とらは りゅうの ゆめを みるか


  1


 すさまじい轟音をたてて扉が開いた。そこは王の間だ。ビクン、と全身を震わせる女中たちの中にひとり、ぽつんと老人が立っている。

「何故だ!」

 両手を使ってめいっぱいの力で扉を開いたサイガは喉が裂けんばかりの怒声を上げた。老人に向かって放たれたそれは、ともすればすぐにでも殴りかからん危機感をはらんでいる。

「なぜ俺の意見も聞かず、勝手に話をすすめおった! 俺は、このたびのことには派兵すべきではないと確かに言った、即刻決定を取り下げい!」

 ずんずんと玉座へ続く豪奢な敷物の上を歩いて、サイガは老人へと詰め寄る。

「若、落ち着きなさいまし」

 老人は落ち着いた声で言った。

「これが落ち着いておれるものか! やつらの集結には必ず理由がある、まずは調査団を派遣し、それを明確にするのがもっとも安全策だろう。何故おまえほどの男がそれも判らぬのか!」

 このサイガが壁でも殴れば、聖龍殿は翌日の修繕作業に大忙しとなるに違いない。それほどの怒りを全身に漲らせている王を前にして、老人は軽い目配せをして女中たちを下がらせた。

「若。これは絶好の機会にございますぞ」

「なに…っ?」

「聖龍大陸の西端といえば、かの敵手、獣牙大陸とは目と鼻の先。その場で起こった、このたびの変、もちろん獣牙の者どもも注視しておりましょう」

「だからっ…」

 サイガはいらいらしてもどかしそうに言った。

「だからこそ派兵はならぬ! 変を鎮圧するためであったとしても、万一に獣牙の者たちが誤った解釈をとればタダではすまん。可能であるならば獣牙王に謁見し、共に解決へ向かうのが得策なのだ」

「かの傲慢な獣牙どもに若が頭を下げられるなど、とんでもない話にございまする。西端の変の発端は魔物ども、これを瞬時に制圧し、獣牙どもに聖龍の力を見せ付ける良い機会なのです」

「ばっ…!」

 馬鹿なことを、そう口走りかけてサイガは絶句した。

 どれだけここでこの老人と口うるさく言い争っても、派兵がすでに聖龍王の名の下にくだされた決定である時点で、取り消させることはできないのだ。

 国の意思は決して王の意思ではない、サイガはてのひらにきつく爪が食い込むほど拳を握り締めた。

「ご理解くださいませ、若。これで獣牙どもとの『和平』に一歩近づくのでございます」

 その言葉の胡散臭いことといったら。

「何故…」

 行き場のないやるせなさと、それに伴う怒りと虚しさがサイガの胸の底にこみ上げてくる。

「なぜ貴様らは、そういう考え方しかできんのだ…!」

 サイガは吐き捨てるように呟き、そして踵を返して王の間を出た。

 一斉に、扉の外に群れていた女中たちから視線が注がれるが、彼はそのどれとも交わすことはなく、廊下を静かに歩いていった。

 聖龍王が姿を眩ました──そんな騒ぎで聖龍殿がごった返したのは、その数時間後のことである。


   2


 キッ、キキキッ。小さな鳴き声を発しながら、真っ白なネズミが木を駆け上っていく。大きな枝に到達したネズミは、そこに座っていた女性の手にすくい上げられ、ふかふかの毛皮をまとったその肩に行き着いた。

「ふん、ふん…そぉ、ありがと。ご苦労様ネ」

 女はネズミが発した鳴き声を独自の手段で脳内変換し、すべてを聞き終えるとビスケットのかけらを食べさせた。

「うふふん。やっぱりアナタの言った通りですわネ、エドガー様。聖龍どもが派兵を決定したんですって」

 嬉しそうに言った女の頭で、長い兎の耳がひくんと揺れる。彼女が横を向いて見上げた先には、同じ枝の上に立って広大な森を見渡す男の姿があった。

「調べるまでもねェ、トカゲどもの考えそうなことだぜ」

「ええ。だって私たちがこの聖龍大陸の森で、こうしてのんびりと状況観察ができるんですものネ。私たち獣牙に、よっぽど見て貰いたいものがあるんですわ」

 エドガーの言葉に応えて女がクスクスと可笑しそうに笑った。

「ケド、どうしてでしょうネ?」

 女が不意に、不思議そうな顔をしてエドガーを見上げた。あ?と視線を流して下げる相手と目が合ったのを確かめると、女はまた森に視線を戻す。

「モンスターがごちゃごちゃ、この森に集まってきてるなんて。うふん、鎧羅じゃないけど気になりますわん」

「んなこたァどうでもいいんだ」

 エドガーはばっさりと女の質問を切り捨てた。

「ここでデケェドンパチがこれから始まる、モンスター討伐だけが目的じゃねぇなら聖龍王も出てくるはずだ。どれだけ強ェか、考えるだけで楽しみだぜ」

「聖龍王様は、あらゆる武術に精通したばかりか、魔法の力にも大変秀でた方と聞いてますわ」

 女は自分の質問を切り捨てた相手に対し、気を悪くしたふうはちっともなかった。

「この森を焼け野原にでもして下さるのかしらネ?」

「…ククッ」

 女の言葉に期待を高められたエドガーが笑う。

 わくわくした。わくわくして、うずうずした。これからこの森へやってくる兵団、その中にまだ見ぬ聖龍王がいる。その姿が見られることを、確信して止まなかった。

 できることなら兵団の中へでも飛び込んで、直接対決でも申し込みたいところでさえある。背後から忍び寄ればどんな反応を見せるだろう? 殴りかかればどうやって返してくるだろう? もし魔法を使われればどうやって対処しよう?

