とらは りゅうの ゆめを みるか



   4


 ごぉ、と大気が震えた。森の上空を十匹近い竜の群れが、あらぬ方向へ向かって通り過ぎていく。木陰に身を潜めていたエドガーも、その腕の下にかくまわれた少年も、その圧巻的な光景に見入ってしまった。

「あれが、集結中のモンスターかい」

「赤竜という。本当なら聖龍大陸の南端に住むはずの者たちだ」

「それがここにねェ。ちなみに、この西端には何か先住モンスターは居んのかよ?」

「青竜がおるが、それほど数は多うない。青竜は、聖龍王の守護獣『飛電』の祖先とも言われておる魔物だ」

「由緒あるモンスターってワケかよ。なら、赤竜の大侵略で青竜はてんてこまいだろうな」

「…それが判らぬ」

 赤い竜の集団が完全に通り過ぎてしまうと、少年はエドガーの陰から歩み出て、一団の気配が残る空を見上げた。

「先ほどから森の中を見て回っていたが、青竜の姿がどこにもない。赤竜の大移動や、兵団の派兵を察知して身を潜めたとも考えるには難い…」

「姿をくらました青竜に、この事件のヒントがあるとでも思ってんのか?」

「有り得る話だ。ともかく、一匹でも探し出せればよいのだが…」

 少年は草むらを踏みしめて、また歩き出そうとしている。

 自分から付き合ってやるなどと言いながら、早くもエドガーは退屈を隠せなくなってきていた。派手に戦って飛び回る分には楽しそうでいいと思えるのだが、こうして地道とも言える捜索活動となると飽きがくるのも早い。

 聖龍の者とはいえ、この少年が女だったらもう少し別な楽しみもあったのに、とまで考え始める始末だ。

「……ん」

 ふと、エドガーの鼻を、慣れぬ臭いがついた。

「おい、サヤ。……おい」

「…ん? あ、ああ俺か。どうした?」

 自分の名前のはずなのに、まるで他人の名前のように反応が鈍い。そんな少年のことを訝しみながらもエドガーは言った。

「こっちだ」

「え? おい、なんだ?」

 エドガーは何も告げず、ただ身を翻して歩き出した。不思議そうにしながらも少年はきちんとあとをついてきた。背後の気配を確かめながら、エドガーは茂みを分けて進んでいく。

 あまり経験はない。ないが、それでもその臭いが『いやなもの』だということだけはよく判ったし、身に染みていた。きっと幼い頃の強烈な記憶が残っていたのか、それとも動物的な本能として拒絶の対象にあるのかは、自分でも判らないながらも。

 ザッ、と深い茂みを掻き分けたとき、その臭いはよりはっきりとしたものになった。

「おい、エドガー。いったい何なの──」

 ガサガサと葉を揺らして追いついてきた少年も、ひとつの壁を越えて濃度を増したその臭気に気づいたらしく、眉を寄せて、大きな襟巻きの端で口元を覆った。

「なんだ、腐臭…?」

「ここまで来たらおまえでも判るらしいな。…ああ、こりゃ腐臭だ。生き物が腐っていく臭い…。上空をバタバタ飛び回ってる竜どもは気づかねぇようだが」

「なぜこんなところで…」

 少年はその臭いの源を探して首をめぐらせ、そして、ひとつの場所に目を留めた。

 地面が大きく盛り上がったようになった洞窟がある。広大な森の中だ、こんな洞窟はいくらでもあるし、決して不自然ではない。

 森に住まう動物たちが自分の死に場所としてそこを選び、中で朽ち果てていくのも、また。

 だがこれほど強烈な臭気を放つ、いわば『新しい』ものは珍しく、そしてこんな事件の真っ只中ではかえって不自然だ。

 エドガーは少年をちらりと見た。

 少年もエドガーの視線に気付き、視線を合わせると頷き返してきた。

 ここに何かがある。二人はそれを確信した。


   5


 エドガーは戦いというものが好きだった。強い相手と拳を交え、命を賭けあってギリギリの競り合いをするそのスリルといったら快感以外の何者でもなく、それが止められない。

 まるで危ない薬の中毒にでもなったように、いや、現にもう脳内麻薬という危険物質の中毒だったのかもしれないが、相手のスピード、相手の力を肌で感じる瞬間がどうしても好きだった。

