雷獣の花嫁


    1


 雷獣。

 その名が聖龍史に登場するのは、現在よりさかのぼること数十年前。黄龍帝フガクが聖龍王であった時代のことだ。

『その獣、蒼き雷をまといて空を駆けたる珍獣。生まれは獣牙なるが、秘めたる魔力は聖龍の其れに似て強し。数多の山々を蹂躙し、獣と作物を食い荒らす』──と、書物は語る。

 何かしらの理由があって、聖龍と獣牙の原生動物が交配したものであろうと推測される。彼らは出現から数年足らずで爆発的に数を増やして自然界の生存競争の頂点に立つと、草木や小動物といった他の生物の食料をほとんど独り占めにし、獣牙大陸の生態系を大きく狂わせた。

 食糧難直前の被害に困り果てた時の獣牙王は、同じく当時の聖龍王であったフガクに協力を要請し、とうとう雷獣の駆除に乗り出した。だがすでに彼らの個体数は山を埋め尽くすほどであり、特に知力が高い個体相手には重傷者も出たことから、一時期、両大陸はまるで戦時のような緊張に包まれたと記録されている。

 しかしながら、彼らが最大の武器とした強い魔力も聖龍の民らが持つそれには敵わず、純粋な獣としての力も獣牙族のほうが上。より強い力を持つ者たちに、雷獣らは次々と駆逐されていった。

 ほんの一ヵ月ほどで激減と言わざるをえない仲間を失った雷獣らは、あるとき魔力を用いてフガクにテレパシーを繋ぎ、取引を申し出た。『我々は深き山に身を隠し、二度と外界の者らに関わらない。だからこのまま見逃してほしい』と。

 フガクはこれを了承する。そして残った複数の群れに、獣牙大陸を離れ、聖龍大陸の西の果てにある森を棲み処とすることを条件に出して駆除活動の終結を宣言した。

 それ以降、聖龍の法にて保護獣に指定された雷獣らは、フガクとの約束通りひっそりと暮らすようになり、合わせて目撃例もほとんどなくなったという──。

「……」

 ばたん、と重い本を閉じ、飛天王アレックスは小さく息を吐いた。

 雲より高い位置にある飛天宮では、雨や曇りといった天候不良を見ることはほとんどない。陽光は常にあたたかく降り注ぎ、水面に照り返って木々と花々を美しく育てる。そこに住まう飛天族が宿す炎の魔力を象徴した赤と白のコントラストに彩られた宮殿は、今日も変わらぬ景観をもって天空に在った。

 北東を向いた大窓の向こう、広がる雲海の彼方には緑豊かな聖龍大陸が横たわる。ガラスへ歩み寄って大地を見下ろすアレックスの表情は、景色の素晴らしさに反して深く憂いを帯びていた。

「アレックス様」

 ノックの音とともに、執務室へ入ってきたのは執事のシープだ。品の良い老紳士は振り向いた主人と目が合うと一礼を見せ、席の前までやってくる。

「ご所望の品、お持ちしましてございます」

「……やはり、手に入ってしまったか」

 とても残念そうにアレックスは言った。自分で持って来いと言っておきながら、それが手に入ったことを悔やむふうであるのにはもちろん理由があり、執事もよく解っている。

「ご確認を」

 シープが脇に抱いたケースをデスクの上に置き、開く。そこに入っていたのは、首飾りや耳飾り、あるいは指輪や襟巻といった、いくつかの装飾品だった。

 それらは美しい宝石や金銀の類ではなく、獣の爪や牙、毛皮の加工品だ。

 厳しい表情を浮かべたアレックスが牙の耳飾りをひとつ取り上げ、眼前へ吊るすように持ってきて凝視する。

 精神を集中する、ほんの一瞬を経て。

 突如として激しい火花が散り、彼の手からそれが弾け飛んだ。

「アレックス様!?」

「大丈夫だ」驚いた執事を、彼は制した。「ほんのすこし、試してみただけさ」

 たった今、アレックスはその耳飾りを破壊しようと試みた。魔力を注ぎ込み、内部組織の分子回転を速め、急激な高温を起こして爆発させる──要するに攻撃しようとしたのだ。

 しかし結果は見てのとおり。床に転がった装飾品は変わらぬ形を保ってそこにある。渾身の力ではなかったとはいえ、この装飾は、飛天王であるアレックスの攻撃を弾いてみせたのである。場合によっては戦場で装着者の生死をも左右できる、強力な魔力反射の護符だった。

「シープ。これはどこで?」王は訊ねた。

「聖龍大陸南端でこのたび開催された、闇市にございます」執事は答えた。「残された魔力の反応から見て、加工も聖龍の手によるものです」

 やはりそうか──。

 繋がってほしくない点が、彼の中で次々と繋がっていく。沈痛な面持ちで目を閉じ、様々な考えを巡らせていた彼だったが、長い間を置いて大きく息を吐く。

「……サイガに会ってくる。留守は頼んだぞ」

「かしこまりました。行ってらっしゃいませ、アレックス様」

 意を決して歩き出した主の背を、執事は一礼して見送った。


    2


「さて……」

 ゆらりと白い虎の尻尾が揺れる。

 身を隠す定位置としてすでに馴染みとなった神木の緑の中で、獣牙王エドガーは眼下の聖龍殿を見下ろしていた。

『朧の連中はまだコッチに戻ってねェな』

 隣に居たゼクシードが、風に乗る匂いを確かめながら言った。

「つーことは、サイガはまだ何も知らねえってことか」

 つい先日、獣牙大陸ではある事件が発生したところだった。

 聖龍大陸にほど近い東側の山脈で、とある商人が営んでいた農場が獣に襲撃されたのだ。

 中央が閉じて以降、ここ最近は不穏な噂に合わせて原生種の凶暴化や突然変異が頻発している。そういった生物の襲撃だというなら、単にどこの大陸でもよく聞く話だということで片付いていたかもしれない。

 だがその獣というのが、どうやら『雷獣』であるらしいのだ。

 血相を変えて獣牙廷へ駆け込んできたその商人は、獣に電撃をくらわされ、腕に重傷を負っていた。セツナが鑑定したところ傷からは魔力の残留反応が見つかり、『電撃』と『魔力』のキーワードから、将軍らが聖龍の差し金かと疑ったとき、商人は言ったのだ。