 さまざまなイメージが頭をぐるぐる回っては消えていくが、もちろん外見にも興味はある。

 鎧羅王が部族王の紅一点と言われているのだから、男なのだというところまでは察しがつくが、それ以上のことになると何も知らない。髪の色、瞳の色、肌の色──獣牙は元々聖龍と対立的な関係であり、その王同士が謁見するなどまず有り得なかった。

 何も知らないから、これから知ることに期待が強まる。鎧羅の者たちが謎の探求に強い興味を示す理由が、なんとなくわかった気がした。

「…ン…?」

 ふとエドガーの視界のすみで何かがうごめいた。木の葉が揺れたのが入っただけかと思いはしたが、よく目を凝らしてみると、森の中を走っていく人影が見えた。

 どうやら聖龍の少年のようだった。頭の高い位置で整えた長い髪を、蝶結びにした飾り紐で縛っているのがもっとも印象ある特徴だ。そんな子供が、木々の合間をぬって駆けている。

「どうなさいまして? エドガー様」

 急に静かになった相手を気にしてか、女がきょとんとしながら声をかけてくる。

「ナタージャ。おまえはここで様子を見てろ」

 エトガーはそれだけ言って、ひらりと枝から飛び降りた。

「エトガーさまっ? …あん、もぉ」

 とっとと興味対象を切り替えたエドガーにひとり残されてしまったナタージャは、ネズミと話をしながら遊ぶ道を選んだ。

「いつもああなんだから。勝手だわん。…ねーえ?」

 キ?と、ネズミは首をかしげた。


   3


 いきなり目の前に、自分の半倍は図体のでかい男が飛び降りてきたら、普通は誰でも驚くだろう。その少年も例外ではなかったようで、足を止め、信じられないものを見るような目でエドガーを見つめてきた。

「よォ」

 エドガーは軽く声をかける。近付くために一歩を踏み出すと、少年も同じだけ後ろへと退く。

 少年は言った。

「貴様、獣牙の者か」

「おお。見りゃ判んだろ」

 答えながらエドガーは、自分の両腕をすっと広げてみせる。白い虎の尻尾をちらりと背から覗かせると、少年の表情が強張った。言葉の使い方はずいぶんと偉そうだが、聖龍は古風な言語を好むといわれている点から、この少年の言動に不自然さは感じない。

 エドガーは首を傾け、立ち尽くしている少年をよく見た。紐を解けばきっと足元まであるだろう長い髪は、見事に手入れが行き届いていて傷みなどほとんどない。首にまとった大きな襟巻きの下にちらつく服も、光沢のある繊維が使われていて小奇麗なものだ。

 どこの部族にも共通したことだが、高価な服は高位の者でなければ手に入れるのも難しい。だが防具や鎧を身に着けているふうはなく、しかしそれゆえに、何故こんな場所にこんな身分の高そうな少年がいるのかが不思議に思えてくる。

「聖龍の兵団が近くまで来ておる。早々に戻らねば、御身に危険が及ぶやもしれんぞ」

 少年は言った。古風は古風でも、彼の言葉はずば抜けて古風というより老人のそれだ。エドガーはなんだか、自分が違う時代に来てしまったような錯覚をしてしまう。

 エドガーは肩を竦めて気を取り直した。

「そういうおまえはなんだ? 兵団がこの森で一戦やろうってのは知ってるが、こんなトコにいたらおまえだって巻き込まれておっ死ぬのがオチだろうが」

「…それは……そうだが。いや、俺はだな…えっと」

 う、と少年が言葉に詰まる。一生懸命、適当なとってつけの理由を考えているように見えて、その仕草が妙に子供っぽい。年寄り染みた言葉遣いとの大きなギャップに、エドガーは聖龍にもこんな面白い奴がいるのかと思った。

  身なりからして、派兵団の偉い将軍のお稚児さんといったところだろうか。身の回りに子供、特に少年を置いてきれいな服を着せ、美しい装飾を付けさせて可愛 がるのは、聖龍高位の高齢者になら誰にでもある風習だということは知っている。しかし彼自らにそれを言わせてしまおうとすればイジメになるので、エドガー は無言のうちにその質問を撤回してやることにした。

