FATAL ASK  13.孵化

 このクソ忙しいときに、ろくでもない用事を持ち込んでくれたものだ──。

 すでに専用と化した事務用執務室のデスクに着いているデュランダルの表情が如実にそんなことを語っている。アウルを彼の真正面に座らせ、自分たちはその左右後ろに展開しているアスランとハイネの表情は、打って変わって苦笑いに引きつっていた。

「──名前は」 デュランダルが言った。

「アウル・ニーダ」 アウルはさらりと答えた。

「所属は」

「地球連合軍第81独立起動隊……ファントムペイン、って通称があるよ」

「君の能力は」

「連合の連中には『アビス』ってコードネームで呼ばれてた。まあ多分、意味が水をイメージさせるからだと思うんだけどね」

「…水?」 デュランダルは眉を寄せた。「君は水を操る能力を持っているのか?」

「うーん…操る…って言ったら、まあそうなんだろうけど」 アウルは少し考えた。「助けてくれる、ってのが一番近いかな? ボクがやりたいと思ったことに、水が手を貸してくれるんだ」

「…どんなふうに?」

「ボクが今、あんたらを殺したいって思ったら、すぐ頭のイッコも破裂しちゃうんじゃないのぉ?」

 アスランとハイネがアウルの後頭部に視線を落とす。恐らくアスランは、この場に来ても口の減らないアウルに呆れているのだろうが、ハイネは小さく息を吐くと、デュランダルに目を移した。

 ──少し痛めつけたほうがいいのではないですか? 物騒極まりないが、彼の目はそう言っている。上司が沈痛な面持ちで首を振ると、据わりかけていたその目つきから力が抜けた。

 今のアウルは、キラの覚醒によって一年前以上の硬度を得たアスランの命令文『イージス』に包まれている。それもただの『イージス』ではない。通常のそれは詠唱者の前方に出現して味方を護る文字通りの『盾』だが、現在のこれはアウルの身体を球状に包んでいる。要するに形状をアスランの意思で操作できるように進化した『イージス』なのだ。

 だからアウルがおかしな素振りを見せれば、ハイネが何かする前に、周囲のバリアが変形して何かしらのダメージを与えることができるだろう。

 場合によっては、彼の全身を無数の針で撃ち抜くことも。

 アウルもその程度のことは判っているはずだ。それなのにこの態度は、いっそ殺されてもいいと思っているのか、それとも何か目的があるのか。だが後者でもなければ、わざわざ連合の制服なんてものを着て、自分は敵ですと宣伝しながらこのタワーへ乗り込んでくるなど、そうできるものではない。

 しかもキラの前に彼は現れた。万一キラがアウルを『敵』と認識してしまったら、その瞬間で彼は殺されていたに違いないというのに。

 一年前以上に膨れ上がったキラの強い闇は、まだ彼の身体の中で波立っている状態だ。キラがわずかでも敵対意思や強い負の感情を抱けば、『闇』たちはそれを攻撃として具現させてしまうだろう。完全な制御が身に付くまでは、キラに下手な刺激を与えてはいけない──まるで妊娠初期の安定期に入るまでを待つように、タワーの中にいる能力者たちはそわそわして過ごしている。

 アスランたちからすれば、この敵対組織からの侵入者であるアウルが殺されなかったのは、運がよかったとしか言いようがない。

「質問を変えようか」 デュランダルが言った。「君は、ラクス・クラインの襲撃事件に関わったね?」

「多分ね」

「……連合の部隊に所属する君があの事件に関わったということは、彼女への襲撃は連合が企てたものと考えていいのだな?」

「そこらへんのことはあんたらのソーゾーリョクにお任せするけどさ」 アウルは言った。「多分ボクにこんな質問してても、大した収穫はないと思うぜ?」

「どういう意味だ?」 アスランが尋ねた。

「ボクらは、連合の中じゃ『いない』のと一緒。つーか、連合の連中はボクらのことを『人間』とか思ってない。ボクらの身体はMSで、ボクらの頭はそのOS……ううん、CPU程度。周りの認識はそんなもんなんだ」

