至高の宝玉

     1


 北の山岳へモンスター討伐へ向かった獣牙王の部隊が、行方をくらました──。

 その知らせが獣牙廷に届いたのは、エドガーが遠征に出てほんの数日後のことであった。

「なんだと…っ」

 王の間で、獣牙王代行をエドガー当人から命じられていた将軍コランダムの声が震えた。

「どうするの、コランダム。万一こんなニュースが国民に知れたら大変だわん。余計な茶々が入る前に手を打たなくちゃネ」

 ナタージャが真面目な顔をしている。

「現場近辺の動物たちの話だと、エドガーさま方が失踪する直前、昼間だってのに夜同然の暗さに見舞われた…らしいわネ。あと、ものすごい絶叫を聞いたっていう情報もあるわ。これって、どう判断しても原生モンスターの仕業じゃあ、ないわネ」

 いきなりのことでどうしていいやら頭が上手く働かない。もともとあれやこれやと考えて行動するのが苦手なのは獣牙族のほとんどに当てはまる特性だが、このコランダムも例外ではなかった。

 とりあえずはセツナに状況を報告し、上手い策を練ってもらうのがいいに決まっている。

 しかし──。真っ先にコランダムの頭に浮かんだのは、信じられない、という思いだった。彼は幼い頃からエドガーのことを知っているが、まさかモンスター討伐へ出かけて行方不明になってしまうなど、そんなことがあっていいのか、と。

 エドガー、おまえに何があったんだ──。

 いやな感じが胸の中に満ちた。行方不明、その単語がぐるぐると頭を巡る。先王たちと同じ、行方不明なのだ。それはいやな言葉だ。胸の底をギリギリと締め付けてくる、とても不吉な言葉。

 いてもたってもいられなくなる。と、そのとき彼は、不意にエドガーから聞いたことのある話を思い出した。とても、とても苛立ちながらも、エドガーにしては珍しく、きちんと全容を話してくれた、ある事件のことを。

「ナタージャ、おまえはこの事態をセツナに報告しろ。多分、捜索隊を結成することになるだろう、そうなったらメンバーを集めてくれ」

「コランダムはどうするの?」

 王の間を出て行こうとしたコランダムの背に、当然だがナタージャの疑問が飛ぶ。

「俺は──」彼は振り向かずに言った。「行くトコがある」


     2


 聖龍殿の北の果てには、小さな離れがある。だが小屋というには随分としっかりしたこぎれいな造りで、そこは身分の高い者が精神統一を行なったり、独りになったわずかな時間の静寂を楽しむためにある。

 よってここには、誰かが足を踏み込むことはまずない。しかし今、ここには数人の気配があった。ひとりは青年、ひとりは少年、そしてひとりは少女だ。

「……エドガーが…」

 わずかだけ開かれた障子窓の隙間から空を見上げながら、聖龍王サイガは噛み締めるようにその名を口にした。

「どうだろう、聖龍王。エドガーは、俺ら獣牙が手を尽くしても恐らく見つからねぇ」

 彼の背後で、コランダムは深く頭を垂れて言った。

 他部族とはいえ相手は王だ、表向きは敵対する者として言葉でまでその意思は見せられないが、せめて立場にだけは敬意を込める態度で。

「エドガーから言われてんだ。『オレに何かあったらサイガを頼れ』って。あんたとアイツは、前にマステリオンとかいう得体の知れねぇ野郎に会ったことがあるんだろ。いやな予感がして仕方ねぇ。先王連中と同じ『神隠し』だったらって思うとよ…」

 出入り用の戸の前に立っていた少女、ミヤビはハッとした。

 マステリオン。その名は彼女も知っている。しばらく前にサイガは、誰にも無断で中央へ出て行き、そんな名を持つ異形の敵と相対した。姿も声も幻影にすぎなかったのに、それだけでもサイガの攻撃をものともしなかったと聞く。

  中央から戻ったサイガにその話を聞かされた夜、彼女は恐ろしくて眠れなかった。聖龍殿の誰にも言うなと言われた。言ったところで誰も信じないだろうし、現 在はまだ誰も、その脅威の名は知らぬほうがよい──サイガは、未だかつて見たこともない悲しい表情をしてそう語ったのだ。

「マステリオンがまた、何事か仕掛けようとしている──やも、しれぬわけだな」

 サイガはぽつりと言った。その調子には驚くほど抑揚がない。

「…サイガ…」

 ミヤビもまた、ぽつりと小さくその名を呼んだ。敵の名を聞き、再び戦意を、闘志をもたげようとする、歳も違わぬ少年の背を見つめながら。

 彼が何を思っているのか、察することさえできない。マステリオンという敵と何を話したのかは知らない、そこまでを彼は語らなかったから。しかしそうして彼が口を閉ざした分だけ、敵との対峙がどれほどその心に深い傷を刻んだかの想像がつくのだ。

