FATAL ASK 15.前進
プラントの空は、雨の予定もないのにどんよりと曇った効果に彩られていた。
アプリリウスタワーの屋上からは、シャフトタワーの内側の様子がすこしだが見える。アウルは足を投げ出してコンクリートの床に座り、ひっきりなしにシャフト内で昇降しているエレベーターの光を見つめていた。
今日は天気が悪いからライトアップが早い。気が重くなるおぞましい事件がたて続けに起こっているというのに、プラントの生活風景には何ひとつの変化もなかった。きっと戦争が始まっても、評議会の誰かが死んだとしても、そしてもし本当にラクス・クラインが死んでいたとしても、この風景そのものには何の変化もなく、エレベーターは人を運び続けることになるのだろう。
ホッ、と身体のバネを使ってアウルは立ち上がった。ポケットに手を突っ込んだりとかして屋上の縁に立つと、まるで世界が自分のものになったような気がする。頭の構造はどうであれ人間は基本的に、常に自分の視界に入るものを自分の物として認識する。支配者志望の者が高いところに自分を配置したがるのは、すべてを自分の認識内に掌握したいとする心理が働くせいなのだ。
なんか、デカいことって、思うほど簡単にはいかないんだなぁ──。アウルは息を吐きながら思った。
超能力がこの世の理から大きく外れていることも、それを使って政府要人を殺すなどが完全な『ルール違反』であることも、彼はよく判っていた。わかっていたが、それを自らすすんで行なうことで、何かとても『大きなこと』をしている気分になっていたのだ。
ボクら超能力者の存在を知ったら、その存在が頭にチラついたら、きっと世界はひっくりかえる。誰もボクらをただのガキだなんて思わない、誰にもできないすごいこと、それがボクらにはできるんだ──。
ラクスの襲撃でも自分がそう思ったかどうかは判らないが、少なくとも彼は、マイウスの異変にはそんな気持ちで参加していた。どんな厳重ロックもテレポートひとつで無駄になる、どんな強力な防具や武器もサイコキネシスの前では無力以外の何者でもない。政治の何たるかも、そこに携わる人間の重要性もあまり理解できなかったが、彼ら──アウルには、それだけがわかっていれば十分なのだった。
だが。彼は再び眼下の街並みに目を落とした。
そこにはビルがあり、河があり、道路があり、車があり、人がある。ここにはコーディネイターの生活のすべてがある。そしてそこに住む人々の心境はどうであれ、様々な事件が起こってなお、この光景に何ひとつの狂いがない。
どんなことがあったって何も変わらない。それが『変わりたくないから』なのか『変わってはいけない』からなのはわからなかったが、何となく彼は、それが『変わりたくない』からではないか、と考えていた。
変えてしまったら、何かが変わってしまったら、それは──。
「──アウル」
呼びかけられてアウルは振り向いた。ゆっくりと、何かを考える間を惜しむように。
「そろそろ来ると思ってたぜ」
彼は、今までに見せてきたどんなそれとも違う、静かな笑顔で相手を出迎えた。
「議長ッ、あれは一体どういうことなのですかっ」
「まさかここまでに起こったすべての事件や事故が、ナチュラルの手によるものだとでも…!」
「ナチュラルは我らと共存への道を歩き出したのではなかったのか!」
「ラクス・クラインを襲撃され、フェイスの部隊まで壊滅状態に追い込まれ、我々の信用は風前の灯ですっ」
「議長っ、ここまでされて我らコーディネイターは、未だかのナチュラルとの共存を目指そうと?」
「ナチュラルに我らを迎える意思はないのだ! あるのは、己より優れた我らへの劣等感と妬みのみだ!」
「議長、開戦を!」
「議長!」
予想はしていた。していたが、議員たちの混乱と怒りはとうに頂点を超えてしまっていた。こんな彼らに不用意なことは言えないが、ここでハイ解りましたと開戦のゴーサインを出すわけにもいかない。
言葉は慎重に選ばなければならない。なんとかして、皆をおさめなければ──そこまでを、ただじっと黙って過ごしていたデュランダルはようやく立ち上がり、重い口を開いた。
「──みなさん、落ち着いてください」