「つまり」 デュランダルが鋭く言った。「『アウル・ニーダという人間』は、連合には所属していない──と?」

「そう言われるのがオチだと思うね」 アウルは苦笑いして肩を竦めた。「ボクらの部隊は特殊なんだ。確かに連合の所属だけど、正規軍ってわけじゃない。──言ったろ、『ファントムペイン』だって」

 私兵部隊というわけか──。アスランは目をつむった。おそらくそこに所属する人間は、アウルを含めたすべてが『いわくあり』の者ばかりなのだろう。社会から存在を抹消された者、死という形で世界から消えたことにされた者、あるいは何らかの圧力や権力によって存在しないことにされてしまった者だっているかもしれない。

 閉じたままのアスランのまぶたの裏に、ある少年の姿が浮かんだ。その少年も、かつては連合に所属してMS部隊にいた。薬物や細菌、肉体改造によって人間の枠から無理矢理外れさせられた彼は、最後の最後に自我を失って発狂し、アスランの一撃によって宇宙のチリと消えたのだ。

 アスランは解っていた。『死』という形でなければ彼は救われなかったのだと。

 改造を『進める』ことはできても、彼を本来の人間に『戻す』ことはできなかった。どんな人間にも『戻る』という行為自体できるものではないし、むしろ連合はそんなつもりなど欠片もなかっただろう。取り返しが付かなくなったら新しいものを造ればいいだけの話、極限まで改造を行い続け、死ねばもう一度やり直し、死ななければ死ぬまで使い続ける、ただその繰り返しなのだ。

 まさに機械をそうするように。

 目を開き、アスランはアウルを見つめた。

 もしかしたら──いや、きっと、あの少年と同じ存在であろうアウルを。

「ひとつ、聞いてもいいか」 アスランは言った。

「今ってボクへの質問タイムだろ?」 アウルはアスランを振り向きもせずに言った。「なんでもドーゾ」

「最初からおまえの狙いはキラだったな? 何故、わざわざ敵の本拠地のようなココへ殴り込んできたんだ?」

 一瞬の沈黙があった。アウルの正面に座っているデュランダルが、きょとんとした顔で首を傾げている。後ろに立っているアスランからでは彼の表情をうかがうことはできないが、彼のことだからフクレた子供のような顔をしているのかもしれない。

「──キラっていうんだ、あのひと」 アウルはぽつりと言った。「ああ…いい名前だな」

「ふざけるなよ」 アスランはぴしゃりと言った。「ファントムペインの上層から、キラへの接触でも命じられてきたのか? それとも、超能力の強化を求めて、キラの『闇』と接触しようとしたのか? どちらにせよ君が『そういう存在』なら、それを命じた人間がいるはずだ。その辺りのことを話してもらおう」

「好きなように解釈しろよ」 アウルはどうでもいいように言った。「どうせ何を言っても、あんたらは自分らに都合のいい部分しか信じない。ボクのことを解ってくれるの、あのひとだけだ」

「…あのひと?」

「何も言わなくても、あのひとはボクが何をしにここへ来たか解ってた。あのひとは水の声が聞けたから。ボクのホントの気持ち、ボクのこと、全部あのひとにしか解らない」

 思わずアウル以外の三人が顔を見合わせる。アウルの、さっきまで小生意気だった態度がガラリと変わった。余裕のある表情で一同からの質問に答えていたはずの彼が、今は笑みすら浮かべていない。顔つきから感情が消え、じっと誰の顔でもないどこかを見ている。

 キラのことだというのは、すぐにアスランにも理解できた。だがアウルが本心からコレを口にしているのかが今ひとつわからない。まさか本当に、ただキラに会うためだけに来たのだとすればリスクが大きすぎる。一撃でキラ本人から殺されるかもしれない、あるいはひとめ見ることもならずシンやアスランに殺されて終わったかもしれない、それなのに。

