至高の宝玉


     4


 森に入ってしばらく歩くと、まるで見ろと言うように、それがあちこちに散らばっていた。

「なんだこりゃあ…」

 コランダムは呆然と呟いた。

 そこにあったのは、無残に死んでいる獣牙の兵たちだ。ある者がまとった鎧は砕けて腹まで裂け、ある者は首をかっ切られて薄皮一枚でやっと繋がっている。またある者は四肢と泣き別れになって転がっていた。

 一瞬前までは感じなかったというのに、今はひどい血の匂いがして、今にも鼻が麻痺してしまいそうだった。

「さすがに、ここにエドガーの姿はないようだな」

 異様なほど冷静な声でサイガは言った。

「なんで、こんなとこでこんなことが…」

 あえぐように言ったコランダムの言葉に、最初、サイガは答えなかった。目に焼き付けようとするのか、じっと死体たちを凝視して黙りこくる。

「聖龍王──」

「コランダムよ…。これがマステリオンのやり口だ」

 ギクリ。この場で聞いたせいかもしれない。その名がいやに禍々しい気がして、彼は身震いさえ覚えた。

「この者たちを見よ。誰も、ひどい恐怖と苦痛に表情を歪ませていよう」

  ザ、とサイガは一歩を踏み出し、死体のひとつの前に膝をついた。言われて、冷たい大地に無造作に捨てられているだけの顔に視線をやる。ただの死体でさえ、 本当ならあまりじっと見ていたくないものなのに、今ここにあるものは、全てが苦悶を通り越した、奇怪と言ってもいい表情のまま硬直しているのだ。

 おぞましいものを見て、そのままショックで死したようにさえ見えるほどに。

「──あやつは、これが楽しいのだ」

 その言葉の最後が、震えていた。

 コランダムはハッとして、屈み込んでいるサイガに目をやった。肩口が小さく震えている。彼の気配が見る間に大きく膨らんで、激しい感情を伴い始めるのが判る。

 強い憤り。明らかな怒りが、サイガの身からジワリと立ちのぼった。

「何故…。──何故、俺に直接、仕掛けては来ぬ…!」

 彼の握り締めた拳がギリリと音を立てた。

 何とはなく。完璧にというのではないが、コランダムには判る気がした。

  エドガーから聞いた話ではあっても、自分自身での解釈もしてみた限り、マステリオンは、前皇帝の孫であるサイガに何かしらの注意を寄せているように思え る。いたずらに残虐なものを見せ、自らが起こしたひどい事件を聞かせて、その心に揺さぶりをかけることを楽しんでいるのだ。

 それならば、こうしてここに転がされた獣牙の兵たちの死体もまた、その目的に一役買っているに違いない。聖龍王に見せることが目的であるなら、同じ聖龍族の者を使えば効果的だと思うのが普通なのに、ここに在るのは獣牙の者──この辺りがミソなのだろうと考えられた。


 あなたに見せるモノは、世界中のどこにでもあるのだ。種族など関係ない、あなたのことを名前でしか知らぬような者さえも、あなたのために喜んで殺そう──。


 まるで、歪みきった愛のように。


 あなたのために無関係の者が死ぬ、この現実に苦悩してくれ。そしていつしか絶望し、その怒りをまとって私の前に現れてくれ──。


 コランダムは、そんな敵の意識が理解できる自分に嫌気がさしそうになった。

「聖龍王…」

 ──違和感があった。

 サイガもすぐに気付いたのだろう、ハッと顔を上げてコランダムを振り向く。たったいまの、コランダムがサイガへ呼びかけたその声が、水中での発音に等しく歪んで聞こえたのだ。

 なんだ──?

 と、コランダムの心臓が、ドクンと強い鼓動をひとつ放った。

「あ…ッ? う、ああ…!」

 ドクン、ドクン、ドクン──。それはますます激しくなっていく。じわりと視界が黒ずんで、夜更けの森にいるような気がしてきた。

「コランダムッ」

 事態は理解できなくても、今がどれだけ切迫した状況かを察したサイガが叫ぶ。

 おかしい。何だ、何だコレ、どうなってるんだ──?

 次の瞬間、コランダムは走っていた。まっすぐ、真正面に向かって地を蹴って、その鋭い爪で、鉄をも切り裂くことができる攻撃を繰り出していた。

 そこにいる、サイガに向かって。


     5


「な…ッ、コランダム、何をするっ!」

 爪が届く一瞬前に、サイガは後ろへのジャンプで難を逃れていた。ザザッと彼の足が短い草を擦り、雪の欠片を踏み砕く。

 だがコランダムは、その着地の瞬間を狙って追撃を行なっていた。わっ、と驚愕の声をあげてサイガは地に転がり、相手の身体の横を駆け抜けて背後へと逃げる。だが間髪入れず振り向いた彼はまた疾走して爪を繰り出すのだ。

「コランダムッ!」

「俺にも判らねェんだよッ!」

「なにっ?」

「とにかく逃げろっ、身体が言うこときかねぇんだっ!」

 バキィッ! コランダムの一撃は、サイガが慌てて身をかわした先にある樹木の幹を掴み、握りつぶしていた。ベキベキと硬いものが砕ける音がして、そのまま木が傾く。森の中だったおかげで、ドドーンと豪快な音と共に大地震が起こることはなかったのだが。

 コランダムは、自分の身体がサイガに向かって走るのを、サイガに向かって爪を繰り出すのを他人事のように感じながら見ている。必死で身体に力を入れて止めようとするのだが、それは完璧に無駄な努力だ。違う人間の身体の中に入ってしまったとしか思えない。