議長、議長、議長──。混乱して口々に騒ぎ散らしていた一同が、自分たちのリーダーが何を言うのかと、期待と不安の目で見つめてくる。
「我々は、決してナチュラルとの戦争を繰り返してはなりません」
「まだそのようなことを──」
「みなさん。我々は決して忘れてはなりません。先の戦争で、双方がどれほどの犠牲と苦痛を払ったか」
場内が刹那、シーンと黙った。怒りや憎しみ、悲しみに彩られた様々な目が、相手の言うことを信じてもいいのかと神妙なまなざしを向けてくる。
皆に自分の声がきちんと届くことを確かめて、デュランダルは改めて言った。
「そしてその犠牲を心に留め、悲しみの内に生きている者は、ナチュラルの中にも居るのです。我々に迫害の歴史があったように、ナチュラルにもまたコーディネイターに蔑まれ、謂われのない侮辱を受けた歴史があります。我々がすべきは『自身のつらい過去』を振りかざすことではなく、まずはこの開戦によって、未だ癒えぬ傷を抱えた一部の彼らが再び被るであろう、悲しみや苦痛を思いやることではありませんか」
過去は忘れるべきものではないが、引きずるものでもない。過去の戦禍で多くの犠牲を被ったのは自分たちも同じだが、だからこそ同じように傷付いた『相手』の痛みも理解できるだろう──? 彼は、同胞たちにそう問うている。それはかつて、怒りと憎しみに支配されたシンがキラにぶつけた言葉でもあった。
「ですがっ…」 女の議員が、今にも泣き出しそうになりながら言った。「あれほどの虐殺を受けて、我らはそれすらも黙って受け入れろとおっしゃるのですか!」
「それでは隷従も同じです!」 顔を真っ赤にした男の議員が言った。「我らにも喜びがある、悲しみがある! そして今、多くの同胞をつまらぬ理由の下に虐殺されたことへの怒りがあります!」
「どうか落ち着いてください!」 デュランダルは必死に言った。「我々がすべきは、ナチュラルとの戦争ではありません! そもそも私は、この事態をこのまま黙って受け入れるつもりなど毛頭ない!」
「では、一体どうされると!」
バン! 初老の議員がデスクを叩いた。そうでもしなければ、自分たちのリーダーに手を上げてしまいそうだったのかもしれない。
デュランダルはその音を、その必死の暴力を自分の身に受けたのと同じ気持ちで言った。
「私がアスハ代表とともに、連合の代表者に会見を行ないます。自らの罪を認めさせ、そして謝罪を──すべての死者に報いる謝罪を、必ず獲得してみせましょう」
たとえ、能力者対決という形になったとしても──。デュランダルは自分が持つ超能力に賭けても、この言葉を達成するつもりでいた。
「どうか皆さん、私たちを信じてください」
もちろんマイノリティとして高位にいるデュランダルの能力も、キラやアスランと比べてしまってはどうしようもないほど弱い。アウルの能力を見たとき、まずかなわないと直感した。そんなアウルに並ぶ者が、少なくともあと二人以上存在する連合の超能力者集団とまともにやりあうには、キラたちの協力が必要不可欠だ。
下手な行動が世界の壊滅に繋がりかねないキラはともかく、アスランやシンは、自分にできる精一杯をすると言ってくれた。元能力者のイザークなど、超能力に理解のある仲間も、少ないが確実に居る。年単位の時間をかけても、必ずデュランダルは戦争という最悪の手段に頼らない和平を達成してみせるつもりだった。
だが一部の議員は、自分たちが受けた傷の痛みを、同じだけ相手にも刻むことを望んだようだ。
「あなたがそんな姿勢だから、ナチュラルは『何をしても報復は来ない』とタカをくくってしまうのではないですか!」
まだ若い男の議員が立ち上がって叫んだそのとき、ある種の衝撃といえる何かがデュランダルの脳幹を打った。それは自分のやり方を否定されたショックとは違う。キラと同じ、強い悪意が自分の精神に流れ込んできたときに感じる、己が何か恐ろしいものに浸食される『危機感』に似たものだった。
一瞬のショック状態に陥って反論できなかった相手に、たたみかけるように議員は続けた。