 アウルが命令で動いたにしても、果たしてこんなバカな命令をする者がいるのか。

 『ボクはね。別にもう、死んだっていいんだよ』──。

「……議長」 アスランは言った。「アウル・ニーダの処遇、キラに任せていただけないでしょうか」

「えっ?」 意外そうにデュランダルがキョトンとする。

「勝手を言っていると思います」 アスランは目を伏せた。「ですが、決して悪いようにはしません。彼は能力者です、おいそれとタワーへの侵入罪として正規ザフトへ引き渡すこともできないでしょう。どうやら彼は、連合の──」

「ファントムペイン」 不服そうにアウルが名称を修正する。

「その、ファントムペインの命令を受けてここへ来たわけではないようですし」 アスランは親切にも修正を受け入れて続けた。「能力者の処遇は、能力者の頂点であるキラに決定の機会を…お願いできませんか」

「──いいだろう」

「うわスッゲ、マジで認めんのソレ」

 デュランダルの即答に近い言葉に、一番驚いたのはアウル本人だった。

「恐らくコレは、私が携わるべき問題ではないだろう。彼の話を信じて聞く限り、今の彼の行動に連合は関わっていない。所属はどうあれ能力者の単独行動というのなら、君やキラ君にこそ、決定権がある」

 何かを決めあぐねるようにずっと黙っていたデュランダルだったが、どうやらさっきまでそんなことを考えていたらしい。アスランが提案するまでもなく、彼はキラたちにアウルの処遇を任せるつもりでいたようだ。

「ありがとうございます」 アスランはホッとしたように言った。「議長は週明けの準備がおありでしょう? あとのことはお任せください」

「そうさせてもらおう」 デュランダルは立ち上がった。「ヴェステンフルス隊長、議会への通達は任せるよ」

「はっ、了解です」

 デュランダルはハイネを伴い、部屋を出て行った。

 その足音が遠ざかっていくと、アスランは緊張させていた表情を崩して大きく肩で息を吐いた。

「なんか、騒々しいときにお邪魔しちゃったみたいだなー」 アウルが言った。

「まったくだ」 アスランは言った。「おまえに敵意がないのはよーく解った。要するにその格好は、いちいち面倒くさい説明をしたくなかったから、なんだな」

「ま、そゆこと。わかってんじゃん、さっすが」

「笑い事じゃないぞ。タチの悪い賭けに出たなおまえも。『水』の助言がなかったら、おまえはキラを見た瞬間殺されてたんだ」

「なかったらって、助けてもらえること、解ってたから来たんじゃん? あのひとには絶対伝わる。絶対会える、そーじゃなかったら来ないって」

 さっきとは違った溜息が出そうになってアスランは顔をそらした。ずうずうしいというか、図太いというか、何にせよ肝が据わっている。現在のキラは一年前以上の力を持ち、シンやアスランは一年前のキラと同じくらいの力を得ている。そんな凶悪集団の中にポンと一人で飛び込めるなど、並の神経ではない。

 一発しか空きのないリボルバーで、自分の頭を撃つようなものだ。

「けど、いいのかな」 アウルは言った。「ラクス・クラインの襲撃、ボクがやったみたいじゃね? マイウスのことはカンペキ覚えてんだけど。これって議長サンの仕事じゃないとか言ってたけどさ、そこらへんはどうなんだよ?」

 アスランはふと違和感を覚えた。アウルの言動がすこしおかしい。覚えているとかいないとか、自分がやったはずの事件をやったみたい、などと言う。そういえばデュランダルとの問答でも、それらしいことを言っていた。

 もしかして──。アスランの脳に妙な危惧感のようなものがよぎった。

「おまえ、記憶がないのか?」

「…これが改造人間の悲しいトコロなんだよねェ」

 アウルは自嘲的な笑みを浮かべる。アスランはそれだけですべてが理解できた。

 なんということをするのか、連合という組織は。アウルのような子供に、罪の意識が薄い幼少の頃から人殺しの訓練をさせるだけでなく、殺しすぎることによる罪悪感や精神的苦痛を抹消するためのマインドコントロールまでも施しているのだ。これによって『昨日大勢殺した』という記憶は完全に消え、新しい任務を真っ白の気持ちでこなすことができるのだと本気で考えている。

