古の賢者



     8


 ズバッ。肉とも骨ともつかぬ何かを切り裂く小気味良い音と共に、魔物たちはその身体をことごとく斬り捨てられて地面に転がった。

 それは骸骨としかいいようのない外見の、頭であったり腕であったりする。魔物たちは侵入者に気付きこそしたが、身構えるとか、その姿を確認するなどの暇すら与えられず討ち取られていった。

 首を落とされた骸骨が最後に見た光景は、自分の視界をまさに風のごとく駆け抜けた侵入者の、青い髪の先だけであったのかもしれない。

 妙だ──。十体近い魔物をほぼ一瞬の間で破ったサイガは、そのあまりの手応えのなさに眉を寄せた。

  昨日の対面で、マステリオンはサイガを討ったというわけではない。ならばこうして神々が立ち上がったとき、サイガがここに来ないはずがないことくらい、簡 単に判るであろうに。この森に置かれた魔物たちは、集落の若者たちの相手をさせるならば十分に強いだろうが、サイガを相手にするにはあまりにも貧弱な戦力 でしかないのだ。

 バカにされているのか、それともマステリオンがサイガの実力をはかり違えているのか──。

  視界の先に、新たな魔物の一団がまた見えてくる。それらもすべて、今しがた片付けたばかりの集団と同じ者たちだった。サイガの足音を聞きつけてキキッと鳴 き声のようなものを上げるが、彼らは自分の真横を走り抜けた者からの放電を受けただけで燃え上がり、身を灰とされて風に乗った。

 オオォォォォォオオオォッ! 仲間を立て続けに葬られた骸骨たちがいきり立って特攻を仕掛けるが、彼らもまた、サイガが七支刀を正眼に構えて魔力を注ぎ込んだだけで、その絶大な放電に打たれて焼かれた。

 おのれ、マステリオン──!

 同じようにして第三陣さえも打ち破ったサイガが木々の合間を駆け抜けると、急に大きく視界が開けた。四方を木々に囲まれた円形の広場、その中央に石で作られた祭壇らしきものが置かれている。

 土色のローブを着た男は、そこに立っていた。

「マステリオンッ!」サイガが叫んだ。

『──ようこそ、サイガ』

 マステリオンは両手を広げて、サイガに対して歓迎の意思を見せる。両手の硬質化は、以前にも増して進んでいるように見えた。自分の頭さえも易々と掴んで砕くことができようかというほどに肥大したその手は、まるで巨大なグローブでもはめているかのようだ。

『私の記念の日を、あなたと過ごしたいと思いましてね。ここで、あなたが来るのを待っていたのですよ』

「ふざけたことをっ! 俺を待ったこと、後悔させてくれよう!」

『後悔? あなたこそ私に刃を向けたことを、この世に生きながらにして後悔することになりましょう』

 自信たっぷりにそんなことを言ったマステリオンの背後──祭壇に詰まれた、もっとも高い石の上の空間に変化が起きた。

 ピシッ。陶器にヒビが入るような音がして、空気に電気の亀裂が走る。驚いたサイガが息をのむうちに、その亀裂は大きく広がって、マステリオンの背後に、巨大なブラックホールを作り出していた。

『何故ならもう、異界への入口は開いてしまったのですから…』

「な…!」

 サイガはおののく自らの身を否定できなかった。最初にマステリオンと目が合ったときと同じ、激しい焦燥が再び心を満たす。

 遅かった? いや、マステリオンはすでに、もう随分と以前からこの扉を開いていたに違いない。今の今までこうして隠しておいたのだ。

 やがてこれ見よがしに行動を起こしたとき、『扉が開くことを阻止する』ために現れる者に、最高の恐怖と失望を与えるための手段として。

 神でさえこれを閉じる手段を持たない。ならばサイガが手を尽くしてみたところで、そしてここでマステリオンを討つことができたところで、もはや開いてしまったこれだけはどうしようもないのだ。