「雷獣の仕業です! 聖龍どもの不手際ですぞ、若様!!」

 鼻息荒く、イノシシの獣人であった商人は怒鳴るようにそう言った。

 伝承だの歴史だのに疎いエドガーのみならず、聖龍と雷獣の関係を知らぬ若い将軍らがきょとんとしてしまったのも気に留めず、彼は怒り心頭にまくしたてた。

「即刻、聖龍王に抗議を! おのれトカゲども、あのようなチンケな獣一匹管理することもできず、そのせいでウチは大事に育てていた薬草を根こそぎ持ち去られたのだ! 謝罪と賠償を請求しろ、能無しの聖龍王をここへ引きずり出せ!!」

 他にもサイガに対する口汚い侮辱をいくつも聞いた覚えがあるものの、いちいちまともに聞いていたら自分がキレるほうが先になると思ったので途中から完全に聞き流してしまったが、要約するにそういう話だった気がする。

 とにかくイノシシ族ゆえ頭に血がのぼって手がつけられない状態だったことと、当人が獣牙大陸でも力のある商人であったことも相俟って、不本意ではあったものの『抗議文書』の発送を決定したのがその日の話だ。セツナの仕事は速いので、おそらく今ごろにはもうサイガの手元に届いているだろう。

 エドガーが今日ここへやってきた目的は、その文書へのフォローの意味もある。

 だが本題は、それだけではない。

「おいセツナ」商人が未だ発散しきれぬ怒りを撒き散らしながら帰って行ったあと、エドガーは軍師を振り向いて言った。「その農園とやらで出た被害は、どんなモンだったんだ?」

「……と、言われますと?」セツナは、答えを保留して探るように問答を展開する。

「あのオッサン、薬草のことにしか触れなかったじゃねえか。農場っていうからには家畜やら作物やらあっただろ。それに目もくれねェで薬草だけかっぱらったってことは、雷獣側にも急ぎの用があったんじゃねえのか? それこそ、仲間が怪我をしたとかよ」

 伝承を聞く限り、雷獣にはテレパシーで他者と会話できる高い知能がある。そんな者がわざわざ他者を襲ってまで薬草だけを持ち去ったとなれば、逆に何らかの事情があったのではないか──エドガーはそう訊ねているのだ。

「それに……あのオッサン、どうも気に入らねェ」

 例の『不穏な噂』のおかげで、獣牙の民は徐々に反聖龍の意向を固めつつある。しかし、だからと言って、あそこまで不信や嫌悪の念を示す者も珍しい。

 先先代時代に聖龍の管理下へ移ったとはいえ、もとを正せばかの獣は獣牙の出。エドガー程度の付け焼刃な知識でもそのくらい判るのに、ひとえに聖龍に全責任があるように言うのはおかしいというわけだ。

 無論、のっけからサイガを口汚く罵られたことへの憤りもある。が、それを差し引いても充分に『疑う』余地が、あの商人にはあるのだった。

「なるほど」セツナは言った。「なかなか鋭いですね、エドガー様」

「あン?」

「おっしゃるとおり、あの商人、おそらく『この件』に一枚噛んでいるでしょう」

「何の話だ?」

「件の雷獣伝承には、ちょっとした余談があるんですよ」

 過去に駆除された雷獣らは、その数の多さから焼却や埋葬などでは処分が追いつかず、困り果てた人々は各地で獣の肉体を様々に解体し、活用の方法を模索した。血肉は強い魔力を帯びていたために食用にはできなかったが、逆に毛皮や骨格には強い魔力耐性があり、当時、獣牙族と鎧羅族の間で高い需要を獲得して非常に重宝されたらしい、とセツナは語る。

 特に聖龍で加工された品は、護符としてだけでなく装飾品としても申し分のない出来栄えを誇り、性能と併せて非常に高値がついたそうだ。

「そして今、各大陸の闇市で、新規品と思しき雷獣製の護符が多数出回っているとの報告が上がっています」セツナは言った。「鎧羅の研究所での魔力判定の結果、加工地は聖龍でした」

「……密猟、か?」エドガーはひそめて言った。

 現在、各部族は緊張を高め対立を強めている時期。強大な魔力を操る聖龍・飛天への対策として、獣牙と鎧羅において対魔法用防具の需要が前例にない伸びを見せている。

 過去の駆除活動後に出回った雷獣護符の中でも、状態が好いものはとうに買い占められている今、新規の生産が求められている。しかし聖龍が保護獣と指定している以上、素材の入手は極めて困難。故に質の良いものが手に入れば破格の値がつくのは言わずもがなだ。

「加えて数日前、聖龍大陸西方の森において、小さくはありますが『交戦』と見られる聖龍族の魔力反応が確認されています。雷獣と思しき獣が農園を襲ったのは今朝方……もしかしたら『仲間が怪我をした』というエドガー様の御推測は、当たっているかもしれません」

 農園の襲撃をしてその犯人をずばり雷獣であると言い切った、あの商人。

 先先代王時代の昔話を彼が克明に知っていたなら話は別だが、これほどの状況証拠が並んだあとでは怪しさしか感じるものがない。闇市での儲けに目が眩んで聖龍の密猟者と繋がり、高い金を払って仕入れを目論んだものの、それが失敗した上に高価な薬草を根こそぎ奪われ怒り心頭、といったところか──彼はセツナに解説されるまでもなく事情を察する。

 何より、密猟者に深手を負わされた仲間を助けるために各地を奔走する獣の姿を思えば、さすがのエドガーもバツが悪い。密猟者を摘発し、捕えることはできないものだろうか──。

「……聖龍王はこのことを知ってンのか?」

「いいえ。御存じありません」すでに確信をもってセツナは答えた。「聖龍王は先月の派兵事変での負傷を受け、未だ療養中の身であります」

(……あー、アレか……)

 フラッシュバックのようにあの一瞬が脳裏によみがえりかけたが、彼はその記憶が鮮明な色を帯びる前に首を振って打ち払った。今はそんなことを考えている場合ではない。

「代わって新規護符の流通が今月に入って増加したところを見るに、首謀者は政府関係者の可能性が高いと見ていいでしょうね」

 王が政治から一歩退いている状態であるのをいいことに、国の保護獣を秘密裏に乱獲して私腹を肥やす家臣が居ようなど、いかにも隠密志向が強い聖龍らしい。他の大陸ではまず有り得ない事態だ。しかも下手にコトが大きくなって他大陸に事実が知れ渡れば、聖龍王であるサイガの力量に対する世界的な不信に繋がりかねない。今のうちに何とかしなければ──。