 本当に人間を人間と思っていない。コーディネイターであれど、アスランは、これをとても同じ赤い血を宿す者の所業とは思えなかった。

 しかしスーパーコーディネイター研究にしろ、強化人間研究にしろ、人間は自分たちにとって最善──いや、最良の『何か』を求める傾向が強い。より『良い』ものを目指すための犠牲を、自然界だけに飽き足らず同じ人間にまで求めてしまったということだ。

「ボクの記憶が消えなくなったのはマイウスのあと。…もっと正確に言ったら、ミネルバであのひとを見てから。それからはずっと、あのひとをことだけ考えて過ごしてきた」

「……おまえ…」

「ボクと戦ったレッドのアイツ、どうした?」 アウルは不意に言った。「ボクにはアイツが一番マトモに見えたよ。ボクさ、市民ホールでめちゃくちゃ大勢殺して、またマイウスで研究所の職員もみーんな殺したんだぜ? フツーここまで来て許そうって思えるほうがおかしくね? アイツみたいに敵意ムキ出しで、チカラが暴走しそうになるくらい怒るもんだって」

「それはキラが決めることだ」

「あんたはそれでいいんだ? ──ボクもあのひとが決めたことなら全然いいとは思うけどさ、あんた個人は、ボクのこと、許していいと思ってんの?」

「…何が言いたいんだ」

「………そ、だな」 アウルは顔を伏せた。「オレ、どうされたいんだろ」

 断罪が、ほしいのかもしれない。アスランはそんなことを考えた。記憶が消えなくなってマインドコントロールが解けた今、彼は殺しすぎたことによる罪悪感で潰されそうになっているかもしれない。

 能力を使う瞬間、自分の手や脳に何の感触も残らないのかといえばそうではない。『能力』もまた『能力者の一部』である。能力によって人を殺したとき、例えば腕を弾き飛ばせば、どこかに肉を弾けさせた感触が宿る。それは手で引きちぎる感触だったり、蹴りで打ち砕いた感触だったり、運が悪いときは自分の口で食いちぎった感触だったりする。

 数多の影を葬ってきたキラもアスランも、その感触を忘れないように、そして決して慣れてしまわないように意識している。奪う命の重さ、それによってここに立っている自分の重さへの想いを、常に頭のどこかに置いていた。キラに至っては時として能力に頼らず、その重さを刻むために自らの手を使うことだってあるのだ。

 だがアウルは。

 彼は、『自我』と呼べる現在の意識が芽生える前に刻んだ感触が多すぎた。人間の頭を吹き飛ばし、骨を踏み砕き、血流を集めて臓器を破裂させた。消せるはずだった記憶は消えず、脳に蓄積されている。キラを見た瞬間『自我』が目覚めたと彼は言ったが、これはまったくめでたいことではない。

 いっそ忘れさせてやりたいとさえアスランは思った。それだけ多くの死の感触には、自分だってとても耐えられない。ましてや『生まれたばかり』のアウルには。

 パッと見た人間には、アウルに自我が宿ったこの光景は奇跡に見えるだろう。

 だがよく考えてみれば、やはりキラの闇という存在は、とても残酷なものでしかないのだ。

「あのひとはボクを殺さないだろうな」 アウルはポツリと言った。

「多分な」 アスランもポツリと言った。

「んなら、それでいいやっ」 アウルは頭の後ろに両手を回した。「ボクには、そのくらいがちょーどいいのかも」

「…なら、待つことだな」

 アスランは踵を返し、少し前にデュランダルたちが出た扉の前に立つ。

 『イージス』をいつ解除したかなんて、彼はもう覚えていなかった。



 デュランダルの斜め後ろを歩くキラは、いつになく慎重な気持ちだった。

 ゴンドワナから戻って数日。アウルという乱入こそあったが、だからといってこれ以上予定を遅らせることはできない。それはミーア・キャンベルという少女に『ラクス・クライン』としての能力を授けるステップだった。

