ね が い 





   3


 中央大陸は人工の島だ。すべての大陸の中央に位置することからこの名が与えられ、そして四大陸の国交を助ける心臓部としても活躍し、いつしかそこには四大陸の中でも最も優れた能力を持つものが定住するようになった。

 その者はそこで行なわれるあらゆる行事に携わると共にそれを管理し、やがて全部族から信頼を受けて世界を統治するようになった。皇帝制の誕生である。

 それから皇帝は幾度もその出身部族や性別を変え、何世代にも渡って世界を治めていく。ゆえに中央大陸は常に賑わい、繁栄してきた。

 しかし──。

「想像はしてたが、こりゃずいぶんだな」

 小高い丘の上から一帯を見渡したエドガーが呟く。

 朝日を受けて大地に広がっていたのは廃墟そのものだ。皇帝と共に中央大陸に住まうすべての者までが消失した、という報告は一切入っていなかったが、中央から逃げてきたという者が一人もいなかった時点でこの状況を想像するのは容易いことだった。

 人の姿はどこにもなく、皇帝の宮殿を囲むように造られた街のどこからも生活臭はしない。ゴーストタウンもいいところだ。

「…本当に、誰もおらんのだな」

 サイガが目を細めて言った。その言葉にはやっと得られた深い実感が宿っている。

 だれもいない、ダレもイナイ。ダレモイナイ──。ここに住んでいた皇帝も、あとから駆けつけたはずの先王たちもいなければ、皇帝を慕って同じように定住していた各部族の人々もまたいない。

  二人は丘からおりて街へ踏み込んだ。遠くから見るよりもずっと街の状態はひどい。台所に放置されたままの鍋や何身はとっくに中身を腐らせていて、誰かが取 り込む予定だったろう洗濯物も放っておかれたせいで妙な色になっている。生活臭がないとはいっても、確かな生活の痕跡はあった。

 問題は、これだけのものを放置したまま、住人たちはどこへ行ったのかということだ。

「なんかアレだな。みんな自発的に出て行ったような感じだぜ」

 エドガーは言った。

  強制的な力で退去されられたにしろみんな殺されたにしろ、何か他の力が働いたのなら少しでもその痕跡は残る。それは血の跡だったり、散らかった部屋だった りする。しかしそんなものがどこにもない以上、ここに住んでいた者たちは何かの意思ではなく、自分自身の意思でどこかへ消えてしまったのだとしか思えな い。

 考えれば考えるほど、自分が深みにはまっていくような気がしてエドガーは身震いした。何かイヤなものがすぐそこで自分たちを見ているような気さえした。

 海辺に待機と銘打っておいてけぼりにしてしまった守護獣たちのことを今は後悔してしまう。二人きりでこんなところにいるのは、あまりいい気がしなかった。

「宮殿はどうすんだ? どうせ誰も居やしねぇだろうけどよ」

 エドガーはある家の中に入っていたサイガに向かって、窓から声をかけた。この家には幼い子供がいたのだろうか、中にいた彼は小さな絵本を持っている。

「…なんだそりゃ」

 エドガーはきょとんとして、サイガが持っているものを見た。絵本なのはわかっているが、そんなものは読んでもらったこともなければ、持っていた記憶もなかった。

「神話時代のことを童話にしたものだよ」

 サイガは言って、それをぱらぱらとめくった。その目つきが妙に遠い。

「俺も、読んでもらった覚えがある。懐かしいな」

「ウチなんて親が放任主義だったせいで、そんなモン読んでもらったこともないぜ? どーゆーことが書いてあんだ、それにはよ?」

「古い時代、『神』と呼ばれたものが世界を創造したこと…その神がヒトを造ったこと、だな」

「…ほー」

「興味なかろう?」

 窓枠に頬杖をついて相槌を打った相手を見て、サイガは笑った。言い当てられたエドガーが言葉に詰まる。サイガは手にした本のあるページを見ながら言った。

「神は人間を造り、そしてしもべたちに言いました。『人間を守りなさい。力のない者を守りなさい。力ある者はおごらず、その力を弱い者たちのために使いなさい。人間を守りなさい。力のない者を守りなさい』──」

