ・ルーにいた。

 暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっている周囲の輪郭は、角ばった機材やパソコン、ディスプレイなどの無機質なものばかりで変わり映えがしない。誰にも使われていない小さなコンピュータルーム。彼はそこでひとり小さなモニターの前に立ち、キーボードを叩いている。

 パッと見ただけでは、あまりに指の動きが早くて何をしているのか見当もつかない。薄い光を放っているモニターにはズラズラと、永遠に終わりそうにない無限とも思える文字の羅列が進行形で増殖していた。

 繰り返し現れる何かのウインドウ、そして何かの入力画面。中には制限時間が設定されているものもあったのだが、カナードは眉ひとつ動かさず的確にクリアしていった。

 察しの良い者ならこのあたりで想像がつくかもしれない。彼はまさにハッキングの真っ最中だった。

 ある窓に至っては数万ケタに及ぶパスワードまで存在したが、そんなものは彼の打ち込みスピードの敵ではない。厳重にかけられたセキュリティにこそ侵入路など腐るほどある──それが、シテスムを守る側ではなく、侵入し攻撃する能力に優れているカナードの持論だった。

 ポーン。普通のコンピュータならまず聞くことのない接続音がした。パ、と、ひとつだけ新しいウインドウが開く。

 sound only──。

『──ヤマトは動くのか?』

 男の声がした。

 ずいぶんと偉そうな態度でこの言葉を喋っているに違いないことがありありとわかる、威圧的なそれ。

『アスハがオーブへの帰還を決定したのなら、ヤツが動かないはずはないでしょう』

 別の男の声が答えた。

 こちらは随分と落ち着いた様子だが、声の調子からはまだ二十代を出ていない感がある。どうやらこの二人は、あと数日もすればプラントが発表する、オーブのアスハを自国へ帰還させるという決定について話しているらしい。

 上官と部下──そんな感じだ。

『彼一人がプラントに残れば、地球のオーブ近隣諸国が何を言うか、判ったもんじゃありません』 部下が言った。『彼自身がそれを理解していなくとも、周囲が許しませんよ。そんなこと』

『ならば、おまえたちにも地球への降下を命じよう』 上司が言った。『アプリリウスでの失敗、次の作戦で必ず取り戻せ』

『そうはおっしゃいますがね…』 部下が渋った。『ウチはつい先日、能力者のひとりが行方不明になってますから。あいつの欠員は、他二人の能力発現への障害そのものです。もうすこしだけ、あいつらに「二人での作戦」に慣れる訓練をさせるのが先決──』

『ヤマトが手に入ってしまえば、そんな不完全な能力者など必要ない』 上司は部下の言葉を切り捨てた。『次で使えなくなる可能性があるのなら、次で決めろ。そうすればその次への懸念はなくなる』

『…………。』

 わずかな沈黙があった。明らかに部下は、上司の言葉に不服を抱いたか、戸惑っている。この二人が互いの映像つきで話をしているのだとすれば、なんともいえない気まずい沈黙であることだろう。

『──お言葉ですが、ひとつだけ』 部下が言った。『ヤマトを相手にするのは、ただ戦争でコーディネイターを相手にするのとはワケが違いますよ。ヤツはマイウス事変の前後で急激な能力進化を遂げています』

 その言葉を聞いたカナードの口元に小さく笑みが浮かぶ。

『そんな奴を相手にするくらいなら、我々は全軍でジェネシスに正面突撃と言われるほうがいくらか気が楽です。こちらに能力者がついたとはいえ、以前ミネルバで精神的な惨敗をくらってるワケですから、そのくらいのことはご理解いただきたいもんですね』

『ヤマトの進化を止められなかったのは貴様の責任だろう、ロアノークッ!』

 ビシリと突き刺すように上司が大声を張り上げると、部下──ロアノークはまた沈黙を置いた。

 このロアノークという男と、ロアノークと通信を行なっている上司らしき男との間には、それほどの信頼はないらしい。もしかしたら信用すらないのかもしれない。上司にとってのロアノークと彼の能力者部隊は、自分の欲求を叶えるための私兵集団でしかないのだ。

『何としても、ヤマトがオーブへ帰る前にカタをつけろっ!』 上司が怒鳴った。『アスラン・ザラとラクス・クラインがヤツの下を離れた今が絶好の機会なのだ!』

『──は』

 ロアノークが苦味の強い返事をすると、カナードの目の前に出ていた小さなウインドウがぶつんと消えた。通信がきれたのだ。

 真っ白い壁紙だけになってしまったモニターを見つめ、カナードは腕を組んで考えた。

 彼らの会話の内容だけで判断するなら、アスハの艦が襲われる可能性は十分にある。

 だがクサナギの護衛にはあのミネルバがつく。ジュール隊に継いでザフトで一、二を争う実力派であるホーク隊が所属する艦。しかも、先ほどの男たちはキラのことばかりで頭に無かったようだが、能力者としてはキラ以上のポテンシャルを秘めたシン・アスカが率いることになる艦なのだ。