 思いのほかミーアの術後の経過がよくなくて先送りになっていたのだが、マイウス事件の記者会見が週明けに決定した今、『ラクス』にも議会復帰の宣言くらいはしてもらわねば市民の不安も限界だ。

 議会の誰が、デュランダルが何を言うよりも『ラクス』の言葉は大きい。『彼女』がただ一言、このようなことが二度と起きぬよう善処しますといえば、市民は納得までしないにしろ大人しくはなるだろう。このときに大切なのは事件を掘り下げることそのものではなく、それが二度と発生しないという絶対の誓約であり、そして後々のプラント議会やザフトによる対策を得た管理強化なのである。

 キラだって政治に直接携わるわけではないが、長くカガリの傍に居て彼女の愚痴に付き合ったりしただけあってそのくらいの理解はある。もちろん自分の姿がミーアの容態に関わりかねないことへの危惧もあるのだが、今は胃に穴が開きそうなほどあちこちに振り回されているデュランダルが哀れで仕方ない。

「ミーアさん、でしたっけ」 キラは言った。「彼女、今はどうしてるんですか?」

「来る日も来る日もベッドの上で、退屈そうにしているそうだよ」 デュランダルは苦笑いした。「たとえこのタワーの中とはいえ、彼女の存在は極秘のものだからね。部屋からは決して出ないようにと言ってあるんだ」

「なんか、かわいそうですね」 キラも苦笑いした。「退屈で死んじゃうじゃないですか」

「まあ、週明けには表舞台へ出てもらうからな。これまでの退屈の埋め合わせは、充分以上にできるだろう」

「でも彼女はラクスじゃないんですよ? まさか本当に議会の仕事をしてもらうわけじゃないでしょう?」

「そこは私がフォローするさ」 デュランダルは肩越しに振り向き、笑った。「彼女には主に、これまでのラクスが行なっていたリサイタルや、地方式典でのスピーチなどに専念してもらおうと思っている」

「…それでも、けっこうな大役ですね」 キラは表情を曇らせた。

「そうでもないさ。彼女は元より人前に出る仕事──ミュージシャンだったようでね。それほど緊張したり失敗したりということはないだろう。我々の教育も難なくクリアしたくらいだから。とてもきれいな声をしているよ、ラクス本人にも引けを取らないほどにね」

 あ、とキラは思った。

 プラントの全市民を一斉スキャニングしたわけでもないのに、こんなにもあっさりとミーアが見つかったことに疑問があったのだが、今のデュランダルの言葉で大体のことが判ったのだ。

 おそらくミーアは、アプリリウスの平和記念式典で、イベントに参加して歌を披露していたのではないだろうか。好きなように整形できる外見はともかく、声というものは、どれほど遺伝子を調整したとしても望みのものを手に入れるのは難しい。ミーアはラクスに似たその『声』が決め手になって選ばれたのだ。

 何の気なしに、自分の声で自分の歌をうたっていたはずだったのに。

 キラは悪いことをしているような気分になった。普通の少女にすぎなかったミーアという女に、いきなりこんな役目を負わせることに。プラントにも、能力者側にも、ラクスという存在は決して欠かせない。だからといって、こんなにも簡単に──。

「ここだよ」

 キラはハッとして顔を上げた。考え込むあまり立ち止まったデュランダルの横を通り過ぎてしまいそうになる。タワーの最上階、最奥の小さなドア。そこがスーパーシークレットルームだった。