  エドガーは黙ってそれを聞いていた。何だか違う世界の違う何かを聞かされているような気がしてしまう。だが、いかにもこんな童話に語られていそうなこと だった。幼いうちからそういった思考を養うため、何度も読み聞かされるであろうその中で、さらに同じ言葉を繰り返している。

 エドガーは深い読解力を持ち合わせている方では決してなかったが、そういうことだけはイヤというほどよく判った。

「ヘドが出そうになるな。そういうの」

 エドガーは言った。と、サイガは顔を上げて言った。

「俺 は幼い頃、何度もこの話をしてもらった。力のある者は力のない者を守る為にこそある。力は、持つ者から持たざる者へ、すべて平等に分配されるようにできて おるのだと学んだ。ひとところに集められては決してならぬ、それは瞬く間に澱んで汚れたものへと変わってしまうのだ、と」

「じゃ あ聞くがよ? そうやって守られることばっかりに慣れ切った無能連中はどうなってくんだ? 力のある奴がテメェらを引っ張ってくれる、誰かがやってくれ る、自分たちにはそんな力ないんだから関係ない。そういうバカが出てきたときも、力のあるモンは力のないモンを助けてやらにゃならねぇのかよ?」

 エドガーの反論にサイガは目を細める。彼は続けた。

「オ レはゴメンだ。そういう意識にドップリ浸かっちまったアホどもに、なんで救いの手を差し伸べてやらにゃならねぇんだ? 与えられた力ってモンは、力を持つ 者の存在を示すために使ってナンボだ。誰が一番優れてるか、誰が一番強ェか、それを決める為に力ってモンは存在するんだ。自分で何もしようとしねぇ連中の ためじゃねぇだろ」

 サイガは目を閉じて聞き、そして何も返さなかった。

 二人の世界観、考え方や価値観までもが全く違うことは明白だ。こういうことは突き詰めようとすればするほど互いに苛立ち、不満を持つようになる。それが大きく膨らむと戦争という事態に発展するのだ。

 ここでエドガーに対して何も返さなかったサイガは賢明だった。投げられた言葉を、自分のものとは違った考え方のいちタイプとして受け止め、それを否定しないこと。それがエドガーのような男には必要なのだとよくよく判っている。

 そしてエドガーはサイガの無言を受けて、自分の考え方を、そしていま口にしたばかりの言葉を噛み締める時間を得るのだ。

「……悪ィ。また一人でゴチャゴチャ言っちまったな」

「いいや、気にすることはないよ。すべての者が俺と同じ考え方のはずはない。むしろ俺は、おまえがそうして自分の考え方を話してくれて嬉しく思うぞ」

「そ、か? まぁ、気ィ悪くさせちまったんじゃねェならいいんだがよ」

「さて、あとは宮殿だな。行ってみよ──」

 自分がまだ廃屋の中にいたことを思い出したサイガが通りへ出ていったとき、そこにそれは立っていた。


   4


 何の感情が引き金になったのかは判らない。だが全身がゾクッと総毛立って、サイガはその場から飛び退いた。そうしてしまってからふと彼は、いまの自分の行動が、冷たい氷の槍で心臓を貫かれたような気がしたせいなのだと気付いた。

 冷たいものに脅かされたばかりの心臓がドクンドクンと跳ね回っている。サイガは自然と上がっていく呼吸を意識しながら、急速に暗く狭まった視界の中でその姿を見出した。

「これはこれは…聖龍の新王ではないか」

 『それ』は突然そう言った。自分のことを知っている、こいつは一体なんだ──。

 それは聖龍とも獣牙とも、飛天とも鎧羅とも言い難い姿をしていた。大きくて硬質の金色の身体、くぐもった声、見るものに重圧感を与える凶星のような赤い瞳。

 そのどれにも、まったく覚えがない。初めて見る相手だと言うのに、何故かサイガはそれを昔から知っているような気がした。

「おいっ、誰か居たの、かっ…?」

 サイガの異変と誰か知らない者の声を聞き付けたエドガーが角から現れる。しかしその姿を見ると一瞬の硬直を見せた。つい今、サイガが感じたものと同じ錯覚に見舞われたに違いない。