 今の会話の内容からしてロアノークは決して頭の悪い男ではない。シンの存在に気付いたとき、彼ならばひょっとすれば、クサナギ襲撃の作戦があったとしても避けてくれるかもしれない。

 キラの能力がどんなものかはマイウス鎮静の折に彼らも見ているはずだ。マイウスにカタがついてから二週間近くが経過しているが、逆に言えばたったそれだけの短期間で、キラの能力に対抗する何かを開発あるいは発見することなど、連合程度の理解力では到底無理だ。

 仮に『超能力を無効化できる』能力者が存在したとしても、そのチカラがキラにまで通用するかは怪しい。いや、この場合は『しない』と考えてかかるのが妥当だろう。戦場では疑わしい可能性はすべてゼロと思ったほうがいいのだ。

 だが──。カナードの、もとより攻撃的な瞳が更に鋭くなった。この程度のことに考えも及ばず、ホイホイと捕獲命令を出すほどの無能が上層だというのなら、この組織、プラントを利用せずともオレひとりで──。

「なーんか、懐かしい気配がするんだよなぁ……」

 いきなり男の声がして、カナードはハッと弾かれたように椅子から立ち上がった。ドアは一度も開いていない。足音もしなかった。

 だがそんな彼の視線の先に、仮面をつけた長身の男が立っていた。

「君かな?」 男は、表情は見えないながらも気さくに言った。「さっきから盗聴してた黒猫君は?」

 声の調子から察するにこの男がロアノークだ。

 部屋は違えど同じ戦艦の中に居れば見つかるのは当然、と思う者はいるだろう。しかしカナードには、自分が絶対に見つからない『保険』があった。だから見つかることなどかけらも意識していなかった。

 バカな──。カナードは焦った。この男、何故『ここ』に入ってこられる──?

「貴様、どうやって『ここ』へ……?」 慎重にたずねる。

「『ここ』?」 ロアノークがきょとんとした。「何のことだ、ここは俺たちの艦じゃないか。おまえこそどうやって……って、おまえは能力者か。それなら簡単に入って来られるよな」

 会話の論点がかみ合わない。カナードに判っていることがロアノークに伝わっていない。

「せっかく訪ねてきてくれたところだが」 ロアノークは肩を竦めた。「能力者は見つけたら捕獲って命令が出てるんでね。悪いが君も──」

 捕獲させてもらう──。相手がその言葉を発しきる前に、カナードは自分の周辺に意識を集中した。

 バヂン! 強い衝撃音が二人の間の空気を振動させる。激しい火花が散ると同時に、カナードの身の回りで緑色の光が揺らめいた。ロアノークが放った攻撃の意思が、すんでのところで間に合ったカナードのバリアに弾かれたのだ。バリアが間に合わなかったら、恐らく今の一撃で精神を持っていかれていただろう。

 だがロアノークが能力者だということは判っていたにしろ、その攻撃力までは想定できていなかった。威力のある衝撃波を叩きつけられてバリアごと身体を吹っ飛ばされそうになる。

 驚愕とともに、カナードは反射的な保身行動──反撃に出た。

 なんだコイツは。ただのマイノリティにしては、強い──!

 まるでカナードの次の行動がわかっているかのように、ロアノークはその場から飛び退いた。一瞬遅れたカナードの意識波が、敵の気配が残るだけの床を穿つ。鉄板でできているはずのそこには簡単にぽっかりと穴が開いた。

「お、さすがだな」 ロアノークは楽しむように言った。「でも、何となく読めるぞ、君の攻撃っ」

「何をっ…!」

 読めるとあっさりと言われてカチンときたカナードが、もう一撃お見舞いしてやろうとした刹那、目の前にロアノークが現れた。短距離瞬間移動の応用。ほんの数メートルの瞬間移動など普通は誰も考えないが、『敵』と格闘中となれば話は別だ。

 それはまるでホラー映画の、観客のビックリを狙って作られた一瞬に似ている。

 心臓が止まってしまいそうな驚愕の刹那、ロアノークが伸ばした手がカナードのバリアに触れた。

 バシッ! 耳をつんざく爆音。

「ぐああぁっ!」

 悲鳴をあげたのはカナードだった。凄まじい光がすぐ眼前でフラッシュし、視神経が激痛を発した。能力者であっても人間である以上、目という最大の急所にそんなダメージが来れば平常心など吹っ飛ぶ。ジリジリと焼けるような痛みを発する目を押さえ、彼はよろめいて数歩後退した。

