古の賢者



    3


 サイガとエドガーが連れて来られたのは、目が覚めてすぐに高い崖の上から見た集落だった。

 近くで見てみると何のことはない、とても小さく、だがやたらと人数の多い小さな村だ。何も知らない牛や豚があぜ道を我が物顔で歩き回り、みすぼらしい家の軒先ではノンキなニワトリがコケコケと鳴いている。

 そんな集落の奥に、ひときわ目立つ大きな社があった。村の奥に静かに座した森を祀るように置かれたそれは、恐らく村の者の集会場のような役割を果たしているのだろう。

 二人はそこへと通された。いや、通されたというよりは押し込められた、といったほうが正しい。二人をここまで連れてきた異形者の集団は、閉めた戸に錠前をかけると、ヒィィッと悲鳴を上げながら慌てて逃げていったのだから。

「完璧にイロイロと誤解されてるみてェじゃねぇか」

 ほこりだらけの床の上にどっかりと腰を下ろしたエドガーが、何とも不機嫌な調子で言った。そんな彼の視線の先には、閉ざされた戸を見つめて立っているサイガの背がある。

  二人別々に閉じ込められなかったのが何よりの救いだが、この場合は二人一緒にいたって大した解決には繋がらない。こんな木造の小屋ひとつ、二人で力を合わ せずとも、どちらかがその気になれば跡形もなく吹き飛ばしてしまえるだろう。だが今、現在においてそれを行なう理由はないし、やればそれだけ自分たちが不 利になるから黙ってやっている。

「サイガ」エドガーは呼びかけた。「落ち着いたかよ?」

「…ああ…」

 サイガは消沈した様子で応えてエドガーを振り向き、彼が座っている奥へと歩いてきた。

  ランプや明かり取りなどの光源になりそうなものはひとつもなく、だからここは昼間だというのに薄暗く、唯一の頼りは小さな窓から入ってくる陽の光のみ。一 定間隔で並んだそこからの光は、床──サイガの進路に光のタイルを設置している。寸分外れずその上を歩いてくるサイガの姿を見ていると、エドガーには、ま るで太陽の光さえも彼のために道を作っているようにさえ見えた。

 そんなことを考えている場合ではないのに。

「マステリオン…」サイガは呟いた。「偶然であろうか」

「あんなイヤな名前、偶然でも自分の子に付ける親がいるなら見てみたいモンだよ」

「では何故、あやつがここにおるというのだ。『ここ』もそうだ、今や伝承の中でしか語られぬような生活をしていよう?」

「今は考えても仕方ねェだろ? ココの連中はどうやら、オレらに観光をさせてくれる気はなさそうだしよ。黙って様子見とくのがいいと思うがな」

 エドガーが大きく息を吐くと、サイガはそれを合図にしたように彼の前に腰を下ろす。その表情は、薄暗いところで見たから尚更かもしれず、未だショックが抜けずに血の気も戻り切らないように見えた。

「あの者、確かに俺の知っているマステリオンであった…」

「その言い方」エドガーは斬り込むように言った。「やめたほうがいいぜ。外で誰かが聞いてたら、今度こそ仲間扱いでタコ殴りだ」

 自分でも判るほどその口調がいやに陰険で、エドガーは不機嫌になっている己を意識する。そしてサイガは、それっきりもう自分の頭の中だけで考えることにしたらしく、口を開かなくなった。

 『自分たちにしか判らない会話』というものが、何も知らぬ者に聞かれたとき、どのような勝手な解釈を生み出すか──そのくらい危険意識くらいは持っていたのだが、何よりエドガーは、サイガがマステリオンのことしか考えなくなってしまうのが嫌だった。

 なんでこんなヘンピなトコに来てまで、あの野郎の為にサイガがアレコレ考えなきゃならねェんだよ──。

 その日はそれきり何事も起こることはなく、二人もそれ以上の会話をすることなく過ごしたのみだった。


     4


 異変を感じて目を覚ましたのは、今度はサイガが先だった。

 臭気だ。木が焼ける臭い、何かが焼けている妙な臭い、窓からそれが流れ込んできて、小屋中に充満している。

「エドガー」サイガは横で寝ている相手に声を飛ばした。「起きよエドガー、様子がおかしいぞっ」

 ──だが、反応がない。エドガーは、確かに昨夜並んで眠ったときと同じ場所に横たわっているが、いくら呼びかけても、揺さぶってみても、まぶたひとつ動かす気配がない。まさか死んでいるのかと思ったが違う、彼は眠ったまま、起きないのだ。

 サイガは無反応の相手を諦めて立ち上がり、小屋の出口の戸へ走った。取り付いて開けようとするが、ガタガタと何かが引っかかっていて開かない。昨日付けられた錠前がそのままなのだとすぐに判る。