 まさか──。

 唯一自由に動いたのは自分の目だけだったが、コランダムはそれを使って、ここへ来て最初に見た悪夢の残骸に視線をやった。

 まさか、あいつらもこうやって──。

 嫌な考えがむくむくと頭の中で膨らんでいく。きっとこの身体は、万一にもサイガが刃物などを持って腕を切り飛ばしても、足を引き裂いても彼を襲い続けるだろう。その考えに至ったとき、そこにある死体たちの惨劇にも意識が及んで、彼は眩暈さえ覚えた。

 仲間のひとりが突然こうして暴れ出せば、最初の何回かで、仲間たちは大きなダメージを受けるだろう。あるいは反応が遅れて、ひとりくらいはあっさりと殺されたかもしれない。そして恐怖に駆られた生き残った側は、何としても自分が死んでなるものかと武器を取るだろう。

 最後の一人になるまで戦い続ける、バトルロワイアルの開幕である。戦いとは名ばかりの殺し合い、自分の意思とは関係なく動く身体、感情の制御を受けず容赦なく襲い来る仲間、その動きを封じるために切り飛ばされる腕や足の激痛。考えるだけで気が遠くなる。

 エドガーがこの地へ赴くことになった原因たる、原生モンスターの暴走もまた、これが──。

「聖龍王ッ、とっとと逃げろ! できるだけ俺から離れるんだよっ!」

「バカなことをっ、そうなればここに残されるおまえはどうなるっ!」

 サイガが叫んで一歩退いたそこを、また爪の攻撃が深く穿った。コランダムの爪がまとう衝撃波は、そのまま周囲の草や樹木を襲って吹き散らし、サイガがまとう着衣さえも引き裂く。

 ビッ。美しい繊維の装束が裂けると、服だけでは受け止め切れなかった衝撃を受けて傷を負った肌が隙間から覗いた。

 大した打開策もなしにこのまま攻防を続けるのは命取りだ。どちらかの──恐らく想定のうちでは、サイガの体力に限界が来てしまう。

「俺の動きを止めろ、聖龍王! 足を切っても魔法でもいい、とにかく、俺の身体を動けないようにしてくれっ!」

 離れたところに着地するサイガの身体を狙って、また自分の足が走り出そうとするのを察知し、コランダムは叫ぶ。

「動けぬように? ──よかろう、ならば来るがよい!」

 地を踏みしめてサイガが身構える。

 そしてコランダムは、自分の意思に関係なく相手へ向かって走った。視界の隅でギラリと自分の爪が光る。これでサイガの攻撃が失敗すれば、この腕は間違いなく彼の胸を貫くだろう。もはや、サイガが自分を正確に討ち取ってくれることを祈るだけだ。

 ザザザザッ。自分の足が草を踏む音が運命のドラムのようだ。サイガの姿が見る間に近づく、その真剣な表情、張り詰める気迫、傷を負った身体──。


 そして、サイガはわずかだけ、身体を横へずらした。

 コランダムは、この瞬間のこの手の感触を忘れられなくなった。


 空気を押し出すように突き出されたコランダムの爪がサイガの肩を捉える。爪の先が触れ、装束を破って肉へと食い込んでいくのが、まるでスローモーションのように感じられてならなかった。

 身体を後ろへ追いやられる反動で、自意思とは違って伸びたサイガの手が、自分に触れようとしたように見えた。

「サイガッ…!」

 思わず、立場と関係なく名を呼んでいた。そしてそんな彼の意識に構わず、肉に突き立てられた爪がギリリと痛ましい音を立てる。

 苦痛に耐えて歪むサイガの表情と、喉元で噛み殺される悲鳴。

 指先の、血と、肉の感触。

 ──と、サイガが素早く動いた。

 ドッ。コランダムの腹にものすごい衝撃が走り、目の前で火花が散った。刹那、意識が遠退いた気がして身体がグラリとバランスを失う。

 倒れる──。そう感じたとき、ふっと視界が明るくなって身体が自由になった。

「サ、サイガ…ッ!」

 自らの意思でそこに膝をつき、目の前にいるサイガを見る。たったいまコランダムの腹に渾身の力で拳を打ち込んだ彼は、頬に苦しげな汗を伝わせながらも笑みを浮かべた。

「肉を切らせて骨を断つ、とは、こういうときに使う言葉でよかったのかな」

 思わず唖然としてしまった。

「なんてことしやがるんだ、あんたっ…! もし失敗したら死んでたんだぞっ!」

「成功したのだから、よいではないか…。今更、文句を言うな」

 ぐら、と足元のバランスが崩れ、サイガは背後の樹木に背を預けた。限りなく苦笑いに近い笑みだが、これほどの怪我をしてもなお笑っていられるこの者の根性には頭が下がりそうだった。

「──そこの者っ、これで満足か!」

 突然、サイガが声を張り上げた。肩口の傷をこれでもかと握り締めながら、それでも間近で聞けば身体がビクリと震えるほどの覇気を秘めた声。

「獣牙の部隊が再び訪れる前に、ここを立ち去るが賢明ぞ! それとも、我が剣にて、この地に斬り捨てれることを望むかっ!」

 受けたダメージが回復を始めたコランダムは、のそりと立ち上がって周囲の様子をうかがった。

 知らない気配を、近くに感じた。今までは緊急事態で察知しきれなかったが、今、確かに。

 何者──。

 手負いの二人の前で、その異変はすぐに起こった。





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