「あなたの姿勢はご立派です、どんなことがあっても戦争だけはしない。少数の政府関係者のために多数の犠牲を払うことはないのですから! ですがそれでは、ナチュラルどもは自分たちが何をしても『お叱り』で済まされると考えてしまうでしょう!」
「そうですわ、議長」 女の議員が言った。「我々だって、幼い子供が悪いイタズラをすれば折檻をします。言葉だけですべてが通じるはずはありませんっ」
背筋をぞわぞわと這い上がる悪寒とともに、デュランダルは強い吐き気に見舞われた。うかがうように不安そうな目を向けてくる、大人しい議員たちの視線から察するに、今の自分はおそらく蒼白な顔色をしているに違いない。
「ナチュラルが我らの掃討を望む以上、我々が黙っているだけでは、彼らの行動はエスカレートする一方です! いづれは、血のバレンタインを繰り返すことにも──」
「お願いです、皆さん」 デュランダルは静かに言った。「お願いです。もうすこしだけ、私に時間をください」
決死ともいえるリーダーの言葉に、議員たちの視線は白かった。まだそんなことを言い続けるつもりか──、そんなだからプラントはなめられるんだ──、このままこいつに任せていてもいいのか──、まさにそんな呟きが聞こえてきそうな嫌な沈黙が、刹那、流れていく。
「ま、待ってください、皆さん…!」
意を決したように誰かが言った。皆の視線が向いてみると、そこにいたのは気の弱そうな男の議員だった。何故こんな頼りなさげな男が議員に選ばれたのか、現在の議員選出制度を疑問視したくなるほど普段の発言も少ない、存在感のない『いるだけ議員』とでも呼ばれていそうな、印象の薄い男。
彼は周囲の顔色をうかがいながらも、それでも一生懸命に言った。
「今ここで開戦に持ち込めば、まだ事態を把握しきれていないプラント市民の混乱は避けられません。『原因不明の計器異常』で納得していたザフトの者にも、その方針を疑問視する者が出るでしょう。ラクス様だって間もなく復帰されるのですから、今はまだすこしだけ、前に進む時間を……議長だけじゃなくて、我々全員に、その時間が必要なのではないでしょうか」
こんな状況だからか、その議員の言葉には異様な説得力があった。勢いでデュランダルを押し切ろうとしていた血気盛んな議員たちがウッと怯んだ。
デュランダルは誰にも気付かれないように大きく深呼吸すると、味方してくれた議員に目をやった。視線が合うと、彼はなんだか恥ずかしいことをしてしまったように苦笑いして頭を下げてみせる。
ありがとうという代わりに微笑みを返し、彼は言った。
「──私は、私にできる最大のことを全力で尽くしたいのです。皆さんのご理解を…おねがいします」
議会は解散になった。
立ち去っていく議員たちの中には、聞こえよがしに舌打ちする者もいれば、ホッと胸を撫で下ろしていく者、デュランダルに同情のまなざしを向けていく者、いろいろといる。最高評議会はあらゆる提案に対し、全会一致でなければ決定を下さない。この体制を今更になって疎んでいる者もいるかもしれないが、現時点それに救われた感が強過ぎて、さすがのデュランダルも自嘲の溜息を否めなかった。
と、自分が最後のひとりになってしまったと思いきや、気配が残っていた。不用意な独り言が出てしまわなくて良かったと思いながら視線をやると、先ほど味方をしてくれた議員がぽつんと立っている。
「君か」 デュランダルは言った。「どうもありがとう。私ひとりでは…きっと、ダメだった」
「あんなことがあっては、仕方のないことかもしれません…」 男は苦笑いした。「でも、こんなときだから冷静にならなきゃいけないんです。私、議長の反戦の態度には感服いたしております」
「…ただのひとりにでもこの想いが伝わっているのなら、私としても、とても嬉しい限りだ。今日の君の言葉、私も忘れぬよう胸に留めておくよ」
「あ、でも…」 男は慌てたように手をパタパタ振った。「さっきの言葉、…受け売りなんです。ヤマト准将の」
「え?」
「こんなこと言ったら他の議員の皆さんに怒られちゃうでしょうけど…私、第二次ヤキン終結の頃から、ヤマト准将のファンだったんです」 男はどうしようもなく照れて笑った。「准将、今はプラントにいらっしゃるでしょう? 私、居ても立ってもいられなくて、つい昨日、タワーまで押しかけてしまったんです」