「コランダム…と、言うたな」

 サイガは振り向いた。昼の陽の光を受けた彼の長い髪が青い光沢を放つ。

「よかろう。このたびの件、俺も手を貸そう」

「ほ、ほんとうかっ」

 パッとコランダムが顔を上げる。視線が交わると、サイガはふっと笑みを浮かべて頷いてみせた。

「俺もエドガーとは知らぬ仲ではないからな。それに、もしマステリオンの手の者が関わっているのだとすれば、俺が出て行かねば、きっとことは進まぬだろうよ」

「恩に着るぜッ、それなら話は早ェ! 場所は獣牙大陸の、北の山岳だ」

「ならば行くぞ、行動は早いほうがよい」

 喜び勇んで立ち上がり、コランダムは跳ねるように戸を開いて外へと飛び出していく。そのあとに続いて、サイガもまたミヤビの立つそこへと近づいた。

「サイガ──」

「──すまぬ。俺は行く」

 先手を打つように、サイガはミヤビの呼びかけを遮った。そんな彼が通り抜けたあと、ほんのわずかな風と共に、よく知った彼の匂いがする。ふわりと視界の隅を掠めていった青い髪の先端でさえも、身体そのものと何ら変わらぬそれを宿していた。

 刹那の言葉に我を忘れそうになったミヤビがハッとして振り向くと、もうそこにサイガの姿はなかった。離れを出てすぐに地を蹴ったのだろう。

 そうよ──。ミヤビは知っている。アイツはそういうヤツなの。立ち止まることのないヤツ、留まることができないヤツなの──。

 ひとつの戦いが区切りを迎え、やっと得られた休息のときさえも新たな愚か者に打ち破られる。そしてまたその者と戦うために彼は立ち上がる。何度でも、幾度となく。因が果となり、果が因となる、その繰り返しだ。

 その強い正義感ゆえにサイガが関わり続ける限り、マステリオンという者の手は止むことはないのかもしれない。

 あたしなんかが出て行っても足手まといになるしか、できることはないだろう。だからせめてここで祈ろう。今度も、あいつが無事に帰ってくるように──。


     3


 幾棟にも及ぶ聖龍殿の屋根には、どの角度からも決して見ることができない死角というものが存在する。コランダムは、そこにエドガーが置いていった守護獣ゼクシードを待機させていた。

『よォ、聖龍王。久しぶりだな』

 グルル、と喉を鳴らして、嬉しそうにゼクシードが言った。濃い青の瓦の上を歩いてくるサイガは、これから戦地となろう場所へ赴くというのに、防具の類いは何ひとつ身につけていない。

「おおゼクシード。このたびも災難に巻き込まれたものだな、おまえの主は」

 あくまでもお忍びである。そういうものを持ち出すと、すぐに無断でどこかへ発ったことがバレてしまうのだ。

「あんたの守護獣は?」

 ゼクシードの前に立つコランダムがきょとんとする。

「すまぬが…長老衆に何を言われるか判らんでな、使えんのだ。よければそちらに乗せてもらえるかな?」

『いいゼ、あんたなら歓迎だ。乗りな』

 白い尻尾をゆらゆらさせてゼクシードは上機嫌だ。

 サイガはタッと瓦を蹴ると、先に乗ったコランダムの後ろに飛び乗った。

「しっかり掴まっててくれよ、飛電と違ってコイツは走るからな」

『振り落とされンじゃねェぞ!』

 ゼクシードは、先ほどのサイガのようにトンと瓦を蹴って空に浮き上がると、そこにまるで地があるように走り出した。

「うわっ…!」

 コランダムの身体があったからよかったもの、そうでなければサイガは風圧で振り落とされたかもしれない。それほどの急加速だった。思わず前にいる男の着衣にぐっと掴まって、身体が慣れるまでの間をやり過ごす。

 そんなことをしているうちに、即座にゼクシードは海へ抜けた。

「すごい速度だな! これほどとは思わなんだぞっ」

『心配すんな、もうじき風をまとえる。そしたら、そんな大声張り上げなくてもよくなるゼッ』

 ゼクシードの答える声に合わせて、まるで襲い来るようだった正面からの風の壁の勢いが薄れていった。すると瞬く間に、風になぶられて痛みさえ感じ、とりあえずは腕に抱いていた自分の髪を、そろそろ手放しても大丈夫かと思えるほどに落ち着いていった。