「マステリオン、貴様っ…!」

 言い知れぬ怒りがサイガの心の底にわいてくる。そう、こうした最悪の事態に直面したとき、誰もが愕然と諦めてしまう場面になって、ふつうならばその全ての者が感じるはずの失意をまるで感じないのがサイガなのである。

 そのぶん、彼はより強い感情によって魔力が高まるのだ。

 髪が浮くほどの磁気を身体にまとうサイガを見て、マステリオンはフードの下で、もはや喜びのときを抑え切れないように笑った。

「これ以上、貴様の好きなようには決してさせん! この場に滅ぶことこそ万物への償いたると、身をもって知るがよい!」

『できるものならやってみるがいい! 私を滅したところで、これから始まる恐怖の時代だけは、誰も止められはしないのだ!』

 サイガが握り締めた七支刀が白い輝きを放つ。応えるように、上空に白い龍の神が姿を見せた。

 そして直後、龍の神は自らの身体を白い光へと変えて、落雷がごとくサイガ目掛けて落ちてきた。凄まじい暴風が辺りを襲い、深く根付いているはずの森の木々が、弱いものから薙ぎ倒されていく。

「──おおぉぉぉぉっ!」

 風に負けない咆哮を上げたサイガの身体から、無数の白い龍が飛び出した。それはどれも雷をまとい、その一匹だけでも街ひとつくらいは壊滅させて余りあるパワーを持っている。

 龍たちはおのおので吠え、敵であるマステリオンに向かって飛び掛かっていった。即座に巻き起こった爆発こそ、この世界には存在しないが、遥かな異界で世界を焼いたといわれる大火に称されて過言ないものだ。

 今度はサイガ本人も『その意思』を持っていたこともあり、攻撃力は昨日の比ではない。

 広大であったはずの森が吹き飛び、蟻の子さながらに魔物たちがピューッと空の彼方に飛んでいく。北の森で魔物の討伐を終え、ようやく森の中央へと駆けつけたエドガーと白い虎の神は、そんな雑魚たちと同じ運命を辿る一歩手前で踏みとどまることができた。

 近くの集落から駆けつけてくれていた人々が無事であったかどうかは判らない。この場に来なかった鳥の神と亀の神が、力を合わせて守ってくれていることを祈るばかりだ。

 何という魔力。そして、神さえもその身に宿し、その力をコントロールする、何という精神力。

 かなわねェ──。あれやこれやと考える前に、もはやエドガーの本能がその決断を下した。あいつ、あんな身体のどこにこんな力を隠し持ってやがんだ──。

『ふっ…は、はははははっ』

 ひどく感情のない、乾いた笑い声がエドガーを、そして未だ神を宿したままのサイガの意識をひきつけた。

 石造りの祭壇はまったくダメージを受けたふうもなく佇んでいる。そこに立つ、マステリオンと共に。

「あのヤロ…ッ!」エドガーは驚愕した。有り得ねェ、あんな攻撃受けて、まだ笑ってやがる──。

『なんと凄まじい力、なんと素晴らしい力』 マステリオンと嬉しそうに言った。『龍の神さえ制する力を持つあなた、──サイガ! 決めたぞ、私はこの記念の日に、あなたをここで手に入れよう!』

 嬉々として両手を広げるマステリオンの着ていたローブは、すべて爆風で吹き飛んでしまっていた。

  そして現れた姿は、サイガたちがよく知っている敵のそれだった。かろうじて下半身はまだ人間の姿を保っているようで、そして彼らの記憶と比べれば身体のあ ちこちにパーツが足りないようには見えるが、基本は何のことはない、金色の鎧を着ているかのような異形、まさにマステリオンそのものだった。

 敵は歓喜の言葉を叫んですぐに、胸の前に両腕を合わせるようなかっこうで身構えた。ジリジリと空気が悶える音が大きくなり、彼の掌と掌の間に黒ずんだエネルギーの球が生まれる。見る間にそれはむくむくと成長を始めた。