「えっ?」
今度は別の意味でデュランダルの口を声が突いた。つい昨日キラに会った? この男が? 今のキラはアプリリウスタワーの中で、監禁も同然の状態で暮らしているというのに、どうやって──。
「会った…のかね? キラ……、ヤマト准将に」
「いえ」 男は首を振った。「さすがにお会いすることはできませんでした…。でも、お電話ですこしだけお話しさせて頂いたんです。そのときに、今のお言葉を頂いて」
どうやら、キラのあの禍々しい姿までもを見られたというわけではなさそうだ。キラが誰の許可もなく評議会議員と、電話とはいえ密会などとはナチュラルには口が裂けてもいえないが、彼の行動にはいつも何かしらの裏がある。
今回はその『ウラ』がこれだったというわけだ。
感謝すればいいのかどう思えばいいのか、とにかくデュランダルは複雑な気持ちになってしまった。
「准将に頂いたお言葉は、やっぱり素晴らしいですね」 男は感激していった。「こんな状況でも前に進むことを諦めていなくて、そしてその道を見極めていらっしゃる。私、今日の経験でちょっと自信がつきました。平和を望む気持ちは、誰にでもあるんですよね」
「……そうか」 デュランダルは小さく笑んだ。「それは何よりだよ」
これでまたひとり永世平和主義の議員が誕生した。彼はどんなことになったとしても、きっと議員で居る限りずっと、デュランダルの──正確にはキラの、だが──味方でいてくれることだろう。
「では議長。私もこれで失礼いたしますね」
「ああ。また次でも健闘を見せてくれたまえ」
議長からの激励を受けて、議員はハイッと元気な返事をして会議場を去っていった。他人の影響を受けやすい者は感情の起伏もそれなりに激しい面があるが、はてさて彼はどうなっているやら──思わず苦笑いが浮かんでしまう。
『こんな状況でも前に進むことを諦めていなくて』──ふと、先ほどの言葉がよみがえる。
「私も、諦めてはいけないな」
彼は自嘲の笑みとともに、とうとうひとりきりになってしまった会議場を立ち去っていった。
進まなければならないのだ。キラがそう言ったように、その言葉に誰も反論できなかったように。
前へと──。
「議長からの提案、伝えにきたぜ」
ハイネは数枚の書類を片手に、キラとアスラン、そしてシンとカガリが待つアプリリウスタワー簡易会議室の扉を開いた。議会やら何やらでタワーまで足を運ぶ時間すら取れないデュランダルに代わり、今となっては彼がパイプ役で定着してしまっている。
「ま、突拍子もないことだとは俺も思ってるんだけどな」 ハイネはちょっと息を吐いた。「何もしないよりはマシ──ってことだ。まあ聞いてくれ」
「なんなんだ?」 カガリが言った。「これからの決定に関わることなら、わたしまで呼ばなくても…あ、いや、変な意味じゃないんだが」
「いや、代表には確認をとっておきたいんでね」
ハイネは歩を進めて、皆が座っている長机の上にホッと腰を下ろした。フェイスとしての態度ではないが、軍人としての態度ですらない。親しいトモダチと交わす、親睦会の相談──といったところだ。
もちろん変に構えられるよりはよほど気が楽なのだが。
「まずひとつ」 ハイネは書類の一枚目をテーブルに置いた。「プラントは今週末にも、アスハ代表をオーブへとお返しする意向を表明する」
えっ、と驚いた声を出したのはカガリとアスランが同時だった。
「ほんとに思い切ったんだな…」 シンは呟いた。「やっぱり、アスハをずっとプラントに置いとくわけにはいかないってワケですか?」
「そういうこと」 ハイネはうんと頷いた。「あんなことがあったあとだ、オーブも無理とわかってはいるだろうが、代表不在の状態で長く保つほど利口じゃない。政府の中には親ブルーコスモス派だって少なくないんだ。下手に代表をここに留めてしまったら、今にオーブ政府は代表派とその反勢力派で真っ二つだぜ」
「いや…」 カガリが苦笑いを浮かべて首を振った。「多分、反対勢力に乗っ取られるだろう」
誰も、何も言えなかった。