「くっ…」サイガは苛々した。「──『開け』ッ!」

 物質に向かって命じる言葉を彼が放つと、ガキン、と外から小さな金属音がした。『命令』に従ってあっさりと錠前が外れた戸を開き、サイガは外へと走り出る。

 そこには、昨日までとはまったく違う光景が広がっていた。

 まばらに建っていた家々は暴風に吹き散らされたように崩れて木片を周囲にばらまき、あるいはそこかしこで燃えている。畑のあちこちにも隕石が激突したような穴が無数にあいていて、その近辺には村人であるはずの異形の者たちが全身を黒コゲにされて転がっていた。

 流星群が落ちてきたかに見える惨状に、サイガは小屋を飛び出したその場で、刹那、凍りつく。

『──おお、こちらにいらしたか』

 横から声をかけられて、サイガはハッとして首を巡らせた。

 土色のローブを着た男が離れたところに立っている。あろうことか彼は、鳥の姿をした女を、首を掴んで連れていた。女はすでに事切れているようで、だらりと身体を投げ出したままひとつも動く気配がない。

「マステリオン…!」サイガの声が震えた。

『ほう。私の名をすでにご存知だったのか』男は感心したようだった。『では、あなたの名をお聞きしたい。お名乗り頂けるかな』

「…俺を、知らぬのか?」

 面食らったサイガがきょとんとして言った。

『…ええ、申し訳ございませんがね』男は軽く肩を竦めた。『私の窮地を救って下さったあなたを、今度は私がお助けしようと思い、ここに参上致しました。よろしければ私に、あなたの名を発声することをお許し願いたい…』

 と、サイガは、女の首を掴んでいる男──マステリオンの手に注目して、思わず眉を寄せた。

 金色、なのだ。肌の色が黄金色に輝いているというのではなく、皮膚の角質がひとつひとつ岩石と化したように盛り上がっていて、それはまるで逆立ったウロコだ。明らかにサイガが持つ手のそれではない、この集落に住む者も異形だったが、この者はその中でも更に突飛している。

 そしてその化物の腕と称して相違ないそれは、サイガがよく知っている異形者──マステリオンのそれと酷似していた。

 あのマントの下は、いったいどうなっているというのか──。サイガはその姿を想像しようとし、できなかった。そうだ、姿なんてどうでもいいのだ。あれは敵、自分の敵、それだけがはっきりと判っている者なのだ。

「何故、わざわざ俺の前に現れる…」サイガが低く言った。「昨日の俺は、貴様を『貴様』とは知らなんだ。判っておれば、貴様を助けるようなことは決してせぬ、あの場で俺が自ら貴様を討っておったわ!」

『おやおや…それは勇ましいことで』

「ここに現れたが貴様の運の尽きぞ、我が剣にて成敗してくれるっ」

 言葉に乗せて気合を吐いたサイガが突き出した手に青い宝剣が出現した。主によって柄を握り締められたそれは、見る間に特殊な形をした刀身に白銀の雷をまとう。

 マステリオンはその様子を見て、フードからわずかに覗く口元で笑った。

「覚悟せい!」

 サイガが剣を振りかざすと、オォン、と空気の吠える音がした。彼はそのまま地を蹴ってマステリオンに跳びかかる。だが彼の剣が切り裂いたのは、セルを外したように居なくなった、敵の気配が残る空気だけだ。

 ズドンッ! 繰り出されたサイガの剣圧が地面に触れた瞬間、そこには巨大なクレーターが穿たれる。直撃を受ければ、どんな金属もひしゃげ、あるいは砕けるであろう。

『私には、あなたに討たれるいわれがない。ここであなたのお相手をすることは、できませんな』

 マステリオンの声が上空から聞こえる。敵はそこに地があるように空中に立っていた。

「何を言うっ!」サイガはクレーターの中心で叫んだ。「俺の祖父を殺し、父までもその手にかけた非道者が、今更っ!」

 再び振るわれた青い刀身から、今度は雷をまとった衝撃波がマステリオンを狙って飛んだ。しかしまた、それも軽くスイと身をかわした敵の横を掠めて空へと消えてしまう。

『はて…』マステリオンは言った。『あなたほどの者の身内であれば、恐らく記憶に残るはずでしょうが…やはり、知りませんなぁ』

「おのれ、どこまでもシラを切り続けるかっ!」

 今度こそ身を両断してくれようとサイガが身構えたとき、不意に彼は、自分の身に起こった変化に気が付いた。

 ドク、ン! それまでは何の変哲もないはずだった心臓の鼓動が、突然強く激しいひとつを打ったのだ。

「あ…ッ!」踏み出しかけた自分の一歩で、サイガは慌てて身体を支えた。

 身体が熱くなる。心臓が溶鉱炉と化してしまったかのように、血液が溶けた鉄そのものであるように。

 なんだこれは、いきなり──。

「サイガァ──ッ!」

 我さえ忘れてしまいそうになったサイガの耳に、その叫びがギリギリのところで届いた。

 エドガーの声だった。


      5


  疾走してきたエドガーは地を蹴ると、滞空していたマステリオン目掛けて有無を言わさぬ蹴りを打ち出した。ドン、と鈍い音がして敵の腹と思しき場所にそれが 決まる。普通ならばそのまま吹き飛ばされて攻撃は終わるのだろうが、エドガーの手はそんな敵の身体を捕らえて、立て続けに拳の攻撃を打ち込んだ。

