古の賢者



    6


 その広間は恐ろしく広い板張りで、エドガーとサイガが手を繋ぎ合わせても足りないほど太い、たくさんの柱によって支えられている御殿の最奥に位置していた。

 サイガとエドガーが立っている広間の中央から見てキッカリ東西南北に当たる場所に、白い龍、白い虎、金色の鳥、黒ずんだ甲羅を持つ老いた亀が座している。彼らは揃いも揃って身の丈は大きく、傍でその頭を見ようとすれば、真上を見ねばならないほどだった。

『突然のお呼び立てに応じて頂いて、感謝いたしまする…』

 老いた亀が、老いた男の声でそう言った。

『我らは、この世の者たちより「神」と呼ばれる者』

 金色の鳥が涼やかな鈴音に似た女の声で言った。

『皆で力を合わせ、この世を創造して間もない者である』

 白い虎が、勇ましい男の声で言った。

『そして』白い龍が、悲しげに言った。『この生み出して間もなき世に甚大な病巣を抱え、苦痛に喘ぐ者である…』

 広間がシーンと静まり返った。

 白い龍の言葉に、それぞれが思いあたる節を持っていて、しかもそれが一致しているのだろう。彼らが何を言いたいかは、サイガには痛いほど判っていた。

「マステリオンだな」 サイガは言った。

『…左様…』亀が答えた。

 鳥が続けた。

『マステリオンもまた、我らが生み出せしこの世の子のひとりである。……しかしあの者は、我らが作りし法を良しとせず、本来あるまじき世より禁断の力を呼び出し、身に着けたる者なり』

 その言葉を受け、虎が頭痛を堪えるように首を振り、口を開いた。

『我らは幾度となくマステリオンを呼び止め、あの禍々しき力を捨てよと説得を試みたが、かの者は聞く耳を持たず、あまつさえ我らと相対する道を選んだ…』

 腫れ物に触るようなその口ぶりからは、どうやら散々な目に遭わされてきたらしいことが察せられる。

『我に似た力と、姿を持つ者よ』 い龍がサイガを見て言った。『汝の力をお借りしたい』

『龍妃をその身に宿し、加えて力までも制御してみせた汝の力、恐るべし』 虎が言った。『どうかその力を我らに向けぬことを、そして我らの言葉に答え、我らと共にあらんことを──我ら一同、汝に願う』

 再び広間は静まり返った。

 神たちは、サイガの返答を待っていた。

 サイガの返答は決まっているだろう。何せ相手はマステリオン、恐らくサイガひとりではかないはしない敵。それと戦うために、己を神と称するこの者たちは力を貸してくれるというのだから。

「…待てや」

 溜息半分に無礼な言葉を言い放ったのはエドガーだ。神たちから一斉に視線が注がれるのが判る。しかし彼は、そんなこの世を超えた者たちからの視線などものともせずに言った。

「あんたらは神サマなんだろ。だったら、たかがヒト一匹に、何をここまで手を焼いてんだ? あんたら全員がその気になりゃ、あんなモン一発で倒せるんじゃねェのかよ」

『──正論なり、王虎に似た者よ』亀が言った。『されど我ら、この力を戦に使うこと、まかりならず』

「なに?」

『我らの力はこの世に在する「全」の「一」である』亀は続けた。『すなわち我ら全てが同時に力を放つとき、そこに生まれるのは完全なる「無」とならん』

「…はあ?」

「エドガーよ。火と水、風と地は互いを否定する関係にあるのは知っていよう?」サイガが言った。「この者たちは、その地水火風のそれぞれに当てはまる力を持っているのだ」

「ああ?」眉を寄せつつエドガーが頷く。

「ならばこの者たちが一点に向かって同時に力を放ったとき、そこにその否定の力が働いてしまうではないか?」

 あ──。エドガーはやっと理解した。

 それは火と風が、地と水が共となっても同じことだ。四つのもののうち似通ったものが集って二分となったところで、結局相手は己を否定する力であることに何の変わりもない。

 神たちは自らに宿った力を使ってこの世を作り出すことまではできたが、それ以上のことはできなかった。彼らは力を合わせてマステリオンと戦うことができないのだ。そして、誰かひとりが立ち上がることさえも。