「わたしは賛成だ」 カガリは続けた。「こんなことになってしまったからこそ、わたしは一刻も早くオーブに戻りたい。オーブの政府が、今の評議会と同じような状態になっているだろうことは、容易に想像がつくからな。──それに議長のことだ、何の予防策もナシというわけではないのだろう?」
「ご名答。さすが代表、議長のこと、よくわかっていらっしゃるね」 ハイネは笑った。「もちろんオーブ代表艦だけをポイと放り出すだけならただの無責任だ。評議会はクサナギ出航の際、護衛としてプラントの最強にして最新の戦艦、ミネルバをつけるつもりでいる」
アスランは、ハイネがテーブルに置いた書類を持ち上げて目を通してみた。
後ろから三人のギャラリーに覗かれながら読んでみると、なるほど今言われた通りの内容が丁寧な言葉で書かれている。この書類は、このままオーブの政府へと送信されることになっているのだろう。あるいはすでに送信してしまったあとかもしれないが。
「──って、ちょっと待って下さいよ!」 素っ頓狂な声を上げたのはシンだった。「何ですかこれ、おれ、こんなハナシ聞いてませんけどっ!」
こんなハナシ、と言いながら、シンが書類の一部を穴が開く勢いでビシリと指さす。そこにはミネルバ指揮官としてシン・アスカの名前がしれっと挙がっているではないか。
「確かに軍役復帰はしましたけど、い、いくらなんでもいきなりミネルバの責任者だなんて、おれにはとても…っ!」
「気持ちは解らないでもないけどさ、議長としても断腸の思いだろうぜコレ?」 ハイネが同情じみた笑みで肩を竦める。「議長が自由に動かせる『手駒』の中で最強の能力者って言ったら、おまえしか居ないんだからな」
「う……っ」
まったくもってその通りで反論の余地はゼロ。さすがのシンもこればかりは二の句が継げない。今にも嫌ですよと言い出しそうな彼を横目に、キラさえも苦笑いを隠せなかった。
「プラントの自国防衛もあるからね…」 と、キラは言う。「いくら護衛としての信用を獲得しようにも、長年その任にあるジュール隊を外すわけにはいかなかったんだと思うよ」
「解りますよ、そのくらいは…」 シンは辛うじて言った。
ただクサナギには、現在オーブ在籍という立場であるアスランとキラも、帰国のため乗艦することになる。能力者的な観点で見れば、この時点で護衛なんか必要ないのだが、普通の人間にそれは理解できない。悲しいものだ。
何よりシンがミネルバへの着任をこうも拒みたいのには、かつての上司たちと部下にしなければならない複雑さや重大な責任から来る心の負荷なんかより、自分のチカラが消えてもいないのに、という危惧が圧倒的に強かった。家族のないシンからすれば、長く連れ添った友人の巣窟であるミネルバは実家も同然だ。『最強の能力者』として頼ってもらえるのは有難いが、そのチカラを彼らに晒すことになりかねない事態を前に、どうしても足が竦む。
「しかし、こうなるとプラント側の守備が若干の脆さを否めなくなるな?」 と、思い付いたようにカガリが言った。「キラとアスランはこっちの所属だから仕方ないが、同格の能力者であるシンまでプラントを離れるとなると……いや、信用できないというわけではないんだが…」
「そこは問題ないよ」 思いがけず答えたのはキラだった。「僕はもうしばらく、プラントに残るつもりだから」
『えっ?』
一同の声がひとつになった。
「何を言ってるんだ、キラッ」 真っ先にアスランが反論した。「おまえ、自分が地球諸国にどんな目で見られているか、解っているのかっ」
「そりゃまずいって」 珍しくハイネも慌てた。「代表が引き上げるのにあんただけが帰らないなんて、地球国家が何を言ってくるか判らないぜ? これ以上プラントの信用に関わるようなマネはさせられないんだ、悪いがあんたにもオーブに引き上げてもらう」
「そういうわけにはいかないんです」 キラは少し困ったように言った。「ミーアにどんな能力が宿ったかハッキリ判っていない状態でオーブへ帰るなんて、僕にはできません」
キラが放った言葉の意味に興味があるのか、アスランはハイネはそれ以上の口出しをしなくなった。どういうことだ、そう問う一同からの視線を受けながら、キラはすこし考えるような時間を置いて、また言った。