「獣牙の新王も…か。二人のガキが、揃ってこの中央に一体何の用だ?」

 『それ』は更に言った。サイガとエドガーが王であることを知っているようだが、口調にはそんな二人を敬う意識がかけらもない。

「き、貴様は何者だっ。何故この中央におる!」

 サイガは叫んだ。冷静でまともな問いかけを放つには、まだ興奮が冷めそうになくて。

「それはこちらのセリフですよ、聖龍王様」

 それは男の声で低く笑いながら言った。

「朝も早くからこの中央へ入って来ようとした愚か者が誰なのかと見に来てみれば、まさかあなた方だとは。一体、ここに何の御用で?」

 サイガたちへの呼びかけには確かに敬称がついている。だが言葉の要所要所で彼らを蔑むことを忘れていない。サイガとエドガーは、この男に嫌な悪意を感じた。ナメクジの大群の上に立っているような嫌悪感が、足元からじわじわと這い上がってくる。

 この男は、少なくともこの地の住民の生き残りというわけではない。そしてサイガたちの姿を見つけて、話がしたくて寄ってきたというわけでも決してない、と二人に直感させるには十分だった。

「テメェは一体何なんだって、まずコッチが聞いてンだろ」

 エドガーが、サイガと異形者との間に割り込んだ。本当ならそうして入り込むことにさえ嫌悪を覚えてならないところを、無理をしているだろうことは表情の険しさで察することができる。

「おっと、大変な失礼を。わたくしはマステリオン。この中央大陸に住んで数ヶ月ほどの新顔でございます、どうぞお見知りおきを」

 ピクッ。サイガとエドガーの表情が同じ反応をした。まるで並んだ鏡がそこにあるかのようなタイミングだ。

「中央に住んで、だと…?」

 サイガが言った。

「数ヶ月前、ここは廃墟になってより立ち入りが禁じられておるはずだ! 何故…ッ…貴様は何者だっ、誰の許可を得てここにおる!」

 この廃墟へ立ち入ることは先王たちの消息不明事件より危険と判断され、すべての大陸でかたく禁じられている。それを知った上でここへ踏み込んでいるサイガも人のことは言えないのだが、今はそんな細かいことで争っている場合ではない。

「誰の、とは。聖龍王様も場違いな質問をされるものだ」

 マステリオンはやれやれと首を振る。その仕草が何ともいやらしい。粘つく態度、という表現がそこかしこで語られるが、まさか本当にそんな表現に見合う態度が存在するとは思ってもみなかった。

「この中央大陸に住まうことが何を意味するかは、あなたもよくご存知のはずだ。それとも私の口からお聞きしたいと?」

「なっ…!」

「──前々からおかしいとは思ってたんだよ」

 まだ何か言おうとしたサイガを腕で制してエドガーは言った。おかしなものだ、普段はサイガよりよほど血の気の多いエドガーがここまで冷静を保っていた。世間の夫婦や兄弟によくある現象で、片方の頭に血がのぼっていればいるほど、もう片方は妙に冷静になることができる。

 サイガはとても冷静な状態ではない。だからエドガーが冷めているのだ。

「フ ツー、誰もいねェ中央王国が誰の意思もナシにいきなり国交閉じるワケがねェ。放置されてなきゃならねぇはずのそれが閉じたってことは、誰かがそうしたって ことだろ。新皇帝が誰になるかもハッキリ決まっちゃいねェ今の状態でそれができるのは……おまえってわけだな、マステリオンとやらよ」

 マステリオンは何も言わなかった。金色のマスクの向こうで血の滴のような目がスゥッと細くなる、まるで笑っているように。

「確 証がねェっつって、ポラリスは詳しいことは教えてくれなかったがよ。だいたいのことはテメェを見りゃわかるぜ。国交を閉ざしたのもおまえなら、全大陸に怪 しい噂流してんのもおまえだろ。皇帝と先王どもの行方不明を上手いこと利用して、この世界を乗っ取ったつもりでいやがんのか?」