 誰が立ち上がっても、恐らくこの世に甚大なダメージを与えることになるだろう。虎が走れば地震が地盤を割り、龍が空を駆ければたちまちすべてが吹き散らされ、鳥が羽ばたけばこの世は焼き尽くされ、亀が尾を振るえばあらゆるものが水底に沈むのだ。

 自らで生み出したこの世を愛するがゆえ、彼らはまさに、自分が作り出したものによってじわじわと命を削られているのだった。

「よかろう」サイガは言った。「マステリオンを討つためにこの力が活きるのであれば、俺は喜んで手を貸そうぞ」

 オオ、と広間が喜びにどよめいた。神たちはそれぞれに顔を見合わせ安堵の息を吐く。

『では龍妃に似た者と、王虎に似た者よ』鳥が言った。『汝らの名を我らに示せ』

「俺はサイガという」

「エドガーだ」

『ではエドガーよ』白い虎がのそりと起き上がった。『明日は我と共に来たれ。汝、我と共に龍妃の力とならん』

『サイガよ、明日は我と共に来たれ』龍が、天井に届くほど身を伸ばした。『汝は我が力を制し、マステリオンを討たん』

『時は急を要す』鳥が言った。『マステリオンは間もなく異界への扉を開かん。さすればこの世は永劫の闇に閉ざされ、我らもまた死に絶えよう。扉、決して開かせるべからず』

『マステリオンが潜みしはこの世の中心』亀が言った。『異界への扉ひらく前に、我らはこれを討ち取らん!』


      7


 神殿とさえ呼べた御殿の屋上は平らになっていて、障害物は何ひとつ置かれていなかったから、サイガとエドガーは星を見るためにそこへ登った。

  ところどころに雲こそあったが、空はそこそこ晴れていて、きれいな星の光を地上に届けている。この得体の知れない場所へやってきた二人が迎えた、二度目の 夜。最初の日は夕方頃から眠りに入ってしまったから、正確に夜という時間を迎えたのは初めてだといっていいかもしれない。

「ようやく判ったよ」サイガが言った。「ここがどこなのか」

 彼の横に腰を下ろしているエドガーが、先を促すように相手を見た。

「古き神々の時代。俺たちが住まう時よりも遥かな過去、それがここなのだ」

 何となく予測できていたことをサイガは言った。だからエドガーは驚かなかった。

 あの、雑木林の中で目を覚ましたあのときにこの事実を知っていたら、もっとひどいショックを受けたり取り乱したりすることもできたのだろうが。

「ここはきっと太古の中央であろう」サイガは懐かしむように笑った。「四人の神々が一同に集える場所、今はまだ、ここは会議場のような役割を持っているに過ぎんのだなぁ」

「過去…なぁ」その言葉を噛み締めて空を見上げ、エドガーは言った。「オレは、こんな時代からマステリオンが存在してたってことのほうがビックリだぜ」

「あやつも、どうやらヒトの子であったようだな」

「それでも討つんだろ?」

「この時代においてあやつを討つことが、俺たちにいかなる利を持つのかは知れぬ。だがこの時代の平和を、神々の安寧を守ることはできよう」

「…そ、だな」

「──戦う理由など、それだけでよいのだ」

 ぼんやり空を眺めていたエドガーは、そんなことを言ったサイガを改めて見た。

 サイガは、どこか照れくさそうに笑いながらエドガーを見ていた。

「反論、せんのか?」

「いじめんなよ…」

 いたずらに尋ねてきたサイガの表情から逃げるように顔を逸らしてエドガーは言った。

 何かというとこの二人の意見は合わない。当然だ、民のためを考える自己犠牲型のサイガと、自分のことを第一に考えがちな自己中心型のエドガーとでは、衝突が起こらないほうがおかしい。