「セツナ」エドガーは言った。「おまえはすぐに聖龍王宛ての意見書を作って送れ」

「かしこまりました」

 それがサイガの手元に届けば、彼ならすぐに状況がおかしいことに気付くだろう。

 問題は、彼がすぐに動けるかどうかだが──。

「それではエドガー様」と、セツナが言った。「吉報をお待ちしております」

「あ?」

 相手が何を言っているのか理解できず、一瞬、エドガーは首を傾げてセツナを見やる。

 軍師は眼鏡をスチャリと指で持ち上げると、きょとんとしている主に言った。

「私はこれから意見調書関係の悶着に携わるのですから、雷獣密猟に関する調査は、無論あなた様がして下さるのでしょう?」

「……」あ、とばかりにエドガーが軍師の真意に気付いた。

「とはいえ、場所は仮にも我ら獣牙と対立する聖龍大陸です」素知らぬ顔をして、セツナは確認でもするように言う。「くれぐれも目立つ行動はお控えくださいませ」

「──ケッ」うっかり浮かんだ笑みを悪態に隠し、エドガーは言った。「テメェは細けェこと心配しすぎなんだっつの。つべこべ言わねェで、オレに任しときゃいいんだよ!」

 ……かくしてエドガーは、今や世界を巻き込みつつある密猟問題に踏み込むこととなったのだった。

 サイガの腹心である朧の主要メンバーは現在、調書発送に関したバツ合わせのためセツナと秘密裏に会談を行なっている。彼らが戻っていないとなれば、サイガは今『独り』のはずだ。

『聖龍王は本殿に居ねェな…』

 鼻をフンフンと動かしながらゼクシードが言った。

『……北の離れだ』

「療養とは名ばかりの幽閉だなこりゃ」

 自分にも少々の責任があるだけに反省も感じるものの、どちらかといえばこのときエドガーは、聖龍殿の者らを薄気味悪くさえ感じていた。

 確かにサイガの負傷は、派兵に反対するあまり単独で飛び出してしまった彼の不手際にあるといえよう。しかし彼がそうして調査を強行したおかげで、兵団と竜たちの激突は未然に防がれたのだ。エドガーがもし自分がサイガの立場であったなら、自分一人の負傷で済んだのだから安いものだと言い切ったであろうし、サイガもきっとそう思っているに違いない。

 だが、ここの者たちは違う。傷を負いながらも異変を解決して戻ったはずのサイガを、まるで幼子への叱咤のように離れに閉じ込めているのがいい証拠だ。

 異変の全容は聞いているだろうに、それでも彼らにとって異変の発端である竜どもは討たれて当然であり、王であるはずのサイガをも、自分のわがままを通すために勝手に出歩いて関係者を混乱させた挙句、命に関わる怪我まで負った不届きな子と暗に責めている。

 ……意味が解らない。連中は何故、そもそも派兵を取り決めた自分たちが間違っていたのだと考えもしないのか。

 やっぱ、あン時に攫っときゃよかったんだな──。普段ロクにしたこともない後悔の念に駆られるまま遠い目をしてしまったエドガーは、そのときふと、青く広がる聖龍殿の屋根に何かが舞い降りるのを見つけていた。

『ありゃあヴァンファレスじゃねェか』と、ゼクシードが言った。

「つーことは……アレックスか」

 聖龍と飛天は結盟関係だ。アレックスがこの地を訪れるのはさして珍しいことでもない。

 だがエドガーは、その来訪が公式なものではなく、アレックス個人の行動であることをすぐに察した。屋根の中でも上空以外の場所からは死角となる、誰の目にも触れぬ地点へ降り立つその姿を見て。

「ちょっくら行ってくる」エドガーは言った。

『ああ。うまくやれよ』

 枝葉に身を潜め、守護獣は主を見送った。


    3


 獣牙大陸・東の山脈にて、とある商人が経営していた農園が雷獣の襲撃に遭った──。

「……ほう」

 聖龍殿は北の果て、本殿から離れたところに在る広間の草庵。月見窓の傍でその書類に目を通したサイガが、眼前に控えた従者に視線を移し、先の説明を促す。

「獣は蒼き雷を操り、商人に瀕死の重傷を負わせると、栽培されていた作物を奪って東の空へ逃亡したとのことでございまして……」老人は頭を下げながら言った。

「そうではないだろう」

「……は……」

 サイガが相手を諭すように言うと、従者から動揺の気配がにじむ。

 明らかに、聞かれてはまずいことを問い質されているそれ。一番痛いところをかわして話をまとめる方法はないものかと必死に思案しているのが見て取れる。

「確かに彼の獣は、聖龍大陸に生息しておる」サイガは言った。「だがそれが我らからの差し金というわけでもあるまいに、なにゆえ獣牙より、このことに関して俺に責任を問う調書が届くのか──と聞いておるのだ」

「そ、それが……」

 従者は汗をふきふき、言い澱む。

「おまえに言うても仕方のないことかもしれんが」サイガは溜息交じりに言った。「さすがに俺も、身に覚えのない責任をかぶって獣牙に愛想を言うつもりはないぞ。俺にこの調書を持ち込む前に、おまえたちには事情を説明する義務があるのではないか?」

「お、仰せのとおりで……」

「おまえを俺に寄越したのは誰だ」

「……申し訳ございません、若」従者はとうとうひれ伏して言った。「わたくしの口からは、これ以上のことは……」

 また元老どもか──。

 口止めされております、と暗に語るその態度を見て、サイガはこの件に、聖龍王朝の重鎮が関わっているであろうことを察した。そしてその当事者には、サイガに一切を伝える気がないことを……あまつさえ、その上で彼に全責任を負えと言っていることまでも。

 このサイガが王位についてより、時はまだ三月程度。国外はもちろんのこと、国内にも若年に過ぎぬ彼を聖龍王と認めぬ者は多い。ことに彼は、頭が固く変革を面倒くさがり、頑なに新しい物事を受け入れたがらない老人から成る元老集団の動向には常に目を光らせてきた。

 実質的な話、政治的な権力においては王となって間もないサイガより、その祖父フガクの時代より長らく政に携わってきた元老らのほうが圧倒的に強い。先に赤竜の大移動が発生した時にも、サイガに何の断りも入れず彼らが大規模派兵を実施できてしまったのはそのせいである。