「悪く思うなよっ」

 ロアノークの声がする。彼の気配が急速に近付く。敵はバリアに触れることで自分とカナードを『接続』し、イメージによって内側からダメージをくらわせたのだ。

 キラが、コンピュータネットワークに意識で介入できるのとおなじように。

 こんなところで──。カナードは激痛の中で意識を振り絞った。こんなところで、こんな簡単に殺されて──。

「させるかあぁぁっ!」

 それはバーストストライクに似た攻撃だった。叫んだカナードの身体にバリアの光が収束し、四方へ向けて一斉放射された。どんなに素早い敵であっても、確実なバリアでもない限りは一度に全方向へ放たれる攻撃を避けることなどできはしない。

「うわっ!」

 バチッ! ロアノークの声とともにカナードの指先に手ごたえがあった。人間の身体をブチ抜くような感覚ではなかったが、確かにそれは相手の『何か』を貫いた衝撃だった。

 やったか──!

 カコーン、と軽い音がする。何かが落ちた音。ひょっとしたら敵がつけていた仮面が落ちたのかもしれない。仮面の留め金が破壊できたのなら、恐らくは首か頭に強いダメージを与えられたはずだ。きっとヤツは今、動けない──。

 チカチカと視界の中で小さな光がスパークし、それが治まるとともに視力が戻ってくる。痛みがひいてくる。カナードはここ何年も感じたことのなかった疲労感に支配されながら、腰のホルダーからナイフを引き抜いた。

 どんなときでも、彼は最後のとどめを能力に頼ったことがない。

 視界は暗かったがうっすらと人間の輪郭が見えた。予想通り敵は強い衝撃を受けたらしく、倒れて起き上がれずにいるところだった。彼の金色の髪はこの暗闇で非常に目立つ。その目印にナイフを突き立てればいいだけだ。

 さっさと片付けて立ち去らねば──。

「これで終わりだ──」

 カナードがあげた声に気付き、ロアノークがハッと振り返る。


 その瞬間、時が止まった。


 やはりロアノークの仮面は落ちていた。長い金髪の下には、それ自身が輝く意志を持つように光る青い瞳がある。

 カナードは動かなかった。いや、動けなくなった。それまでは確かにあった敵意が、殺意が、ロアノークの素顔を見たこの刹那に、もう何百年も以前のことのように消えてなくなっていく。

 ナイフを握る手が震えた。指先が硬直した。自分で見ているはずのこの光景が信じられなかった。彼は、自分を取り巻く全てが信じられなくなった。

 何故だ。何故こんなところで、何故おまえがここにいる。何故、何故何故何故──。

「プレ…ア……?」

 ついに握力が消え、カナードの手からナイフが滑り落ちた。



「随分とまあ勝手にイロイロと、俺たち抜きで決めてくれたようだな」

 キラの部屋に居たアスランを訪ねてきたのは、イザークとディアッカだった。本日の任務を終えてそのままこっちへ来たのだろう、白と緑はそのままだ。ディアッカのほうはアポなしで来てしまったことに申し訳なさそうな苦笑いをしているけれど、開口一番の言葉と同様、イザークは表情も声色も不機嫌そのものだ。

 アスランに用があるようだが、少々不穏な雰囲気をまとっている来訪者兼古くからの友人である彼らに、部屋の主であるキラはとりあえずといった様子でハーブの葉茶をふるまった。ドリンクといえば甘い炭酸やフルーツジュースが定番だったキラには、もともとこんなふうに葉から茶を作る趣味は無かったけれど、オーブで暮らすうちに母やラクスの好みに影響されたのだ。

 怒っているのは顔付きでわかるものの、キラからのふるまいを無下にはできない。イザークもまた、とりあえずといった様子でカップを取り上げて一口含んだところでへんな顔をした。

 甘い。砂糖が入っているのだ。

 香りからして市販の清涼飲料水としてもこのハーブティーは定番のものだったが、砂糖入りなど初めて見た。おい、とばかりに目を上げてみると、キラはその視線の意味が解らないように首を傾げている。ハーブであろうが葉茶に砂糖を使うのは、こいつにとって至極当然なことなのだろう。

 そしてこいつはこういう甘い葉茶で、更に甘ったるい菓子を喜んで食うのだ。考えるだけで、違う意味で胸がいっぱいになる。

「──俺がザフトに復帰するって話か?」

 思わぬところで新しいキラの趣向を知ることになり、うっかり沈黙してしまっていたイザークにアスランが切り出した。そのとおりだと言うまでもないことだった。

「おまえたちなら歓迎してくれると思ったんだがな」

 アスランはほんの少し自嘲を含んだ調子で言い、自分の前にも置かれていたカップに口を付ける。平然としているが、あれにも砂糖が入っているのだろうか。

「ザフトに俺の居場所はないとでも言いたいのか?」

「下手な先読みでバカなことを言うな、このバカ」 イザークはばっさりと言った。「そもそもこれからのザフトに関して、貴様抜きのほうがむしろ考えられん。貴様の復帰は大いに歓迎だ、他の誰が何と言おうがな」