 グラリとマステリオンの身体が揺らぐ。獣の拳はそんな敵の胸倉を引っ掴むと、地面へ向かって投げ落とした。地震に等しい轟音と共に敵は背中から叩きつけられ、動かなくなった。

 タッ。それなりにでかい図体の割、エドガーは軽い音で着地した。

「サイガッ」思い出したように彼が走ってくる。「サイガ、大丈夫かっ」

「お、おう…エドガーか。無事であったようだな」

 何とか呼吸を整えながらサイガは笑んだ。

 今になってやっと目が覚めたのだろう。そして、目覚めてすぐにその獣の鼻で、空気の異常さを嗅ぎ取ってきたに違いない。

 サイガでさえ気付くほどの臭いに、このエドガーが気付かないなんておかしい──サイガはすでにその事実を意識し、目覚めない相手が、何かしらの術で目覚めぬようにされたのだと仮定していた。

「すまねぇ、遅れちまった」申し訳なさそうにエドガーが言う。

「なに、結果として助けてくれたのだ、構わんさ」

 興奮状態というには冷静すぎる自分の精神と、活発すぎる身体、反した二つに挟まれてサイガは意識を失いそうにさえなる。

 何であってもいい、とにかく一瞬だけの異常に過ぎないのなら早く治まれ──。

『……サイガ、と、おっしゃるのか』

 トドメを討たれたと思われたマステリオンが口を利いた。

 倒れ伏したままの身体がモゾリと動き、起き上がり、立ち上がる。焼け跡の煤や土が付着してローブが汚れてこそいるが、まったくダメージはないように見えた。

「バカな…っ」エドガーは震えた。「めちゃくちゃ手応えあったんだぞ! ノーダメージなワケが…!」

『──そのとおり』

 いきなり女の声がした。

 耳ではなく、頭の中に響くような、マステリオンが放つそれと同質の──しかし、決して嫌悪を伴ったりはしない凛とした声が。

 声はまた言った。

『あの者を討つためには、魔力による攻撃が必要なのです』

 エドガーが事態を察せられず固まった一方で、マステリオンを取り巻く空気が変わった。とてもまずいものを見つけたように口元の表情を歪める。

 ゴォッ。突然、サイガの身体を小さな竜巻のようなものが取り巻いた。

 吹き飛ばされそうになって慌てて跳び退り、そしてエドガーは気付いた。

 今の女の声は、サイガから発せられたのだと。彼を取り巻いたあの風はただの風ではなく、彼が持つ魔力の奔流なのだと。

『異端者、マステリオンッ』「彼女」が叫んだ。『この世の安寧のため、消えなさい!』

 身を低く構えたサイガを包む風が青白く発光した。次の瞬間、それらは無数の龍へと姿を変えて棒立ちになっているマステリオンへと襲い掛かる。電撃を含む龍たちが口を開いて空を裂くと、鳴り響く空気の振動がまるで彼らの咆哮のように聞こえた。

 ゴォォォォォォォ……ォン…! 多数の龍たちは、何もそこまでと思うほど一斉にマステリオンが立つ地に喰らい付いていった。激しい爆風と地震が辺りを襲い、あまりの事態に呆然としているエドガーの目の前で、最後の一匹による大爆発が巻き起こった。

 もしかしたら、遠目に見れば巨大な兵器クラスの破壊力を持っていたのかもしれない──そんな爆発の余波が治まるまでにはそれなりの時間を要した。

 マステリオンの気配は、三度目の爆発が起こった前後で掻き消えていた。最初のときと同じように、どこにともなく開いた異空間の中へと逃げてしまったに違いない。

「サイガッ!」

 爆煙の向こうに見えたサイガの姿へ、エドガーはまっすぐに走る。

 息一つ乱すことなく立っていた彼は呼びかけを受けて首を回す。その表情を見たとき、エドガーは、異常がまだ続いていることを察知して足を止めた。

 普段のサイガではない──。それだけがはっきりと判る、しずかなそれ。

「サイ、ガ…」 恐る恐るエドガーが呼ぶ。

 と、ぐらりとサイガの身体が傾いた。慌てて駆け寄ったエドガーが受け止めるが、彼は意識を失っていた。呼吸と心音を確かめ、単なる気絶状態だと確認してホッとする。

『いきなりのことで驚いたでしょう。ごめんなさいね…』

 あらぬ場所から、またあの女の声が聞こえてきた。

 反射的にその声の主を捜して顔をあげ、視線を巡らせたエドガーの目に飛び込んできたのは信じられないものだった。

 エドガーの身の丈の、軽く数倍はありそうな長い身体を持つ白い龍が、そこに静かに座していた。






                                    NEXT...(2006/01/03)