 獣牙より流れる『不穏な噂』を鵜呑みにして敵意を剥き出しにし、何かにつけて彼らより優位に立つべく画策を繰り返す──そんな連中が自分より強い権力を持って政治のトップに君臨しているのだからサイガが抱く危機感も半端ではない。だが前述の背景があるゆえに、彼は自身に強い忠誠を向けてくれるライセンやシオン、朧衆を基盤として、元老らが先のような勝手をせぬよう軍備の面から改革していかざるを得なくなり、事情を知らぬ民からはそれを好戦的だと若さを批判されるばかり。まさに踏んだり蹴ったりだ。

 万人に受け入れられる必要がないことも、また万人に認められる手法が存在しないことも彼は重々承知している。けれどサイガが王である以上、傍目にはそんな元老ですら彼の『配下』なのだ。連中が何かやらかしてしまったとき、その責任はほとんど自分が負ってやらねばならない。今回もその手の話なのだろう……と、とっくに諦めはついているものの、さすがに彼らとの疎通までも諦めて、何でも言いなりになってやるつもりは甚だなかった。

「……よい。下がれ」

 それでも当事者ではない者を問い質したところで意味はない。この問答を諦めたサイガに赦された従者から、あからさまなくらいの安堵がにじんだ。

 草庵を出て、とぼとぼと去っていくその気配が小さな庭園の向こうへ消えるのを確かめ、サイガは辛辣な言葉が記された書類を疲れた目で見つめながら言った。

「おまえたちから聞くほうが、余程手早く済みそうだよ。──アレク、エドガー」

 月見窓の向こうで、さっきから小競り合いをしていたふたつの気配がギクリと竦む。

 そこに張られた防弾用の結界を解除してやると、申し訳なさそうに顔を出すふたりの魔人。

「気付いておいででしたか……」あはは、と引きつり笑いを浮かべた飛天王アレックスと。

「どうやってバレてねェと思うんだよテメェはよ……」やれやれと呆れた顔をした獣牙王エドガーであった。

 獣牙のエドガーが人目を気にしてコソコソ行動するのは仕方がないとして、アレックスまでもが同じように身を潜めているのには無論のこと理由がある。

 サイガが先の負傷によって身を隠す現在、聖龍殿の関係者は外来の者に対して非常に神経を尖らせていた。同じ聖龍の者でさえ下手をすれば厳しい罰を受ける現状、巡回の衛兵に見つかれば、エドガーはもちろん、結盟関係であるはずのアレックスもタダでは済まないのだった。

「悪ィな、サイガ」

 窓を越えてヒラリと入ってきたエドガーは、サイガが持っていた調書をひょいと取り上げると、適当に破って捨ててしまった。

「商人のヤローがあんまりうるせェもんだから、形式上でこういうモンを出すことになっちまってよ。本当はもっと早くに朧が戻るはずだったんだが、遅れてるみてェだ」

「気にするな。獣牙が本気でこんなものを送り付けてこようとは、俺も思うておらなんだよ」

 そうは言いながらも真意を聞けてほっとしたか、サイガは肩の力を抜くように息を吐いた。

「それより」と、彼は二人を順繰りに見やる。「このタイミングでおまえたちがここにおるということは、此度の件について何ぞ知るところがあってのことだろう? あいにく俺は自由が利かぬ。事情が解るならば、話してくれぬか」

「はい。もちろん、そのつもりで来たんですよ」

 こうなっているであろうことは、すでに予測の内でしたから──サイガを取り巻く状況に同情しながら、話を切り出したのはアレックスであった。



 要点はふたつ。

 聖龍の政府関係者が密猟という犯罪に手を染めていること。

 それによって出回った強力な武具が世界経済を狂わせつつあること。

 アレックスもまたエドガーと同様、この件をサイガに報せるべくやってきた。可能であれば協力を得て、密猟の首謀者を摘発するために。

「……」

 話を聞いたサイガが、わずかに俯いたように見えた。流れる髪に厳しい表情を隠すように。

「『身内』からこんな事態が発生しようとは」アレックスは言った。「心中、お察しします」

 だが、嘆いてばかりもいられない。

 抗争する各国への懸念、そして雷獣らのためにもこれ以上の密猟は見過ごせない。フガク帝と獣らが結んだ不可侵の約束を己のエゴで踏み荒らす犯罪者には、然るべき罰が必要なのだ。

「失礼ながら、首謀者と思しき人物には見当がついています」アレックスが言うと、

「ああ……俺もだ」サイガが答え、

「へえ、珍しく意見が一致するじゃねェか」同意に代えてエドガーが言った。

「ですので」自分たちが思い描く人物が同一であることを半ば確信し、アレックスは続ける。「お忙しいことは百も承知です。力を貸していただけませんか、サイガ」

「断る理由はあるまい」サイガは頷いた。「ライセンとシオンならば手を貸してくれよう。一度会うて、話をしてみよ」

 ゴロゴロ……エドガーは遠いところから響く、雷が鳴る音に気付いた。

 なんだ、こんないい天気なのに──不審に思って振り向いたとき、それは光の速さでもう目の前にまで迫っている。

「……ッ!?」エドガーは身をひるがえすと同時に叫んだ。「アレックス!!」

 次の瞬間、耳をつんざく爆音が一帯に轟き、聖龍殿を巨大な落雷が襲った。

 落下地点はまさしく三人が密談を行なっていた離れのすぐ外だ。来客を迎え入れるために防護用の結界を解除してあったことが仇となり、窓はおろか壁も屋根も紙屑のように吹き飛ばされた。

 数秒ほどの衝撃波がやみ、巻き上がった土埃が沈静していく。

 エドガーの声を受け、前に出たアレックスが全力で展開した球状の結界が、三人を包んで護っていた。彼らは無傷ではあったものの辛うじてといったところだ。衝撃波の威力は凄まじく、たった数秒で激しく疲弊した飛天王の頬には汗が伝い、息が上がっていた。

 彼がちらりと視線をやると、サイガはそんな結界の中でさらにエドガーに庇われている。よかった、無事だ──。

『邪魔ヲ・スルナ……』

 晴れゆく土埃の向こうで、バチリと青白い電撃が光った。

 頭から尻尾までの体のつくりはイタチによく似ている。だが龍族のように大きな角を持ち、帯電した馬ほどの体躯が白銀の鎧でもまとったように輝く、六本脚の獣がそこにいた。

 それが、つい今しがた自分たちが話題にしていた雷獣であることに彼らが気付くまで数秒かかった。意見調書に書かれていた特徴とは似ても似つかず、また伝承に語られているどんな姿も明らかに違っていたからだ。まるで、この数日で劇的な進化でもしてしまったかのようではないか。