 意外だった。アスラン当人ばかりでなく、キラも一瞬、何を言われたのか解らなかったようにぽかんとする。イザークはキラ好みの味がするハーブティーにもう一度口をつけ、ふっと息をついて言った。

「俺が言っているのは、今回アスハの帰還に貴様が同行しない件についてだ」

「え?」 アスランの目がまん丸くなった。

「この期に及んで、この状況下で、貴様はまた姫を独りきりにするつもりか」

「ちょ、ちょっとイザーク」 慌てた様子でキラが身を乗り出し、口を挟む。「これはみんなで相談して決めたことで…もともとは僕がこっちに残りたいなんてわがまま言ったから──」

「貴様の意思や思惑など関係ない」 イザークはキラを睨み付け、そしてアスランを見やった。「俺の論点はあくまでも、このバカが姫の傍を離れようとしている一点に尽きる」

「シンが護衛に就くからいいってハナシじゃないんだよね、これ」 ディアッカが口を開き、足りない言葉を補う。「シンは確かに先天種で、チカラもアスランより強い。けど、あいつは『闇』でもあるんだよ。聞いたぜ? アウル・ニーダと接触した時のこと。もしアスハの艦が襲撃に遭って、そんなシンと姫さんに戦局を任せる事態になんてなっちまったら、誰が二人を止められんの?」

 ──痛い話だ。

 シンは自分でも度々口にしているように感情の制御が下手で、それはすなわちチカラの制御もまた下手であるということに他ならない。生来ではないにしろ、戦禍によって焚きつけられた彼の精神は、いつ暴発するともしれない昏い種火をずっと抱えている。アスランは今更ながらに、シンがミネルバの責任者となることに難色を示した本当の理由を察した。

 一年間という、短いようで長い安定期を平穏に過ごしてきたせいもあって、自分たちは『闇』の本当の恐ろしさを忘れてしまっている。それは同調し合い、賛同し合って開き直り、大きく膨れ上がる厄介なもの。いわば人が抱く悪意そのものだ。

 万一にシンが暴走を起こした時、それを止めることはキラではできない。下手な触れかたをしてしまえば、キラの意識までシンの闇に惹き込まれるかもしれないからだ。どちらが母体であるかは主導権に影響しない。強く深い感情の波こそが理性というリミッターを破壊するトリガーであり、それを持っているのはシンなのだ。

 キラの闇を沈静化するために、そしてシンの感情を抑制するためにも、アスランという存在は適任以外の何者でもないのだった。

「アスランがザフトに戻ってくれることは嬉しいよ、素直にさ」 ディアッカは続けた。「でも、今みたいな一番ヤバイ状況で、姫さんとシンにブレーキが無いってのはもっとヤバイんだよ。復帰するならするで、おまえもミネルバに乗って、能力者としての自分の役目をしっかり果たしてほしいってわけ」

 アスランもキラも、返す言葉を失っていた。キラの意志など関係ないとイザークは言ったが、その通りだ。キラがいくら『大丈夫』と言ったところで、本当のところは実際にコトが起こってみなければわからない。そんなもの、何の確証もない口約束でしかない。

 だからこそ、『確実』な存在であるアスランが行けと、このふたりは言っているのだ。

「……っ、しかし」 こいつらの言いたいことは痛いほどわかったし、同時に自分の考えが甘すぎたことも認識できたが、それでもアスランは言った。「俺がプラントに残留する理由は──」

「例の女か?」 イザークは言った。「奴の監視くらい、俺たちにでもできるだろうが」

「えっ…」

「俺がここへ来たのは他でもない」 と、イザークはキラを見た。「姫。俺に新しいチカラを寄越せ」

「な」

 キラはたまらず絶句した。服やアクセサリーをくれと言うのと同じくらいの気軽さで、彼はまた人間であることを放棄しようとしている。

 駄目だそんな、勿体ない──。その表情が、ありありとそんなことを言っている。普通の人間になりたいと望むキラにとって、イザークは能力者からそれに戻った唯一の『同胞』だ。せっかくヒトに戻ることができたのに、わざわざ『こちら』へ帰って来たいなどと考える相手の心境を理解しきれない。

