ね が い 





   5


  二人はとぼとぼと森の中を歩いていた。サイガは一言も口を利かないし、エドガーも声をかけなかった。今までの出来事が夢の中のものであったようで、そして どんなに夢であればよかったかと切に願ってみた。しかし自分たちが今どこに立っているのか、それを考えればこれが悲惨な現実であることを思い知らされ、気 が滅入る。

 なにも考えたくなかった。先を歩いているサイガの、自分よりひと回りも小さな背中を眺めながら、エドガーは何とも言えない切ない気持ちになった。

  親が殺されたと聞いても、エドガーはそれほど動じなかった。あのときのサイガほど怒りをあらわにすることもなければ、今の彼ほど悲しみを背負って沈黙を貫 くこともできなかった。それは単に頭の中で幾度も父の死をシュミレーションしていたことによる慣れがあっただけなのだが、それがどうしても薄情な気がして きてならなかった。

「よぉ」

 エドガーは前を歩く相手に声をかけた。

 サイガは足を止めなかった。

 構わずエドガーは続けた。

「これから国に帰って、普段どおりの生活を続けていく気かよ?」

「…………。」

「ちょっとくらい休んでたっていいんじゃねェの? アレックスもポラリスも、…王になる前のハナシだがよ、しばらく休暇をもらってたって言うぜ? ちょっとくらいそれが遅れたって、別に…」

「──俺にはそんなヒマはないよ」

 サイガは想像以上にまともな声で言った。くるりと振り向いたその表情も普段と変わりないもので、エドガーは一瞬、よくできた映像フィルムを見ているような気がしてしまった。

「休んでおる場合でもないしな。ただでさえ今日は、皆に何も言わず出てきてしまったのだ。帰ればまずは文句が待っておろうな」

 サイガは想像するだけでうんざりしたのか、ぐるりと首を回して溜息を吐いた。そして唐突に、苦笑いを浮かべて言う。

「…すまなかったな、妙なことに巻き込んで」

 またこのセリフだ。まるでエドガーには何の関係もない個人的な問題に巻き込んでしまったような口振りで、そんなことを言う。しかも謝る。申し訳なさそうに笑いながら。

 エドガーは無性に腹が立ってきた。

「おまえの貴重な時間を無駄にさせてしまった。戻ったら、おまえこそゆっくり休むと──」

 エドガーは一歩を踏み出していた。予期しない相手の一歩にサイガの言葉が中途で途切れる。無造作に伸ばされたエドガーの手が相手の胸ぐらを引っ掴んだ。背丈が足りないサイガの足がわずかだけ宙に浮く。

「ナニさっきからくだらねぇことばっか言ってやがんだ、テメェは」

 エドガーは低く震える声で言った。ごく近くにあるサイガの表情が強張る。

「オレにゃ関係ねェか? おまえだけの問題か、コレはよ? マステリオンってのはおまえだけの敵だってのかよ、あァ?」

「エドガー…」

「オヤジを殺されたのはオレだって同じだろうが」

 エドガーがやっと言った言葉に、サイガが口元をぐっと引き結ぶ。

「アレックスも、ポラリスも同じじゃねぇかよ。なんでそれを、関係ねェような言葉で終わらそうとしやがんだッ。同じ境遇のヒト目の前にして、よくも自分だけの問題みたいなコト平然と言えるなあ!」

 ドンッ。揺さぶられたサイガの身体が後方の樹木に背をぶつける。そのショックでもなくエドガーの言葉だけのショックでもなく、サイガは呆然と怒鳴る相手を見つめていた。

「王サマだから泣き言は言えねェだと? 仕事が忙しいからイロイロ考えてるヒマはねェだと? ふざけんなバカ野郎、殺された親のこと考えてヘコむヒマもくれねェような仕事ならやめちまえ! 自分のコトも大事にできねェ野郎が、国なんざ守っていけるかよッ!」