『邪魔ヲスル・ナラバ、殺ス!!』

 大きく開いた獣の口に、白銀の雷が集束する。

 いけない、強い──。アレックスは戦慄した。さっきのをもう一度くらったら、ボクではとても──。

「ようやったぞ、アレク! 下がっておれ!!」

 背後から彼の頭上を飛び越え、サイガとエドガーが前に出た。

「七天──」着地より早く、とっくにフルチャージ済みの七支刀を振りかざし、サイガが解放の言葉を叫ぶ。「伐刀ォッ!!」

 振り下ろされた刀身に龍どもの咢が重なり、同時に獣が落雷を撃ち出していた。

 今一度起こった激突の衝撃波が聖龍殿にまで及ぶのではと危惧したアレックスは、振り返った先でふたりの将を見つけた。本殿の屋根に立ち、巨大な結界で爆風を押し留めているのはライセンとシオンだ。

 下手な防御をせず、全力攻撃を行なったサイガの判断は正しい。これほどのエネルギーを防ごうと思えばアレックスのように力尽きてしまうし、仮に護り切ったとしても攻撃に転ずるまでに隙ができる。ならば、弾かれても次の行動に移りやすく、打ち勝てるなら一矢報いることが可能な『攻撃』こそ最大の防御手段なのだ。

『貴様ラ・ガキドモニ・用ハ・ナイ!』獣が言った。『聖龍王ハ・ドコダ!!』

「なにっ?」サイガが問う。

『聖龍王フガク・ダ! 我ガ名ハ・雷獣! 我欲ノ・タメニ、我ラヲ・コノ地ニ封ジタ、ヤツヲ・ダセ!!』

 叫びとともに電圧が一気に上がり、ぎりぎりのところで保たれていた均衡が崩れた。あわやサイガが七支刀を弾かれて落雷の餌食かと思われたところで、彼らの合間にエドガーが割って入る。

「どんだけ時代遅れな生活してやがンだよ、テメェは!」

 ガッ! 雷獣の顎が蹴り上げられ、拍子にサイガを撃ち抜くはずだった電光があらぬ上空へと放たれる。同時に競り合いから外れた七支刀が、落ちるようにして獣の肩口をとらえた。

 容易に斬り裂けるのかと思えばそんなことはない。白銀の輝きに包まれた体毛は、まるでそれ自体が鋼の鎧のような強度を持ち、注がれる電撃を弾き散らしながら刃を受け止めている。

「サイガ、早く離れろっ!」とっくに飛び退いていたエドガーが叫んだ。

「わかっておるっ! だ、だが……っ」

 アレックスとエドガーは、その声をもってサイガの異変に気付いた。

 七支刀は未だ獣の身体から離れず、それを握るサイガもまた飛び退きはしない。

 ──否、そうではない。獣が帯びる強力な磁気が、帯電する七支刀を、そしてその魔力の根源であるサイガを己にぴたりと捕えてしまっている。

『コノ・魔力……』獣は気付いた。『貴様、フガクノ・血縁カ!!』

 バシィッ! 強烈な破裂音とともに、獣の身体が眩くフラッシュした。

「ぐああぁっ!!」

 やっと七支刀から手が離れたと思ったら、サイガは目を庇って悲鳴を上げた。磁気によって吸着し合った状態で、七支刀を通して流し込まれた獣の『光』の魔力が、彼の視神経をもろに灼いたのだ。

「サイガッ!!」

 エドガーは咄嗟に踏み出そうとしたが、獣はその足元に電撃をぶちまけて激しく牽制した。

 肉体の中でも露出した臓器である目は特出した急所だ。類を見ない痛みに動転しよろめいたサイガの胴に、獣の大きな口がばくりと喰らい付く。

『フガクニ・伝エヨ!』獣は言った。『コノ者ノ・命ガ惜シクバ、貴様ノ命ト・引キ換エダト!!』

 そう言い残し、獣は去った。

 空へのぼるのでもなく地を駆けるのでもなく、かき消えるように。

 その牙に捕えた、サイガもろとも。


    4


「アレックス殿、ご無事か」

 やっと立ち上がりかけた飛天王に手を差し伸べたのはライセンだった。先ほどの大放電から聖龍殿を護った結界の出力は相当なものであったのに、彼に疲労の気配はほとんどない。大魔導の二つ名は伊達ではないようだ。

「ありがとうございます。御心配には及びませんよ」

 手を借りながらアレックスは礼を言った。

 聖龍との結盟時、友好の証としてサイガから贈られた聖龍石の耳飾りによって、彼の失われた魔力の充填は素早く行われている。これがなければ、まだしばらくは立ち歩くこともままならなかったことだろう。

 それよりも、むしろ問題は──。

 アレックスに続いて、ライセンが神妙に振り向いた先に居たのは、聖龍殿の衛兵に包囲されたエドガーだ。

「獣牙の王が、この聖龍の王廷に如何なる用か!」

「今のケダモノは貴様の差し金か、若をどこへやった!」

 事情も何も知らぬ衛兵らが口々にわめき立てている。

 彼に向けられた剣や槍といった数多の武器が示すまま、まさしくエドガーが置かれた状況は針のむしろといったところだ。先ほどの騒ぎで殿内の兵や大臣のほとんどがこの場に駆けつけており、彼らの興奮とともに、騒ぎはあっという間に大きく膨れ上がってしまっていた。

 口を閉ざして如何なる問いにも答えることなく、ただその場に腰を落として抵抗や反抗の意志がないことを示し続けているエドガーの態度は間違っていない。正体不明の獣による聖龍殿の襲撃、加えてサイガの拉致までも目の当たりにして興奮した彼らに、対立部族の王が何を言ったところで無駄なのだ。

 ここを治めることができるのは、ただひとり。

「下がれ。武器をおさめよ」

 冷静極まりなくライセンが言うと、兵らは一様に彼を振り向いた。

「今しがたの攻防を見たであろう」将は続けた。「そのかたは、獣の攻撃よりサイガを御守り下さったのだ。刃を向けようなど言語道断、礼儀をもってお迎えせよ」

 言われてみれば──。確かに──。兵らは顔を見合わせてざわめき、次第に冷静さを取り戻して刃をひく。

 そこで、立ち上がったエドガーにライセンがすかさず言った。

「エドガー殿。此度はどのような御用件でお越しか?」

 ──ほんの一瞬の間を置いて。

「今の、雷獣の件だ」エドガーははっきりと言い、周囲の者らをぐるりと見渡した。「昨日の農園襲撃からさかのぼって調べてみりゃ、ここ最近、聖龍政府の何者かが、保護獣である雷獣の密猟に手を染めてるらしいじゃねェか? オレと飛天王は今日、その件で聖龍王に協力を依頼するために来た」