 が、それはイザークも同じことだ。状況に対して使える駒があまりにも少なく、不利にして不測の事態を招きかねない選択がまさに行われようとしているのなら、自分がその駒のひとつとなって問題を解消する以外に道は無い。そして、そのための手段はすぐ手が届くところにあり、おまけに極めて容易に行なうことができるのなら成さない理由もない。

 ラクスにチカラを提供し、『普通の人間』に戻ってしまった自分に歯がゆさすら覚えているイザークが、この決断をするのは必然とも言えた。

「……キラ」 アスランは言った。何かを振り切るように、諦めるように、促すように。

「──うん」

 沈痛な想いを隠し切れない返事をして立ち上がるキラに目線を合わせるように、イザークも席を立った。テーブルを挟んで差し伸ばされた手を取り、まさに己が姫君に忠誠を捧げるように口を付ける。──それで済むはずはない。手元にも近場にもそれらしい道具がなかったから、イザークはその指に歯を立てると、一息にブチリと皮膚を噛み切っていた。

 普通の人間ならば痛みで手を引っ込めてしまうところだが、キラの傷は、この程度ならば一瞬後にはもう癒えている。そんな一瞬の出血を含んだ彼は『取りこぼし』のないよう、赤く濡れた唇を確実にひと舐めして身を起こした。

「…君の覚悟は、よくわかった」 キラは言った。「ありがとう……僕らのために」

「貴様も言葉の選び方は覚えてきたようだな」 フン、とイザークは鼻を鳴らす。ここで『また巻き込んでごめん』などと言われていたら張り倒しているところだ。

 ただ、敢えて訂正しなかった箇所もある。

 『覚悟』、という単語だ。そんなものは数年前、初めてキラの血を口に含んだあの日からとうに決まりきったもので、それはキラやアスランの助けになりたいからなどといった『協力』や『助力』の姿勢などでは断じてない。

 イザークの目的は、ただひたすら『キラを護る』ことだ。キラが自らで選んだアスランという男と一緒になり、彼が望む本当の幸せを手に入れる日が来るまで、剣となり盾となって、キラの征く道を阻むものを排除する。その目的においてははじめからアスランに期待してなど微塵もいないし、役目を任せきりにもしない。

 自分にできることがある限り、自分がやる。それだけのこと。だからこそ、アスハの護衛にも然りアスランのザフト復帰に然り、キラのオーブ帰還に然り、こんな重要なことを取り決めた場に自分たちが呼ばれなかったことを彼は怒ったのだ。

「アスラン。今夜中に、議長にミネルバ乗艦の申請を出しておけ」 イザークは言った。「延期されていた『ラクス・クライン』の復帰会見も近いんだ、もたもたしている暇はないぞ」

「…わかった」 目を伏せるようにして、アスランは答えた。

 言いたいことはあれこれとあるが、今は何も言うまい──そんな吐息を飲み込んだ返事だった。



 彼のような強さが僕にもあれば──。キラは異世界で暮らしていた頃から、イザークに対してそんなことを何度思ったか知れない。しかし残念なことに、キラは彼の人格だけでなく思考回路だって到底理解できないだろうし、能力者を指して『自分の犠牲者』などと言ってしまう点においてだけは、きっとイザークだってキラを理解しない。

 隣の人間の頭ほど遠いものはない、というのはずっと以前から教訓のように繰り返してきた言葉だ。ただキラは、それ以外の部分においては痛いほど彼に理解され、苦しいほど大切にされていることを意識している。イザークに再びチカラを与えてしまった──否、求められるまま与えたことを自分の意思の弱さだと謝らなかったのは、その求めこそが彼の意志の強さに他ならなかったからだ。

 ならば感謝するより他にない。彼が望むとおり、今アスランの傍に在れることを、アスランが傍に居てくれることをもっと素直に喜んで受け入れるのがいい。

 そうかな──。ぽつりと自問する声が心にわく。僕は彼の重荷になってはいないかな? アスランは愛していると言ってくれる。抱きしめてくれるけれど、僕が彼を縛りつけてはいないだろうか──?

『縛りつけてるなんて言えるほど、彼は僕の傍に居てくれてはいないよ』

 別の声が心のどこかで応える。キラはぎくりと息をのんだ。

『今回だってそう。式典の準備で忙しいからって官邸にこもりきりで、全然会えなかった。マイウスの時だって何も話してくれなかった。彼はいつもそう、黙って、知らないうちに僕の手の届かないところへ行ってしまうんだ』

 じゃあ僕は、どうしたら? もっと、もっと彼の気を惹けるようにするには──?