「…クッ」

 マステリオンが声を発した。顔を合わせてからの短い時間に何度も聞いた、いやな、低い笑い声だ。

「いやいや、獣牙王様。頭の悪いケモノと思いきや、結構な洞察力をお持ちで。しかし、今一歩想像力が及びませんな」

「なんだと」

「よ くお考えになったほうがいい。これだけの事態を行なったのは確かに私かもしれない。しかし…だ。それは皇帝と先王が揃っていなくなるという怪事件が起こっ てこその土台でしょう? いかに行動力に優れた者といえども、混乱する世界の中でこれだけ裏からの手回しなどできるはずはありません」

「な…何が言いてぇんだ、テメェ」

「──貴様がやったのか?」

 エドガーはハッとして自分の背後を振り向いた。眉を寄せ、まるで見えない大きなものに向かって身構えるようにしてサイガがそこにいる。

「ほう。聖龍王様の方が、よほど察しがいいと見える」

「答えよ、マステリオン。貴様が…貴様が父上方や祖父様を、神隠しに遭わせたのかっ」

 わずかな間があった。エドガーが次に来る言葉を待って沈黙し、サイガは返答を待ち、そしてマステリオンは──。

「ク、ククッ」

 笑っていた。

「どいつもこいつも平和ボケしたバカばかりだ。ここまで推測できていて、何故最後の一歩が踏み出せない?」

「な…」

 王たちがひるむ。まだ本当は子供のような少年たちが。

「中央大陸への入国が禁じられたのは、何も危険だからというだけではない」

 マステリオンは言った。

「入 ることができなかったからだ。強い結界が張られ、陸に近づくこともできなかったからだ。先王どものあとから訪れた調査隊は遠巻きにこの島を眺めるだけに終 わり、それ以降はおまえたちも知っての通り、進入禁止令が布かれた。しかし何故今、ここにおまえたちは立っている? 何故今、私がおまえたちの前に立って いるのか、わからんか?」

 二人の王は、もはや視線だけと言ってもいいくらいわずかに顔を見合わせた。

 何となく、本当に何となくだが、わかる気がする。しかしそれを口に出したくない。声に乗せれば、言葉を発すれば、それは自分たちの心をも崩壊させかねない核ミサイルのスイッチへと変貌するのだ。

 二人が沈黙したせいで、また少しの間が開いた。返答の時間など来なければいい、このままマステリオンがいなくなればいい、ああ、なんでこんなところに来てしまったんだ──。

「なんでオレたちの前に出てくる気になったんだ。じっと黙ってりゃ何も発見しなかったオレらは大人しく帰ったんだぜ」

「今更な質問だ」

 マステリオンは肩を竦め、エドガーの後方にぽつんと立っているサイガを見た。

「自分の父上とご祖父がどんな死を遂げられたか、知っておいてもいいのではないかと思ったものでな」

 ──はっきりと。

 はっきりとサイガの表情に衝撃が走った。それはどんなショッキングシーンを見せられるよりも強いショックだったに違いない。わなわなと唇が震え、見る間にそれが全身に伝播していく。

 死、し、シ…。その単語が頭をぐるぐる巡る。死んだ、死んだのだ。今までどんなにその可能性を考えても実感することさえできなかったサイガの頭に、その言葉はあまりな無神経さで打ち込まれた。

「聖龍王、どんなご気分だね?」

 マステリオンが、未だに焦点を上手く合わせられないサイガを覗くようにして言った。

「あなたの祖父と、お父様を殺した張本人が目の前にいるというのは」

 受けた衝撃によってその人物がとる行動は真っ二つにタイプが分かれる。ひとつはその内容をよく咀嚼してタイミングを外すケース。そしてもうひとつは──。

「きさまぁぁぁぁっ!」

 サイガは叫んで地を蹴った。エドガーが止めるスキはひとつもない。何かを握るようにして拳を作ったそこに蒼い剣が出現する。サイガの意思に応えるようにそれは瞬く間に帯電した。