 しかし天変地異は起こった。

 初めてこのサイガの姿を目にして一年にも満たないが、はっきり言ってエドガーは彼に惚れている。自分たちはまだ子供だし、同性でもあるが、そういったマイナスに繋がるであろう要素を差し引いても、このサイガはエドガーを惹き付けるのに十分な魅力があると言えた。

 だがエドガーは、サイガの何が好きか、と聞かれれば、きっと眉を寄せて返答に困るだろう。容姿だけでも、その性格だけでもない、サイガはもっと、フィジカルを超えた確実な何かを持っているのだから。

 ──トン、と肩に何かが触れる。気付いてみると、サイガの頭がすぐ横にあった。肩口に預けられたそこからよく知った匂いがする。エドガーの個人的感情によって、それはとても甘かった。

「明日の戦いが上手く片付けば」サイガは言った。「もとの時代に帰れるのだろうかな?」

「さあ、な」

 答えながらエドガーは、ちょっとは考えたりしてもいいんじゃないかと自分で思いはしたが、何の確証もないのだから安易な返答はできなかった。

「帰れなくなったら、どうしようか」

 いきなりサイガは言った。それはあまり考えたくないことだ。どうやってここへ来てしまったのかも判らないのに、必ず帰れるという意識を持つのは間違っている。

 だが、帰れない自分たちの姿を想像はしたくない。

「帰りたくねェって、思ってんのか?」エドガーは尋ねた。

「帰りたいよ。──皆、俺たちのことを心配していよう」

「じゃあ、不吉なこと言うな」

 これなんだ、とエドガーは思った。どこぞの女や愚かな男のように、『時が止まればいのに』とか『もう帰りたくない』とか言ったりしない。

  確かな言葉や行為を交えた関係ではないが、エドガーはサイガに惚れられている自信がある。ふつう、好いてたまらない相手と、誰も自分たちのことを知らない ような遠い時代に飛ばされたと知れば、誰しも安易な言葉を口にしただろう。自分の足元、自分の目先、今このときという一番大事なものを大切にしたいから、 などという文句と共に。

 逆に言えば、それは盲目的な愚考だとエドガーは思っていた。こんなことを言えば、現実的過ぎるとか夢がないとかバカにされそうだから誰にも言ったことはないが、本当にこんなところで暮らしていけるわけがないのだ。

 おまけに自分たちは特別な立場にある。サイガの言葉はそれをきちんと意識している。

 未来の、自分たちを。

 自分とは明らかに違う場所を見ている彼だから。世界観がそっくり違えば、物事の観点も論点も、何もかも違う。自分とは違いすぎるからこそ、エドガーはきっとサイガに惹かれて止まないのだ。

 自分に足りないものを補おうとする意識のように。

「明日は力の限りに戦うぞ」

「…おう」

 するりと青い髪が自分から離れて立ち上がるのを、エドガーは他人事のような感覚で眺める。

 遠い空を強い眼差しで見上げて立つその姿は、ともすれば今にも、空を故郷と称して翔び立ってしまいそうだ。

 と、サイガはくるりとエドガーに向き直った。そのまま一歩踏み出して腕を伸ばしてエドガーの背に回し、身体を抱きしめる。

「サイガ──」

 さっきよりも近いところにある相手の存在感がより強くなった。

「気を、つけよ」サイガはぽつりと言った。

 相手の無事を祈る抱擁。その意味に気付いたエドガーも腕をあげ、自分と比べればどうしても華奢という表現をとることになってしまう相手の背を抱いた。

「…おまえもな」エドガーは囁いた。

 遥かな太古といえど、やはり相手は宿命の敵。明日はどちらが欠けてもおかしくないだろう。そんな危惧が、二人の腕により強い力を込めさせる。

 だからこれは自然な儀式だったのかもしれない。

 二人はどちらからとなく身を寄せ合い、口付けをした。






                                    NEXT...(2006/01/04)