「キラ? 何してんですか」

 通路の少し先で立ち止まったシンが呼びかけてきて、キラは自分が足を留めていたことに気付いて我にかえった。視線を上げてみると、その隣にはアスランも居る。

 明後日に迫った会見に向けての打ち合わせをするために、今日ついにアスランがミーアと対面する。彼らは、彼女が今か今かと待つアプリリウスタワー最上階にある特別会議室へ向かう真っ最中だった。

「あ、ごめん」

 キラは声をかけながら二人に追いつく。タワーの最上階へ通じる、ただ一基のエレベーターが設置された目的のホールはすぐそこだ。一足先に到着したアスランが、呼び出しボタンをぽちりと押して階表示のパネルを見上げた。

 思いの外、それは近いところまで下りてきていた。あれ、誰か乗ってるのか──?

「ジュール隊長のこと、気にしてるんですか?」 シンは言った。「あのひと、例の『三賢者』の会見で一番頭にキてたみたいですし、それで元能力者ともなれば戻ってくるのも解らないわけじゃないですけど…」

 アスランも、イザークが能力者に復帰する決定打になったのはあの会見だろうなと思っていた。ああも好き放題言われ、やられ、長く『無敵の部隊』を率いてプラント防衛の任に就いてきたプライドもさぞや傷付いたことだろう。未だ得体のしれない『三賢者』に加えて『黒い男』──不安要素が尽きぬ現状、使える駒は一つでも多い方がいい。彼以上に心強く、そして頼りになり、何より有難い味方はいない。

 キラは随分と気にしているようだが、ここは割り切ってもらうより他にない──何度となくそんなふうに、同じことを刻み込むように考えているうちに、チン、とエレベーター到着の音がした。

 先に誰かが乗っている可能性が高かったから、アスランは下りるかもしれない誰のためにちょっと横に避けようとした。開いたドアの向こうへ何気なく目をやると、そこに立っていたのはラクスだった。

「──えっ?」

 アスランが自分の目を疑った瞬間。

「わあ──」 ラクスの表情が、まさに太陽が飛びださんばかりに輝いた。「アスランッ!」

 えっ? 話をしていたシンとキラが、自分たちの同行者を呼び付けた『聞き覚えのある声』に顔を上げる。アスランは慌てて一歩下がろうとしたところで、箱から飛び出してきたピンク色の影に、正面から抱きつかれてとっ捕まっていた。

「ああ、うれしいぃーっ! こんなに早くアスランに会えるなんてっ」

「どうしたの、ミーア」 驚いてキラが言った。「君はまだ自室から出ちゃダメだって、デュランダルさんに──」

「きっ、君がミーア?」 アスランは声が裏返りそうになった。まだ驚愕がさめていない。

「はいっ、ミーア・キャンベルですっ」 彼女は張り切った様子で言った。アスランの腕から離れる気はないらしい。「アスランと……そっちのレッドのひとは、初めまして。これからよろしくお願いします!」

 やたら嬉しそうな笑顔を向けてくる彼女は、パッと見たら確かにラクスだ。しかしよく見ると髪のクセや表情、そして雰囲気がまったく違っている。付け加えると、ラクスが月をイメージして身に着けていたヘアピンが、かわいい星の形になっていた。

 シンがぽかんと口を開けている。能力者としては重要なポジションにいるはずの自分が、名前すらまともに覚えてもらえていない……その事実に呆れている色が強い。第一印象は最悪だ。この女、これで本当に大丈夫なのかよ──?

 ついキラが苦笑いを浮かべてしまったシンのそんな表情にも気付く様子はなく、ミーアは初めて会う『自分の婚約者』にテンションが上がりっ放しのようだ。

「もうすぐアスランに会えるって聞いてたから、待ちきれなくて出てきちゃったの! あ、誰にも見つかってないから大丈夫よ? ほら、エレベーターが待ってるわ、会議室に行きましょう?」

 アスランは何も言えず、ミーアにずるずるとエレベーターへ引きずり込まれていく。普通ならここでシンやキラに助けを求めてくる場面だが、あまりにラクスにそっくりな彼女の外見と、あまりにラクスから遠すぎる雰囲気のギャップについていけず、ミーア以外の人間がまったく見えていないようだ。

 四人で乗った大きなエレベーターのドアが閉まる。

 ミーアは楽しそうにしゃべりだした。

「平和記念式典のとき、あたし、ラクス様のステージの下にいたのよっ。アスランのこと、そのときは遠くから見てたけど、やっぱり間近で見ると全然違うよね、すごくかっこいいもの! あたし本当に、アスランに会えるのが楽しみだったんだから! こんな素敵な婚約者がいて、ラクス様が羨ましいっ」

「あ、ああ…そうか。俺も驚いたよ…まさかこんなにそっくりだなんて…」

 もともと軍属であり、人生経験上において女性への免疫があまりないアスランは、そんなミーアのペースにすっかり飲み込まれてしまっている。先ほどシンとキラが交わしていた会話のことも、思い出すのは早ければ今夜、遅ければきっと数日後くらいになるだろう。