「ミーアはまだ自分の超能力を自分の意思で使用していないんだ。自動的な発動でも構わないから、とにかくミーアに宿った『僕の闇』が、どんなカタチになるのかだけでも見届けておかないと安心はできない。──僕の『闇』は飛躍的に進化してしまった。君たちにはない、まったく未知の新しいチカラが目覚めてしまった場合、彼女からそれを剥奪することは僕にしかできない」
「言いたいことは判ったが…」 ハイネは唸った。「しかしそれは、どうしたものかな」
そういうことなら話は別なのだが、いかんせん国家間の問題に関わる話だ。そうそう上手い案が出て来るはずはない。さすがに普段は頭の回転のいいキラでも、自分がプラントに残留することをごまかせるほどのいい嘘は見当たらないらしい。
それに、連合側の相手とて超能力者だ。アウルがあっさりとキラの居場所を突き止めて勝手に出てきてしまったのと同じように、まだ向こうに残っている数名にしても、キラの居場所を探知する能力がないとは言い切れない。そうなるとキラひとりだけをプラントに残すという行為にも不安が残る。
カガリをオーブへ帰すために、能力者の中でもトップクラスのシンがまず消えている。イザークもすでに能力者ではないし、ハイネにはデュランダルを警護する重要な役割がある。それにラクスは問題外──と、なんとも難しい顔をして座り込んでいたアスランが盛大な溜息を吐いた。
「…キラ、おまえはやはりオーブへ帰れ」
「アスラン…」 キラが切なそうな顔をした。
「だめだ」 アスランはぴしゃりと言った。「おまえの独断であったとしても、おまえがこちらに残るという行為は、オーブにもプラントにも負担でしかない」
「けどっ」 キラは食い下がった。「そうなったら、ミーアのことは誰が──」
「俺がザフトに復帰する」
えっ? ──またしても一同の声がひとつになった。しかも言葉が言葉だ。先ほどの『ビックリ』とはレベルが違う。
「『ラクス』は俺の婚約者だ。『襲われた』だの『死んだ』だのと、『得体の知れないデマ』が流れている彼女の身の安全を案じた俺が、彼女を守るためにザフトへ復帰するのなら不自然じゃない。もちろんミーアから超能力を剥奪する権限なんて俺にはないが、キラに連絡が取れるまでの間、俺の『イージス』なら彼女を封印することが可能だ」
誰にも何も言わせる間も与えず、沈痛な顔こそしながらも、アスランは思いつく限りの可能性を述べてみた。
自分で言っておいて何だが、結構いい案だと思う。ラクスのプラント復帰宣言の時には、オーブとプラントにそれぞれの身を置いて友好を深めていきたいという趣向だったが、こんな状況に陥ってしまった今、このシナリオでなら市民の納得も大きいだろう。何より事件のどさくさで、ラクスの『静養』復帰会見が未だ行なわれていなかったのが幸いした。
ミーアの第一舞台となるその会見にアスランも一緒に出席し、このとおりの宣言をすれば、きっと誰もが、二人の間の強い愛を再確認こそすれ、裏側を疑うなど考えもしないだろう。
それに、その場でミーアの超能力を剥奪できるキラはともかく、ミーアの能力に危険性を見い出した場合、確実に彼女を無効化できるのはアスランの進化した『イージス』だけだ。イザークの能力が健在であったなら、彼の『ヴォルテール』もきっと同じような進化をしていただろうが。
万一自分が不在の時に不意に発現したとしても、デュランダルやハイネ、ディアッカなどなど、頼れそうな能力者らと連携を取るという状況を考えても、やはり自分が適任のような気がした。
「……俺は賛成するよ」 同じようなことを考えたのか、ハイネが片手をひらりとあげた。「アスラン以上にいいプランを出せそうもないしな。それに、復帰に関してアスラン自身が納得しているのなら反対はしない。──イイ同僚もできるしな?」
「アスラン…」 キラが不安そうに言った。「いいの? それで…」
「おまえがプラントに残留するよりは、よっぽどな」 アスランは肩を竦めた。
「わたしも、構わない」 カガリが言った。「それに、キラかアスランのどちらかがわたしの傍に残ってくれるのなら、それだけで心強いからな」