 だから、血なんてものは見慣れていたし、ひどい怪我を負った者を見るのも、自分が負う傷の痛みにも耐性はあった。

 しかしこれだけは。

「…なんと……なんとしたことか」

 震える声で言った少年が踏み出し、呆然と我を忘れてそれを見ている。

 赤と青のモダンアートのようなものがそこにあった。赤竜の子供が、洞窟最奥の岩壁に石の杭で全身を打ち付けられて死んでいる。その青い体液があらゆる傷口から溢れ、滲み出してあちこちに付着し、強烈な腐臭を放って久しい。

 これだけの仕打ちを受けて生きている方がおかしい。ましてや、竜とはいえ体力のない子供だ。エドガーだって、一日と耐えられる自信はなかった。

「…赤竜どもは、この子供を探しに大移動をしてたんだな」

 エドガーは呟いた。少年は答えなかったが、大移動の原因はそれで間違いはないはずだった。

 匂いか、あるいは他の何かか。ともかく赤竜たちは子の危険を察知して、行方不明になった子を探していたのだ。獣牙族だって、国民の子供がひとりでも行方不明になれば大きくニュースに取り上げて大捜索を行なう。それは聖龍だって同じだし、どこの部族でもきっと同じだ。

 子を持つ母の気持ちであれば、そして同じ種族であるならば。少しでも理知を持つならば。

「誰が…誰がこんなことをっ…」

 少年の声は、もう先ほどまでのショックを帯びたものから、強い怒りを含んだものへと変わっていた。

 そうだ、とエドガーは思った。森の動物たちにこんなことはできない。それだけの知能がないし、する理由もないのだから。ならば、どこかにこんなことをした何者かが存在するのだ。

「エドガー」

 少年が呼びかけてくる。肩越しに振り向いてきた少年の真紅の瞳には、溢れそうな怒りが漲っている。

「俺は今から、この子供を赤竜たちに届けにゆく。赤竜が去れば兵団との激突もあるまい。カタはついたも同然だ、もう国へ帰られよ」

「…死体だぜ、それ。下手を打てばおまえが赤竜どもの怒りを買うことになるだろ」

「これほどの惨事も察せられなんだ、この俺にも責任無き話ではない。竜どもが怒るなら、俺はそれも甘んじて受けよう」

「アホか、おまえみたいなガキが一人死んで何になるんだよ。兵団に事情を話して、その死体をどっか判りやすいところに置いとけばそれで解決だ」

「バカ者、それで済むものかっ。赤竜の子がこの地で死したとなれば、赤竜はこの地の先住である青竜と対立することになる。同じ種同士で争い合い、殺し合うなどあってはならぬこと。赤竜に事情を話し、理解して貰わねばならんのだ」

「その理解のためにおまえが生贄になる理由はねぇっつってんだ! ハナシの判らねぇ単細胞なトカゲ連中なんざ、ちょっと身体に教えてやりゃあ大抵の事は学習する。それこそ派兵は間違ってなかったってことになるぜ」

 そこまで言い争ったとき、そのエドガーの言葉を聞いた少年の表情が引きつった。怒りでもない、苛立ちでもない、それはあえて表現すればエドガーに対する失望の表情だった。

「一国の王、種族の頂点たる者が、すべて力で鎮圧できるとお考えか。…獣牙王殿、見損のうたぞ」

「なっ」

「もうよい、あとは俺がやる。ここまで付き添ってくれたことは感謝するが、これ以上おまえと行動を共にする気はない。どこぞで待機している仲間の下へ戻れ」

 少年は背中でそう告げた。

 エドガーは言葉の選択を明らかに間違った。相手がどう見ても同年代あるいは年下の子供だったせいもあり、そして何よりも『接しやすい』人物であったせいで、彼が聖龍の者であることをすっかり忘れていた。