 まさか、とばかりに衛兵や仕官らが、そこに集った他の面々に目を向ける。

「テメェら、雷獣の言葉を聞いただろ」エドガーは続ける。「奴らはフガク帝と交わした不可侵の約束を踏みにじられ、次々と仲間を殺されて怒り心頭だ。下手に刺激すりゃサイガを殺すかもしれねェ。早いトコ対策を打つべきだぜ」

 彼の言葉を聞きながら、アレックスは窺うように周囲の者らへ視線を巡らせた。

 慎重になるべき場面で予想だにしない暴露ではあったが、これはこれでちまちま調べて回るより効率よく全体に情報伝達が可能だ。自分たちが雷獣密猟の件について調べていること、そして、それが今回サイガの拉致という最悪の事態に繋がったこと──この場に当事者が居るなら、何かしらの反応が得られるはずだ。

 なかなかどうして、器量あるヒトのようじゃないか──。

「我らが雷獣を密猟しているだと? 何を根拠にそのようなことを」

 と、奥まった輪の中で老人のひとりが言った。

「あのような出で立ち、雷獣伝承のどこにも無い!」別の者が強く言った。「どうせ貴様ら獣牙の差し金であろう!」

「そうだ、王が療養中の身であるのをいいことに抹殺を企てたのだ、野蛮なケダモノめ!」

「どっちが!!」心にもない罵倒を受けて思わずエドガーは怒鳴っていた。「あいつがドジ踏んだのをいいことに政治から引き離して、立場だけ利用してンのはテメェらのほうだろうが!!」

「な、なんだと……ッ、無礼な!!」

「侮辱だ!!」

 齢にそぐわぬ気の短さで老人どもが怒りをわめき立てた。

 そんな彼らが今しがたエドガーに……というか、獣牙に対して吐いた暴言も、公私関係なく立派な侮辱であったわけだが、今この場でそれを指摘すれば火に油であろうことは誰にでも解る。

「お静かに!」

 ライセンが強めの声を上げると、彼らの騒がしさは刹那、ワントーンほど落ちた。

「今はサイガの命が危うい時、このように言い争うている場合にはありませぬ。双方、思う処はおありであろうが、堪えられよ」

 サイガの拉致を目の当たりにして、聖龍に仕える者として誰より心中穏やかでないのはこのライセンだ。しかし彼は、この事態に王廷人らの心持ちをまとめるため、個人的な感情をすべて棚上げしている。

 自分にはとても真似のできないその所業に感服するとともに、エドガーは感情に走った自分を少し後悔し、少し恥じた。

「エドガー殿のみならず、アレックス殿までもこの地に調査へお越しであるならば、不本意ながら雷獣密猟の責が聖龍に在るというのもあながち妄言ではありますまい」ライセンは言った。「この御二方の身柄は私がお預かりする。それで異論は……」

「ないわけがあるまい!」老人はまさかとばかりに言った。「ライセン! おまえがその二人につくというなら、若の捜索はどうなる!?」

「そうだっ。我らはもとより潔白なのだから調査など要らぬ、即刻お帰り願うべきだ」

「今すぐ朧を率いて出立しろ! あのような獣、おまえならば敵ではないだろう!」

 ああ、やっぱり根本的なところからイロイロ間違ってるなあ、この人たち──アレックスはたまらず頭を抱えた拍子に溜息が出てしまった。

 ロクに外にも出ないくせ、他者からの報告や伝令だけで世界を知った気でいる老人らは、他の価値観と交わることがないから自身の視野でしか物事を捉えることができず、それゆえに暴言を暴言とも思っていない。こういう連中を政治の要人とせねばならず、また四六時中顔を突き合わせているサイガの気苦労ははかり知れない。

 しかし、これがこの国の日常のなのだ。どこの部族よりも特出して、年功序列……いわゆる縦社会文化が通念として浸透しきっている聖龍の、もっとも厄介な性質なのであった。

 そして──。

「まあまあ……御歴々も、そのように興奮なさらずに」

 新しい声がした。

「おお、龍姫院か」老人のひとりが孫でも見つけたように言った。

 このとき、その方向を見やったアレックスとエドガーばかりか、ライセンまでもが、秘めたる様々なものを抑えて潜めるような目付きになっていることに気付いた者は誰もいなかった。

「ライセン殿は、サイガ様の御命よりも密猟調査のほうに重点を置かれる御意向。これ以上の無理強いは止しておきましょう」

 事態に見合わぬゆったりと落ち着いた足取りで、回廊の向こうからしずしずとやってきたのは中年の優男だ。まとう装束はサイガのそれに劣らず美しく高位の存在であることを示してやまないが、戦場に出れば最初に死ぬタイプ、と、兵の誰もが口を揃えそうな印象だ。

「……出て来ましたね」と、アレックスがぽつりと言うと。

「ああ」エドガーが潜めて答える。

 この場では絶対に声に出せないが、その男こそが雷獣密猟の主犯として、彼らが目をつけている人物であった。

「これでサイガ様に万一のことがあればどうなるか、ライセン殿とてよく御理解されての上でありましょう」男は言った。「ならば今は彼を信じて送り出し、我々は我々にできる精一杯のことをやるだけでございます」

「う……む、確かに…」

 さっきまで攻撃的であった老人らが、ひとりの同意を皮きりに意志を疎通させていく。

 ライセンからすれば言われていることは不本意かつ不名誉極まりないが、この場が一旦おさまるのであれば下手な口出しはしないほうがいいのは明白なこと。何より口うるさい連中の意向が団結を失ったこの時をおいて他に、この場を撤収する機会は無い。

 彼は沈痛に閉じていた目を開き、言った。

「では、これより我々は調査を開始する。──他の者らは周辺の後始末をし、配置に戻るように」


    5


「まったく何なのよ龍姫院のヤツ、最近ちょっと羽振りがよくて元老に可愛がられてるからって政府の要人気取りも大概にしなさいよ! とうに廃止された家の出のくせに、サイガを名前で呼ぶなんて、おこがましいったらありゃしない! 挙句ライセン様にあの言い草っ、許すまじ、絶対に化けの皮剥いでやるわ……ッ!!」