 速度はまったく落ちていないのに、風圧だけを感じなくなる。一種のバリアのようなものか、とサイガは思う。

「早いな、ゼクシードは。飛電と、どちらが早かろうか」

「そりゃあんた、ゼクシードに決まってンだろ」

 コランダムが肩越しに言った。やはり獣牙族、自らの王が駆る守護獣へのプライドはあるようだ。

『本気で走りゃもっと早ェゼ、ヴァンファレスもメじゃねぇくらいにな!』

「はっはっ! ああ、おまえはこの世で一番早いぞっ」

 こりゃ大物だ──。背後で笑うサイガをチラリと見ながらコランダムは思った。つい先ほどまでの、離れの中での真剣な表情とは打って変わっているのだから。

 実物に会うのは今回が初めてだが、エドガーから聞いていた姿とはまったく違う気がした。恐ろしく強いゆえに儚さを否めないその意志、尊い姿、力、あらゆるすべてを受け入れることができる、この世よりも遥かに広く大きな器を持つ者──。

 現時点の話だが、とてもそうは見えない。

 話を聞いていただけの印象では、最初にエドガーが失踪したなどと告げれば、驚いてぶっ倒れてしまうのではないかと思っていたくらいだ。

 エドガーはコイツの何に、あそこまで惹かれているというのだろう──。

 と、海ばかりの視界に陸地が見えてきた。獣牙大陸だ。一部には赤茶けた岩山が広がり、一部には白い氷をかぶった雪山が見える。獣牙大陸の北部は鎧羅大陸に近い、その光景には何の不思議もなかった。

 ゆっくりとゼクシードは速度を落としていく。現場が近いのだろう。

「この近辺か?」

 サイガが問う。彼は身を乗り出して、眼下に広がるまばらな雪原を見ていた。

『エドガーの匂いは感じねェが、部隊の消息はこの辺で途切れたそうだゼ』

「降りるか、聖龍王──」

 相手の様子を見ようとしてコランダムはドキリとした。雪原を注視するサイガの表情は極めて引き締まっており、聖龍殿の中で見たそれとも、つい今しがたの会話の中でのそれともまた違う、新しいそれだった。

「降りるぞ、コランダム」

 サイガはその表情を崩さぬまま、相手を見て言った。鋭く細められた赤い瞳が放つのは、ともすれば見るものの呼吸さえ止めてしまう強い光だ。

 なんだ、こいつ──。

「あ、ああ。降りろゼクシード」

『気をつけな、エドガーの部隊が討伐できてねェとすれば、この辺はモンスターの巣窟だゼ』

 気を取り直したコランダムの命令を受けて、ゼクシードはフワリと雪の地面を避けて着地する。しかし獣の接地を待ち切れずか、サイガは先にその背より飛び降りていた。

「おい、コランダムよ」

 ひとしきり周囲を眺めてから、サイガは振り向いて相手に声をかけた。

「エドガーが、この地のモンスターに討伐隊を派遣したのは何故か?」

「え──。そりゃ…ここで、モンスターが暴れ出すような事件があったからだろ。この辺の森の動物とか植物とか、そういうのが危険に晒されりゃ…」

『だが、エドガーが自分から討伐隊に加わったってのは初めての話だゼ』

 コランダムの言葉にゼクシードが口を挟む。

『原生モンスターが騒ぎ出した原因は、獣牙廷の調査でも掴めてなかったらしいしな。エドガーは多分、自分の目でそれを確かめようとしてここへ来て、消息を絶っちまったんだ』

「ふむ…」

 サイガはあごに手をかけ、何かを考える仕草で黙り込む。

『──ナタージャの笛の音がするな』

 あらぬ方向を見てゼクシードは言った。

『エドガーの捜索隊が組まれたんだ。──オレは一旦、獣牙廷に戻るゼ』

「ああ、俺らもできるだけのことはやる」

 コランダムの言葉を受けてゼクシードはまた宙へと舞い上がり、眩しい太陽の光の中へと駆け上がっていった。サイガと二人でそれを見送り、彼はフーッと溜息を吐く。

「獣牙廷の捜索隊が到着するまでには、あと数時間…ってトコだ」

「マステリオンの手によるものであれば、国家の上層にこの事態を知られるのはまずい…」

 低くサイガは呟く。

 コランダムはウンと頷いた。

「この数時間でエドガーを見つけなきゃならねぇわけだ」

「では、まずは討伐隊の痕跡を探してみるとするか。──ゆくぞ」

 すっとコランダムに背を向けて、サイガは雪原の先にある森を目指して歩き出す。

 さて、まずはお手並み拝見といったトコロか──。その背を追って踏み出しながら、コランダムはそう思った。






                                    NEXT...(2005/12/31)