ザフトは正規の軍隊というわけではない。本人の意思が明確である場合、復帰だろうが新規参入だろうが決定も同然だ。この話がデュランダルに通った時点で、アスラン・ザラはザフトへの正式な復帰が認められることになる。
ラクスの婚約者として、ヤキンの英雄として、プラントの王子様として──。プラントは、もとよりどこにもアスラン・ザラという人間を否定する理由も要素もない国なのだ。
「あー、そうなったら…」 ハイネは不意に視線を上げ、そしてシンを見てにやりと笑った。「護衛完了後、何もそのままトンボ帰りってわけじゃないだろうし、ミネルバはしばらくオーブに滞在することになるだろうな。准将と二人きりの時間、ちょっとは作れるかもしれないぜ?」
「な、何言ってんですかっ」 シンは真っ赤になって焦った。「おれはまだミネルバに乗るなんて……いや、そりゃ、まあその、そうなったら嬉しいですけど……」
段々と小声になっていくところがまたシンらしい。
かなり不安が解消されたキラもアスランも、そしてカガリもくすくすと笑った。
あとはファントムペインがどう動いてくるか、だ。ハイネの冗談に皆が心から笑えない理由はそこにあった。きっと誰もが同じことを考えながら、言い出せずにいるに違いない。
アスラン・ザラのザフト復帰、襲撃し殺害したはずのラクス・クラインの無事、そして未だ反戦の姿勢を崩そうとしないオーブとプラント──。
このまま上手くことが運べば、元・プラント理事国たちは無意味な虐殺への責任として連合解体、という形で最高の結末を迎えられそうな気がしなくもないが、ブルーコスモスにのみならず人間というものは、自分にとって気に入らないものを排除するためなら、どんなこじ付けの理由も正当化してしまう困った悪癖を持っている。
まだ、安心してしまうのは早い。
と、ハイネが広げた書類をまとめてタンタンと机を叩いた。
「──では、この話し合いで決定したことは議長に報告させてもらう。会見は今週末だから、ラクス・クライン復帰会見も、もしかしたらアスランの復帰会見もそのとき一緒に行なわれる可能性が高い。準備だけしておいてくれ」
「わかった」
アスランの返答に続いてカガリが頷き、キラとシンもハイと返事をする。
「それとラストにひとつ」 ハイネは続けて、キラを見た。「釈明会見のゴタゴタで宙ぶらりんになってたアウル・ニーダの件。議長はヤマト准将にすべてお任せする、ってさ」
会見がめちゃくちゃになってしまったあと、アウルからファントムペインに関する情報を確認するつもりが、あまりにタワー近辺や評議会周辺が大騒ぎになってしまったために皆で集まる機会が取れず、何もできていなかったのだ。シンは呼びに行ったアウルを結局は部屋へ連れて戻っただけに終わり、それからは顔を合わせていない。
あいつ、この事態をどう見てるんだろ──。シンは何となく、そんなことを思った。
「──はい」 キラは頷いた。「ありがとうございます」
ハイネはまたなと手を振って、小さな部屋を出て行った。
短時間で様々な重大決定が下ってしまったが、このくらいサクサク進むくらいがちょうどいいのかもしれない。古来より『会議は一時間がベスト』と言われてきたように、下手に考えを重ねて提案した事項ほど、裏をかかれやすい巨大な穴を隠し持っているものなのだから。
「いよいよ動き出すな。プラントも、オーブも」
カガリが立ち上がっていった。その言葉がいかに重いものかは、彼女の緊張した面持ちを見るに明らかだろう。大きな戦争を経験し、多くの大切なものを失っていったこの一同だからこそ、これからの方針と国家の行動に期待を不安を抱かざるを得ない。
「過去の惨劇なんて繰り返させたりはしない」 アスランが言った。「この世界は必ず、俺たちが変えてみせるんだ」
「ラクスが目覚めたとき、ビックリさせてあげたいからね」
笑みを浮かべ、キラが言う。
理不尽な暴力に倒れた仲間のために。彼女の意思と行為に報いるために。
彼らは歩き出す。たとえその先が、大荒れの海原であろうとも──。
NEXT.....(2007/02/23)