 あれを撃ち出すつもりだ──。この場にいるすべての者がそれに気付く。拳大ほどだったはずの球は、すでにマステリオンの頭ほどに膨れ上がっていた。

 どのくらいの大きさが撃ち頃というやつなのか、それはあまり考えたくない。

  と、エドガーは不意に、マステリオンではなく、その背後に置かれた祭壇に目がいった。きれいな形に切り取られた石が積まれているだけの簡素なものだが、そ の頂に、ひときわ美しい青い宝玉が乗っている。恐らくは、あれが異界への扉を開くために使われた増幅器のようなものだろう。

 何故、いまあれの存在に気が付いたのかは判らない。ふつうならマステリオンから目も逸らせないか、あるいはサイガに祈る気持ちを込めて視線を投げているはずのこの場面で。

 だが、時は今だった。かつてエドガーは、その宝玉を見たことがあったのだ。


     9


「サイガッ!」エドガーは叫んだ。「あの宝玉だ! あれを狙って、もう一回ぶちかませ!」

「なにっ?」

「ありゃ聖龍石だっ!」彼は祭壇の宝玉に指を突きつけた。「おまえならアレの使い方、判るんだろ!」

 半信半疑な状態で、サイガは言われるままにエドガーが指す先を見た。

 マステリオンにばかり気を取られ、その存在さえほとんど意識していなかった簡素な祭壇に乗せられた、あまり似つかわしくない美しい石。

 ──サイガもまた、それを見たことがあった。

「よかろうっ」

 覚悟の言葉と共に、サイガは七支刀を振るって身構えた。ヒュン、と空気を裂く音が響き、マステリオンが抱える闇のエネルギーに負けない電撃の輝きがその刀身に宿った。

「龍妃殿、今一度、あなたの力をお借りする!」

 そんなサイガの意思に龍の神が応えたのか、七支刀に付けられた聖龍石が白く輝いた。

 久々に、あの大技が見られる──。場面に切迫ぶりに反して、エドガーの心に期待が膨らんだ。彼の記憶が正しければ、このあとに必要なのは、あの剣に宿る雷の化身を目覚めさせる『呪文』だ。

「悪しき魂は七度転じようと、必ずや我が剣にて八度倒れ、滅せん! 二度と転ずることなきよう、神々よ、其の雷にて焼き尽くせ!」

 鬼火のように、七支刀についている七つの刃に青い光が宿る。それはまばたきをした次の瞬間には、もう見ていられないほどに眩く大きな光になっていた。

 ──だが。

『もう、遅いっ!』

 マステリオンの声が轟く。闇のエネルギーはもはや撃ち出されようとしている。

 やらせねェ──! エドガーの心が、かつてないざわめきを発した。

「王虎!」エドガーが叫んだ。「オレに力を貸せや!」

『いいだろう』虎の神がにやりと笑う。『ぶちかましてやんな!』

 龍の神がそうしたように、虎の神もまた白い光となってエドガーの身体に飛び込んだ。己の身体が一気に軽くなるのを、そして熱くなっていくのを感じたエドガーは、そこから生まれるパワーを惜しみなく発揮して地を蹴った。

 あんな野郎にサイガを討たせてたまるかよ──!