「……シオン、声に出ているよ」

「え、あ、あらっ? いやですわ、私としたことが……ホホホホ」

 ライセンにそれとなく注意を受けて我にかえったシオンは取り繕って笑ったが、残念ながらその表情は引きつり半分でまったく取り繕えていなかった。

 聖龍殿は屋根の上、アレックスがヴァンファレスを待機させた死角にやってきた四人は、そこでようやく一息つくことができた。

 調査をする、とは言ったものの、首謀者に目星がついている以上こそこそ嗅ぎまわる必要はない。彼らがここへやってきたのは、人目につかぬ場所での意見交換会の意味が強かった。

「お見苦しいところを曝してしまい、申し訳ない」

 ライセンは二人の王に言った。

「とんでもない」アレックスは言った。「あなたが謝罪されることではありませんよ」

「むしろ同情するぜ」エドガーは言った。「よくもあんな連中とやってられるモンだ」

「御理解、痛み入る」

「それより問題は龍姫院です」改めてアレックスは言った。「不躾ながらライセン殿、あなたはもしやこの密猟問題において、龍姫院の関与をすでに御存じで?」

「いえ」ライセンは答えた。「私が彼に目をつけているのはまた別件の話です。しかしながらここひとつきほどの、奴の羽振りの良さには、王ともども不審を募らせておりました」

「別件……というと、──『政権の乗っ取り』を目論んでいることでしょうか」

「はあ!?」

 アレックスがぽつりと放った言葉があまりに突飛すぎて、驚いたエドガーが身を乗り出してきた。

「どういうこった、そりゃ!?」

「さすが、アレックス殿は耳がお早い」と、ライセンは苦笑いをした。

 少々長くなりますが……と言った彼の話は、古代史にまでさかのぼる。

 龍姫院とは古くより聖龍に在った貴族の一門であり、その起源は初代聖龍王の頃とされる。彼らは代々聖龍王の妃となる女性──『聖龍姫』なる人物を輩出することが役目であり、そうすることで外来の血が王家に混じるのを防ぐ、いわゆる王家の守り人として長らく王家とともに歩み、繁栄してきた家であった。

 古来の伝承には、神が遺した言葉として『四つの部族は純粋なる血を守り、交わることならず』と記される。古の時代、女神より遣わされた四柱の神獣と交わった聖なる血統を継ぐ者たちは、己が血のみを守りその役割を全うせよという教えを示すものだ。

「ウチにはそんな制度ねェぞ?」不思議そうにエドガーは言った。「オレのおふくろは貴族でも何でもねェ、オヤジと街でバッタリ会った普通の女だった」

「ええ。ボクもそうです」アレックスも言った。「飛天にも同じことが言えますが、各王家の蔵でも、探せば似たような古文書の一つや二つは出て来ると思います。そこには確かにそのような文言が見受けられるんですが、それを近年まで忠実に守ってきた部族は聖龍のみですよ」

 しかし変革は訪れる。

 時代はサイガの祖父フガクの頃。

 想い人が聖龍姫であったばかりに悲恋を経験した彼は、即位して間もなくその制度を廃止したのだ。廃止の実施は半ば強行であったとされ、同家からは当然のこと、そこに携わる者らからの激しい反対と批判をものともしなかったことから、若かりし日のフガクは暴君とさえ呼ばれたこともあったようだ。

「しかしながら反対や批判の大半は、龍姫家の強大な権力に溺れた者らの固執でありました」沈痛にライセンは言う。「王妃の輩出という王家の根幹に関わる家ではありましたが、家はすでに外殻のみ残っているようなもの。内部はとうに腐食し、近年の聖龍姫たちは老人らの権威を守るための贄も同然だったのです」

「言わんとしてることは何となく解るけどよ?」エドガーは言った。「その龍姫院とやらは、王妃ひとり出すだけで、なんでそこまで強い権力があったんだ? 実質、国の中心になってるのは王だろ」

「確かにそうなんですけど」アレックスは言った。「ではエドガー殿、あなたは子供を産めますか?」

「は? ……あ、そういうことか」

「聖龍姫が血の守り人と呼ばれ、時に王よりも重要視された理由はそこです。彼女らは次世代の王となる子を産む。つまり王家の存続は、彼女らあってこそという認識だったんです」

 そこでもうひとつ、龍姫家が持つ特色が際立ってくる。

 王と聖龍姫との間に子が生まれたとして、その子が女児であった場合は、王家より外されて龍姫院の所属となる。そうして成長した王女であった娘はそこで次の血を繋ぐのだ。

 歴代王の中には、男児に恵まれず後継者無きまま生涯を終えてしまった者もおり、その当時の記録には、龍姫院に生まれた男児が次の王となったとある。そして彼らは、また龍姫院の娘と婚姻を結ぶ──すなわち聖龍姫とは、王家から見て『姉妹』という関係にあり、両者の婚姻は広い目で見れば近親婚なのである。フガクがこの制度を廃止して龍姫院を解散させたのには、この『近親婚』を繰り返すことで血統が濃くなりすぎ、逆に王家が衰退することを危惧した背景もあった。

 彼の時代に至るまでの間で巨大な組織ほどにも『成長』した龍姫院のこと、血の濃さや優劣はピンキリであったと思われるが、聖龍姫が廃止され、龍姫院の出ではない王妃と王との間に生まれた、同じ聖龍でありながら『混血』という表現にならざるを得ない子供は、長き歴史の中でもサイガが初なのだった。

 ところが、かくして聖龍姫廃止より数十年が経った今、先王リュウセンが消息不明となり、急遽、繰り上がりという形で聖龍王となったサイガにあの龍姫院がつきまとうようになる。

 廃止された家といえど、まだ二代程度前の話。未だ元老らに勝るとも及ばぬ発言力を持つ彼の男は、サイガの若さ……経験の低さを理由に何かと政治に口を出すようになり、最近に至って聖龍姫制度の復活を求めるまでになった。

「あー、なるほどな。読めたぞ」エドガーは言った。「要は自分トコの血縁の娘をサイガの嫁に出して、聖龍院として政権を掌握しようって魂胆だな?」

「はい。ですがサイガは、無論これを拒否しております」ライセンは言った。「どちらかといえば、あの子は祖父フガク寄りの子です。祖父が如何様にして聖龍姫制度を廃止に至ったかの背景を、誰よりよく知っておりましたから」