 バサリ。と、思いがけずキラの肩に大きな白い上着がかけられる。

「始めのうちだけ、それを着ていなさい」 デュランダルが言った。「いづれは見慣れてもらわねばならないが、まずはワンクッション置かなければね」

「あ…」 キラは安堵してすこし笑んだ。「ありがとうございます」

「ミーア。デュランダルだ、入ってもいいかな?」

『──はいっ、どうぞ!』

 緊張した女の声。それはすこし高く感じたが、確かにラクスのそれに酷似していた。返事を聞いてデュランダルが扉を開くと、日当たりのいい部屋らしく、昼間の白い光がパーッと差し込んでくる。キラは自分の背の翼を気にしながらも、室内の女がよく見えるように目を凝らした。

「調子はどうだい、ミーア。頬の引きつりは治まったかな」

 まるで熟練の整形外科医そのもののようにデュランダルが言うと、ベッドの上に座った者が、ぎこちなく右手を持ち上げ、自分の顔に触れた。

「まだちょっと、ピリピリします」 女の声は言った。

 入っていくデュランダルに続いてキラも足を踏み入れると、そこには顔の判らない女がいた。

 彼女は──ミーアは、首から上を包帯に頭を包まれていた。布の隙間から伸びているストレートの髪はきれいなピンク色に染まって艶やかな光沢を放っているが、それだけではラクスの顔をしているかどうかがわからない。ただその身体つきはラクスよりも女として成熟しきっており、道行く男たちの目を惹きそうだった。
 
 しかし今は、顔にひどい怪我をして閉じ込められた悲劇の女、そんなふうにも見える。

「あら?」 女は言った。「デュランダル議長、そちらのひとは?」

「ああ。前に話をしただろう? 彼が、『超能力者』のキラ・ヤマト君だ」

「じゃあ」 女はハッとした。「それじゃあ、あたし、今から…?」

 彼女の視線がおずおずとキラを捉える。目が合うと、キラはぺこりと頭を下げて見せた。

「心配することはない」 デュランダルは優しく言った。「苦痛はない、つらいことは何もない。ただ君は何も考えず、能力者になることを受け入れてくれればいい」

「は、はい…」

 うかがうような女の視線がキラとデュランダルの間をさまよう。改造手術でもされるのかとばかりに怯えた目をしているが、そのくらいのことを考えてしまうのが普通の人間の思考というものだ。

「キラ君」 デュランダルが言った。「準備はいいかね?」

「はい」

 キラが歩み出ると、ミーアの前に立っていたデュランダルはすっと身を退かせた。

 不安そうな女の視線。しかしそこにあるのが決して不安だけではないことくらい、キラにはすぐに判った。

 それは膨大な期待でもあった。いまやプラントだけでなく宇宙の歌姫と謳われるラクス・クラインとして自分が選ばれたのだから。上手くやれるか、これからどうなっていくのか、そういう不安よりもはるかに、そんな自分への賛美と、これから自分へ向けられるであろう世界の目に対する期待のほうが強いのだ。

 明らかな普通の少女の反応。あまりにも普通すぎて、キラは本当にこの女を『ラクス』にしてもいいのか、いよいよ不安になってきた。

 だがラクスがいなければ、あっという間に世界の均衡は崩れる。襲撃の真実が明かされ、アウルたちが所属する組織の存在が暴かれ、世界は混沌とした戦争の闇へと堕ちていく。

 今、自分たちにはラクス・クラインが必要なのだ──。キラは雑念を払い、それだけを考えて目を閉じた。

 たたまれていた背中のウイングバインダーが持ち上がって展開した。白い上着の下から姿を見せた異常なものに、女がヒッと悲鳴を上げる。だがここで気絶してしまってはいけないと思ったのか、彼女は妙なところでプロ根性を見せて視線を外した。そしてうつむき、胸の前で両手を組む。さすがにキラの翼を直視するほどの度胸はないらしいが、このポーズでいられるほうがキラとしてはやりやすい。

 バシュッ。バインダーの噴射口からたくさんの赤い粒子がパッと飛び出した。ひらり、ひらりと宙に舞うそれは、デュランダルが見ている前でふわりとひとつだけ舞い上がり、キラがさし伸ばした掌の上へと降ってきた。