「ウォォォォォオオオオォォォッ!」

 電光石火のスピードでエドガーが繰り出した鋭い爪の一撃は、サイガに気を取られていたマステリオンの腹を捉える。

 ただでさえ超人的なのに、神の力さえ借りたその攻撃は思いのほか強い。ベキベキベキッと嫌な音がして、マステリオンの身体は胴の部分で上下真っ二つに引き裂かれていた。

『な、に…っ』

 意識の集中を逸らされたマステリオンの手からエネルギー球が消滅し、敵は初めて動揺を見せる。ふつうの人間ならその時点で死んでいるダメージを受けてようやく驚愕するというのだから、この男の不死身ぶりはとどまる所を知らない。

「サイガァッ!」離れたところに着地したエドガーが叫ぶ。

 合図を受けたサイガの表情に笑みが浮かんだ。勝利を確信した、強い者の笑みだ。

「──世界の調和を乱す者、ゆるさん!」

 その紫電の眼光でまっすぐにマステリオンを射抜き、サイガは剣を振りかぶり、跳躍した。

「七、天!」たっぷり溜め込んだ電撃を、敵へ向かって撃ち放つ。「──伐刀ォォッ!」

 開放されたサイガの魔力を受けて、狂うほどの輝きを放っていた七支刀の牙から七匹の龍が飛び出した。寸分の迷いもなく、龍たちは文字通り束になって、中空に浮かぶマステリオンの上半身へと襲い掛かっていく。

『ゴオォォォォオォォォォォォォォオオオオォ!』

 断末魔と言っていい、敵の絶叫が空気を振動させた。

 そして、祭壇に置かれた聖龍石が眩い光を放つ。本来なら有り得ない、八匹目の龍がそこから現れた。前方からの七匹の龍、そして後方からの一匹に喰らいつかれ、マステリオンはその勢いのまま、自らで開いた異界への扉の中へと叩き込まれる。

『サイガァァァッ!』マステリオンが叫んだ。『貴様の力はこの程度か! ならば私は必ずこの世に戻ってくるぞ! 何千、何万という時を経ても、必ず!』

 七つ、いや、八つの電撃に打たれて尚、敵は笑っていた。サイガにも、エドガーにも見覚えのある赤い瞳を宿した目が細められ、最後の一撃を繰り出さんと地を蹴るサイガを映す。

『あなたの名は決して忘れん! サイガ、サイガ──サイガッ! 必ずあなたに地獄を見せるぞっ、ああ楽しみだ、楽しみだサイガ、いつか聞くあなたの慟哭の声、いつか見るあなたの歪む表情こそが、これからの私の糧となるのだ!』

「──黙れぇぇぇぇっ!」

 サイガは七支刀の柄に両手をかけ、渾身の力で敵の身体へと刃を振り下ろす。

 ただでさえ電撃の龍たちからの攻撃を受けていたマステリオンに、容赦ないサイガの最後の一撃が見舞われる。今度こそマステリオンは、この世のどんな色とも違う深い闇の中へと追いやられ、すぐに見えなくなった。

「──閉!」サイガが叫んだ。七支刀を持っていないほうの手を前方へ突き出し、その言葉と共に指を使って印を結ぶ。「闇、宿、界、滅、──封、印ッ!」

 ガラスを叩き割るような強烈な音がしたにも関わらず、まさにガラスのような壁が異界への扉にそびえ立った。

『必ず…』マステリオンの声がした。『必ず戻ってくるぞ、あなたの住むこの世へ…!』

 ──そして、沈黙が降りた。

 一瞬の前までの凄まじさがすべて幻影であったかのような静寂が満ちる。エドガーの身体から白い虎の神が、サイガの身体から白い龍の神が抜け出して、たったいま封印されたばかりの、禍々しい異界への扉をじっと見つめた。

 がくんっ。サイガの足から一気に力が抜けて、彼はその場にぺたんと座り込んだ。

「サイガッ」

 エドガーは慌ててサイガに駆け寄ろうとした──が、自分もまた、膝が体重を支えきれずに踏み出せなかった。これが、神を身体におろしたことによる重度の疲労なのだと気付いたのは一瞬後だ。

 たったあれだけのことなのに、これほど身体がダメージを受けるのか──。

「どうだ」サイガは大きく息を吐きながら呟いた。「──終わったぞ」

 恐ろしく疲労しているのは顔つきでわかる。だがサイガはそれをおして、一同に笑みを向けて、そんなことを言った。





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