 ミーアに対して何かしら感想を持っているらしいシンだが、この狭い空間の中では彼女に聞こえてしまうことを考慮してか、じっと黙っている。

「ふふ、そうでしょ? あたしもすごくビックリしたのよ」 ミーアは自分の頬に触れながら言った。「ほんとは手術のあと、ずっと上手く行ってなくて…もうダメなのかなって思ったときにね、キラさんが」

 ミーアはそこでやっと同行者のひとりであるキラに視線をやった。一瞬はその視線が、彼の羽織った上着の下にある角ばった盛り上がりをチラリと捉えるが、こればかりは慣れるまで仕方がない。

「ねぇキラさん、あたしに力が宿ったって言ってたけど……超能力みたいなの、何も使えないの。あたし、本当に大丈夫なのかしら?」

「大丈夫だよ」 キラは笑っていった。「超能力なんて、最初は誰も『使い方』を知らないものだから。手や足を使うのと一緒……ちょっとずつ、感覚で学んでいくものなんだ」

「ふうん……?」 ミーアは首をかしげながら、また隣に居る男を見た。「アスランも、そうだったの?」

「あ、うん…まあ」 なんともはっきりしない返事だ。

 チーン。エレベーターが最上階に到達し、扉が開く。すぐそこにいた数人の警備兵が、中に乗っていた面々を見てほっとした顔をした。タワーの警備員の一部は、ほとんどの真実を把握したデュランダルの腹心とクライン派の人間が使われているから、恐らく彼らはその部類だろう。

 きっとひとりで出て行くミーアを止めようとして、押し切られてしまったに違いない。卓越した軍人ほど無邪気な女に弱いというのはアスランだけに限ったことでなく、そしてあながち迷信でもないようだ。

 そしてそんな男たちと合流しても、ミーアの勢いが落ちることはない。

「次の会見に一緒に出るのよねっ? 愛するラクス様のためにその身を戦いに投じてくれるなんて、すごく素敵! あたし、ラクス様みたいにもし襲われたらどうしようって思ってたから、ずっと不安だったの。でもアスランが傍についてくれるんだったら、これ以上のナイト様は居ないものね! あたし、会見で感動して泣いちゃうかもしれなーい!」

「………なんでしたっけ」 不意にシンが言った。

「なにが?」 キラがたずねた。

「こういうときに使う言葉。……女の口にフタはできない、だっけ」

 シンの言葉を聞いて、キラは自分たちの先を歩いている、どう見てもカップルにしか見えない二人を見た。

「それは多分」 キラは言った。「人の口に戸は立てられぬ…だったと思う」

 全然意味の違う言葉なのだが、キラはそう間違いでもないかも、と思ってしまった。

 いくら仲間しかいないタワー内部であるとはいえ、こうも秘密も機密もなく喋りまくっていては、公衆の前へ出た時にどうなるか危機感を抱いてしまうのも仕方がない。ここにイザークが居たら、ちょっとは静かにしてろと怒声が飛んだことだろう。

「あーあ」 シンはさも残念そうに言った。「実はおれ、アスランにならぜひ、一緒にミネルバに乗ってもらえたら心強いのに、なんて思ってたんですけどね」

「えっ?」 キラは驚いて、そんなことを言った隣の少年を見た。イザークの能力者復帰に合わせ、アスランがザフト復帰と共にミネルバへの乗艦を申請したことは、まだ伝えていなかった。

「自分でこんなこと言うのもアレなんですけど」 とシンは前置きして言った。「おれ、MS操縦のテストなんかじゃ結構イイ点出せるんですけど、チカラの制御となると明るくないでしょ。すぐカッとなっちゃって」

 制御というよりは、ここでの論点はチカラに対する『制限』や『手加減』の分類になるだろうか。思うままに全力で戦うことは得意中の得意だが、相手を殺さぬように、あるいは無数の標的からひとつを絞れ、といった精密なコントロールが苦手だということだ。

「それは誰でもそうだと思うけどね?」 キラは苦笑いした。彼からすれば、アスランだってキレると何をしでかすかわからない、実は怖いタイプだ。「現に今の僕だって、どんな揺らぎがどんなチカラの発動に繋がるかわからないし」

「おれよりは充分、『できてる』って言えますよ。──こういう言い方、あんまりしたくないんですけど……今のおれとキラじゃ、いざとなったら多分、止まれない気がするんです」