「オイ、止せサイガッ!」

 遅れたエドガーの制止が聞こえるはずはない。サイガは咆哮と共に両手で握り締めた剣を振り下ろした。

 ドガガッ。鈍い衝撃音が響き、青白いスパークがそこら構わず飛び散る。サイガの剣はマステリオンに届くほんのあと一歩のところで、見えない何かによって阻まれていた。

「貴様がやったのか! 父上を、祖父様を! 何故そんなことをする、何故っ!」

「何故、だと?」

 サイガの叫びにマステリオンが目を細くする。明らかに嘲笑っているのが声の調子でよく判る。

 バチィンッ。強いゴムの反動を叩きつけられたようにサイガの身体が吹っ飛ばされた。地に打ち付けられそうなところを、飛び込んできたエドガーの腕に抱きとめられる。

 マステリオンはそんな二人の様子を見て声も高らかに笑って見せた。

「過ぎたことを究明することに何の意味がおありかな、聖龍王。あなたがいま成すべきことは、敵を倒し、国を守り、国交が断絶されて苦悶に喘ぐこの世界を救ってやることではないのか? あなたのお祖父さまがそれを理想としたように」

「貴様が祖父様の理想を語るな、汚らわしいわ!」

  エドガーの腕を振り切ろうとしながらサイガは尚も身を乗り出した。エドガーは自分の力の強さには自信があったのだが、今のサイガを長時間押さえつけておく ことは到底できないと感じた。砕けるほど奥歯を噛み締め、決して尽き果てることのない怒りのエネルギーを発し続けている、この龍の王を。

 逆鱗に触れるとはまさにこのこと、今のサイガはまるで暴竜だ。

 そして同時にエドガーは思った。何故このマステリオンがこんなところに出てきたのかを。

  イタズラに、たわむれに、興味からこの地へ足を踏み入れたバカなガキ二人に痛烈なショックを与えてやるためだとしても決定打に欠ける。自分が首謀者である ことを知らしめるにしたって、こんな子供二人に知らせて何になるのか判らない。どうせやるなら世界各国に宣戦布告よろしく大々的に報じるのがもっとも効果 的なはずだ。

 王になって間もないサイガとエドガーが何を話しても、きっと頭の固い国の上層部は信じもしまい。それを何故。何故──。

「貴様が何者でも、もはや構わんっ」

 サイガが叫び声を上げた。

「どうせ俺たちガキの言うことなど誰も信じぬだろうよ。貴様はこれから俺たちに、父上方の仇である貴様のことを深く心に刻めと、そう言っておるのだろうッ」

 マステリオンは何も言わなかった。エドガーも口を挟みはしなかった。

 サイガは引きつった笑みを浮かべ、そして引きつった声で続けた。

「それもよかろう。それが貴様の望みなら、俺はその通りに生きてやる。だがっ──」

 ぐっ、とサイガが一歩を踏み出した。エドガーの硬直しかけた腕があっけなく解かれ、エドガーは自分の視界から彼の青い髪のひとふさがすり抜けていくのをスローモーションを見るように捉える。

 敵の前に立ったサイガは、己の数倍はあろう巨体の相手に向かって、蒼い剣の切っ先を突きつけて、叫んだ。

「覚えておけ、マステリオンッ! 貴様の正体、俺が必ずあばいてやるぞ!」

 全身の底から絞り出す、喉が張り裂けんばかりの悲鳴に近い声。サイガのこんな声をエドガーは知らなかった。きっと叫んだ張本人でさえも、自分がこんな声を出せるなんて考えもしなかっただろう。

 できることなら一生使うことなく終わりたかったはずだ。こんなにも激しく、こんなにも強いマイナスのエネルギーを宿した叫び声など。

「大きく出たな龍のガキめ。ならば来てみるがいい、私の元へ」

 高笑いを上げたマステリオンの身体が、ぼんやりとかすんだ。目の錯覚ではない。二人が見ている前で、大きな敵はゆっくりと、そして静かに消滅していった。

 実体ではなかったのだ──。それがわかったとき、エドガーは改めて心底からくる怖気が背筋を震わせるのを感じた。

 サイガはただ、消えた敵が立っていたその空間を睨み付けて立ち尽くしていた。

 深い脳裏に相手の姿を叩き込もうとするように。闘争本能に敵の気配を刻み込もうとするように。

 ただ、ずっと。






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