「……それ系の制度がとっくの昔に廃止されて久しい他大陸から見ても、何よりここまでの背景を知っていれば尚のこと、サイガの返答は至極真っ当なものでした。むしろよく言ったと称賛されてもいいレベル……だったんですけどね」

 と、アレックスは不快を隠そうともせず言った。

「サイガはあくまで『聖龍姫制度による婚姻は結ばない』と言ったに過ぎません。ですが、今度はそんな彼に対して悪評が立ちました。『女性に興味のない男色王』だとか、『婚姻せず子孫を成すつもりもない独善主義者』……などと、です」

「本人に言ってダメなら、世論を操作してサイガを不利にしようって意図が見え見えじゃねェか。……チッ、胸クソ悪ィ」エドガーは完全に呆れて言った。

「国の政に携わる者としてあるまじさ、稚拙なる醜態ばかり……」ライセンはついに深い溜息を吐いて言った。「まったく、お恥ずかしい限りです」

 サイガが王位につき、龍姫院が現れてまだ数ヶ月。これほどの短期間で、結盟関係にある飛天にまでそんな噂が届くとなれば、それは単なる噂ではなく操作された情報であることは言われるまでもない。エドガーが真っ先に本意を見抜いて呆れたように、アレックス自身も真に受けてはいなかった。むしろこの時勢の聖龍王廷内で、王への不信感を流布させんと目論む者が居ることへの危機感を強く覚えたくらいだ。

「自国の問題です、本来であればすぐにサイガが動くべきであったのですが」ライセンは言った。「先の事変での負傷から元老の不信と反発が一気に強まり、ロクに身動きも取れぬ状態に……」

 そう、聖龍で派兵事変が発生したのはこの折だった。ただ雷獣製と思しき武具が各地で出回り始めたのも同時期で、飛天は後者の調査を優先している。

 この会合を通じて獣牙でセツナが同じことをしていたと知った今となって、アレックスはそのときの自分の決断が、飛天の加担を遠ざけ、サイガの負傷やら王廷の立場やら諸々の現状を引き起こした要因になったのではと後悔しか感じるものがない。

「反発もナニも、テメェらがサイガの言い分も聞かねェで勝手をした結果じゃねェか」アホくさ、とエドガーは呆れて言った。「なのに意思の疎通を図るでもなく反省するでもなく、あいつをあんなトコに押し込めといて『不信』とか、どの口が言ってんだよ?」

「これらの事実を踏まえた上では、すべて言い訳となってしまいましょうが……」

 と、ライセンは申し訳なさそうに言った。

 サイガは兄弟を持たない。先王リュウセンも消息不明である以上、聖龍の民──特に元老らにとって、サイガは最後の砦のようなものなのだ。

 彼に万一のことがあれば、すなわち王家の断絶を意味する。老い先短い彼らは、自分たちなりの観点とやり方で、サイガが自分たちの居ない近い未来を託すに相応しい相手かどうかを見極めようとしているだけなのだ──と。

 しかし、だからと言って何でもそういうふうに受け止めて受け入れていては前に進めない、とアレックスは言う。

 現に今、サイガが身動きをとれない状態で、他の誰かか雷獣密猟について言及したかといえば否なのだ。こうして他国の王が調査にやってきてしまった時点で、元老らは己の管理力の低さを恥ずべきであり、サイガ自身も、自分が家臣を管理し切れていないことを痛感し姿勢を改めるべき時だというのに。

「……とは、言いますけどね」こほん、と咳払いをしてアレックスは言った。「元老や龍姫院の動向に縛られた状態で、そのうえ雷獣の密猟までいっぺんに調査しろというのも、少々無理のある話です」

 これは確かに聖龍国の内輪問題だ。サイガやライセンが決着させるべきものといえよう。

 だが、表向きは獣牙と鎧羅に対抗する目的とはいえ、せっかく友好関係を持っているのだから、手が回らないのであればもう少し自分たち飛天を頼ってほしかった……というのがアレックスの正直な心境であった。

 先の件から元老がサイガの能力を疑い、またサイガも元老の心中を少なからず汲んでいたことで王が『不在』となったこのひとつきは、雷獣製の武具がその流通量を伸ばした時期と合致する。龍姫院にとってこの期間は、サイガに気取られることなく根回しを行なうのには絶好の機会だったはず、とライセンは語る。

 事実、貴族としての地位を剥奪されたはずの龍姫院が、このところ獣牙への警戒のためと称して、元老の支持を得て職人らに新たな武具の作成を行なわせていたり、あるいは私設軍配備の準備をすすめるなど一種暴力的な資産運用を行なっていることには、前述のとおりライセンもサイガも強い不審を抱いていた。

 それもこれも、こうして密猟の件と照らし合わせてみれば何のことはない。龍姫院がばらまいていた資産は、すべて闇市で不正に得たものだったのだとすれば、すべて辻褄が合う。

「サイガの意向は未だ確認しておりませんでしたが」と、ライセンは言った。「すでに私とシオンは、先の事実から、王への不敬を理由に龍姫院を聖龍より追放する方針で調査を行なっておりました」

「しかしながら」と、先の失言から神妙に黙っていたシオンは、悔しげに沈黙を破った。「奴は我々の如何なる質疑に対しても『国のため』『サイガ様のため』と愛国の意を譲らず、挙句に元老の支持が強いばかりに決定的な証拠を掴めずにいたのです」

「ヘッ、それならヤツぁ今が年貢の納め時だな」エドガーは言った。

「ええ。密猟に関する『証拠』でしたら、ご心配なく」アレックスは言った。「雷獣製品を押さえた際、魔力の残留反応検査は実施済みです。どこの誰が製作したものかまで、こちらはすでに掌握済みですよ」

 彼がそう言って懐から取り出して見せたのは、雷獣の骨から削り出されたヘッドのついた首飾りだ。軽く放り投げられたそれを受け取ったライセンは、シオンを伴い立ち上がる。

「御助力感謝いたします、飛天王殿。ただちに裏取りを行ないましょう」

「はい。龍姫院が首謀者であることを白日の下にし、然るべき処分を下した上で雷獣には誠意をもって謝罪しましょう。……許されるかどうかは二の次、ともかくサイガの身柄を確保することが最優先です」

「承知しております。──それでは、またのちほど」

 素早く身をひるがえした二人は屋根より跳躍し、聖龍殿の裏手へと消えていった。




                                     NEXT...