 キラは黙って聞いていた。友人らがずばりと言い当てた自分たちの危険性を、言われるまでもなく自覚している少年の言葉を。

「でもアスランは違うでしょ。あいつは感情で暴走なんかしない」

 キラを想う上でアスランという男はこの上なく邪魔な存在だ。恋敵と言ってしまうのが一番しっくり来る。だからシンはアスランが嫌いだった。キラと仲良しのアスラン、あいつがいなきゃ、おれだってもっとキラの近くに行けるのに──。

 しかしアスランが嫌いだということと、彼の能力が必要だということはまた別の話だ。

 未知の能力を覚醒させる可能性があるミーアに対して、『すぐに無力化できる』と言い切ることができる絶対防御の属性を持つアスランのチカラは、母体たるキラ相手ではともかく、シンにも充分通用する。自分さえ封じてもらえれば、それに引きずられたキラの暴走はアスラン本人がおさめることができるだろう。

 キラとはこれまで、傍に居るだけで満たされた。手に触れれば安らかで居られた。だがそれは、ある程度以上の『弱体化』がなければ成り立たないことだと気付いた。今この時にもシンは、自分の内側に在る闇の鼓動を聞いている。きっとキラだってそうだと半ば確信していた。

 これだけ近くに居ても、あの頃のような穏やかな温もりを感じることができなくなっている。これ以上『距離』を縮めてしまったら、自分が──キラがどうなるか、想像もしたくない。

「シン……」

「──っあ、すいませんっ。これ、あくまでも考えてただけなんで、そうしてほしいってわけじゃ…!」

 またうだうだと考え込んでしまっている自分に気付いて、シンはハッと顔を上げた。オーブとプラントに均等なパワーバランスを与えることも目的の一つだが、アスランがザフトへ復帰する第一の理由は、キラに代わってミーアを監視することにある。そんな彼がシンのサポートにまわってしまったら本末転倒もいいところだ。

 しかし予想に反して、すぐそこに居るキラは取り立てて不安そうにも、哀しそうにもしていなかった。

「──まだ君には言ってなかったんだけどね」 ふっと嬉しそうな笑みすら浮かべ、そう切り出す。「実はもう、ミネルバへの乗艦を申請してあるんだよ。アスラン」

「え、……えっ?」 言われたことを改めて理解する時間を置いて、まさか、とばかりにシンはポカンとする。

「ミーアの『監視』には、イザークが名乗り出てくれてさ。それで」

「ジュール隊長の『復帰』って、そういう……」

「うん。だから、あとはデュランダルさんがウンって言ってくれれば決定ってわけ。君がそれでいいなら、君からも話してみるといいんじゃないかな」

「キラたちが、それでいいんだったら…」

「僕らは別に困ったりなんかしないよ。むしろ、シンがそういうふうに考えてくれてたんだって判ったのが、僕は嬉しいんだ」

「え、嬉しい?」

「僕の方こそ、こんな言い方して悪いかもしれないんだけど……シンは今まで、チカラが強まることとか、強いチカラを持つことに、危機感とかそういうの、あんまり感じてなかったでしょ?」

「あ、……はい」

 シンは素直に頷いた。実のところを言えば、キラたちと戦い、その果てに価値観がガラリと変わった時にはもう、彼らのチカラはケタ違いに弱体化したあとだった。それからは日を追う毎にキラとの想いの繋がりを実感し、心地好い温もりに満たされていったことも相俟って、チカラへの危機感なんてものはもともと持ち合わせていなかった……というのが正しい。

 だから、強まるチカラが危険なものだなんて考えるようになったのはつい最近、実に一年ぶりにプラントへ戻り、一気に懐かしさを増した友人らに再会してからなんです──なんて話す機会は一生無さそうだ。

「僕は、君がそう考え始めてくれてることを、とてもいいことだと思ってるよ」 キラは言った。「……僕らはただ、静かに暮らしていたいだけなのにね」

「キラ……」 物憂げに笑む彼の言わんとしていることが、染み入るほどよくわかった。

 シンは、こう考えてもいる。

 自分にこのチカラへの『危機感』が薄いのは、その根源が愛する妹だからではないか、と。ただ独り生き残ってしまった兄を護るためにこの身に宿っている彼女のカタチだからこそ、シンはこのチカラが見せる数多の貌を受け入れることができていたのかもしれない。

 それが強まり、自分の感情の制御が再び利かなくなりつつあるのは、彼女の眠りが妨げられているということに他ならない。だからこそシンは、友人らに畏怖の目を向けられる恐れも去ることながら、自分の心が落ち着く環境に身を置いて、妹をもっと安らかに、もっと静かに眠らせてやりたいと望むのだ。

 きっとキラにも居るんだ。『そういう』誰かが──。

「そうですね」 目を伏せ、シンは言った。今までになく真摯な気持ちで。「おれも今は、心からそう思いますよ」







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