「名前は」

 エドガーがたずねる。

「……サヤ」

 少年は少しの間を置いてから、そう名乗った。

「サヤか。ちょっとサヤに聞きてぇことがあるんだがよ」

「派兵団のことならば、俺は何も知らんぞ」

 あっさりと質問の先手を打たれてエドガーはきょとんとした。

「まぁそう言いなさんなって。おまえにも判ることだ、きっと。派兵団の中に聖龍王サイガは来てんのか──俺が知りてぇのはソコだ」

 少年の顔色が変わった。それは、まずいことを聞かれて隠し切れず驚愕したというよりは、あまりにも心外なことを聞かれて怒りをあらわにした、といった方が明らかに正しい反応だった。

「このたびの派兵に、お……聖龍王は、絡んでおらん!」

 少年は覇気のある声を張り上げた。

「聖龍殿の者たちが勝手に取り決めたことだ…王は最後まで反対したが、押し切られたような形になってしまったのだ」

「…ほぉ?」

 エドガーは腕を組んだ。

「じゃあ、その反対派の聖龍王サマはとっとと意見を取り下げて、今はもう大人しく御殿で結果報告を待ってるってのかい」

「それはっ…!」

 彼は口ごもった。何か知っているふうではあるが、見るからに口が堅そうで、何を聞いても何も出てこないような気がした。

 だがエドガーは、そんな言い方こそしたが、それで聖龍王を見損なったとか、期待が裏切られたとか、そういうことは考えなかった。

  聖龍は、王に権力が集中する行政体制をとっていない。議会があり、重役があり、あくまでもその代表として、部族の中でもっとも秀でた力を持つ王がいるの だ。そういえば飛天もそんな体制があったような気がしなくもないが、そうして多数決的な意見の中なのだから、王の意見が認められなかった形になることは多 々あると聞く。

 エドガーだったらとても耐え切れない話ではあるが、むしろそういうことはどうでもいい分類だ。

 そう、相手の都合はどうでもいいのだ。要はここに聖龍王が来るか、そして戦えるのか、加えてその人物が強いか否か。エドガーが抱く聖龍王への興味は、そこにしかなかった。

「…で。おまえはここで何をしてんだ?」

 改めてエドガーの口から最初の質問が飛び出す。

「………俺も、王と同じでこの派兵には納得がいかぬ。いかなモンスターといえども、理由もなくぞろぞろとひとつの場所に集結するなど有り得ぬ話……俺は何としても、ここで戦闘が始まるのを食い止めたい」

「ずいぶんと大きく出るじゃねぇか、相手は聖龍兵団だぜ? もし理由とやらがはっきりして、モンスターどもを追っ払うことができたって、おまえみたいなガキの言うことを兵団が聞いてくれると思ってんのか?」

「それは問題ない」

「考えなしに出てきた、頭の悪いガキってわけじゃなさそうだな。面白ェ。兵団のリーダーが聖龍王じゃねぇってンなら、俺もここにいたって何の得もねぇし退屈だ。せっかく来たんだし、おまえに付き合ってやる」

「はっ?」

 少年が目を丸くした。

「戦闘が終わるか、カタがつくまでは帰れねェんだよ。迎えが来ねぇからな。戦いに行くワケじゃねェにしたって、今からモンスターの中に飛び込んでいくんだ、おまえだってひとりじゃ心細いだろ」

 まだ少年はきょとんとしている。普段は意識して引き締めているのだろう、今しがたまでの凛々しかった表情が崩れて、彼は年齢相応と呼ぶに相応しい顔つきをしていた。

「俺はエドガーだ」

「え…エドガーだと?」

「…知らねぇワケじゃなさそうだな。獣牙王エドガーとは俺のことよ」

 また少年は呆然としてしまった。さっきまでの沈黙とはまったく意味の違うものだが、そうなってしまうのも仕方がない。今、彼の目の前に立っているのは、子供ではひとめとて見ることもできない他大陸の王だ。

「龍は虎の夢を見るか…だな」

 真の驚愕の時間を過ごしたあと、少年は大きく息を吐いて笑った。

「あ? なんだそりゃ」

「遠い異国の古い言葉だよ。生存活動──『いきる』ということを、己の進むべき道から、強制的な力によって無理やり逸らされてしまうことである…と定義した言葉なのだそうだ」

「……難しいことはわからねぇな」

「よい。俺も理解するまでに永い時間をかけた」

「年端もいかねェガキに言われたかねェよ」

 エドガーが眉を寄せると、少年は可笑しそうに肩を震わせてクックッと笑った。

「…さて、エドガーよ。派兵団がこの地に着くのは明日の早朝だ。それまでに何とか、魔物どもを散らせることができればよいのだが。改めて、手伝ってもらえるかな」

「聖龍のモンにしちゃあ、おまえは面白ェ。気に入ったぜ、何でも言いな」

 少年とエドガーは、どちらからともなく歩み寄った。そして視線を交わすと互いに腕を伸ばし、ガシッと手を取り合った。

 エドガーからしてみれば、白く細い、女のそれと大差なく見える少年の手。

 しかしこれほど力強い手を、彼は知らなかった。






                                    NEXT...(2005/04/17)