 王同士の謁見や重鎮連中の集いの中であったら、確実に国際問題にされる暴言というやつだ。

「チッ…」

 少年はエドガーに構わず、奥の岩壁に向かって歩いていく。

 ちょっと楽しかった同行も、もはやここまでだろう。どんな部族にだって誇りはある、ぽろりと出た本音によってそれを傷付けてしまったエドガーが悪いのだ。

 もう何も言うまい、そう思ってエドガーが踵を返したとき、それは訪れた。


   6


 ほんの一瞬の出来事だった。何か小さなものがエドガーの横を猛スピードで通り過ぎていった。

 それが何なのかをはっきり見ることはできなかったが、それを意識したとき、なんだかとても嫌な感じがした。だから反射的に、それが向かった先に居たはずの聖龍の少年が気になって振り向いた。

 肩越しにエドガーを見ていた少年と視線が絡む。だがその瞳は、信じられないものを直視したように凍りつき、身体は小刻みに震えていた。

 がくん、と少年の足から力が抜ける。異変はすでに起こったあとだった。

「サヤ!」

 エドガーは思わず叫んで彼に駆け寄った。もはや岩の地面に倒れ伏すだけだった彼の身体を腕に抱きとめる。少年の首がだらりと項垂れたとき、エドガーはその流れる髪の中から現れた異物に気が付いた。

 品のよい衣をまとったその肩に小さな矢が突き立っている。理解するまでもない、それは毒矢だ。主に吹き矢に使用され、素早く相手を仕留める為の武器──

「生きてンだろ、サヤ! 返事をしろっ」

 こんなとき、まず揺さぶって意識を戻させるのは間違った知識だ。エドガーは少年の耳元に大きな声で呼びかけを試みた。返答はない。どれほどの毒が使われたか知らないが、彼はショックに気を失っていた。

 エドガーは少年を抱いたまま岩窟を飛び出すと、素早く周囲を見渡した。

 何の気配もなく、そして姿もない。刹那こそ、潜んでいた何者かが少年か自分を狙ったものかと思ったのだが、どうやらこの毒矢は、はりつけにされた竜の子に近付く者を討ち払うための罠として仕掛けられていたものだったらしい。

「…う」

 木漏れ日を目元に受けて少年が呻いた。一瞬の気絶から意識が戻ったのだ。

「エドガー、俺は…」

「黙ってろ、いま抜いてやる」

 今は状況を説明するために費やす時間も惜しい。

 こんな場所にこんな場合を想定の上で設置されたのなら、仕込まれた毒はそこそこの強さがあるはずだ。おそらくは森の生物くらいならコロリと殺せるに違いない。

 ただ、そんなものを打ち込まれて、それでも意識を回復させたこの少年の体力には驚かされるのだが。

 エドガーは少年の身体を正面から抱き直すと、刺さったままの矢の根元に爪を引っ掛けた。

 面倒なことに、こんな小さな矢にさえ小さな棘が無数についていて、それがカエシの役割を果たしている。下手に力ずくで引き抜こうとすれば、毒の成分を残したその棘が折れて残ってしまうという寸法になっていた。

「…クソッ」

 エドガーは奥歯を噛んだ。無理やり抜く形にしないためには、少年の肌を裂いて『取り出す』必要がある。迷っている暇などありはしない、しかし彼はためらった。

 鋭利なナイフも、その代わりになるものもない。要するにこの場で処置する方法がないのだ。

 間近に来ている兵団に助けてもらうこともできるかもしれない。しかし少年が単独で赴くならまだしも、獣牙王という身分であるエドガーが連れて行けば、果たしてどうなるか見当もつかない。下手を打てばそれこそ国境侵略で国際問題だ。

「…エドガー」

 少年が呼んだ。彼は自分の服の懐を探り、ひとつの布包みを取り出す。

「俺を助けてくれようというのなら…使うがよい…」

 言われるままにそれを受け取って包みをといてみると、入っていたのは小太刀だった。美しい装飾が施された鞘はそれだけで芸術品とも呼べるくらいで、抜いてみると、そのすらりとした刀身はどんな宝石にも負けない銀の煌めきを放っている。