 サイガの瞳が揺れた。心臓の鼓動が同じように、同じ色を持ったその珠を揺らす。しかしサイガは目を瞑った。奥歯を噛み締めて、吐息を震わせて。

 溢れそうな感情に蓋をするように。流されようとするのを耐えるように。

 エドガーは何をしようと考えたわけではなかった。しかし彼は、手触りのいい衣を掴んだままの手でサイガの身を引き寄せる。

 ──風が吹いた。

 髪を、頬をかすめたあたたかな風と一緒に、サイガの脳にそれはしっかりと刻まれた。自分の頭と背を抱いた力強い腕と、そして何の前触れもなく唇を奪っていった強引な感触が。

 時が止まったと錯覚するような、長い長い一瞬の間が過ぎる。すっとエドガーの身体が退くと、サイガの視界で白い髪がさらりと揺れた。サイガのそれとはまったく違う、何の手入れもされていない長いだけの髪。

「…謝らねェからな」

 エドガーは真面目な顔をして言った。何が起こったか判らないと言わんばかりに放心しているサイガを真正面から見据えて。

 サイガは顔を伏せた。堪え切れなくなったように肩が震え出す。何かを否定するように首を振って、高くかすれた声を吐息に混ぜて、両手の平で目元を覆う。

「泣きゃあいいだろ、思いっきり。誰も止めねェんだからよ…」

 エドガーは言いながら改めて両手を伸ばすと、今度はきちんとサイガの身を抱いた。腕の中に迎えられたサイガが、遠慮がちに声を引きつらせる。泣くことに慣れていない、長い間泣くことを忘れていたような、不器用な嗚咽が溢れた。

 慰めも、宥めもしなかった。ただエドガーがしたことといえば、泣き続けるサイガの身を抱きしめていただけだ。ただそこにいて、サイガの姿を見つめて、その声を聞いているだけだった。

 特に何か、サイガのためになればと考えていたわけではなかった。エドガーはそんなに気の利く男ではないのだから。しかし今のサイガに何が必要なのか、考えるまでもなくわかっていた。ただ、本当にただ傍にいて、自分のすべてを許容してくれる者が彼には必要だったのだ。

 王としてのサイガだけではなく、その歳の子供として、親を失ったばかりの少年として、彼の何もかもを見て、何もかもを認めてくれる者が、そして、そんな彼の何もかもを愛することができる者が。

 エドガーに必要なものをサイガは知っていた。しかしエドガーも知っていた。サイガに必要なものが何であるかを。

 二人は、本当に自分に必要なものが何であったかを知った。


   6


『サイガ様。ずいぶんとお疲れのご様子だな』

「うん…?」

 聖龍大陸へと向かう海の上を羽ばたきながら飛電は言った。背に乗せた主君が三度目に溜息を吐いたときのことだ。

『このまま本当に聖龍殿へお戻りになるおつもりか?』

「おまえまでそんなことを言うつもりか、飛電よ?」

 サイガは苦笑い混じりに言った。そして遥かな空を見上げる。白い雲と眩しい太陽があるだけの、青く遠い空を。

「俺のことは案ずるでないよ。とりあえずは戻らねば、爺やたちが真っ青になって走り回っておる頃だろうからな」

『サイガ様がそうおっしゃるのであれば…』

 バサッ、と飛電の青い翼が更に宙を打った。さわやかな海風が吹き抜けていく、その冷たさが頬に心地よい。

「なァ飛電。俺たちを待つ間、ゼクシードとは何か話したのか?」

『は?』

「──いや、なんでもない。気にせんでくれ」

 不審そうに主人を見上げる飛電に笑って言い、サイガは大きく深呼吸した。

 哀しいことも、つらいことも、今は目を閉じていよう。本当に苦しくてたまらなくなったとき、それを判ってくれる者がいる。それだけが、いや、それだけで俺は、今まで通り強く在れる──。

 聖龍大陸の陸地が見えてくる。瞬く間に海岸線を越えて森を横切り、平原を飛び越えて飛電は宙を駆ける。

 今日知ったばかりの新しい事実と、その先に立ち塞がる暗闇のような影の存在のことを考えると思わず眉が寄る。

 しかし、それでも。

 短いときであれ共に過ごした彼のことを思うと、サイガの心は安らぐのだった。


                              END(2005/06/12