「我が血肉のひとかけは、何処にあれど我が祝福を宿す」

 短い祝詞を述べたキラの手から、赤い粒はまたふわりと飛んだ。まるで赤い雪のように静かにミーアの、包帯を巻いた頭の上へと漂っていき、そこでパチンと弾ける。

 より細かな粒子がピンク色の髪の上へと降り注ぐ。──ただそれだけだった。バインダーは役目を終えてさっさと閉じ、キラは床の上へ落ちてしまったデュランダルの上着を拾い上げると肩にまとった。

「もういいよ。力は、君に宿った」

「えっ…?」 ミーアが驚いて顔を上げる。「あ、あたし別に、何も…」

 ピッ。ミーアの頬あたりで、突然包帯が一本切れた。柔らかなそれはハラリと顔から剥がれ落ちていき、彼女の肌をあらわにしていく。

「あ、ヤダッ…」

「──大丈夫だよ」

 ミーアが慌てて包帯を押さえようとすると、キラがベッドサイドの棚から手鏡を取り上げて彼女へ向けた。まだ筋肉と皮膚がかみ合わず引きつりが残っているはずの自分の顔に怯えるのか、彼女は刹那、鏡から顔を逸らそうとした。

 だが、チラリと視界の隅に映った自分の顔は、想像したような、ゴムのような皮膚の顔ではなかった。

 ラクス・クラインがそこにいた。ピンクの長い髪と、光をも透過する白い肌に彩られた、蒼穹の瞳を持つ美しき歌姫が。

「こ、これが…あたし?」 ミーアは言った。「す、すごい。ラクス様だわ、ラクス様のお顔だわ」

 キラの手から手鏡を奪い取り、ミーアは感動しきって自分の顔を見つめている。このぶんでは、彼女は今晩、自分の顔を見ることに飽きないだろう。とりあえずこの興奮がおさまるまでは、彼女はそっとしておいてやるしかないかもしれない。

「ほんとにすごいっ。超能力って、何でもできるのね!」

「ほう…拒絶反応が出ているのかと思っていたが」 デュランダルは言った。「どうやら、今ので外見の調整は完璧になったようだな」

「デュランダル議長っ、あたし嬉しいですっ」 ミーアは言った。「これですぐにでも皆さんのお役に立てますからっ」

「ああ、その意気ならこちらも嬉しい限りだ」 デュランダルは頷いた。「週明けの記者会見にすこし出てもらいたいと思っていたところだからね。いきなりの本番だが、緊張せず、自分のペースでのぞんでくれるとありがたい」

「ハイッ、頑張りますっ!」

 急に女は、今まで失っていた生気を取り戻したように活発になっていた。ここまでは自分の顔が上手く形成されないことへの不安によって、この明るい性格が抑圧されていたのだろう。

 誰しも暗いところへ入れば自然と大人しくなる。ミーアも暗い路地に迷い込んだような気分でいたに違いない。

「ミーア」 デュランダルが言った。「週明けの記者会見を境に、我々関係者は君のことをラクスと呼ぶことにしよう。それから…マネージャーとなる人間も数人つけたほうがいいな。ある程度は事情を理解できる人間がいい、こちらで用意させてもらうから、要望があれば彼らに相談するようにしてほしい」

 着々と先の予定が決まっていく。自分で彼女の『形成』を手伝っておきながらも、キラはその順序の良さに違和感を覚えずにはいられなかった。

 一年前にシンと過ごしたあの日と同じ、自分たちがナニカによってドコカへ引き寄せられていく感覚。

 向かわねばならない以上、そして自分たちが自ら踏み込んだ道である以上、進んでいくしかないのは判っているのだが。もしかしたらこの先にあるのは、あの日見たものと同じ地獄なのかもしれないのだ。

 デュランダルと楽しそうに話をするミーアの輝く笑顔を見つめながら、キラはその姿に『光』を見たような気がした。

 それは、闇を照らす強き光。本来ならその存在はとても心強いはずだ。

 だがキラが危惧したのは、それがあまりにも強すぎるように感じたからだった。






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