「…おまえ本気で言ってんのか。意味、判ってんだろうな」

「フ…。このような事態に状況も理解できぬほど阿呆ではないよ。痛めばおまえの肩に喰らい付くやもしれぬが……そこは許してやってくれ」

 エドガーの肩口に頭を預けた少年が、弱く生意気な口を叩く。彼が心を決めている以上、そして処置のための道具が手に入った今、エドガーがためらう理由はない。

「おまえが考えてるより、刃物で斬られるのは痛ェんだ。舌だけは噛まねぇように、オレの肩、しっかり噛んどけよ」

  エドガーは少年の長い髪を横へ払うと、右手に持った小刀を逆手に持ち直した。矢が貫通している服は邪魔なだけなので破って裂くと、その下から赤く腫れた痛 々しい傷口が現れる。へんに身構えさせれば痛みが倍増するだけなので、文字通り問答無用でその切っ先を肌に押し付けた。

 ぷつり、と、刃が皮を破る音がいやに大きく聞こえる。

「…うっ」

 痛くないはずがない。少年の腕がすがるものを求めてエドガーの身を抱き、肌にきつく爪を立ててくる。その痛みで手元が狂っては笑えないので、エドガーも奥歯を噛み締めて耐えながら刃を進めた。

 血が溢れ、それは少年がまとう襟巻きへと伝い落ちて染み込んでいく。こんな行為に時間をかけるのは、何だか下手な拷問のようで気分が悪くなってきた。

 だが、上手く力を加減するということほど難しいことはない。エドガーはこれまで生きてきた中で、もっともたくさんの気を遣いながら、ぐっ、と小太刀を一押しした。

「ぐうっ」

 呻き声と共に、エドガーの肩口に痛みが走る。悲鳴を上げてしまわないように、そして反射的に、少年は言葉通り相手の肩に歯を立てていた。

 刃に押される形で、矢がぐらりと傾く。

 エドガーは小太刀を捨てると、傾いた矢に手をかけた。縦に大きな隙間ができたおかげで、もう棘が肉に引っかかる心配はない。

 だが摘出されるのではなく引き抜かれるという形である以上──

「ぐあああぁぁぁっ!」

 矢が引きずり出される刹那、少年は身を反らせて悲鳴を上げる。むき出しになった肉の裂け目を無数の棘が撫で、そして掠めていくことになってしまった結果だった。

 ──ぞくり。

 少年の悲鳴が耳を突いたとき、エドガーは自分の全身が逆立つような感を得た。何故かは判らなかったし、むしろそれを知るにはエドガーが無知過ぎるといってもいいくらいだ。

 だが確かに彼は、この少年が上げた声に、心の中の何かを強く揺さぶられた。

 ようやく抜けた矢が、毒液と少年の血液とが入り混じって、淡い紫色の光沢を放っている。

「サヤ。…抜けたぜ」

 エドガーは惚ける自分を取り直して言った。カツンッ、と捨てられた毒矢が乾いた音を立てる。

「…おい、サヤ。イッてる場合じゃねェぞ」

「…ああ…手間を、かけたな…」

 ふら、とエドガーの肩口から少年の頭が離れる。矢は処置できても、毒まではどうしようもない。傷に口を付け、汚れた血を吸い出してみても今更だ。

 一刻も早い解毒が必要とされる。

「とんだ災難だぜ。これ以上、この森に長居してもいいことはなさそうだな」

「…エドガーよ…覚えておいてくれ」

 突然そんなことを切り出した少年に、エドガーが視線を投げると、彼は草むらに捨てられた小太刀を拾い上げて鞘にしまい、懐へしまい込むところだった。

「…理由のない異変はないのだ…。そしてその理由とは、決して自然の中の出来事ではない…」

「……」

「難しいことはよく判らんのだったな…すまん。だが俺は…」

「今回の聖龍大陸の異変は人為的な原因が発端だったってこったろ。今この場でその犯人を探し出そうってのは無理があンだろうが、獣牙も覚えておく。こういうコトをしやがるバカが、この世界のどっかにいるんだってな」

 エドガーは少年を見ずに、あらぬ方向に首を向けたままそう言った。

「…ありがとう」

 意外なくらいストレートな言葉が返ってきて、エドガーは思わず少年に目を向けた。

 彼は微笑んでいた。傷を負い、血を流し、毒に侵されながらも、その笑みはあくまで柔らかく、そしてあたたかなものだった。

 だが、エドガーは少年の背後に嫌なものを見た。木々の合間でギラリと光る、金色の二つの光だ。

 それは、明らかな敵意を持つ竜の瞳だった。






                                    NEXT...(2005/04/21)